スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
小久保 修(こくぼ しゅう 1956年 - )は、日本の作家… 小久保 修(こくぼ しゅう 1956年 - )は、日本の作家。三重県津市出身。 三重県立津高等学校を経て、早稲田大学教育学部国語国文学科卒。同級生に、ラズウェル細木、斎藤雅文、佐藤勝明、古木優、高田裕史、谷口理などがいた。三重県内の高等学校に勤務。「小久保修」は、小説を書くときのペンネーム。2004年、「夜を泳ぐ魚たち」で三重県文化賞文学新人賞を受賞。この作品は、定時制高等学校での勤務経験に材を取ったもの。「海」同人。
伊藤 裕作(いとう ゆうさく、1950年2月25日 ‐ )は… 伊藤 裕作(いとう ゆうさく、1950年2月25日 ‐ )は、日本の作家、風俗ライター、歌人。 三重県津市芸濃町生まれ。三重県立津高等学校卒業後、寺山修司に憧れて早稲田大学教育学部社会科に入学し、7年かけて卒業。在学中は早稲田大学短歌会に所属し短歌を作る。卒業後は明石賢生の自販機本出版社「エルシー企画」に出入りするようになり、風俗を主たるフィールドにした文筆業に就く。のち法政大学大学院に社会人入学し、戦後の娼婦小説について『娼婦学ノート』としてまとめ、その後『戦後の娼婦小説の系譜と寺山修司の娼婦観』という修士論文を書いて、国際日本学インスティテュートの修士課程を修了。この論文を含めた『私は寺山修司・考 桃色篇』を上梓する。
小林 峻一(こばやし しゅんいち、1941年(昭和16年) … 小林 峻一(こばやし しゅんいち、1941年(昭和16年) - 2024年(令和6年)1月17日)は、日本のルポルタージュ・ノンフィクション作家。本名は小林靖彦(こばやし やすひこ)。 三重県津市生まれ。三重県立津高等学校を経て早稲田大学第一文学部独文科に入学するが、6年在籍後中退。 立花隆の下で『田中角栄研究』、『日本共産党の研究』の中心スタッフとして活躍し、ルポライターとして独立。 1994年、『闇の男―野坂参三の百年』(加藤昭共著)で第25回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。1994年6月23日号から4回にわたり『週刊文春』に掲載された小林執筆の「JR東日本に巣くう妖怪」は、JR東日本の労使双方から反発を喰らい、事実上3か月近くも、駅売店「キヨスク」から『週刊文春』が姿を消す事態を生んだ。
遠藤 寛子(えんどう ひろこ、1931年 - )は、日本の児… 遠藤 寛子(えんどう ひろこ、1931年 - )は、日本の児童文学作家、教師。 三重県に生まれる。三重県立津高等学校卒業。三重大学を経て法政大学文学部史学科卒業。三重県の中学校、都立の養護学校で勤務したのち、創作および評論活動に専念する。 主な作品に『深い雪の中で』(1969年、第1回北川千代賞受賞)、『算法少女』(1974年、サンケイ児童出版文化賞受賞)など。『算法少女』は復刊ドットコムの投票を得て、2006年にちくま学芸文庫から復刊された。 「少女の友」「少女倶楽部」といった明治期から昭和初期にかけて隆盛した少女向け文芸誌の研究者でもあり、復刻本の監修も行った。
太田 蘭三(おおた らんぞう、1929年4月19日 - 20… 太田 蘭三(おおた らんぞう、1929年4月19日 - 2012年10月22日)は、三重県鈴鹿市出身の小説家。山岳推理小説の第一人者として知られる[要出典]。本名・太田 等(おおた ひとし)、別筆名に太田 瓢一郎。 三重県立津高等学校を経て中央大学法学部卒[要出典]。 同人誌「新表現」を経て1956年に太田瓢一郎の筆名で時代小説でデビュー。1958年から1963年まで時代ものの単行本の刊行を続けたが、以後単行本の刊行は止まる。その後、長年続けてきた登山と釣りの経験を生かし、釣り雑誌にエッセイや小説を連載していたが、1978年に新しい筆名太田 蘭三で『殺意の三面峡谷』を刊行して再デビュー、山岳推理の新境地を開拓した。
森田 功(もりた いさお、大正15年(1926年)6月16日… 森田 功(もりた いさお、大正15年(1926年)6月16日 - 平成10年(1998年)3月3日)は、日本の医師・作家。 大正15年(1926年)6月16日三重県一志郡竹原村(美杉村竹原宝生を経て現三重県津市)に生まれる。父は竹原村村長を務める森田治と母きみの四男として誕生した。昭和8年(1933年)竹原尋常小学校に入学した。小学校時代成績は万年2位、悪童5人組の年長者で腕白だったと伝えられる。昭和14年(1939年)三重県立第一中学(現三重県立津高等学校)の受験に失敗、1浪後の翌年入学した。昭和20年(1945年)旧制広島高等学校理科に入学したが、8月6日軍需工場で労働作業中に被爆し、3日後三重の実家へ帰郷した。
大久保 房男(おおくぼ ふさお、1921年9月1日 - 20… 大久保 房男(おおくぼ ふさお、1921年9月1日 - 2014年7月25日)は、日本の編集者、作家。 三重県北牟婁郡紀伊長島町(現紀北町)生まれ。旧制津中学校を経て、慶應義塾大学国文科で折口信夫に師事する。学徒出陣で1943年に出征、海軍予備学生(第4期)を経て、1944年暮れに海軍少尉となる。敗戦により復員し、1945年10月に復学、1946年9月に卒業する。同年11月、講談社に入社する。1955年から1966年まで『群像』の編集長を務めた。石原慎太郎や有吉佐和子の作品を一切掲載しない一方で、吉行淳之介や安岡章太郎など「第三の新人」と呼ばれた作家たちを陰で支えた。その仕事ぶりは「文学の鬼」「純文学の鬼」などと称された。
駒田 信二(こまだ しんじ、1914年1月14日 - 199… 駒田 信二(こまだ しんじ、1914年1月14日 - 1994年12月27日)は、日本の作家、文芸評論家、中国文学者。島根大学教授、桜美林大学教授、早稲田大学客員教授などを歴任した。 1914年1月14日、父の勤務地の大阪府大阪市に生まれる。本籍は三重県安濃郡多門村(現在は津市)で、家は明治23年(1890年)の名簿によると地価総額3036円余りの素封家だった。兄は父の姉の家を継いだ美術史家の谷信一。父の転勤で広島、金沢、東京と移動したのち、津で祖父母に育てられ、津中学校卒業、旧制山形高校を経て1940年東京帝国大学文学部支那文学科卒業。 1941年旧制松江高校教授となるが、1942年召集されて支那に出征、捕虜となり共産党の工作員と誤認されて死刑宣告を受けるが日本人と分かり釈放。
中谷 孝雄(なかたに たかお、1901年(明治34年)10月… 中谷 孝雄(なかたに たかお、1901年(明治34年)10月1日 - 1995年(平成7年)9月7日)は、日本の小説家。妻は小説家の平林英子。 三重県一志郡七栗村(現・津市)出身。三重県立第一中学校(現・三重県立津高等学校)卒業後、旧制第三高等学校に進学し、梶井基次郎、飯島正、浅野晃らと出会う。平林英子とは三高在学中に出会い、2人が既に同棲をしていた下宿へ友人であった梶井基次郎や大宅壮一が遊びに訪れた。 1924年(大正13年)に東京帝国大学文学部独文科に進み、一旦離れていた平林英子と10月から同棲を再開し結婚。翌1925年(大正14年)1月に、同校の梶井基次郎、外村茂らと同人誌『青空』を創刊した。
笹尾 鉄三郎(ささお てつさぶろう、慶応4年8月15日(18… 笹尾 鉄三郎(ささお てつさぶろう、慶応4年8月15日(1868年9月30日) - 大正3年(1914年)12月30日)は日本のキリスト教の大衆伝道者、牧師、神学校教師、宗教家、讃美歌作家。 淀橋教会初代牧師、聖書学校(柏木聖書学院)初代院長。 1868年8月15日 伊勢安濃郡古河村(後の新町、現在の三重県津市)に、代々庄屋の家柄である父・藤堂藩の郡奉行伊藤篤之助、母・そうの5人兄弟の末子(三男)として誕生。 幼少期に父を亡くす。兄、七左衛門が後見人になる。その土地に中学校がなかったので伊藤家が土地を寄付して、鉄三郎のために中学を創設する。中学時代には肺炎を患い生死をさまよう。 1886年(明治19年)に津中学を卒業後する。