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古井 康介(ふるい こうすけ、1995年(平成7年)5月25… 古井 康介(ふるい こうすけ、1995年(平成7年)5月25日 - )は、日本の政治家、実業家、社会起業家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。株式会社POTETO Media代表取締役社長。日本若者協議会理事。 1995年、富山県富山市生まれ。2008年秋のリーマン・ショックのあおりで父の飲食店が経営不振に陥り、部活の用具は買えず、光熱費を弟のバイト代でまかなうなど、弟2人を合わせ3人の子を抱える一家の生活は厳しくなったが、折よく始まった高校無償化と、進学先の高校の掲示板でたまたま見つけた奨学金制度に窮地を救われた。この経験により、「ひとりで乗り越えられない壁を乗り越えさせてくれるのが政治なんだろうな」と感じるとともに、遠い世界の話に思っていた政治が目の前の生活にかかわる大切なものだということを身をもって知ることとなり、後に政治をテーマにした事業を行う原体験となる。
上野 蛍(うえの ほたる、1984年〈昭和59年〉7月7日 … 上野 蛍(うえの ほたる、1984年〈昭和59年〉7月7日 - )は、日本の政治家。日本維新の会所属の参議院議員(1期)。同富山県総支部事務局長。同富山市支部幹事長。元富山市議会議員(3期)。 富山県富山市出身(現住所は富山市広田地区)。富山大学附属中学校、富山県立富山高等学校を卒業。日本大学中退後、介護施設の事務職として勤務。 2016年11月、富山市議会議員補欠選挙に無所属で立候補し、初当選。同月17日、富山市議2名、富山県議1名による地域政党政策チーム光を設立し、代表に就任。2017年、2021年の市議選でも再選された。2020年末に日本維新の会に入党。 2022年の第26回参議院議員通常選挙に日本維新の会公認で比例区から立候補したが次点で落選。
村井 宗明(むらい むねあき、1973年(昭和48年)5月3… 村井 宗明(むらい むねあき、1973年(昭和48年)5月30日 - )は、日本の実業家、政治家、ITエンジニア。民主党所属の元衆議院議員(3期)。文部科学大臣政務官、衆議院災害対策特別委員長、民主党富山県連代表などを歴任。現在は、東武トップツアーズ CDO。政界引退後は、Yahoo、gumi、日本政策学校、LINE株式会社、全国心理業連合会等の顧問・役員等を務める。富山県上新川郡大山町(現・富山市)出身。 著書である「総理、増税よりも競り下げ方式を! 脱・お役所価格で 財政再建」で主張した歳出削減策。2010年(平成22年)4月12日に競り下げのマニフェスト修正案を民主党に提出し、7月4日に菅直人内閣はその試行を閣議決定した。
森田 高(もりた たかし、1967年7月22日 ‐ )は、日… 森田 高(もりた たかし、1967年7月22日 ‐ )は、日本の政治家、医師。 参議院議員(1期)、総務大臣政務官(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣・野田内閣・野田第1次改造内閣)などを歴任。 兄はプログラマーでゲームクリエイターの森田和郎。 富山県富山市生まれ。富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山高等学校(理数科)、筑波大学医学専門学群卒業。1992年に筑波大学附属病院泌尿器科ジュニアレジデント、1997年に筑波大学附属病院泌尿器科チーフレジデント修了。その後東京逓信病院泌尿器科医員、住友生命保険医務査定室医長・同保険医事研究室医長、晋真会ベリタス病院泌尿器科医長兼健康管理科長を務める[要出典]。
野上 浩太郎(のがみ こうたろう、1967年〈昭和42年〉5… 野上 浩太郎(のがみ こうたろう、1967年〈昭和42年〉5月20日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(4期)、自由民主党総務会長代理。 富山県議会議員(1期)、財務大臣政務官、参議院文教科学委員長、国土交通副大臣、内閣官房副長官、農林水産大臣(第64代)、自由民主党参議院国会対策委員長などを歴任した。 富山県富山市生まれ(現住所は同市堀川町)。富山市立堀川小学校、富山市立堀川中学校、富山県立富山高等学校、慶應義塾大学商学部(国際経済学専攻)卒業。大学卒業後の1992年(平成4年)、三井不動産(都市開発事業部)に入社。1998年、祖父が創業した地元、新富自動車株式会社に入社。 1999年(平成11年)、富山県議会議員選挙に富山市選挙区から出馬し、初当選した。
新田 八朗(にった はちろう、1958年〈昭和33年〉8月2… 新田 八朗(にった はちろう、1958年〈昭和33年〉8月27日 - )は、日本の政治家、実業家。富山県知事(公選第21・22代)。無所属。 日本海ガス代表取締役社長、日本海ガス絆ホールディングス代表取締役社長、富山経済同友会代表幹事、富山青年会議所理事長、国際青年会議所副会頭、日本青年会議所会頭を歴任した。 富山県富山市生まれ。祖父は元富山県知事である高辻武邦。父は元日本海ガス社長の新田嗣治朗。女性初の北海道知事を務めた高橋はるみ参議院議員は姉。米州開発銀行理事等を務めた高橋毅は義兄。 富山大学教育学部附属小学校、富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山高等学校を経て、1981年一橋大学経済学部卒業、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。
村椿 晃(むらつばき あきら、1957年〈昭和32年〉10月… 村椿 晃(むらつばき あきら、1957年〈昭和32年〉10月21日 - )は、日本の政治家。富山県魚津市長(3期)。 富山県黒部市出身。富山県立富山高等学校卒業。1980年(昭和55年)、東北大学法学部卒業。同年7月、富山県庁に入庁。2007年(平成19年)4月、地域振興課の初代課長に就任。2011年(平成23年)10月、高志の国文学館副館長に就任。2014年(平成26年)4月、生活環境文化部長に就任。 2016年(平成28年)1月15日に富山県庁を退職し、あくる1月16日に、魚津市長選挙に出馬する意向を表明した。 同年4月17日に行われた市長選挙に無所属で出馬。市内の自由民主党支部の役職や新川青年会議所理事長を務めた経験のある沢崎豊を破り、初当選した。
鹿熊 正一(かくま まさかず、1953年〈昭和28年〉5月1… 鹿熊 正一(かくま まさかず、1953年〈昭和28年〉5月13日 - )は、日本の政治家、会社役員。富山県議会議員(自由民主党)。自民党県議会議員会会長。 1953年、富山県下新川郡朝日町殿町に生まれる。1972年、富山県立富山高等学校卒業。1977年、東京大学法学部卒業。衆議院法制局に入る。1991年、富山県議会議員初当選。2010年、議長に就任した。 座右の銘は慎重敢為。スポーツ観戦、ゴルフ。 3つの重点施策は、「しなやかな地域経済の創出に努める」、「みんなが笑顔でいられる富山を目指す」、「生活・産業基盤並びに防災・減災基盤の整備に努める」。
又市 征治(またいち せいじ、1944年〈昭和19年〉7月1… 又市 征治(またいち せいじ、1944年〈昭和19年〉7月18日 - 2023年〈令和5年〉9月18日)は、日本の政治家、労働運動家、地方公務員。参議院議員(3期)、社会民主党幹事長(第5代・第7代)、副党首、党首(第5代)を歴任。 1944年7月18日、富山県富山市生まれ。1962年、富山県立富山高等学校卒業。1965年、富山県庁就職。1974年、自治労富山県本部書記長に就任。1995年、自治労富山県本部執行委員長就任。 2001年、第19回参議院議員通常選挙に社会民主党公認で比例区から立候補し、初当選した。 2003年、幹事長・福島瑞穂の党首就任により、幹事長就任。 2007年7月、第21回参議院議員通常選挙で再選(比例区)。
長勢 甚遠(ながせ じんえん、1943年〈昭和18年〉10月… 長勢 甚遠(ながせ じんえん、1943年〈昭和18年〉10月3日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(7期)。 法務大臣(第77代)、内閣官房副長官(第3次小泉改造内閣)、法務副大臣(第2次森改造内閣)等を歴任。富山県魚津市名誉市民。 富山県魚津市石垣に生まれ、小学校入学時に父親の仕事の関係で富山市在住となった。富山市立柳町小学校、富山大学教育学部附属中学校、富山県立富山高等学校、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業。東大法学部第3類(政治コース)在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を合格。 1966年、労働省(現、厚生労働省)に入省する。1986年6月、労政局労働法規課長。
永田 良雄(ながた よしお、1931年5月5日 - 1998… 永田 良雄(ながた よしお、1931年5月5日 - 1998年8月22日)は日本の政治家、官僚。参議院議員(3期)。自由民主党小渕派に所属した。 富山県新湊市生まれ。富山県立射水中学校、富山高等学校を経て、東京大学法学部入学。在学中に司法試験合格。 1954年、大学卒業後、建設省入省。熊本県に3年、日本道路公団に4年、茨城県に5年勤務。1982年、建設省計画局長に就任。その後、国土庁に移り、土地局長、官房長を務める。1985年、国土事務次官に就任。 1986年、国土庁を退官。同年7月6日の第14回参議院議員通常選挙富山県選挙区に同年6月28日に死去した沖外夫の後継候補として立候補し、初当選。1992年の第16回参議院議員通常選挙再選。
桜井 志郎(櫻井、さくらい しろう、1907年(明治40年)… 桜井 志郎(櫻井、さくらい しろう、1907年(明治40年)4月9日 - 1976年(昭和51年)3月9日)は、昭和期の農林技官、政治家。参議院議員(2期)。旧姓は南日。 富山県上新川郡山室村(現富山市)で南日恒太郎の四男として生まれる。富山中学校(現富山県立富山高等学校)、第四高等学校を経て、1931年(昭和6年)東京帝国大学農学部農学科を卒業した。 1931年、東礪波郡油田村三郎丸(砺波町を経て現砺波市)の大地主、12代・桜井宗一郎の養子となり、農林省に入省した。三重県耕地課長、和歌山県農地部長、農林省土地改良課長、同設計課長、同建設部長などを歴任。この間、東京大学講師、日本農業土木学会副会長、国際かんがい排水委員会日本代表なども務めた。
三鍋 義三(みなべ よしぞう、1898年(明治31年)1月2… 三鍋 義三(みなべ よしぞう、1898年(明治31年)1月25日 - 1961年(昭和36年)8月14日)は、大正から昭和期の教育者、政治家。衆議院議員。柔道7段。 富山県上新川郡新庄町(現富山市)で生まれる。富山中学校(現富山県立富山高等学校)を経て、1919年(大正8年)武道専門学校を卒業し、1921年(大正10年)同校研究科を修業した。 富山県立神通中学校(現富山県立富山中部高等学校)教諭に就任して1945年(昭和20年)まで在任し、柔道、野球の指導に努めた。その後、町立滑川薬業学校(現富山県立滑川高等学校)長、和合中学校長、呉羽中学校長を歴任。労働運動に加わり、呉羽中学校長在任中の1949年(昭和24年)に富山県教職員組合執行委員長に就任し、県全官公庁労働組合協議会議長も務めた。
湊 栄吉(榮吉、みなと えいきち、1894年(明治27年)4… 湊 栄吉(榮吉、みなと えいきち、1894年(明治27年)4月14日 - 1978年(昭和53年)12月2日)は、日本の政治家。1959年から1971年まで富山市長を3期務めた。位階は正五位。 富山県上新川郡東岩瀬町(現富山市東岩瀬町)出身。富山県立富山中学校(現富山県立富山高等学校)卒業。1929年(昭和4年)富山市議会議員に初当選、以後富山市議会議員(3期)、富山県議会議員(3期、自由党(現自由民主党)公認、1952年から1954年まで富山県議会議長)、自由党県連幹事長を歴任。 1959年(昭和34年)富山市長に当選就任。以後1971年まで3期にわたり市長を務めた。 全国市長会理事、加越能鉄道(現加越能バス)取締役、立山黒部貫光取締役を歴任。
安井 藤治(やすい とうじ、1885年〈明治18年〉10月1… 安井 藤治(やすい とうじ、1885年〈明治18年〉10月11日 - 1970年〈昭和45年〉7月8日)は、明治期から昭和期の陸軍軍人、政治家。従三位勲一等。陸軍中将まで昇った後、鈴木貫太郎内閣の国務大臣(無任所)を務めた。 富山県出身。商業・安井藤蔵の長男として生まれる。富山中学校、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)920名中を首席卒業。同期生には、陸軍大将になった山下奉文、岡部直三郎、阿南惟幾、山脇正隆、藤江恵輔等がいる。 1906年(明治39年)6月、歩兵少尉に任官し、石川県金沢市野田村に駐屯する歩兵第35聯隊附となる。 1913年(大正2年)11月、陸軍大学校(第25期)を優等で卒業。
山崎 定義(やまざき さだよし、1883年(明治16年)2月… 山崎 定義(やまざき さだよし、1883年(明治16年)2月1日 - 1971年(昭和46年)6月4日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍中将。富山市長。 富山県上新川郡富山千石町(現富山市)で、旧富山藩士、陸軍大尉・山崎定孝、敏(とき)夫妻の長男として生まれたが、生後11ヵ月で父が病のため死去した。啓迪高等小学校(その後、八人町小学校を経て現富山市立芝園小学校)を経て、富山県立富山中学校に進み、三年次に名古屋陸軍地方幼年学校を受験して合格。中央幼年学校を経て陸軍士官学校(15期)に進み、1903年11月30日、同校を卒業して金沢歩兵第35連隊に勤務。1904年2月12日、陸軍歩兵少尉に任官。
島田 七郎右衛門(しまだ しちろうえもん、1883年1月17… 島田 七郎右衛門(しまだ しちろうえもん、1883年1月17日 - 1962年7月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 富山県出身。1901年、富山県立富山中学校(現・富山県立富山高等学校)卒。日露戦争に従軍、陸軍歩兵中尉となる。三等郵便局長、福岡町(現・高岡市)議、同町長、富山県議、西砺波郡農会長、富山県農会長、同山林会副会長、福岡信用組合理事長、北陸製絹、高岡新報、中越土木、笹川窯業、高岡電燈、岡吉商事、大岩電気、飛越電気、戸出物産各(株)重役を務める。 1930年の第17回衆議院議員総選挙で富山2区(当時)から立憲政友会公認で立候補したが落選。1932年の第18回衆議院議員総選挙で初当選。
牛塚 虎太郎(うしづか とらたろう、1879年(明治12年)… 牛塚 虎太郎(うしづか とらたろう、1879年(明治12年)4月28日 - 1966年(昭和41年)11月1日)は、東京市長および衆議院議員を歴任した官僚、政治家。
二上 兵治(ふたがみ ひょうじ / へいじ、1878年(明治… 二上 兵治(ふたがみ ひょうじ / へいじ、1878年(明治11年)2月25日 - 1945年(昭和20年)11月19日)は、日本の官僚、政治家。枢密院書記官長、行政裁判所長官、貴族院議員、枢密顧問官等を歴任した。法学博士。 石川県射水郡高岡縄手中町(現富山県 高岡市)で、酒造業・二上兵太郎の長男として生まれる。富山県尋常中学校(現富山県立富山高等学校)、第四高等学校(首席)を経て、1904年(明治37年)7月11日、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業、成績優秀のため銀時計を授与された。逓信省に入省し、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、東京郵便局郵便課長、逓信省通信局外信課長、同参事官兼逓信書記官・通信局外信課長、兼大臣官房秘書課長などを歴任。
6代 木津 太郎平(きづ たろへい、1875年(明治8年)1… 6代 木津 太郎平(きづ たろへい、1875年(明治8年)12月14日 - 1950年(昭和25年)7月8日)は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員。富山県高岡市長。富山県多額納税者。幼名は清太郎。号・蒼石、杉雨。 新川県射水郡高岡上川原町(石川県、富山県射水郡高岡上川原町を経て現・高岡市川原本町)で、先代・太郎平の長男として生れ、1903年(明治36年)3月に家督を相続し、幼名を改め、6代太郎平を襲名した。富山県立富山中学校(現富山県立富山高等学校)を卒業後、志願兵として従軍し陸軍歩兵中尉に任官する。日露戦争の功により功五級金鵄勲章および日独戦争の功により勲四等を叙勲される。
石坂 豊一(石坂 豐一、いしさか とよかず、1874年〈明治… 石坂 豊一(石坂 豐一、いしさか とよかず、1874年〈明治7年〉5月3日 - 1970年〈昭和45年〉5月5日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。富山市長、衆議院議員(5期)、参議院議員(2期)。 1874年富山県新川郡大崎野村(上新川郡東加積村、中新川郡東加積村、滑川町を経て現・滑川市大崎野)に10人兄弟の末っ子として生まれる。中学進学は家計上困難だったが、姉の力添えで1892年に富山県尋常中学校(現・富山県立富山高等学校)を卒業。同期に山田孝雄。税関監吏補試験に合格して神戸税関に勤務しながら京都の同志社で学ぶ。1897年に中退して帰郷し、郡書記、富山県属、婦負郡長などを務め、上司だった永井金次郎が樺太庁長官に就任したのを機に招聘され、樺太庁長官官房主事兼地方課長を歴任する。
荒井 建三(あらい けんぞう、1873年〈明治6年〉9月15… 荒井 建三(あらい けんぞう、1873年〈明治6年〉9月15日 - 1956年〈昭和31年〉7月22日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・正村。 新川県射水郡高岡町源平町(現富山県高岡市)で、実業家・正村義平の三男として生まれ、1887年(明治20年)実業家・荒井荘蔵の養子となる。富山県尋常中学校(現富山県立富山高等学校)を経て、1897年(明治30年)専修大学卒。高岡市参事会員、富山県議、同議長、高岡商業会議所会頭、高岡紡績(株)常務取締役、高岡銀行、高岡商業銀行、高岡電燈、山又機業、オリエンタル写真工業各(株)取締役、北陸信託(株)、高岡信用組合各社長、日本米穀(株)高岡市場参与となる。
南 弘(みなみ ひろし、1869年11月13日〈明治2年10… 南 弘(みなみ ひろし、1869年11月13日〈明治2年10月10日〉- 1946年〈昭和21年〉2月8日)は、日本の官僚・政治家。 後の富山県氷見市仏生寺の豪農岩間覚平の次男・鉄郎として生まれる。岩間家は3代にわたり県会議員を輩出した名望家で、広大な屋敷地や山林を所有していた。生家の近くに御田神社があり、幼少時よりその宮司平井正承の教えを受けた。その後仏生寺小学校、富山中学校、第四高等学校に進み、1896年(明治29年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業、文官高等試験に合格し官僚となった。 その後、同県高岡の旧家出身で第2代富山県会議長を務めた南兵吉の養子となり、その長女・操と結婚した際、「弘」と改名した。
伊東 祐賢(いとう すけたか、1869年3月5日〈明治2年1… 伊東 祐賢(いとう すけたか、1869年3月5日〈明治2年1月23日〉- 1945年〈昭和20年〉1月25日)は、明治後期から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員、富山県下新川郡泊町長。幼名・柳太郎。 越中国新川郡沼保村(富山県下新川郡泊町沼保を経て現朝日町沼保)で、温泉業・伊東次郎左衛門祐明の長男として生まれる。祐明の養子・祐寛の相続人となり1891年(明治24年)家督を相続した。岡田信之に師事し漢籍を修めた。富山県尋常中学校(現富山県立富山高等学校)を卒業し、上京して専修学校(現専修大学)で経済学を学んだ。 家業の小川温泉の経営を行う。1912年(明治45年)の大洪水で小川温泉が多大な損害を受けたため、移転も検討されたが泊町での再建が決定され、1913年(大正2年)7月、小川温泉株式会社が設立され社長に就任した。
大橋 十右衛門(十右衞門、おおはし じゅうえもん、1858年… 大橋 十右衛門(十右衞門、おおはし じゅうえもん、1858年4月14日(安政5年3月1日)- 1940年(昭和15年)2月2日)は、明治から昭和前期の農業経営者、政治家、漢詩人。衆議院議員、富山県会議長。号・二水(にすい)、鹿陽(ろくよう)。 越中国射水郡掛開発村(富山県射水郡掛開発村大字掛開発村を経て現高岡市)で、町年寄・鷲塚屋七右衛門の息子として生まれた。1879年(明治12年)京都の草場船山に師事し漢文学を修めた。その後、東京で英学を学び、犬養毅らと交友した。 1881年(明治14年)帰郷して海内果から示唆を受け、高岡町片原横町に中等教育塾・越中義塾を設立して教育を行うが、1883年(明治16年)旧制富山中学校(現富山県立富山高等学校)が開校して生徒数が減少し、1884年(明治17年)に塾を閉じた。