スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
赤須 文男(あかす ふみお、1905年12月19日 - 19… 赤須 文男(あかす ふみお、1905年12月19日 - 1991年5月22日)は、日本の医学者。専門は内分泌学。 長野県駒ヶ根市出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科を経て、昭和4年(1929年)東京帝国大学医学部卒業。同9年(1934年)医学博士。同10年(1935年)帝国女子医学専門学校(現東邦大学)教授、同33年(1968年)金沢大学医学部教授。同35年(1970年)金沢大学附属病院長、同46年(1971年)退官。私立金沢医科大学客員教授、国保松戸市立病院事業管理者を務めた。 また昭和35年(1970年)日本内分泌学会会長、同43年(1968年)日本産婦人科学会会長、同46年(1971年)日本輸血学会会長などを歴任した。
小野 勝年(おの かつとし、1905年12月1日 - 198… 小野 勝年(おの かつとし、1905年12月1日 - 1988年12月20日)は、日本の歴史家。専門は、東洋史・仏教史。 1905年、長野県上伊那郡小野村(現:辰野町)で生まれた。長野県松本中学校、松本高等学校文科乙類を経て、1927年に京都帝国大学文学部史学科に入学。在学中に2年間病気療養のために休学したが、1933年に卒業論文『両税制度の一考察を提出して卒業。京都帝国大学大学院へ進んだ。 同じく1933年、京都帝国大学文学部副手に採用(-1943年5月)。1937年より外務省在支特別研究員として中華民国北平市(現:北京市)に留学。華中・華北・東北・蒙古等の史蹟の調査を行い、中国美術・考古の研究を進めた。
永田 広志(ながた ひろし、1904年4月1日 - 1947… 永田 広志(ながた ひろし、1904年4月1日 - 1947年9月7日)は日本の哲学者である。マルクス主義の立場から活動した。 長野県東筑摩郡山形村に生まれる。県立松本中学(後の長野県松本深志高等学校)に学び、小岩井源一(後の詩人、高橋玄一郎)と知り合う。中学時代から哲学に興味を持ち始める。卒業後、1921年に東京外国語学校露語部に入学。クロポトキンら、当時のソ連の哲学動向に関心を持つ。卒業後は一時朝鮮に渡り、国境近い新義州で流入するソ連文献を検閲する任務に当たる。 1927年、パーヴェル・アクセリロード『ブルジョア社会学の批判』を翻訳して刊行、海外文献の紹介、翻訳につとめる。1930年、川内唯彦のすすめでプロレタリア科学研究所に参加し、唯物弁証法の研究につとめる。
唐木 順三(からき じゅんぞう、1904年(明治37年)2月… 唐木 順三(からき じゅんぞう、1904年(明治37年)2月13日 - 1980年(昭和55年)5月27日)は、日本の文芸評論家・哲学者・思想家。 京大で西田幾多郎に師事。『現代日本文学序説』(1962年)を書き、『鷗外の精神』(1943年)、『中世の文学』(1955年)と研究を進めた。反近代の思想を貫き『「科学者の社会的責任」についての覚え書』(1980年)を遺して死去した。 1904年(明治37年)、長野県上伊那郡宮田村に生まれる。旧制松本中学(現:長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校(現:信州大学)文科甲類を卒業後、1927年(昭和2年)に京都帝国大学文学部哲学科を卒業。西田幾多郎や田邊元から多大な影響を受けた。
望月 市恵(もちづき いちえ、男性、1901年1月25日 -… 望月 市恵(もちづき いちえ、男性、1901年1月25日 - 1991年9月8日)は、ドイツ文学者、信州大学名誉教授。
池上 鎌三(いけがみ けんぞう、1900年11月12日 - … 池上 鎌三(いけがみ けんぞう、1900年11月12日 - 1956年1月29日)は、日本の哲学者、元東京大学文学部教授。新カント派の哲学を学び、文化哲学、現象学、生の哲学を研究、紹介した。 1900年、長野県東筑摩郡松本町(現松本市)で生まれた。1918年、旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)を卒業し、第二高等学校に進学。1921年に同校を卒業し、東京帝国大学哲学科で学んだ。1925年に卒業。 卒業後は、東京外国語学校などで教鞭をとった後、1936年、母校の東京帝国大学助教授に就いた。1945年に同教授昇格。1941年、学位論文『文化哲学基礎論』を東京大学に提出して文学博士号を取得。56歳で在職中に死去。
臼井 二尚(うすい じしょう、1900年〈明治33年〉8月2… 臼井 二尚(うすい じしょう、1900年〈明治33年〉8月27日 - 1991年〈平成3年〉3月8日)は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。 長野県南安曇郡三田村田尻(現:安曇野市堀金三田)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校文科乙類を経て、1926年京都帝国大学文学部社会学科を卒業した。 1929年、京都帝国大学専任講師に着任。ドイツ、米国、フランスに研究留学した後、1932年に助教授昇進。1944年に教授昇進。1945年、学位論文『社会と民族』を京都帝国大学に提出して文学博士号を取得。1949年より京都大学文学部教授。1963年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。
岡 正雄(おか まさお、1898年(明治31年)6月5日 -… 岡 正雄(おか まさお、1898年(明治31年)6月5日 - 1982年(昭和57年)12月5日)は、日本の民族学者。戦中戦後を通じて日本の民族学・文化人類学を主導した。兄は民族学や考古学、山岳書の名著を多数出版した岡書院店主の岡茂雄。息子に文化人類学者の岡千曲。
犬飼 哲夫(いぬかい てつお、1897年10月31日 - 1… 犬飼 哲夫(いぬかい てつお、1897年10月31日 - 1989年7月31日)は、日本の動物学者。著書、研究論文等の名義はいずれも「犬飼哲夫」であるが、中学校卒業証書から学位記までの公文書では「犬飼哲男」と記載されている。 1897年、長野県に生まれる。北海道帝国大学農学部生物学科動物学分科に入学し、ヤツメウナギを研究対象とした発生学者の八田三郎(当初札幌農学校、東北帝国大学農科大学(北海道帝国大学農学部の前身)教授、北海道帝国大学農学部教授)の直系の弟子として、1920年代には発生生物学者であった。1930年頃に眼を痛め、これ以降は哺乳類を中心とした脊椎動物の応用動物学的な研究をおこなうようになる。
鳥山 四男(とりやま よつお、1895年10月25日 - 1… 鳥山 四男(とりやま よつお、1895年10月25日 - 1981年12月7日)は、日本の電気工学者。武蔵工業大学名誉教授。専門は高電圧工学。 長野県東筑摩郡笹賀村(現松本市)出身。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、東北帝国大学専門部修了後、同工学部電気工学科卒業。1922年理化学研究所助手、1924年文部省在外研究員となり、アーヘン工科大学に留学。1926年北海道帝国大学工学部教授。1930年工学博士(東北帝国大学)。1944年日立製作所中央研究所に転じ、1946年同所長。1951年東北大学教授となり、1958年武蔵工業大学教授、1971年退職。1979年日本学士院会員選出。 放電現象の解析分布手段として沿面放電図形法を開発し、破壊事故の原因を発見し、且つ真空、気体、液体、固体の全てにわたって一貫性のある破壊機構があることを発見した。
青木 誠四郎(あおき せいしろう、1894年3月15日-19… 青木 誠四郎(あおき せいしろう、1894年3月15日-1956年12月9日)は、日本の児童・教育心理学者。
鈴木 雅次(すずき まさつぐ、1889年3月6日 - 198… 鈴木 雅次(すずき まさつぐ、1889年3月6日 - 1987年5月28日)は、日本の土木工学者、内務官僚。元日本大学教授。土木工学・港湾工学の研究に業績を上げる。1927年工学博士(九州帝国大学)。 長野県松本市生まれ。1908年旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)卒業、1911年第八高等学校卒業、1914年九州帝国大学土木工学科卒業。1914年内務省に入り、鉄道技師、土木局技術課長、内務技監を務める。 1930年日本大学旧工学部教授、1944年土木学会会長。1945年内務省を退官し、日本発送電の技術顧問となる。1947年から東京大学講師を兼任、1952年日本大学国土総合開発研究所長。1964年港湾審議会長、チリ津波対策審議会長、1968年日本港湾協会長などを歴任。
白木 正博(しらき まさひろ、1885年11月3日 - 19… 白木 正博(しらき まさひろ、1885年11月3日 - 1960年11月2日)は、日本の医学者(産科学・婦人科学)。日本の産婦人科学界の父と呼ばれ、子宮がん治療に初めて放射線を採用したことで知られる。白木博次は次男。
田中 義麿(たなか よしまろ、1884年10月6日 - 19… 田中 義麿(たなか よしまろ、1884年10月6日 - 1972年7月1日)は、日本の遺伝学者、育種学者。九州大学名誉教授。 長野県東筑摩郡片丘村(現塩尻市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、東北帝国大学農科大学(現・北海道大学農学部)在学中、動物学教室でウィリアム・ベイトソンの『メンデルの遺伝の法則』をに感銘を受け遺伝学を志す。1911年に同大助教授となり、1913年、日本で初めて遺伝学を講義する。1917年、「蚕の遺伝学的研究」で農学博士号を得る。欧米留学後の1924年には九州帝国大学農学部教授となる。 安藤広太郎らと7名で1915年、日本育種学会(1920年に日本遺伝学会に改組)を創設、1939年日本遺伝学会会長、1949年には国立遺伝学研究所の第一部長に就任した。
西村 真琴(にしむら まこと、1883年(明治16年)3月2… 西村 真琴(にしむら まこと、1883年(明治16年)3月26日 - 1956年(昭和31年)1月4日)は、日本の生物学者。元・北海道帝国大学教授。マリモの研究や、人間型ロボット「學天則」の制作などで知られるほか、保育事業にも貢献した。次男は2代目水戸光圀役で知られる俳優の西村晃。
吉江 喬松(よしえ たかまつ、1880年9月5日 - 194… 吉江 喬松(よしえ たかまつ、1880年9月5日 - 1940年3月26日)は、フランス文学者、詩人、作家、評論家、早稲田大学教授。号は孤雁。
熊谷 岱蔵(くまがい たいぞう、1880年(明治13年)7月… 熊谷 岱蔵(くまがい たいぞう、1880年(明治13年)7月19日 - 1962年(昭和37年)2月19日)は、内科学者、医学博士。東北帝国大学医科大学(後の東北大学医学部)教授、東北帝国大学総長。抗酸菌病研究所初代所長。興亜工業大学顧問を兼任した。 長野県東筑摩郡洗馬村(現:塩尻市)の代々医家の熊谷家に生まれる。熊谷陸蔵の長男。曾祖父には浅田宗伯に医学の薫陶を施した熊谷珪碩がいる。旧制松本中学時代の同級生には吉江喬松がいた。東京外国語学校ドイツ語科に一年間通った後、一高、東京帝国大学医学部卒業後、青山胤通の内科学教室に入局。 1911年(明治44年)から1913年(大正2年)までドイツのベルリン大学・ブレスラウ大学に留学し内科学、免疫学、実験治療、医化学等を学ぶ。
中沢 臨川(なかざわ りんせん、1878年(明治11年)10… 中沢 臨川(なかざわ りんせん、1878年(明治11年)10月28日 - 1920年(大正9年)8月9日)は、日本の文芸評論家、電気工学者。本名は重雄。 長野県伊那郡大草村(現・中川村)出身。生家である塩沢家は養命酒の製造元であり、地元の名家であった。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)に入学し、2年上の窪田空穂(後に歌人)、1年下の吉江喬松(後に作家)らの影響で文学に興味を持つようになる。中学卒業後、第二高等学校(現・東北大学)に入学。ここで次第に西洋文学に興味を持つようになり、特にヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』に熱中した。1899年(明治32年)、南安曇郡梓村の中沢良作の養嗣子に入ると同時に結婚し、中沢姓となる。
田中 穂積(たなか ほづみ、1876年(明治9年)2月17日… 田中 穂積(たなか ほづみ、1876年(明治9年)2月17日 - 1944年(昭和19年)8月22日)は、長野県出身の財政学者、法学博士、早稲田大学第4代総長。
田中 穂積(たなか ほづみ、1876年〈明治9年〉2月17日… 田中 穂積(たなか ほづみ、1876年〈明治9年〉2月17日 - 1944年〈昭和19年〉8月22日)は、長野県出身の財政学者、法学博士、早稲田大学第4代総長。 1876年、長野県更級郡石川村(現・長野市)の豪農の家に生まれる。旧制長野県尋常中学校(現・長野県松本深志高等学校)在学中は、病のため療養生活を送った。その間、当時東京専門学校出版局(現・早稲田大学出版部)から発行されていた講義録雑誌で勉強した。1895年、編入試験を受けて東京専門学校(現・早稲田大学)に入学。1896年、同校政治科を卒業。東京日日新聞の記者になる。1901年、コロンビア大学に留学し、1902年、マスター・オヴ・アーツの学位を取得した。
高橋 偵造(たかはし ていぞう、1875年9月2日 - 19… 高橋 偵造(たかはし ていぞう、1875年9月2日 - 1952年9月26日)は、日本の農芸化学者。 長野県水内郡常盤村(現飯山市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、第一高等学校を経て、1900年東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業。1907年農学博士となる。 大蔵省醸造試験所勤務を経て、1922年(大正11年)母校教授となり、農学部長をつとめ、発酵学、醸造学の講義を担当した。清酒や醤油、味噌などの自然純粋培養による菌学的研究を確立させた。日本農芸化学会会長、学士院会員を歴任。 1950年(昭和25年)、日本学士院(当時の第二部自然科学部門)会員になる。新会員一同は、昭和天皇から皇居に招かれたが高橋は欠席した。
樋口 龍峡(ひぐち りゅうきょう、1875年5月14日 - … 樋口 龍峡(ひぐち りゅうきょう、1875年5月14日 - 1929年6月6日)は、評論家、社会学者、政治家。 本名は樋口秀雄、別号は暁雪。1909年に文芸革新会を興し、自然主義批判の文芸評論家として活躍した一方で、1915年には衆議院議員に当選し、政治家としても活動した。
中山久四郎(なかやま きゅうしろう、1874年2月10日-1… 中山久四郎(なかやま きゅうしろう、1874年2月10日-1961年9月7日)は、東洋史学者。
青柳 栄司(あおやぎ えいじ、1873年3月12日 - 19… 青柳 栄司(あおやぎ えいじ、1873年3月12日 - 1944年8月22日)は、日本の電気工学者。送配電に関する研究に従事し、半真空電球やタングステンアーク灯などを発明。窒素バリウムの製法と適用法を確立した。また電気工学講習所などの設立に尽くした。信濃国安曇郡上堀金村(現:長野県安曇野市)生まれ。
吉田 静致(よしだ せいち、明治5年7月25日(1872年8… 吉田 静致(よしだ せいち、明治5年7月25日(1872年8月28日) - 昭和20年(1945年)10月4日)は日本の倫理学者。
加藤 正治(かとう まさはる、1871年4月29日(明治4年… 加藤 正治(かとう まさはる、1871年4月29日(明治4年3月10日) - 1952年(昭和27年)3月16日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。東京大学名誉教授。第11代中央大学学長、初代総長。日本郵船副社長加藤正義の養子になった。旧姓平林。岡野敬次郎に師事。弟子に兼子一、菊井維大など。 趣味は俳句、俳画、茶道。俳号の犀水は、犀川に由来。松本市城山公園には頌徳碑があるほか、句碑が多数残る。母校旧制中学の同窓会長や長野県人連合会長も務めた。大正6年、澤柳政太郎を総裁、加藤を副総裁として財団法人「日本アルプス会」が結成された。なお、弟子には商法学者の森清(中央大学名誉教授)がいた 1917年(大正6年)の高等学校旧制松本高校誘致運動では、横田秀雄・田中穂積らと連署で「高等学校設立建白書」を政府に提出し、松本への高等学校誘致に努めた。
刈間 理介(かりま りすけ)は東京大学環境安全研究センター准… 刈間 理介(かりま りすけ)は東京大学環境安全研究センター准教授。医学博士。
金井 浩(かない ひろし)は、日本の電気工学者。東北大学大学… 金井 浩(かない ひろし)は、日本の電気工学者。東北大学大学院工学研究科電子工学専攻および医工学研究科医工学専攻教授。専門は超音波計測。
塚本 徹雄(つかもと てつお)は、日本のウイルス学者、免疫学… 塚本 徹雄(つかもと てつお)は、日本のウイルス学者、免疫学者。専門は微生物学・免疫学で、特にヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染症の病態解析、レトロウイルス感染モデルを用いた白血病発症機構の研究で知られる。現在新潟医療福祉大学医療情報管理学科教授。 認知症当事者の家族としての経験を持ち、医療・福祉人材の育成にも関心を寄せている。 主な研究テーマは以下の通り。
西原 洋知(にしはら ひろとも、生年不明)は、日本の材料工学… 西原 洋知(にしはら ひろとも、生年不明)は、日本の材料工学者。東北大学材料科学高等研究所、東北大学多元物質科学研究所教授。専門は炭素材料学。長野県松本市出身。株式会社3DC 代表取締役CTOwww.3dc.co.jp