小林 司(こばやし つかさ、1929年(昭和4年)3月21日… 小林 司(こばやし つかさ、1929年(昭和4年)3月21日 - 2010年(平成22年)9月27日)は、日本の精神科医、作家、翻訳家。 日本シャーロック・ホームズ・クラブ主宰。 青森県弘前市出身。1953年(昭和28年)、新潟大学医学部卒業。1959年(昭和34年)、東京大学大学院修了、医学博士。大宅壮一東京マスコミ塾第7期生。上智大学カウンセリング研究所教授を経てメンタル・ヘルス国際情報センター所長。 洋子夫人は東山あかねという筆名で、「二人で一人」と公言している位である。「シャーロック・ホームズ」関連の共著・訳を中心に数十冊刊行している。 小林は極めて闊達なエスペランティストとしても知られ、日本エスペラント学会の顧問でもあった。
井川 徳道(いかわ のりみち、1929年3月20日 - 20… 井川 徳道(いかわ のりみち、1929年3月20日 - 2024年5月16日)は、日本の映画美術監督。京都府京都市出身。 京都市立美術専門学校(現在の京都市立芸術大学)デザイン科を卒業後、52年に綜芸プロ、近代映画協会美術の美術助手を経て、54年に東映京都撮影所と契約。58年に沢島忠監督の『江戸の名物男 一心太助』で初めて美術監督となる。以来、東映を中心に約135本の劇場用映画に携わった。後に東映美術センターに所属。さらに 大阪芸術大学映像学科非常勤講師、客員教授など後進の指導に従事してきた。 2003年に旭日小綬章受賞、2011年に京都府文化功労章受賞。 2024年5月16日、老衰のため死去。
佐々木 徳夫(ささき とくお、1929年(昭和4年)3月19… 佐々木 徳夫(ささき とくお、1929年(昭和4年)3月19日 - 2010年(平成22年)1月25日)は、日本の民俗学者、昔話採集家。 宮城県中田町(現登米市)出身。旧制宮城県佐沼高等学校、東洋大学文学部哲学科卒業。 社会科担当の高校教師を務めていた1957年より昔話をカセットテープに録音し収集する活動を開始した。集めた昔話は東北地方を中心に1万話を超え、著書は高校教師時代の1966年(昭和41年)11月の自費出版による『酒の三太郎』が最初で、50冊を超える。1992年、昔話の保護に取り組んだ業績が認められ、吉川英治文化賞を受賞した。 2010年1月25日、肺炎により宮城県塩竈市の病院で亡くなった。
平山 亨(ひらやま とおる、1929年3月19日 - 201… 平山 亨(ひらやま とおる、1929年3月19日 - 2013年7月31日)は、株式会社レッド・エンタテインメント・デリヴァー取締役。東映では、助監督(映画)、映画監督、テレビプロデューサーを務めた。作詞家として八手三郎および田中守のペンネームを用いている。映画監督の松村昌治(中山昌一)は義兄。 1929年に母の実家の名古屋市で4人兄弟の長男として出生。父は鉄道省勤務。出生時の自宅は東京都だったが、転居を繰り返して東京都と名古屋市で育つ。 旧制中学校時代の1944年には、学徒動員で防空壕作りや疎開工事、工場勤務などの勤労奉仕に従事した。 終戦後の1947年4月に青山学院専門学校(現・青山学院大学)の英文科に入学。
大谷 暢順(おおたに ちょうじゅん、1929年3月19日 -… 大谷 暢順(おおたに ちょうじゅん、1929年3月19日 - )は、浄土真宗僧侶、浄土真宗大谷本願寺派本山本願寺第25世法主留守職、フランス文学者。一般財団法人本願寺文化興隆財団理事長。明仁上皇の従兄弟。長男に大谷光輪。蓮如・ジャンヌ・ダルクの研究者。日仏での著書多数。 1929年東本願寺法主・大谷光暢の次男として京都に生まれる。 1952年東京大学印度哲学梵文学科卒、同大学院仏文科修了。 1955年パリー大学文学部入学。 1967年ソルボンヌ高等学院卒業。 1986年パリー第七大学文学博士号取得。 1988年フランスより、パルム・アカデミック勲章叙勲。 1996年に長男・次男とともに大谷派を離脱、本願寺法主・留守職となる。
三遊亭 金翁(さんゆうてい きんおう、1929年(昭和4年)… 三遊亭 金翁(さんゆうてい きんおう、1929年(昭和4年)3月19日 - 2022年(令和4年)8月27日)は、東京都江東区出身の落語家。落語協会顧問、日本演芸家連合5代目会長、日本芸能実演家団体協議会顧問。本名は松本 龍典。出囃子は『翁千歳三番叟』。前名の三遊亭金馬としては4代目。 柳家小袁治による「当代金馬は、自分の大師匠を知っている大ベテラン」との発言からも窺える通、令和期まで生きた唯一の戦中入門の落語家であった。 子供の頃は兵隊に憧れ予科練を夢見たが、柳家金語楼のSPレコードを聴いたことで落語に興味を持つようになる。家族や近所の人に落語を披露しては爆笑をとっていた。 1941年7月、小学校卒業の12歳のとき、寄席の支配人の伝手で3代目三遊亭金馬に入門。
笹田 泰敏(ささだ やすとし、1929年(昭和4年)3月18… 笹田 泰敏(ささだ やすとし、1929年(昭和4年)3月18日 - )は、日本の実業家であり、投資家でもある。大和証券の専務取締役を経て、日本インベストメント・ファイナンス(後の大和SMBCキャピタル)初代社長を務め、日本にベンチャーキャピタルを広めた。岡山県出身。 1929年(昭和4年)岡山県に生れる。その後、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学する。同期には、芸術家の大西茂や国立国際美術館館長となる小倉忠夫がいた。1946年(昭和21年)に同校を卒業する。この後、旧制高校を経て、1949年(昭和24年)京都大学法学部へ入学し、1952年(昭和27年)同校を卒業する。 京大卒業後、大和証券(現:大和証券グループ本社)へ入社する。
直野 敦(なおの あつし、1929年3月18日 - )は、日… 直野 敦(なおの あつし、1929年3月18日 - )は、日本の翻訳家・東欧・ロシア文学者。東京大学教養学部名誉教授。 大分県大分市生まれ。1954年東京大学文学部仏文科卒、1957年一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。金子幸彦ゼミ出身。1958年からルーマニア・ブカレスト大学に学び、1963年同文学部卒業。1965年同大学院修士課程修了、帰国。翻訳を幾つか出し、1969年東京大学教養学部専任講師、1971年11月助教授、1976年12月教授、1989年定年退官し名誉教授、文化女子大学教授、1990年文学部長。2004年退職。 主としてルーマニア語、ルーマニア文学の教育、翻訳を行なった。かつては社会主義思想を信奉していたが、後年は、宗教学者ミルチャ・エリアーデが、初期に書いた小説作品の翻訳で知られる。
川﨑 春彦(かわさき はるひこ、1929年3月17日 - 2… 川﨑 春彦(かわさき はるひこ、1929年3月17日 - 2018年10月2日)は、日本画家。位階は従四位。日本藝術院会員。 東京都杉並区出身。父は川﨑小虎。父方の曽祖父は川崎千虎。兄は川崎鈴彦という日本画家の一家に生まれ、長女の川崎麻児も日本画家となった。親戚に元京成電鉄社長の川﨑千春。 父と義兄の東山魁夷に師事。東京美術学校(現東京藝術大学)卒。日展を中心に日本画院展、日本美術協会展などで活躍。 戦時中に父・小虎などと一家で山梨県中巨摩郡落合村(現・南アルプス市)へ疎開し、復員してきた兄・鈴彦や義兄・東山魁夷などと共に自然の写生を励んだことから画才が開いた。代表作の「朝明けの湖」など、力強い色彩による自然の生命力あふれる風景画で知られ、特に富士山を描いた多くの作品を残した。
濱田 晋作(はまだ しんさく、1929年(昭和4年)3月16… 濱田 晋作(はまだ しんさく、1929年(昭和4年)3月16日 - 2023年(令和5年)7月16日)は、日本の栃木県芳賀郡益子町の「益子焼」の陶芸家。 濱田庄司の次男であり、濱田窯の2代目当主である。 1929年(昭和4年)3月16日、濱田庄司の次男として東京に生まれる。 1930年(昭和5年)、1歳の時に栃木県芳賀郡益子町へ家族揃って移住する。 旧制真岡中学校(現・栃木県立真岡高等学校)を卒業後、早稲田大学文学部美術工芸窯業科に入学し美術工芸を学び、1950年(昭和25年)に卒業後、父・庄司の下で濱田窯にて修業を積み、本格的な作陶活動に入る。 1963年(昭和38年)、父の助手として渡米し、アメリカ各地の陶芸講習会でアシスタントを務める。
佐藤 東里(さとう とうり、1929年3月16日 - 200… 佐藤 東里(さとう とうり、1929年3月16日 - 2005年8月30日)は、日本の経営者。日立マクセル社長を務めた。 東京都出身。1953年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、同年に日立製作所に入社。1985年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1993年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。1999年6月に会長を経て、2001年6月には相談役に就任。 2005年8月30日に心不全のために死去。76歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
高石昌弘(たかいし まさひろ、1929年3月16日 - 20… 高石昌弘(たかいし まさひろ、1929年3月16日 - 2023年10月6日)は、日本の公衆衛生学者、国立公衆衛生院名誉教授。 1953年東京大学医学部卒業。1955年国立公衆衛生院正規医学科修了。1959年「学童期身体発育の縦断的研究」で医学博士(東京大学)。1981年、国立公衆衛生院母性小児衛生学部長、1985年次長、1989年院長、1993年辞職退官。1980年9月東京大学教育学部教授併任(1986年3月まで)。1993年大妻女子大学人間生活科学研究所教授(2000年度まで)。東京医科大学客員教授。国立公衆衛生院顧問・名誉教授。公衆衛生学・健康科学,教育学,体育学,家政学一般(含衣・住環境)。
建部 到(たけべ いたる、1929年3月16日 - 1988… 建部 到(たけべ いたる、1929年3月16日 - 1988年6月5日)は、日本の生物学者。 1952年に東京大学理学部植物学科卒業、1957年に同大学院生物系研究科博士課程修了。植物ウイルスの研究を専門として農水省植物ウイルス研究所(現・農業生物資源研究所)研究室長、名古屋大学理学部生物学科教授を務めた。 1975年に植物病理学の最高名誉とされるヤコブ・エリクソン賞の金メダルを受賞。将来を期待されていたが、1988年、59歳で急死した。 プロトプラストの単離において重要な役割を果たした。 1967年に建部らは酵素で細胞壁を溶かして活性の高いプロトプラストの大量単離に成功する。1971年に門下生の長田敏行とプロトプラストからの植物体再生にも成功した。
三好 俊吉(みよし しゅんきち、1929年(昭和4年)3月1… 三好 俊吉(みよし しゅんきち、1929年(昭和4年)3月16日 - 2020年(令和2年)4月25日)は、日本鋼管(NKK、現JFEホールディングス)の元社長。東京都出身。 NKKでは異例の技術畑出身として社長に就任するが、バブル崩壊以降の景気低迷で1994年ごろから鉄鋼不況が深刻化。業績悪化を受けリストラに着手するも、新日本製鐵や川崎製鉄など他社に比べて立ち遅れ気味で、のちNKKは信用不安から危機を迎えることになる。
稲場 文男(いなば ふみお、1929年 <昭和4年> 3月1… 稲場 文男(いなば ふみお、1929年 <昭和4年> 3月16日 - 2012年 <平成24年> 9月9日) は、日本の電子工学者。東北大学名誉教授。元東北大学電気通信研究所所長。元電子情報通信学会副会長。位階は正四位。 東京府生まれ。1951年東北大学理学部地球物理学教室卒業。1957年東北大学電気通信研究所助手。1961年東北大学電気通信研究所助教授。1962年東北大学工学博士。1965年東北大学電気通信研究所教授。1986年新技術開発事業団創造科学推進事業稲場生物フォトンプロジェクト総括責任者。1990年東北大学電気通信研究所所長、電子情報通信学会副会長。1992年定年退職、東北大学名誉教授、東北工業大学工学部電子工学科教授。
岡村 鐘雄(おかむら かねお、1929年3月16日 - 20… 岡村 鐘雄(おかむら かねお、1929年3月16日 - 2005年3月29日)は、日本の実業家。日本特殊陶業取締役社長や、同社取締役会長、日本セラミックス協会会長などを歴任した。科学技術庁長官賞等受賞。 1948年名古屋工業専門学校(現名古屋工業大学)機械科卒業、日本特殊陶業入社。1993年日本特殊陶業取締役社長。1994年中部品質管理協会理事副会長。1998年日本特殊陶業取締役会長。同年科学技術庁長官賞受賞。2000年勲三等瑞宝章受章。同年日本セラミックス協会会長。2002年ブラジル連邦共和国リオブランコ国家勲章コマンドール受章。2003年超硬工具協会賞業界功労賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
中内 守(なかうち まもる、1929年3月15日 - 201… 中内 守(なかうち まもる、1929年3月15日 - 2017年8月27日)は、日本の経営者。サンテレビジョン社長を務めた。兵庫県神戸市出身。中内功の弟。 1952年に神戸大学経済学部を卒業し、同年に東亜紡織に入社。1962年にダイエー系列の紳士服専門店であるロベルトに転じ、1970年には社長に就任し、1985年にサンテレビジョン副社長に就任し、1987年6月から1996年6月までに社長を務め、1987年4月にはオリエンタルホテル取締役に就任。 2017年8月27日心不全のために死去。88歳没。
大窪 一玄(おおくぼ いちげん、1929年(昭和4年)3月1… 大窪 一玄(おおくぼ いちげん、1929年(昭和4年)3月15日 - 2015年(平成27年)3月2日)は、日本の囲碁棋士。石川県出身、増淵辰子八段門下、日本棋院所属、九段。王座戦準優勝など。旧名幸雄。1999年現役引退。 石川県小松市に生まれる。1939年(昭和14年)増淵辰子に入門し、翌年院生。1944年初段。1946年に若手棋士の研究会「金曜会」参加。1948年大手合秋期2部優勝、同年藤沢庫之助を中心とした研究会「黎明会」参加。1949年五段。1950年大手合春期2部優勝。1953年青年棋士選手権戦2部優勝。1958年首相杯争奪高段者トーナメント優勝、七段。1963年十段戦敗者組決勝進出。
秋元 勇巳(あきもと ゆうみ、1929年3月14日 - 20… 秋元 勇巳(あきもと ゆうみ、1929年3月14日 - 2025年7月13日)は、日本の経営者、理学博士。三菱マテリアル社長を務めた。 東京都出身。海軍兵学校(77期)、旧制成蹊高等学校(理甲)を経て、1951年に東京文理科大学理学部化学科を卒業。1954年に同大学院研究科を修了し、同年に三菱金属鉱業に入社した。1978年6月に取締役に就任し、1981年6月に常務、1986年1月に専務、1992年6月に副社長を経て、1994年6月に社長に就任。2000年6月に会長に就任し、2003年6月に取締役相談役を経て、2004年6月には名誉顧問に就任。1997年11月に藍綬褒章を受章し、2013年11月に旭日重光章を受章した。
村上 光彦(むらかみ みつひこ、1929年3月14日 - 2… 村上 光彦(むらかみ みつひこ、1929年3月14日 - 2014年5月22日)は、日本のフランス文学者、成蹊大学名誉教授。 長崎県佐世保生まれ。1953年に東京大学文学部仏文学科卒業。東京学芸大学教員を経て1965年より成蹊大学助教授・教授、1997年に定年により名誉教授。 フランス文学作品に加え、第二次世界大戦関連、ノーベル平和賞作家となったエリ・ヴィーゼル、ロナルド・D・レインなどのほか英語圏文学も翻訳し、大佛次郎研究など多彩な活動を行った。『大佛次郎セレクション』(未知谷、全18冊)を編み、大佛次郎研究会会長も務めた。 2014年5月22日、呼吸不全のため死去。85歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
木村 俊房(きむら としふさ、1929年〈昭和4年〉3月13… 木村 俊房(きむら としふさ、1929年〈昭和4年〉3月13日 - 1997年〈平成9年〉1月5日)は、日本の数学者(理学博士)。東京大学教授、日本数学会理事長。 群馬県前橋市出身。父の転勤により浦和へ引っ越し、旧制浦和高等学校を経て、東京大学理学部数学科を卒業。 立教大学助教授を勤めたのち、東京大学理学部数学科教授。1977年(昭和52年)から2年間、日本数学会理事長を務めた。 複素微分方程式の研究で知られる。 常微分方程式、数値解析、確率論など様々な分野の著書がある。 木村俊房 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
横谷 輝(よこたに てる、1929年3月13日 - 1973… 横谷 輝(よこたに てる、1929年3月13日 - 1973年8月14日)は、日本の児童文学作家、評論家。本名・輝雄。 兵庫県美嚢郡三木町大塚(現・三木市)生まれ。1946年湊川中学校夜間部卒業、小学校教師となり、生活綴方運動に加わる。1954年「文学と教育研究はくぼくの会」に参加、日本児童文学者協会に入り評論活動を行う。1958年教師を辞して上京、協会事務局長となる。児童向け再話なども行い、1970年日本子どもの本研究会会長を務めるが、1973年胃がんのため44歳で死去した。 1975年日本児童文学者協会賞特別賞。
鮎川 金次郎(あゆかわ きんじろう、1929年3月12日 -… 鮎川 金次郎(あゆかわ きんじろう、1929年3月12日 - 1976年3月21日)は、日本の政治家。参議院議員などを歴任。 日産コンツェルン創始者の鮎川義介の二男として生まれた。小学校から大学まで成蹊学園に学ぶ。成蹊大学政治経済学部卒業。 1959年、当時のトップアイドルであった雪村いづみとの婚約を一方的に宣言し、話題を呼んだ。同年の第5回参議院議員通常選挙に出馬し、30歳という史上最年少当選を果たす。自由民主党に所属し、外務委員などを務めたが、数千万円を用いたという自派の選挙違反容疑が浮上し、運動員の海外逃亡や、金次郎自身がハワイでの静養を議会に申請し却下されるなどの迷走の末、議員辞職した。
青山 忠一(あおやま ただかず、1929年3月12日 - 2… 青山 忠一(あおやま ただかず、1929年3月12日 - 2023年7月30日)は、日本の国文学者。文学博士(早稲田大学・論文博士・1985年)(学位論文「仮名草子女訓文芸の研究 近世前期文学の研究」)。二松学舎大学名誉教授。 東京市下谷区(現台東区東上野)生まれ。早稲田大学大学院国文学修士課程修了。1985年「仮名草子女訓文芸の研究 近世前期文学の研究」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。二松学舎大学文学部教授、99年定年退任、名誉教授。近世文学専門。 二松学舎大学落語研究会顧問でもあり、浅草演芸ホール「禁演落語の会」の解説で高座に上がってもいる。 2009年11月瑞宝中綬章受章。 2023年7月30日に死去。
鈴木 正文(すずき まさふみ、1929年3月11日 - 19… 鈴木 正文(すずき まさふみ、1929年3月11日 - 1991年9月18日)は、日本の空手家(十段)。日本正武館館長、全日本硬式空手道連盟会長。 福島県郡山市に生まれ、青年期に柔道、合気道、剣道、居合道や古武道等の多数の武術を学んだ。中央大学に通い、検事になり辞めてからは弁護士資格を保有した。 宮里栄一のもとで剛柔流空手を修行し1955年に、京都で日本正武館を設立した。 千葉真一主演映画『激突! 殺人拳』(1974年)への出演を皮切りに、空手家や合気道の達人などで、複数の東映製作映画に出演していた。 鈴木は長く日本プロレスコミッションのコミッショナーを務め、アントニオ猪木のウィレム・ルスカ戦や、ザ・モンスターマン戦のレフェリーを務める。
飛松 建二(とびまつ けんじ、1929年3月11日 - 2… 飛松 建二(とびまつ けんじ、1929年3月11日 - 2013年8月8日)は、日本の経営者。宮崎銀行頭取を務めた。 兵庫県出身。1951年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1984年2月に宮崎銀行顧問に就任し、同年6月に専務を経て、1986年6月に副頭取に就任し、1989年6月には頭取に昇格。2001年6月に会長を経て、2004年6月には常任顧問に退いた。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 2013年8月8日心不全のために死去。84歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
北原 義郎(きたはら よしろう、1929年3月11日 - 2… 北原 義郎(きたはら よしろう、1929年3月11日 - 2022年6月3日)は、日本の俳優、声優である。本名は中野 義雄(なかの よしお)。 北海道室蘭市出身。オーティ企画、西村事務所に所属していた。 日本大学旧工学部(現・日本大学理工学部)卒業。 大学在学中に大映第4期ニューフェイスに合格。1953年『血闘』でデビュー。アクション作品『豹の眼』の主役など二枚目役で活躍した後、渋いバイプレイヤーに転向。実生活では山本富士子の恋人であった。 大映倒産後の1970年代からはテレビドラマに活躍の場を移し、時代劇の悪代官や刑事ドラマの悪徳社長や悪徳弁護士など、主に悪役を演じる。特に、卑屈で狭量な権力者役に持ち味を発揮した。
武井 静夫(たけい しずお、1929年3月10日- )は、日… 武井 静夫(たけい しずお、1929年3月10日- )は、日本近代文学研究者。 北海道後志管内倶知安町生まれ。倶知安中学校(現・北海道倶知安高等学校)卒、札幌師範学校(現北海道教育大学札幌分校)卒、1949年倶知安町寒別小学校教諭、53年北海道倶知安高等学校教諭。この間に日本大学文理学部国文学科を通信教育で卒業。中学時代に高山亮二から国語を習い、のち同僚としてともに有島武郎を研究。1967年北海道砂川南高等学校教諭、1970年北海道仁木商業高等学校教諭。 「人名編」『北海道文学大事典』北海道新聞社、217頁。https://www.h-bungaku.or.jp/issue/pdf/jiten02.pdf。
中嶌 邦(なかじま くに、1929年3月10日 - )は、日… 中嶌 邦(なかじま くに、1929年3月10日 - )は、日本史学者、日本女子大学名誉教授。1948年日本女子大学校文学科卒、1952年東京文理科大学文学部卒業。日本女子大学文学部助手、助教授、教授、1999年名誉教授。日本近現代史専攻。日本女子大学女子教育研究所員。日本女子大学の創立者成瀬仁蔵や大学の歴史に詳しい。
大塚 正徳(おおつか まさのり、1929年3月10日 - )… 大塚 正徳(おおつか まさのり、1929年3月10日 - )は、日本の薬理学者。医学博士。東京医科歯科大学名誉教授。 北海道札幌市生まれ。1953年、東京大学医学部医学科卒業。1959年、東京大学医学博士、「哺乳動物心臟のプルキニエ線維に対するアドレナリンの作用」。 母校の助手・助教授などを経て、1966年から東京医歯大教授。 神経伝達物質の研究で知られ、1964~1966年のハーバード大学留学中、γ-アミノ酪酸(GABA)が神経伝達物質として機能することを初めて証明した。また、1971~1983年には、脳内ペプチドの一種P物質が、神経伝達物質として機能することを明らかにした。 以上の業績により1974年ベルツ賞2等賞、1977年武田医学賞、1983年学士院賞を受賞。
謝 世輝(しゃ せいき、1929年3月10日 - )は、日本… 謝 世輝(しゃ せいき、1929年3月10日 - )は、日本の物理学者。本名:河津 世輝。台湾出身。 台湾・台南市出身。国立台湾大学卒業、1959年名古屋大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了、「高エネルギーにおける重陽子の光分解」で理学博士。その後東京大学素粒子研究所をへて、相模工業大学助教授、教授、東海大学文明研究所教授。 はじめ子供向けの宇宙の本などを書いていたが、1970年代に西洋中心でない世界史を執筆、1980年代からは自己啓発書を多く書いた。
ロイ・ジェームス(Roy James、1929年3月9日 -… ロイ・ジェームス(Roy James、1929年3月9日 - 1982年12月29日)は、日本のタレント、俳優、コメンテーターである。出生名はハンナン・サファ(タタール語: Габделхәннан Сафа)。1971年に日本国籍を取得し、六条 祐道に改名。1975年に結婚し湯浅姓となる。 1929年3月9日、東京市下谷区(現・東京都台東区)に生まれる。 出自は、ロシア革命後にロシアから日本へと亡命してきたいわゆるカザン・タタール人(カザン・トルコ人)である。父親のアイナン・ムハンマド・サファ(Ainan Muhammad Safa、1898年12月23日 - 1984年1月9日)は、ウラル山脈の西にある都市ペルミ出身で、戦後、東京回教寺院(現在の東京ジャーミイ)の導師イマームを勤めた経験もある人物。
田辺 哲夫(たなべ てつお、1929年3月9日 - 1995… 田辺 哲夫(たなべ てつお、1929年3月9日 - 1995年8月8日)は、日本の法律家、政治家。弁護士、元参議院議員(2期)。
本多 正道(ほんだ まさみち、1929年3月9日 - 200… 本多 正道(ほんだ まさみち、1929年3月9日 - 2007年7月5日)は、日本の経営者。不二越社長、会長を務めた。 富山県出身。1953年に京都大学法学部を卒業し、同年に不二越に入社。1979年に取締役に就任し、1987年2月に常務、1989年2月に専務を経て、1993年2月には社長に就任。1998年2月に会長に就任。 2007年7月5日心不全のために死去。78歳没。
西川 杏太郎(にしかわ きょうたろう、1929年(昭和4年)… 西川 杏太郎(にしかわ きょうたろう、1929年(昭和4年)3月9日 - 2023年(令和5年)2月24日)は、日本の美術史研究者。専門は日本彫刻史、文化財保存学。父は、書家で昭和の三筆の一人に数えられた西川寧。 東京市(現墨田区)向島の生まれ。1950年(昭和25年)、慶應義塾大学文学部文学科(芸術学専攻)卒業。翌年、文化財保護委員会(現・文化庁)に入り、文化財保護部美術工芸課長、文化財調査官、東京国立博物館次長を経て、1987年(昭和62年)4月、奈良国立博物館館長、91年東京国立文化財研究所の所長を歴任。退官後に、横浜美術短期大学学長、神奈川県立歴史博物館館長。 2023年2月24日、心不全のため死去。
絹川 正吉(きぬかわ まさきち、1929年3月7日 - 20… 絹川 正吉(きぬかわ まさきち、1929年3月7日 - 2025年1月23日)は、日本の数学者。国際基督教大学名誉教授・元学長。専門は解析学、フーリエ解析。Ph.D.(ノースウェスタン大学)。神奈川県横浜市出身。 2025年1月23日召天。95歳没。 『教養と大学スタッフ』、東信堂、2022年 (出典:『ACADEMIA』2021年・No.180、全国日本学士会)
小島 美子(こじま とみこ、1929年3月7日 - 2026… 小島 美子(こじま とみこ、1929年3月7日 - 2026年2月27日)は、日本の音楽学者、国立歴史民俗博物館名誉教授。専攻は日本音楽史、民俗音楽学で、歴史的な観点から日本音楽について論じている。 福島県生まれ。1949年、当時は専門学校だった日本女子大学国語科から、東京大学に進む。1953年、東京大学文学部国史学科卒業。大学院に1年だけ籍を置いた後、中学校教員となるが、3年で退職し、1958年に東京藝術大学音楽学部楽理科に入学する。1964年、東京藝術大学音楽学部楽理科卒業。お茶の水女子大学、早稲田大学、東京藝術大学で非常勤講師、1985年国立歴史民俗博物館教授、1994年定年退官。日本民俗音楽学会会長、江戸東京博物館研究員などを歴任。
森川 時久(もりかわ ときひさ、1929年(昭和4年)3月7… 森川 時久(もりかわ ときひさ、1929年(昭和4年)3月7日 - 2022年(令和4年)8月28日)は、日本の映画監督、テレビドラマ演出家。立教大学卒業。 立教大学卒業後、文化放送に就職。1959年にフジテレビのディレクターになり、社会派ドラマを多く手がける。1967年、人気ドラマ『若者たち』の劇場版で映画監督デビュー。その後はフリーランスとして活動した。 2022年8月28日、消化管出血のため死去。93歳没。 この項目は、映画監督に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
平田 正蔵(ひらた しょうぞう、1929年3月7日 - 20… 平田 正蔵(ひらた しょうぞう、1929年3月7日 - 2012年2月10日)は、日本の経営者。元福岡放送社長。元日本民間放送連盟副会長。 大分県出身。1953年に早稲田大学法学部を卒業し、九州電力に入社。九州電力では宮崎支店長、理事、福岡支店長、取締役、総務部長、常務を歴任した。1991年6月から1997年までに福岡放送社長を務めた。 2012年2月10日、急性心不全のために死去。82歳没。
井上 篤太郎(いのうえ とくたろう、1929年(昭和4年)3… 井上 篤太郎(いのうえ とくたろう、1929年(昭和4年)3月7日 - 2020年(令和2年)9月27日)は、昭和から平成時代の政治家。東京都西多摩郡羽村町長、羽村市長。 東京府西多摩郡西多摩村(羽村町を経て、現在の東京都羽村市)で生まれる。東京都立農林高等学校卒業。 羽村町議会議長を経て、1985年(昭和60年)以来羽村町長に3選。1991年(平成3年)市制施行に伴い羽村市長となった。2001年(平成13年)まで務めた。 2020年(令和2年)9月27日、老衰のため死去した。
松下 修也(まつした しゅうや、1929年3月6日 - 20… 松下 修也(まつした しゅうや、1929年3月6日 - 2018年5月29日)は、日本のチェロ奏者。戦後日本チェロ界の草分け的存在とされる。 東京府出身、東京都国分寺市在住。1946年東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を卒業(1945年中退とする資料もある)。先輩に芥川也寸志、同級生に黛敏郎がいた。チェロを平井保三、斎藤秀雄に師事。当時は戦中後の食糧難の最中で、西洋音楽は非国民と非難されるためにチェロを持って外出するときは風呂敷で包んで隠すなど苦労を重ねた。 1949年、第18回日本音楽コンクールで1位となる。1950年、東京交響楽団の定期演奏会でラロのチェロ協奏曲を弾いてプロデビュー(当時20歳)。
桂 芳久(かつら よしひさ、1929年3月4日 - 2005… 桂 芳久(かつら よしひさ、1929年3月4日 - 2005年2月1日)は、日本の小説家・民俗学者・北里大学名誉教授。昭和後期から平成時代にかけて活躍した。 広島県高田郡吉田町(現:安芸高田市)の生まれ。 旧制広島県立第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)の4年生のとき、広島市への原子爆弾投下に遭遇する。このとき学校は全滅したものの、勤労動員で郊外に滞在していたため生き残ることができた。少年期のこの経験は桂の心に深く残り、後々まで作品世界に何度も描かれることになった。 1950年に慶應義塾大学に入学する。 同年、劇作家の加藤道夫の紹介により三島由紀夫に認められ、1953年、三島の推薦で「群像」7月号に「棘草の蔭に」を載せ、文壇に登場。
佐藤 肇(さとう はじめ、男性、1929年〈昭和4年〉3月3… 佐藤 肇(さとう はじめ、男性、1929年〈昭和4年〉3月3日 - 1995年〈平成7年〉5月10日)は、日本の映画監督。埼玉県出身。 1945年に福岡中学から満州医科大学予科に進むも、敗戦により帰国し、1947年に慶應義塾大学経済学部に進み、1952年(昭和27年)に卒業と同時に東映に入社。1960年(昭和35年)に『十七歳の逆襲 俺は昨日の俺じゃない』で監督デビュー。1960年代 - 1970年代に、怪奇・SF・アクション作品を多数手がける。 1966年(昭和41年)のSF映画『海底大戦争』や1968年(昭和43年)に発表したSFホラー『吸血鬼ゴケミドロ』は、海外でもクエンティン・タランティーノなどファンが多く、人気を博している。
大賀 寛(おおが ひろし、1929年(昭和4年)3月3日 -… 大賀 寛(おおが ひろし、1929年(昭和4年)3月3日 - 2017年(平成29年)7月31日)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者。日本オペラ協会の創立者であり、長年総監督を務めた。妻は大賀美都子(旧姓:大谷)。 京都府京都市出身。1955年(昭和30年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。長門美保歌劇団公演ドヴォルザーク『ルサルカ』日本初演や、藤原歌劇団青年グループへの参加など、バリトン歌手として多くのオペラ公演に出演する傍ら、1958年(昭和33年)教育オペラ協会を設立。1960年(昭和35年)教育オペラ研究会が日本オペラ研究会に改称。1970年(昭和45年)日本オペラ研究会が日本オペラ協会に改称。
藤村 道生(ふじむら みちお、1929年3月3日 - 199… 藤村 道生(ふじむら みちお、1929年3月3日 - 1999年4月7日)は、日本の歴史学者、元上智大学文学部教授。専門は日本政治外交史。 愛知県名古屋市に生まれる。京都臨時教員養成所物象科を経て東海大学予科文科を卒業。1952年名古屋大学文学部史学科卒業、同大学院文学研究科に入学、信夫清三郎に師事。並行して愛知県立瀬戸高等学校教諭を務める。 早稲田大学教育学部非常勤講師を経て、1962年より名古屋大学文学部助手。九州工業大学助教授(1968-74年)、同教授(1974-77年)を経て、1977年より上智大学文学部教授を務める。1994年に定年退職。
有馬 正高(ありま まさたか、1929年3月2日 - 202… 有馬 正高(ありま まさたか、1929年3月2日 - 2022年12月12日)は、日本の医師、医学者。小児科学と神経科学が専門で、小児神経学、障害児医学(障害者医学)のパイオニア。国立精神・神経医療研究センター病院(旧:国立精神・神経センター武蔵病院)名誉院長、東京都立東部療育センター名誉院長、日本重症心身障害学会名誉理事長、日本発達障害学会第4代会長。学位は、医学博士。 1971年に乳幼児に発症する常染色体劣性遺伝性疾患「有馬症候群」を報告したことで知られる。 1929年に鹿児島県鹿児島市で生まれる。父方の故郷は同県日置郡伊集院町(現:日置市)。幼少期より鹿児島、伊集院、佐世保、呉、杉並、木更津、逗子と、転居・転校を繰り返し、1942年に旧制神奈川県立湘南中学校(現:神奈川県立湘南高等学校)へ入学。
大野 平吉(おおの へいきち、1929年3月1日- )は、日… 大野 平吉(おおの へいきち、1929年3月1日- )は、日本の法学者、広島大学・専修大学名誉教授。
寺西 忠幸(てらにし ただゆき、1929年3月1日 - 20… 寺西 忠幸(てらにし ただゆき、1929年3月1日 - 2025年11月10日)は、日本の実業家。キリン堂の創業者。兵庫県出身。 1951年に大阪大学薬学部を卒業し、同年10月に京阪薬品工業に入社。1952年3月に専務を経て、1958年3月にキリン堂を設立し、社長に就任。2003年9月には会長に就任し、2015年4月までに務めた。 2018年4月に旭日小綬章を受章。 2025年11月10日、死去。96歳没。死没日付をもって従五位に叙された。
北條 賢三(ほうじょう けんぞう、1929年3月1日 - )… 北條 賢三(ほうじょう けんぞう、1929年3月1日 - )は、真言宗の僧、大正大学名誉教授。 東京府(現中野区)出身。東京外国語大学卒、1965年東北大学大学院印度哲学博士課程満期退学。1990年「インド神秘言語思想の研究」で東北大学文学博士。大正大学文学部助教授、教授、99年定年退任、名誉教授。ひかり幼稚園園長、中野区東光寺住職。インド仏教・インド思想を専門とした。
岡野 薫子(おかの かおるこ、1929年2月28日 - )は… 岡野 薫子(おかの かおるこ、1929年2月28日 - )は、日本の児童文学作家。