スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
岩松 研吉郎(いわまつ けんきちろう、1943年10月31日… 岩松 研吉郎(いわまつ けんきちろう、1943年10月31日 - 2019年8月24日)は、日本の国文学者、慶應義塾大学名誉教授。漫画『サザエさん』を研究する東京サザエさん学会代表。 1943年東京生まれ。慶應義塾幼稚舎より一貫して慶應義塾に学ぶ。1962年に慶應義塾高等学校を卒業後、慶應義塾大学工学部に入学。1964年に慶應義塾大学文学部文学科国文学専攻の2年生に転入し、1967年に卒業。1969年慶應義塾大学大学院文学研究科国文学専攻修士課程修了。1973年同博士課程修了。1977年慶應義塾大学助教授、1992年教授。2009年定年、名誉教授となる。 専門は国文学。日本語の言語文化、特に中世文学を専門としている。
館野 直光(たての なおみつ、1943年3月25日 - )は… 館野 直光(たての なおみつ、1943年3月25日 - )は、NHKの元アナウンサー。現在はシニアスタッフ。 慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学卒業後、1966年入局。各地で勤務したほか、大河ドラマのナレーションを手掛けた。阪神・淡路大震災の前後は関西で勤務しており、関連のドキュメンタリー番組でナレーションを担当。 定年が迫ると1度勤務していた北海道へ再び移り(2度目の北海道での勤務は1997年6月に旭川局に異動)、2度目の札幌局勤務を最後にそのまま退職。札幌局のシニアスタッフとして、職員が対応できない場合に応援要員として出演する程度になり、通常でも日曜日・祝日にラジオニュースを2014年頃まで担当していた。
島田 晴雄(しまだ はるお、1943年2月21日 - )は、… 島田 晴雄(しまだ はるお、1943年2月21日 - )は、日本の経済学者。慶應義塾大学名誉教授。前東京都公立大学法人理事長、前千葉商科大学学長。専門は、労働経済学・日本経済論・経済政策。
後藤 完夫(ごとう さだお、1943年2月1日 - 2018… 後藤 完夫(ごとう さだお、1943年2月1日 - 2018年4月9日)は、東京都出身のスポーツジャーナリスト、アメリカンフットボール解説者。出版社タッチダウン社主。日本タッチ・アンド・フラッグフットボール協会会長。 慶應義塾高等学校時代の1960年に同級生から誘われてアメリカンフットボールを始める。その後慶應義塾大学進学後もアメリカンフットボールを続けた。1964年12月に行われた日本学生選抜のハワイ遠征メンバーに選ばれてハワイ大学と対戦した。 現役時はランニングバックとして活躍。日本選抜ヘッドコーチなども歴任した。 慶應義塾大学を卒業後、企業に勤めたがアメリカンフットボールの魅力を日本で広めたいと考え、友人たちと雑誌の創刊にむけて動き回った。
古河 建純(ふるかわ たつずみ、1942年(昭和17年)11… 古河 建純(ふるかわ たつずみ、1942年(昭和17年)11月17日 - )は、日本の実業家。古河財閥4代目当主・男爵・古河従純の四男。富士通取締役兼指名委員会・報酬委員会委員長、ニフティ代表取締役社長を経て常任顧問。高校の同級生に雨宮肇・旭硝子副社長。
菊野 一雄(きくの かずお、1942年8月16日 - )は、… 菊野 一雄(きくの かずお、1942年8月16日 - )は、日本の経営学者。学位は、経済学博士(立教大学・論文博士・1988年)(学位論文「労務管理の基礎理論」)。立教大学名誉教授、山梨英和大学学長。 1942年台北生まれ。慶應義塾幼稚舎、札幌市立幌北小学校、札幌市立北辰中学校、杉並区立松渓中学校、慶應義塾高等学校を経て、1965年慶應義塾大学商学部卒業、1970年同大学院商学研究科博士課程単位取得満期退学、1988年「労務管理の基礎理論」で立教大学より経済学博士の学位を取得。 1970年武蔵大学経済学部専任講師、1972年同助教授、1977年立教大学経済学部助教授、1979年同教授、2005年退任、名誉教授、跡見学園女子大学教授、2017年山梨英和大学学長。
渡辺 泰輔 (わたなべ たいすけ、1942年7月13日 - … 渡辺 泰輔 (わたなべ たいすけ、1942年7月13日 - 2023年12月20日)は、福岡県直方市出身のプロ野球選手(投手)。パームボールが武器。 福岡県出身ながら神奈川県の慶應義塾高校に進学したのは、当時八幡製鐵の監督だった加藤喜作が母校・慶應義塾大学に入れるため説得したもの。2年生の時、1959年の夏の甲子園県予選決勝に進むが、法政二高に敗れる。秋季関東地区大会で優勝し、翌1960年の春の選抜に出場。準々決勝まで進出し、今川敬三投手(早大)を擁する秋田商と対戦するが、延長11回1-2で敗退。同年夏は県予選準決勝で横浜商を相手にノーヒットノーランを達成。しかし決勝では法政二高の柴田勲と投げ合い、延長11回の激闘の末敗れる。
柘植 久慶(つげ ひさよし、1942年6月21日 - )は、… 柘植 久慶(つげ ひさよし、1942年6月21日 - )は、日本の作家・軍事評論家・コイン収集家。本名は平木啓一。 愛知県蒲郡市で出生。父は、東証1部上場の大手ミシンメーカーであったリッカーミシン(1984年に経営破綻)を創業して長く社長を務めた平木信二(1910年 - 1971年)。 慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。 海外旅行に行く日本人がまだ少なかった1961年、大学1年の夏期休暇にコンゴ動乱に参加した。 1962年、アルジェリア戦争にフランス外人部隊の格闘技教官(中尉待遇)として参加した。 1965年、慶應義塾大学を卒業し、父が社長在任中のリッカーミシンに入社。
長名 寛明(おさな ひろあき、1942年6月 - )は、日本… 長名 寛明(おさな ひろあき、1942年6月 - )は、日本の経済学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は理論経済学。 1942年6月に東京都に生まれる。1958年に慶應義塾普通部、1961年に慶應義塾高校、1965年に慶應義塾大学経済学部を卒業する。1967年に慶應義塾大学経済学研究科修士課程を修了し、その後博士課程を終えて1967年に慶應義塾大学経済学部の助手となる。このとき、博士学位は取得しておらず、2008年3月に同大学を定年退職するときに博士学位を授与されている。1973年に慶應義塾大学経済学部助教授に、1980年に教授に昇任している。ハーバード大学とミネソタ大学で在外研究を行った。1990年から1994年までは理論・計量経済学会の常任理事を務めた。
明石 勇(あかし いさむ、1941年〈昭和16年〉11月28… 明石 勇(あかし いさむ、1941年〈昭和16年〉11月28日 - )は、元NHKエグゼクティブアナウンサー。65歳を過ぎたこともあり、現在は「番組出演契約」という形でNHKのラジオ番組キャスターを務める。 慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学経済学部卒業後、1964年入局。 正職員在職中は、主に報道担当のアナウンサーとして活躍。これまで、ラジオ『午後のロータリー』や『NHKニュースワイド』土曜日キャスターなどを歴任した。定年退職後は『ラジオ深夜便』日曜のアンカーを担当した。 大のジャズファンであり、ラジオ深夜便の担当日には、ジャズを中心にしたコーナーがあった。作曲家、アレンジャー、ジャズピアニストとして知られる大野雄二は、高校、大学時代の同級生であり、高校時代にジャズ・バンドを組んでいた間柄でもある。
佐藤 允彦(さとう まさひこ、1941年10月6日 - )は… 佐藤 允彦(さとう まさひこ、1941年10月6日 - )は、ジャズピアニスト、作曲家。東京都両国生まれ。 両国国技館前で電飾看板商を営んでいた父のもとに次男として生まれた。両国生まれだが、目黒、渋谷、西大崎、川崎、赤坂と3年ごとに引っ越した。 目黒区立中目黒小学校、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部を首席で卒業。 元妻は作家の中山千夏(1971年結婚、1978年離婚)。慶應義塾大学アート・センター訪問所員。2019年12月、文化庁長官表彰。 その他、“セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ '90”で誕生した『ランドゥーガ』(スウィング・ジャーナル誌「日本ジャズ賞」受賞)のフランスでのリリースなど。
伊丹 賢太郎(いたみ けんたろう、1941年〈昭和16年〉8… 伊丹 賢太郎(いたみ けんたろう、1941年〈昭和16年〉8月15日 - 2024年〈令和6年〉7月13日)は、NHKの元アナウンサー。 東京都出身。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学卒業後、1965年入局。 初任地は山形放送局。入局後は主にニュース番組を担当。後期はラジオ番組の出演が中心であった。 NHKを定年退職後も『ラジオあさいちばん』に出演していたが、2006年3月に降板。以降はアナウンサー業を引退している。
北島 政樹(きたじま まさき、1941年〈昭和16年〉8月2… 北島 政樹(きたじま まさき、1941年〈昭和16年〉8月2日 - 2019年〈令和元年〉5月21日 )は、日本の医学者(医学博士)、外科医。国際医療福祉大学名誉学長、学校法人国際医療福祉大学副理事長、日本学術会議(19、20、21期)会員・第2部副部長、文部科学省文化審議会委員、欧州科学アカデミー会員、医学雑誌『New England Journal of Medicine』編集委員。王貞治の主治医としても著名。
石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年〈昭和16年〉6月2… 石坂 浩二(いしざか こうじ、1941年〈昭和16年〉6月20日 - )は、日本の俳優、タレント、司会者、ナレーター、画家、作詞家。石坂ミュージカル・エンタープライズ社長。2015年10月からプロダクション尾木に所属。 本名は武藤 兵吉(むとう へいきち)で、親しい芸能人には「兵ちゃん」と呼ばれる。画家として1974年から1985年まで二科展に連続入選している。プラモデルの愛好家としても知られる。 東京府東京市京橋区木挽町(現:東京都中央区銀座)生まれの大田区田園調布出身。小さき花の幼稚園、大田区立田園調布小学校、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。神奈川県横浜市在住。
大野 雄二(おおの ゆうじ、英: Yuji Ohno、194… 大野 雄二(おおの ゆうじ、英: Yuji Ohno、1941年〈昭和16年〉5月30日 - )は、日本のジャズピアニスト、作曲家、編曲家。静岡県熱海市出身。『ルパン三世』シリーズの作曲家としても知られる。 日本テレビ音楽専属、フリーを経て、バップ専属で活動している。 静岡県熱海市にある旅館瑞雲荘大野屋(後のホテル大野屋)を創業した大野市郎の次男として生まれ、小学生の時からピアノを始める。6年生の2学期までは地元の小学校に通い、その後は小田原にある小学校・中学校まで越境通学していた。小田原市立第一中学校(現:小田原市立城山中学校)卒業後は慶應義塾高等学校に進学。同級生だった明石勇(クラリネット担当、後にNHKアナウンサーとなる)らと「ジュニア・ライト・ミュージック」を結成。
稲崎 一郎(いなさき いちろう、1941年4月3日 - )は… 稲崎 一郎(いなさき いちろう、1941年4月3日 - )は、日本の工学者。工学博士。専門分野は生産工学・加工学。Society of Manufacturing Engineers(国際生産技術者協会)Fellow。2005年、同協会F.W.Taylor Research Medal受賞。 東京都出身。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学工学部機械工学科卒業(1964年)。同大学院工学研究科機械工学修了。工学博士(1969年)。慶應義塾大学理工学部教授(1984年)、日本機械学会生産加工・工作機械部門長(1988年)、慶應義塾大学理工学部長、大学院理工学研究科委員長、カリフォルニア大学バークレー校客員教授(1998年)、中部大学教授(2007年)、同理事を経て、現在慶應義塾大学並びに中部大学名誉教授。
古森 義久(こもり よしひさ、1941年〈昭和16年〉3月1… 古森 義久(こもり よしひさ、1941年〈昭和16年〉3月11日 - )は、日本のジャーナリスト。国際問題評論家。 麗澤大学特別教授。産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委員。一般社団法人ジャパンフォワード推進機構特別アドバイザー。国際教養大学客員教授。 ジョージタウン大学「ワシントン柔道クラブ」で指導経験がある柔道家 トランプ大統領は透明な政治家で、発言にも矛盾がないという明らかな間違いを標榜する人物として有名である(参考:BSフジプライムニュース2026年4月20日)。 1941年(昭和16年) 東京府(現:東京都)に生まれる。1956年(昭和31年)慶應義塾普通部、1959年(昭和34年)慶應義塾高等学校、1963年(昭和38年) 慶應義塾大学経済学部をそれぞれ卒業後、ワシントン大学ジャーナリズム学科留学、毎日新聞社入社。
加瀬 邦彦(かせ くにひこ、1941年3月6日 - 2015… 加瀬 邦彦(かせ くにひこ、1941年3月6日 - 2015年4月20日)は、日本の作曲家、音楽プロデューサー。 東京府(現東京都)生まれ。一歳年上の姉がいる。幼稚舎から慶應義塾に通う。 1957年11月、慶應義塾高等学校1年生の時、東京都から神奈川県茅ヶ崎市に転居したが、これが縁で同年12月23日にアメフト部の先輩の紹介により俳優・上原謙のクリスマス・パーティーに誘われ、当時、慶應義塾大学2年生だった加山雄三に出会い、音楽面のみならず、プライベートでも親交を深めるようになる。 慶應義塾大学法学部政治学科在学中の1961年に、初めてのバンド「ザ・トップビーツ」を結成する。その後、ホリプロに所属し、清野太郎、かまやつひろしらとバンド「キャノンボール」を結成。
池田 浩士(いけだ ひろし、1940年6月20日 - )は、… 池田 浩士(いけだ ひろし、1940年6月20日 - )は、日本のドイツ文学者、評論家、京都大学名誉教授。 専門分野はドイツ文学、現代文明論、ファシズム文化研究。 1940年、滋賀県大津市で生まれた。慶應義塾高校から、慶應義塾大学文学部独文科に進んだ。後に作家となる車谷長吉とは大学時代の友人であった。1963年に卒業し、同大学大学院に進学。1968年、博士課程を満期退学した。 1968年、京都大学教養部講師に就いた。後に助教授昇格。教養部が改組後、京都大学総合人間学部教授となった。2004年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は京都精華大学教授として教鞭をとった。2013年に京都精華大学を退職。
宮城 孝太郎(みやぎ こうたろう、1940年6月17日 - … 宮城 孝太郎(みやぎ こうたろう、1940年6月17日 - )は、日本の実業家。ミヤギアソシエーツ創業者で、同社代表取締役社長。 東京都出身。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。同年、キヤノン株式会社入社。2004年に退社し、ミヤギアソシエーツ設立、同社代表取締役社長就任。 1980年ごろからカメラ事業企画部部長に就任し、ベストセラーとなるキヤノン EOSシリーズの立ち上げ、開発を担当した。子会社であるキヤノンオーストラリア Pty.Ltd.社長を経て、1995年よりキヤノン株式会社取締役兼キヤノンシンガポール Pte.Ltd.社長兼キヤノン香港 Co.,Ltd.社長に就任。
片山 洋(かたやま ひろし、1940年5月28日 - )は、… 片山 洋(かたやま ひろし、1940年5月28日 - )は、東京市目黒区(現:東京都目黒区) 出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはディフェンダー(右サイドバック)。父は日産・フェアレディZの生みの親として知られる片山豊。また、義父は元毎日映画社社長の対馬好武。親戚に森永製菓第7代代表取締役社長の矢田雅之、第14代相模鉄道社長の対馬好次郎がいる。 目黒区自由ヶ丘(現:自由が丘)で生まれ、戦時中は伊豆に疎開していた。終戦後は再び自由が丘に戻り、東京第一師範学校男子部附属小学校(現:東京学芸大学附属世田谷小学校)でサッカーを始めて、東京学芸大学附属世田谷中学校および慶應義塾高等学校ではサッカー部に所属したが全国規模の大会への出場経験は無かった。
加賀 義二(かが よしじ、1940年2月 - )は、日本のテ… 加賀 義二(かが よしじ、1940年2月 - )は、日本のテレビプロデューサー。慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。 東京都世田谷区生まれ。父の加賀二郎は元週刊ダイヤモンド記者、のち松竹株式会社元常務、歌舞伎座専務・歌舞伎座映画プロデューサー。また、祖父は元衆議院議員の加賀卯之吉、伯父・加賀一郎は陸上競技選手でアントワープオリンピックの100メートル競走、200メートル競走の日本代表選手、叔父・加賀四郎は大映のプロデューサー。四郎の娘で女優の加賀まりこはいとこに当たるという芸能一家の出身。姉がいたが、1945年の太平洋戦争終戦直後に19歳で亡くなっている。 高校生になってからは、年に100本以上の映画を観るようになり、特に好みは『愛の泉』(ジーン・ネグレスコ監督作品)、『花嫁はどこにいる』(野村芳太郎監督作品)だった。
齋藤 利明(さいとう としあき、1940年1月 -2020年… 齋藤 利明(さいとう としあき、1940年1月 -2020年8月)は日本とアメリカで活躍した日本人カーデザイナー、工業デザイナー。スポーツ・クーペのフォード・プローブのデザインにチーフ・デザイナーとして携わるなど、海外で活躍する日本人デザイナーの草分け的存在として知られる。曾祖父は、幕末の土佐藩家老で、明治政府で刑部大輔、参議、元老院議官を務めた斎藤利行、娘婿は、国際政治学者で日本大学准教授の井手康仁である。墓所は青山霊園にある。 1940年、東京府東京市(現東京都)牛込区生まれ。 慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、1962年、慶應義塾大学工学部(現理工学部)機械工学科卒業。 1965年、渡米してカリフォルニア州のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに留学。
二代目 市川 猿翁(にだいめ いちかわ えんおう、1939年… 二代目 市川 猿翁(にだいめ いちかわ えんおう、1939年〈昭和14年〉12月9日 - 2023年〈令和5年〉9月13日)は、日本の歌舞伎役者、俳優、演出家。屋号は澤瀉屋。定紋は澤瀉、替紋は三つ猿。俳名に華果(かか)がある。紫派藤間流二代目家元としては二代目 藤間 紫(にだいめ ふじま むらさき)を名乗る。本名は喜熨斗 政彦(きのし まさひこ)。東京都出身。 「猿翁」は隠居名で、49年間にわたり名乗り続けた三代目 市川 猿之助(さんだいめ いちかわ えんのすけ)としても広く知られる。 文化功労者、従四位、旭日中綬章。子は九代目市川中車(香川照之)。 公称身長165cm・体重68kg・A型。千代田区立番町小学校、慶應義塾中等部・慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学文学部国文学科を卒業。
加藤 奐(かとう かん、1939年7月18日 - )は、日本… 加藤 奐(かとう かん、1939年7月18日 - )は、日本の実業家。京王電鉄第9代社長。 東京都出身。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学商学部商学科卒業後、1962年京王帝都電鉄(現・京王電鉄)入社。経理部長を経て、1993年常務取締役。1998年京王プラザホテル社長に就任。2002年京王電鉄副社長。2003年社長。2009年会長。2015年相談役。2015年旭日重光章受章。
青木 廣彰(あおき ひろあき、1938年10月9日 - 20… 青木 廣彰(あおき ひろあき、1938年10月9日 - 2008年7月10日)は、東京都出身の実業家、冒険家、元レスリング選手、バックギャモンプレーヤー。通称、ロッキー青木。全米各地で鉄板焼きレストランチェーン「BENIHANA」を展開した経営者(創業は父の郷宏之こと青木湯之助)。息子のスティーヴ・アオキはディスクジョッキー(DJ)、娘のデヴォン青木はモデル・女優として知られる。 青木湯之助、かつの長男として中野で生まれる。青木家は江戸時代は紀州徳川直参の旗本だった和歌山県士族の旧家である[要出典]。父の湯之助はかつて郷宏之の芸名で活躍していた俳優・タップダンサーで、後にレストランチェーン紅花 (BENIHANA) 共同創業者となった。
永竹 由幸(ながたけ よしゆき、1938年7月26日 - 2… 永竹 由幸(ながたけ よしゆき、1938年7月26日 - 2012年5月9日)は、オペラ研究家、評論家、昭和音楽大学教授。 東京都中央区築地生まれ。慶應義塾中等部の頃から歌舞伎を観るほか、藤原歌劇団の練習所に通い詰める。慶應義塾高等学校演劇部に在籍し、市川猿之助作「宝島」の作曲を担当、猿之助と共に白木劇場の舞台に立つ。慶應義塾大学ではオペラ研究会を創立、慶應義塾創立100年記念に若杉弘指揮、メノッティの「電話」を演出。1961年慶應義塾大学商学部を卒業、三井物産に入社、1965年同社イタリア修業生としてボローニャ大学に留学。その後二回にわたり計11年、同社ミラノ店に勤務し、1988年退社。ANFコーポレーション、サウンド・バンク社長を歴任し、1996年退任。
平光 清(ひらこう きよし、1938年7月15日 - 201… 平光 清(ひらこう きよし、1938年7月15日 - 2011年8月9日)は、東京都大田区出身の元プロ野球審判員、野球解説者。大学野球、プロ野球選手経験は無い。通称「先生」「審判先生」。
関家 憲一(せきや けんいち、1938年 〈昭和13年〉 3… 関家 憲一(せきや けんいち、1938年 〈昭和13年〉 3月5日 - 2020年〈令和2年〉 4月26日)は、日本の実業家。 実父の関家三男の創業した工業用砥石メーカー、有限会社第一製砥所(現:ディスコ)を、実弟の関家臣二と共に半導体製造装置・システムのメーカーとして東証第一部上場企業へと成長発展させた。 東京市麻布区に関家三男の長男として生まれる。神奈川県大磯町立小学校、私立湘南学園中等部、慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学経済学部へ進学。高等学校、大学と継続して体育会空手部に在籍して松濤館流空手4段を取得。 1959年(昭和34年)の慶應義塾大学在学中、父である関家三男より日本政策金融公庫(旧中小企業金融公庫)から融資を受ける為の資料作成を命じられ、それらの作成を行う。
鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1938年3月1日 - )は、… 鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1938年3月1日 - )は、東京府出身の作曲家、編曲家。妻は元歌手の小野階子(おの しなこ)。 慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。学生時代は慶應義塾大学ライトミュージックソサエティに所属。 母が所有していたピアノを独学で習得し、学生時代からジャズ・ピアニストとして活動を始め、のちに「ザ・ヒットパレード」のバックバンドにも参加。中村八大の影響でプロの作曲・編曲家を目指す。 西ドイツ・ドルトムントで開催された1966年世界体操競技選手権に日本代表専属のピアニストとして参加。床運動の規定曲を作曲する。 プロの作曲家としてデビューまもない1968年に『天使の誘惑』が、第10回日本レコード大賞を受賞する。
浅地 正一(あさじ しょういち、1938年〈昭和13年〉2月… 浅地 正一(あさじ しょういち、1938年〈昭和13年〉2月25日 - )は、日本の実業家である。東京商工会議所顧問、浅地事務所代表。日本ビルサービス代表取締役社長、特別顧問を務めたほか、東京青年会議所理事長、逗子なぎさホテル社長、日本商工会議所特別顧問、東京商工会議所副会頭等を歴任した。 1938年(昭和13年)2月25日、東京赤坂に生まれる。1944年(昭和19年)東京都東調布第二国民学校入学。在学中に軽井沢へ疎開。後、暁星小学校を卒業。中学は慶應義塾普通部に、高校は慶應義塾高等学校に進学。中学ではテニス部主将を務め、高校ではゴルフ部主将を務める。その後、慶應義塾大学経済学部に進学。グリーンクラブ(現・体育会ゴルフ部)主将、関東学生ゴルフ連盟委員長と日本学生ゴルフ連盟委員長を務める。
赤尾 健一(あかお けんいち、1938年 - )は、元・日本… 赤尾 健一(あかお けんいち、1938年 - )は、元・日本テレビ放送網のプロデューサー、演出家。日企代表取締役会長。 千葉県出身。父親が新聞記者だったこともあって、早くからマスコミ業界を志望していた。 慶應義塾高等学校では安部譲二と同級生だった。 1962年3月に慶應義塾大学文学部仏文科を卒業し、同年4月に日本テレビ放送網株式会社に入社。芸能局音楽部に配属された。 1974年に日本テレビを独立して、番組制作会社・日企を設立する。
中村 勝彦(なかむら かつひこ、1937年11月27日 - … 中村 勝彦(なかむら かつひこ、1937年11月27日 - 2019年12月13日)は、日本の作曲家。専門はCMソング・アニメソング・童謡・歌謡曲。 東京生まれ。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部を卒業したが、美学芸術を学ぶため、同大学の文学部に再入学し美術史を専攻、卒業。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月1… 加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント、ギタリスト、ピアニスト、ウクレレ演奏者、画家。本名、池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは、若大将。作曲家として、弾 厚作(だん こうさく)のペンネームを用いる。 神奈川県横浜市生まれ、茅ヶ崎市出身。公益財団法人日本セーリング連盟応援団長、文化功労者。勲等は旭日小綬章。 父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。妹は池端亮子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視である。 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月までいた。
飯村 隆彦(いいむら たかひこ、1937年2月20日 - 2… 飯村 隆彦(いいむら たかひこ、1937年2月20日 - 2022年7月31日)は、映画作家。実験映画の草分け的存在。飯村隆彦映像研究所ディレクター。 東京都出身。慶應義塾高等学校時代に、高橋新吉や萩原恭次郎のダダイスム詩の影響を受け、自らも詩を執筆する。1959年慶應義塾大学法学部卒業後、日映新社にアルバイトで入り、PR映画の助監督を経験する。1962年に8ミリ映画の映画詩「くず」で注目を浴び、実験映画・個人映画作家となる。赤瀬川原平、荒川修作、篠原有司男、中西夏之といった美術家たちと交流を持つようになり、暗黒舞踏の土方巽らの協力を得て、8ミリ映画や16ミリ映画の前衛映画『あんま』(20分/1963年)『バラ色ダンス』(13分/1965年)を製作する。
二宮 寛(にのみや ひろし、1937年2月13日 - )は、… 二宮 寛(にのみや ひろし、1937年2月13日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。
飯田 裕康(いいだ ひろやす、1937年1月 - )は、日本… 飯田 裕康(いいだ ひろやす、1937年1月 - )は、日本の経済学者、慶應義塾大学名誉教授。専攻はマルクス経済学における信用論、経済学史。マルクス経済学では正統派の流れを汲むが、その研究は実証を重視するものである。[要出典] 1937年1月、東京都に生まれる。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を経て、1959年慶應義塾大学経済学部卒業。1961年、慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了、同大学大学経済学部副手。1962年、同助手。1964年、慶應義塾大学院経済学研究科博士課程修了。1967年、慶應義塾大学経済学部助教授。1972年『信用論と擬制資本』で経済学博士。1974年、同教授。1993年-1999年、経済学部長・経済学研究科長。
岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本… 岩崎 駿介(いわさき しゅんすけ、1937年 - )は、日本の建築家、都市デザイナー、NGO活動家、政治家。息子の岩崎夏海は放送作家。 東京生まれ。父は岩崎書店創業者・岩崎徹太。兄は精神科医の岩崎徹也。慶応義塾高等学校卒業後、東京藝術大学美術学部建築科へ入学。 大学卒業後、建築設計事務所を2年間経営した後、アフリカ・ガーナの国立科学技術大学専任講師、そしてハーバード大学デザイン大学院都市デザイン専攻留学。
北川 正人(きたがわ まさと、1936年〈昭和11年〉11月… 北川 正人(きたがわ まさと、1936年〈昭和11年〉11月11日 - 2023年〈令和5年〉6月12日)は、日本の実業家、経営コンサルタント。元千代田化工建設代表取締役社長。妻は加賀前田家17代当主前田利建侯爵の長女。 アメリカ・カリフォルニア州バークレーにて誕生。第二次世界大戦開戦直前の1941年(昭和14年)8月、日本に帰国。慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を経て、1959年(昭和34年)に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。同年、千代田化工建設入社。営業部門を経て、1982年(昭和57年)取締役就任。1987年(昭和62年)常務、1989年(平成元年)専務、1992年(平成4年)副社長を経て、1996年(平成8年)12月柏原正明に代わり社長に就任。
舘野 泉(たての いずみ、1936年11月10日 - )は、… 舘野 泉(たての いずみ、1936年11月10日 - )は、東京生まれのフィンランド在住のピアニスト。
赤木 健一(あかぎ けんいち、1936年9月28日 - )は… 赤木 健一(あかぎ けんいち、1936年9月28日 - )は、兵庫県城崎郡国府村(現在の豊岡市)生まれの元プロ野球選手。 兵庫県城崎郡国府村(現在の豊岡市)で生まれ、東京都で育った。隣家の植村直己とは少年時代、遊び仲間だった。 慶應義塾高校では1954年夏の甲子園県予選3回戦で希望ヶ丘高に敗退。慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは1956年秋季リーグで優勝を経験。1958年春季リーグでは打率.404で首位打者を獲得、同年は春秋季ともベストナイン(外野手)受賞。1955年には第2回アジア野球選手権大会日本代表(東京六大学野球リーグ選抜チーム)に選出された。リーグ通算59試合出場、170打数51安打、打率.300、2本塁打。
服部 哲治(はっとり てつじ、1936年9月1日 - 200… 服部 哲治(はっとり てつじ、1936年9月1日 - 2000年7月2日)は、日本の元俳優、元声優。東京都中野区出身。 小学生であった1946年、児童劇団こけし座に入団。NHKラジオの学校放送などに出演し、1955年に映画『たけくらべ』でデビュー。慶應義塾高等学校卒業。慶應義塾大学経済学部中退。 1956年、桑野みゆきや毒蝮三太夫、増山江威子らと劇団山王を結成。衣笠プロ、三木事務所を経て、1970年の時点では天知プロに所属していた。その後、1977年には藤山寛美の誘いで松竹新喜劇へ入団し活動した。 二枚目だが敵役や三枚目の役もこなし、中堅俳優として活躍した。 2000年に死去するが、遺族との連絡がつかないらしく、aRmaに権利者が捜索されている。
川口 浩(かわぐち ひろし、1936年(昭和11年)8月22… 川口 浩(かわぐち ひろし、1936年(昭和11年)8月22日 - 1987年(昭和62年)11月17日)は、日本の映画俳優・タレント・探検家。作家で大映専務の川口松太郎、女優の三益愛子夫妻の長男。女優の野添ひとみの夫、元俳優の川口恒、川口厚、元女優の川口晶(現在は陶芸家の国重晶)の長兄。元タカラジェンヌで宝塚歌劇団24期生の紀川瑠璃子は母方の叔母にあたる。
森 章(もり あきら、1936年(昭和11年)7月12日 -… 森 章(もり あきら、1936年(昭和11年)7月12日 - )は、日本の実業家。森トラスト会長。 東京生まれ。父は森泰吉郎、兄に経済学者の森敬と森ビル(森トラストと資本関係は無い)社長の森稔がいる。 慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部を卒業後、安田信託銀行(現:みずほ信託銀行)を経て森ビルに入社。1987年森ビル観光(森トラスト・ホテルズ&リゾーツ)を創業。1993年、森トラスト社長。2016年に娘の伊達美和子に社長を譲り、会長職に就く。 原則100メートル以上のビルは建設すべきでないとしている。一方、森トラストは丸の内トラストシティのように100メートル以上の高層ビル建設を含む都市開発を行っている。
萩原 敏雄(はぎわら としお、1936年(昭和11年)5月1… 萩原 敏雄(はぎわら としお、1936年(昭和11年)5月18日 - )は、日本のテレビプロデューサー、実業家。日本テレビ社長、日本テレビフットボールクラブ会長兼社長を務めた。 萩原雄祐・結子夫妻の三男として東京府(現・東京都)に生まれる。 慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学文学部を卒業。俳優の早川保と川口浩は慶應高校の同級生。早川とは慶大でも同期であった。 文学青年だった萩原は、出版社を志し、新潮社の最終面接まで行った。だが、萩原には日本テレビにコネがあった。新潮社の最終面接で「あなたは合格したら間違いなく入社しますね?」という問いに正直に答えた。日本テレビが採ってくれるといえば、そちらに入らざるを得ないと、。
早川 保(はやかわ たもつ、1936年4月18日 - )は、… 早川 保(はやかわ たもつ、1936年4月18日 - )は、日本の俳優である。本名は持田芳男(もちだ よしお)。神奈川県川崎市出身。
大伴 昌司(おおとも しょうじ、1936年2月3日 - 19… 大伴 昌司(おおとも しょうじ、1936年2月3日 - 1973年1月27日)は、日本の編集者、SF研究家、映画評論家、翻訳家。別名、大伴秀司。「怪獣博士」と呼ばれた。ペンネームの「大伴」は大伴家持に、「司」は司葉子に由来。 本名は四至本豊治(ししもと とよじ、後に「よしもと」と読みを改める)。父は国際ジャーナリストの四至本八郎(ししもとはちろう)。母の四至本愛子(本名はアイ)は母権擁護運動家でコラムニスト。叔父(母の弟)にニコンの研究で名高い荒川龍彦。 四至本八郎とアイの息子として東京市本郷区の順天堂医院に生まれる。 1938年から父の任地メキシコで育ち、アステカのピラミッドや石像から大きな影響を受ける。
若杉 弘(わかすぎ ひろし、1935年5月31日 - 200… 若杉 弘(わかすぎ ひろし、1935年5月31日 - 2009年7月21日)は、日本の指揮者。父は、外交官の若杉要で、ニューヨーク総領事(1937年 - 1940年)を経て、日米開戦時の駐米公使(1941年 - 1943年)を務めた。妻は、メゾソプラノ歌手の長野羊奈子。 1935年、東京府生まれ。幼少時からピアノを学ぶ一方、演劇、オペラ、バレエに親しみ、高校時代には二期会などのオペラ団体でピアノ伴奏の経験を積んだ。 慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学経済学部に入学し、経済学を学びつつ学内の合唱サークル「混声合唱団楽友会」に所属した。音楽への思いを断ち切れずに慶大を中退し、1956年に東京芸術大学に入学し直した。
川津 祐介(かわづ ゆうすけ、1935年5月12日 - 20… 川津 祐介(かわづ ゆうすけ、1935年5月12日 - 2022年2月26日)は、日本の俳優。東京都新宿区出身。 1935年(昭和10年)5月12日(日曜日)、東京府東京市四谷区新宿(現在の東京都新宿区新宿)に生まれる。 慶應義塾高等学校から慶應義塾大学医学部在学中の1958年(昭和33年)、映画監督である兄・川頭義郎が縁となり木下惠介の勧めもあって同年の『この天の虹』(松竹)でスクリーンデビュー。 『人間の條件』の「第3部・第4部」(1959年)と「第5部・第6部」(1961年)に寺田二等兵役で出演。 松竹時代は青春スターとして人気を誇る。退社後はフリーとなり、松竹時代の青春路線とは異なる敵役や癖のある準主役などさまざまな役柄を演じた。
紀田 順一郎(きだ じゅんいちろう、1935年4月16日 -… 紀田 順一郎(きだ じゅんいちろう、1935年4月16日 - 2025年7月15日)は、日本の文芸・メディア評論家・翻訳家・小説家。日本文芸家協会、日本ペンクラブ、各会員。 本名は佐藤 俊()。ペンネームの「紀田」はきだみのるから、「順一郎」は谷崎潤一郎に由来している。 書誌研究を中心に、半世紀以上にわたり『古書街を歩く』、『日記の虚実』、『二十世紀を騒がせた本』などメディア論、近代史論などを数多く刊行。古書をテーマとした推理小説、幻想文学作品も著した。 横浜・本牧(正確には横浜市中区千代崎町)で出生、父は日本銀行本店の行員。1941年に父が結核となり、暗い家庭となる。腺病質で体が弱かったため、本の世界に楽しみを見出していた。