安房 直子(あわ なおこ、本名:峰岸 直子(みねぎし なおこ… 安房 直子(あわ なおこ、本名:峰岸 直子(みねぎし なおこ)1943年1月5日 - 1993年2月25日)は、日本の児童文学作家。大学在学中より山室静に師事し、『目白児童文学』『海賊』を中心に多くの童話を発表した。「さんしょっ子」「きつねの窓」など教科書に掲載された作品も多い。夫は国語学者の峰岸明。 1943年(昭和18年)1月5日、旧内務省官吏の父、藤沢喜久郎と母英子の四女として東京都新宿区で生まれる。生家である市ヶ谷の屋敷には、 母の妹である安房久子も同居しており、育児を手伝っていた。 1944年(昭和19年)、専売公社に勤務する安房喜代年と妻・久子の養女となる。香川県高松市に転居。 これ以後、養父の転勤に伴い、中学校卒業まで転居を重ねる。
木下 博夫(きのした ひろお、1943年(昭和18年)1月5… 木下 博夫(きのした ひろお、1943年(昭和18年)1月5日 - )は、日本の官僚。元国土事務次官。元阪神高速道路社長、現在は公益財団法人ワールドマスターズゲームズ2021関西組織委員会事務総長。静岡県出身。 京都大学農学部卒業後、建設省入省。都市局長、建設経済局長を経て国土庁に転じ、長官官房長を経て2000年(平成12年)国土事務次官。退官後は阪神高速道路公団副理事長、同理事長を経て、阪神高速道路社長に就任。現在は、公益財団法人ワールドマスターズゲームズ2021関西組織委員会の事務総長を務める。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
安東 善博(あんどう よしひろ、1943年1月5日 - )は… 安東 善博(あんどう よしひろ、1943年1月5日 - )は、日本の経営者。中国放送の社長を務めた。 福岡県出身。1965年に広島大学教育学部を卒業し、中国新聞社に入社。1999年に中国放送取締役に就任し、2005年6月に専務を経て、2007年6月に社長に就任した。2011年6月に会長に就任。
田路 勝(とうじ かつ、1943年(昭和18年)1月5日 -… 田路 勝(とうじ かつ、1943年(昭和18年)1月5日 - )は、日本の政治家。元兵庫県宍粟市長(1期)。 立命館大学法学部卒。JAハリマ理事、兵庫県一宮町議を5期、同議長を経て、一宮町長を3期務めた。2005年合併により、宍粟市が誕生、これに伴う市長選挙に立候補したが、元山崎町長の白谷敏明に敗れて落選した。2009年の市長選挙で現職の白谷を破って初当選した。市長は1期務め、2013年の選挙で元宍粟市職員の福元晶三に敗れて落選した。
高宮 建一郎(たかみや けんいちろう、1943年1月4日 -… 高宮 建一郎(たかみや けんいちろう、1943年1月4日 - 2005年10月21日)は、日本の植物学者。元東京工業大学大学院生命理工学研究科教授(生体システム専攻)。研究分野は植物生理・光合成。福井県福井市出身。
樫元 洋(かしもと ひろし、1943年1月4日 - )は、日… 樫元 洋(かしもと ひろし、1943年1月4日 - )は、日本のアナウンサー、ラジオパーソナリティ。元宮崎放送アナウンサー(元ラジオ局長)。 愛媛県南宇和郡出身。日本大学芸術学部卒業後、1964年1月宮崎放送に入社、2003年3月退社。現在はフリーアナとして活動中。MRT自社製作の様々なテレビ・ラジオ番組を担当したほか、TBS「ザ・ベストテン」の追っかけマンとして生中継レポーターを担当するなど広く活躍した。 ウインドサーフィンが趣味にあり、宮崎県ヨット連盟理事、宮崎県ボートセーリング協会理事長を務めていたことがあった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
荒木 幸彦(あらき さちひこ、1943年1月4日 - 202… 荒木 幸彦(あらき さちひこ、1943年1月4日 - 2024年5月31日)は日本の経営者。ニチコン元代表取締役社長兼COO。京都府出身。 学生時代は相撲部に所属。立命館大学相撲部OB会長、学校法人立命館評議員も務める。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
牧 勝彦(まき かつひこ、1943年1月3日 - )は、愛知… 牧 勝彦(まき かつひこ、1943年1月3日 - )は、愛知県豊橋市出身の元プロ野球選手(投手)。 豊橋工業高校では、エースとして1960年夏の甲子園県予選決勝に進むが、吉山智久(中日)、辻恭彦のバッテリーを擁する享栄商に敗れ甲子園出場を逸する。高校同期に右翼手、控え投手の鈴木宇成(広島カープ)がいた。 1961年に阪神タイガースに入団。同年は速球とスライダー、ドロップ、シュートを武器に、ルーキーながら23試合に登板し防御率2.00を記録、5月には初先発を果たした。1962年の東映フライヤーズとの日本シリーズでも2試合に登板。1963年には36試合に登板し8勝、防御率2.33を記録。しかし翌1964年は成績が落ち、オフに谷本稔とのトレードで東京オリオンズに移籍。
熊倉 功夫(くまくら いさお、1943年(昭和18年)1月3… 熊倉 功夫(くまくら いさお、1943年(昭和18年)1月3日 - )は、日本の歴史学者(日本文化史・茶道史)。学位は文学博士(東京教育大学・1978年)。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、MIHO MUSEUM館長、静岡文化芸術大学名誉教授・前学長、林原美術館元館長。2013年中日文化賞受賞。
棚沢 直子(たなさわ なおこ、1943年〈昭和18年〉1月3… 棚沢 直子(たなさわ なおこ、1943年〈昭和18年〉1月3日 - )は、日本のフランス文学者。東洋大学名誉教授。 東京大学文学部フランス語フランス文学科卒業。パリ・ソルボンヌ大学17世紀フランス文学博士課程DEA取得。 銀河 (航空機)、特攻機桜花 (航空機)、初代新幹線0系電車、初代小田急電鉄ロマンスカー3000形の設計者である三木忠直の二女。 1943年、神奈川県鎌倉市に、海軍技術少佐・航空および鉄道技術者の三木忠直を父として生まれる。1965年に東京大学文学部仏文科を卒業。1977年にパリ第4大学大学院DEAを取得後、1978年に東洋大学専任講師となる。以後、助教授、教授を経て、2014年に名誉教授となる。
久保田 勝(くぼた まさる、1943年1月3日 - )は、日… 久保田 勝(くぼた まさる、1943年1月3日 - )は、日本のラリーレーサー、カメラマン、冒険家。広島県芦品郡新市町(現・福山市)出身。 中学卒業後にTBSテレビやNHKのテレビクルーを経た後、1979年に横田紀一郎を中心としてパリ・ダカールラリーに出場するために結成された「TeamACP」にメカニック兼ドライバーとして参加し、1981年の第3回大会から1992年の第14回大会までオート部門において11年連続で参戦する。特に2度目の出場となった1982年の第4回大会では、内田正洋と共にトヨタ・カリーナ1500で参戦し、総合34位のみならず、市販車無改造・2輪駆動・バギー・マラソンの4部門において優勝という快挙を成し遂げた。
佐藤 通雅(さとう みちまさ、1943年1月2日 - )は、… 佐藤 通雅(さとう みちまさ、1943年1月2日 - )は、日本の歌人、評論家。河北新報歌壇選者。 岩手県水沢市(現奥州市)出身、宮城県仙台市在住。岩手県立水沢高等学校、東北大学教育学部卒業。宮城県内の高等学校にて教員を務める。 歌誌『短歌人』を経て、1966年に文学思想個人編集誌『路上』を創刊。短歌、詩、評論、児童文学研究などの分野で編集。宮沢賢治論、北原白秋論が多い。2011年の第120号にて第1期を終刊、第2期へと移行した。 1965年、「青海」で第11回角川短歌賞候補。1971年『新美南吉童話論』で第4回日本児童文学者協会新人賞受賞。1986年『日本児童文学の成立・序説』で日本児童文学学会賞奨励賞。
横山 義恭(よこやま よしやす、1943年1月2日 - )は… 横山 義恭(よこやま よしやす、1943年1月2日 - )は、NHKの元アナウンサー。 東京都立小石川高等学校を経て慶應義塾大学卒業後、1967年入局。 定年後も嘱託職としてNHKに在籍していたが、2008年の幕開けとともに65歳完全定年となり、1月いっぱいでアナウンサーとしての勤務は終わった。現在は番組出演契約のシニアスタッフという形でラジオニュースなどを担当。
福島 滋雄(ふくしま しげお 1943年1月2日 - 199… 福島 滋雄(ふくしま しげお 1943年1月2日 - 1998年6月1日)は、日本の競泳選手。 1960年度(昭和35年度)に日本大学豊山高等学校を卒業、日本大学に進学した。1962年に重松盛人、佐藤好助、藤本達夫との440ヤードメドレーリレーで4分11秒0の世界新記録、220ヤード背泳ぎでも2分16秒1の世界新記録を樹立、その年の朝日スポーツ賞に選ばれている。 1964年の東京オリンピックの200m背泳ぎで決勝では、アメリカトリオに食い下がりタッチの勝負に持ち込み東京大会における競泳の初メダルと思われたが、長い写真判定の末4着に敗れた(2分13秒2)。中島功、石川健二、岡部幸明との400mメドレーリレーでは5位となった。
芦田 信(あしだ しん、1943年1月2日 - )は、日本の… 芦田 信(あしだ しん、1943年1月2日 - )は、日本の実業家。JCRファーマ株式会社創業者で、同社代表取締役会長兼社長兼CEO兼COOを経て、取締役ファウンダー。新型コロナウイルス感染症の世界的流行を受け、日本初となるCOVID-19ワクチンの製造拠点整備を行った。 東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺生まれ。神戸市東灘区御影の旧乾邸の向いの洋館で育つ。神戸大学附属住吉小学校を経て、愛知県安城市に転居し、1958年愛知学芸大学附属岡崎中学校(現愛知教育大学附属岡崎中学校)卒業。1961年愛知県立岡崎高等学校卒業。 西宮市からYMCA予備校に通って浪人生活を送ったのち、1962年甲南大学文学部に進学。
長島 徹(ながしま とおる、1943年1月2日 - )は、日… 長島 徹(ながしま とおる、1943年1月2日 - )は、日本の技術者・実業家。帝人代表取締役社長や、同社取締役会長、経済同友会副代表幹事、日本化学繊維協会会長、イオン取締役報酬委員会議長などを務めた。 日本統治時代の朝鮮の馬山で生まれる。 日本の降伏後引き揚げ、広島県を経て、英語教師だった父の仕事の関係で、小学校3年のときに京都府から兵庫県篠山町に移り、1955年篠山町立篠山小学校卒業。1958年篠山町立篠山中学校卒業。1961年兵庫県立篠山鳳鳴高等学校卒業。中学・高校では軟式テニスに打ち込んだ。 1965年名古屋工業大学工学部繊維工学科卒業、帝人入社。パラ型アラミド繊維テクノーラの開発などを経て、セールスエンジニアとなる。
渡邉 貴介(わたなべ たかすけ、1943年(昭和18年)1月… 渡邉 貴介(わたなべ たかすけ、1943年(昭和18年)1月2日 - 2001年(平成13年)8月18日)は、日本の観光計画、リゾート計画、都市計画、地域計画、国土計画の専門家で、都市計画家、観光学者。東京工業大学大学院情報理工学研究科教授。工学博士。 熊本市の出身。熊本県立熊本高等学校から東京大学工学部都市工学科に進み、学科の第一期卒業生となる。その後同大大学院修士課程修了後、1971年に博士課程を満期退学(1976年、工学博士の学位を東京大学より取得)。1971年4月より東京工業大学工学部助手。1973年4月から1976年10月までラック計画研究所に所属した後、1976年11月に東京大学講師となり大学に復帰。
菅野 肇(かんの はじめ、1943年1月2日 - )は、日本… 菅野 肇(かんの はじめ、1943年1月2日 - )は、日本の経営者。大和紡績社長、会長を務めた。 東京都出身。1965年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に大和紡績に入社した。1993年6月に取締役に就任し、1996年6月に常務を経て、2003年6月に社長に就任し、2009年7月にはダイワボウホールディングス社長に就任した。2010年6月に会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三宅 理一郎(みやけ りいちろう、1943年1月2日 - 2… 三宅 理一郎(みやけ りいちろう、1943年1月2日 - 2021年7月7日)は、日本の経営者。宮崎日日新聞社社長を務めた。宮崎県東諸県郡国富町出身。 1966年に國學院大學を卒業し、同年4月に宮崎日日新聞社に入社。 1998年に取締役に就任し、常務を経て、2006年6月には社長に就任。2010年6月には特別顧問に就任。 2021年7月7日誤嚥性肺炎のために死去。78歳没。
吉賀 將夫(よしか はたお、1943年1月2日 - )は、日… 吉賀 將夫(よしか はたお、1943年1月2日 - )は、日本の陶芸家。山口県萩市出身。萩焼の作家で、日本芸術院賞受賞者。日展理事、山口大学名誉教授。 山口県萩市に生まれる。父は萩焼の陶芸家吉賀大眉である。東京藝術大学美術学部工芸科を卒業し、同大学大学院陶芸専攻を修了した。郷里で父の指導のもと制作を行い、1975年に日展へ初入選した。 その後、日展で活動を重ね、1983年に特選、2000年には「萩釉広口陶壺『曜'99・海』」により日本芸術院賞を受賞した。また、山口大学教授を務め、のちに名誉教授となった。 萩焼の陶土や釉薬、登り窯焼成による窯変効果を生かした壺などに特色があり、自然の生命感や存在感を意識したものである。
鈴木 春祥(すずき はるよし、1943年1月1日 - )は高… 鈴木 春祥(すずき はるよし、1943年1月1日 - )は高校野球指導者。中越高等学校硬式野球部監督を務めた。
長谷川 憲正(はせがわ けんせい、1943年1月1日 - )… 長谷川 憲正(はせがわ けんせい、1943年1月1日 - )は、日本の政治家、郵政官僚。 参議院議員(1期)、総務大臣政務官、駐フィンランド特命全権大使などを歴任した。 郵政省官僚、駐フィンランド大使を経て、2004年に自由民主党から参議院に出馬し、初当選。 2005年に自由民主党を離党。国民新党旗揚げメンバーの一人として名を連ねるが、同年8月24日友党であった新党日本に同党の政党条件を満たすために期間限定で移籍。9月11日、新党日本へ離党届を提出し、国民新党へ復党した。この政党移籍はレンタル移籍と揶揄され、選挙互助会という批判があった。 全国郵便局長会顧問。政党代表者が招かれない定期総会に総務大臣と共に招かれた。
飯島 秀雄(いいじま ひでお、1943年1月1日 - )は、… 飯島 秀雄(いいじま ひでお、1943年1月1日 - )は、日本の陸上短距離選手、元プロ野球選手・コーチ。 1964年、100メートルの日本記録を29年ぶりに更新した。1964年東京オリンピックおよび1968年メキシコシティーオリンピックでは日本代表選手となる。 メキシコシティーオリンピック後に俊足を買われ、代走専門選手として1969年にプロ野球・ロッテオリオンズに入団し、実働3年間で通算盗塁数は23を記録した。 その後は指導者・審判員・スターターとして陸上界に復帰した。 茨城県水戸市出身。父は郵便局員で、7人きょうだいの三男だった。父は町内運動会で俊足を披露しており、少年時代の飯島も運動会では負け知らずだった。
長部 稔(おさべ みのる、1943年1月1日 - )は、日本… 長部 稔(おさべ みのる、1943年1月1日 - )は、日本の建築家。一級建築士資格所有。日本建築家協会登録建築家・社団法人日本建築家協会 会員、社団法人 日本建築学会 正会員。東京都品川区出身在住。 坂倉準三建築研究所(現・坂倉建築研究所)在籍中、秩父の建設会社の社屋の設計を担当したことが縁で、退所後、秩父に多くの作品を残す。
松井 利夫(まつい としお、1943年1月1日 - )は、日… 松井 利夫(まつい としお、1943年1月1日 - )は、日本の実業家。アルプス技研最高顧問〈創業者〉。南魚沼市産業育成支援特別顧問。小千谷市まちづくり・人づくり支援特別顧問。 新潟県南魚沼市〈六日町五十沢〉の出身。1961年3月、新潟県立六日町高等学校を卒業。1964年3月、工学院大学専修学校電気科(夜間)を卒業。1968年7月、アルプス技研(松井設計事務所:当時〉を創業。1971年1月、株式会社アルプス技研を設立〈代表取締役社長に就任〉。1996年3月、多摩大学大学院経営情報学研究科を修了〈経営学修士:MBA〉・6月、株式店頭公開。1997年4月、代表取締役会長に就任。 2004年12月、アルプス技研が東証一部に上場(現プライム市場)2006年3月、最高顧問に就任。
広野 允士(廣野 允士、ひろの ただし、1943年1月1日 … 広野 允士(廣野 允士、ひろの ただし、1943年1月1日 - )は、日本の通産官僚、政治家。 衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、民主党筆頭副幹事長、同参議院幹事長代理、同広報委員長、同富山県総支部連合会代表、国民の生活が第一副代表兼参議院議員会長、日本未来の党幹事(広報担当)、生活の党副代表・両院議員総会長・幹事会議長・富山県総支部連合会代表などを歴任。 選挙など政治活動の際には、姓を新字体、名を平仮名で表記した「広野ただし」名義を用いることが多いが、本名は漢字表記の「廣野允士」である。 富山県富山市出身。富山県立富山中部高等学校、東京大学工学部卒業後に通商産業省に技官で入省。
久保 昌三(くぼ まさみ、1943年1月1日 - )は、日本… 久保 昌三(くぼ まさみ、1943年1月1日 - )は、日本の実業家。上組代表取締役会長、日本港運協会会長、海事振興連盟副会長。兵庫県倉庫協会理事、兵庫県防衛協会理事、神戸商工会議所常議員。神戸港開港150年記念事業実行委員会 名誉顧問。 神戸市出身、東京都在住。1962年(昭和37年)大阪福島商業高校(履正社高等学校)卒業。1963年上組入社、1995年取締役、1997年常務、1999年専務。2004年6月29日、代表取締役社長に就任。2009年6月10日、日本港運協会会長に就任。日本港運振興株式会社代表取締役社長、 青海流通センター株式会社代表取締役会長、株式会社ワールド流通センター代表取締役会長に就任。
勝木 元也(かつき もとや、1943年1月1日 - 2024… 勝木 元也(かつき もとや、1943年1月1日 - 2024年12月3日 )は、日本の分子生物学者。元基礎生物学研究所所長。元東京大学医科学研究所教授。総合研究大学院大学名誉教授。父は医師で九州大学名誉教授の勝木司馬之助。岳父(妻の父)は医師で慶應義塾大学名誉教授の佐々木正五。
佐藤 元彦(さとう もとひこ、1943年1月1日 - )は、… 佐藤 元彦(さとう もとひこ、1943年1月1日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(投手)。 熊本高校では、1960年の夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、熊本商に敗退。高校時代はオーバースローだったが、慶應義塾大学への進学と同時にサイドスローに転向。しかし入学当時の慶大は、最上級生に早慶六連戦で名を馳せた角谷隆、清沢忠彦ら、3年生に1962年秋季リーグベストナインの藤悟郎がいる投手王国であった。同期でも渡辺泰輔が台頭し、佐藤にはなかなか東京六大学野球リーグでの登板機会がなかった。しかし大学最後のシーズンである1964年秋季リーグでは、渡辺の調子が上がらない中で、慶大を3季ぶりの優勝に導く活躍を見せる。
本山 美彦(もとやま よしひこ、1943年1月1日 - )は… 本山 美彦(もとやま よしひこ、1943年1月1日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門は、世界経済論。経済学博士(京都大学、1984年)。兵庫県生まれ。
永田 和弘(ながた かずひろ、1943年1月1日- )は、三… 永田 和弘(ながた かずひろ、1943年1月1日- )は、三重県出身の日本の歯科医、歯学者。東北大学非常勤講師、広島大学非常勤講師。世界で初めての5か所の調節を行うことができる全調節性咬合器の発明者。日本補綴歯科学会会員。 大阪大学を卒業後、歯科医院を開業し診療に携わる傍ら、咬合分析と咬合器の歴史、咬合器について研究し、1968年に開発されたアルコン型全調節性咬合器(スチュアート咬合器)は、「顆頭間距離を側方運動の中心点間の距離と考えて調節できない」、「トップウォールに前方矢状顆路傾斜度と平衡時の矢状顆路傾斜度の規定能がない」という点が問題であると指摘し、改良に努めた。その後2000年に東京都の助成を受け全調節性咬合器の開発を行った。
堀内 昶(ほりうち ひさし、1943年1月1日 - )は、日… 堀内 昶(ほりうち ひさし、1943年1月1日 - )は、日本の物理学者(男性)。2006年(平成18年)まで京都大学大学院理学研究科教授を務めた。京都大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。東京大学理学部物理学科卒業。同大学院修了。 専門は、原子核の理論的研究、特に軽い原子核におけるクラスター構造と重イオン反応の研究。東京大学で、小林稔博士(京都大学教授)の弟子で原子核のクラスター物理研究を牽引した池田清美博士(新潟大学名誉教授)に師事。反対称化分子動力学法を用いたAMD模型を開発し、重イオン反応における多重破砕過程の理解に貢献。また、このAMD法を用い軽い原子核におけるクラスター形成のメカニズムの解明に貢献した。
黒滝 正昭(くろたき まさあき、1943年1月1日 - )は… 黒滝 正昭(くろたき まさあき、1943年1月1日 - )は、日本の社会思想史家。宮城学院女子大学名誉教授。専門はドイツ社会思想史。特にルドルフ・ヒルファーディングを研究している。 東京生まれ、北海道夕張市・室蘭市出身。1965年東北大学経済学部卒業、1970年同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。宮城学院女子大学講師、同大学学芸学部教授。 1994年「ルードルフ・ヒルファーディングの理論的遺産 : 「金融資本論」から遺稿まで」で経済学博士(東北大学)。 トロツキー研究所幹事。1994年に発足したポスト・マルクス研究会のメンバー。宮城・研究者「九条の会」呼びかけ人。「変革のアソシエ」呼びかけ人。
尾崎 紀世彦(おざき きよひこ、1943年〈昭和18年〉1月… 尾崎 紀世彦(おざき きよひこ、1943年〈昭和18年〉1月1日 - 2012年〈平成24年〉5月30日)は、日本のポップス歌手。東京都渋谷区生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身。1960年にハワイアンバンド「ヒロ・ハワイアンズ」結成、1965年にカントリーバンド「ジミー時田とマウンテンプレイボーイズ」加入。1967年からコーラス・グループ「ザ・ワンダース」を経て、1970年にソロ歌手としてデビュー。愛称は「キーヨ」。ダイナミックな歌唱力と、立派なもみあげや髭がトレードマーク。身長173cm(1972年3月)。 バレエダンサーの両親のもと、現在の東京都渋谷区に男3人兄弟の次男として生まれ、小学校入学時より神奈川県茅ヶ崎市で育つ。
金田 英行(かねた えいこう、1942年(昭和17年)12月… 金田 英行(かねた えいこう、1942年(昭和17年)12月30日 - 2022年(令和4年)6月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)を務めた。 北海道旭川市出身。1966年 中央大学法学部を卒業後、国家公務員上級甲種試験合格者として北海道開発庁に入庁。 1982年 同庁長官秘書官、1989年 同庁調整官を最後に退官。1993年第40回衆議院議員総選挙において(1990年第39回衆議院議員総選挙では次点に終わった)旧北海道2区から自由民主党公認で立候補し、初当選。1995年8月村山改造内閣において北海道開発政務次官。 小選挙区比例代表並立制導入に伴い旧北海道7区にて1996年、2000年小選挙区勝利。
市田 忠義(いちだ ただよし、1942年〈昭和17年〉12月… 市田 忠義(いちだ ただよし、1942年〈昭和17年〉12月28日 - )は、日本の政治家。日本共産党副委員長、同常任幹部会委員、同議員団総会会長、同参議院議員団長、全国革新懇代表世話人、国連難民高等弁務官事務所議員連盟副会長。 参議院議員(4期)、日本共産党書記局長、同副委員長を歴任。 大阪府出身。現在は東京都在住。10歳のときに縫製工場を営んでいた父親を亡くす。滋賀県立八日市高等学校卒業後、大阪市の繊維商社に就職するが2年で退職。1967年(昭和42年)、立命館大学法学部法律学科の夜学卒業。大学在学中から龍谷大学図書館で働き、大学卒業後は龍谷大に就職した。龍谷大学教職員組合書記長を経て、1971年(昭和46年)から日本共産党の専従職員となる。
寺西 重郎(てらにし じゅうろう、1942年12月28日 -… 寺西 重郎(てらにし じゅうろう、1942年12月28日 - )は、日本の経済学者。専門は金融史。一橋大学名誉教授。紫綬褒章受章、日本学士院賞受賞。 広島県因島市土生町(現尾道市因島土生町)で、三和ドック創業者寺西儀正の長男として生まれる。兄弟3人とも広島県立因島高等学校で学ぶ。一橋大学経済学部に進み、1965年に卒業。その後も同大学大学院で学び、1970年に一橋大学大学院経済学研究科博士課程を退学。 1970年より一橋大学経済研究所専任講師となる。1976年から1978年までイェール大学客員教授。1983年に学位論文『日本の経済発展と金融』を一橋大学に提出して経済学博士の学位を取得。1984年から一橋大学経済研究所教授。
須藤 正彦(すどう まさひこ、1942年(昭和17年)12月… 須藤 正彦(すどう まさひこ、1942年(昭和17年)12月27日 - 2016年(平成28年)11月5日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事を経て、東京電力ホールディングス取締役。 栃木県足利市出身。栃木県立足利高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。1970年4月に弁護士登録後、みなと協和法律事務所に所属。法学博士。 東京弁護士会副会長、財団法人法律扶助協会常務理事、最高裁判所司法研修所教官(民事弁護)、日本弁護士連合会綱紀委員会委員長、東京都労働委員会公益委員、国際医療福祉大学客員教授を歴任。そごうグループ民事再生申立代理人、日本長期信用銀行内部調査委員を務める。 2009年(平成21年)12月28日に最高裁判所判事に67歳で就任。
垣見 隆(かきみ たかし、1942年〈昭和17年〉12月27… 垣見 隆(かきみ たかし、1942年〈昭和17年〉12月27日 - )は、日本の警察官僚。弁護士。元警察大学校長。静岡県浜松市出身。 東京大学法学部卒業後、警察庁に入庁。警察庁長官官房審議官(警備局担当)、警察庁長官官房長を経て、1993年(平成5年)刑事局長に就任。 一連のオウム真理教事件に対する捜査の最高責任者であった。 1995年(平成7年)警察大学校長に異動。本人は更迭と受け止めた。1996年(平成8年)、退職勧奨を受け満53歳で退官。 1999年(平成11年)に弁護士登録し、以後、住友電気工業、日本コムシス、コムシスホールディングス、熊谷組で監査役を務めた。
松田 博(まつだ ひろし、1942年(昭和17年)12月27… 松田 博(まつだ ひろし、1942年(昭和17年)12月27日 - )は、日本の社会思想史学者、グラムシ研究者、立命館大学名誉教授。専攻、社会思想史、イタリア近代思想史。国際グラムシ学会会員。
西川 公也(にしかわ こうや、1942年〈昭和17年〉12月… 西川 公也(にしかわ こうや、1942年〈昭和17年〉12月26日 - )は、日本の政治家。 栃木県議会議員(5期)、栃木県議会議長(第81代)、衆議院議員(6期)。内閣府副大臣、衆議院農林水産委員長、農林水産大臣(第55・56代)、衆議院環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員長(初代)、自民党たばこ議員連盟副会長、自由民主党幹事長特別参与、内閣官房参与を歴任した。 栃木県塩谷郡氏家町(現・さくら市)生まれ。栃木県立宇都宮高等学校、東京農工大学農学部農業生産工学科卒業。東京農工大学大学院修士課程修了。1967年、栃木県庁に入庁。 1979年、栃木県議会議員選挙に出馬し、初当選した。 1993年から1994年まで県議会議長を務めた。
朝香 聖一(あさか せいいち、1942年 <昭和17年> 1… 朝香 聖一(あさか せいいち、1942年 <昭和17年> 12月24日 - 2023年 <令和5年> 1月12日)は、日本の経営者。日本精工社長、会長を務めた。位階は従四位。 千葉県出身。1965年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本精工に入社した。1994年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務、2000年6月に専務を経て、2002年6月に社長に就任。2009年6月には会長に就任。 2018年4月に旭日重光章を受章した。 2023年1月12日、前立腺がんのために死去。80歳没。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤田 純孝(ふじた すみたか、1942年12月24日 - )… 藤田 純孝(ふじた すみたか、1942年12月24日 - )は、日本の実業家。伊藤忠商事代表取締役最高財務責任者や、同社代表取締役副会長、日本CFO協会理事長、オリンパス取締役会議長、オリエントコーポレーション取締役、古河電気工業取締役、日本板硝子取締役、NKSJホールディングス取締役等を歴任。 兵庫県出身。1961年灘高等学校卒業。1965年神戸大学経済学部卒業、伊藤忠商事入社。1966年海外研修生としてストラスブール大学に留学。1979年伊藤忠商事ロンドン支店機械部ロンドン駐在。1991年伊藤忠アメリカ会社企画統轄室長。1994年伊藤忠商事業務部長。1995年伊藤忠商事取締役業務部長。1997年伊藤忠商事常務取締役経営企画担当役員補佐。
杉崎 里子(すぎさき さとこ、1942年12月24日 - 1… 杉崎 里子(すぎさき さとこ、1942年12月24日 - 1997年7月20日)は将棋の女流棋士(旧女流棋士番号は7)・女流四段、観戦記者、将棋講座講師。師匠はいない。「和洋裁の店サトコ」を経営するとともに「杉崎里子和洋裁教室」を運営。「和洋裁教室」は、亡くなるまで続けた。大分県北海部郡佐賀関町(後に大分市の一部)出身。 1942年(昭和17年)12月24日、大分県北海部郡佐賀関町に生まれる。父は杉崎喜蔵、母は正子。生家は、300年続いた老舗の呉服屋「株式会社平野屋」であるが、里子が生まれた時期から昭和30年にかけては、「平野屋」が扱っていた高級呉服は時代にそぐわなくなっていた上に、同業者の負債の肩代わりをしなければならなくなる事態も起き、里子の生家は倒産を余儀なくされた。
百瀬 二三男(ももせ ふみお、1942年〈昭和17年〉12月… 百瀬 二三男(ももせ ふみお、1942年〈昭和17年〉12月23日 - )は、日本の実業家。長野県塩尻市出身。
内倉貢(うちくら みつぐ、1942年12月23日 - )は、… 内倉貢(うちくら みつぐ、1942年12月23日 - )は、日本の実業家。元日本乾溜工業株式会社 代表取締役社長、取締役会長。 1942年生まれ。千葉商科大学商経学部卒業。1966年日本乾溜工業株式会社入社。1992年取締役土木事業部長・鹿児島支店長、1993年取締役土木事業部長、1998年5月取締役建設事業部長、同年12月常務取締役建設事業部長、2001年取締役建設事業部南九州地区担当、2002年事業本部参与、2004年代表取締役社長事業本部長、2005年代表取締役社長、2011年取締役会長、2015年名誉会長就任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
鈴木 太郎(すずき たろう、1942年12月22日 - )… 鈴木 太郎(すずき たろう、1942年12月22日 - )は俳人。俳誌「雲取」主宰。本名は宏。 福島県生まれ。東洋大学文学部国文学科卒業。 1966年、加藤楸邨に師事、俳誌「寒雷」に入会(1970年、退会)。1970年、森澄雄に師事、「杉」創刊に参加。翌年、第1回杉賞を受賞。1984年、同人誌「晨」創刊に参加(1997年、退会)。1990年、超結社の勉強会「塔の会」に入会(その後、幹事)。1997年、「雲取」を創刊し、主宰。
桑原 楽之(くわはら やすゆき、1942年12月22日 - … 桑原 楽之(くわはら やすゆき、1942年12月22日 - 2017年3月1日)は、広島県広島市白島(現中区)出身 のサッカー選手。実兄は桑原弘之。1968年メキシコシティオリンピック銅メダリスト。 8人兄弟で男は弘之と楽之の二人だけ。1960年代の日本サッカーのメッカ・広島に生まれ、幼少期からサッカーに親しむ。広大付属小、広大付属中学の抽選をいずれも落ちて白島小、幟町中学に進む。白島小の隣りに広島市立基町高等学校があり、5年生の時に渡辺正と佐伯博司がプレーしていて、楽之はいのまにか同校でボール拾いを始める。入学した幟町中学にはサッカー部がなかったが、桑原を中心に創部。実兄の弘之がコーチを勤めた。
茂木 哲哉(もぎ てつや、1942年(昭和17年)12月22… 茂木 哲哉(もぎ てつや、1942年(昭和17年)12月22日 - )は、日本の実業家。文化シヤッター株式会社社長・会長を歴任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
前澤 範(まえざわ のり、1942年12月22日 - )は… 前澤 範(まえざわ のり、1942年12月22日 - )は、日本の造形家、映画美術監督。レインボー造型企画代表取締役(1981年 - 2023年)→代表取締役会長(2024年 - )。 1942年、長野県に生まれる。 武蔵野美術大学在学中からフリーの造形家として舞台美術に携わる。大学卒業後、友人の高橋章からの誘いで映画『大怪獣ガメラ』に参加し、映画美術に携わるようになる。 フリーであるため、大映・東宝・松竹・日活・東映と様々な会社の特撮作品に参加した。このころに造型美術の三上陸男、彫刻家の池田宗弘、特撮の鈴木昶らと知り合う。 1971年に特撮テレビ番組『仮面ライダー』の美術を担当していたエキスプロダクションの三上陸男から参加を要請されるが、他社との契約が残っていたためにこれを断り、高橋章を推薦した。