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秋枝 三郎(あきえだ さぶろう、1916年(大正5年)9月1… 秋枝 三郎(あきえだ さぶろう、1916年(大正5年)9月15日 - 1942年(昭和17年)5月31日)は、日本の海軍軍人。特殊潜航艇「甲標的」搭乗員としてマダガスカル攻撃作戦に参加し、戦死。二階級特進により最終階級は海軍中佐。 山口県豊北町阿川土井出身。9人兄弟姉妹の三男である。妻は海軍大佐・小早川隆次の娘、文子。山口中学を経て、海軍兵学校を卒業。秋枝は海兵66期で、同期生に特殊潜航艇(以下「特潜」)艇長としてシドニー湾攻撃で戦死した松尾敬宇、中馬兼四らがいる。1939年(昭和14年)6月、海軍少尉任官。戦艦「霧島」、駆逐艦「江風」乗組みを経て、1940年(昭和15年)11月、水上機母艦「千代田」 乗組みとなる。
阿部 善次(あべ ぜんじ、1916年(大正5年)8月18日 … 阿部 善次(あべ ぜんじ、1916年(大正5年)8月18日 - 2007年(平成19年)4月6日)は、日本の海軍軍人。海兵64期。最終階級は、海軍では海軍少佐、空自では一等空佐。ペンネームは阿部善朗(あべ ぜんろう)。 1916年(大正5年)8月18日、山口県に生まれる。1933年(昭和8年)3月、山口中学校を卒業し、海軍兵学校に第64期生として入校。1937年(昭和12年)3月23日、海軍兵学校(64期)を卒業し、任海軍少尉候補生。1937年(昭和12年)11月、熊野に乗組。1938年(昭和13年)3月10日、海軍少尉に任官。同年3月28日、卯月に乗組。同年7月28日、第31期飛行学生を拝命。
志賀 淑雄(しが よしお、1914年(大正3年)3月28日 … 志賀 淑雄(しが よしお、1914年(大正3年)3月28日 - 2005年(平成17年)11月25日)は、日本の海軍軍人。海兵62期。最終階級は海軍少佐。東京都出身。旧姓は四元。 大正3年、東京府(現・東京都)で四元賢助海軍少将の三男として生まれる。本籍は鹿児島。父の賢助は、海軍兵学校教官として山本五十六、豊田副武らを教えており、子供の教育にも厳格であった。山口中学を経て、1931年(昭和6年)4月海軍兵学校62期に入学。同期に伏見宮博英王がおり、伏見宮が掃除の時間に列に割り込んだ際、志賀はそれを注意してバケツを蹴飛ばした。その件が殴ったという噂に飛躍して多少の摩擦も生じたが、後に父の訃報を受けた志賀に帰宅許可が出たのは伏見宮の計らいであった。
渡辺 三郎(わたなべ さぶろう、1897年(明治30年)1月… 渡辺 三郎(わたなべ さぶろう、1897年(明治30年)1月6日 - 1969年(昭和44年)1月1日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。旧姓・末国。 広島県出身。教員・末国又一の三男として生まれ、渡辺金作の養子となる。山口中学校(現山口県立山口高等学校)を経て、1918年(大正7年)5月、陸軍士官学校(30期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第70連隊付となる。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を卒業した。 1927年(昭和2年)8月、歩兵第76連隊中隊長に就任し、参謀本部付勤務、参謀本部員、イギリス駐在、歩兵第41連隊大隊長、陸軍運輸部員、陸大教官などを経て、1939年(昭和14年)8月、歩兵大佐に昇進。
澄川 道男(すみかわ みちお、1896年〈明治29年〉8月5… 澄川 道男(すみかわ みちお、1896年〈明治29年〉8月5日 - 1977年〈昭和52年〉6月18日)は日本の海軍軍人。海兵45期。最終階級は少将。勲三等旭日章、勲二等瑞宝章、金鵄勲章功四級、仏国金鵄勲章レジオンドヌール勲章三級。 1896年(明治29年)8月5日、山口県吉敷郡山口町(現:山口県山口市)で出生、旧制山口中学(現在の山口県立山口高等学校)では後に総理大臣となった岸信介と首席の座を競った。1914年(大正3年)海軍兵学校入学、卒業後は主として航空畑、参謀畑を歩んだ。1937年(昭和12年)フランス国大使館附武官(駐在武官)。海軍大佐時代には水上機母艦「瑞穂」艦長(1940年10月15日 - 1941年9月5日)、航空母艦「飛鷹」艦長(1942年11月21日 - 1943年8月15日)を務めている。
栗栖 猛夫(くりす たけお、1892年9月14日 - 194… 栗栖 猛夫(くりす たけお、1892年9月14日 - 1945年7月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 山口県出身。山口中学校を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第29連隊付となる。 1927年(昭和2年)3月、新潟中学校配属将校となり、歩兵第16連隊中隊長、歩兵第15旅団副官などを経て、1933年(昭和8年)8月、陸軍少佐に昇進し陸軍歩兵学校副官となる。同校教官、第3師団参謀、第5独立守備隊参謀などを歴任し、1939年(昭和14年)8月、陸軍大佐に進み豊橋陸軍予備士官学校歩兵生徒隊長に就任。1941年(昭和16年)3月、歩兵第220連隊長となり日中戦争、太平洋戦争に出征。
田中 頼三(たなか らいぞう、1892年(明治25年)4月2… 田中 頼三(たなか らいぞう、1892年(明治25年)4月27日 - 1969年(昭和44年)7月9日)は、日本の海軍軍人。海兵41期。最終階級は海軍中将。 山口県山口市嘉川(旧嘉川村)の本間家の三男に生まれる。 旧制山口中学校を卒業。1913年(大正2年)12月海軍兵学校41期卒。生粋の駆逐艦乗りで、水雷屋としてキャリアを重ねた。 第一次世界大戦では第二特務艦隊に属し、地中海で連合国艦船の護衛任務に従事している。 第一次世界大戦後の1920年11月、山口県の田中家へ入籍し姓が田中となる。 太平洋戦争直前の1941年(昭和16年)9月15日、五藤存知少将の後任として第二水雷戦隊司令官となる。そのまま日米開戦を迎え、南方作戦・蘭印作戦に従事。
中原 義正(なかはら よしまさ、1892年4月3日 - 19… 中原 義正(なかはら よしまさ、1892年4月3日 - 1944年2月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。日本海軍の著名な南進論者であった。 山口県美祢郡美東町太田出身。農業・中原吉蔵の三男として生れる。萩市の医師、平和主義者、宮原進の叔父にあたる。山口中学校を経て、1913年12月、海軍兵学校(41期)を卒業し、翌年12月、海軍少尉任官。1920年12月、海軍水雷学校高等科を卒業し、「第1潜水艦」長兼水雷学校教官、第1潜水戦隊参謀、練習艦隊参謀、「第37潜水艦」長心得などを歴任し、1926年11月、海軍大学校(甲種24期)を卒業した。 「呂号第六十四潜水艦」長、アメリカ駐在、軍令部第1班第1課参謀、軍令部出仕(第1班)、ジュネーヴ出張、海軍省人事局第1課局員、軍令部第1部員、「名取」艦長、開戦時の御前会議に出席をした。
金澤 正夫(かなざわ まさお、1889年(明治22年)10月… 金澤 正夫(かなざわ まさお、1889年(明治22年)10月25日 - 1969年(昭和44年)6月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 山口県出身。神職百済忠敬の二男として生れ、金沢家に養子に入った。山口中学校を経て、1911年7月、海軍兵学校(39期)を卒業し、1912年12月、海軍少尉に任官。1918年12月、海軍砲術学校高等科を卒業。「山城」分隊長、「樫」乗組、砲術学校教官などを経て、1923年10月、海軍大学校(甲種21期)を卒業した。 その後、「比叡」副砲長、「浅間」砲術長、「多摩」砲術長、軍令部参謀を歴任し、1927年12月、海軍省副官兼海相秘書官となり岡田啓介大臣に仕えた。
加藤 泊治郎(かとう はくじろう、1887年(明治20年)6… 加藤 泊治郎(かとう はくじろう、1887年(明治20年)6月8日 - 1951年(昭和26年)2月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓、三隅。 山口県出身。三隅熊五郎の五男として生れ、加藤家の養子となる。山口中学校を経て、明治43年(1910年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業し、同年12月、砲兵少尉に任官し、長崎重砲大隊付となる。大正5年(1916年)8月、兵科を憲兵科に移し憲兵中尉となり、憲兵練習所で学んだ。以後、名古屋憲兵、青島憲兵、豊橋憲兵、浜松憲兵、姫路憲兵、京都憲兵、台湾憲兵隊、牛込憲兵の各分隊長を歴任。昭和5年(1930年)8月、憲兵司令部員となり、さらに中国政府応聘、憲兵司令部第3課長、麹町憲兵分隊長、宇都宮・延吉・奉天の各憲兵隊長、関東憲兵隊司令部総務部長、東京憲兵隊長などを経て、昭和15年(1940年)8月、陸軍少将に進級した。
澤山 勇三郞(さわやま ゆうざぶろう、1860年7月17日(… 澤山 勇三郞(さわやま ゆうざぶろう、1860年7月17日(万延元年5月29日)- 1936年(昭和11年)10月23日)は日本の数学者、陸軍教授。澤山-テボーの定理やフォイエルバッハの定理について20通り以上の証明を与えたことで知られる。 1860年(万延元年)、酒造業の武安治平の五男として長州藩厚狭郡二俣瀬村(現・宇部市)に生まれる。家業を継ぐ予定であったが、本人の強い希望で16歳のとき山口県の鴻城学舎に入り、英語・数学を学ぶ。当時県内には優れた英語教育者が少なかったので、ハワイ帰りで地元の刑務所に服役していた者から英語を学んだというエピソードがある。24歳で萩中学校の準助教諭となり、29歳の時に数学の中等教員の免状を得た。