スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
栗田 穣崇(くりた しげたか、1972年5月9日 - )は、… 栗田 穣崇(くりた しげたか、1972年5月9日 - )は、日本の経営者。iモードの立ち上げメンバーで、携帯電話の絵文字(iモード絵文字など)の開発者。 現在は株式会社ドワンゴ取締役兼ニコニコ代表、株式会社カスタムキャスト取締役。岐阜県大垣市出身。 1991年、岐阜県立大垣北高等学校を卒業。1995年、専修大学経済学部を卒業し、NTTドコモに入社、コンテンツ開拓担当課長を務めた。2000年からはドコモ・ドットコムに出向し、チーフクリエイティブオフィサーを務めた。2004年からは楽天株式会社に出向し、楽天オークション企画・マーケティング部長を務めた。その後、ぴあ株式会社セールスプロモーション局次長、株式会社バンダイナムコゲームスネットサービス推進部ゼネラルマネージャー、株式会社ドワンゴ執行役員、株式会社テクテック取締役、株式会社大百科ニュース社取締役、株式会社ドワンゴ取締役などを歴任し、2017年12月、niconico運営責任者に就任。
中村 航(なかむら こう、1969年11月23日 - )は、… 中村 航(なかむら こう、1969年11月23日 - )は、日本の小説家・作詞家・音楽プロデューサー・実業家。岐阜県大垣市出身。VTuber事務所「Mi→RiSE」代表、ステキコンテンツ合同会社代表も務める。 大垣市立北中学校、岐阜県立大垣北高等学校、芝浦工業大学工学部工業経営学科卒業。10代の頃はバンド活動をしており、歌詞や曲の創作活動が好きだった。卒業後、メーカー(公式サイトではF写真光機と記されている)に就職し、エンジニアとして働く。27歳の時にバンドを辞めたため時間を持て余し、友人に勧められて小説を書きはじめる。執筆活動に専念するため、1999年、29歳の時に退社。執筆することを中心に考え、合間に塾で勉強を教えたり、引っ越しをするなど、とにかく生活を変えていた。
成松 義文(なりまつ よしふみ、1950年6月30日 - )… 成松 義文(なりまつ よしふみ、1950年6月30日 - )は日本の実業家。ファンケル代表取締役社長や、同社相談役、日本健康・栄養食品協会評議員等を務めた。 岐阜県大垣市生まれ。岐阜県立大垣北高等学校を経て、1974年横浜市立大学商学部卒業、蛇の目ミシン工業入社。主に営業を担当し、ファンケルと蛇の目ミシン工業の提携後、ファンケル創業者池森賢二の誘いを受け、1993年ファンケルに入社。サプリメント事業の立ち上げなどにあたり、1999年ファンケル執行役員フード事業部長に就任。 2000年ファンケル取締役店舗販売事業部長に昇格。2002年ファンケル常務取締役第二営業本部長兼第二営業本部化粧品事業部長。
矢橋 慎哉(やはし しんや、1946年 - )は、日本の実業… 矢橋 慎哉(やはし しんや、1946年 - )は、日本の実業家。矢橋工業会長を歴任。「先祖は嵯峨天皇の第12皇子で光源氏の実在モデルの有力候補とされる源融(みなもとのとおる)にまで遡る(アーカイブ)」矢橋家・本家の出身。大垣市功労章受章者。 1946年、矢橋次郎・絹の長男で矢橋工業社長の矢橋宗一・常子の長男として生まれる。1969年、日本長期信用銀行入行。1977年、矢橋工業入社。1979年、矢橋工業取締役。1982年、矢橋工業副社長。1988年、矢橋工業社長。2004年、多年、大垣市教育委員会委員長などとして、安全で快適な教育環境づくりに取り組み、大垣市の教育の振興に貢献し、また、矢橋工業株式会社取締役社長として、地域産業の発展に尽力したとして、大垣市功労章受章。
立川 敬二(たちかわ けいじ、1939年5月27日 - )は… 立川 敬二(たちかわ けいじ、1939年5月27日 - )は、日本の実業家。学位は、工学博士(東京大学・論文博士・1982年)。独立行政法人宇宙航空研究開発機構理事長(第2代)・NTTアメリカ最高経営責任者・エヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社代表取締役社長・株式会社エヌ・ティ・ティ・ドコモ代表取締役社長などを歴任。2017年4月旭日重光章受章。 岐阜県大垣市に生まれる。岐阜県立大垣北高校卒業。1962年3月、東京大学工学部電気工学科を卒業後、日本電信電話公社に入社。 1977年にマサチューセッツ工科大学に留学し、翌年経営学部の修士コースを修了する。1982年には、工学博士(東京大学)の学位を受ける。
清水義之(しみず よしゆき、1932年7月21日 - 201… 清水義之(しみず よしゆき、1932年7月21日 - 2014年5月4日)は、日本の実業家。株式会社十六銀行前代表取締役会長・顧問、前岐阜商工会議所(岐商)会頭、元中部経済連合会(中経連)副会長。 父は、後に助役を経て第9代大垣市長(在任1974年~1975年)となる清水正之。前任頭取の高橋順吉は父親の従兄弟。 ちなみに、後に大垣共立銀行頭取となる外村次郎は旧制大垣中学校(現岐阜県立大垣北高等学校)での先輩、同じく後に日銀を経て岐阜銀行頭取となる花田実は、名古屋大学経済学部・塩野谷九十九ゼミの一年先輩にあたる。塩野谷ゼミでは経済学者・飯田経夫と同級生で、飯田は晩年、十六銀行社外監査役に就任する。
小倉 満(おぐら みつる、1932年(昭和7年)5月5日 -… 小倉 満(おぐら みつる、1932年(昭和7年)5月5日 - 2001年(平成13年)3月3日)は、昭和から平成前期の実業家、政治家。大垣市長(4期)。大垣市名誉市民。
山田 昭男(やまだ あきお、1931年(昭和6年)10月7日… 山田 昭男(やまだ あきお、1931年(昭和6年)10月7日 - 2014年(平成26年)7月30日)は、日本の実業家、演出家。未来工業の創業者。 1931年(昭和6年)、中国上海に生まれる。1948年(昭和23年)、旧制大垣中学校(現在の岐阜県立大垣北高等学校)を卒業。岐阜県を拠点に演劇活動を行い、劇団「未来座」を設立。1965年(昭和40年)、劇団の仲間とともに建設用電設資材メーカーである未来工業を設立し、同社社長となる。1991年(平成3年)には同社を名古屋証券取引所市場第二部へ上場させる。2000年(平成12年)に同社相談役。 若き日の演劇活動の経験から、休日を増やし生産性を向上させる仕組みづくりなど、企業活動でもユニークな方針を打ち出してきたことで知られる。
原 乙彦(はら おとひこ、1925年1月1日 - )は、日本… 原 乙彦(はら おとひこ、1925年1月1日 - )は、日本の実業家。「先祖は嵯峨天皇の第12皇子で光源氏の実在モデルの有力候補とされる源融(みなもとのとおる)にまで遡る(アーカイブ)」矢橋家・本家の出身。大日本紡績(ユニチカの前身)が第二次世界大戦後における海外進出の一番手として名乗りをあげた際にサンパウロ現地において準備にあたった。元ユニチカ通商 (現・ユニチカトレーディング) 社長。 1925年、美濃赤坂にて、父・矢橋次郎と母・絹の三男として生まれる。矢橋家は美濃赤坂の旧家・素封家で、一族で赤坂銀行(現・十六銀行赤坂支店)などを経営していた。乙彦は大垣中学校から関西学院大学予科へ進む。1948年関西学院大学商経学部卒業。
井田 正孝(いだ まさたか、1912年(大正元年)10月5日… 井田 正孝(いだ まさたか、1912年(大正元年)10月5日 - 2004年(平成16年)2月6日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は陸軍中佐。後に旧姓・岩田に復した。 1912年(大正元年)10月、岐阜県不破郡関原村にて野砲兵第18聯隊附岩田富士太郎砲兵少佐(のち砲兵大佐、陸士9期)の四男として生れる。岐阜県大垣中学校を経て、1929年(昭和4年)4月に陸軍士官学校予科に合格する。1933年(昭和8年)7月には、陸軍士官学校本科(45期)を卒業。卒業序列は皇族(孚彦王)・公族(李鍝公)を除いて6番/335名という優秀なものだった。同年10月、砲兵少尉に任官し野戦砲兵第1聯隊附となる。同聯隊には、終戦時に宮城事件の首謀者となる畑中健二(46期)も所属していた。
今西 卓(いまにし たく、1883年〈明治16年〉8月7日 … 今西 卓(いまにし たく、1883年〈明治16年〉8月7日 - 1933年〈昭和8年〉4月23日)は、明治末期から昭和初期にかけて活動した日本の電気技術者、実業家。愛知県豊橋市の電力会社豊橋電気に技師長として入社し、後に支配人へと昇進。同社が解散した後は東三河地方の電気・鉄道事業に関わった。岐阜県出身。 今西卓は、1883年(明治16年)8月7日、岐阜県池田郡池野村(現・揖斐郡池田町池野)の豪農今西文造の長男として生まれた。幼少時より俊才で、温知学校を経て岐阜県大垣中学校へ入学、開学以来となる好成績で卒業した。次いで京都の第三高等学校へ進み、1905年(明治35年)7月第二部工科を卒業。最終的に1908年(明治41年)7月、京都帝国大学理工科大学電気工学科を卒業した。