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衛藤 博昭(えとう ひろあき、1979年11月25日 - )… 衛藤 博昭(えとう ひろあき、1979年11月25日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(1期)。元大分県議会議員(2期)。 大分市出身。大分市立住吉小学校、大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高校を経て、慶應義塾大学商学部卒業。三菱重工業で9年間勤務したのち、2015年より大分県議会議員を2期務める。 2022年11月、自由民主党大分県連は次期衆院選大分1区に衛藤を擁立すると決定。 2024年10月15日、第50回衆議院議員総選挙が公示され、大分1区からは無所属前職の吉良州司など計4人が立候補したが、吉良が当選し、衛藤は比例復活も出来ず落選した。 2026年2月の第51回衆議院議員総選挙においては、同選挙区にて衛藤が無所属の吉良ら4人を破り初当選した。
石川 正史(いしかわ まさし、1976年7月15日 - )は… 石川 正史(いしかわ まさし、1976年7月15日 - )は、日本の政治家、YouTuber、会社役員。大分県津久見市長(1期)。元大分放送(OBS)のアナウンサー、ディレクター。 大分県大分市出身。祖父の代からパン屋を営む家庭に生まれる。大分市立中島小学校、大分市立碩田中学校(前述の2校は小学校2校と統合した上で2017年4月に義務教育学校に改編され、現在は大分市立碩田学園)、大分県立大分上野丘高等学校を経て法政大学経済学部卒業。 1999年4月に山口放送 (KRY) に入社し、2006年3月まで同局のアナウンサーを務めた。 2006年4月に大分放送へ中途入社。テレビ番組「おはようナイスキャッチ」や「かぼすタイム」の司会やラジオパーソナリティー、スポーツ実況などを担当。
穴見 陽一(あなみ よういち、1969年〈昭和44年〉7月2… 穴見 陽一(あなみ よういち、1969年〈昭和44年〉7月24日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の前衆議院議員(3期)、株式会社ジョイフル第2代・第5代代表取締役社長。ジョイフル創業者の穴見保雄の長男。 同社顧問(元社長)でアメイズ副社長の児玉幸子は叔母、現社長の穴見くるみは妻、アメイズ現社長の穴見賢一は実弟である。 大分県佐伯市出身(現在は大分市中島西に在住)。大分市立碩田中学校、大分県立大分上野丘高等学校卒業。一浪後法政大学経済学部に進んだが中退。 1994年に父が経営するジョイフルに入社。1997年に地域子会社の中国ジョイフル(岡山県倉敷市)の社長に就任(ジョイフル本社はこの時点で一旦退職)。
椋野 美智子(むくの みちこ、1956年3月25日 - )は… 椋野 美智子(むくの みちこ、1956年3月25日 - )は、日本の政治家、元厚生官僚。大分県日田市長(1期)。元大分大学福祉科学研究センター教授。専門は社会保障、福祉政策、少子化対策。1998年、第2次橋本龍太郎内閣において日本政府として初めて少子化をテーマとした平成10年版厚生白書「少子社会を考える-子どもを産み育てることに『夢』を持てる社会を」を小泉純一郎厚生大臣の下、責任執筆した官僚として知られている。 大分県日田市生まれ。1978年、東京大学法学部卒業。厚生省(現・厚生労働省)に入省。在フランス社会保障制度調査員、浦和市福祉部長、内閣府高齢社会対策参事官、厚生労働省社会・援護局総務課長など政府の保健医療福祉を所管する課を歴任。
衛藤 晟一(えとう せいいち、1947年〈昭和22年〉10月… 衛藤 晟一(えとう せいいち、1947年〈昭和22年〉10月1日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(3期)、衆議院議員(4期)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、少子化対策、海洋政策)(第4次安倍第2次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(教育再生・少子化・その他国政の重要課題担当)(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣・第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣・第4次安倍第1次改造内閣)、内閣総理大臣補佐官(国政の重要課題担当)(第2次安倍内閣・第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、厚生労働副大臣(第2次小泉改造内閣)、運輸政務次官(第2次橋本内閣)、衆議院厚生労働委員長大分県議会議員(2期)、大分市議会議員(2期)、自由民主党党紀委員長、自由民主党政務調査会長代理、自由民主党参議院幹事長代行、自由民主党地方組織・議員総局長、自由民主党政務調査会副会長を歴任。
首藤 奉文(しゅとう ほうぶん、1943年(昭和18年)11… 首藤 奉文(しゅとう ほうぶん、1943年(昭和18年)11月8日 - )は、日本の政治家、元教諭。元大分県由布市長(3期)。 大分県庄内町(現・由布市)出身。大分県立大分上野丘高等学校卒業。1966年(昭和41年)3月、大分大学学芸学部卒業。同年4月、国語教諭として中学校に赴任する。 1999年(平成11年)2月、庄内町長に就任。2003年(平成15年)、2期目の当選。 2005年(平成17年)10月1日、大分郡挾間町・庄内町・湯布院町が新設合併して由布市が発足。これに伴って10月30日に行われた由布市長選挙に出馬。挾間町長の佐藤成己、湯布院町長の佐藤哲紹ら3人の候補者を破り初当選を果たした(首藤:8,538票、佐藤成己:8,424票、佐藤哲紹:7,161票、佐藤俊彦:796票)。
仲道 俊哉(なかみち としや、1929年11月25日 - )… 仲道 俊哉(なかみち としや、1929年11月25日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。 30年近くの教員生活の後、4期にわたって大分県議会議員を務め、県議会副議長などを歴任。 1998年の第18回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で立候補し、民主党公認の釘宮磐を僅差で破って初当選。2001年に発足した第1次小泉内閣では、内閣府大臣政務官(科学技術・沖縄振興担当)に任命された。 2004年の第20回参議院議員通常選挙では、民主党公認の足立信也に10万票以上の大差で敗れ、落選した。
永野 茂門(ながの しげと、1922年〈大正11年〉6月28… 永野 茂門(ながの しげと、1922年〈大正11年〉6月28日 - 2010年〈平成22年〉1月4日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官、政治家。陸上幕僚長、参議院議員(2期)、法務大臣などを歴任した。法務大臣は在任11日で辞任した。 大分県出身。大分中学校(現:大分県立大分上野丘高等学校)、広島陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科を経て、1941年7月に陸軍士官学校を卒業(第55期)し陸軍将校となる。終戦時は電信第13連隊中隊長、陸軍大尉。 戦後、公職追放を経て、陸上自衛隊に入隊し通信科出身ながら陸上幕僚長となるも、1980年に宮永スパイ事件の責を取る形で時の防衛庁長官・久保田円次とともに辞任した。 1986年、第14回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から出馬し、名簿順位は25名中21位だったが、自民党の大勝により当選した(22位までが当選)。
岩男 頴一(いわお ひでかず、1919年(大正8年)1月15… 岩男 頴一(いわお ひでかず、1919年(大正8年)1月15日 - 1976年(昭和51年)8月9日)は、昭和期の医師、政治家。参議院議員、大分県大分郡湯布院町長。 大分県速見郡、のちの由布院村(由布院町、大分郡由布院町、湯布院町を経て現由布市)で生まれた。大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)を経て、1943年(昭和18年)日本大学医学科を卒業した。同年に応召し陸軍軍医として従軍した。 復員後に帰郷し岩男医院を継承した。由布院町青年団長、大分郡連合青年団長なども務め、1952年(昭和27年)の由布院盆地ダム化計画に対して反対運動を行い、計画の中止に貢献した。 1955年(昭和30年)湯布院町の発足に伴い初代町長に就任して5期在任した。
木下 哲(きのした てつ、1911年(明治44年)6月 - … 木下 哲(きのした てつ、1911年(明治44年)6月 - 1961年(昭和36年)7月25日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 大分県宇佐郡安心院村(安心院町を経て現宇佐市)で、木下淳太郎、ウメの息子として生まれる。大分県立大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)を経て、1935年(昭和10年)日本大学法律学科を卒業した。 家業の弁当屋・梅乃屋を継承した。兄木下郁から影響を受け、1946年(昭和21年)日本社会党に入党し、1947年(昭和22年)大分県議会議員に当選し2期在任。この間、社会党大分県連書記長、同会長を務めた。1955年(昭和30年)兄の郁が大分県知事選挙に転じたことに伴い、同年2月の第27回衆議院議員総選挙で大分県第1区から右派社会党公認で出馬して初当選し、1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙では社会党公認で出馬して再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
星野 靖之助(ほしの やすのすけ、1899年(明治32年)1… 星野 靖之助(ほしの やすのすけ、1899年(明治32年)1月1日 - 1988年(昭和63年)10月8日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 大分県出身。星野太三郎の長男として生まれる。大分県立大分中学校を経て、1925年(大正14年)3月、慶應義塾大学経済学部を卒業した。 同年4月、三井鉱山に入社し、1927年(昭和2年)3月、三井合名会社に転じた三井総元方情報主任となり、司法省刑事局嘱託、内務省警保局嘱託も務めた。1942年(昭和17年)4月の翼賛選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受け旧北海道4区から出馬して当選、衆議院議員を1期務めた。この間、翼賛政治会総裁秘書、小磯内閣で小林躋造国務大臣秘書官、行政査察使随員、幣原内閣で海軍参与官、同第二復員参与官などを歴任。
西村 英一(にしむら えいいち、1897年〈明治30年〉8月… 西村 英一(にしむら えいいち、1897年〈明治30年〉8月28日 - 1987年〈昭和62年〉9月15日)は、日本の政治家。位階は従二位。姫島村名誉村民。七日会初代会長。 衆議院議員を11期務め、閣僚として厚生大臣、建設大臣などを歴任。また党職として自由民主党副総裁を務めた。「おじいちゃん」の愛称で知られ、佐藤栄作、田中角栄両元首相に対するご意見番的存在であった。 大分県東国東郡姫島村出身。大分中学、七高を経て、1924年に東北帝国大学工学部電気工学科を卒業後、鉄道省に入省。省内で佐藤栄作と知り合った。その後、運輸通信省を経て運輸省鉄道総局電気局長で退官。 1949年、第24回衆議院議員総選挙に吉田茂率いる民主自由党公認で立候補し初当選(当選同期に池田勇人・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
木下 郁(きのした かおる、1894年3月13日 - 198… 木下 郁(きのした かおる、1894年3月13日 - 1980年6月19日)は、日本の政治家。元衆議院議員(1942年 - 1945年、1952年 - 1955年)、元大分市長(官選)(1945年 - 1947年)、元大分県知事(1955年 - 1971年)。大分県知事としては、官選も含めると第41 - 44代、公選のみでは第3 - 6代にあたる。 大分県宇佐郡安心院村(現宇佐市)出身。旧制宇佐中学校(現宇佐高校)、旧制第五高等学校を経て、1918年に東京帝国大学法科を卒業。三井物産、兵役、英語教師(旧制大分中学校(現大分上野丘高校))、イギリス・ドイツ留学を経て、1926年に弁護士となる。 太平洋戦争下の1942年に行われた第21回衆議院議員総選挙(いわゆる翼賛選挙)において、翼賛政治体制協議会の推薦を受け当選。
一萬田 尚登(いちまだ ひさと、1893年(明治26年)8月… 一萬田 尚登(いちまだ ひさと、1893年(明治26年)8月12日 - 1984年(昭和59年)1月22日)は、日本の銀行家、政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。姓は新字体で一万田とも表記される。 日本銀行総裁(第18代)、大蔵大臣(第58・59・60・63代)、衆議院議員(5期)。 日本銀行総裁としての在任期間3115日間は黒田東彦に次ぐ歴代2位である。一萬田自身の鋭い眼光の目つきと彫りの深い容貌もあいまって「法王」の異名を取り、戦後の金融界、経済界に重きを成した。 太平洋戦争後、連合国軍最高司令官総司令部占領下のインフレと資金不足の困窮経済のなか、大蔵省ではなく金融政策を掌る日本銀行が実質的に金融行政を掌握していたことが一萬田の力の背景にあった。
山口 馬城次(やまぐち まきじ、1892年(明治25年)8月… 山口 馬城次(やまぐち まきじ、1892年(明治25年)8月6月 - 1987年(昭和62年)6月17日)は、大正から昭和期の山林地主、実業家、政治家。衆議院議員、大分県宇佐郡麻生村長、初代旧宇佐市長、宇佐市名誉市民。 大分県宇佐郡麻生村大字山口(四日市町を経て現宇佐市)で、山口格の二男として生まれる。大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)を経て、1914年(大正3年)早稲田大学専門部政治経済科を卒業した。帰郷して1924年(大正13年)父の隠居に伴い家督を相続し農業を営む。 1930年(昭和5年)麻生村長に就任し4期在任。1931年(昭和6年)大分県会議員に選出され3期在任し、同副議長を務め、1940年(昭和15年)同議長に就任した。
麻生 久(あそう ひさし、1891年〈明治24年〉5月24日… 麻生 久(あそう ひさし、1891年〈明治24年〉5月24日 - 1940年〈昭和15年〉9月6日)は、大正・昭和期の政治家・労働運動家。戦前の無産政党・社会大衆党の党首を務めた。 大分県玖珠郡東飯田村(現:九重町)生まれ。旧制大分中学校(現:大分県立大分上野丘高等学校)、1913年第三高等学校を経て、1913年東京帝国大学仏法科に入学。学生時代はトルストイ、ツルゲーネフなどロシア文学に熱中し、これがロシア革命に関心を寄せる契機となった。また女性関係も派手であったといわれている。 東大卒業後の1917年、東京日日新聞(現:毎日新聞)に入社(後に退社)。翌1918年には東日紙上に「ピーターからレーニンまで」を連載しロシア革命を支持した。
麻生 益良(あそう ますよし、1885年(明治18年)6月 … 麻生 益良(あそう ますよし、1885年(明治18年)6月 - 1949年(昭和24年)8月1日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 醸造業・麻生観八の長男として、大分県玖珠郡、のちの東飯田村(現九重町)で生まれる。県立大分中学校に学んだが病のため中退した。1921年(大正10年)玖珠実業銀行相談役となり、のち同行頭取に就任した。1935年(昭和10年)大分県選挙粛正委員となり、ついで同農地委員、同酒造組合連合評議員、九州水力電気、大分人造羊毛各監査役、森水力電気相談役などを歴任した。 1939年(昭和14年)大分県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
朝倉 毎人(あさくら つねと、1882年〈明治15年〉5月2… 朝倉 毎人(あさくら つねと、1882年〈明治15年〉5月21日 - 1971年〈昭和46年〉8月10日)は、大正から昭和期の日本の実業家、政治家。衆議院議員、竹田市名誉市民。 大分県直入郡、のちの豊岡村(竹田町、豊岡村(第二次)を経て現:竹田市)で、公吏朝倉親為の五男として生まれる。1900年(明治33年)大分中学校(現:大分県立大分上野丘高等学校)を卒業。第五高等学校法科を経て、1907年(明治40年)京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業した。 富士瓦斯紡績(現:富士紡ホールディングス)に入社。同社常務取締役、静岡県方面委員、朝鮮産業経済調査委員、満州紡績取締役、第二富士電力取締役、大井川鉄道取締役、富士電力取締役、日産自動車専務取締役、明和紡績社長、明治紡績社長、日本自動車配給社長、日本機械輸出振興取締役などを務めた。
小野 義夫(おの よしお、1880年(明治13年)10月2日… 小野 義夫(おの よしお、1880年(明治13年)10月2日 - 1956年(昭和31年)10月13日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。位階は正五位。参議院議員。 大分県大分郡、のちの南庄内村(庄内村、庄内町を経て現由布市)で、小野同雲の二男として生まれる。大分県立大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)を経て、1905年(明治38年)早稲田大学法科を卒業した。 神奈川県の依頼で満州の利源調査委員に就任し、絹、綿の調査を実施し、そのことがきっかけで1907年(明治40年)古河鉱業(現古河機械金属)に入社し、本社課長を務めた。ラサ島燐礦株式会社(現ラサ工業)の債務整理で実績を上げ、同社常務取締役、古河鉱業重役、関西硫酸監査役などを務めた。
森 環(もり たまき、1876年(明治9年)6月1日 - 1… 森 環(もり たまき、1876年(明治9年)6月1日 - 1950年(昭和25年)12月21日)は、明治から昭和期の農業指導者、実業家、政治家。衆議院議員、大分県議会議員、大分県大野郡上井田村長を務めた。 大分県大野郡下野村(上井田村大字下野、朝地村、朝地町を経て、現在の豊後大野市朝地町下野)で、大地主、酒造業・森鵜吉の長男として生まれた。1898年(明治31年)大分県立大分中学校(現在の大分県立大分上野丘高等学校)を卒業した。1905年(明治38年)3月、家督を相続し、農業、酒造業を営む。 有限責任信用販売購買組合を設立し組合長に就任し、上井田村農会長も務めて18年間在任した。1914年(大正3年)大野郡畜産組合長となり30年間在任し、豊後牛の改良などに尽力した。
小野 廉(おの すなお、1875年(明治8年)2月12日 -… 小野 廉(おの すなお、1875年(明治8年)2月12日 - 1952年(昭和27年)12月3日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、大分市長、別府市長。弁護士。 大分県大分郡、のちの阿南村(庄内村、庄内町を経て現由布市)で医者の家に生まれる。大分中学校を経て、1902年(明治35年)、東京法学院(現在の中央大学)を卒業。弁護士を開業し、後に大分弁護士会長を務めた。大分市会議員、同参事会員、大分県会議員、同参事会員、同議長に選出された。1935年(昭和10年)、別府市長に就任した。 1936年(昭和11年)、第19回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第20回でも再選された。その間、1938年(昭和13年)に大分市長に選出された。