スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
藤縄 謙三(ふじなわ けんぞう、1929年12月15日 - … 藤縄 謙三(ふじなわ けんぞう、1929年12月15日 - 2000年10月4日)は、日本の西洋古典学者。京都大学名誉教授。専門は古代ギリシア史、ホメロスからエウリピデスまでの古代ギリシア思想史・社会史・文化史の研究を行った。京都大学学術出版会の『西洋古典叢書』発足刊行にも中心的な役割を果たした。 新潟県生まれ。旧制新潟高校を経て、1953年京都大学文学部史学科卒、1955年同大学院文学研究科修士課程修了。同年9月に同博士課程退学後、大阪府立大学教育学部助手。同大学教養部助手、講師、助教授を経て、1970年に京都大学助教授に就任。1979年同教授(西洋史学第一講座)。1993年に京都大学を定年退職、同大学名誉教授、京都女子大学教授。
平野 朝雄(ひらの あさお、1926年〈大正15年〉11月2… 平野 朝雄(ひらの あさお、1926年〈大正15年〉11月26日 - 2019年〈令和元年〉7月25日)は、アメリカ合衆国・日本の神経病理学者・脳神経内科医。 ニューヨーク州のモンテフィオーレ病院(Montefiore Medical Center)、アルバート・アインシュタイン医学校 教授として神経病理学・神経学の発展に貢献し、黎明期の神経学を担う多数の日本人研究者を育成した。 旧制新潟高等学校に進学後、京都大学医学部に進学し1952年に卒業。同年に大阪アメリカ陸軍病院(現:大阪赤十字病院)で初の日本人実習生として荒木淑郎と共に1年間インターンを行う。現地の医師から留学を薦められ、アメリカに留学することを決意する。
宮尾 益英(みやお ますひで、1921年〈大正10年〉11月… 宮尾 益英(みやお ますひで、1921年〈大正10年〉11月28日 - 1994年〈平成6年〉5月29日)は、日本の小児科学者、小児科医。医学博士(東京大学・1953年)。徳島大学名誉教授、杏林大学名誉教授。 新潟県北蒲原郡京ヶ瀬村大字猫山(現 阿賀野市猫山)の10代続く医師の家・宮尾家の四男として新潟県新潟市西大畑町(現 新潟市中央区西大畑町)で育つ。 1939年(昭和14年)3月に新潟中学校を卒業、1942年(昭和17年)3月に新潟高等学校を卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 実地修練後、1948年(昭和23年)10月に東京大学医学部小児科学教室(担任:詫摩武人教授)に入局、1949年(昭和24年)に助手に就任、1953年(昭和28年)5月に徳島大学医学部小児科学教室(担任:北村義男教授)助教授に就任、1964年(昭和39年)8月にドイツのマールブルク大学に留学、ホルスト・ビッケル(ドイツ語版、英語版)に師事、1968年(昭和43年)12月から1969年(昭和44年)12月までドイツのハイデルベルク大学に留学、ホルスト・ビッケルに師事、1970年(昭和45年)5月に徳島大学医学部小児科学教室第2代教授に就任、1974年(昭和49年)4月に徳島大学医学部附属看護学校第12代学校長に就任、1976年(昭和51年)2月に徳島大学医学部附属病院第13代病院長に就任、1977年(昭和52年)10月に徳島大学医学部附属助産婦学校第4代学校長に就任、1982年(昭和57年)4月に徳島大学医学部第12代学部長に就任、1987年(昭和62年)3月に徳島大学を定年退官、同年4月に徳島大学名誉教授の称号を受称、杏林大学客員教授に就任、東京海上メディカルサービス顧問に就任、1990年(平成2年)3月に千葉県柏市松ケ崎に宮尾クリニックを開業。
山崎 敬(やまざき たかし、1921年1月6日 - 2007… 山崎 敬(やまざき たかし、1921年1月6日 - 2007年2月2日)は日本の植物学者である。 小田原で生まれ、横浜で育つ。旧制新潟高校を経て、1944年に東京帝国大学を卒業した。植物分類学の本田正次の研究室で研究を続けた。1954年から東京大学講師、1972年から東京大学付属植物園助教授、1980年、教授。 1960年代にブータンでの現地調査や、小笠原諸島の学術調査に参加した。ゴマノハグサ科、ツツジ科などの分類群を研究し、早田文蔵の残したインドシナ採集標本の整理をすすめた。 1987年から1988年の間、日本植物分類学会の会長を務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
村山 登(むらやま のぼる、1918年〈大正7年〉12月1日… 村山 登(むらやま のぼる、1918年〈大正7年〉12月1日 - 2015年〈平成27年〉1月22日)は、日本の農林技官、植物栄養・肥料学者。農学博士。元農林省農業技術研究所化学部作物栄養科長、元東京農工大学農学部長。東京農工大学名誉教授。 新潟県新潟市出身。1935年(昭和10年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1938年(昭和13年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)3月に東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業。 1941年(昭和16年)4月に農林省農事試験場助手に就任、1943年(昭和18年)7月に応召、1945年(昭和20年)9月に復員、農事試験場に勤務、1950年(昭和25年)4月に農林省農業技術研究所化学部作物栄養科作物栄養第2研究室長に就任、1961年(昭和36年)3月に東京大学から農学博士の学位を取得、1964年(昭和39年)5月に農林省農業技術研究所化学部作物栄養科長に就任。
横田 伊佐秋(よこた いさあき、1916年〈大正5年〉12月… 横田 伊佐秋(よこた いさあき、1916年〈大正5年〉12月25日 - 1998年〈平成10年〉1月14日)は、日本の物理学者。理学博士。新潟大学名誉教授。専門は物性物理学。 九州帝国大学医科大学生理学教室助手・横田武三(本籍:埼玉県)の長男として出生。1917年(大正6年)9月の父・横田武三の新潟医学専門学校生理学教室第2代教授への就任に伴って新潟県新潟市(現 新潟市中央区)に転居。 1933年(昭和8年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1936年(昭和11年)3月に新潟高等学校を卒業、1939年(昭和14年)3月に東京帝国大学理学部物理学科を卒業。 1939年(昭和14年)に北海道帝国大学理学部助手に就任、1942年(昭和17年)5月に中央気象台附属気象技術官養成所教授に就任、1946年(昭和21年)7月に新潟高等学校教授に就任。
宮村 定男(みやむら さだお、1915年〈大正4年〉2月19… 宮村 定男(みやむら さだお、1915年〈大正4年〉2月19日 - 2011年〈平成23年〉11月25日)は、日本の細菌学者、医師。医学博士。新潟大学名誉教授。趣味はバイオリンと水泳。 新潟県北蒲原郡川東村大字下羽津(現 新発田市下羽津)出身。1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1934年(昭和9年)3月に新潟高等学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟医科大学を卒業。 1938年(昭和13年)3月に新潟医科大学細菌学教室(担任:宮路重嗣教授)副手に就任、12月に助手に就任、1943年(昭和18年)1月に医学博士の学位を取得、10月に新潟医科大学細菌学教室(担任:伊藤泰一教授)講師に就任。
馬場 金太郎(ばば きんたろう、1912年〈明治45年〉6月… 馬場 金太郎(ばば きんたろう、1912年〈明治45年〉6月28日 - 1993年〈平成5年〉1月6日)は、日本の医学博士、昆虫学者。新潟県で黒川病院、村上精神病院を設立し医療に貢献、また昆虫の研究に多大な業績を残した。 1912年(明治45年)、千葉県安房郡富浦町(現南房総市)に生まれる。旧姓は酒井。小学生の頃に、医院をひらいていた馬場家の養子として、新潟県北蒲原郡黒川村に移る。1930年(昭和5年)に新発田中学を卒業、1935年(昭和10年)に新潟高等学校を卒業する。1939年(昭和14年)に新潟医科大学を卒業後、同大学の解剖学教室の助手に任ぜられるが、10月に召集を受ける。軍医として中国に駐在していたが1946年(昭和21年)6月に復員し、1947年(昭和22年)5月に『南支広東「デルタ」に於ける「アノフェレス」蚊の「マラリア」流行病学的研究』で医学博士の学位を取得する。
長濱 政壽(ながはま まさとし、1911年1月1日 - 19… 長濱 政壽(ながはま まさとし、1911年1月1日 - 1971年5月21日)は、日本の行政学者、政治学者。京都大学名誉教授。辻清明と並ぶ行政学第2世代の一人。新潟県新潟市生まれ。「長浜 政寿」とも表記される。 1931年、新潟高等学校文科甲類卒業。1934年、京都帝国大学法学部政治科卒業。同年、京都帝国大学法学部助手。1936年、京都帝国大学法学部専任講師。1938年、京都帝国大学法学部助教授に就任。1945年、京都帝国大学法学部教授に就任。1956年、京都大学評議員。1960年、京都大学より法学博士を取得。1961年、国家公務員採用上級甲乙種試験専門試験委員。1967年、京都大学法学部長。1971年、京都大学評議員。
山添 三郎(やまぞえ さぶろう、1908年〈明治41年〉10… 山添 三郎(やまぞえ さぶろう、1908年〈明治41年〉10月20日 - 2007年〈平成19年〉1月15日)は、日本の生化学者、エスペラント学者、医師。医学博士。群馬大学名誉教授、世界エスペラント協会名誉会員。元日本エスペラント学会参与。 新潟県新潟市田中町(現 新潟市中央区田中町)出身。1925年(大正14年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1928年(昭和3年)3月に新潟高等学校を卒業、1932年(昭和7年)3月に新潟医科大学を卒業。 1932年(昭和7年)4月に新潟医科大学医化学教室助手に就任、1937年(昭和12年)1月に日本労働科学研究所に入所、4月に新潟医科大学から医学博士の学位を取得、1939年(昭和14年)9月に満州の満鉄開拓科学研究所に入所、1942年(昭和17年)2月に北京大学衛生学教授に就任、1945年(昭和20年)に太平洋戦争に陸軍軍医として応召、青島で終戦、最終階級は陸軍軍医少尉、1947年(昭和22年)11月に北海道の三菱美唄労働科学研究所に主任として入所。
栗原 善夫(くりはら よしお、1902年〈明治35年〉12月… 栗原 善夫(くりはら よしお、1902年〈明治35年〉12月26日 - 1977年〈昭和52年〉11月21日)は、日本の皮膚科学者、皮膚科医。医学博士。大阪医科大学名誉教授、日本皮膚科学会名誉会員。趣味は蝶の収集。 新潟県西蒲原郡味方村大字西白根(現 新潟市南区西白根)の白根尋常高等小学校訓導・栗原九十九の長男として出生。1908年(明治41年)4月の父の吉田尋常高等小学校への異動に伴って新潟県西蒲原郡吉田村(現 燕市)に転居。 吉田尋常高等小学校を経て、1921年(大正10年)3月に新潟中学校を卒業、1925年(大正14年)3月に新潟高等学校を卒業、1930年(昭和5年)3月に京都帝国大学医学部医学科を卒業。
桂 壽一(桂 寿一、かつら じゅいち、1902年6月16日 … 桂 壽一(桂 寿一、かつら じゅいち、1902年6月16日 - 1985年11月20日)は、日本の哲学者。専門は西欧近世哲学。 東京生まれ。1926年東京帝国大学卒。旧制新潟高等学校教授を経て、戦後東京大学教養学部教授を務め、1953年文学部哲学科教授、文学部長を務め、1963年定年退官、同年中央大学教授。1965年日本学士院会員。デカルトなど近世初期哲学を専攻。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松井 正夫(まつい まさお、1898年〈明治31年〉10月1… 松井 正夫(まつい まさお、1898年〈明治31年〉10月10日 - 1956年〈昭和31年〉11月17日)は、日本の有機化学者、文部官僚。元文部省学校教育局大学教育課長、新潟高等学校の最後の校長、新潟大学理学部初代学部長。位階は正三位。 新潟県新潟市学校町通2番町(現 新潟市中央区学校町通2番町)の判事・松井郡治の長男として出生。 1916年(大正5年)3月に新潟中学校を卒業、1919年(大正8年)7月に第二高等学校を卒業、1922年(大正11年)3月に東京帝国大学理学部化学科を卒業。 1922年(大正11年)6月に山口高等学校教授に就任、11月から1924年(大正13年)3月まで陸軍に入隊のため山口高等学校を休職、1931年(昭和6年)12月から1933年(昭和8年)9月まで化学の研究のためドイツやアメリカに留学。