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藤井 恒(ふじい ひさし、1959年 - )は、日本の生物学… 藤井 恒(ふじい ひさし、1959年 - )は、日本の生物学者。理学博士(京都大学)。NPO法人日本チョウ類保全協会設立代表者。 広島県生まれ。広島県立広島国泰寺高等学校を卒業、弘前大学理学部生物学科に進学、卒業後、京都大学大学院、日高敏隆の研究室にて理学博士。祖父、藤井崇治、父、藤井脩、母、良子 子供の頃からの昆虫好きであり、中学3年生にして、広島虫の会、日本鱗翅学会、日本昆虫学会に入会。弘前大学の学生のとき『広島県のチョウ』に自身が撮影してきた蝶の写真を掲載。結果、専門となったのは生物学、後述、学術上の業績はこちらにあるが、写真も趣味であり、趣味の写真が専門に生かされた。 また子供の頃から音楽好きで、ピアノや歌を独学し、大学(学部)時代は混声合唱団に参加、演奏会やコンクールなどに出演した。
花岡 永子(はなおか えいこ、1938年5月5日 - )は、… 花岡 永子(はなおか えいこ、1938年5月5日 - )は、日本の宗教哲学者、大阪府立大学名誉教授。 広島県生まれ。1957年広島国泰寺高等学校卒、1963年京都大学文学部哲学科卒、同大学院に学び、1965年より西独ハンブルク大学留学、1968年京大博士課程中退、1973年ハンブルク大学神学博士。1981年花園大学助教授、1986年教授、1992年大阪府立大学教授、1994年「心の宗教哲学 -心の自然な構造に即して」で京大文学博士。2002年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授、2009年退任、名誉教授。別に亡夫の姓である川村永子名義の著作もある。西田幾多郎の影響が強い。
桂 芳久(かつら よしひさ、1929年3月4日 - 2005… 桂 芳久(かつら よしひさ、1929年3月4日 - 2005年2月1日)は、日本の小説家・民俗学者・北里大学名誉教授。昭和後期から平成時代にかけて活躍した。 広島県高田郡吉田町(現:安芸高田市)の生まれ。 旧制広島県立第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)の4年生のとき、広島市への原子爆弾投下に遭遇する。このとき学校は全滅したものの、勤労動員で郊外に滞在していたため生き残ることができた。少年期のこの経験は桂の心に深く残り、後々まで作品世界に何度も描かれることになった。 1950年に慶應義塾大学に入学する。 同年、劇作家の加藤道夫の紹介により三島由紀夫に認められ、1953年、三島の推薦で「群像」7月号に「棘草の蔭に」を載せ、文壇に登場。
藤沢 令夫(ふじさわ のりお、1925年6月14日 - 20… 藤沢 令夫(ふじさわ のりお、1925年6月14日 - 2004年2月28日)は、日本の哲学者・西洋古典学者。専攻はギリシア哲学。京都大学名誉教授。京都国立博物館館長を歴任。1993年紫綬褒章。1998年叙勲二等授瑞宝章。2004年没時叙正四位。 1925年、母の実家のある長野県松本市で生まれた。国鉄官僚の父の転任にともなって各地を転々とした。旧制広島第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)に入学し、上級生だった頃に西洋絵画集を購入。ラファエロの大作『アテナイの学堂』のプラトンとアリストテレスの部分を切り取り、部屋に飾った。北村透谷の「ホメロス在りし時、プラトン在りし時、彼の北斗は今と同じき光芒を放てり」という美文とあいまって、第三高等学校 (旧制)の受験勉強の気休めにしていたのが、哲学への憧憬の始まりだったと回想している。
頼實 正弘(頼実 正弘、よりざね まさひろ、1919年6月2… 頼實 正弘(頼実 正弘、よりざね まさひろ、1919年6月21日 - 2024年4月7日)は、日本の化学工学者である。広島大学名誉教授。 広島大学学長、広島県立大学学長、比治山大学学長、日本伝熱学会副会長などを歴任した。勲二等旭日重光章受章。 広島県生まれ。1937年広島県立広島第一中学校(のちの広島県立広島国泰寺高等学校)卒業。1941年広島高等工業学校(のちの広島大学工学部)機械工学科卒業。 1943年東京工業大学(のちの東京科学大学)化学工学科卒業。東京工業大学の研究助手などを経て、1951年文部教官任官、広島大学講師。1955年広島大学助教授。 1961年には東京工業大学から工学博士の学位を取得。
岡村俊民(おかむら としたみ、1916年(大正5年)11月1… 岡村俊民(おかむら としたみ、1916年(大正5年)11月15日 - )は、日本の農学者。学位は、農学博士(北海道大学・論文博士・1960年)。北海道大学名誉教授。元北海道拓殖短期大学学長。広島県出身。 1934年(昭和9年)広島県立広島第一中学校卒業。1941年(昭和16年)北海道帝国大学農学部農学科卒業。 間もなく兵役のため入隊。1946年(昭和21年)復員。 1947年(昭和22年)北海道帝国大学農学部助手。1949年北海道大学農学部付属農林専門部教授。酪農学園短期大学酪農科助教授を経て、1963年(昭和38年)帯広畜産大学畜産学部教授。1965年(昭和40年)北海道大学農学部教授。1973年(昭和48年)同附属農場長。
金井 清(かない きよし、1907年(明治40年)7月25日… 金井 清(かない きよし、1907年(明治40年)7月25日 - 2008年(平成20年)4月13日)は、日本の地震工学者。分散性表面波、常時微動の測定法開発、構造物や地盤の振動理論などの研究で知られる。東京大学教授・日本大学副総長を歴任。 1907年(明治40年)、広島市で生まれる。広島県立広島第一中学校を経て、1928年(昭和3年)に広島高等工業学校電気工学科を卒業した。卒業後は同校久保研究室で実験助手を勤めていたが、1931年(昭和6年)に上京し、東京帝国大学地震研究所の妹沢克惟を訪れ、1934年(昭和9年)に正式に助手となった。妹沢との共同研究は10年余に及んだが、この期間に地震研究所彙報により発表された論文は年に10-20編に達する。
下程 勇吉(したほど ゆうきち、1904年10月6日 - 1… 下程 勇吉(したほど ゆうきち、1904年10月6日 - 1998年3月17日)は、日本の教育学者、京都大学名誉教授。教育人間学を提唱した。 広島県安佐郡戸山村にて下程直太郎の長男として誕生。1924年3月広島県立第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)卒業。1927年3月広島高等学校(文科乙類)卒業。 1930年京都帝国大学文学部哲学科卒。1937年京都府立医科大学予科教授。1947年、京都大学助教授、「天道と人道 二宮尊徳の哲学」で、文学博士(京都大学)を取得。1948年京都大学教授。教育学部創設に参加し1951年から学部長。1968年定年退官、名誉教授。 松蔭女子学院大学学長 (1968.4 - 1970.3)。
坂村 徹(さかむら てつ、1888年10月13日 - 198… 坂村 徹(さかむら てつ、1888年10月13日 - 1980年10月18日)は、遺伝学者、植物細胞学、生理学者。教育者。北海道大学農学部名誉教授。広島県広島市幟町(現・中区)幟町出身。 旧制・広島一中(現・広島国泰寺高校)から北海道帝国大学農学部に進み同大学卒業。恵迪寮OB。植物細胞学・植物生理学を研究し1918年、世界で初めて小麦の正確な染色体数を明らかにした。この発見は画期的なもので、この後日本で小麦の研究が盛んになり世界の学会をリードした。この研究を引き継ぎ、木原均が小麦の細胞遺伝学的研究でこの分野の新しい領域を切り拓いた。その他生物を利用した微量重金属の検出法などを開発。1919年同大学教授。
山本 祥吉(やまもと しょうきち、1886年(明治19年)1… 山本 祥吉(やまもと しょうきち、1886年(明治19年)10月25日 - 1976年(昭和51年)10月28日)は、日本の調味学者。農林省水産講習所教授、水産試験場技師、南興水産取締役、東海大学教授、東京水産大学講師。 鰹節の研究を専門とし、味の素等の商品開発や南洋群島での水産事業に関わった。 1886年(明治19年)10月25日広島県安芸郡牛田村椎ノ木44番地(広島市東区牛田南一丁目)に小学訓導山本象六とタニの長男として生まれた。牛田村立尋常小学校を経て、1897年(明治30年)4月安佐郡立沼田高等小学校に入学したが、1899年(明治32年)3月中退、4月広島市立第二高等小学校に転じ、1901年(明治34年)3月卒業した。
秦 逸三(はた いつぞう、1880年12月14日 - 194… 秦 逸三(はた いつぞう、1880年12月14日 - 1944年5月25日)は、日本で初めて人造絹糸(レーヨン)製造に成功した科学者・実業家。帝国人造絹糸(現・帝人)共同設立者。今の広島県安芸郡海田町出身。 広島県立広島第一中学校(現広島県立国泰寺高校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学医科大学薬学部に入学したが、同大学工科大学応用科学科に転入学した。1908年に卒業後、樟脳事務局に就職。のち神戸税関を経て、米沢市にある旧制米沢高等工業学校(現山形大学工学部)教授となり、研究室でビスコース人造絹糸(レーヨン)製造に専念する。 1884年にフランス人イレール・ド・シャルドネ(フランス語版、英語版)によって発明されたレーヨンは、1892年に工業化に成功し、日本にも紹介され、1905年から本格的な輸入が始まり、日本市場にも徐々に普及していった。
廣田 理太郎(ひろた りたろう、1865年12月23日(慶應… 廣田 理太郎(ひろた りたろう、1865年12月23日(慶應元年11月6日) - 1935年(昭和10年)9月2日)は、日本の工学者、実業家、教育者。 広島県福山市出身。廣田家は代々備後福山藩の勘定役を勤めた家系であった。県立広島中学(現・広島県立国泰寺高校)を経て東京帝国大学機械科卒業。帝大の技術者の第一期の卒業生で技術者のはしり。当時は機械そのものが外国から輸入され、参考書や説明書も全て外国から取り寄せるため英語は不可欠だった。帝大在学中の1886年、学友と東京理科大学の生徒計4人で自転車会を設立。これは日本で最初の自転車クラブともいわれ、金を出し合って購入したオーディナリー型自転車を廣田らが日本人で初めて乗ったともいわれる。
富士川 游(ふじかわ ゆう、慶應元年5月11日〈1865年6… 富士川 游(ふじかわ ゆう、慶應元年5月11日〈1865年6月4日〉 - 昭和15年〈1940年〉11月6日)は、日本の医学者・医学史家。旧姓は藤川、幼名は充人。安芸国沼田郡長楽寺村(後に安佐郡に編入、現:広島県広島市安佐南区長楽寺)出身。 医師・藤川雪の子に生まれる。雪は医師であるとともに和歌・漢詩にも優れ、1872年の壬申戸籍作成時に「藤川」を佳字である「富士川」と改名している。 1879年、藩校浅野学校(現:修道中学校・高等学校)から広島県立中学(現:広島県立広島国泰寺高等学校)に転学を経て1887年、広島医学校(現:広島大学医学部)卒業。同級に尼子四郎らがいた。上京し明治生命保険の保険医となる。
頼實 正弘 は、日本の化学工学者である。広島大学名誉教授。