大戸崎 祐慈朗(おおとざき ゆうじろう、1929年4月24日… 大戸崎 祐慈朗(おおとざき ゆうじろう、1929年4月24日 - 1993年3月13日)は、秋田県秋田市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は棚谷 勇治。168cm、74kg。最高位は西十両2枚目。得意技は右四つ、投げ。 1949年5月場所で初土俵。新序で好成績を挙げ、序ノ口を飛び越えて序二段で12勝3敗の好成績でいきなり序二段優勝、その後も順調に番付を上げ、1953年9月場所で十両に昇進。1956年9月場所は自己最高位となる十両2枚目まで番付を上げるなど一時期は十両上位で定着し入幕も期待されたが、胃腸疾患で途中休場した1958年11月場所限りで廃業した。
越智 通雄(おち みちお、1929年〈昭和4年〉4月23日 … 越智 通雄(おち みちお、1929年〈昭和4年〉4月23日 - 2021年〈令和3年〉1月30日)は、日本の大蔵官僚、政治家。位階は正三位。 衆議院議員(8期)、経済企画庁長官(第41・44代)、金融再生委員会委員長(第2代)を歴任。日韓親善協会中央会会長。 東京生まれ。東京高師附属中(現・筑波大附属中・高)卒業。同期生に大川慶次郎、大島通義、岡野行秀、三浦公亮など。旧制一高を経て、東京大学法学部法律学科を卒業後、大蔵省に入省。ニューヨーク副領事、福田赳夫大蔵大臣秘書官、主計局調査課長などを経て退官。 1972年の第33回衆議院議員総選挙で賀屋興宣の後継として旧東京3区より出馬し当選(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・野田毅・深谷隆司など)。
生田 房弘(いくた ふさひろ、1929年4月23日 - 20… 生田 房弘(いくた ふさひろ、1929年4月23日 - 2021年5月26日)は、神経病理学者、新潟大学脳研究所教授。 1929年生まれ。1955年、新潟大学を卒業する。 1960年、アメリカ合衆国に渡り、モンテフィオレ病院に従事する。同年3月の新潟大学医学博士論文の題は「Glioma(神経膠腫)の局在について」。1973年、新潟大学脳研究所教授に就任する。 1982年、ウィーンで行われた国際神経病理学会で、脳梗塞などで一部失われた脳機能が、グリア細胞のアストロサイトの細胞分裂や移動により、シナプスをカバーすることで重要な働きをするという研究を発表する。1992年4月には、医学書院より出版された年鑑『神経研究の進歩』36巻にて、「『脳死』の神経病理学」という題名の論文を発表し、脳死判定された患者の心停止死後の剖検結果を報告し、脳死判定後も、脳深部の視床下部の細胞が自己融解しない場合があることを明らかにした。
中村 啓信(なかむら ひろとし、1929年(昭和4年)4月2… 中村 啓信(なかむら ひろとし、1929年(昭和4年)4月23日 - )は、日本の日本文学者。國學院大學名誉教授。 1929年、山梨県甲府市山宮町で生まれた。山梨県立甲府第一高等学校を卒業し、國學院大學文学部国文科に進学。1953年に卒業し、同大学大学院に進んだ。1957年、博士課程を満期退学。 その後、國學院大學日本文化研究所研究員。1976年、同大学文学部教授に就き、日本文化研究所教授を兼ねた。1989年古事記学会代表理事に就任。また同年に日本学術会議推薦人となった。1993年、学位論文『荷田春満書入古事記とその研究』を國學院大学に提出して文学博士の学位を取得。2000年に國學院大學を定年退任し、名誉教授となった。
後藤 俊夫(ごとう としお、1929年4月23日 - 199… 後藤 俊夫(ごとう としお、1929年4月23日 - 1990年8月29日)は、日本の天然物化学者である。名古屋大学教授。 1929年(昭和4年)岐阜県岐阜市に生まれる。1946年(昭和21年)に岐阜薬学専門学校(現岐阜薬科大学)に入学、1949年(昭和24年)に卒業。同年名古屋大学理学部化学科に入学。卒業後、日本薬化学株式会社に入社するも、1954年(昭和29年)に母校名古屋大学に助手(平田義正教授)として戻る。1957年(昭和32年)から1959年(昭和34年)にかけてハーバード大学化学科(ルイス・フィーザー教授)に留学。1960年(昭和35年)名古屋大学より理学博士の学位を授与される。1961年(昭和36年)名古屋大学理学部助教授。
伊藤 喜一郎(いとう きいちろう、1929年4月23日 - … 伊藤 喜一郎(いとう きいちろう、1929年4月23日 - 2002年11月21日)は、日本の経営者。愛知県名古屋市西区出身。 1953年に京都大学経済学部を卒業し、同年に東海銀行に入行。1979年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1987年6月に副頭取に就任し、1988年6月には頭取に昇格。1994年6月に会長、1995年3月に取締役相談役を経て、1999年から名誉顧問を務めた。 名古屋銀行協会会長、名古屋商工会議所副会頭、中部経済連合会副会長、名古屋国際芸術文化交流財団理事長、中部空港調査会理事長なども歴任。 2002年11月21日、脳塞栓のために死去。73歳没。
吉田 庄司(よしだ しょうじ、1929年4月23日 - 20… 吉田 庄司(よしだ しょうじ、1929年4月23日 - 2008年7月17日)は、日本の工学者(通信工学情報ネットワークシステム)。工学博士・学校法人東海大学理事・元日本電信電話株式会社取締役。旧制東北大学工学部通信工学科卒、IEEEフェロー。静岡県出身。
新川 和江(しんかわかずえ、1929年4月22日 - 202… 新川 和江(しんかわかずえ、1929年4月22日 - 2024年8月10日)は、日本の詩人。 西條八十に師事。第1詩集『睡り椅子』(1953年)を刊行し、詩誌「地球」の同人となった。愛情にあふれた詩風が特徴。作品に『ローマの秋・その他』(1965年)、『ひきわり麦抄』(1986年)、『いつもどこかで』(1999年)、『記憶する水』(2007年)など。 息子に作曲家・編曲家・キーボーディストの新川博がいる。 茨城県結城市出身。県立結城高等女学校(のちの茨城県立結城第二高等学校)卒業。小学校のころより野口雨情などの童謡に親しみ、定型詩などを作る文学少女だった。女学校在学中、近くに疎開してきた詩人の西條八十に詩の手ほどきを受けた。
加賀 乙彦(かが おとひこ、1929年〈昭和4年〉4月22日… 加賀 乙彦(かが おとひこ、1929年〈昭和4年〉4月22日 - 2023年〈令和5年〉1月12日)は、日本の小説家、医学者(犯罪心理学)、精神科医。勲等は旭日中綬章。学位は医学博士(東京大学・1960年)。日本芸術院会員、文化功労者。本名は小木 貞孝(こぎ さだたか)で、本名でも著作がある。 東京大学医学部助手、東京大学医学部脳研究所助手、東京拘置所医務部技官、フランスのパリ大学サンタンヌ病院とサンヴナン病院の医師、東京大学医学部附属病院精神科助手、東京医科歯科大学医学部助教授、上智大学文学部教授などを歴任した。 東大を卒業してフランスに留学した後、『帰らざる夏』(1973年)で谷崎潤一郎賞を受賞。
三浦 圭一(みうら けいいち、1929年4月21日 - 19… 三浦 圭一(みうら けいいち、1929年4月21日 - 1988年8月1日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 愛媛県生まれ。1953年、愛媛大学文理学部文学科を卒業。1960年、京都大学大学院文学研究科(国史学専攻)を修了。愛泉女子短期大学講師、四天王寺女子大学文学部助教授などを経て、1970年、立命館大学助教授、1971年、同大学教授。 1985年、「中世民衆生活史の研究」により、京都大学から文学博士の学位を授与される。 『和泉市史』、『堺市史』、『新修大阪市史』などの自治体史の編さんや史料集編さんに尽力した。
水原 明人(みずはら あきと、1929年4月21日- 201… 水原 明人(みずはら あきと、1929年4月21日- 2016年8月10日)は、日本の放送作家。 東京生まれ。本名・石尾三治。早稲田大学文学部仏文科卒業。1954年より放送の脚本執筆の一方、同連盟脚本家教室の講師を長年務める。父方が代々江戸・東京育ちであることから江戸についての造詣は深い。東京家政大学やNHK学園で、江戸文化に関する講演・江戸旧跡めぐりを長期担当した。時代劇の人気ドラマ「必殺シリーズ」も手がけ、時代考証にも詳しい。主な作品に『ドブネズミ色の街』(NHK、モンテカルロ・テレビ映画祭賞)、『田之助変貌』(ニッポン放送、芸術祭優秀賞)、「おかあさんといっしょ」。日本放送作家協会常務理事、日本脚本家連盟理事。
増田 敏男(ますだ としお、1929年(昭和4年)4月20日… 増田 敏男(ますだ としお、1929年(昭和4年)4月20日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)、熊谷市長(2期)を歴任した。 埼玉県熊谷市出身で埼玉県立熊谷高等学校を中退。 1959年5月、熊谷市議会議員に初当選する。 1967年4月、埼玉県議会議員に当選。 1981年3月、第82代埼玉県議会議長に就任した。 1982年5月、熊谷市長に初当選したが、1986年6月、熊谷市長を辞職。同7月、衆議院議員選挙旧埼玉3区で落選。 1990年2月、衆議院議員選挙旧埼玉3区で初当選。同3月、衆議院地方行政委員会理事となる。 1993年8月、国土政務次官に就任し、1996年1月、衆議院農林水産委員会理事となる。
永井 一正(ながい かずまさ、1929年〈昭和4年〉4月20… 永井 一正(ながい かずまさ、1929年〈昭和4年〉4月20日 - 2026年〈令和8年〉2月23日)は、日本のグラフィックデザイナー。大阪府大阪市出身。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)二代目会長。息子はHAKUHODO DESIGN(博報堂デザイン)代表取締役社長の永井一史。 日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会特別顧問、日本デザインコミッティ名誉会員。
郷 静子(ごう しずこ、1929年4月20日 - 2014年… 郷 静子(ごう しずこ、1929年4月20日 - 2014年9月30日)は、日本の小説家。
後藤 邦夫(ごとう くにお、1929年4月20日 - )は、… 後藤 邦夫(ごとう くにお、1929年4月20日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪府立大学)。元応用化学教室担当。 専門は、工業化学・材料化学、高分子化学。 1962年大阪府立大学(現:大阪公立大学)大学院工学研究科応用化学専攻にて、工学博士(大阪府立大学)。大阪工業大学工学部応用化学科助教授として着任し、応用化学教室を担当。1966年高分子化学専門の第4研究室(現:高分子材料化学研究室)を主催し、その後の高分子材料の研究・発展に貢献した。同学科教授を経て、1997年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部応用化学科にて35年以上の長きに渡り教鞭を執り、1958年の同学科開設後の初期の応用化学(特に、材料化学・高分子化学)研究・育成に貢献した。
尾崎 行信(おざき ゆきのぶ、1929年4月19日 - 20… 尾崎 行信(おざき ゆきのぶ、1929年4月19日 - 2014年3月9日)は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所裁判官を務めた。位階は正三位。 明治から戦後まで衆院議員を務め「憲政の神様」と呼ばれた政治家・尾崎行雄の孫である。戦時中に祖父が起訴された尾崎不敬事件で、一審は有罪だったが大審院では逆転無罪となった時に「戦争中のひどい時代に立派な判決を出す人がいる」と感銘を受けたという。 三重県出身。尾崎行雄と繁の二男・彦麿の長男として生まれる。旧制宇治山田中学校(49期)、旧制成蹊高等学校(23回生)を経て、1953年に東京大学法学部卒業。 嘱託尋問調書の証拠能力を否定したロッキード事件「丸紅ルート」の大法廷判決、靖国神社などへの玉串料の公費支出を違憲とした愛媛県靖国神社玉串料訴訟の大法廷判決に関わったほか、裁判長として「がん告知義務訴訟」などの判決に携わった。
太田 蘭三(おおた らんぞう、1929年4月19日 - 20… 太田 蘭三(おおた らんぞう、1929年4月19日 - 2012年10月22日)は、三重県鈴鹿市出身の小説家。山岳推理小説の第一人者として知られる[要出典]。本名・太田 等(おおた ひとし)、別筆名に太田 瓢一郎。 三重県立津高等学校を経て中央大学法学部卒[要出典]。 同人誌「新表現」を経て1956年に太田瓢一郎の筆名で時代小説でデビュー。1958年から1963年まで時代ものの単行本の刊行を続けたが、以後単行本の刊行は止まる。その後、長年続けてきた登山と釣りの経験を生かし、釣り雑誌にエッセイや小説を連載していたが、1978年に新しい筆名太田 蘭三で『殺意の三面峡谷』を刊行して再デビュー、山岳推理の新境地を開拓した。
正田 昭(しょうだ あきら、1929年4月19日 - 196… 正田 昭(しょうだ あきら、1929年4月19日 - 1969年12月9日)は、日本の元死刑囚、小説家である。バー・メッカ殺人事件の主犯。 正田は裕福な中流家庭で兄3人と姉2人の末っ子として大阪府に生まれる。弁護士だった父親は石川県から横浜英語学校に学び、21歳で渡米、ハウスボーイから身を立てカリフォルニア州立大学を経て、サクラメントで法律事務所を経営する人物だったが、昭が生後5ヶ月のときに54歳で他界し、昭は高校の体育教師だった母親によって育てられる。母親は4人の息子たちを早稲田大、フィレンツェ大、東大、慶応大に進学させ、娘2人も女子大に進ませた。賢母だったが印鑑と銀行の貸金庫の鍵を肌身離さず持つなど金に対する執着が強く、そのような母に耐えられなかった長兄が家庭内暴力をするようになる。
深代 惇郎(ふかしろ じゅんろう、1929年4月19日 - … 深代 惇郎(ふかしろ じゅんろう、1929年4月19日 - 1975年12月17日)は、日本の新聞記者。
好並 隆司(よしなみ たかし、1929年4月19日 - 20… 好並 隆司(よしなみ たかし、1929年4月19日 - 2010年9月23日 )は日本の歴史学者、社会運動家。専門は中国古代史。 京都府京都市生まれ。高校時代、平和運動に目覚める。1947年、岡山大学法文学部文学科1期生入学。1948年日本共産党入党。開学期の岡山大学学生運動を指導する。 岡山大学卒業後は広島大学大学院文化研究科を経て岡山大学文学部教官となる。 1961年、春日庄次郎らとともに日本共産党を批判、除名される。社会主義革新運動創設に参加し、その後共産主義労働者党に参加。 1969年、岡山大学闘争に際しては入試拒否27教官に名前を連ねる。 1973年、岡山大学教養部教官坂本守信の解雇処分に反対する教養部バリケード封鎖では学生らとともに教養部構内に立てこもる。
杉崎 光世(すぎさき みつよ、Dr. Sugisaki Ka… 杉崎 光世(すぎさき みつよ、Dr. Sugisaki Kawase Mitsuyo, 1929年(昭和4年)4月19日 - 2018年(平成30年)6月12日)は、日本の法学者(博士)。フランス語学者。教育者。九州国際大学名誉教授。専門分野は家族法。板垣退助の曾孫。IQ140。旧姓は川瀬で、婚姻により杉崎姓を名乗るが、のち川瀬に復姓。川瀬光世。 昭和4年(1929年)4月19日、日本福音ルーテル八幡教会牧師・川瀬徳太郎の二女として、福岡県八幡市大字槻田1194番地に生まれる。母は乾正士の長女 美世子(みよし)。教育家・乾一郎は叔父にあたる。 西南女学院を卒業後、八幡大学法経学部に進み、さらに九州大学大学院で博士課程の単位を取得した。
能島 廉(のしま れん 1929年4月19日 - 1964年… 能島 廉(のしま れん 1929年4月19日 - 1964年12月16日)は、作家、編集者。本名は野島 良治(のしま よしはる)。 宮崎市出身だが、子供の頃に親の故郷である高知市へ移ることになり、高知県立海南中学校に入学した後名古屋陸軍幼年学校へ入学したが、終戦となり海星中学に復学したのち旧制高知高等学校に進学する。 1949年に東京大学文学部ドイツ文学科へ入学すると、在学中に旧制高知高校の先輩から誘われる形で同人誌『第15次新思潮』に加わり、1952年に大学を卒業して小学館に入社した後も児童向け雑誌の編集に関わりながら短編数話を発表した。その後小学館の学習雑誌で学年別の編集長を務め、作家として梶山季之や瀬戸内寂聴らを起用している。
樫尾 和雄(かしお かずお、1929年(昭和4年)4月19日… 樫尾 和雄(かしお かずお、1929年(昭和4年)4月19日 - 2018年(平成30年)6月18日)は、日本の実業家。カシオ計算機創業メンバーの「樫尾四兄弟」の一人(三男)。 東京都出身。1949年に日本大学高等師範部英語科を卒業。電気計算機の開発を手がけていた樫尾製作所(長兄の樫尾忠雄が創業)を助けるため、それまでの仕事を辞めて入社。計算機開発では忠雄とともに製作を担当した。計算機の商業化に成功した1957年にカシオ計算機が設立されると兄弟とともに創業メンバーとなる。 カシオ計算機では営業を主に担当する。カシオの名を広めた世界初の個人向け電卓であるカシオミニを企画。デジタル式腕時計のG-SHOCKやデジタルカメラを一般化させたQV-10の企画にも関与し、ヒット商品に育てた。
小坂井 澄(こさかい すみ、1929年4月19日 - )は、… 小坂井 澄(こさかい すみ、1929年4月19日 - )は、ノンフィクション作家。 東京生まれ。立教大学文学部中退。集英社勤務の後、1967年よりフリーライターになる。1975年から著作の上梓を始め、1983年、『これはあなたの母』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。一貫してキリスト教精神に貫かれており、当初は不幸な女性たちの評伝、近年はキリスト教関係の書物が多い。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
実藤 遠(さねとう とおし、1929年4月19日 - 201… 実藤 遠(さねとう とおし、1929年4月19日 - 2016年10月30日)は、日本の中国研究者、超常現象研究家。 東京生まれ。父は実藤恵秀、弟にさねとうあきら。1951年早稲田大学政治経済学部卒業。早稲田実業高等学校で地理の教師を務める。はじめは日本と中国との関係史を研究したが、1974年の超能力ブームに触発されて、超常現象の研究をはじめる。日本サイ科学理事長、国際新科学会会長、国際新科学研究所所長。天然自然研究会歴任、チョウ常識教室を主宰。
中村 嘉人(なかむら よしひと、昭和4年(1929年)4月1… 中村 嘉人(なかむら よしひと、昭和4年(1929年)4月18日 - )は、日本の文筆家。 札幌市在住。道銀文化財団副理事長・堀江オルゴール博物館理事・札幌市民芸術祭実行委員会委員を歴任。 北海道函館市生まれ。旧制函館中学校(現、函館中部高等学校)、旧制弘前高等学校(現、弘前大学)を経て、大阪大学経済学部卒。教師、雑誌の編集者、会社経営者を経て文筆業。
中村 勝範(なかむら かつのり、1929年〈昭和4年〉4月1… 中村 勝範(なかむら かつのり、1929年〈昭和4年〉4月18日 - 2020年〈令和2年〉5月19日)は、日本の政治学者、慶應義塾大学名誉教授・平成国際大学名誉学長。 長野県南安曇郡(現松本市梓川)生まれ。1949年長野県松本深志高等学校卒業、1953年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。1955年同大学大学院修士課程修了。1960年慶大助教授、1966年「明治社会主義研究」で法学博士。1967年教授。1996年定年、名誉教授、平成国際大学教授・学長。2004年6月退職、名誉学長。 民主社会主義研究会議(現・政策研究フォーラム)の理事を務め民主社会主義の立場からの反共主義者である。
西 達司(にし たつじ、1929年4月17日 - )は、日… 西 達司(にし たつじ、1929年4月17日 - )は、日本の経営者。紀陽銀行頭取を務めた。 和歌山県出身。1953年に和歌山大学経済学部を卒業し、同年に紀陽銀行に入行した。1978年6月に取締役に就任し、1981年4月に常務、1983年11月に専務を経て、1990年6月に副頭取に就任し、1993年10月には頭取に昇格。1995年5月から1996年6月までに会長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大歳 克衛(おおとし かつえ、1929年(昭和4年)4月16… 大歳 克衛(おおとし かつえ、1929年(昭和4年)4月16日 - 2014年(平成26年)6月8日)は、広島県出身の洋画家である。広島市立大学名誉教授、尾道市立大学名誉教授。中国文化賞を受賞。 1929年(昭和4年)4月16日、安佐郡緑井村(現・広島市安佐南区緑井)に生まれる。1948年(昭和23年)、旧制崇徳中学校を卒業。1954年(昭和29年)には東京芸術大学油絵科卒業。梅原龍三郎に師事する。1956年(昭和31年)より国画会に出品し初入選。1958年(昭和33年)、「海の詩」などで国画会新人賞を受賞する。翌年には安井賞候補にも選ばれる。 1962年(昭和37年)には国画会会員となり、1964年(昭和39年)より1年間パリに滞在。
大原 照子(おおはら しょうこ、1929年(昭和4年)4月1… 大原 照子(おおはら しょうこ、1929年(昭和4年)4月16日 - 2015年(平成27年)1月23日)は、日本の料理研究家である。栃木県宇都宮市出身。 東京女子経済専門学校(現在の新渡戸文化短期大学)卒業後、留学のため渡英する。その後4年間各国の多くの料理を研究し、帰国後料理研究家としての活動を始めた。大原が調理した料理はユニークなものであり、きょうの料理(NHK)等多くの料理番組に出演し料理雑誌にも紹介され知れ渡った。 後に大原が経営するクッキングスタジオを主宰し、1991年(平成3年)には東京都港区青山にて「英国骨董おおはら」が開業し、オーナーを務めた。 ・『洋風のおかず』(1972年) この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月1… 岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月15日 - 2014年(平成26年)7月5日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(自民党)。 北海道札幌郡豊平町石山(現札幌市南区石山)生まれ。北海中学校を経て北海道大学工学部土木科を卒業した。学生時代からスキーの製作を手がけ、そのまま実業界へと入る。1960年(昭和35年)にタクシー業の東洋交通を設立した。父・政一の選挙活動を手伝ううちに、政界を志すようになる。北海道議会議員を2期務めたのち、1980年(昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙で自民党から立候補、初当選を果たし参議院議員を2期務めた。 1990年(平成2年)にクモ膜下出血で倒れた。
近藤 耕三(こんどう こうぞう、1929年〈昭和4年〉4月1… 近藤 耕三(こんどう こうぞう、1929年〈昭和4年〉4月15日 - 2013年〈平成25年〉5月9日)は、日本の実業家。元四国電力社長・会長。元四国経済連合会会長。京都大学工学部卒業。徳島県海部郡海陽町(旧・海南町)出身。位階は従三位。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。 この項目は、原子力に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:原子力発電所/Portal:原子力)。
中村 恵子(なかむら けいこ、1929年4月15日 - )は… 中村 恵子(なかむら けいこ、1929年4月15日 - )は、日本の女性声優。 長崎県で生まれ、税務官吏の仕事をしていた父親の都合で九州各地を転々として育つ。熊本女子専門学校家政科在学中から舞台で活動し、福岡放送劇団を経て、東京放送劇団に5期生とし入団。テレビ番組『ジェスチャー』のカゲの声を1954年から10年以上に渡り担当した。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
小林 正巳(こばやし まさみ、1929年4月15日 - )は… 小林 正巳(こばやし まさみ、1929年4月15日 - )は、日本の政治家。元衆議院議員(2期)。自由民主党時代は田中派に所属していたが、新自由クラブの結党に参加した。父・小林絹治は自由党、自由民主党所属で衆議院議員を3期務めており、2世議員であった。 兵庫県生まれ。1951年、慶應義塾大学経済学部卒業後、毎日新聞社入社。政治部副部長を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙兵庫3区から自由民主党から出馬し、初当選。 1976年、河野洋平、田川誠一、西岡武夫、山口敏夫、有田一寿と自民党を離党、新自由クラブを結成し政策委員長に就任。 1979年7月、新自由クラブ訪朝団長として、北朝鮮を訪問。近畿大学法学部非常勤講師。
加藤 常昭(かとう つねあき、1929年4月15日 - 20… 加藤 常昭(かとう つねあき、1929年4月15日 - 2024年4月26日)は、日本の神学者・説教家。 ハルピン出身。東京大学文学部哲学科卒業。1956年、東京神学大学大学院神学研究科修士課程修了。1986年まで東京神学大学教授(実践神学)。日本基督教団若草教会、牛込払方町教会、日本基督教団鎌倉雪ノ下教会牧師を経て、1997年から日本基督教団隠退教師。現在は説教塾を全国に展開し、後進の説教者を育てている。 日本プロテスタント宣教150周年記念大会の基調講演は「神の言葉に生かされるキリストのからだ・教会」。 2011年にキリスト教功労者を受賞。 2024年4月26日に死去。95歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
阪口 豊(さかぐち ゆたか、1929年4月15日 - 201… 阪口 豊(さかぐち ゆたか、1929年4月15日 - 2019年7月9日)は、日本の地理学者・第四紀学者。東京大学名誉教授。 東京大学理学部地理学科を卒業し、東京大学大学院を経て地理学教室の助手となった。当時の地理学教室のスタッフは、多田文男教授、佐藤久助教授、吉川虎雄助教授、小堀巌講師、岩塚守公助手といった面々であった。 学生時代から陸水に関心を寄せ、大学院生のころから泥炭地の研究に取り組んだ。1960年代には,地表面の高度分布の統計分析に基づいて、山地における地形発達史を論じ、また、全国の河川の流域面積と高度比分布曲線を解析して、地域ごとの地形発達の多様性を検討した。 日本地理学会では様々な役職を務めて名誉会員となり、日本第四紀学会でも1965年から1985年まで評議員を務め、名誉会員となった。
真柄 栄吉(眞柄 栄吉、まがら えいきち、1929年4月15… 真柄 栄吉(眞柄 栄吉、まがら えいきち、1929年4月15日 - )は、日本の労働運動家。日本労働組合総評議会(総評)最後の事務局長。 新潟県生まれ。1953年早稲田大学法学部卒業、新潟県庁に入庁。1954年新潟県職員労働組合長岡支部執行委員。1955年全日本自治団体労働組合(自治労)新潟県本部書記長。1958年自治労中央執行委員。組織部員、調査部長、賃金部長を歴任し、1964年書記次長、1966年財政局長。1975年自治労書記長。1983年富塚三夫の後を受けて日本労働組合総評議会(総評)事務局長。就任直後、「ヨーロッパ各国を歴訪し、西欧型労働組合をめざす立場を表明」した。総評・官公労の側から民間連合と交渉し、官民統一の日本労働組合総連合会(連合)結成に貢献。
高嶋 健一(たかしま けんいち、1929年4月14日 - 2… 高嶋 健一(たかしま けんいち、1929年4月14日 - 2003年5月18日)は、日本の教育学者(教育心理学)・歌人。静岡県立大学名誉教授。 池田市教育研究所所員、兵庫県立湊川高等学校教諭、静岡女子短期大学助教授、静岡女子大学文学部教授、水甕選者、水甕運営委員長などを歴任した。 1929年4月14日、兵庫県神戸市にて生まれた。その後、広島文理科大学に進学し、教育学科にて学んだ。なお、広島文理科大学は、国立学校設置法により広島大学に包括されることが決まったことから、大学名を広島大学広島文理科大学と改称したうえで、在学生の卒業後に廃止されることになった。1953年、広島文理科大学を卒業した。1953年をもって広島文理科大学としての学生は全員卒業したため、広島大学広島文理科大学は研究科などの残務整理のうえ1962年に廃止された。
大坪 檀(おおつぼ まゆみ、1929年4月13日 - )は、… 大坪 檀(おおつぼ まゆみ、1929年4月13日 - )は、日本の実業家、著述家、経営学者(マーケティング論・経営戦略論)。筆名は千尾 将(ちお まさる)。 学位はMaster of Business Administration(カリフォルニア大学ロサンゼルス校・1957年)。 静岡産業大学総合研究所所長(初代)、学校法人新静岡学園学園長(初代)・理事・顧問、一般財団法人ふじのくに医療城下町推進機構理事長(初代)、公益財団法人世界緑茶協会理事、静岡県立大学名誉教授。 ブリヂストンタイヤ株式会社での勤務を経て、株式会社ブリヂストン経営情報部部長、株式会社ブリヂストン宣伝部部長、静岡県立大学経営情報学部教授、静岡県立大学経営情報学部学部長(第4代)、静岡県立大学学長補佐、静岡産業大学国際情報学部教授、静岡産業大学学長(第2代)、学校法人第二静岡学園副理事長、学校法人新静岡学園理事長(第2代)などを歴任した。
稲岡 耕二(いなおか こうじ、1929年4月12日 - )は… 稲岡 耕二(いなおか こうじ、1929年4月12日 - )は、日本文学者(万葉学者)。古代文学専攻。東京大学名誉教授。
小森 幹男(こもり みきお、1929年4月12日 - 202… 小森 幹男(こもり みきお、1929年4月12日 - 2021年4月18日)は、日本の経営者。能勢電鉄社長を務めた。兵庫県西宮市出身。 1953年に京都大学工学部機械工学科を卒業し、同年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。 1984年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1990年6月に専務を経て、1992年6月から1998年6月までに能勢電鉄社長を務めた。池田銀行監査役を務めた。 2021年4月18日心不全のために死去。92歳没。
永冨 和子 (ながとみ かずこ、1929年4月12日-201… 永冨 和子 (ながとみ かずこ、1929年4月12日-2010年8月17日) は、日本のピアニスト。夫は作曲家の永冨正之。 1929年4月12日、東京に生まれる(旧姓関原)。東京音楽学校(現・東京芸術大学)研究科に学び、福井直俊、安川加壽子、野辺地勝久に師事、1951年修了。同年デビューリサイタルを行う。1959年にスペイン政府給費留学生となり、同年から10年間フランスとスペインに留学する。パリではジャーヌ・ブランカール(英語版)、レーヌ・ジャノリ、アンリエット・ピュイグ=ロジェに師事、スペインではアリシア・デ・ラローチャらに師事した。 1964年、パリ国立音楽院に留学していた作曲家永冨正之と結婚する。
竹西 寛子(たけにし ひろこ、1929年4月11日 - )は… 竹西 寛子(たけにし ひろこ、1929年4月11日 - )は、日本の小説家、日本芸術院会員、文化功労者。
石田 種生(いしだ たねお、1929年4月11日 - 201… 石田 種生(いしだ たねお、1929年4月11日 - 2012年4月30日)は、昭和後期から平成にかけての舞踊家、振付師。島根県大田市出身。
岡谷 公二(おかや こうじ、1929年4月9日 - )は、日… 岡谷 公二(おかや こうじ、1929年4月9日 - )は、日本のフランス文学・美術研究者、翻訳家。跡見学園女子大学名誉教授。 東京生まれ。岡谷鋼機創業者一族の出。父の岡谷順之助は岡谷商店副社長で岡谷鋼機取締役。外祖父の高松定一は堀川貯蓄銀行取締役。 慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部を卒業。 父親の指示で慶應義塾予科医学部に進学するが、医学を放棄して東京大学文学部に進学する。1952年東京大学文学部美学美術史学科卒業。大学時代は『第15次新思潮』に参加。 その後ゴーギャン、アンリ・ルソーなど、熱帯に魅せられた画家たちの翻訳、研究を著し、柳田國男の青春期を研究し、友人であった田山花袋の初期作品が、ほぼ柳田自身の悲恋をモデルとしていることをつきとめた。
牧 衷(まき ちゅう、1929年4月8日-2015年10月1… 牧 衷(まき ちゅう、1929年4月8日-2015年10月13日)は岩波映画製作所の脚本家。「科学教育映画体系」や「たのしい科学シリーズ」などの多くの科学教育映画の企画と脚本をはじめ、企業PR映画や官庁制作の映画、大学の研究成果の紹介映画などの脚本を手がけ、その作品は多くの賞を受賞している。仮説実験授業研究会の最初期からの会員で板倉聖宣の仮説実験授業の理論を取り入れた科学教育映画も何本か作った。また、大学時代の学生運動の経験から社会運動の実践的理論も研究した。後に岩波映画の取締役となり、組合との交渉に尽力した。 1929年4月に東京府荏原郡蓮沼(現在の東京都大田区蓮沼)で5人兄弟の4番目の次男として生まれた。
北村 英治(きたむら えいじ、1929年4月8日 - )は、… 北村 英治(きたむら えいじ、1929年4月8日 - )は、日本のジャズ・クラリネット奏者。 東京府出身。慶應義塾商工学校、慶應義塾大学予科を経て、慶應義塾大学文学部を中途退学。 慶應義塾大学在学中にクラリネットを学ぶ。22歳でプロデビュー。30歳の時、憧れだったベニー・グッドマンが来日した際には彼の目の前で演奏し、賞賛を受けたこともある。 主なアルバムには、1960年7月5日、東京・産経ホールで行われたコンサートの模様を収録した『北村英治のすべて』(コンサートの構成、アルバムの解説を大橋巨泉が手がけた。2009年にCD化)、原信夫とシャープス・アンド・フラッツと共演した『ベニー・グッドマン作戦〜あの名演が蘇る!』(1963年、キングレコード)、テディ・ウィルソンと北村英治の共同リーダー・アルバム『テディ・ミーツ・エイジ』(1970年、Trio)、『スイング・スペシャル』(1971年、Trio)、『Live Session』(1972年、Century)、『Keep On Swingin' 』(1973年、GML)がある。
尾山 達己(おやま たつみ、1929年4月8日 - )は、日… 尾山 達己(おやま たつみ、1929年4月8日 - )は、日本の実業家。 山口県出身。1952年に早稲田大学第一文学部を卒業し、同年に西日本新聞社に入社。 1958年4月にテレビ西日本に転職し、報道制作局長、取締役、放送制作本部長、常務、専務を経て、1991年6月に副社長に就任。1996年6月から1999年6月までに社長を務めた。 西日本新聞社監査役、取締役も務めた。著書に「あゝ鶴よ 私のテレビドキュメンタリー」がある。 2005年4月に旭日中綬章を受章。
降幡 廣信(ふりはた ひろのぶ、1929年4月7日- )は、… 降幡 廣信(ふりはた ひろのぶ、1929年4月7日- )は、日本の建築家。降幡建築設計事務所代表取締役会長。信州大学工学部社会開発工学科建築学コース非常勤講師。全国各地で建築に関する賞を数多く受賞している。長野県南安曇郡温村(安曇野市)生まれ。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大塚 雄司(おおつか ゆうじ、1929年4月6日 - 201… 大塚 雄司(おおつか ゆうじ、1929年4月6日 - 2010年1月10日)は、日本の政治家。建設大臣(第56代)、衆議院議員(6期)。 東京府赤坂区生まれ。港区立青南小学校、東京府立第一中学校、1954年慶應義塾大学経済学部卒業。 1969年、東京都議会議員選挙に出馬し、初当選。1973年に2期目の当選を果たしたが、任期途中の1976年に辞職。同年の第34回衆議院議員総選挙に旧東京都第1区から自由民主党公認で出馬し、当選。 なお旧東京1区は定数が3議席になった第31回衆議院議員総選挙以降3度、自民が1、非自民(革新系)が2議席を獲得する構図が続いていたが、大塚が初めて衆院議員に当選したこの選挙では、保守系無所属の麻生良方、自民党新人の与謝野馨、大塚の保守系候補が3議席を独占し、日本社会党所属の前職加藤清政が落選の憂き目を見た。