歌川 二三子(うたがわ ふみこ、1951年(昭和26年)6月… 歌川 二三子(うたがわ ふみこ、1951年(昭和26年)6月20日 ‐ )は日本の演歌歌手。本名は小柳ふみ子(こやなぎ ふみこ)。
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歌川 二三子(うたがわ ふみこ、1951年(昭和26年)6月… 歌川 二三子(うたがわ ふみこ、1951年(昭和26年)6月20日 ‐ )は日本の演歌歌手。本名は小柳ふみ子(こやなぎ ふみこ)。
高松 志門(たかまつ しもん、1951年6月20日 - )は… 高松 志門(たかまつ しもん、1951年6月20日 - )は日本の男子プロゴルファー。作州武蔵カントリー倶楽部に所属している。 指導者として、奥田靖己など多くのプロゴルファーを育て上げた。 兵庫県立加古川東高等学校を卒業後、1975年に23歳でプロテストに合格した。1988年にはコリアンタイムズ・ポカリオープンで優勝した。1995年にはレッスンオブザイヤーを受賞している。2012年よりゴルフ用品“飛衛門ブランド”の顧問に就任していた。
並木 富士雄(なみき ふじお、1951年6月20日 - )は… 並木 富士雄(なみき ふじお、1951年6月20日 - )は、日本の経営者、銀行家。第四銀行頭取を務めた。福島県出身。 1975年に中央大学商学部を卒業し、同年に第四銀行に入行した。2005年に取締役に就任し、2008年に常務、2011年に専務を経て、2012年6月には頭取に昇格し、2021年1月には北越銀行との合併により、発足した第四北越銀行初代頭取に就任。2018年10月から2021年4月までに第四北越フィナンシャルグループ社長を務めた。 2022年11月に旭日中綬章を受章した。
森田 浩康(もりた ひろやす、1951年6月19日 - )は… 森田 浩康(もりた ひろやす、1951年6月19日 - )は、RKB毎日放送およびテレビ神奈川(TVK→tvk)の元アナウンサー。血液型はO型。 神奈川県逗子市の出身で、神奈川県立横須賀高等学校から中央大学文学部へ進学。大学生時代までは県内の実家で両親と同居していたが、大学卒業後の1974年4月1日付でアナウンサーとしてRKB毎日放送(ラジオ・テレビ兼営局)へ入社したことを機に、本社のある福岡市で単身生活を始めた。 本人によれば、小学1年時(1958年)からパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の試合をテレビ中継でよく見ていたことが高じて、当時パ・リーグに加盟していた太平洋クラブライオンズ(福岡市内の平和台球場を本拠地に使用していた球団)の試合を実況できるアナウンサーを募集していたRKBのアナウンス試験に臨んだという。
武内 和彦(たけうち かずひこ、1951年6月19日 - )… 武内 和彦(たけうち かずひこ、1951年6月19日 - )は、日本の環境学者。東京大学大学院農学生命科学研究科・農学部 生圏システム学専攻。教授・農学博士。専門は、緑地環境学、地域生態学、地球持続学(サステイナビリティ学)。和歌山県出身。
田口 信教(たぐち のぶたか、1951年6月18日 - )は… 田口 信教(たぐち のぶたか、1951年6月18日 - )は、愛媛県周桑郡壬生川町(現西条市国安)出身の元競泳選手。現役時代の種目は平泳ぎ。1972年ミュンヘンオリンピック100m平泳ぎ金メダリスト・200m平泳ぎ銅メダリスト。現在、医療創生大学理事、鹿屋体育大学名誉教授。愛媛県スポーツ推進審議会会長。西条市名誉市民。 洋画の中の外国の暮らしに憧れて、強くなれば海外に行ける、そう思い水泳を始めた田口は、優秀な指導者を求め12歳で瀬戸内海の対岸、広島県三原市に転居。研究熱心な徳田一臣の指導と、優秀なライバルとの切磋琢磨で才能が開花。田口が加入した三原三中は1964年、創部僅か5年で全国優勝。恵まれた環境で田口は泳ぐたび中学新記録を出した。
西藤 晋吉(さいとう しんきち、1951年6月17日 - )… 西藤 晋吉(さいとう しんきち、1951年6月17日 - )は、日本の実業家。丸鋸等の切削工具メーカー天龍製鋸(てんりゅうせいきょ)株式会社代表取締役社長。日本機械鋸・刃物工業会副理事長。一般社団法人日本木工機械工業会理事。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
能勢 修一(のせ しゅういち、1951年6月17日 - 20… 能勢 修一(のせ しゅういち、1951年6月17日 - 2005年8月17日)は、日本の物理学者。慶應義塾大学教授。理学博士(京都大学・1979年)。 京都府出身。京都大学理学部化学科卒業、同大学院修了。慶應義塾大学教授。 専門は統計物理学。計算物理学。分子動力学の計算において従来よりも温度を的確に制御できる手法を提案した1984年の2つの論文で最もよく知られている。この手法はウィリアム・G・フーバー(英語版)によって後に改良され、Nosé–Hoover法と呼ばれている。この手法は構造相転移の分子動力学計算などに広く利用されている。 米沢冨美子と学問上の結びつきが強かった。
和田 恭良(わだ やすよし、1951年 <昭和26年> 6月… 和田 恭良(わだ やすよし、1951年 <昭和26年> 6月17日 - )は、日本の地方公務員。長野県社会部長、同環境部長、同副知事、長野県社会福祉事業団理事長を歴任。瑞宝中綬章受章者。 長野県長野市出身、東京大学法学部卒業。1976年4月 長野県庁に入庁し、同人事課長、2003年 (平成15年) 4月 同佐久地方事務所長、2005年4月 社会福祉法人長野県社会福祉事業団西駒郷所長、2006年11月 長野県企画局長、2008年4月 同社会部長、2010年4月 同環境部長。 同年9月 阿部守一長野県知事から副知事に選任された。2014年9月退任。後任はしばらく配置されなかったが、2015年3月 加藤さゆり退任に伴って県総務部長の太田寛、上智大学准教授中島恵理が就任した。
岡田 元也(おかだ もとや、1951年〈昭和26年〉6月17… 岡田 元也(おかだ もとや、1951年〈昭和26年〉6月17日 - )は、日本の実業家。イオン取締役兼代表執行役会長・イオングループCEO。 イオン創業者で名誉会長の岡田卓也の長男。元衆議院議員で外務大臣、副総理、民進党代表(初代)などを務めた岡田克也、東京新聞政治部部長を務めた高田昌也は実弟。 三重県四日市市出身。 呉服店岡田屋を創業した四日市岡田家の家系図では、8代目当主となっている。 また、イオン岡田家の子会社経営者の息子の岡田尚也と長女がいる。 指名委員会等設置会社となったイオンにおいて、代表執行役社長のほか報酬委員と指名委員を兼務し、2020年5月時点では社外取締役の内永ゆか子や大野恒太郎、ピーターチャイルドらと指名委員会を構成していた。
森下 一仁(もりした かつひと、1951年6月16日 - )… 森下 一仁(もりした かつひと、1951年6月16日 - )は、日本の作家。SF作家、評論家。 高知学芸高等学校卒業。在学中にSF研究会を創立、一年後輩のメンバーに宮脇孝雄がいた。東京大学文学部心理学科卒。在学中は、東大SF研究会、一の日会等に参加。 高知放送に勤務し制作、報道などの仕事を経験する。1978年末に退社し上京。1979年短編『プアプア』で『SFマガジン』よりデビュー。 『SFアドベンチャー』の「森下一仁のショートノベル塾」には、森岡浩之、北野勇作、井上雅彦、鯨統一郎などの常連投稿者がいた。また、川又千秋をひきついで講師をしていた空想小説ワークショップからは浅暮三文、深堀骨がデビューしている。
酒井 光治(さかい こうじ、1951年6月16日 - )は、… 酒井 光治(さかい こうじ、1951年6月16日 - )は、日本の元俳優。北海道出身。専修大学卒。オフィスカレント、ケイティーに所属していた。特技は長唄、ダイビング。旧芸名は尾井 治安(おい ちあん)。 2019年から映像コンテンツ権利処理機構に連絡のとれない権利者として掲載されている。
相澤 雅憲(あいはら まさとし、1951年(昭和26年)6月… 相澤 雅憲(あいはら まさとし、1951年(昭和26年)6月16日 - )は、日本の実業家。昭和電線ホールディングス株式会社元社長。
八重樫 幸雄(やえがし ゆきお、1951年6月15日 - )… 八重樫 幸雄(やえがし ゆきお、1951年6月15日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督。野球解説者。 宮城県仙台市に生まれる。 仙台商高では1年生の時に一塁手、7番打者として、1967年の夏の甲子園に出場。2回戦で、同大会に優勝した習志野高と対戦し敗れている。翌1968年からは正捕手となり、夏の県大会に出場するが、東北大会準決勝で東北高と対戦し、チームは相手校のエース佐藤政夫に抑えられ惜敗した。秋は東北大会決勝で三沢高の太田幸司に完封負け。1969年夏は東北大会準決勝をで磐城高を延長15回の末に破るなどの躍進で優勝。夏の甲子園には4番打者として本大会に出場した。2回戦では広陵高の佐伯和司を打ち崩し、仙台商高は同校として初の夏の甲子園ベスト8まで駒を進めるが、準々決勝で玉島商のエース松枝克幸(法大-西川物産)に抑えられ敗退した。
垣野 多鶴(かきの たづる、1951年6月15日 - 202… 垣野 多鶴(かきの たづる、1951年6月15日 - 2021年4月4日)は、野球選手(内野手)・監督。元社会人野球・NTT東日本硬式野球部監督。第15回アジア競技大会野球日本代表監督。 長崎県佐世保市出身。長崎県立佐世保工業高等学校では、1968年の2年次に右翼手、一番打者として夏の甲子園県予選決勝に進むが、海星高に敗退。翌1969年夏も県予選準決勝で長崎工に敗れ、甲子園には届かなかった。 1970年に卒業後、東海大学に進学し内野手として活躍。首都大学野球リーグでは、いずれも秋季に4回の優勝を経験。リーグ戦通算82試合出場、297打数95安打、打率.320、12本塁打、52打点。ベストナイン6回(遊撃手1回、二塁手5回)受賞。
中桐 大寿(なかぎり だいじゅ、1951年6月15日 - )… 中桐 大寿(なかぎり だいじゅ、1951年6月15日 - )は、日本の経営システム工学者・知的財産学者。大阪工業大学知的財産学部元教授、工経会会員。工業経営学修士。青藍会副会長。日本経営工学会関西支部元役員。日本経営システム学会関西支部第7期運営委員。 専門は、経営工学/経営システム工学・経営情報学、知的財産・技術マネジメント(特にQC、MRP、OR)、マーケティング科学/経済工学・行動科学。 1974年大阪工業大学工学部工業経営学科(のちの経営工学科)卒業。1976年同大学院工業経営学専攻修士課程修了。摂南大学経営情報学部助教授などを経て、2006年大阪工業大学知的財産学部教授。2017年大阪工業大学退官。
岩崎 清隆(いわさき きよたか、1951年6月15日 - )… 岩崎 清隆(いわさき きよたか、1951年6月15日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、内野手。 博多工業高校では1968年、2年生の時に一塁手として春の選抜に出場。1回戦で平安高の池田信夫に完封負け。この試合でリリーフとして甲子園初登板を果たす。その後、エースとして今久留主邦明とバッテリーを組み、同年の秋季九州大会で決勝に進出。宮崎商の西井哲夫と投げ合うが惜敗した。1969年の春の選抜に連続出場。準々決勝で県岐阜商の鍛治舎巧に投げ勝ち、準決勝に進むが、堀越高校の但田裕介に完封負けを喫する。他の高校同期に遊撃手の入江道生がいる。 1969年ドラフト会議で東映フライヤーズから4位指名を受け入団。
佐伯 卓(さえき たかし、1951年6月14日 - )は日本… 佐伯 卓(さえき たかし、1951年6月14日 - )は日本の実業家。東邦ガス社長・会長、日本ガス協会副会長、中部生産性本部会長、愛知県公安委員会委員長等を歴任。藍綬褒章受章。 愛知県名古屋市西区生まれ。東海中学校・高等学校を経て、1974年に一橋大学経済学部を卒業し、東邦ガスに入社。 東邦ガスでは企画・財務畑を歩み、ニューヨーク事務所長、常務等を経て、水野耕太郎社長、早川敏生会長の指名を受け、2008年水野前社長の後任として社長に就任。就任時は56歳で大手都市ガス会社の中で最も若い社長となった。 電力会社によるオール電化との競合や、リーマン・ショック等による自動車向け需要や鉄鋼向け需要の減少など、ガス需要が大幅に落ち込む中、床暖房やファンヒーターなどの既存商品のほか、世界初の家庭用燃料電池「エネファーム」の販売などにより経営基盤の強化に努めた。
石飛 卓美(いしとび たくみ、1951年6月14日 - 20… 石飛 卓美(いしとび たくみ、1951年6月14日 - 2014年5月26日)は、日本のSF作家。農家。島根県雲南市三刀屋町出身。大阪経済大学卒業。三刀屋町町会議員もつとめた。日本SF作家クラブ会員。 SF同人「星群の会」出身。1979年、「カメラの中に住む男」でS-Fマガジンリーダーズ・ストーリー入選。1985年、星群の会『光の賢者』に掲載の「ミネルヴァの森話」で第4回SFファンジン大賞(日本SFファングループ連合会議主催)創作部門受賞。同作はSFアドベンチャーにも掲載された。 SFファンとしての活動でも知られた。ファングループ「山陰SF創作会」を主催。またローカル・コンベンション「出雲SFコンパ(雲魂(うんこん))」を主催する。
晃山 昌士(こうざん まさし、1951年6月14日 - )は… 晃山 昌士(こうざん まさし、1951年6月14日 - )は、青森県五所川原市出身で高島部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 力雄(旧姓・蒔田)。184cm、115kg。最高位は西十両筆頭。得意技は突き、押し。 1965年7月場所初土俵、1974年5月場所十両昇進、以後8場所連続で十両在位したが入幕ならず、1975年9月場所に幕下陥落、1980年9月場所限りで廃業。
池田 紅玉(いけだ こうぎょく、本名・和子、1951年6月1… 池田 紅玉(いけだ こうぎょく、本名・和子、1951年6月13日 - )は、日本の英語教育者。 東京都世田谷区三軒茶屋生まれ。中学時代は、タイの日本人学校にも学ぶ。 東京都立青山高等学校卒、1977年日本大学大学院修士課程修了。 1979年カリフォルニア州立大学(現在の名称は California State Polytechnic University )スピーチ・コミュニケーション学科 大学院修了。 東横学園女子短期大学(現東京都市大学)英語英文学科助教授、ハーバード大学客員研究員を経て、帰国後は青山学院大学、日本大学 英文科、学習院生涯学習センター(現学習院さくらアカデミー)の教壇に立つ。
林 俊典(はやし としのり、1951年6月13日 - )は、… 林 俊典(はやし としのり、1951年6月13日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
上田 豪(うえだ つよし、1951年〈昭和26年〉6月13日… 上田 豪(うえだ つよし、1951年〈昭和26年〉6月13日 - 2019年〈令和元年〉8月25日)は、日本の銀行家。百五銀行頭取を務めた。 三重県出身。 1974年に関西学院大学経済学部経済学科を卒業し、同年に百五銀行に入行した。 2003年6月に取締役に就任し、2006年6月に常務を経て、2009年6月には頭取に就任した。 2015年4月には会長に就任した。 2019年8月25日、直腸がんのため死去した。 68歳没 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大宮 登(おおみや のぼる、1951年6月12日 - )は、… 大宮 登(おおみや のぼる、1951年6月12日 - )は、日本の社会学者。高崎経済大学地域政策学部名誉教授、同大学の元副学長。群馬県選挙管理委員会委員長職務代理。山形県山形市出身。 なお、2013年には高崎経済大の学長選に立候補するも、現職の石川弘道に敗れた。 ◆平成23年度 各種委員会、学会、社会活動
岡崎 宏美(おかざき ひろみ、1951年6月12日 - )は… 岡崎 宏美(おかざき ひろみ、1951年6月12日 - )は、日本の政治家。新社会党中央執行委員長。元衆議院議員(2期)。 兵庫県立明石南高等学校卒業。兵庫県職員労働組合員で日本社会党員だった。国鉄民営化と連合加盟に反対したため、1990年の第39回総選挙に旧兵庫1区から立候補しようとしたが、公認を得ることができず、無所属で立候補し初当選した。選挙後に社会党会派入りした。1993年の第40回総選挙においても同様に公認を得られず無所属で立候補し再選。 1996年1月1日、参議院議員の矢田部理らとともに新社会党に参加。社会党執行部は岡崎らの離党届を受理せず、除名処分となった。同年10月の第41回総選挙には比例近畿ブロックの新社会党名簿第1位として立候補したが、落選した。
ジャンボ 秀克(ジャンボ ひでかつ、1951年〈昭和26年〉… ジャンボ 秀克(ジャンボ ひでかつ、1951年〈昭和26年〉6月12日 - 2014年〈平成26年〉4月8日)は、日本のタレント・ラジオパーソナリティ・フリーアナウンサーである。A型。本名は佐々木 秀克(ささき ひでかつ)。個人事務所であるジャンボプロダクションを経て、フロムサウンズに所属。 北海道虻田郡豊浦町出身。中学生の頃、テレビの歌謡番組で司会を務めていた玉置宏や高橋圭三に憧れ、高校・大学(北海学園大学)ではいずれも放送部に所属。 卒業後、HBCのアナウンサー試験を受験したが、最終選考で不合格(当時の合格者は桜井宏、田中徳志郎)。STVの試験も受けていたがこちらは1次選考で不合格となった。
内山 郁夫(うちやま いくお、1951年6月11日 - )は… 内山 郁夫(うちやま いくお、1951年6月11日 - )は、日本の技術者、実業家。日本ケミコン株式会社代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長だった。 新潟県上越市出身。新潟県立高田高等学校を経て、1975年宇都宮大学工学部工業化学科卒業。部活動では自動車部に所属した。1977年宇都宮大学大学院工学研究科工業化学専攻修士課程修了、日本ケミカルコンデンサー入社。1997年KDK新潟工場長。2001年日本ケミコン取締役。2002年日本ケミコン材料事業部本部長。2003年から日本ケミコン代表取締役社長を務め、研究開発への投資を進めるなどした。2019年日本ケミコン代表取締役会長。2021年6月、退任。
森村 泰昌(もりむら やすまさ、1951年6月11日 - )… 森村 泰昌(もりむら やすまさ、1951年6月11日 - )は、日本の現代芸術家。 大阪市生まれ。京都市立芸術大学美術学部卒業、専攻科修了。大阪市在住。 1985年にゴッホの《包帯をしてパイプをくわえた自画像》(1889年)に扮する自身が扮したセルフポートレイト写真《肖像・ゴッホ》(1985年)を発表。初めて展覧会評が美術雑誌に載り実質的なデビューを果たす。 1989年にはベニスビエンナーレ/アペルト88に選出され国際的にもデビューを果たし、その後も一貫して「自画像的作品」をテーマに、セルフポートレートの手法で作品を作り続け、国内外で展覧会を開催している。 主な作品には「西洋美術史になった私」シリーズ、「日本美術史になった私」シリーズの他、ハリウッドなどの映画女優に扮した「女優になった私」シリーズや、20世紀をテーマにした「なにものかへのレクイエム」などがある。
クマ 原田(クマ はらだ、1951年6月10日 - 2023… クマ 原田(クマ はらだ、1951年6月10日 - 2023年3月22日(訃報発表日))は、日本のベーシスト、音楽プロデューサー。北海道札幌市出身。本名は原田 時芳(はらだ ときよし)。 10代で「シング・アウト」のメンバーとして、NHK総合テレビジョンの音楽バラエティ番組『ステージ101』に1970年1月10日の第一回から1971年4月3日まで出演。その後すぐドイツへ渡り、ミュージカル『ヘアー』公演に参加、オランダ滞在を経てロンドンへ移住する。移住した1972年以後、スタジオ・ミュージシャンとして活躍する。ヴァン・モリソンやミック・テイラー、ケイト・ブッシュなど、海外の著名なアーティストと数多く共演している他、布袋寅泰など日本の有名ミュージシャンとの共演も多い。
成世 昌平(なるせ しょうへい、本名:堀邉 茂樹、1951年… 成世 昌平(なるせ しょうへい、本名:堀邉 茂樹、1951年6月10日 - )は、広島県三次市出身の演歌歌手。株式会社日本クラウン所属。既婚。所属事務所はハブ・マーシー。既婚、2女あり。 大阪市立都島工業高等学校卒業後、島津製作所に就職。高校在学中に落語家を目指し、桂米朝に弟子入り志願するが、「母ひとり子ひとりの家庭ならば、まずは仕事をしなさい」という趣旨の手紙が届き諦めた。Green2(グリーングリーン)のメンバー堀辺智寿(ほりべ ちず)は娘。 島津製作所在職中の1974年から独学で民謡の勉強を始め、1977年と1978年に「産経民謡大賞」(産経新聞社主催)の青年の部で連続優勝。1978年に島津製作所を退職。
林 幹人(はやし みきと、1951年(昭和26年)6月10日… 林 幹人(はやし みきと、1951年(昭和26年)6月10日 - )は、北海道出身の刑法学者。特に共犯論、責任論を研究。上智大学名誉教授。 1975年(昭和50年)東京大学法学部卒業。 東京大学法学部助手を経て、上智大学法学部法律学科助教授に着任。同教授を経て2016年同定年退職。学習院大学法科大学院教授。2022年同定年退職。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
藤間 文彦(ふじま ふみひこ、1951年6月10日 - )は… 藤間 文彦(ふじま ふみひこ、1951年6月10日 - )は日本の元俳優、株式会社おもだか社長。本名同じ。 父親は日本舞踊藤間流の藤間勘十郎。母親は日本舞踊家で女優の藤間紫。娘は、NHK連続テレビ小説『ひよっこ』でデビューした女優の藤間爽子(3代目藤間紫)。 東京都出身。聖ミカエル学院高等学校卒業。1970年のデビュー時には立正大学国文科1年生であった。 1969年、劇団浪曼劇場の研究生となり、テレビドラマ『おんなの劇場』の一編「堀川波の鼓」で、岸恵子演じる主人公の弟・文六役でデビュー。 1970年、ポーラ名作劇場『花嫁の父』に母親の藤間紫と共演。当時のプロフィールでは「七光りを利用します。次回作から一本立ちして、まだ母子共演したいです」と述べている。
立谷 秀淸(たちや ひできよ、1951年(昭和26年)6月9… 立谷 秀淸(たちや ひできよ、1951年(昭和26年)6月9日 - )は、日本の医師、政治家。元福島県相馬市長(6期)。全国市長会会長(第30代)。元福島県議会議員(1期)。医療法人社団茶畑会 相馬中央病院理事長。 福島県相馬郡中村町(現・相馬市)出身。生家は味噌醤油醸造業を営んでいる。父は、相馬市議会議長を務めた立谷純一。高校は宮城県の宮城県仙台第一高等学校へ進み、福島県立医科大学に進学して内科学を学ぶ。 1977年に福島県立医科大学を卒業する際に医師免許を取得。公立気仙沼総合病院で初期研修を行い、東北大学医学部附属病院、公立相馬病院にて、内科の内勤医師として患者の診療に当たる。 1983年、相馬へ戻ると同時に立谷内科医院(有床診療所)を開業。
渋谷 陽一(しぶや よういち、1951年〈昭和26年〉6月9… 渋谷 陽一(しぶや よういち、1951年〈昭和26年〉6月9日 - 2025年〈令和7年〉7月14日)は、日本の音楽評論家、編集者、DJ。2024年3月31日にロッキング・オン・グループ代表取締役社長を退任して代表取締役会長となる。 東京都新宿区出身で、東京都立千歳丘高等学校在学時から『音楽専科』などのロック誌に寄稿し、18歳でグランド・ファンク・レイルロードのレコード評を記し、音楽評論家として活動を始める。明治学院大学在学中の1970年に水上はるこが中心となっていたミニコミ誌『レボリューション』を新宿のロック喫茶で発見し、投稿した。1970年発行の11号で、当時の「既存のロックに対する批評やロック観をぶち壊し、ロックに先行しうる論理を構築する」という意思を宣言する投稿で、中村とうようの評論家としての姿勢を批判などした。
堂上 照(どのうえ てらし、1951年6月9日 - )は中日… 堂上 照(どのうえ てらし、1951年6月9日 - )は中日ドラゴンズに所属していた元プロ野球選手である。石川県輪島市出身。現役時代の愛称は「ジャンボ」。堂上剛裕(読売ジャイアンツ)、堂上直倫(中日ドラゴンズ)の実父。
渋谷 金太郎(澁谷 金太郎、しぶや きんたろう、1951年(… 渋谷 金太郎(澁谷 金太郎、しぶや きんたろう、1951年(昭和26年)6月8日 - 2022年(令和4年)2月14日)は、日本の政治家。東京都清瀬市長(3期)、清瀬市議会議員(4期)。渋谷邦蔵、渋谷桂司とは血縁関係はない。 東京都北多摩郡清瀬村(のち清瀬町、現・清瀬市)生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。清瀬市内の幼稚園の園長を務めながら、埼玉県所沢市にスポーツクラブを創立した。 1995年(平成7年)4月、清瀬市議会議員選挙に初当選。市議選は4回当選。2003年(平成15年)から2005年(平成17年)まで市議会議長を務めた。 清瀬市長の星野繁から後継者指名を受けていたが、当初は固辞していたという。
柳本 晶一(やなぎもと しょういち、1951年6月5日 - … 柳本 晶一(やなぎもと しょういち、1951年6月5日 - )は、日本のバレーボール元選手(元全日本代表)・指導者。元バレーボール全日本女子チーム監督。 大阪府大阪市出身。大阪商業大学付属高校卒業後、1970年帝人三原に入団。翌1971年新日本製鐵(現・堺ブレイザーズ)に移籍。以降、主力セッターとして活躍。1973年、全日本代表に初招集されるが、猫田勝敏の控えに甘んじることとなる。1974年アジア大会で優勝、同年世界選手権で銅メダル獲得、1976年モントリオールオリンピックに出場し、4位入賞するなど活躍を見せた。 1980年から監督兼任となり、1982年日本リーグ(現Vリーグ)優勝。1985年からタイ男子代表監督を1年間務める。
武田 肇(たけだ はじめ、1951年6月5日 - )は、元ラ… 武田 肇(たけだ はじめ、1951年6月5日 - )は、元ラジオ日本アナウンサーである。 東京都板橋区生まれ。東洋大学社会学部卒業後の1975年4月、ラジオ関東に入社。競馬中継、スポーツ中継、情報番組を担当。その後、ラジオ日本スポーツへ。 アナウンス講師の経歴はラジオ日本スポーツ・レポーター・キャスター講座、タレント・ユニオン養成所講師、バンタン・メディア・アカデミー講師、東京アナウンス・アカデミー講師、FM世田谷アナウンス・フォーラム講師など豊富。現在は(有)OFFICE A・STEPのA・STEPアナウンス・フォーラムを主宰。毎年、朗読フォーラムを開催している。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
上田 雄三(うえだ ゆうぞう、1951年6月4日 - )は、… 上田 雄三(うえだ ゆうぞう、1951年6月4日 - )は、日本のキュレーター。多摩美術大学芸術学科非常勤講師(2008-2012)、同大学校友会理事(副会長)を務める。
村上 もとか(むらかみ もとか、本名:村上 紀香、1951年… 村上 もとか(むらかみ もとか、本名:村上 紀香、1951年6月3日 - )は、日本の漫画家。東京都世田谷区出身、練馬区在住。男性。息子は声優の村上紀生。 父親が映画会社の美術部に勤務していたこともあり、幼い頃から絵に親しみ、少年時代にはプラモデルの箱絵の戦車や飛行機を描く日々を送った。また近所の女の子の家にあった少女漫画雑誌で「フイチンさん」を読み、満州への憧れを持つなど後の作風に繋がる影響を受ける。当初は小説の挿絵画家を目指すも、1960年代の漫画の隆盛を機に漫画に興味が移り、高校時代に手塚治虫が創刊した漫画雑誌『COM』の影響を受け、本格的に漫画家を目指すようになった。 神奈川県立大和高等学校卒業後は建築製図の職業訓練校に進むも中退し、近くに住んでいた漫画家の望月あきらのもとに押しかけ無理やりアシスタントにしてもらったが、半年後事情があってアシスタントチームが解散になり、そこから雑誌に漫画を投稿する日々を過ごした[リンク切れ]。
千葉 晴久 (ちば はるひさ、1951年〈昭和26年〉6月3… 千葉 晴久 (ちば はるひさ、1951年〈昭和26年〉6月3日 - 2006年〈平成18年〉2月8日)は、日本の元アルペンスキーヤー。 1951年、北海道旭川市出身。北日本学院高校(現在の旭川大学高校)から進学した専修大学在学中、1972年札幌オリンピックと1976年インスブルックオリンピックに出場した。1972年第50回全日本スキー選手権大会アルペン競技「回転」で優勝。札幌オリンピック大回転19位。プロに転向する[いつ?] SRAプロスキーサーキットプロレレースに参戦し、日本人初の優勝。 後進の指導に取り組み選手層を厚くするため、1986年に任意団体会長、長野オリンピック開催の1998年にNPO法人ナスターレース協会初代会長に就任。
原田 多加司(はらだ たかし、1951年6月3日 - )は、… 原田 多加司(はらだ たかし、1951年6月3日 - )は、日本の檜皮葺師(ひわだぶきし)、杮葺師(こけらぶきし)。 公益社団法人 全国社寺等屋根工事技術保存会(国連教育科学文化機関「ユネスコ」の無形文化遺産登録団体)の理事、常務理事、副会長などを歴任。伝統建築工匠の技と、木造建造物を受け継ぐための伝統技術の継承を指導しており、著作・講演等も多い。日本建築学会、日本民俗建築学会、建築修復学会会員。 滋賀県近江八幡市で檜皮葺師・杮葺師の9代目・原田年浩(はらだ としひろ)の長男として生まれる。大学卒業後、銀行員を経て、1982年(昭和57年)に「10代目・原田 真光(はらだ しんこう)」を襲名。国宝・重要文化財・宮内庁関係等の指定建造物の保存修理を多数手掛ける。
松野 信夫(まつの のぶお、1951年6月2日 - )は、日… 松野 信夫(まつの のぶお、1951年6月2日 - )は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)、法務大臣政務官(野田第2次改造内閣)を務めた。 東京都中野区生まれ(本籍地は熊本県上益城郡甲佐町)。東京学芸大学附属小金井中学校、東京都立西高等学校、東京大学法学部卒業。大学卒業後、損害保険会社勤務を経て、1979年に司法試験に合格。司法修習を経て1982年に弁護士登録を行い、熊本共同法律事務所に入所。司法修習34期の同期に山口那津男(公明党代表・参議院議員)、伊東秀子(元日本社会党衆議院議員)、谷垣禎一(前自由民主党総裁・衆議院議員)、千葉景子(元民主党参議院議員・法務大臣)。
仁科 時成(にしな ときなり、1951年6月2日 - )は、… 仁科 時成(にしな ときなり、1951年6月2日 - )は、岡山県浅口郡寄島町(現:浅口市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。
吉川 元(きっかわ げん、1951年6月1日 - )は、日本… 吉川 元(きっかわ げん、1951年6月1日 - )は、日本の政治学者。神戸大学名誉教授。専門は、国際関係論、ヨーロッパの安全保障。 神戸大学教授、上智大学教授、広島市立大学広島平和研究所長を歴任。元日本国際政治学会評議員。 広島県広島市安佐北区出身。修道中学・高校を経て1976年上智大学外国語学部ロシア語学科卒業、1978年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、1980年トロント大学大学院博士課程単位取得、1982年一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。指導教官は細谷千博。1995年、野林健、有賀貞、石井修の審査により、論文「国際安全保障と人権」で一橋大学より博士(法学)の学位を取得。
菅根 光雄(すがね みつお、1951年(昭和26年)6月1日… 菅根 光雄(すがね みつお、1951年(昭和26年)6月1日 - )は、日本の政治家。元山形県尾花沢市長(1期)、元尾花沢市議会議員(6期)。 山形県新庄市生まれ。父親の仕事の関係で中学2年の時に尾花沢市に移り住んだ。尾花沢市立尾花沢中学校、山形県立楯岡高等学校、法政大学法学部法律学科卒業。1975年(昭和50年)から学習塾を経営。 1995年(平成7年)、尾花沢市議会議員に初当選。2011年(平成23年)8月4日から3年間、議長を務めた。2015年(平成27年)、6期目の当選を果たす。 2018年(平成30年)3月30日、任期満了に伴う尾花沢市長選挙に立候補する意向を表明。同年7月15日に行われた市長選に国民民主党・日本共産党・社民党の推薦を受けて立候補。
浅野 孝已(あさの たかみ、孝巳、孝己とも表記、1951年6… 浅野 孝已(あさの たかみ、孝巳、孝己とも表記、1951年6月1日 - 2020年5月12日)は、日本の音楽家。ロックバンド『ゴダイゴ』のギタリスト。 ゴダイゴでギター、ボーカル、アルバムジャケットなどのビジュアル面を担当。ベンチャーズに影響を受ける。弟の浅野良治も一時期ゴダイゴのドラマーだった。 東京を拠点に自らのソロ活動でのライブやセッションに加え、福岡で自ら発掘した若手ユニットGum2を率いて音楽活動を行っていた。RKB毎日放送で放送される深夜の5分間情報番組「キャッチ」に出演していた。またその活動では楽器フェアでの講演やデモ演奏なども行っていた。
貴ノ山 英二(たかのやま えいじ、1951年6月1日 - )… 貴ノ山 英二(たかのやま えいじ、1951年6月1日 - )は、現在の北海道根室市出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は田村 英二(たむら えいじ)。181cm、95kg。最高位は西十両11枚目。 得意技は左四つ、上手投げ。 子供の頃は野球をしており、ポジションは一塁手で5番打者を務めた。砲丸投げでも活躍したが、相撲では根室市立柏陵中学校3年生の時に根室市大会で優勝した。その活躍ぶりから、二子山の知人に見出されて勧誘されたが、相撲は大して好きではなかったので逃げていた。しかし、中学校を卒業する頃に東京見物のつもりで行く気に変わり、上京して二子山部屋に入門した。1966年9月場所に15歳で初土俵。
田中 正昭(たなか まさあき、1951年5月31日 - )は… 田中 正昭(たなか まさあき、1951年5月31日 - )は、日本の財務官僚。総務省大臣官房審議官や東京国税局長等を経て、日本酒類販売社長、酒卸ユニオン<創SOU> 理事長。 三重県一志郡出身。麻布中学校・高等学校を経て、1974年に一橋大学経済学部を卒業し、大蔵省(のち財務省)入省。柔道3段。 大蔵省入省以来、予算編成に携わることが多く、防衛庁長官官房会計課長や阪神・淡路復興対策本部主任局員を務めるなど、他省庁への出向も多く経験した。名古屋国税局長や東京国税局長を歴任したのちに、退官し、日本酒類販売社長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
加藤 朗(かとう あきら、1951年5月31日 - )は、日… 加藤 朗(かとう あきら、1951年5月31日 - )は、日本の国際政治学者。桜美林大学リベラルアーツ学群教授および国際学研究所所長。専門は、国際政治学、安全保障論。自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会呼びかけ人。 鳥取県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。会社勤務を経て同大学院政治学研究科修士課程に入学し吉村健蔵に師事。在学中にはシカゴ大学大学院に留学。修士課程修了後、防衛庁防衛研究所に入所。その間にスタンフォード大学フーバー研究所客員研究員、ハーバード大学国際問題研究所日米関係プログラム客員研究員、モンタナ州立大学マンスフィールド研究所客員研究員などを歴任。 1996年より桜美林大学国際学部に助教授として着任。