滝村 修平(たきむら しゅうへい、1940年7月7日 - )… 滝村 修平(たきむら しゅうへい、1940年7月7日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。 広島国泰寺高校出身。卒業後は早稲田大学に進学予定だったが取りやめて1959年に広島カープへ入団した。 1年目の5月に一軍へ昇格するもブルペン投球中に右肩を痛め登板することなく二軍へ降格。二軍でもまともにボールが投げれない中で二軍監督を務めていた門前眞佐人から下手投げを勧められ下手投げ投手へと転向する。 1962年6月23日のウエスタン・リーグ対近鉄戦でノーヒットノーランを記録。同年一軍でも2試合に登板した。 1963年オフに引退し、引退後は法政大学に進学。その後は広島市内の海運会社で定年まで勤めた。現在はアマチュアゴルファーとして活動している。
マダム 路子(マダム みちこ、1940年7月7日 - 、本名… マダム 路子(マダム みちこ、1940年7月7日 - 、本名:品川路子(しながわ みちこ))は、日本の美容師。東京都出身。旧名は山野路子(やまの みちこ)。
若狭 繁行(わかさ しげゆき、1940年7月7日 - )は、… 若狭 繁行(わかさ しげゆき、1940年7月7日 - )は、樺太出身の元スキージャンプオリンピック代表選手。スキー解説者。 樺太生まれで、終戦による引き揚げで歌志内市へ移住した。歌神小学校のときジャンプを始め、歌志内高校2年時に全国高校スキー優勝。その素質に目をつけた中央大学のスキー部は高校3年の若狭を中央大学付属杉並高校に転校させ囲い込みを図った。 中央大学に進学後2年生と4年生の2度全日本学生選手権で優勝し、また1962年の第2回ユニバーシアード冬季大会個人純ジャンプで金メダルを獲得した(ちなみに同大会で日本ジャンプ陣は金・銀・銅メダルを独占、上位7人中6人を占める偉業を達成した)。 1962年ノルディックスキー世界選手権に出場、65m級(ノーマルヒル)50位、90m級(ラージヒル)18位だった。
松浦敬紀(まつうら たかのり、1940年7月5日 - )は、… 松浦敬紀(まつうら たかのり、1940年7月5日 - )は、日本の教育者。多摩大学経営情報学部名誉教授。専門は、経営組織論、職業論。
草村 礼子(くさむら れいこ、1940年7月5日 - )は、… 草村 礼子(くさむら れいこ、1940年7月5日 - )は、日本の女優、ナレーター。本名:野口 禮子(のぐち れいこ)。
岡 雅彦(おか まさひこ、1940年7月5日 - )は、日本… 岡 雅彦(おか まさひこ、1940年7月5日 - )は、日本の国文学者。国文学研究資料館名誉教授。 北海道出身。1963年北海道学芸大学教育学部卒、1965年北海道大学大学院修士課程修了、1966年北海道大学文学部助手、1968年フェリス女学院大学文学部専任講師、1973年国文学研究資料館助教授、90年教授、副館長、2002年定年退官、名誉教授、國學院大學教授。2011年退職。
篠田 勇(しのだ いさむ、1940年7月4日 - )は、茨城… 篠田 勇(しのだ いさむ、1940年7月4日 - )は、茨城県水戸市出身の元プロ野球選手(内野手)。 水戸商では、1958年の夏の甲子園に遊撃手として出場。3回戦で石川陽造、岡村浩二のバッテリーを擁する高松商に延長16回0-1xでサヨナラ負け。卒業後は立教大学に進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、1961年春季リーグ、1963年秋季リーグで打撃成績2位を記録、両季とも三塁手としてベストナインに選ばれている。 1964年に国鉄スワローズに入団、同年のジュニアオールスターにも出場する。1965年には水戸商の先輩でもある豊田泰光が故障で戦線離脱したため、主に遊撃手として85試合に出場(うち43試合に先発)。
渡辺 博文(わたなべ ひろふみ、1940年7月4日 - )は… 渡辺 博文(わたなべ ひろふみ、1940年7月4日 - )は、岡山県出身の元プロ野球選手(投手)。
高橋 実(たかはし みのる、1940年7月4日 - 2023… 高橋 実(たかはし みのる、1940年7月4日 - 2023年9月26日)は、日本の郷土史家、小説家。『北方文学』同人。 新潟県刈羽郡上小国村楢沢生まれ。長岡高等学校卒、1963年新潟大学教育学部卒。「北越雪譜」の著者・鈴木牧之を在学中から研究し、1964年牧之を題材とした「雪残る村」(『文学北都』)で第52回芥川賞候補。新潟県内の中学校教諭、新潟県立小千谷西高等学校、新潟県立小千谷高等学校教諭を長年務め、2001年定年退職。新潟県の地方文化人として、新潟県民俗学会常任理事、『十日町市史』調査員や県立新潟女子短期大学非常勤講師を歴任する。
矢野 清(やの きよし、1940年7月3日 - 2014年1… 矢野 清(やの きよし、1940年7月3日 - 2014年11月20日)は、愛媛県出身のプロ野球選手(外野手)。 愛媛・八幡浜高校では1958年の夏の甲子園に中堅手として出場。1回戦で清水東高に敗退。 1959年に阪急ブレーブスに入団。長距離打者として期待され、1962年には外野手として18試合に先発出場。7月1日には四番打者としても起用された。翌1963年も28試合に先発するが、打撃面で低迷が続き出場機会が減少。1967年オフには自由契約選手の候補となる。しかし1968年は6月から先発として起用され、右翼手、四番打者に定着。規定打席には達しなかったが打率.301、本塁打27本の好成績をあげ、「10年目の新人」と呼ばれた。
沖村 憲樹(おきむら かずき、1940年7月3日 - )は、… 沖村 憲樹(おきむら かずき、1940年7月3日 - )は、日本の官僚。元科学審議官。科学技術振興事業団理事長を務めていた期間に第1回アジア科学技術フォーラムの開催、湯川秀樹のノーベル賞受賞論文などの電子アーカイブ化しての公開を始めた。 <理事>公益財団法人立石科学技術振興財団、公益財団法人東京応化科学技術振興財団、公益財団法人日本学術協力財団、公益財団法人徳山科学技術振興財団、一般財団法人養蜂・薬草産業基盤復興促進協議会 等 <評議員>一般財団法人日本科学技術連盟、公益財団法人岩谷直治記念財団、公益財団法人未来工学研究所、公益財団法人つくば科学万博記念財団、公益財団法人日本海洋科学振興財団 等 <顧問等>NPO法人STSフォーラム監事、一般財団法人先端技術産業戦略推進機構顧問、一般財団法人世界貿易センター東京顧問、高知県産学官連携事業化支援顧問、日本科学新聞社監事、中国科学院科技政策与管理科学研究所特別顧問、中国科学技術部中国科学技術信息研究所(iSTIC)特別研究者、中国北京交通大学 特任教授、中国科学院大学名誉教授、人民日報社国際問題研究センター外国人専門家委員会委員、中国 大連理工大学名誉教授 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
桜井 良之助(さくらい りょうのすけ、1940年7月3日 -… 桜井 良之助(さくらい りょうのすけ、1940年7月3日 - 2006年7月16日)は、日本の政治家。宮城県仙台市出身。東北大学卒業。元東京都議会議員。公明副代表を歴任。 1940年7月3日、宮城県仙台市に生まれる。創価学会に入会する。東北大学を卒業する。公明新聞記者を務める。 1973年、東京都議会議員選挙に、世田谷区から公明党公認候補として立候補し、初当選する(以降、連続9期)。東京都議会副議長、東京都議会総務委員長を歴任する。 1994年12月5日、公明党解散にともない、公明結成に参加し、公明副代表に就任する。 1998年11月7日、公明党再結成に参加し、公明党幹事に就任する。公明党東京都本部代表代行を歴任する。
浅丘 ルリ子(あさおか ルリこ、本名;浅井 信子、1940年… 浅丘 ルリ子(あさおか ルリこ、本名;浅井 信子、1940年7月2日 - )は、日本の女優。愛称は「ルリルリ」。身長156cm、体重35kg。血液型はA型。前夫は石坂浩二。
田谷 多枝子(たがや たえこ、1940年7月2日 - )は、… 田谷 多枝子(たがや たえこ、1940年7月2日 - )は、日本の児童文学翻訳家。日本語教師。 満洲・新京(現在の中国・吉林省長春市)生まれ、東京都出身。東京外国語大学タイ語科卒業。 日本女子大学にて山室静の下で童話の翻訳と研究に従事。その後、東京大学大学院文学部美学芸術学科修士課程で芸術家の生き方などを研究するが、日本語教師に転職。1982年から1990年、政府派遣専門家として、マレーシア、フィジー、シンガポールで日本語を教える。 ジョージ・マクドナルドの作品を多数翻訳した。
塩浜 勝博(しおはま かつひろ、1940年7月2日 -)は、… 塩浜 勝博(しおはま かつひろ、1940年7月2日 -)は、日本の数学者。専門は微分幾何学。九州大学名誉教授、80歳を超えてなお福岡工業大学付置研究所研究員として数学の研究を継続している。 1940年 東京都出身、理学博士(指導教員は、大槻富之助)。1964年 東京工業大学卒、1966年 東京工業大学大学院修士課程修了、1967年 筑波大学助手、同 助教授、同 教授を経て、1984年 九州大学教授。この間にカリフォルニア大学ロサンゼルス校や現マックスプランク数学研究所の前身となるボン大学特別研究領域40等に客員教授、研究員として滞在している。1998年 佐賀大学教授、2006年 退官後も福岡大学、福岡工業大学で非常勤講師、研究員を続けている。
山本 圭(やまもと けい、1940年〈昭和15年〉7月1日 … 山本 圭(やまもと けい、1940年〈昭和15年〉7月1日 - 2022年〈令和4年〉3月31日)は、日本の俳優、声優。身長167 cm、血液型はO型。有限会社活動屋所属。趣味は渓流釣り。 妻は囲碁棋士の小川誠子。長女もいる。父は山本勝巳、父方の叔父は山本薩夫。兄は山本學、弟は山本亘。 大阪府大阪市生まれ。成蹊大学政治経済学部を中退。大学中退後、1960年に俳優座養成所第12期生となり、1963年に正式に入団(1980年に退団)。 1962年、叔父・薩夫監督の『乳房を抱く娘たち』でスクリーンデビュー。 1966年、テレビドラマ『若者たち』で三男・佐藤三郎役を演じて人気を獲得(1968年からの映画化三部作にも同役で出演)。
福の花 孝一(ふくのはな こういち、1940年7月1日 - … 福の花 孝一(ふくのはな こういち、1940年7月1日 - 2021年)は、熊本県菊池郡合志町(現役当時、現在の同県合志市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は松井 孝一(まつい こういち)(入門時の姓は福島(ふくしま))。得意手は右四つ、突っ張り、寄り。身長183cm、体重135kg。岳父は元小結・和歌嶌。最高位は東関脇(1971年1月場所)。 農家の生まれで、親類に出羽海部屋の幕内力士、八方山がいた関係で出羽海部屋に入門、1958年1月に初土俵を踏んだ。入門から6年後の1964年7月に新十両、1965年9月に新入幕を果たした。 同部屋の先輩である横綱・佐田の山譲りの突っ張りが得意で、その強さは1970年1月場所で当時大関の北の富士を張り手一発で倒し脳震盪を起こさせるほどだった。
愛田 武(あいだ たけし、本名:榎本 武(えのもと たけし)… 愛田 武(あいだ たけし、本名:榎本 武(えのもと たけし)、1940年7月1日 - 2018年10月25日)は、日本の実業家。愛田観光株式会社元代表取締役社長。歌舞伎町ホストクラブ協力会初代会長。 源氏名は大ファンであった歌手の愛田健二に因む。 この項目は、性風俗関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:性/PJ:性)。
田代 菊雄(たしろ きくお、1940年6月30日 - 202… 田代 菊雄(たしろ きくお、1940年6月30日 - 2021年5月12日)は、日本の法学者。専攻は西洋法制史(教会法、カノン法)、社会福祉法制。ノートルダム清心女子大学名誉教授。日本キムイルソン研究会会長。
朝間 義隆(あさま よしたか、1940年6月29日 - )は… 朝間 義隆(あさま よしたか、1940年6月29日 - )は、日本の脚本家、映画監督。宮城県仙台市出身、神奈川県鎌倉市在住。山田洋次監督との共作で知られる。 1965年、上智大学文学部英文学科を卒業。 松竹大船撮影所演出助手室に入社。山田洋次に師事し、『男はつらいよ』シリーズや『遙かなる山の呼び声』、『同胞』など山田監督作品の脚本を共同で手がける。『幸福の黄色いハンカチ』では第1回日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第51回キネマ旬報賞脚本賞受賞。 1979年、街で働く若者たちが第九交響曲を一緒に歌うまでのドラマを描いた『俺たちの交響楽』により監督デビュー。1980年に松竹を退社し、以後契約監督。1996年、フリーに。
下田 京子(しもだ きょうこ、1940年6月29日 - 20… 下田 京子(しもだ きょうこ、1940年6月29日 - 2013年8月27日)は日本共産党の元・参議院議員である。2期、務めた。 福島県東白川郡塙町出身。福島大学 学芸学部 (美術科)を卒業後、中学校教員や石川町議を経て、1977年施行の第11回参議院議員通常選挙にて全国区から日本共産党公認で出馬し15位で初当選。1983年の参院選に比例区から立候補し再選。 その後、衆議院の予定候補者として活動することとなり、1989年の参議院選挙には出馬せず、1990年の総選挙で福島県第2区から出馬し、32,589票獲得するも次々点で落選。 党内では、文教部副部長や農政対策委員長などを歴任した。 2013年8月27日に心不全のため死去。
松前山 武士(まつまえやま たけし、1940年6月29日 -… 松前山 武士(まつまえやま たけし、1940年6月29日 -)は、北海道松前郡松前町出身で出羽海部屋(のち九重部屋)に所属した元大相撲力士。本名は渡辺 貞夫(わたなべ さだお)。最高位は東前頭9枚目(1965年5月場所)。現役当時の体格は173cm、94kg。得意手は左四つ、ハズ押し、寄り、投げ。 中学校卒業後は漁業に従事していたが、帰省した時に村相撲で活躍し、千代の山(横綱。引退後、年寄・九重を襲名)の入門を世話した地元の中学校校長・若狭龍太郎から角界入りを勧められた。その後上京し、1957年11月に出羽海部屋へ入門。入門後すぐ、彼が漁師時代に乗っていた漁船・久栄丸が転覆する海難事故があって乗組員全員が死亡しており、力士になったため命拾いしたともいえる。
海乃山 勇(かいのやま いさむ、1940年6月28日 - 1… 海乃山 勇(かいのやま いさむ、1940年6月28日 - 1997年7月5日)は、茨城県龍ケ崎市出身で小野川部屋(のち出羽海部屋)に所属した大相撲力士。本名は入井 勇(いりい いさむ)。最高位は東関脇(1968年1月場所)。現役時代の体格は172cm、120kg。得意手は左四つ、寄り、蹴手繰り、蹴返し、突き落とし。 中学校卒業後に角界入りし、1956年5月場所、小野川部屋から初土俵を踏んだ。最初は本名でもある「入井」の名で番付に付いたが、当時日本で人気が高かった元力士のプロレスラー・力道山にあやかろうとして、「海力山(かいりきざん)」という四股名を考え、日本相撲協会に改名届を出した。ところが、実際に発表された1957年1月場所の番付表には、なぜか「海乃山」と記されていた。
臼井 久和(うすい ひさかず、1940年6月27日 - )は… 臼井 久和(うすい ひさかず、1940年6月27日 - )は、日本の日本の政治学者。国際政治学・平和学を専攻。獨協大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授。 神奈川県平塚市生まれ。学習院大学政経学部卒業。旧・東京都立大学大学院社会科学研究科修士課程修了、一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。獨協大学法学部専任講師・助教授・教授、フェリス女学院大学文学部教授、同大学国際交流学部教授、中央大学法学部教授を務める。
ジェリー藤尾( - ふじお、本名:藤尾 薫紀(ふじお しげき… ジェリー藤尾( - ふじお、本名:藤尾 薫紀(ふじお しげき)、1940年6月26日 - 2021年8月14日)は、日本の歌手、俳優、タレント。 オフィスキコ所属。代表曲は『遠くへ行きたい』(作詞:永六輔、作曲:中村八大)。専修大学附属京王高等学校(現・専修大学附属高等学校)中退。娘は元女優の藤尾美紀、藤尾亜紀。元妻は歌手、タレントの渡辺友子。身長172cm。 1940年に、高知県出身で松竹で俳優になったのちに日本放送協会国際部勤務で英語アナウンサーをしていた父・藤尾薫宏とイギリス国籍の母・オリビア・ヒース・ゴンザレスのもと、当時の中華民国上海の日本租界で生まれる。当地で第二次世界大戦の終戦を迎え1946年に家族で日本へ引き揚げるものの、上海では家族のみならず外国人居留地においても英会話のみで生活していたため、帰国後の藤尾と母は言葉の壁や外見から差別を受ける。
扇田 昭彦(せんだ あきひこ、1940年6月26日 - 20… 扇田 昭彦(せんだ あきひこ、1940年6月26日 - 2015年5月22日)は、演劇評論家、元朝日新聞記者。 東京生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒業。1964年に朝日新聞に入社。1968年より学芸部に配属され、長く演劇記者として活動した。1960年代以降の小劇場運動を高く評価し、積極的に紹介し続けた。1989年に『現代演劇の航海』で芸術選奨新人賞受賞。1997年以降、NHK衛星第二放送の深夜番組「80年代演劇大全集」「20世紀演劇カーテンコール」「新世紀演劇パレード」で長く司会を務めた。2003 - 2006年までAICT国際演劇評論家協会日本センター会長。静岡文化芸術大学文化政策学部特任教授。
磯 良史(いそ よしふみ、1940年(昭和15年)6月26日… 磯 良史(いそ よしふみ、1940年(昭和15年)6月26日 - )は、日本の政治家。実業家。元茨城県笠間市長((3期)。 東京農業大学農学部卒業。 会社社長、茨城県醸造組合理事、小中学校PTA会長、笠間市教育委員を経て、1994年(平成6年)笠間市長に当選した。 笠間市長を2006年まで3期務め、合併後の笠間市長選挙に立候補しなかった。
宮地 正介(みやち しょうすけ、1940年6月26日 - 2… 宮地 正介(みやち しょうすけ、1940年6月26日 - 2025年3月8日)は、日本の政治家。衆議院議員7期。佐賀県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。 若くして創価学会に入信。程なく政治活動に入り、公明党所属参議院議員秘書、公明党埼玉県政策局次長、西部開発特別委員長などを経て、1972年の衆院選に出馬するも落選。1976年の第34回衆議院議員総選挙に旧埼玉2区から立候補。山口敏夫、小宮山重四郎ら新自由クラブ、自由民主党の大物がそろう選挙区で厳しい戦いを迫られたが、現職の日本社会党の清水徳松を振り切って3位に滑り込み、初当選。1980年、第36回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。1983年、第37回衆議院議員総選挙で衆議院議員に返り咲いた。
日根 紘三(ひね こうぞう、1940年6月25日 - )は、… 日根 紘三(ひね こうぞう、1940年6月25日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 息子は、ヴィジュアル系ロックバンドSHAZNAのボーカリスト・IZAM。 引退後は東京都で印刷所を経営している。
石原 全(いしはら あきら、1940年6月25日 - )は、… 石原 全(いしはら あきら、1940年6月25日 - )は、日本の法学者。専門は商法。学位は、博士(法学)(一橋大学・論文博士・1995年)。一橋大学名誉教授。 1940年6月25日神奈川県平塚市に生まれる。 1959年神奈川県立平塚江南高等学校卒業。1965年一橋大学卒業。1968年一橋大学大学院法学研究科修士課程を修了。1971年一橋大学大学院法学研究科博士課程単位修得。 同年小樽商科大学短期大学部専任講師、1972年同助教授。1981年小樽商科大学商学部助教授、1982年同教授。 1984年一橋大学法学部教授就任。1987年一橋大学法学部評議員。1988年日本私法学会理事。1991年から1992年までイギリス、ドイツにて在外研究。
熊谷 弘(くまがい ひろし、1940年6月25日 - )は、… 熊谷 弘(くまがい ひろし、1940年6月25日 - )は、日本の政治家、通産官僚。 参議院議員(1期)、衆議院議員(6期)、通商産業大臣(第55代)、内閣官房長官(第57代)、保守新党代表(初代)を歴任した。 静岡県磐田郡水窪町(現・浜松市天竜区)出身。長野県飯田高等学校を経て、1964年に一橋大学社会学部を卒業し、通商産業省に入省。同期に渡辺修、細川恒、中田哲雄、藤原武平太、川田洋輝(資源エネルギー庁長官、電源開発副社長)、久禮彦治(駐連合王国公使、日本産業デザイン振興会理事長)、横田捷宏らがいる。 1966年企業局産業資金課、1972年繊維雑貨局繊維製品課長補佐、機械情報産業局情報処理振興課補佐、1974年10月大臣官房秘書課補佐、1974年11月ハーバード大学留学、1975年5月中小企業庁官房施策普及室長などを経て、1977年、第11回参議院議員通常選挙に自由民主党から立候補し当選する。
継谷 昌三(つぎたに しょうぞう、1940年6月25日 - … 継谷 昌三(つぎたに しょうぞう、1940年6月25日 - 1978年6月2日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。ポジションはMF。 神戸市出身で実家は材木商を営んでいて、裕福であったとされる。関西学院中学部サッカー部では3年次の1955年に主将を務めた。関学高等部でもサッカー部に所属して関学高等部の黄金時代の中心的な役割を担った。 1959年に関西学院大学に入学しサッカー部に所属し、この年に開催されたAFCユース選手権1959の日本代表に選出された。また、大学3年次の1961年8月15日にはインドネシア代表戦で日本代表として初出場した。大学4年次は主将を務めた他、1962年のアジア大会の代表に選出され出場も果たした。
加賀美 幸子(かがみ さちこ、旧姓・山田。1940年〈昭和1… 加賀美 幸子(かがみ さちこ、旧姓・山田。1940年〈昭和15年〉6月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー、千葉市女性センター名誉館長、松下幸之助記念志財団評議員。 元NHKエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)でNHKを代表するアナウンサーの一人であった。 夫はNHKディレクターを経て中央大学教授を務めた加賀美鉄雄。 1940年(昭和15年)、群馬県北群馬郡渋川町(現・渋川市)で生まれる。母方の伯父は渋川市長を務めた石北正司。渋川北小学校入学後、東京の小学校へ転校。東京都立駒場高等学校を経て、1963年(昭和38年)に立教大学文学部英米文学科を卒業し、NHK入局。以来定年まで一貫して東京アナウンス室勤務だった。
野崎 靖博(のざき やすひろ、1940年6月24日 - )は… 野崎 靖博(のざき やすひろ、1940年6月24日 - )は、日本のスポーツライター(スポーツジャーナリスト)。元日刊スポーツ編集委員。石川県生まれ。 テレビ番組への出演も多く、眉毛がとてつもなく太くて濃いため「まゆげのノーさん」、「眉毛の野崎さん」の愛称で親しまれた。 1960年、東京都立桜町高等学校から中央大学法学部法律学科に入学。1964年に同大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。校閲部を経て、1968年には野球部に配属。その後コミッショナー事務局、遊軍記者を経て、1980年12月に野球部次長に就任。 1986年4月よりテレビ朝日『ニュースステーション』に出演。木曜日のプロ野球コーナーを担当するなどメディアにも登場し、テレビゲーム「プロ野球チームをつくろう!」にも「まゆげのノーさん」として登場した。
倉島 今朝徳(くらしま けさのり、1940年6月24日 - … 倉島 今朝徳(くらしま けさのり、1940年6月24日 - 2013年7月3日)は、長野県出身のプロ野球選手(捕手・内野手)。 長中3年生の時に野球を始め、上田松尾高では1年生の時、神津進投手とバッテリーを組み、1957年夏の甲子園に捕手、六番打者として出場。前年度優勝校の平安高を降し準々決勝に進出するが、この大会に優勝した広島商の山中英明(法大)に完封負けを喫した。同年秋の静岡国体は1回戦で 早実高を降すが、準々決勝で法政二高の延藤謙吉(三重交通)らに抑えられ完封負け。翌1958年春季北信越大会に進むが、準決勝で小松実に敗退。1959年夏は県予選準々決勝で小諸商に敗れる。 卒業後は明治大学へ進学。
荒井 幸昭(あらい ゆきあき、1940年(昭和15年)6月2… 荒井 幸昭(あらい ゆきあき、1940年(昭和15年)6月23日 - 2019年(令和元年)6月14日)は、昭和から平成時代の政治家。山形県南陽市長。旭日小綬章。 中央大学法学部卒業。1976年(昭和51年)4月から17年3か月にわたり南陽市議会議員を務め、1994年(平成6年)4月からは同議長を務めた。1998年(平成10年)7月、南陽市長に当選し2期務めた。 市長在任中は、第4次南陽市総合計画の策定、公立置賜総合病院の開設、えくぼプラザ、赤湯小学校、交流プラザ「蔵楽」の建設、斎場整備などに尽くした。2011年春の叙勲で旭日小綬章を受章。
小林 達彦(こばやし たつひこ、1940年6月23日 - )… 小林 達彦(こばやし たつひこ、1940年6月23日 - )は、日本のアナウンサー。株式会社オフィス・コバヤシ代表取締役社長。神奈川県出身。サッカーネームは「ペレコバ」。 1963年に早稲田大学教育学部を卒業後、RKB毎日放送へ入社。1969年にニッポン放送(LF)へ移籍。野球やサッカーを中心に各種スポーツ中継の実況アナウンサーとして活躍した。 2000年の定年退社後は引き続きLFの契約アナウンサーとして活動し、2004年よりフリーアナウンサーとなる。2007年に株式会社オフィス・コバヤシを設立。 サンケイスポーツに記事を出稿することもある。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
鈴木 正孝(すずき まさたか、1940年(昭和15年)6月2… 鈴木 正孝(すずき まさたか、1940年(昭和15年)6月22日 - )は、日本の官僚、政治家。元防衛医科大学校副校長。元参議院議員。静岡県出身。
栗原 アヤ子(くりはら アヤこ、1940年6月22日 - 2… 栗原 アヤ子(くりはら アヤこ、1940年6月22日 - 2026年3月21日)は、日本のフリーアナウンサー、タレント、女優。エス・オー・プロモーションの取締役。東京都中野区出身。 夫はフリーアナウンサー、元日本教育テレビ(NET、現在のテレビ朝日)アナウンサーでエス・オー・プロモーション創業者・会長の押阪忍。長男はエス・オー・プロモーション代表取締役社長でDJの押阪雅彦(DJ OSSHY)。次男は、エス・オー・プロモーション監査役の押阪智彦。 1959年にタレントとしてデビューした。 1963年に押阪忍と結婚した。1971年、押阪忍と株式会社エス・オー・プロモーションを設立。1994年、押阪忍と「押阪忍のトークアカデミー」を開校し、副塾長となる。
重松 森雄(しげまつ もりお、1940年6月21日 - )は… 重松 森雄(しげまつ もりお、1940年6月21日 - )は、日本のマラソン選手。福岡県福岡市早良区(旧・早良郡早良町)出身。1965年に世界最高記録を樹立した。 福岡県立福岡工業高等学校を卒業して、1959年九電工に入社する。 1960年に熊日30キロロードレースで当時の日本記録で優勝。 九州一周駅伝などのレースに出場するが、1961年に病気に襲われ、療養を余儀なくされる。このとき、将来をことを考えて大学を出ておくべきだと決意し、九電工を退社。1962年に福岡大学に入学するという異色の経歴の持ち主である。 1964年1月2・3日、第40回箱根駅伝に立命館大学と共に福岡大学が招待され、エース区間の2区を走った。
井狩 彌介(いかり やすけ、1940年〈昭和15年〉6月21… 井狩 彌介(いかり やすけ、1940年〈昭和15年〉6月21日 - )は、日本のインド哲学者、仏教学者。京都大学名誉教授。
花光 節夫(はなひかり せつお、1940年6月21日 - 没… 花光 節夫(はなひかり せつお、1940年6月21日 - 没年不明)は、岩手県岩手郡松尾村(現在の同県八幡平市)出身で、花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は遠藤 節夫(えんどう せつお)。身長178cm、体重130kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭3枚目(1968年1月場所)。 父、兄とも松尾鉱山の採鉱夫で、松尾鉱山中学校、松尾鉱山高校(定時制)時代は相撲部に所属して岩手県大会などに出場するなど活躍した。 高校時代に岩手県大会定時制の部で優勝したことにより大相撲にスカウトされ、高校を3年生で中退して花籠部屋に入門し、1958年(昭和33年)5月場所で初土俵を踏んだ。 1962年(昭和37年)9月場所で新十両に昇進し、その後19場所を要したが1965年(昭和40年)9月場所にて12勝3敗という好成績を収めて十両優勝を果たし、翌11月場所で新入幕を決めた。
池田 浩士(いけだ ひろし、1940年6月20日 - )は、… 池田 浩士(いけだ ひろし、1940年6月20日 - )は、日本のドイツ文学者、評論家、京都大学名誉教授。 専門分野はドイツ文学、現代文明論、ファシズム文化研究。 1940年、滋賀県大津市で生まれた。慶應義塾高校から、慶應義塾大学文学部独文科に進んだ。後に作家となる車谷長吉とは大学時代の友人であった。1963年に卒業し、同大学大学院に進学。1968年、博士課程を満期退学した。 1968年、京都大学教養部講師に就いた。後に助教授昇格。教養部が改組後、京都大学総合人間学部教授となった。2004年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は京都精華大学教授として教鞭をとった。2013年に京都精華大学を退職。
斎藤 惇夫(さいとう あつお、1940年6月20日 - )は… 斎藤 惇夫(さいとう あつお、1940年6月20日 - )は、日本の児童文学作家、編集者。 1940年に新潟県新潟市に生まれる。小学校から高校卒業までを長岡市で過ごす。新潟大学教育学部附属長岡小学校、新潟県立長岡高等学校を卒業後、立教大学法学部法学科に進学。60年安保闘争に参加。同大卒業後、大手電機メーカーに勤務した。 その後、福音館書店編集部に勤務。長年にわたり児童書籍の編集に携わる。同社編集担当取締役となった。 1970年の処女作『グリックの冒険』で、翌年に日本児童文学者協会新人賞を受賞。 1972年の『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』で、国際児童年特別アンデルセン賞優良作品に選出。 1983年には、『ガンバとカワウソの冒険』で野間児童文芸賞を受賞した。
安藤 宏三(あんどう こうぞう、1940年6月20日 - 2… 安藤 宏三(あんどう こうぞう、1940年6月20日 - 2003年10月8日)は、日本の剣道家。段位は教士八段。早稲田大学卒業。岐阜県大垣市生まれ。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
寺田 典城(てらた すけしろ、1940年(昭和15年)6月1… 寺田 典城(てらた すけしろ、1940年(昭和15年)6月19日 ‐ )は、日本の政治家。旧姓は小原。 参議院議員(1期)、秋田県知事(民選第14・15・16代)、秋田県横手市長(2期)、秋田経済法科大学理事長、結いの党副代表、維新の党参議院議員会長などを務めた。また、知事在任中、全国知事会副会長、北海道東北知事会会長を務めた。 秋田県仙北郡大川西根村(現、大仙市)生まれ。秋田県立横手高等学校、早稲田大学第二法学部卒業。横手市の寺田家に婿入りし、石油小売会社テラセキ及び建設会社や創和建設の社長を務める。 1991年、横手市長選挙に出馬し、新人4人が立候補した混戦を制して初当選(現職の千田謙蔵市長は不出馬)。
田中 直紀(たなか なおき、1940年〈昭和15年〉6月19… 田中 直紀(たなか なおき、1940年〈昭和15年〉6月19日 - )は、日本の政治家、実業家。越後交通代表取締役会長。 外務政務次官(宇野内閣、第1次海部内閣)、農林水産副大臣(初代)、防衛大臣(第10代)、参議院議員(3期)、衆議院議員(3期)を歴任した。旧姓は鈴木。父は、内務官僚、自由党衆議院議員であった鈴木直人。妻は越後交通グループ前会長で現相談役である田中眞紀子。 石川県金沢市生まれ。現在は新潟県在住。武蔵高等学校中学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学卒業後は日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)に入社。1969年に田中角栄元総理の長女・田中眞紀子と結婚して田中家に婿入りし、姓を田中に改める。
張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、… 張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者・野球評論家、日本プロ野球名球会会員、韓国野球委員会(KBO)コミッショナー特別補佐官。在日韓国人二世であり、本名は張 勲(読みがな:チャン・フン、ハングル:장훈)。
常松 裕志(つねまつ ひろし、1940年6月19日-)は、日… 常松 裕志(つねまつ ひろし、1940年6月19日-)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。 旧満洲国浜江省ハルビン市生まれ。1963年東京大学経済学部卒。三井鉱山勤務を経て、1976年に三多摩医療生活協同組合を設立し、理事長に就任した。旧東京7区から1983年の総選挙、1986年の総選挙に立候補したが落選。同じく旧東京7区から1990年の総選挙に立候補して三度目の挑戦で初当選。1993年の総選挙で落選した。1996年の総選挙で新設された小選挙区東京19区に社会民主党から立候補するも落選。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
小島 康臣(こじま やすおみ、1940年6月18日 - )は… 小島 康臣(こじま やすおみ、1940年6月18日 - )は、日本のアナウンサー、キャスター。 神奈川県横浜市出身。慶應義塾大学法学部卒業。 1964年4月、TBSに第9期生アナウンサーとして入社(同期には石川顯・大沢悠里・平原晋太郎・桝井論平・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)。主にニュース、報道番組を担当。1964年5月ラジオ編成局実施部、1965年6月報道局ニュース部、1965年12月ニュース取材部の後、1967年11月15日アナウンサー研修室設置に伴いラジオニュース部兼アナウンサー研修室付に。1970年7月テレビ本部報道局ラジオニュース部、1972年11月テレビニュース部兼ラジオ局ラジオニュース部、1984年4月政経部、1987年7月編集部に在籍したのち、1990年6月、東京放送健康保険組合へ現職出向。