スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
西城 恵一(さいじょう けいいち、1949年9月29日 - … 西城 恵一(さいじょう けいいち、1949年9月29日 - )は、日本の天文学者。日本変光星観測者連盟(VSOLJ)の代表を務めている。理学博士。 広島県出身。子供の頃から星が好きで、当時はよく星空を見上げていた。中学生になってからプラネタリウムに出入りするようになる。広島大学附属高等学校卒業。東京大学理学部天文学科在学時に北村正利のゼミに入り光電管による変光星の観測を始めた。1973年東京大学理学部天文学科卒業、1979年東京大学大学院理学系研究科天文学専攻博士課程修了。国立科学博物館に入り理工学研究部研究員を経て天文学担当の主任研究官となる。変光星の眼視観測データの収集と解析に尽力しており、またぎょしゃ座ζ星やケフェウス座VV星のような主星が赤色超巨星で伴星が早期スペクトル型を示す主系列星の食変光星や赤色巨星の脈動変光星の研究をしていることでも知られている。
辻村 みよ子(つじむら みよこ、1949年7月13日 - )… 辻村 みよ子(つじむら みよこ、1949年7月13日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(一橋大学・論文博士・1990年)。東北大学名誉教授。前明治大学法科大学院ジェンダー法センター長・教授。弁護士。 東北大学ディスティングイッシュトプロフェッサー、パリ第2大学比較法研究所招聘教授、国際憲法学会日本支部副代表、全国憲法研究会代表、ジェンダー法学会理事長、日本学術会議会員を歴任。 東京都で理工系大学教授の子として生まれる。実兄も理工系大学教授。広島県で被爆者の養父母に育てられる。自身が養女であることを知らずに被爆二世として平和と憲法を志し、広島大学附属高等学校を経て、一橋大学法学部に進学する。
光藤 和明(みつどう かずあき、1948年5月12日 - 2… 光藤 和明(みつどう かずあき、1948年5月12日 - 2015年10月18日)は、日本の医師。倉敷中央病院循環器内科主任部長で副院長を兼任。日本心血管カテーテル治療学会理事長。京都大学循環器内科臨床教授。 広島大学附属高等学校を経て、1974年(昭和49年)、京都大学医学部卒業、倉敷中央病院に勤務。 カテーテル治療の一つで狭心症や心筋梗塞を治療する経皮的冠動脈形成術 (PTCA) の第一人者。スイス、アメリカでの実績を知り、1982年(昭和57年)より導入。一万九千例以上の実績がある。CTO(慢性完全閉塞)の治療手技で著名。また血管を傷をつける可能性が高くまだ誰も成功していない世界一硬い30gのガイドワイヤーを使ったカテーテル治療に世界で初めて成功している。
野地 澄晴(のじ すみはれ、1948年3月9日 - )は、日… 野地 澄晴(のじ すみはれ、1948年3月9日 - )は、日本の発生生物学者であり生物工学者。理学博士。徳島大学名誉教授・前学長。徳島大学・学長補佐。アカデミスト起業学会を設立(2023年10月)、愛媛県出身、広島育ち。 1948年に愛媛県松山市平井の母親の実家にて誕生。父の野地潤家は、広島大学の教員であったので、広島市基町に18才まで住む。父は言語の発達のメカニズムに興味を持ち、澄晴の言葉の発達について、0才から5才まで記録した。当時は録音装置などないため、カードに筆記する方法で記録。話す速度が増すと、速記法を勉強して記録した。その記録は『幼児期の言語生活の実態』全4巻として発表されている。内容は「Sumihare Database」として研究に使用されている。
高田 豊治(たかた とよはる、1948年2月12日 - )は… 高田 豊治(たかた とよはる、1948年2月12日 - )は広島県広島市出身の元サッカー選手(MF・DF)・指導者(JFA 公認S級コーチ)。 実父は、高校物理の教師で、母校広島大学附属高校で教壇に立っていった高田平八郎。 サッカーを本格的に始めたのは中学1年から。広島大学附属高校卒業。高校時代は福原黎三から指導を受けた。東京教育大学(現:筑波大学)に入学後は蹴球部に入部し成田十次郎から指導を受け、関東大学サッカーリーグ戦1968年および1969年2連覇、1968年インカレ優勝、全日本学生選抜代表に選出される。 1971年に東洋工業(現マツダ)に入社。以降JSL1部所属の東洋工業サッカー部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)でミッドフィルダーあるいはディフェンダーとして活躍し、1978年に引退する。
佐藤 正志(さとう せいし、1948年 - )は、日本の政治… 佐藤 正志(さとう せいし、1948年 - )は、日本の政治学者。専門は西洋政治思想史。早稲田大学政治経済学術院教授を経て、早稲田大学名誉教授。政治経済学会代表理事。 広島県生まれ。広島大学附属高等学校、早稲田大学政治経済学部を経て、1981年、同大学院政治経済研究科博士課程単位取得満期退学。 福岡教育大学助教授、宇都宮大学助教授、東海大学政治経済学部教授を経て、1996年から早稲田大学政治経済学部教授、2004年、早稲田大学政治経済学術院教授。2011年から2014年まで同大学政治経済学術院長・政治経済学部長。2014年から早稲田大学理事。2010年から第1期政治経済学会代表理事。2019年定年退職。
池田 雅夫(いけだ まさお、1947年1月22日 - )は、… 池田 雅夫(いけだ まさお、1947年1月22日 - )は、日本の工学者。勲等は瑞宝中綬章。大阪大学名誉教授。大阪大学副学長や計測自動制御学会会長を務めた。専門は制御理論とその実システムへの応用。 高知県高岡郡川内村(現・吾川郡いの町)生まれ。広島県育ち。1965年広島大学附属高等学校卒業。1969年大阪大学工学部通信工学科卒業、1971年同大学院工学研究科通信工学専攻修士課程修了。1973年同博士課程を退学して、神戸大学工学部システム工学科助手に就く。1975年大阪大学工学博士。1976年神戸大学工学部システム工学科助教授。1978年~1979年サンタクララ大学客員研究員、1982年アリゾナ州立大学特別講師、1986年~1990年科学技術庁航空宇宙技術研究所客員研究官を兼務。
松尾 徹人(まつお てつと、1947年(昭和22年)1月19… 松尾 徹人(まつお てつと、1947年(昭和22年)1月19日 - 2011年(平成23年)7月28日)は、日本の官僚、政治家。高知市長。山口県光市光井出身。 株式会社三翠園代表取締役社長、高知県ボウリング連盟会長も務めた。
佐々木 隆之(ささき たかゆき、1946年8月24日 - 2… 佐々木 隆之(ささき たかゆき、1946年8月24日 - 2020年2月20日)は、日本の実業家。JR西日本代表取締役社長、同社取締役会長等を務めた。 広島市出身。広島大学教育学部附属高等学校を経て、1970年に一橋大学経済学部を卒業し、日本国有鉄道に入社。当時、一橋大学から国鉄に就職する学生は毎年1、2名と少なかったが、情報学ゼミの教授の勧めで入社した。 研修では機関士として、寝台特急「みずほ」の運転に当たったこともある。その後企画・総務畑を歩み、大阪鉄道管理局総務部長等を務めた。 1987年国鉄分割民営化により新たに発足したJR西日本に移る。同社では主に営業部門、経営企画部門、人事部門、財務部門等を幅広く経験し、人事部長、取締役財務部長、取締役営業部長等を務めたのち、2002年にキヨスクやコンビニエンスストアの運営等を行う完全子会社のジェイアール西日本デイリーサービスネット社長に転出した。
長谷川 和彦(はせがわ かずひこ、1946年1月5日 - 2… 長谷川 和彦(はせがわ かずひこ、1946年1月5日 - 2026年1月31日)は、日本の映画監督。愛称はゴジ。 広島県賀茂郡西高屋村(現:東広島市)に出生。父は農業協同組合勤務、母は教師で三人兄弟の末弟。1945年8月、母が原爆投下2日後に広島市に入り放射線を浴び、胎内5ヵ月のため胎内被曝した。4歳からABCC(現・放射線影響研究所)で定期検診を受けた。被曝2世の自分は早死にすると思い、人生を生き急ぐもとになったとインタビューで語る。 広島市翠町(現:南区翠)で育ち、広島市立皆実小学校から広島市立翠町中学校を経て広島大学教育学部附属高等学校へ進む。広大付属高の同級に鳥取県米子市長・野坂康夫ら。
片山 一道(かたやま かずみち、1945年11月27日 - … 片山 一道(かたやま かずみち、1945年11月27日 - )は、日本の自然人類学者、京都大学名誉教授。専門は先史人類学・骨考古学。 広島県佐伯郡鹿川村(現・ 江田島市能美町)に生まれる。高校進学に伴い能美島を離れて学生寮に入る。今西錦司と木原均に憧れて中学生時代より京都大学を志望する。広島大学教育学部附属高等学校卒業。1969年、京都大学農学部農林生物学科卒業。1974年、京都大学大学院理学研究科動物学専攻博士課程満期退学。1979年「中部日本人の3隔離集団間における血液多型性形質の遺伝的分化」で理学博士の学位を取得。1974年に大阪医科大学助手、1980年に大分医科大学講師となり、1982年に京都大学理学部助教授となって、後には、京都大学霊長類研究所教授、京都大学理学研究科教授を歴任した。
阪本 昌成(さかもと まさなり、1945年8月2日 - )は… 阪本 昌成(さかもと まさなり、1945年8月2日 - )は、日本の憲法学者、弁護士。古典的自由主義者。オーストリア学派やリバタリアニズムに近い憲法学説で知られる。 学位は法学博士(京都大学・論文博士)。広島弁護士会所属。広島大学教授、広島大学法学部長、九州大学教授、立教大学教授・近畿大学教授を歴任。 広島市出身。原爆投下の4日前に生まれたが、母親が県北へ疎開していたため、被災は免れた[要出典]。1964年3月、広島大学教育学部附属高校卒業。同じく憲法学者の辻村みよ子と長谷部恭男は、広島大学附属高校の後輩である。 1968年3月、広島大学政経学部(現・法学部)卒業。1970年3月、神戸大学大学院法学研究科修士課程修了。
野坂 康夫(のざか やすお、1945年〈昭和20年〉6月22… 野坂 康夫(のざか やすお、1945年〈昭和20年〉6月22日 - )は、日本の政治家、元外交官。元鳥取県米子市長(通算4期)。 鳥取県米子市出身。東京大学経済学部中退。1969年外務省入省。在英国大使館公使、在バンクーバー総領事などを歴任。2003年旧米子市長選で初当選。2005年の新市長選で当選。2013年4月、3選を果たした。祖父は洋食のレストランおよびレコード、楽器店を営んでいた野坂康久(“十字屋”経営主)。祖母のいとこには戦後、米子市長をつとめた野坂寛治がいる。 父・野坂陞三、母・千年の間に生まれた。1人っ子である。祖父野坂康久は、米子市東倉吉町で「十字屋」を経営、父や母、おばがこれを手伝っていたが、野坂が幼いころは、市会議員もしていた。
新保 生二(しんぽ せいじ、1945年〈昭和20年〉6月2日… 新保 生二(しんぽ せいじ、1945年〈昭和20年〉6月2日 - 2004年〈平成16年〉10月26日)は、日本の官僚。元経済企画審議官。広島市出身。
田中 保昭(たなか やすあき、1945年5月16日 - 20… 田中 保昭(たなか やすあき、1945年5月16日 - 2024年1月20日)は、日本の実業家。 広島県出身。広島大学附属高等学校、武蔵大学経済学部経営学科卒業。1968年、広島銀行入行。1974年に大和重工に入社し、取締役、住宅機器営業本部営業部長を経て、1983年に代表取締役社長。広島運輸代表取締役社長、バスストップ代表取締役社長も兼任。2019年に取締役会長。 2024年1月20日死去。78歳没。
井川 一宏(いがわ かずひろ、1944年9月26日 - )は… 井川 一宏(いがわ かずひろ、1944年9月26日 - )は、日本の経済学者。専門は、国際貿易論・資本移動。学位は、Ph.D.(ジョンズ・ホプキンズ大学)、経済学博士(神戸大学)。神戸大学名誉教授。神戸大学経済経営研究所所長や、日本国際経済学会会長、ハワイ大学客員教授などを歴任した。国際協力事業団国際協力功労者表彰受賞。 広島県生まれ。広島大学附属高等学校を経て、1968年広島大学政経学部卒業。1971年大阪大学大学院経済学研究科博士課程退学。1981年ジョンズ・ホプキンズ大学経済学博士(Ph.D.)。1984年ノースウェスタン大学客員研究員。1985年経済学博士(神戸大学)の学位を取得。 1987年神戸大学経済経営研究所教授。
前川 功一(まえかわ こういち、1943年6月26日 - 2… 前川 功一(まえかわ こういち、1943年6月26日 - 2024年9月10日)は、日本の経済学者。計量経済学専攻。学位は、経済学博士(大阪大学・1986年)。広島大学副学長、広島経済大学学長、日本金融・証券計量・工学学会会長、ウエスタン・オンタリオ大学客員教授、広島銀行監査役などを歴任。Econometric Theory Award受賞。 神奈川県生まれ。広島大学附属高等学校を経て、1967年広島大学政経学部政経学科卒業。1969年一橋大学大学院経済学研究科修士課程理論経済学及び統計学専攻修了。指導教官は伊大知良太郎。専門は計量経済学。 1969年広島大学政経学部助手。1972年広島大学政経学部講師。
大島 賢三(おおしま けんぞう、1943年〈昭和18年〉5月… 大島 賢三(おおしま けんぞう、1943年〈昭和18年〉5月14日 - 2021年〈令和3年〉5月29日)は、日本の外交官。外務省経済協力局局長、国際平和協力本部事務局長、国際連合事務次長(人道問題担当)、オーストラリア駐箚特命全権大使、国際連合政府代表部特命全権大使、国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会委員、原子力規制委員会委員などを歴任した。 広島県広島市東区牛田出身。1961年広島大附属高校時代にAFSでアメリカ合衆国に1年間留学。 1965年東京大学在学中サンケイスカラシップで英国留学、1967年、東京大学法学部を中退し、4月、外務省入省。 フランス語研修、在フランス大使館・在インド大使館・在オーストラリア大使館・在アメリカ大使館勤務などを経て、1990年在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1993年8月国際協力事業団総務部長 1995年8月アジア局審議官、国際社会協力部長、1997年経済協力局長、人間の安全保障・科学技術協力・国連改革担当大使を務めた。
天本 宏(あまもと ひろし、1943年(昭和18年) 4月2… 天本 宏(あまもと ひろし、1943年(昭和18年) 4月25日生まれ- )は、日本の医師・医学博士。医療法人財団天翁会(東京都多摩市)を設立し、初代理事長に就任した。地域包括ケアの先行モデルとして、多摩ニュータウンを中心とした「あいセーフティネット」の構築で知られる。 1980年に天本病院(東京都多摩市)を開設し、95年、医療法人財団天翁会設立、初代理事長に就任。老人の専門医療を考える会初代会長、日本慢性期医療協会初代会長、厚生省老人保健審議会委員、東京都医師会理事、多摩市介護保険運営協議会委員、全日本病院協会副会長、日本医師会常任理事、地域包括ケアシステム研究会委員などを歴任した。2016年に天翁会は社会医療法人河北医療財団と合併し、天翁会の事業はそのまま河北医療財団多摩事業部となった。
桑原 楽之(くわはら やすゆき、1942年12月22日 - … 桑原 楽之(くわはら やすゆき、1942年12月22日 - 2017年3月1日)は、広島県広島市白島(現中区)出身 のサッカー選手。実兄は桑原弘之。1968年メキシコシティオリンピック銅メダリスト。 8人兄弟で男は弘之と楽之の二人だけ。1960年代の日本サッカーのメッカ・広島に生まれ、幼少期からサッカーに親しむ。広大付属小、広大付属中学の抽選をいずれも落ちて白島小、幟町中学に進む。白島小の隣りに広島市立基町高等学校があり、5年生の時に渡辺正と佐伯博司がプレーしていて、楽之はいのまにか同校でボール拾いを始める。入学した幟町中学にはサッカー部がなかったが、桑原を中心に創部。実兄の弘之がコーチを勤めた。
小城 得達(おぎ ありたつ、1942年12月10日 - )は… 小城 得達(おぎ ありたつ、1942年12月10日 - )は、広島県広島市千田町(現・中区)出身の元サッカー選手(FW、MF、DF)・コーチ・監督。 昭和40年代を代表する名選手の1人であり、釜本邦茂・杉山隆一・宮本輝紀と共に当時のスタープレイヤーの一人。現役時代はフォワードもミッドフィルダーもディフェンダーもこなしたオールラウンドプレーヤーで、日本代表として東京五輪およびメキシコ五輪でフル出場を果たし、メキシコでは銅メダル獲得に貢献。 前広島県サッカー協会会長。 実家は材木店を営んでいたが、2歳の夏に爆心地に近い千田町で被爆。倒れた柱と柱が隙間を作り、母と姉と共に助かる。広島大学附属小学校時代はサッカーを楽しむ程度であり、ちょうど広島カープが誕生したため野球が大好きになり、体もひ弱であったため野球に興じる。
横山 禎徳(よこやま よしのり、1942年9月16日 - 2… 横山 禎徳(よこやま よしのり、1942年9月16日 - 2024年4月4日)は、日本の経営コンサルタント、社会システムデザイナー。県立広島大学大学院経営管理研究科研究科長。オリックス、三井住友フィナンシャルグループ、三井住友銀行社外取締役。東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム(EMP)企画・推進責任者。広島県出身。 広島大学附属高等学校を経て東京大学工学部建築学科卒業、ハーバード大学デザイン大学院修了、マサチューセッツ工科大学経営大学院修了。 前川國男建築設計事務所、デイビス・ブロディアンドアソシエーツを経て、1975年(昭和50年)マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、1987年(昭和62年)同社ディレクター、1989年(平成元年)同社東京支社長を歴任し、2002年(平成14年)6月同社退職。
溝手 顕正(溝手 顯正、みぞて けんせい、1942年〈昭和1… 溝手 顕正(溝手 顯正、みぞて けんせい、1942年〈昭和17年〉9月13日 - 2023年〈令和5年〉4月14日)は、日本の実業家、政治家。従三位。 幸陽船渠代表取締役社長、国家公安委員会委員長(第74代)、内閣府特命担当大臣(防災)、自由民主党参議院議員会長(第28代)、自由民主党参議院幹事長、参議院議員(5期)、参議院予算委員長・議院運営委員長・国家基本政策委員長・総務委員長・懲罰委員長・政府開発援助等に関する特別委員長、自由民主党広島県支部連合会会長を歴任した。 広島県広島市南区皆実町生まれ。その後は安芸郡や父方の郷里の賀茂郡原村(現東広島市八本松町原)を経て、日本通運に勤めていた父親の転勤に伴い三原市に転居した。
船本 幸路(ふなもと こうじ、1942年8月12日 - )は… 船本 幸路(ふなもと こうじ、1942年8月12日 - )は、広島県広島市草津出身の元サッカー日本代表選手(GK)・指導者。 広大付属高校2年の時、ゴールキーパーとして桑田隆幸や野村尊敬、同級の小城得達、桑原楽之、溝手顕正らと全国高校サッカー選手権大会に出場して準優勝、国体も準優勝、3年時はベスト8。 高校を卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社、東洋工業蹴球部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)へ入団。同チームの監督となった下村幸男の後を受け正ゴールキーパーとなる。石井義信、小沢通宏、今西和男、丹羽洋介、桑原弘之、大野毅、川野淳次、国枝強らとゴールを守り、日本サッカーリーグ(JSL)4連覇と3度の天皇杯制覇に貢献した。
的川 泰宣(まとがわ やすのり、1942年〈昭和17年〉2月… 的川 泰宣(まとがわ やすのり、1942年〈昭和17年〉2月23日 – )は、日本の宇宙工学者、工学博士である。専門は、軌道工学、システム工学。 広島県呉市生まれ。戦艦大和が建造中の呉海軍工廠が一望できる高台が遊び場だった。呉市立荒神町小学校、呉市立二河中学校、広島大学附属高等学校を経て東京大学に進学する。1965年に東京大学工学部航空学科宇宙工学コースを第一期生として卒業し、東京大学大学院工学研究科航空学専攻に進学する。大学院の最後の年には、日本初の人工衛星「おおすみ」の打上げに貢献。的川は糸川英夫の最後の弟子である。1970年東京大学大学院工学研究科航空学専攻博士課程を修了し、東京大学宇宙航空研究所に入所。
桧田 仁(ひのきだ ひとし、1942年〈昭和17年〉2月2日… 桧田 仁(ひのきだ ひとし、1942年〈昭和17年〉2月2日 - 2016年〈平成28年〉9月17日)は、日本の政治家、医師。元衆議院議員(1期)。広島県佐伯郡佐伯町(現・廿日市市)出身。 2000年4月の衆議院決算行政監視委員会において、脱会支援活動への取り締まり等について統一教会(世界基督教統一神霊協会)の教会員の立場で質問した。関連団体の集会やシンポジウムにはしばしば参席し講演もおこなった。2010年11月11日付『世界日報』では「拉致監禁は犯罪」と主張している。 自民党衆議院議員であった桧田は、2000年4月に衆院決算行政監視委員会で、日本政府が拉致監禁被害に対して果たすべき責任を遂行しない問題を取り上げて、政府、法務当局に批判質疑を行った。
野村 尊敬(のむら そんきょう、1941年9月22日- )は… 野村 尊敬(のむら そんきょう、1941年9月22日- )は、日本の実業家。チチヤス第五代社長、元会長。元サッカー選手、元日本サッカー協会副会長。 広島県出身。広島大学附属高等学校では、フルバックとして同級生の桑田隆幸、1年後輩の小城得達・桑原楽之・溝手顕正・船本幸路らと選手権、国体でともに準優勝。 その後早稲田大学第二商学部へ進学。同級生の松本育夫・桑田隆幸、2つ下の二村昭雄・森孝慈、3つ下の釜本邦茂らと共に同大学ア式蹴球部の黄金期を創った。在学中の1963年には日立本社(現柏レイソル)を3-0で破り、早稲田26年ぶりの天皇杯制覇に貢献。 1964年卒業後、チチヤス乳業に入社。専務取締役、副社長を経て1996年チチヤス第五代社長に就任。
桑田 隆幸(くわた たかゆき、1941年6月26日 - )は… 桑田 隆幸(くわた たかゆき、1941年6月26日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー日本代表選手・指導者(JFA公認C級コーチ)。日本サッカーリーグ(JSL)初代アシスト王。 父親がハルビンの商社に勤務していたため満洲で生まれた。1945年終戦に伴い帰国、母の郷里・広島市で育つ。父もサッカー選手、母もバレーボールの選手で、父は後に広島サッカー友の会理事長を務め、当地の小学生のサッカー普及に尽力した。1947年、戦後復活第一回の全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)で、広島高等師範学校附属中学(現・広島大学附属高校)が超中学級の長沼健、木村現、樽谷恵三の三羽烏を擁して圧倒的な強さをみせ初優勝した。
難波 紘二(なんば こうじ、1941年6月17日 - )は、… 難波 紘二(なんば こうじ、1941年6月17日 - )は、日本の医師・医学者・評論家。広島大学名誉教授。
皇 達也(すめらぎ たつや、1941年(昭和16年)5月4日… 皇 達也(すめらぎ たつや、1941年(昭和16年)5月4日 - 2021年(令和3年)3月20日)は、日本のテレビプロデューサー。ジャパン・コンテンツ・コンサルティング代表取締役社長。 テレビ朝日事業局長、取締役制作局長歴任後、テレビ朝日サービス代表取締役社長を務めた。テレ朝の天皇の異名で知られた。 父は元広島大学学長で教育学者の皇至道。叔父も東北大学名誉教授で、玉川大学文学部長を務めた教育学者の皇晃之。 広島県出身。広島大学附属中学校・高等学校、慶應義塾大学文学部卒業。慶應在学中からNETテレビ(日本教育テレビ。後のテレビ朝日)でアルバイトをしており、卒業後の1964年、社員に登用され正式に同局入社。
松尾 雅彦(まつお まさひこ、1941年2月20日 - 20… 松尾 雅彦(まつお まさひこ、1941年2月20日 - 2018年2月12日)は、日本の実業家。広島県広島市出身。 カルビー第3代社長。「カルビー中興の祖」。スマート・テロワール(農村自給圏構想)提唱者。 カルビー創業者松尾孝の三男。広島市楠木町(現西区)で生まれる。 1945年8月6日、4歳の時に広島市への原子爆弾投下により被爆。自宅近くで母と一緒に疎開する荷物を積んだ馬車の上にいた(爆心地から1.5km)ものの、両側の家屋が倒壊したことでそれに遮られて助かったという。松尾は被爆後の火の粉で軽い火傷をおったが怪我はそれだけで、三篠橋から旧太田川に入り夕方まで過ごした。母と一緒に筏につかまっていると、貴重品袋に入っていた砂糖が溶けて流れていった様子を鮮明に覚えている、とのちに回想している。
丹羽 洋介(にわ ようすけ、1940年10月10日 - )は… 丹羽 洋介(にわ ようすけ、1940年10月10日 - )は、中国上海市生まれ、広島県広島市出身の元サッカー日本代表選手・指導者。 3人兄弟の末っ子。父親は上水道技師で、上海で、のち広島で水道事業に関わっている。そのため上海で生まれ、1944年4歳の時から広島で生活し、太平洋戦争末期に愛知県江南市に疎開していた。そのため広島市への原子爆弾投下からは逃れている。ただ父親は当時広島で働いており、被爆者となってしまった。 広島に戻り広島大学附属小学校へ進学するとサッカーを始める。小学校の1学年上が鬼武健二、1学年下が桑田隆幸と野村尊敬、2学年下が小城得達になる。その後広島大学附属中学校・高等学校と上がる。
伊賀 健一(いが けんいち、1940年6月15日 - )は、… 伊賀 健一(いが けんいち、1940年6月15日 - )は、日本の工学者。工学博士。広島県呉市出身。東京科学大学栄誉教授・旧名東京工業大学18代学長。文化功労者 1940年、広島県呉市出身。広島大学附属高等学校を経て、東京工業大学理工学部電気工学課程卒業。大学4年次に末松安晴研究室で光・量子エレクトロニクスの研究に入門。東京工業大学教授、電子情報通信学会会長、日本学術振興会理事を歴任。 2007年より2012年まで東京工業大学学長。高速データ通信の信号源等に応用されている面発光レーザー(VCSEL)生みの親。高速光ファイバー通信網などインターネットやデータセンターの光配線への基礎技術、コンピューターマウス、レーザープリンターのレーザー光源などに展開される光エレクトロニクスの基礎を築いた。
北浦 昭義(きたうら あきよし、1940年〈昭和15年〉4月… 北浦 昭義(きたうら あきよし、1940年〈昭和15年〉4月10日 - )は、日本の俳優。本名同じ。身長174cm。芸映所属。柔道二段。 長崎県生まれ、広島県広島市育ち。1945年5歳の夏、広島市の爆心地から1.9キロ南の自宅で被爆。軽い火傷だけで一命を取りとめる。被爆者手帳を持つ。広島大学附属高等学校から一橋大学を目指すが失敗し、一浪後、日本大学芸術学部演劇科に入り同大学卒。在学中の1966年、森繁久彌主演の東宝「駅前シリーズ」『喜劇 駅前競馬』でデビューした。以降、様々な映画やテレビで地味な役に徹した。役柄はサラリーマン、刑事、教師、酒場のマスターなどが多く、1980年代に"中年男の哀愁を演じる俳優"としてマスメディアに取り上げられた。
鬼武 健二(おにたけ けんじ、1939年9月19日 - )は… 鬼武 健二(おにたけ けんじ、1939年9月19日 - )は、広島市西区天満町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)専務理事、同第3代目理事長(Jリーグチェアマン)。 ヤンマーディーゼルサッカー部の攻撃サッカーを築いた名将で、日本サッカーリーグ(JSL)で通算93勝を挙げたJSL最多勝監督。 また、セレッソ大阪の創設、Jリーグ入りを総責任者として尽力した。 広島大学附属高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。 現役時代は162センチの俊足フォワードとして活躍、主にウィンガーとしてプレーした。高校時代の同級生は高重清純、一つ下は丹羽洋介、2つ下は桑田隆幸、野村尊敬がいた(ちなみに鬼武をサッカー部へ誘ったのが高重と野村である。
大島 治男(おおしま はるお、1939年5月7日 - )は、… 大島 治男(おおしま はるお、1939年5月7日 - )は、広島県出身のサッカー選手。元サッカー日本代表。 現役時代は、小柄ながら抜群のボールコントロールを持ち合わせた選手。 中学からサッカーを初め、広島サッカー御三家であった広島大学附属高校に入学。鬼武健二、高重清純、丹羽洋介、野村尊敬、桑田隆幸らとプレーしている。 高校卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社、東洋工業蹴球部(現サンフレッチェ広島)に所属する。1962年の全日本実業団サッカー選手権大会優勝に貢献、1965年にJSLが始まると、初年度には岡光龍三、松本育夫、桑田隆幸、桑原楽之、中村勤らとともにFWの一員として東洋工業無敗優勝に貢献、1960年代後半の黄金期のメンバーとして活躍した。
源氏田 重義(げんじだ しげよし、1938年1月17日 -… 源氏田 重義(げんじだ しげよし、1938年1月17日 - 2002年5月14日)は日本の大蔵官僚。大臣官房審議官(関税局担当)、印刷局長、大和銀行副頭取などを歴任。血液型はA型。 広島県広島市出身(父母も広島県)。広島大学附属高等学校、東京大学法学部卒業。1961年4月 大蔵省入省(主税局調査課)。イリノイ大学留学。1967年7月 山口税務署長。その後は国税庁直税部資産税課長補佐、派遣職員(アジア開発銀行)、主計局主計官補佐(司法・警察係主査)、大阪税関総務部長、内閣官房長官秘書官(事務担当)などを務める。1978年12月 大臣官房企画官。1979年4月 大臣官房参事官。同年7月 主税局国際租税課長。
長谷川 滋成(はせがわ しげなり、1938年- )は、日本の… 長谷川 滋成(はせがわ しげなり、1938年- )は、日本の漢文学者、広島大学・尾道大学名誉教授。 1938年、山口県生まれ。広島大学文学部に入学し、中国語学ならびに中国文学を専攻した。同大学大学院修士課程を修了。 卒業後は、広島大学附属中学校・高等学校教諭となった。その後、兵庫教育大学助教授、母校の広島大学教育学部教授をつとめた。2002年、広島大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は尾道大学教授として教鞭をとったが、2009年に退職し、名誉教授となった。
熊野 英昭(くまの ひであき、1937年(昭和12年)9月3… 熊野 英昭(くまの ひであき、1937年(昭和12年)9月3日 - 2004年(平成16年)12月30日)は、日本の官僚。元通商産業事務次官。広島県出身。正四位瑞宝重光章受章。 東京大学経済学部経済学科をトップで卒業。通商産業省入省。貿易局長、大臣官房長、機械情報産業局長、産業政策局長を歴任し、1993年(平成5年)6月から1994年(平成6年)12月まで通商産業事務次官を務める。次官在任中には日米構造協議を受けて、引き続き新社会資本整備たる公共事業政策を推進した。小沢一郎や熊谷弘通産大臣の下で次期次官最有力だった内藤正久を退官させたが、これは巷間「通産省4人組事件」などとマスメディアで報じられた。
桑原 弘之(くわはら ひろゆき、1937年6月9日 - )は… 桑原 弘之(くわはら ひろゆき、1937年6月9日 - )は、広島県広島市段原(現・南区)出身 の元サッカー選手(DF)・指導者。実弟は桑原楽之。 父親は弁護士で東大時代、テニスとボートの選手だった。弘之も運動神経がよく、広大付属小、広大付属中学までは野球に親しんだ。広大付属高校に入学すると野球部がないこともありサッカー部へ入部。高校1年からサイドハーフのレギュラーを掴み、1953年全国高等学校サッカー選手権大会で岸和田との引き分け優勝に貢献。3年時はインサイドハーフをやった。高校時代はスピードのあるフォワードタイプの選手だった。鬼武健二は2つ下の後輩にあたる。父の後を継ぐため中央大学法学部へ進学し、1年サッカーを離れ勉学に励む。
成宮 雄三(なるみや ゆうぞう、1936年10月12日 - … 成宮 雄三(なるみや ゆうぞう、1936年10月12日 - )は、日本の実業家。ナルミヤ・インターナショナル創業者・社長。広島県広島市出身。 家業は明治期の1899年、広島市の元柳町(現在の広島平和記念公園)に創業した呉服問屋の老舗。その後広島市中心部鉄砲町に移転。戦時中は軍服製造などを手がけ戦後の1952年、成宮織物株式会社、1979年ナルミヤと改称して婦人服・洋品部門を拡張させた。成宮は三兄弟の末っ子として生まれ、広島大学附属高校を経て1959年慶應義塾大学法学部を卒業。大学卒業後、髙島屋に入社。ニューヨーク店などに勤務。父の病気で1975年退職し、二番目の兄が東京青山でやっていた洋服卸部門を引き継ぐ。
小割 まさ江(こわり まさえ)(1935年8月7日 - )は… 小割 まさ江(こわり まさえ)(1935年8月7日 - )は、日本のジャズ歌手である。 広島県呉市出身、広島大学附属中学校卒業、血液型はA型。小割には1人の兄、4人の姉がおり、海軍で仕事をしていた父・権之助、母・益代のもと、1935年に5人兄弟の末っ子として生まれる。小学生時代、青い鳥児童合唱団に所属し、NHK広島放送局で童謡を歌ったこともあった。1952年に一家で大阪へ移住し、その頃より、ジャズ・ヴォーカルに興味を抱く。知人がジャズ・バンドを持っていたことから、歌い始めるようになる。その後、1954年に大阪で、花田与一のビッグ・ジャズメンの専属歌手としてデビューし、当初はバラードを得意としていたが、ビッグ・ジャズメンの演奏スタイルに感化され、リズム&ブルース風の楽曲も歌うようになり、リズム&ブルースを得意とした女性シンガーとして活躍した。
大橋 謙三(おおはし けんぞう、1935年4月21日 - 2… 大橋 謙三(おおはし けんぞう、1935年4月21日 - 2015年12月21日)は、広島県出身のサッカー日本代表選手・指導者(FIFAコーチライセンス習得、日本体育協会公認上級コーチ)。 現役時代はハーフバック(MF)として活躍。体が強く、ボール扱いが巧みでキープ力があり、確実に前線に繋いだ。 広島大学附属高校が第37回全国高等学校蹴球選手権大会において大阪府立岸和田高等学校と両校優勝したときのキャプテン。高校時代は、樽谷恵三から指導を受けた 。その後、早稲田大学へ進学、早稲田大学ア式蹴球部に所属する。 大学を卒業後は関西の湯浅電池に所属し、徳弘隆らとプレーした。この時に日本代表に選ばれ1958年アジア競技大会で国際Aマッチ1試合に出場した。
村上 處直(むらかみ すみなお、1935年1月24日 - 2… 村上 處直(むらかみ すみなお、1935年1月24日 - 2024年10月20日)は、日本の都市計画家。防災の専門家で、戦後の都市防災において、中心的役割を果たしてきた人物。防災都市計画研究所名誉所長及び会長。元代表取締役所長。そのほか、社団法人環境情報科学センター評議員。杉並区まちづくり博覧会会長。 神奈川県地震被害想定調査委員会委員長、地域安全学会会長、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)後の国土審議会特別委員、中央防災会議専門委員を歴任。 学位は工学博士。名古屋市生まれ。広島育ち。父は天文学者の村上忠敬(広島大学名誉教授)。
寺岡 暉(てらおか あきら、1935年 - )は、日本の医師… 寺岡 暉(てらおか あきら、1935年 - )は、日本の医師(医学博士)。社会医療法人 社団 陽正会 寺岡記念病院 会長。
山内 久明(やまのうち ひさあき、1934年7月10日 - … 山内 久明(やまのうち ひさあき、1934年7月10日 - )は、日本の英文学者、東京大学名誉教授。Ph.D.(ケンブリッジ大学、1975年)。広島県生まれ。 英国ロマン派の詩が専門だが、夏目漱石を中心とした日本近代文学に関する英文著書や大江健三郎論もある。大江とは東大駒場時代からの友人で、大江のノーベル賞受賞記念講演「あいまいな日本の私」を英訳した。
石井 泰行(いしい やすゆき、昭和9年(1934年)5月12… 石井 泰行(いしい やすゆき、昭和9年(1934年)5月12日 - 平成27年(2015年)11月23日)は、広島県出身の実業家・経営者である。賀茂鶴酒造名誉会長。
児玉 幸治(こだま ゆきはる、1934年〈昭和9年〉5月9日… 児玉 幸治(こだま ゆきはる、1934年〈昭和9年〉5月9日 - 2025年〈令和7年〉4月26日)は、日本の通産官僚。通商産業事務次官、商工組合中央金庫理事長等を歴任した。父の児玉秀一は元広島県議会議長、長男の児玉哲哉はバークレイズ証券会長。経済産業省大臣官房審議官や近畿経済産業局長を務めた関総一郎は娘婿。2014年(平成26年)春の叙勲で、瑞宝重光章受章。 旧通産省同期入省者には、村岡茂生(通産審議官)、濱岡平一(資源エネルギー庁長官)、矢橋(山本)有彦(科技庁官房長)、岩崎八男(中小企業庁長官)、宮田満(エネ研顧問、評論家)、村田文男(大阪商品取引所理事長)、前田典彦(国際商事仲裁協会理事長)、上杉一雄(日野自動車専務)、宮野素行(四国通産局長、余暇開発センター理事長)、内田禎夫(通産省大臣官房審議官、中小企業事業団副理事長、アラ石参与)、本郷英一(科技庁振興局長)など。
大隅 和雄(おおすみ かずお、1932年10月10日 - )… 大隅 和雄(おおすみ かずお、1932年10月10日 - )は、日本の歴史学者、思想史家。専攻は中世思想史(仏教思想)。東京女子大学名誉教授。 1932年、福岡県福岡市生まれ。父大隅芳雄は鉱山学者で、九州帝国大学に勤めていた。戦時中であった1945年4月、全国から理系科目に秀でた生徒を特別に集めた広島高等師範学校附属中学校特別科学教育学級に進学。しかし戦局悪化にともない疎開中、広島へ原子爆弾が投下されたことにより校舎が壊滅し、福岡県立中学修猷館に転校した。 1951年、新制になった福岡県立修猷館高等学校を卒業。 東京大学に進み、1955年に文学部国史科を卒業した。1964年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。
木村 現(きむら あらわ、1931年7月8日 - 2007年… 木村 現(きむら あらわ、1931年7月8日 - 2007年2月21日)は、広島県広島市出身のサッカー選手、サッカー指導者。名前の読みを「げん」とする資料もある。 長沼健、樽谷恵三は広島大学附属小学校からの幼馴染み。1945年被爆。広島高等師範学校附属中学(現広島大学附属高校)では、長沼・樽谷との超強力スリートップの高速右ウイングとして全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)の戦後初優勝に貢献。3人のスピードは、当時の中学生レベルでは止められなかったと言われ、4試合で計21得点をたたき出した。決勝戦7-1のスコアは、戦後最多得点、及び大会最多得点差記録として現在も残っている。翌年国体も制覇。