大坪 元雄(おおつぼ もとお、1940年11月23日 - )… 大坪 元雄(おおつぼ もとお、1940年11月23日 - )は、おもに関西地方を中心に活動する競馬評論家。 東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)生まれ。 遠戚にホースニュース・馬のオーナーがいた縁で1958年に同社へ入社。1958年9月、同社の関西進出に伴い異動。1964年に東京へ戻ってから本紙予想を任される。その後競馬ブックに移籍し同社のトラックマンを経て、2011年現在はフリー。ただし新聞関係は引き続き競馬ブックと専属契約を結ぶ。 長らくラジオNIKKEI(旧・ラジオたんぱ)毎週土曜日午後の『中央競馬実況中継・第2放送(現在は同題名第2部)』と、関西テレビ『DREAM競馬』(旧題・ドリーム競馬)のメイン解説を務め、JRAが大レース前に場内放送する調教ビデオ(関西開催のものに限る)の解説も担当。
野崎 国昭(のざき くにあき、1940年11月22日 - … 野崎 国昭(のざき くにあき、1940年11月22日 - )は、日本の経営者、銀行家。北越銀行頭取を務めた。 新潟県出身。1963年に中央大学商学部を卒業し、同年9月に北越銀行に入行した。1995年6月に取締役に就任し、1998年6月に常務、2001年6月に専務を経て、2003年4月から2007年6月までに頭取を務めた。 2017年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中村 慶久(なかむら よしひさ、1940年11月21日 - … 中村 慶久(なかむら よしひさ、1940年11月21日 - ) は、日本の工学者。専門は電子工学。東北大学名誉教授。東北大学電気通信研究所所長や、岩手県立大学学長、映像情報メディア学会会長、公立大学協会副会長、全国公立短期大学協会副会長等を歴任した。 東京府生まれ。父は岩手県滝沢村出身のエンジニア。中学校から岩手県盛岡市で過ごし、1959年岩手県立盛岡第一高等学校卒業。1963年東北大学工学部通信工学科卒業。1968年東北大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士。指導教官は岩崎俊一だが、永井健三も君臨していた。 1968年東北大学電気通信研究所助手。1971年東北大学電気通信研究所助教授。1987年東北大学電気通信研究所教授。
鈴木 和雄(すずき かずお、1940年11月21日 - 20… 鈴木 和雄(すずき かずお、1940年11月21日 - 2016年5月7日)は、日本の政治家。元群馬県みなかみ町長(1期)、元新治村長(5期)。利根沼田地域の「水源地特区」を目指し、『みなかみ水源地構想』を提唱していた。 群馬県利根郡新治村に農家の長男として生まれ、兼業農家として生計を立て30歳で村議会議員に初当選、47歳で新治村長。「農村公園構想」を策定し、「道の駅たくみの里・遊神館・フルーツ公園・まんてん星の湯」を事業化して、都市と農村の交流インフラを整備した。また「でんでこ座・三国館」・民話と紙芝居の家を建設し、芸術と文化の香る村づくりを推進。平成の大合併に取り組み、利根西部合併協議会長として実現。
秋山 收(あきやま おさむ、1940年11月21日 - )は… 秋山 收(あきやま おさむ、1940年11月21日 - )は、日本の通産官僚。内閣法制局総務主幹、内閣法制局第四部部長、内閣法制局第二部部長、内閣法制局第一部部長、内閣法制次長、内閣法制局長官、財団法人新エネルギー財団会長などを歴任した。東京府出身。 1963年から通商産業省で、通商政策局通商調査課、機械情報産業局計量課、貿易局為替金融課、産業政策局調査課にて、それぞれ課長を務めた。のちに内閣法制局に出向し、総務主幹を経て、第四部、第二部、第一部にてそれぞれ部長を務めるなど、要職を歴任した。1999年には内閣法制次長に就任した。2002年には津野修の後任として内閣法制局長官に就任し、第1次小泉内閣から第2次小泉内閣にかけて同職を務めた。
広野 翼(ひろの まもる、1940年11月21日 - )は、… 広野 翼(ひろの まもる、1940年11月21日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手(外野手)。実弟は元プロ野球選手(中日,西鉄,巨人でプレー)の広野功。
秋山 收(あきやま おさむ、1940年11月21日 - )は… 秋山 收(あきやま おさむ、1940年11月21日 - )は、東京出身の元内閣法制局長官。元通産官僚。
園部 孝(そのべ たかし、1940年11月21日 - 200… 園部 孝(そのべ たかし、1940年11月21日 - 2003年10月28日)は、日本の経営者。三菱自動車工業社長、会長を務めた。愛知県出身。 1964年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三菱重工業に入社。海外勤務を経て、1999年6月に三菱自動車工業常務に就任し、副社長を経て、2000年11月に社長に就任。社長在任時には、ダイムラークライスラーとの資本提携交渉に携わり、経営再建計画であるターンアラウンド計画を推進し、会社の立て直しに尽力した。2002年からは会長を務めた。 2003年10月28日急性心不全のために死去。62歳没。
宇仁 貫三(うに かんぞう、1940年11月21日 - 20… 宇仁 貫三(うに かんぞう、1940年11月21日 - 2019年1月10日)は、日本の殺陣師、俳優である。兵庫県尼崎市出身。 高校を卒業後、宝塚映画製作所に入り、俳優として修行する。黒澤明監督作品などの映画出演を経て、殺陣師久世竜の弟子となる。三船プロダクションに籍を置いた後独立し、時代劇と現代劇の映画・舞台・テレビドラマを多く手掛ける。剣道2段、居合道2段の腕前を持つ。弟子に寺島進がいる。 長年東京の撮影所作品での担当が多かったが、東宝の作品を長年監督していた高瀬昌弘が松竹京都で鬼平を撮影するにあたり、「太陽にほえろ!」や「江戸シリーズ」などで共に仕事をした宇仁を東京から呼びよせ、以降「剣客商売」などの松竹撮影所の作品にも関与している。
谷 順二(たに じゅんじ、1940年11月20日 - 201… 谷 順二(たに じゅんじ、1940年11月20日 - 2012年8月27日) は、日本の機械工学者。東北大学名誉教授。元東北大学流体科学研究所所長。元日本AEM学会副会長。 1963年金沢大学工学部機械工学科卒業、金沢大学工学部助手。1966年東北大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1969年東北大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了、工学博士。 東北大学高速力学研究所講師。1971年東北大学高速力学研究所助教授。1974年東北大学高速力学研究所教授。1989年東北大学流体科学研究所教授。 1990年日本AEM学会副会長。1992年日本機械学会機械力学・計測制御部門副部門長。1993年日本機械学会機械力学・計測制御部門部門長。
八束 和廣(やつづか かずひろ、1940年11月20日 - … 八束 和廣(やつづか かずひろ、1940年11月20日 - )は、日本の裁判官、弁護士。福岡高等裁判所部総括判事判事、福岡家庭裁判所長、横浜家庭裁判所長等を歴任した。 愛媛県出身。1963年日本大学法学部卒業。1967年裁判官任官。主に刑事事件を扱い、浦和地方裁判所熊谷支部長、松江地方裁判所長、福岡高等裁判所部総括判事、福岡家庭裁判所長、横浜家庭裁判所長等を歴任した。2011年春の叙勲で瑞宝重光章受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
藤 ひさし(ふじ ひさし、1940年11月19日 - )は、… 藤 ひさし(ふじ ひさし、1940年11月19日 - )は、日本の映像作家、美術コンテンツ・プロデューサー。東京西麻布生まれ。本名は遠藤 欽久(えんどう よしひさ、一般社団法人日本美術アカデミー理事)。 中央大学フランス文学科を卒業後、会社員を経て映像制作会社を設立。ルーブル、プラド、エルミタージュ等、海外の有名美術館と直接交渉し、主要な所蔵作品をハイビジョン映像にて撮影。『世界の美術館』(ビデオ全18巻。後にレーザーディスク、DVD版も)として1991年に発売。以後、DVDやテレビ番組など美術関連の映像制作物の脚本・プロデュース、美術関連書籍の執筆など幅広く活躍。(参考資料:書籍の著者紹介、作品の制作資料)
梅津 龍太郎(うめづ りゅうたろう、1940年11月19日 … 梅津 龍太郎(うめづ りゅうたろう、1940年11月19日 - )は、徳島県徳島市出身のラジオパーソナリティ。オフィス・ユー・アイ代表取締役。愛称は龍ちゃん。 高校卒業後に、東京都の栄養専門学校に進学した。 21歳で徳島県に戻った。 関西テレビ・テレビ愛媛の記者、カメラマンを経てフリーとなる。その後、四国放送「おはようとくしま」のキャスターを昭和58年(1983年)4月から平成3年(1991年)3月の8年間にわたり務める。キャスターの退任後は朝日放送や西日本放送のラジオ番組に出演。また、特定非営利活動法人徳島フィルムコミッションの代表を務め、山田洋次監督「虹をつかむ男」、藤竜也主演「村の写真集」、渡辺謙主演「沈まぬ太陽」、マシュー・バーニー監督で世界の歌姫ビョーク主演「拘束のドローイング」の映画4本と「土曜ワイド劇場」、「女と愛とミステリー」など15本のテレビドラマを徳島に誘致し、撮影協力する他、山田洋次映画祭、脇町映画祭を企画、運営。
成田 純治(なりた じゅんじ、1940年11月18日 - )… 成田 純治(なりた じゅんじ、1940年11月18日 - )は博報堂代表取締役社長。東京都出身。
野間口 有(のまくち たもつ、1940年11月18日 - )… 野間口 有(のまくち たもつ、1940年11月18日 - )は、日本の実業家。三菱電機相談役。元産業技術総合研究所理事長。 1940年に鹿児島県で生まれる。出水市出身。1965年京都大学大学院理学研究科修士課程修了。同年に三菱電機に入社後、一貫して研究開発畑を歩き、2002年4月に代表取締役社長に就任。重電分野に経営資源を集中する「選択と集中」を進め、2002年3月期には780億円の連結最終赤字を計上した業績を、純利益で業界1位に回復させた。 知的財産権に関する見識が高く、総合科学技術会議知的財産戦略専門調査会専門委員、産業構造審議会知的財産政策部会委員、工業所有権審議会委員、日本経済団体連合会知的財産委員会委員長、日本知的財産協会会長、内閣官房知的財産戦略本部本部員を務めた。
久高 正之 空観(ひさたか まさゆき くうかん、1940年1… 久高 正之 空観(ひさたか まさゆき くうかん、1940年11月18日 - )は少林寺流拳行館空手道を主宰する空手家。 清和源氏子孫であり、少林寺流拳行館空手の 久高幸利の息子。 彼は3歳で柔道と空手を始め、13歳になるまでに両方の分野で初段を取得した。 彼は1961年と1962年に全日本オープン空手道選手権と1958年から1962年に少林寺流拳行館選手権を勝ち取る。彼は日本大学に進学し卒業までに四段に、柔道や空手は五段を取得。 久高正之はニューヨーク市 (1964)とモントリオール (1967)の世界博覧会で日本代表となる。 コロンビア大学 、ニューヨーク州立大学 、 マギル大学 、 ロヨラカレッジ 、 カナダ国立劇場学校 、少林寺流拳行館空手道のカナダ本部で空手道を指導した。
小坂 照男(こさか てるお、1940年11月18日 - 20… 小坂 照男(こさか てるお、1940年11月18日 - 2019年4月3日)は、日本の元プロボクサー。千葉県君津郡富津町(現・富津市)出身。元日本ライト級、OBF東洋ライト級王者。現役時代は帝拳ボクシングジム所属。 16歳の頃、帝拳名誉師範荻野貞行の葉山の自宅へクリーニング店の配達に出向いていたところ、その筋力と面構えが荻野の目に留まり、帝拳に紹介されて心技両面から指導を受けるようになった。 カウンターパンチャーが多い中、強烈な左右フックを武器にフルラウンドにわたって打ち続けることのできるファイターだった。 1957年3月30日、プロデビュー戦では4R判定勝利を収めた。同年12月15日、第14回東日本フェザー級新人王トーナメント決勝戦で6R判定負けを喫した。
中野 隆良(なかの たかお、1940年11月17日 - )は… 中野 隆良(なかの たかお、1940年11月17日 - )は、千葉県市川市出身(兵庫県武庫郡鳴尾村 (現・西宮市)生まれ)の元調教助手・元調教師。父は元調教師の中野吉太郎。 父・吉太郎は青森県上北郡大深内村(現・十和田市)出身の騎手で、中野は最初の子供であった。後に妹、弟、妹と続き、四人兄弟の長男となる。バリアー式スタートの競馬場で天神乗りによってレースに出ていた吉太郎を、中野は記憶している。とはいえ、それは鳴尾競馬場で見た記憶ではなかった。中野が2歳であった1942年に、吉太郎は家族をあげて市川の中山競馬場のすぐ近くに引っ越した。中野の記憶の中に生まれた鳴尾の出来事は一切残らず、市川市立中山小学校で5年まで学んだ。
川原 誠(かわはら まこと、1940年〈昭和15年〉11月1… 川原 誠(かわはら まこと、1940年〈昭和15年〉11月17日 - )は、日本の元裁判官。愛知県出身。名古屋大学卒。 第20期司法修習生(司法修習地は名古屋)。1965年(昭和40年)9月の司法試験に合格し、1966年(昭和41年)4月 - 1968年(昭和43年)4月まで司法修習を受けていた。 1968年(昭和43年)4月5日に金沢地方裁判所判事補として赴任し、2005年(平成17年)11月17日をもって定年退官した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三枝 輝行(さえぐさ てるゆき、1940年11月16日 - … 三枝 輝行(さえぐさ てるゆき、1940年11月16日 - )は、日本の経営者。阪神百貨店社長、会長を務めた。 その他、2007年から2021年までに「三枝輝行の商い勘所」のパーソナリティも務めた。 1940年、兵庫県加西市に生まれた。一人っ子で、兄弟姉妹はいなかった。父親の二郎は、海軍で南方戦線に従軍し、その後大分県別府市で働いていた。三枝自身も防空壕に避難した経験があり、また母親と一緒に別府を訪れたことを覚えている。 終戦間際に父親が復員し、神姫バスとして知られるバス会社の経営を本格化させ、家計が安定し始めた。しかし、その後、母親が結核にかかり、三田市の病院に入院した。この頃、夜の8時や9時に帰宅した父に、夕食を作ってもらう日々が続いた。
椎名 哲也(しいな てつや、1940年11月16日 - 2… 椎名 哲也(しいな てつや、1940年11月16日 - 2022年12月23日)は、日本の経営者。東京都民銀行頭取を務めた。 千葉県出身。1965年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年4月に東京都民銀行に入行した。1993年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1996年6月に専務、2003年6月に副頭取を経て、2004年6月には頭取に就任。2008年6月には会長に就任。 2011年春に旭日小綬章を受章。 2022年12月23日、死去。82歳没。
荒波 秀義(あらなみ ひでよし、1940年11月16日 - … 荒波 秀義(あらなみ ひでよし、1940年11月16日 - 2010年9月2日)は、佐賀県東松浦郡鎮西町馬渡島(※現役当時、現・唐津市)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は牧山 通雄(まきやま みちお)。得意手は左四つ、吊り、突っ張りなど。最高位は西前頭4枚目(1965年3月場所)。現役時代の体格は184cm、106kg。 同じ東松浦郡鎮西町出身で、小結まで昇進した松浦潟達也(本名・牧山強臣、錦島部屋→立田山部屋)とは、血縁関係にあった。 カトリック教徒でもあった。 日本相撲協会から離れ、その後、故郷に程近い長崎県で造船業に従事していた。造船会社を辞めてからは福岡市に移り住み、相撲料理店「ちゃんこ荒波」を経営したが、2004年頃に閉店したという。
山本 鎮雄(山本 鎭雄、やまもと しずお、1940年11月1… 山本 鎮雄(山本 鎭雄、やまもと しずお、1940年11月15日 - )は、日本の社会学者、日本女子大学名誉教授。 東京府東京市中野区(現・東京都中野区)生まれ。1966年東北大学文学部社会学科卒、1968年同大学院修士課程修了。1968年広島女子大学講師、助教授、1979年日本女子大学助教授を経て、教授、2011年定年、名誉教授となる。新明正道に師事した。
瀬尾 健(せお たけし、1940年11月14日 - 1994… 瀬尾 健(せお たけし、1940年11月14日 - 1994年6月5日)は、日本の工学者。理学博士(京都大学・1977年)、最終職歴は京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所)計測装置部門助手(現助教)であった。熊取六人衆の一人。 1940年(昭和15年)11月14日、兵庫県神戸市に生まれる。 1959年(昭和34年)3月、大阪府立高津高等学校を卒業、翌1960年(昭和35年)4月、京都大学工学部原子核工学科に入学する。1964年(昭和39年)3月、同大学同学科卒業、同年4月、京都大学大学院工学研究科原子核専攻修士課程に入学する。 1966年(昭和41年)3月、同大学院同課程修了、工学修士の学位を取得、同年4月、京都大学原子炉実験所計測装置部門助手(現在の職階では助教)となる。
岸本 光造(きしもと みつぞう、1940年11月14日 - … 岸本 光造(きしもと みつぞう、1940年11月14日 - 2002年1月23日)は、日本の政治家。 自由民主党元衆議院議員(3期)。民主党元衆議院議員・紀の川市市長岸本健の父。 和歌山県那賀郡粉河町(現在の紀の川市粉河町)出身。和歌山県立粉河高等学校、神奈川大学卒業、法政大学大学院修了。京都短期大学政治学講師。 1975年(昭和50年) 和歌山県議会議員。1987年(昭和62年)5月19日 - 和歌山県議会副議長。1988年(昭和63年) -全国みかん生産府県議会議員対策協議会会長。1990年(平成2年)7月11日 - 和歌山県議会議長。 1992年(平成4年) 自由民主党県連議員総会会長。
内田 讓(うちだ ゆずる、1940年11月14日 - )は、… 内田 讓(うちだ ゆずる、1940年11月14日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授・桜花会元幹事。工学博士(大阪市立大学)。 専門は、有機合成化学・物理化学/物質科学・熱分解。 大阪工業大学工学部応用化学科卒業。大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院工学研究科応用化学専攻修士課程修了。1974年大阪工業大学工学部応用化学科助教授などを経て、1982年大阪市立大学大学院より工学博士号を取得。大阪工業大学工学部応用化学科教授を経て、2005年同大学名誉教授。 大阪工業大学応用化学科にて30年以上の長きに渡り教鞭を執り、同学科同窓会である桜花会幹事も務めた。 主な所属学会は、日本化学会など。
山本 安正(やまもと やすまさ、1940年(昭和15年)11… 山本 安正(やまもと やすまさ、1940年(昭和15年)11月13日 - )は、日本の海上自衛官、第23代海上幕僚長。防衛大学校第7期卒業。 東京府出身。両国高校を経て防衛大学校(第7期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「とかち」艦長、第4護衛隊群司令、海上幕僚監部人事教育部長、統合幕僚会議事務局長、横須賀地方総監等の要職を歴任し、第23代海上幕僚長に就任。在任中の1998年(平成10年)には「北朝鮮によるミサイル発射実験」、翌1999年(平成11年)には「能登半島沖不審船事件」が発生。不審船事案では海上自衛隊創設以来初となる海上警備行動が発令され事態に対処した。
瀬戸口 嘉昭(せとぐち よしあき、1940年(昭和15年)1… 瀬戸口 嘉昭(せとぐち よしあき、1940年(昭和15年)11月13日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県枕崎市長(1期)。 鹿児島県立枕崎高等学校を経て、鹿児島大学文理学部卒。鹿児島県教育次長、鹿児島県高校長協会理事長、県高野連会長、加世田市(現・南さつま市)教育長、鹿児島県立鶴丸高等学校校長などを経て、2006年の枕崎市長選挙に立候補し、現職の神園征を破って当選した。4年後の2010年の市長選挙で再選を目指したが、再び立候補した神園に敗れた。2014年の市長選挙でも再立候補したが、現職の神園に敗れた。
小田 兼三(おだ けんぞう、1940年11月13日 - )は… 小田 兼三(おだ けんぞう、1940年11月13日 - )は、日本の社会福祉学者。東京福祉大学教授。本名・憲三。 大阪市生まれ。関西学院大学卒、1964年同大学院社会学研究科社会福祉学専攻修士課程修了。聖和女子大学講師、助教授、聖和大学助教授、教授、大阪市立大学教授、川崎医療福祉大学教授、龍谷大学教授、東京福祉大学教授。1994年「現代イギリス社会福祉研究-日本からみた理論・政策・実践と課題」で関西学院大学より博士(社会学)の学位を取得。
鎌田 信夫(かまた のぶお、1940年11月13日 - )は… 鎌田 信夫(かまた のぶお、1940年11月13日 - )は、日本の実業家。株式会社ソリトンシステムズ創業者・代表取締役会長。 山形県生まれ。1962年山形大学工学部卒業。1964年東京工業大学(のちの東京科学大学)大学院修士課程修了。1972年同大学大学院博士課程修了、理学博士(応用物理学)。同年同大学応用物理電磁物性研究室研究員。1973年インテルジャパン入社。インテル研究員、インテルジャパンマーケティングマネージャーを経て、1979年カマタ研究所設立、代表取締役社長。1982年ソリトンシステムズに社名を変更。2007年にジャスダック市場に上場し、2017年には東京証券取引所一部への上場を果たした。
小佐川 源次郎(おさがわ げんじろう、1940年11月13日… 小佐川 源次郎(おさがわ げんじろう、1940年11月13日 - )は、日本の俳優。本名、小鯖 孝。 東京府(現・東京都)出身。日本大学芸術学部演劇科卒業。劇団前進座所属。以前は劇団青俳に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
松岡 賛(まつおか すすむ、1940年〈昭和15年〉11月1… 松岡 賛(まつおか すすむ、1940年〈昭和15年〉11月13日 - )は、日本の政治家。元福岡県嘉麻市長(2期)、元山田市(現・嘉麻市)長(2期)。旭日小綬章。 福岡県出身。福岡学芸大学(現・福岡教育大学)卒。福岡県筑豊教育事務所長を経て、2001年、山田市長武信弘隆の死去による市長選挙に立候補して当選する。2005年に再選した。 2006年に山田市は合併で嘉麻市となり、合併後の市長選挙に立候補し、当選した。2010年の市長選挙でも再選した。嘉麻市長は2期務め、2014年に退任した。2016年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
上月 景正(こうづき かげまさ、 (1940-11-12) … 上月 景正(こうづき かげまさ、 (1940-11-12) 1940年11月12日(85歳) - )は、日本の実業家。コナミグループの創業者で代表取締役会長を務める。 京都府出身。1966年関西大学経済学部卒業。1969年コナミ工業創業。1973年コナミ工業株式会社(現コナミグループ株式会社)設立。1996年コンピュータエンターテインメント協会(CESA)設立、初代会長就任(現名誉会長)。2002年日本経済団体連合会理事就任。現在、コナミグループ株式会社 代表取締役会長。 1982年には個人資産を拠出した財団法人上月教育財団(現上月財団)を設立し、同財団の理事長を務める。以来40年以上にわたりスポーツ・教育・文化の振興と発展に寄与する活動に取り組んでいる。
矢野 龍(やの りゅう、1940年11月12日 - )は、日… 矢野 龍(やの りゅう、1940年11月12日 - )は、日本の実業家。住友林業代表取締役社長、同社代表取締役会長を経て、同社最高顧問、都市緑化機構会長。元日本木造住宅産業協会会長。 満洲国生まれ。父は第二次世界大戦で戦死し、日本の降伏後母や妹2人と山口県美祢郡に引き揚げ、水車小屋に寝泊まりするなど貧しい生活を送った。山口県立厚狭高等学校を経て、1963年北九州大学(現北九州市立大学)外国語学部米英学科卒業。 大学卒業後は駐在員枠で住友林業に入社し、シアトル出張所で山林の買い付けなどに従事したのち、1988年取締役海外第一部長に昇格。1992年常務取締役。1995年代表取締役専務取締役。 1999年から住友林業代表取締役社長を務め、2010年からは同社代表取締役会長を務めた。
枝川 公一(えだかわ こういち、1940年11月12日 - … 枝川 公一(えだかわ こういち、1940年11月12日 - 2014年8月15日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、翻訳家。
四代目 市川左團次(よだいめ いちかわ さだんじ 1940年… 四代目 市川左團次(よだいめ いちかわ さだんじ 1940年 (昭和15) 11月12日 - )は、歌舞伎役者、日本の俳優。本名は荒川 欣也(あらかわ きんや)。屋号は高島屋、定紋は三升に左(みますに ひだり)だが、通常は替紋の松皮菱に鬼蔦(まつかわびしに おにづた)を使用。歌舞伎名跡「市川左團次」の当代。
富野 幹雄(とみの みきお、1940年11月12日 - )は… 富野 幹雄(とみの みきお、1940年11月12日 - )は、日本のポルトガル語学者。南山大学名誉教授。 愛知県半田市生まれ。1963年同志社大学経済学部卒業。1966年東京外国語大学ポルトガル・ブラジル語学科卒業。1968年同大学院修士課程修了。1968 - 1970年サンパウロ州立大学で給費奨学生として学ぶ。1972年南山大学外国語学部専任講師、助教授、教授、2010年定年退職、名誉教授。
バロン 吉元(バロン よしもと、1940年〈昭和15年〉11… バロン 吉元(バロン よしもと、1940年〈昭和15年〉11月11日 -)は、日本の漫画家、画家。本名、吉元 正(よしもとただし)。1960〜1970年代にかけて巻き起こった劇画ブームの全盛期を築いた漫画家のひとり。代表作に『柔俠伝』シリーズ、『どん亀野郎』、『黒い鷲』、『賭博師たち』など。 満洲奉天市(現・中華人民共和国瀋陽市)生まれ、鹿児島県指宿市育ち。鹿児島県立指宿高等学校卒業後、武蔵野美術大学西洋画科へ入学。柔道は黒帯を保有。 公益社団法人日本漫画家協会理事。2005年から2012年までは大阪芸術大学キャラクター造形学科にて教授を務めた。妻は日劇ミュージックホールでトップダンサーとして活躍し、2022年には第25回岡本太郎現代芸術賞で岡本太郎賞を受賞した、刺繍家・吉元れい花。
荒木 紀一 (あらき きいち、1940年11月11日 - … 荒木 紀一 (あらき きいち、1940年11月11日 - ) は、日本の陸上競技選手。1964年東京オリンピック陸上日本男子円盤投代表候補選手 (膝の故障により出場断念)。円盤投男子元日本記録保持者。静岡県浜松市出身。中央大学法学部法学科卒業。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
岡村 浩二(おかむら こうじ、1940年11月10日 - )… 岡村 浩二(おかむら こうじ、1940年11月10日 - )は、香川県丸亀市出身の元プロ野球選手(捕手)。
柴田 紘一(しばた こういち、1940年11月10日 - )… 柴田 紘一(しばた こういち、1940年11月10日 - )は、日本の政治家。岡崎市長(3期)、愛知県議会議員(4期)、岡崎市議会議員(2期)、東海市長会長、全国市長会副会長などを歴任した。 愛知県額田郡岩津町大字大門(現・岡崎市大門3丁目)の農家に生まれた。名前は「八紘一宇」からとられた。父母は農作業で忙しかったため、祖母に育てられる。近所の大圓寺に設けられた託児所に通所した。 学校教育法が施行された1947年(昭和22年)、岩津町立大樹寺小学校(現・岡崎市立大樹寺小学校)に入学。6年生のとき母親がパーキンソン病に罹り、田1町歩、畑5反歩を父親は一人で耕作しなくてはならなくなった。1953年(昭和28年)4月、岩津町立岩津中学校(現・岡崎市立岩津中学校)に進学するが、田畑は次第に荒れ始めた。
黒鷲 二千郎(くろわし にちろう、1940年11月10日 -… 黒鷲 二千郎(くろわし にちろう、1940年11月10日 - 没年不明)は、二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は東 二千郎(ひがし にちろう)(二千六百)。現在の三重県尾鷲市出身。181cm、113kg。最高位は東十両3枚目。得意技は左四つ、寄り。 1958年5月場所に初土俵。1967年11月場所に十両昇進し、5場所連続で在位。1970年1月場所限りで廃業。廃業後は名古屋市で料理店を経営した。
柳曽 健二(やなぎそ けんじ、1940年11月9日 - )は… 柳曽 健二(やなぎそ けんじ、1940年11月9日 - )は、日本の経営者、銀行家。泉州銀行頭取を務めた。旭日小綬章。 大阪府出身。1963年に大阪市立大学商学部を卒業し、同年に泉州銀行に入行。1989年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1999年6月から2001年3月までに頭取を務めた。2013年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
馬場 錬成(ばば れんせい、1940年11月9日 - )は、… 馬場 錬成(ばば れんせい、1940年11月9日 - )は、科学ジャーナリスト。 元読売新聞論説委員、元東京理科大学専門職大学院総合科学技術経営研究科教授。認定NPO法人21世紀構想研究会理事長。読売新聞社社友、東京都出身。 東京理科大学理学部卒業。読売新聞社で社会部、科学部、解説部記者などを務め、2000年まで論説委員。 記者時代には、東京都と神奈川県の間を流れる多摩川でのカムバックサーモン運動の起ち上げで中心的な役割を果たした。1979年、テムズ川に鮭を呼び戻すことを目標に掲げて川の浄化運動をしていることを書いたイギリスの新聞記事に接して、馬場は、東京でも似たことができないかと考えた。馬場は専門家や地方自治体の関係者に相談して、1981年2月に支流野川での試験放流にこぎつけた。
鷲澤 正一(わしざわ しょういち、1940年(昭和15年)1… 鷲澤 正一(わしざわ しょういち、1940年(昭和15年)11月8日 - 2022年(令和4年)3月5日)は、日本の政治家、実業家。位階は正五位。元長野県長野市長(3期)。 長野県長野市生まれ。長野県長野高等学校、早稲田大学第一商学部卒業。大学在学中から生家が経営する炭平鷲澤(現炭平製作所)に入社し、1963年から代表取締役社長を務める。大学を卒業後、1965年長野陸送、1966年炭平運輸、1968年三国コンクリートの各代表取締役に就任。会社経営の傍ら、長野市及び長野県のPTA連合会会長、長野市教育委員会委員、長野商工会議所副会頭、東北信生コン事業協同組合理事長、長野市青年会議所理事長、長野県経営者協会常任理事などを歴任した。
森岡 久元(もりおか ひさもと、本名同じ(旧姓 井上)、19… 森岡 久元(もりおか ひさもと、本名同じ(旧姓 井上)、1940年11月8日 - )は、日本の作家。『姫路文学』『別冊関学文芸』『酩酊船』各同人。 大阪市生まれ。1944年に広島県尾道市へ転住。尾道市立土堂小学校、尾道市立長江中学校、広島県立尾道商業高等学校を経て、関西学院大学文学部英文学科卒業。高校2年の時、文芸部誌『ゲミュート』掲載の小説「風と話す人」が旺文社発行『高校時代』主催の第三回高校文芸誌コンクール小説の部で二席に入選(選者木村毅)。大学時代に同人誌『姫路文学』に参加。卒業後は文学活動から離れて、会社を創業して事業活動をする。1995年、休刊していた『姫路文学』の復刊を機に創作活動を再開。
岡野 幸義(おかの ゆきよし、1940年11月8日 - )は… 岡野 幸義(おかの ゆきよし、1940年11月8日 - )は日本の実業家。ダイキン工業代表取締役社長や、大阪実業教育協会会長、太平洋人材交流センター理事長などを務めた。 満州国大連市生まれ。大阪府大阪市出身。1964年大阪市立大学法学部卒業、ダイキン工業入社。管理部長を経て、1994年取締役に昇格。常務取締役、専務取締役を経て、2002年財務担当代表取締役副社長。2004年から代表取締役社長兼COOを務め、中国での住宅用暖房給湯事業などを進めた。2011年相談役。2015年太平洋人材交流センター理事長。大阪実業教育協会会長なども務めた。
半明 正之(はんみょう まさゆき、1940年(昭和15年)1… 半明 正之(はんみょう まさゆき、1940年(昭和15年)11月8日 - 2016年(平成28年)8月29日)は、JFEスチール元会長。香川県善通寺市出身。川崎製鉄との経営統合を決めた下垣内洋一の後を受け、NKKの最後の社長として統合実現にあたる。 技術畑出身でNKK社長となった珍しいケース。経営統合相手の川崎製鉄には技術出身者が社長となる慣例があり、下垣内洋一前社長がそれを意識したようだ。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山崎 學(やまざき まなぶ、1940年11月7日 - )は、… 山崎 學(やまざき まなぶ、1940年11月7日 - )は、日本の医師。 1966年、日本大学医学部卒業。1972年3月、日本大学大学院内科系精神医学専攻科修了、医学博士。同年、日本大学医学部精神神経科助手。1977年‐1980年、防衛医科大学校専任講師(文部教官)。1977年‐1982年、日本大学医学部精神神経科兼任講師。1982年、医療法人慈光会慈光会病院(現医療法人山崎会サンピエール病院)理事長・院長(現職)。1987年、社会福祉法人宏志会天界園理事長(現職)。 2000年、社団法人日本精神科病院協会理事に就任、常務理事、副会長を経て、2010年4月より会長(現職)。2016年4月29日、旭日重光章受章。
矢崎 藍(やざき あい、1940年11月6日 - )は、エッ… 矢崎 藍(やざき あい、1940年11月6日 - )は、エッセイスト、作家。 東京都生まれ。本名・柴田竹代。 1963年(昭和38年)お茶の水女子大学国文科卒。大学卒業後は児童読物雑誌の編集者。1965年(昭和40年)、25歳のときに結婚し、同時に夫の住む豊田市に移住した。結婚後は子供が生まれるまで、愛知県立昭和高等学校において非常勤講師を務める。子育て中の10年間は専業主婦として過ごすが、1977年(昭和52年)から愛知県立足助高等学校で古典と漢文を教える非常勤講師となる。 非常勤講師として在職中の1980年(昭和55年)に短編小説集『ああ子育て戦争』がベストセラーとなり、文筆活動に入る。小説執筆のきっかけは、教育雑誌のモニターをしている際に編集担当者から勧められたことによる。