小林 胖(こばやし ゆたか、1917年11月17日 - 19… 小林 胖(こばやし ゆたか、1917年11月17日 - 1980年8月11日)は、日本の図書館情報学者。名前は「ばん」とも呼ばれた。 1917年 (大正6年) 11月17日東京に生まれる。漢籍に凝っていた父親が四書五経から「胖」という字を選び名付けた。1930年 (昭和5年) 、戸山小学校卒業後、武蔵高等学校尋常科へ入学、同高等科へ進み1939年卒業。同年東京帝国大学理学部化学科へ入学し、1941年12月卒業した。 1942年、三井化学工業株式会社研究員となるが、在職のまま兵役徴集に応じ、陸軍工兵学校幹部候補生隊で教育を受けた後に、満洲へ向かった。1943年、独立工兵大隊勤務中に発病し予備役となって帰国、三井化学工業に勤務し終戦となった。
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丸林 久信(まるばやし ひさのぶ、1917年11月17日 -… 丸林 久信(まるばやし ひさのぶ、1917年11月17日 - 1999年)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、演出家、文筆家である。脚本家としての筆名に栄町 はじめ(さかえまち はじめ)がある。日本映画監督協会元会員、日本放送作家協会会員、日本脚本家連盟信託者。専修大学文学部講師、シナリオ・センター講師を歴任した。黒澤明の『生きる』、『生きものの記録』でチーフ助監督を務めたことでも知られる。 1917年(大正6年)11月17日、三重県多気郡下御糸村(現在の同県同郡明和町)に生まれる。のちに三重県立松阪高等学校の教諭を務めた丸林勝人(1921年 - 2010年)は実弟。 1937年(昭和12年)3月、早稲田第二高等学院(現在の早稲田大学高等学院)を卒業、同年4月には旧制早稲田大学文学部国文科(現在の早稲田大学文学部日本語日本文学コース)に進学、当時の恩師に河竹繁俊(1889年 - 1967年)がいた。
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佐藤 國吉(さとう くにきち、1917年11月16日 - 2… 佐藤 國吉(さとう くにきち、1917年11月16日 - 2002年6月18日)は海事実業家、元佐藤国汽船会長及び、元日本内航海運組合総連合会名誉会長。 兵庫県神戸市生まれ、1941年(昭和16年)12月慶応義塾大学経済学部卒業。佐藤國汽船に入社、1964年(昭和39年)公団共有船主協会副会長就任、1966年(昭和41年)日本船主協会理事及び、海運造船合理化審議会専問委員就任。1968年(昭和43年)全日本内航船主海運組合会長就任。1972年(昭和47年)船員中央労働委員会委員就任。1973年(昭和48年)神戸海運業組合長就任及び、日本押船土運船協会会長就任。1975年(昭和50年)日本近海船主協同組合理事長就任。
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木下 是雄(きのした これお、1917年(大正6年)11月1… 木下 是雄(きのした これお、1917年(大正6年)11月16日 - 2014年(平成26年)5月12日)は、日本の物理学者。 薄膜や固体表面に関する研究を進めていく一方で、ロゲルギストの一員として、雑誌『自然』に科学に関するエッセイを多数発表した。また、日本語教育に関する著書も多数発表した。特に『理科系の作文技術』は、1981年の初版から40年以上経っても重版されるほどのベストセラーとなっている。 1917年、医学者で熊本医科大学教授を務めた木下益雄の長男として東京府で生まれる。産婦人科学者の木下正中(東京帝国大学教授)は祖父。 1941年、東京帝国大学理学部物理学科を卒業、同年4月名古屋帝国大学理工学部講師、1942年、同大学工学部講師。
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浅井 礼三(あさい れいぞう、1917年11月15日 - 1… 浅井 礼三(あさい れいぞう、1917年11月15日 - 1985年5月26日)は、千葉県印旛郡成田町成田(現在の成田市本町)出身の野球選手、実業家、馬主。早稲田大学在籍時には「100万ドルの名外野手」と謳われた。 旧制成田中学校を経て1935年に早稲田大学に入学した。全国中等学校優勝野球大会での実績がないなか同大学の野球部に入部し、中堅手としてレギュラーに選出された。1938年に早稲田大学専門部商科を卒業。1939年には現役の選手でありながら、唐津中学の監督に就任。これは、同校野球部の強化を望んでいた学校関係者が、同校卒業生で当時早大野球部に在籍していた下尾勝馬を通しての依頼であるという。当初は1週間ほどの予定であったが、指導に熱が入ったため、最終的には45日間にもわたる熱心な指導となった。
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五味 芳夫(ごみ よしお、1917年11月14日 - 198… 五味 芳夫(ごみ よしお、1917年11月14日 - 1988年9月10日)は、山梨県甲府市出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは内野手。 甲府中学では1年生からレギュラーとなり、第21回全国中等学校優勝野球大会に出場。1回戦の青島中学戦で1試合5盗塁を記録。この記録は現在も夏の甲子園の大会記録として残っている。 1936年に名古屋金鯱軍へ入団し、山梨県初のプロ野球選手となった。1939年は30盗塁を記録し、山田伝と並んで盗塁王を獲得した。これにより1937年の秋のシーズンに島秀之助が盗塁王を獲得してから、江口行男、佐々木常助、五味芳夫と、4シーズン連続で同一の球団(名古屋金鯱軍)の各選手が盗塁王を獲得するという、珍記録が達成されたことになる。
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市古 尚三(いちこ しょうぞう、1917年(大正6年)11月… 市古 尚三(いちこ しょうぞう、1917年(大正6年)11月13日 - 2014年(平成26年)2月16日)は、日本の経済学者、拓殖大学名誉教授、元拓殖短期大学学長、元日本私立短大協会理事、経済博士。専門は、中国経済史。
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深澤 俊勇(ふかざわ としお、1917年11月11日 - 没… 深澤 俊勇(ふかざわ としお、1917年11月11日 - 没年不明)は、日本の経営者。日野自動車社長を務めた。長野県長野市出身。 旧制長野中学を経て、1937年に名古屋高等工業学校を卒業し、同年に東京自動車工業に入社。1965年11月に日野重工業(のちの日野自動車)取締役に就任し、常務、専務を経て、1980年6月に副社長に就任し、1983年6月に社長に昇格。1987年6月に相談役を経て、1993年7月から顧問を務めた。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。
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田原 虎次(たはら とらじ、1917年11月11日 - 19… 田原 虎次(たはら とらじ、1917年11月11日 - 1995年7月7日)は、日本の農業機械学者。東京農工大学名誉教授。 福岡県出身。1935年福岡県中学修猷館を経て、1943年九州帝国大学農学部農業工学科を卒業。 東京農林専門学校教授を経て、1949年同校が東京農工大学に統合されると、1950年助教授となり、1962年教授に就任。1969年には付属図書館館長を務めた。 1981年日本大学農獣医学部農業工学科教授に就任。1987年定年退職。 1990年勲三等旭日中綬章。
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大柴 滋夫(おおしば しげお、1917年(大正6年)11月1… 大柴 滋夫(おおしば しげお、1917年(大正6年)11月11日 – 1998年(平成10年)11月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、社会民主連合副代表。 山梨県北巨摩郡小淵沢村(現北杜市)生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。故郷の貧しい農村の状況を見て社会主義革命による変革を望み、1945年に日本社会党に入党。社会党が左右に分裂した際は左派社会党に所属した。以後党本部書記の地位に15年間あった他、中央執行委員・組織部長・総務部長などを歴任する。 1953年の第26回衆議院議員総選挙から旧東京2区(定数3)で立候補し、1960年の第29回衆議院議員総選挙で初当選。1963年の第30回衆議院議員総選挙では、自由民主党の菊池義郎、宇都宮徳馬を抑えトップ当選(大柴の当選により、割を食う形で社会党のベテラン加藤勘十が次点で落選した)。
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藤島 茂(ふじしま しげる、1917年11月10日 - 19… 藤島 茂(ふじしま しげる、1917年11月10日 - 1973年3月24日)は、東京出身の建築家、随筆家。 1941年東京帝国大学工学部建築学科卒、鉄道省に入省。戦後、国鉄本社施設局建築課課長補佐として駅舎の設計営繕を担当し、技師長室調査役、大分鉄道管理局長。1953年から1954年までフランス国鉄に留学、1961年駅内トイレに関する随筆『トイレット部長』を刊行するとベストセラーとなり、映画化される。1962年『駅前広場計画論、特に駅本屋平面計画との関連について』で、東京大学より工学博士を授与される。随筆続編を『文藝春秋』に掲載。1967年国鉄外務部長。一級建築士。 建築史家の藤島亥治郎の甥に当たる。
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二村 忠元(にむら ただもと、1917年11月9日 - 19… 二村 忠元(にむら ただもと、1917年11月9日 - 1982年12月18日)は、日本の工学者。東北大学名誉教授。専門は電気音響工学。 長野県松本市出身。旧制松本第二中学(現長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高校理科甲類を経て、1940年(昭和15年)京都帝国大学工学部電気工学科卒業。 東京大学、東北大学で1年間研究に従事した後、1941年(昭和16年)から1945年(昭和20年)まで、創設時の京城帝国大学理工学部助教授を務める。1946年(昭和21年)、東北大学助教授。1951年(昭和26年)、東京大学から理学博士の学位を取得。1955年(昭和30年)、東北大学教授に昇任。 ダイナミックスピーカーの改良、スピーカアレイの設計法、残響可変装置、電気的な残響付加装置など先進的な研究に取り組む。
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朴 商黙(パク・サンムク、朝鮮語: 박상묵/朴商默、1917… 朴 商黙(パク・サンムク、朝鮮語: 박상묵/朴商默、1917年11月9日 - 1983年7月28日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家。第5代韓国国会議員。 日本統治時代の京畿道華城郡(現・華城市)出身。京城徽文高等普通学校、中央大学法学部卒。京城新聞・国都新聞・自由新聞・大公新聞記者、自由新報編集部次長、商工日報・産業経済新聞編集部長など20年間マスコミ業界で活動したのち政界に進出し、民主党華城郡党委員長、無所属の第5代国会議員、国会国防委員を務めた。 1983年7月28日、ソウル市麻浦区の自宅で肺癌により死去。享年67または68。
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萩谷 朴(はぎたに ぼく、1917年11月9日 - 2009… 萩谷 朴(はぎたに ぼく、1917年11月9日 - 2009年1月24日)は、日本の国文学者。放送作家。大東文化大学名誉教授、二松学舎大学名誉教授。日本文学大賞受賞者。 大阪府南区谷町四丁目(現在の大阪市中央区谷町)の医師・萩谷理平治、清江(すみえ)の三男として生まれる。名前の由来は『論語』「剛毅朴訥」に拠る。両親共に済生学舎を経て、母・清江は大阪初の女医で野口英世と同期生。また、済世学舎女子学生の会「淑徳会」明治26年(1983年)発足時の会員名簿26名に、萩谷すみ子、折口ゑい子(折口信夫の叔母で育ての親・ゑい)とその名が見える。 1937年(昭和12年)に旧制浪速高等学校卒業。野間光辰の薫陶を受ける。
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野崎 孝(のざき たかし、1917年〈大正6年〉11月8日 … 野崎 孝(のざき たかし、1917年〈大正6年〉11月8日 - 1995年〈平成7年〉5月12日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。 『ライ麦畑でつかまえて』など一連のサリンジャー作品のほか、フィッツジェラルドやヘミングウェイ、スタインベックなどの翻訳で知られる。 パン屋の長男として青森県弘前市に生まれる。1929年、旧制弘前中学校(青森県立弘前高等学校の前身)に入学、4年間を首席を通し、語学の天才と讃えられる。4年修了で旧制弘前高等学校(弘前大学の前身)に入学。1937年、東京帝国大学文学部イギリス人文学科に進み、中野好夫に師事。卒業後は東京の商業学校などで教鞭を執る。第二次世界大戦で出征、中国大陸で転戦する。
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木内 信敬(きうち のぶゆき、1917年11月8日 - 19… 木内 信敬(きうち のぶゆき、1917年11月8日 - 1997年8月7日)は、日本のアメリカ文学者、千葉大学名誉教授。 東京府東京市本郷区(現・東京都文京区)生まれ。 1940年東京帝国大学英文科卒。1950年より千葉大学助教授、1968年より教授を務め、1981年定年退官、名誉教授。1983年東洋女子短期大学教授、1991年より学長。1994年、勲三等旭日中綬章を受章。1997年、膵臓癌のため死去。 日本におけるジプシー(ロマ)研究のさきがけであった。
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日川 キヨ(ひかわ キヨ、1917年〈大正6年〉11月5日 … 日川 キヨ(ひかわ キヨ、1917年〈大正6年〉11月5日 - 2012年〈平成24年〉1月19日)は、日本のアイヌ文化伝承者。北海道釧路出身。北海道の阿寒湖畔で開催されている「まりも祭り」への出席や、アイヌの歌や舞踊の伝承により、アイヌ文化の伝承に貢献した。 北海道釧路春採で誕生した。アイヌ伝承者の日川善次郎と結婚後、夫と共に、1950年(昭和25年)から阿寒湖畔で開催されている「まりも祭り」に毎年出席し、若い世代に歌や踊りを指導した。まりも祭りでは、先頭に立って指導し、伝統食の作り方も伝えた。阿寒のアイヌ文化伝承者である佐々木宮子(第24回アイヌ文化奨励賞受賞者)も、キヨに教えを受けた1人である。
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李 坰鎬(イ・ギョンホ、朝鮮語: 이경호、1917年11月1… 李 坰鎬(イ・ギョンホ、朝鮮語: 이경호、1917年11月1日 - 1987年2月28日)は、大韓民国の官僚、検察官、憲法学者、政治家。第10代韓国国会議員、第14代保健社会部長官。本貫は全州李氏。号は仁山(인산、インサン)。日本名は李家 坰鎬。 岳父は制憲国会議員の晋直鉉、娘の李玲愛(朝鮮語版)とその夫の金賛鎮(朝鮮語版)も国会議員を務めたことがある。 全羅南道光陽に生まれた。1940年に京城法学専門学校を卒業。1942年に九州帝国大学法文学部法科(現・九州大学法学部)を卒業し、1943年に高等文官試験司法科に合格した。朝鮮光復後の1947年に憲法学者としてソウル大学校法科大学助教授、1950年に東国大学校教授を務めた。
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山口 シヅエ(やまぐち しづえ、1917年10月31日 - … 山口 シヅエ(やまぐち しづえ、1917年10月31日 - 2012年4月3日)は、日本の政治家。元日本社会党及び自由民主党衆議院議員(当選13回)。明るく華やぎのある雰囲気から下町の太陽と呼ばれた。本名静江。 東京都中央区日本橋小伝馬町に、「山口自転車」を経営していた山口重彦(後に参議院議員)の長女として生まれる。1935年、東京府立第七高等女学校(現・東京都立小松川高等学校)を卒業後、家業に従事。従業員への食事を手配する「炊事部長」を務めていた。 弟を戦争で亡くしたことで、「戦争反対を訴えたい」と国政選挙立候補を決意。賀川豊彦の後押しも得て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に東京都第1区から日本社会党公認で出馬し当選。
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香西 照雄(こうざい てるお、1917年10月30日 - 1… 香西 照雄(こうざい てるお、1917年10月30日 - 1987年6月24日)は、日本の俳人。 香川県木田郡庵治村(現高松市)に生まれる。旧制高松中学、旧制姫路高校を経て、1941年に東京帝国大学文学部国文科を卒業。ラバウルから復員後、1946年に高松で高校教諭となる。俳句ははじめ竹下しづの女に師事。のち東大俳句会で中村草田男を知り終生の師とする。1946年、中村草田男の「萬緑」創刊に参加。1955年、成蹊高等学校にうつり草田男の同僚となる。また大学部の講師も兼任した。1960年、第8回現代俳句協会賞受賞。「萬緑」の誌風のもと季語の象徴性に着目、思想性や社会性のある句を作った。「萬緑」では編集を補佐し、草田男の死去後は選者も務めている。
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平田 次三郎(ひらた じさぶろう、1917年10月30日 -… 平田 次三郎(ひらた じさぶろう、1917年10月30日 - 1985年10月28日)は、日本の評論家、ドイツ文学者。 福島県生まれ。1941年東京帝国大学文学部独文科卒。在学中、山下肇、堤重久、小島輝正らと同人誌『新思潮』を刊行。卒業後、逓信省・内務省嘱託・明治大学講師などを経て、中央大学教授。戦後から文芸評論活動を始め、1947年春『近代文学』同人となり、編集者としても働く。荒正人とともに夏目漱石論などを書いた。中大在職中に死去。
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香住 佐代子(かすみ さよこ、1917年10月28日 - )… 香住 佐代子(かすみ さよこ、1917年10月28日 - )は、日本の女優である。出生名丸山 菊代(まるやま きくよ)、結婚後本名山本 菊代(やまもと きくよ)。1930年代・1940年代の片岡千恵蔵プロダクション、日活京都撮影所、大映京都撮影所での剣戟映画のヒロイン女優として知られる。 1917年(大正6年)10月28日、東京府東京市下谷区竹町(現在の東京都台東区台東3-4丁目)に生まれる。 1935年(昭和10年)3月、旧制・上野高等女学校(現在の上野学園高等学校)を卒業し、京都に移って片岡千恵蔵プロダクションに入社する。同年11月29日に公開された『黄昏地蔵 前篇 疾風転変の巻』(監督振津嵐峡)に出演、主演の片岡千恵蔵の相手役に抜擢されて、満18歳で映画界にデビューした。
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川原 新次郎(かわはら しんじろう、1917年10月28日 … 川原 新次郎(かわはら しんじろう、1917年10月28日 - 1995年12月4日)は、日本の政治家。参議院議員(2期、自由民主党)。 鹿児島県揖宿郡喜入町大字瀬々串(現在の鹿児島市喜入瀬々串町)出身。1937年鹿屋農卒。鹿児島県議会議員を2期務めた後、1965年5月から1975年3月まで喜入町長を3期務めた。町長時代は町内に日本石油基地を誘致した。 同年の鹿児島県知事選に立候補したが、現職の金丸三郎に大差で敗れて落選した。※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 1980年の第12回参議院議員通常選挙に鹿児島県選挙区から立候補して初当選。1988年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲八等からの昇叙)。
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張 利鎮(チャン・イジン、1917年10月28日 - 没年不… 張 利鎮(チャン・イジン、1917年10月28日 - 没年不明)は、朝鮮半島出身のバスケットボール選手・指導者。 1936年ベルリンオリンピックには日本代表として、1948年ロンドンオリンピックには韓国代表として出場している。 平壌生まれ。延禧専門学校(現在の延世大学校)のバスケットボール部で活躍。1936年の全日本選手権では朝鮮代表(延禧専門学校)として出場し、優勝した。1936年ベルリンオリンピックには日本代表選手の一人として出場した。この時の日本代表チームには、張利鎮を含む3人の朝鮮人選手が参加していた。ほかの2人も全日本選手権優勝メンバーで、李性求(延禧専門学校OB)・廉殷鉉(延禧専門学校学生)である。
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島田 屯(しまだ とん、1917年10月27日- 1965年… 島田 屯(しまだ とん、1917年10月27日- 1965年11月7日)は、山梨県甲府市出身の俳優。 画家を志し、太平洋美術学校で絵を学んでいたが俳優志望に転向。1939年に新協劇団入団。1940年、日活多摩川撮影所入社。東宝演劇研究会を経て、1943年に再結成された東宝劇団に入団。瑞穂劇団在籍中の1945年に召集を受ける。1949年、第2次新協劇団に入団。劇団青俳、フリーランス期間を経て、東京俳優生活協同組合に所属していた。 戦前は舞台を中心に活動。戦後は映画やテレビドラマにも多数出演しており、映画では東映の教育映画や独立プロ映画を中心に『おとし穴』などの作品に、ドラマでは『バス通り裏』などに出演した。
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嶋井 澄(しまい きよし、1917年(大正6年)10月26日… 嶋井 澄(しまい きよし、1917年(大正6年)10月26日 - 2013年(平成25年)1月13日)は日本の実業家、元日立物流社長。山口県出身。
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遠山 あき(とおやま あき、1917年10月24日 - 20… 遠山 あき(とおやま あき、1917年10月24日 - 2015年10月28日)は、日本の元作家。 千葉県大多喜町生まれ。千葉県女子師範学校(千葉大学の前身のひとつ)卒。小学校教員を務めるが、戦後は農業に専念した。1967年に農民文学会入会、1975年に『槇の会』を立ち上げて同人誌『槇』を発行。1978年「雪あかり」で千葉文学賞、1980年『鷺谷』で農民文学賞を受賞。1994年藍綬褒章受勲。 2015年10月28日午前4時40分、肺炎のため市原市の高齢者施設で死去。98歳没。2016年市原市特別市民栄誉賞を受賞。
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伊原 昭(いはら あき、1917年10月24日 - 2018… 伊原 昭(いはら あき、1917年10月24日 - 2018年5月20日)は、日本の国文学者、梅光女学院大学名誉教授。本名・昭子。 鎌倉市生まれ。東京女子大学卒業、日本大学文学研究科修了。1970年「平安朝文学の色相」で日大文学博士。国立国会図書館主査、和洋女子大学助教授、同教授、1977年梅光女学院大学教授、1988年定年退任、名誉教授。 1975年『日本文学色彩用語集成 中世』で風俗史学会第一回「野口眞造記念染色研究奨励金」受賞、1977年『日本文学色彩用語集成 中古』で風俗史学会第六回「江馬賞」受賞。2007年エイボン女性年度賞受賞。古典文学における色彩について研究してきた。 2018年5月20日、老衰のため死去。
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丸尾 千年次(まるお ちとじ、1917年10月22日 - 2… 丸尾 千年次(まるお ちとじ、1917年10月22日 - 2000年5月14日)は、熊本県出身のプロ野球選手(投手)・プロ野球スカウト。
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白木 博次(しらき ひろつぐ、1917年10月22日 - 2… 白木 博次(しらき ひろつぐ、1917年10月22日 - 2004年2月19日)は、日本の医学者。神経病理学の国際的権威。東京大学医学部長。東京都出身。
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戸田 盛和(とだ もりかず、1917年10月20日 – 20… 戸田 盛和(とだ もりかず、1917年10月20日 – 2010年11月6日)は、日本の物理学者。 専門は、統計力学・凝縮系物理学・数理物理学・可積分系。特に戸田が導入した格子模型は完全可積分系の典型として有名で、「戸田格子」の名を得ている。東京教育大学名誉教授。 東京府生まれ。旧制武蔵高等学校を経て、1940年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業、京城帝国大学、旧制東京文理科大学で助教授を務めたのち、1951年に東京文理科大学教授に昇格した。そして東京教育大学(東京文理科大学の後身)を定年前に退職したのち、千葉大学、横浜国立大学、放送大学の教授を歴任した。 まず東京大学の卒業研究として液体の構造を研究し、その成果を後に「液体構造論」(共立出版、1947年)、「液体理論」(河出書房、1947年)として出版した。
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白井 浩司(しらい こうじ、1917年10月19日 - 20… 白井 浩司(しらい こうじ、1917年10月19日 - 2004年11月1日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。慶應義塾大学名誉教授。 1917年、東京府で早川千吉郎の三男として生まれた。兄の次男とともに白井秀の養子となり、白井姓を名乗った。暁星中学校を経て、慶應義塾大学文学部仏文科に進学し卒業。 1942年、NHK国際局海外放送フランス語班に勤務。太平洋戦争終結後の1945年9月、NHKを退職。 1947年、母校慶應義塾大学予科講師となった。1951年、サルトルの『嘔吐』を翻訳。実存主義ブームのきっかけを作り、その後もカミュ、ロブ=グリエなどを翻訳紹介。1958年、慶應義塾大学文学部教授に昇格。
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千葉禎介(ちばていすけ、1917年10月19日 - 1965… 千葉禎介(ちばていすけ、1917年10月19日 - 1965年)は、昭和の日本におけるアマチュア写真家である。秋田県仙北郡角館町に生まれ、2歳のとき横手市に転居した[出典無効]。1932年、高校卒業後、呉服店に勤務。コニカの蛇腹カメラBaby Pearlを手に入れて、1940年代~60年代に、主に横手市や平鹿郡の農村風景を撮影していた。2017年12月から2018年1月にかけ、千葉の生誕100年を記念し、彼の故郷に近い秋田県立近代美術館において、「生誕100年 千葉禎介写真展」が開催された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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福田 隆(ふくだ たかし、1917年〈大正6年〉10月18日… 福田 隆(ふくだ たかし、1917年〈大正6年〉10月18日 - 1991年〈平成3年〉11月13日)は、岩手県出身の染絵作家、美術教師である。 1917年(大正6年)、岩手県遠野市に生まれ、翌年に家族で盛岡市に移り住んだ。1930年、旧制盛岡中学校に入学し、絵画部に入部。その当時に京都から赴任していた中井汲泉の薫陶を受けた。1939年に日本大学芸術科に進学し油絵を専攻したが、戦争のため繰上げ卒業となり、軍に入隊。満洲で終戦を迎えたのち、ソビエト連邦によりシベリアに抑留され、日本に帰国できたのは1948年であった。盛岡に戻ると実家のある法泉寺(現在の 北山)に居住し、盛岡高等学校の美術科の教員職に就いた。
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細貝 大次郎(ほそがい だいじろう、1917年10月18日 … 細貝 大次郎(ほそがい だいじろう、1917年10月18日 - )は、日本の経済学者・農学者・官僚。経済学博士(拓殖大学)。専門は農業政策。拓殖大学名誉教授。元北海道拓殖短期大学学長。 茨城県生まれ。1938年宇都宮高等農林学校農政経済科卒業。農商務省に入省。その後、大東亜省広東日本総領事館勤務などを経て、終戦。戦後は、財団法人農政調査会研究員。1954年拓殖短期大学貿易科講師(農村調査論を担当)。1958年拓殖大学政経学部助教授(日本経済史・協同組合論を担当)。1964年拓殖大学政経学部教授。1967年拓殖大学評議員。1979年同政経学部長。1987年同副学長。1988年拓殖大学理事。1989年拓殖大学定年退職。
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柏木 雄介(かしわぎ ゆうすけ、1917年〈大正6年〉10月… 柏木 雄介(かしわぎ ゆうすけ、1917年〈大正6年〉10月17日 - 2004年〈平成16年〉8月27日)は、関東州(現中国)大連市出身の大蔵官僚。大蔵省財務官を経て東京銀行頭取を務めた。 父・横浜正金銀行大連支店次長(後に頭取)柏木秀茂、母・きよのもとに生まれる。父の転勤に伴って少年時代をロンドン、ニューヨークで過ごした。 1941年(昭和16年)入省の同期には、鳩山威一郎(外相、大蔵事務次官、主計局長)、塩崎潤(総務庁長官、経済企画庁長官、主税局長)、亀徳正之(協栄生命保険社長、国税庁長官、大臣官房長、財務参事官)、吉村慎一(四国銀行頭取)、加治木俊道(証券局長、関西電力副社長)、森鼻武芳(北海道公安委員会委員長、北海道銀行会長、同行頭取)。
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小松原 俊一(こまつばら しゅんいち、1917年10月15日… 小松原 俊一(こまつばら しゅんいち、1917年10月15日 - 2007年3月9日)は、日本の実業家。元三井鉱山(現 日本コークス工業)社長。元三井鉱山会長。元三井鉱山相談役。栃木県出身。 旧制栃木県立栃木中学校(現・栃木県立栃木高等学校)を経て、東京商科大学(現 一橋大学)を卒業。三井鉱山(現・日本コークス工業)社長、同会長および相談役を歴任。 2007年、急性呼吸不全のため89歳で死去。
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トニー 谷(トニー たに、1917年〈大正6年〉10月14日… トニー 谷(トニー たに、1917年〈大正6年〉10月14日 - 1987年〈昭和62年〉7月16日)は、東京府東京市京橋区銀座(現:東京都中央区銀座)出身の舞台芸人(ヴォードヴィリアン)。本名、大谷 正太郎(おおたに しょうたろう)。 『モルガンお雪』
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宮川 満(みやかわ みつる、1917年10月14日 - 20… 宮川 満(みやかわ みつる、1917年10月14日 - 2003年12月31日)は、日本の歴史学者・家政学者・家庭科教育学者。 滋賀県出身。1941年、広島文理科大学史学科国史学専攻に入学し、1944年に卒業。兵役ののち、1947年から京都大学大学院在籍。1950年滋賀県立短期大学助教授、1953年大阪学芸大学助教授、大阪教育大学(校名変更)教授、1983年定年退官、名誉教授。1961年「太閤検地論」により広島大学から文学博士の学位を授与される。1984年羽衣学園理事長、羽衣学園短期大学学長。
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清水 義弘(しみず よしひろ、1917年(大正6年)10月1… 清水 義弘(しみず よしひろ、1917年(大正6年)10月13日 - 2007年(平成19年)1月7日)は、日本の教育社会学者。東京大学名誉教授。 佐賀県出身。1941年東京帝国大学社会学科卒。東京学芸大学助教授、東京大学教育学部助教授、1965年同教授、1978年定年退官、名誉教授、上智大学教授。1967年日本教育社会学会会長。中央教育審議会委員。地方自治体にも関わり、東京都大田区生涯学習振興会議会長なども務めた。
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宮崎 道生(みやざき みちお、1917年10月13日 - 2… 宮崎 道生(みやざき みちお、1917年10月13日 - 2005年4月1日)は、日本史学者、新井白石の研究者。 三重県尾鷲市出身。1941年、東京帝国大学文学部国史学科卒業、文学部大学院、文学部副手・助手を経て、1945年、弘前高等学校教授。1949年、弘前大学文理学部助教授。1961年、文学博士。1965年、弘前大学人文学部教授、1972年、岡山大学法文学部教授。1978年、國學院大學教授。1988年、定年退任、講師となる。1991年退任。1997年春、勲三等瑞宝章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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田村 良平(たむら りょうへい、1917年10月13日 - … 田村 良平(たむら りょうへい、1917年10月13日 - 1995年12月16日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(7期)。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問 。元自民党参議院議員の田村公平は長男。 高知県土佐山田町(現香美市)で、政治家・田村實、淑美の三男として生まれる。1940年早稲田大学政治経済学部卒。1947年に高知県議に初当選。5期務めた。1963年の第30回衆議院議員総選挙で吉田茂元首相の後継者として高知県全県区から立候補し当選する(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
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筒井 修(つつい おさむ、1917年10月12日 - 199… 筒井 修(つつい おさむ、1917年10月12日 - 1990年11月3日)は、香川県善通寺市生まれのプロ野球選手・プロ野球審判員。
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草場 敏郎(くさば としろう、1917年10月11日 - 2… 草場 敏郎(くさば としろう、1917年10月11日 - 2002年10月23日)は、日本の経営者。三井銀行社長、会長を務めた。東京都出身。 1941年に京都帝国大学法学部を卒業し、翌年に三井銀行に入行した。1971年5月に取締役に就任し、1975年3月に常務、1977年12月に専務、1980年4月に副社長を経て、1982年2月に社長に就任した。1984年6月に会長に就任し、1988年6月に取締役相談役を経て、1993年4月からさくら銀行相談役を務めた。 全国銀行協会連合会会長、日本銀行政策委員なども歴任した。 1987年11月に勲二等旭日重光章を受章した。 2002年10月23日脳出血のために死去。
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横山 利秋(よこやま としあき、1917年10月10日 - … 横山 利秋(よこやま としあき、1917年10月10日 - 1988年11月1日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は正三位。 日本社会党所属の衆議院議員(11期)。 愛知県名古屋市生まれ。3歳のときに父親を亡くす。中京商業学校卒業後に鉄道員として鉄道省(当時)に就職。国鉄労働組合(国労)の結成に参加する。 1947年に日本共産党による国労の組合活動への介入に反発した国労組合員を中心に国鉄労組反共連盟(後に国鉄民主化同盟=国鉄民同)が結成されると、これに参加。1950年に民同の支持で国労本部企画部長となるが、団体として加盟していた日本労働組合総評議会(総評)が「平和四原則」を決定すると、これに則る形で「平和三原則」を盛り込んだ運動方針案を提出する。
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角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月… 角川 源義(かどかわ げんよし、1917年(大正6年)10月9日 - 1975年(昭和50年)10月27日)は、日本の実業家、国文学者、俳人。KADOKAWAグループ創業者。俳号は源義(げんぎ)、水羊(すいよう)。 辺見じゅん(作家、幻戯書房代表)、角川春樹(俳人、角川春樹事務所会長兼社長)、角川歴彦(角川文化振興財団名誉会長、元KADOKAWA会長)の父。 富山県中新川郡東水橋町(現富山市)に父・源三郎、母・ヤイの三男として生まれた。父・源三郎は源義誕生時は鮮魚を商っていたが、後に米穀商に転じ成功している。 1930年(昭和5年)、富山県立神通中学校(現在の富山県立富山中部高等学校)に入学した。
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北村 久寿雄(きたむら くすお、1917年(大正6年)10月… 北村 久寿雄(きたむら くすお、1917年(大正6年)10月9日 - 1996年(平成8年)6月6日)は、日本の競泳選手、労働省官僚。1932年ロサンゼルスオリンピックの1500m自由形金メダリスト。1952年ヘルシンキオリンピック競泳日本代表の北村康雄は実弟。 出身地は高知市菜園場町(はりまや橋の東)。指導にあたったのは溝渕治助だった。練習には板垣退助や坂本龍馬も泳いだという鏡川を流れに逆らって泳ぐ方法を採用した。[要出典] 1932年(昭和7年)、旧制高知市立高知商業学校3年生のときに開催された第10回のロサンゼルスオリンピックの水泳1500m自由形でそれまでのオリンピック記録を40秒近く縮める19分12秒4のタイムでわずか14歳290日で金メダルを獲得、これは1988年ソウルオリンピックでハンガリーのクリスティーナ・エゲルセギ(当時14歳1か月9日)に破られるまで競泳世界最年少金メダリストであった。
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中部 新次郎(なかべ しんじろう、1917年10月9日 - … 中部 新次郎(なかべ しんじろう、1917年10月9日 - 没年不明)は、プロ野球チーム・横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の元オーナー。 山口県下関市出身。早稲田大学専門部商科を経て、1942年に水産講習所を卒業後、大洋漁業の前身である林兼商店に入社。大洋漁業下関支社営業部長、営業本部長などを歴任し、1973年から副社長を務めた。中部謙吉の死去に伴い、1977年から横浜大洋ホエールズのオーナーに就任した。 1987年に古葉竹識が監督に就任し、その披露パーティーでたけし軍団に因んで、「竹識軍団となってばく進せよ!」とスピーチした。 1990年のシーズンをもって、オーナーを退任。 同社の軟式野球部で投手、遊撃手としてプレーしたことがある。
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大山 俊一(おおやま としかず、1917年10月8日 - 1… 大山 俊一(おおやま としかず、1917年10月8日 - 1983年9月10日)は、日本の英文学者、翻訳家。 東京文理科大学卒。1968年「To be is not to be : a study of Shakespeare's Macbeth」で東京教育大学・文学博士。成城大学教授、成城短期大学学長、学長、学校法人成城学園学園長を歴任した。シェイクスピア学者として研究、翻訳をおこなった。最初の妻の大山敏子もシェイクスピア学者(敏子没後に再婚)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
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松原 治(まつばら おさむ、1917年〈大正6年〉10月7日… 松原 治(まつばら おさむ、1917年〈大正6年〉10月7日 - 2012年〈平成24年〉1月3日)は、日本の実業家。紀伊國屋書店名誉会長などを務めた。 山口県佐波郡徳地町(現在の山口市)に軍人の息子として生まれる。のちに父は電柱の銘板を取り扱う会社を経営していた。 大阪市築港南尋常高等小学校を卒業した1930年(昭和5年)、大阪府立市岡中学校(旧制)に入学。旧制浪速高等学校を経て東京帝国大学法学部に進む。同期に中曾根康弘がいた。 卒業後は南満洲鉄道に入社するも召集を受け、陸軍経理学校を首席卒業。中国各地を転戦し、陸軍主計中尉として太平洋戦争の敗戦を迎える。 復員後、1946年、大日本塩業株式会社に取締役業務部長として入社。
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