スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
平尾 喜一(ひらお きいち、1893年(明治26年)12月1… 平尾 喜一(ひらお きいち、1893年(明治26年)12月18日 - 1971年(昭和46年)5月28日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 沖縄県、のちの那覇市で実業家・平尾喜三郎の長男として生まれる。沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)を修了した。 家業の平尾商店に勤務し、その後、同商店の経営を弟・喜治郎に委ね、ライジングサン石油沖縄県代理店、新垣・平尾自動車社長、沖縄県石油統制配給社長、沖縄県自動車整備配給社長、沖縄県製瓦販売社長、琉球新報社長、沖縄新報常務取締役、那覇商工会議所議員などを務めた。 政界では、那覇市会議員を務め、1939年、貴族院多額納税者議員選挙で当選して、同年9月29日、同議員に就任し、交友倶楽部に所属して活動し、1941年5月2日に辞職した。
佐喜眞 興英(さきま こうえい、1893年(明治26年)10… 佐喜眞 興英(さきま こうえい、1893年(明治26年)10月26日 - 1925年(大正14年)6月13日)は、沖縄県宜野湾市出身で、民俗学者。 1912年、沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)を首席で卒業し。その後上京して1915年に第一高等学校独法科を卒業し、東京帝国大学独法科に入学。在学中から柳田國男に目をかけられた。1921年に帝大を卒業すると、裁判官になり福岡市・東京市・大阪市・岡山県津山市など各地に赴任。1925年、津山にて、肺結核のため31歳で死去。死後、穂積陳重の教えを受けて行った古代母権制研究が『女人政治考』として出版された。 16歳で新城ウタと結婚し一女(貞子)をもうけるが28歳の時に離婚。
伊礼 肇(伊禮 肇、いれい / いれ はじめ、1893年(明… 伊礼 肇(伊禮 肇、いれい / いれ はじめ、1893年(明治26年)10月15日 - 1976年(昭和51年)6月7日)は、沖縄県出身の日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 沖縄県中頭郡北谷村(現北谷町)字北谷で、農家・伊礼昆正の三男として生まれる。沖縄県立第一中学校から第七高等学校造士館に進学し、1916年に同校理科を卒業。京都帝国大学法学部法律学科(独法)に進学し、1919年7月に卒業した。 同年に帰郷して沖縄県属となり地方課に配属。要請を受け1920年8月に北谷村長に就任。村政改革を進めたが保守勢力との対立を引き起こした。1923年11月に村長を辞して那覇に法律事務所を開設。1924年5月の第15回衆議院議員総選挙に憲政会の公認を受けて沖縄県から出馬したが落選。
平良 辰雄(たいら たつお、1892年4月6日 - 1969… 平良 辰雄(たいら たつお、1892年4月6日 - 1969年7月26日)は、戦前の沖縄県の官僚で、沖縄群島政府及び琉球政府の政治家。
伊豆見 元永(いずみ もとなが、1891年(明治24年)11… 伊豆見 元永(いずみ もとなが、1891年(明治24年)11月12日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の政治家。沖縄県首里市長。 伊豆見元功の長男として、首里山川村(現沖縄県那覇市首里山川町)に生まれる。1910年(明治43年)沖縄県立第一中学校を卒業後、沖縄県第1回の貸費生として垣花恵常と共に東亜同文書院に入学する。1913年(大正2年)3月、同院を卒業し、三井物産上海支店に勤務する。のち芝罘出張所長を経て、上海支店に戻り会計事務を担当し、1931年(昭和6年)東京本社参事室勤務となり翌年10月に退社した。上海在任中は同地の沖縄県人会長を務めた。その後、郷里にて沖縄物産販売業などに従事した。
仲井間 宗一(なかいま そういち、1891年(明治24年)3… 仲井間 宗一(なかいま そういち、1891年(明治24年)3月13日 - 1965年(昭和40年)12月2日)は、沖縄県出身の日本の弁護士、政治家。衆議院議員。 名護間切名護(現名護市)で、仲井間宗宣の長男として生まれる。1911年、沖縄県立第一中学校5年に在学中に上京。苦学して日本大学専門部法律科に入学。1922年、弁護士試験に合格。 1923年に帰郷して那覇に弁護士事務所を開業した。その後、那覇弁護士会会長に就任。 1930年2月の第17回衆議院議員総選挙で沖縄県選挙区から立憲民政党所属で出馬して当選。その後、第19回 から第21回総選挙まで連続三回の当選を果たし、衆議院議員を通算四期務めた。
中村 茂(なかむら しげる、1891年 - 1969年)は、… 中村 茂(なかむら しげる、1891年 - 1969年)は、沖縄県の空手家。昭和期の空手家で、沖縄拳法の創始者。 1891年(明治24年)、父・中村幸吉、母・カメの長男として沖縄本島北部の名護間切(現・名護市)に生まれた。幼少の頃より祖父や親戚から武勇伝を聞いて育ち、武術に興味を持った。夭折した父やその弟にあたる叔父・中村貞一から「手(ティー)」と琉球古武術の手ほどきを受けた後、沖縄県立第一中学校(現・首里高校)に入学。屋部憲通、花城長茂、東恩納寛量、糸洲安恒らから空手の指導を受ける。当時の一中の唐手師範は糸洲安恒、師範代は花城長茂だったので、中村は両者に師事したものと思われる。卒業後は名護に戻り、そこで「久茂地の山原国吉(やんばるくにし)」こと、国吉真吉にも師事した。
仲吉良光(なかよし りょうこう、1887年(明治20年)5月… 仲吉良光(なかよし りょうこう、1887年(明治20年)5月23日 - 1974年(昭和49年)3月1日)は、沖縄県出身のジャーナリスト、政治家。後半生を沖縄の日本復帰運動に挺身し、「復帰男」「沖縄復帰の父」と呼ばれた。 首里儀保村に生まれる。1908年、沖縄県中学校を卒業し、早稲田大学英文科に入学する。大学在学中はキリスト教と文学に傾倒した。1912年、早稲田大学を卒業し、『琉球新報』記者となり、のちに『沖縄朝日新聞』を創設した。1919年に上京し、『東京日日新聞』記者となる。1921年にはアメリカ合衆国に移住し、1923年、ロサンゼルスの羅府新報社に入社し、1925年には帰国し、東京日日新聞社に再入社する。
当真 嗣合(とうま しごう、1884年(明治17年)11月1… 当真 嗣合(とうま しごう、1884年(明治17年)11月10日 - 1946年(昭和21年)8月24日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、ジャーナリスト。
長嶺 亀助(ながみね かめすけ、1884年(明治17年)5月… 長嶺 亀助(ながみね かめすけ、1884年(明治17年)5月1日 - 1975年(昭和50年)10月21日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。 沖縄県(旧小禄村當間)出身。農業・長嶺松助の孫として生れる。小禄尋常小学校、那覇尋常高等小学校、沖縄第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)を経て、1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第24連隊付となる。歩兵第24連隊大隊副官などを経て、1916年(大正5年)11月、陸軍大学校(第28期)を卒業し歩兵第24連隊中隊長に就任。 1917年(大正6年)12月、参謀本部付勤務となり、1918年(大正7年)2月、中国出張を命ぜられ、同年9月から1920年(大正9年)7月までイリに滞在し、同年12月、北京に到着した。
志喜屋 孝信(しきや こうしん、1884年(明治17年)4月… 志喜屋 孝信(しきや こうしん、1884年(明治17年)4月19日 - 1955年1月26日)は、日本の教育者、政治家。太平洋戦争後、アメリカ統治下の沖縄で、沖縄諮詢会委員長や初代沖縄民政府知事のほか、沖縄最初の大学である琉球大学の初代学長を務めた。 沖縄県中頭郡具志川(現・うるま市宮里)出身。1904年(明治37年)、旧制沖縄県立中学校(現・沖縄県立首里高等学校)卒業。1908年(明治41年)に広島高等師範学校(現・広島大学)を卒業する。在学中、内村鑑三の著書に影響を受ける。 最初は私立金光中学校、熊本県立鹿本中学校に勤務した後、沖縄県立第二中学校に赴任する。そして1924年(大正13年)に同校の校長に就任する。
東恩納 寛惇(ひがおんな かんじゅん、1882年10月14日… 東恩納 寛惇(ひがおんな かんじゅん、1882年10月14日 - 1963年1月24日)は、沖縄の歴史学者・郷土史家・沖縄史家。東京帝国大学卒業。旧制府立高等学校、法政大学、拓殖大学各教授、拓殖大学図書館長、拓殖大学第一高等学校四代校長。沖縄県那覇出身。 1882年10月14日、新参慎氏の父東恩納寛裕母真呉勢の四男として沖縄県那覇東町に生まれる。沖縄県中学校(現・沖縄県立首里高等学校)、第五高等学校文科(現・熊本大学)を経て、1908年に東京帝国大学文科大学史学科卒業。東京府立一中教諭、高千穂高等商業学校(現高千穂大学)教員、府立高等学校や法政大学、拓殖大学等の教授を務めた。死後、琉球新報社によって「東恩納寛惇賞」が創設された。
伊波 月城(いは げつじょう)として知られた、伊波 普成(い… 伊波 月城(いは げつじょう)として知られた、伊波 普成(いは ふせい、1880年(明治13年)12月27日 - 1945年(昭和20年)5月30日)は、沖縄県のジャーナリスト、琉歌の歌人。「沖縄学の父」と称される伊波普猷の弟。 1880年(明治13年)12月27日に、当時の那覇西村(後の那覇市西)で、父・伊波普済、母・マツルの間に生まれた。 兄・普猷とともに、沖縄県尋常中学校(後の沖縄県立第一中学校などを経て、沖縄県立首里高等学校に系譜が繋がる)に学び、1895年(明治28年)から1896年(明治29年)にかけて、普猷ら上級生が主導した尋常中学校ストライキ事件の際には、下級生としてこれに加わったが、最終的に学校に残り、1899年(明治32年)に卒業した。
漢那 憲和(かんな けんわ、1877年(明治10年)9月6日… 漢那 憲和(かんな けんわ、1877年(明治10年)9月6日 - 1950年(昭和25年)7月29日)は、日本の海軍軍人、政治家。衆議院議員、平沼内閣内務政務次官。最終階級は海軍少将。海軍兵学校27期卒。沖縄県出身。 大正年間に当時の皇太子(昭和天皇)の欧州遊学の際、御召艦「香取」の艦長を務めた事で知られる。退役後は地元の沖縄県から選出され、衆議院議員となった。戦前最後の沖縄県選出議員の一人である。 1877年(明治10年)、漢那憲慎・オトの長男として琉球国那覇西村(現・沖縄県那覇市西)に生まれる。先祖は福州との貿易に従事していた。 1892年(明治25年)、沖縄県尋常中学校(後の沖縄県立第一中学校、現在の沖縄県立首里高等学校)に入学。
伊波 普猷(いは ふゆう、1876年(明治9年)3月15日 … 伊波 普猷(いは ふゆう、1876年(明治9年)3月15日 - 1947年(昭和22年)8月13日)は、日本の民俗学者・言語学者。沖縄学の父と言われている。沖縄県那覇市出身。 琉球藩那覇西村(現在の那覇市西)に父普済・母マツルの長男として生まれる。1903年(明治36年)、第三高等学校を卒業した後、東京帝国大学で言語学を専攻する。帝大では、橋本進吉、小倉進平、金田一京助らの学友とともに、新村出の講義を聴講した。また、東京帝国大学では上田萬年の講義を聴講していた鳥居龍蔵(同大学助手)と出会い親交を深めた。1904年(明治37年)、沖縄に帰省する伊波は鳥居を沖縄での人類学調査に誘い、鳥居は伊波の実家に数日滞在して調査を行った。
金城 紀光(かなぐすく / きんじょう きこう、1875年(… 金城 紀光(かなぐすく / きんじょう きこう、1875年(明治8年)11月4日 - 1967年(昭和42年)8月10日)は、沖縄県出身の医師、政治家。衆議院議員、那覇市長。
真境名 安興(まじきな あんこう、1875年5月20日〈同治… 真境名 安興(まじきな あんこう、1875年5月20日〈同治14年4月15日〉 - 1933年〈昭和8年〉12月28日)は、ジャーナリスト、歴史学者、沖縄学の研究者。伊波普猷、東恩納寛惇とともに、戦前の沖縄学における「御三家」と呼ばれる。著書に「沖縄一千年史」、「琉歌大観」など。 五大姓の一つ、毛氏池城殿内(元祖・新城親方安基)の支流・毛氏真境名家(系祖・玉城里之子親雲上安暉)の分家13世。父・真境名安布、母・毛氏真牛の次男として首里桃原村(現・桃原町)に生まれる。唐名は毛居易、童名は樽金(タルガネ)。長兄・安宏が真境名本家の養子となったため、安興が父・安布の家督を継いだ。 首里小学校を経て、沖縄県師範学校附属小学校に学び、1891年(明治24年)に沖縄県尋常中学校(のちの県立一中、現・沖縄県立首里高等学校)へ進学した。
大城 兼義(おおしろ けんぎ / かねよし、1871年8月1… 大城 兼義(おおしろ けんぎ / かねよし、1871年8月11日(尚泰24年6月25日)- 1951年(昭和26年)11月11日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 琉球王国小禄間切宇栄原(のち沖縄県島尻郡小禄村、現那覇市小禄字宇栄原)で、屋号新屋敷・大城三郎の長男として生まれる。小禄小学校、島尻高等小学校を経て、1890年(明治23年)沖縄県立第一中学校(現沖縄県立首里高等学校)に入学したが、3年で退学した。1896年(明治29年)長崎鎮西学館(鎮西学院)神学科沖縄支部を卒業し、伝道師としてキリスト教の布教に従事した。 1901年(明治34年)から臨時沖縄県土地整理事務局で測量に従事。
屋部 憲通(やぶ けんつう、1866年10月31日(尚泰王1… 屋部 憲通(やぶ けんつう、1866年10月31日(尚泰王19年9月23日) - 1937年(昭和12年)8月27日)は、戦前活躍した沖縄県の唐手家で陸軍軍人。最終階級は陸軍中尉。松村宗棍に師事した首里手の大家で松茂良興作、糸洲安恒にも師事した。 1866年(尚泰19年、慶応2年)、屋部憲通は首里山川村(ヤマガー)(現・那覇市首里山川町)に生まれた。隣家が松村宗棍宅であり幼少の頃から松村に唐手を師事した。屋部は松村死去後は同門で兄弟子の糸洲安恒の門下となった。屋部は他にも本部朝勇、本部朝基とともに泊手の松茂良興作に師事し変手を磨いた。 1890年(明治23年)、屋部は沖縄県立第一中学校(現・沖縄県立首里高等学校)を中退して陸軍教導団に志願入団した。
伊波 月城 として知られた、伊波 普成 は、沖縄県のジャーナ… 伊波 月城 として知られた、伊波 普成 は、沖縄県のジャーナリスト、琉歌の歌人。「沖縄学の父」と称される伊波普猷の弟。
神山 政良 は、沖縄県出身の大蔵官僚、祖国復帰運動家。
山城 正忠 は、明治から昭和にかけて活動した歌人、小説家。唐… 山城 正忠 は、明治から昭和にかけて活動した歌人、小説家。唐名は胡 之忠。
高安 玉兎 は、琉球王国第二尚氏王統の分家士族である高安殿内… 高安 玉兎 は、琉球王国第二尚氏王統の分家士族である高安殿内の十三世。毛氏 我謝家の五男であったが、高安殿内十二世 朝常 に後継ぎがおらず、養嗣子となった。旧名は我謝盛翼。
又吉 康和 は、日本のジャーナリストである。琉球新報社長、那… 又吉 康和 は、日本のジャーナリストである。琉球新報社長、那覇市長を務めた。
亀川 哲也 は、日本の思想家、国家主義者。民間人ではあるが二… 亀川 哲也 は、日本の思想家、国家主義者。民間人ではあるが二・二六事件に関与した(詳細は同事件の記事を参照のこと)。
尚 琳 は、大正から昭和期の教育者、政治家、華族。貴族院男爵… 尚 琳 は、大正から昭和期の教育者、政治家、華族。貴族院男爵議員、宜野湾御殿2世。
金城 朝永 は、沖縄県出身の沖縄研究者。特に琉球方言の研究を… 金城 朝永 は、沖縄県出身の沖縄研究者。特に琉球方言の研究を行った。
下地 紫野 は、日本の女性声優、歌手。沖縄県出身。青二プロダ… 下地 紫野 は、日本の女性声優、歌手。沖縄県出身。青二プロダクション所属。
平良 交一(たいら こういち)は日本で活動するミュージカル俳… 平良 交一(たいら こういち)は日本で活動するミュージカル俳優および元オペラ歌手である。沖縄県出身。劇団四季所属。 沖縄県立首里高等学校卒業後、琉球大学を経て東京芸術大学を卒業した。1996年に新国立劇場でのオペラ公演でオペラ歌手として初出演し、以降バリトンオペラ歌手として活動していた。2007年7月に劇団四季のオーディションに合格し、演目契約で出演したオペラ座の怪人のブケー役で四季での初舞台出演を果たし、その後も演目契約で複数作品への出演を経て正式に劇団四季へ入団した。2016年に日本初演を迎えたノートルダムの鐘東京公演ではアンサンブル役のオリジナルキャストとして出演した。また2024年に初演を迎えたゴースト&レディ東京公演でも同様にアンサンブル役のオリジナルキャストとして出演している。
喜納 育江(きな いくえ)は、日本のアメリカ文学者。琉球大学… 喜納 育江(きな いくえ)は、日本のアメリカ文学者。琉球大学初の女性学長、国立大学協会副会長。専門はアメリカ文学、沖縄文学、エコフェミニズム文学、ジェンダー研究。Ph.D(ペンシルベニア州立インディアナ大学)。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立首里高等学校卒業、1990年琉球大学法文学部文学科卒業、1993年ペンシルベニア州立インディアナ大学英米文学部修士課程修了、1996年ペンシルヴェニア州立インディアナ大学英米文学部大学院課程博士課程修了。 1996年琉球大学法文学部講師、2001年同助教授、2003年琉球大学大学院人文社会科学研究科担当、2011年琉球大学法文学部教授。 2012年琉球大学うない研究者支援センター長、2014年同男女共同参画室長、2015年同ジェンダー協働推進室長、2018年同国際地域創造学部教授、2019年同学長補佐、2022年琉球大学大学院地域共創研究科担当、同年琉球大学附属図書館長、2023年琉球大学副理事・副学長。