豊田 年郎(とよだ としろう、1929年2月11日 - 20… 豊田 年郎(とよだ としろう、1929年2月11日 - 2012年9月26日)はラジオ福島代表取締役社長。福島県喜多方市出身。趣味、特技はゴルフ、書画骨董収集。 1952年に早稲田大学教育学部を卒業と同時に電通に入社。1976年に同社東京本社の第5局長、1983年に常務取締役、1989年に専務取締役、1993年に代表取締役副社長、1995年に常勤顧問に退きラジオ福島の代表取締役顧問、1997年に同社代表取締役社長。 2012年9月26日に脳幹梗塞で死去(享年83歳)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
佐藤 博(さとう ひろし、1929年2月10日 - 2013… 佐藤 博(さとう ひろし、1929年2月10日 - 2013年1月13日)は、日本の経営者。TDK社長、会長を務めた。 東京都出身。1952年に日本大学旧工学部を卒業し、同年に東京電気化学工業(のちのTDK)に入社した。1966年12月に取締役に就任し、1974年に常務を経て、1987年2月に社長に就任。1998年6月に相談役に就任。 1991年4月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2013年1月13日、肺炎のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小島 幸夫(こじま ゆきお、1929年(昭和4年)2月10日… 小島 幸夫(こじま ゆきお、1929年(昭和4年)2月10日 - 1999年(平成11年)1月2日)は、教育者。政治家。京都府亀岡市長。京都府出身。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
五十嵐 力(いがらし つとむ、1929年2月9日 - 200… 五十嵐 力(いがらし つとむ、1929年2月9日 - 2005年9月17日)は、日本の経営者。栗本鐵工所社長、会長を務めた。 高知県室戸市出身。1951年に大阪大学工学部機械工学科を卒業し、同年4月に栗本鐵工所に入社した。1979年6月に取締役に就任し、1981年6月には社長に昇格した。1994年6月に会長に就任し、1999年4月に取締相談役を経て、2001年6月から相談役を務めた。 1996年4月に藍綬褒章を受章した。 2005年9月17日、肺炎のために死去。76歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
加瀬 泰治(かせ たいじ、1929年2月9日 – 2004年… 加瀬 泰治(かせ たいじ、1929年2月9日 – 2004年11月24日) は日本の空手家で、松涛館流 空手をヨーロッパに普及するため海外に渡った最初期のひとりで、 1960年代後半から1980年代半ばまでフランスで空手のスタイル、松濤館流加瀬派空手を教えた 。晩年、彼は空手を教えて世界中を旅したが、パリからは離れなかった 。段位は九段を保持した。 1929年2月9日に千葉市 で生まれた 。父は 柔道五段の加瀬信明。 彼は6歳になる前に柔道を学び始め、その後少年時代には合気道と剣道も学ぶ。 1944年、15歳の時、加瀬は柔道で2 段の 黒帯ランクを獲得。 同年、 船越義珍の空手に関する本を読み、船越自身のもとでその芸術を学び始めた 1945年に船越が亡くなる前に、船越の息子である船越義豪のもとで訓練を積んだ 以降は広西元信から手ほどきを受けた。
高山 泰巖(たかやま たいがん、1929年〈昭和4年〉2月8… 高山 泰巖(たかやま たいがん、1929年〈昭和4年〉2月8日 - 1998年〈平成10年〉4月17日)は臨済宗の僧。 道号は圭明(けいみん)、法諱は泰巖。室号は古清軒(こせいけん)。俗姓は高山。洞春寺住職を経て1984年(昭和59年)から南禅僧堂師家を歴任。 山口県阿武郡福栄村(現・萩市紫福)にある長久寺(建仁寺派)に、長男(5歳違いの姉あり)として出生する。子どもの時から、「後でどうせ修行せんとあかんから」と母から厳しく躾けられる。だが母親は泰巖が7歳の時に死去し、小学校5年の時に小僧として洞春寺(山口市)へ行くこととなる。[要出典] 洞春寺では、半年ほど前から中村文峰(前・南禅寺派管長)に弟子入りしていた。
沼 正作(ぬま しょうさく、1929年2月7日 - 1992… 沼 正作(ぬま しょうさく、1929年2月7日 - 1992年2月15日)は、日本の生化学者。元京都大学医学部教授。和歌山県和歌山市生まれ。 1952年京都大学医学部卒業。一年間のインターン期間ののち、臨床研修のため第1内科学教室に入局する。後に基礎医学研究に転向することを決意し、1956年フルブライト奨学生として渡米、ボストンのハーバード大学医学部生化学部門でJohn Lawrence Oncley教授の研究室で血清リポタンパク質の分析の研究を開始する。1958年アレクサンダー・フォン・フンボルト奨学生として渡独ミュンヘンのマックス・プランク細胞化学研究所へ移籍し、フェオドル・リュネン教授の研究室で酵素学と脂質の代謝制御の研究を開始した。
大川 慶次郎(おおかわ けいじろう、1929年2月6日 - … 大川 慶次郎(おおかわ けいじろう、1929年2月6日 - 1999年12月21日)は日本の競馬評論家。 慶應義塾大学文学部心理学科を卒業した。 予想家として、通算4度パーフェクト予想を達成し、競馬の神様の愛称で親しまれた。競馬評論家の大川智絵は長女。 青森県八戸市の大平牧場で競走馬を生産するオーナーブリーダーであった大川義雄(高千穂製紙社長、通称「タイヘイ氏」)の二男として、東京府北豊島郡王子町(現在の東京都北区王子)に誕生した。実業家渋沢栄一の曽孫にあたる。また「日本の製紙王」大川平三郎は祖父である。母方の祖父は東京山中銀行取締役のほか日本建物、東京調帯社長などを務めた大村五左衛門。 幼少のころより大平牧場や東京の外厩で競走馬を間近に見て育った。
長島 正治(ながしま まさじ、1929年2月6日 - 201… 長島 正治(ながしま まさじ、1929年2月6日 - 2010年5月30日)は、日本の医学者、皮膚科医。杏林大学医学部皮膚科初代教授。色素性痒疹を提唱したことで知られる。日本臨床皮膚科学会会長も務めた。
堀 貞一郎(ほり ていいちろう、1929年2月6日 - 20… 堀 貞一郎(ほり ていいちろう、1929年2月6日 - 2014年2月10日)は、日本の男性プロデューサー。陶芸家。東京都出身。 80歳になるまで、全国で講演活動をするとともに、毎月ホリテーマサロンを開催。若手の育成に力を注いだ。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、東京ディズニーリゾートに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:ディズニー/PJ:東京ディズニーリゾート)。
三木 多聞(みき たもん、1929年2月6日 - 2018年… 三木 多聞(みき たもん、1929年2月6日 - 2018年4月23日)は、日本の美術評論家。 三木宗策の子として東京に生まれる。早稲田大学文学部卒。東京国立近代美術館勤務、文化庁文化財保護部企画官を経て、1986年、国立国際美術館長、1992年、徳島県立近代美術館長、のち顧問、東京都写真美術館館長、のち名誉館長。2000年、勲三等旭日中綬章を受章。 2018年4月23日、急性心不全のため死去。89歳没。
長岡 久夫(ながおか ひさお、1929年2月5日 - 201… 長岡 久夫(ながおか ひさお、1929年2月5日 - 2017年8月18日)は、東京都出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。 東京工業高等学校(現:日本工業大学駒場中学校・高等学校)在学中の1946年、東京巨人軍(1947年より読売ジャイアンツ。以下、巨人)に練習生として入団。翌1947年まで在籍した。その後、ノンプロの豊岡物産でプレーした。1949年に中日ドラゴンズでプロ球界復帰したが、一軍公式戦出場は果たせないまま1950年に現役引退した。 巨人で初めて背番号0を付けた事で知られる。 引退後は、高校野球の監督を務めた。1994年に発足した日本プロ野球OBクラブにも会員として名を連ね、各地で開催される少年野球教室の講師としても活動した。
山下 欣一(やました きんいち、1929年(昭和4年)2月5… 山下 欣一(やました きんいち、1929年(昭和4年)2月5日 - 2021年(令和3年))は、日本の民俗学者、文化人類学者。奄美の民俗学、ユタ研究の第一人者であった。文学博士、鹿児島国際大学名誉教授。 鹿児島県奄美大島の名瀬町(現・奄美市)に生まれる。名瀬国民学校から旧制鹿児島県立大島中学校に進学。県の土木技師であった父の本土転任にともない、旧制鹿児島県立加治木中学校に転校。旧制加治木中を四年修了して鹿児島農林専門学校獣医畜産科に入学、卒業。一度、新制中学校の英語教師となった後、早稲田大学法学部に編入学するが、母の病気等の事情により中退して鹿児島へ戻り、県立高等学校(英語教師)や県教育庁にて勤務。
木原弘二(きはら ひろじ、1929年2月5日- )は、日本の… 木原弘二(きはら ひろじ、1929年2月5日- )は、日本の生化学者、慶応義塾大学名誉教授。 京都府出身。1951年大阪大学理学部化学科卒、医学博士。大阪市立大学理工学部講師、1963年慶應義塾大学医学部助教授、教授となる。95年定年、名誉教授。
近藤 公夫(こんどう きみお、1929年2月5日 - 201… 近藤 公夫(こんどう きみお、1929年2月5日 - 2016年9月25日)は、日本の造園家・造園研究者・環境デザイナー。奈良女子大学名誉教授。農学博士。 特別史跡五稜郭跡保存整備委員会委員長、神奈備の郷・川づくり整備検討委員会委員、奈良県古都風致審議会会長、神戸市公園緑地審議会会長を務める。 「都市公園緑地の徒歩誘致圏に関する研究」で、昭和47年度日本造園学会賞論文調査部門受賞。1990年第12回日本公園緑地協会北村賞受賞。2001年、日本造園学会上原敬二賞受賞。 代表作品に、須磨離宮公園整形式庭園部分基本計画(1957年)、白川公園 (名古屋市)計画懸賞公募一等当選案(1958年)、香里団地計画における緑地の計画など。
長谷川 和夫(はせがわ かずお、1929年2月5日 - 20… 長谷川 和夫(はせがわ かずお、1929年2月5日 - 2021年11月13日)は、日本の医学者・精神科医。認知症介護研究・研修東京センター名誉センター長、聖マリアンナ医科大学名誉教授。専門は老年精神医学・認知症。認知症医療の第一人者と称された。 愛知県東春日井郡牛山村(現・春日井市牛山町)で銀行員の子として生まれる。18歳ころにキリスト教徒となる。1953年に東京慈恵会医科大学(慈恵医大)を卒業する。IBC(基督教事業連合委員会)のキリスト教振興事業のひとつである留学生派遣に選ばれて1956年から2年間米国へ留学し、米国で最古かつ最大の精神病院聖エリザベス病院とジョンズ・ホプキンズ病院で研修生として精神医学と脳波学を学ぶ。
新谷 昌明(あらや まさあき、1929年(昭和4年)2月3日… 新谷 昌明(あらや まさあき、1929年(昭和4年)2月3日 - 2017年(平成29年)7月17日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道副知事、小樽市長。 北海道小樽市に生まれる。小樽中学(現・北海道小樽潮陵高等学校)、小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)を経て、1950年(昭和25年)慶應義塾大学経済学部を卒業。国家公務員試験に通ったものの結核を患い、5年間の浪人の末、1955年(昭和30年)北海道庁に奉職する。上川支庁税務課から出納局を経て、1962年(昭和37年)より商工観光部勤務となる。鉱政課長時代にオイルショックを経験したのを機にエネルギー問題を学び、道庁きってのエキスパートとなる。
岡田 吉美(おかだ よしみ、1929年(昭和4年)2月3日 … 岡田 吉美(おかだ よしみ、1929年(昭和4年)2月3日 - 2022年(令和4年)8月17日) は、日本の分子生物学者。従四位瑞宝中綬章。東京大学名誉教授。理学博士。静岡市出身。 1945年静岡県立静岡中学校(現・静岡県立静岡高等学校)卒業。1952年大阪大学理学部化学科卒業。赤堀四郎に師事。同大学院理学研究科修了。九州大学医学部、大阪大学医学部で助手。1964年オレゴン大学客員準教授(1966年まで)。留学中、ストライジンガーと共同でT4リゾチームの系を用い、フレームシフト変異の存在を蛋白質化学により、世界で初めて実証した。帰国後、新設の農林省植物ウイルス研究所において、タバコモザイクウイルス(TMV)の研究に着手。
福山 象三(ふくやま しょうぞう、1929年2月3日 - 1… 福山 象三(ふくやま しょうぞう、1929年2月3日 - 1996年10月2日)は、日本の俳優、演出家。本名及び別名義は福山 博寿(1954年から1966年頃まで使用)。別名義は福山 升三(1986年から1995年頃まで使用)、日本俳優連合理事。 鹿児島県出身。関西工業専門学校(後の関西大学工学部)卒業。生前は松竹芸能、東京アーチストプロを経て、芸峰制作、中里事務所に所属していた。 NHK大阪放送劇団出身。 数々の刑事ドラマ、時代劇、特撮作品で、主に悪役を演じた。 1996年10月2日4時13分、胸腹部大動脈瘤破裂のため、死去。67歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
金子ハルオ(かねこ はるお、1929年2月3日 - )は、日… 金子ハルオ(かねこ はるお、1929年2月3日 - )は、日本のマルクス経済学者、東京都立大学 (1949-2011)・大妻女子大学名誉教授。門下に五十嵐仁がいる 茨城県新治郡千代田村(現かすみがうら市)出身。1953年東京大学経済学部卒。1959年同大学院社会科学研究科理論経済学博士課程満期退学。1959年東京都立大学法経学部助手、1961年講師、1962年助教授、1970年経済学部教授、1975年-1979年・1981年-1985年経済学部長。1992年定年退官、大妻女子大学社会情報学部教授、学部長、2000年同名誉教授。 1969年「生産的労働と国民所得」で東大経済学博士。1978年-1984年日本学術会議会員。
早川 東三(はやかわ とうぞう、1929年2月3日 - 20… 早川 東三(はやかわ とうぞう、1929年2月3日 - 2017年10月15日)は、日本のドイツ語学者・ドイツ文学者、学習院大学名誉教授。 愛知県生まれ。1952年東京大学文学部独文科卒。1955年、同大学院博士課程中退と同時に学習院大学文学部講師、わずか2年後に助教授、のちに教授。1972年、43歳の若さで文学部長を務めたほか、学習院大学常務理事、学習院大学言語共同研究所長、学習院評議員、学習院大学学長などの要職を歴任。1998年、学習院女子大学学長。1999年、定年、名誉教授。 1983年 - 1985年、日本独文学会理事長。1992年、ドイツ語学文学振興会の理事長として、ドイツ語技能検定試験(独検)を発足させた。
水島 哲(みずしま てつ、1929年2月3日 - 2015年… 水島 哲(みずしま てつ、1929年2月3日 - 2015年6月27日)は、日本の作詞家。 1929年2月3日、宮城県仙台市出身。本名は安倍亮一。 早稲田大学理工学部在学中より音楽業界に入り、1958年に平尾昌章が歌った『星は何でも知っている』で作詞家としてデビュー。 その後、読売新聞社に記者として入社。東京本社文化部記者として音楽関係の記事や評論を書きながら、一方では作詞家として数々の作品を世に送り出す。 1989年頃まで読売新聞に在職しており、その後フリーの音楽評論家となった。 2015年6月27日、大腸癌のため死去。86歳没。 水島は洋楽曲の訳詞、和製ポップス、演歌、グループ・サウンズまでジャンルを問わない創作活動を行っていた。
斎藤 耕一(さいとう こういち、1929年2月3日 - 20… 斎藤 耕一(さいとう こういち、1929年2月3日 - 2009年11月28日)は、日本の映画監督、写真家、スチルカメラマン。 東京府八王子市に生まれる。立教大学中退後、東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)に入学する。卒業後、1949年、太泉映画(現・東映東京撮影所)にスチルカメラマンとして入社し、今井正の『ひめゆりの塔』で「キネマ旬報スチールコンテスト」で1位入賞する。 1954年、日活に引き抜かれ、中平康、今村昌平、市川崑など多くの作品のスチルを担当した。その他には中平康の『月曜日のユカ』などの脚本も手がけている。 しかし次第に自身のイメージと作品とのあまりのずれに失望し、1967年、私財を投じて「斎藤プロダクション」を設立する。
山口彦之(やまぐち ひこゆき、1929年2月2日- 2019… 山口彦之(やまぐち ひこゆき、1929年2月2日- 2019年7月8日)は、日本の遺伝子農学者。農学博士(1961年)。東京大学名誉教授。 山形県酒田市出身。1953年東京大学農学部卒、同大学院修了、1961年農学博士。1962年東大農学部助教授、1970年教授。1976-78年同大原子力総合研究センター所長併任、1989年定年退官、名誉教授となり、駒澤短期大学放射線科教授を務めた。酒田市・庄内バイオ研修センター所長。日本生物環境工学会初代会長。世界平和教授アカデミー代表理事。米、大麦の突然変異を研究した。
安藤 まり子(あんどう まりこ、1929年(昭和4年)2月2… 安藤 まり子(あんどう まりこ、1929年(昭和4年)2月2日 - )は、日本の歌手。所属事務所はミュージックオフィス合田。 北海道北見市出身。1945年(昭和20年)、終戦の年に上京し、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)卒業。 卒業と同時に日本コロムビアの専属となり、1949年(昭和24年)に藤山一郎と一緒に吹き込んだデビュー曲『花の素顔』(同名松竹映画の主題歌)がヒット。 1953年(昭和28年)には前年、コロムビアが行った全国歌謡コンクールの課題曲歌詞募集の入選作であった『毬藻の唄』が爆発的ヒットするも、歌手の若山彰と結婚(のち離婚、後年再婚)のため、引退。 その後は江戸千家茶道師範などで生計を立てていたが、1982年(昭和57年)に二葉あき子・並木路子・池真理子・胡美芳らに誘われ、コロムビア五人会の1人として歌謡界復帰し、五人会結成コンサート「あなたのために唄います」を開催。
河野友美(こうの ともみ、1929年2月1日-1999年2月… 河野友美(こうの ともみ、1929年2月1日-1999年2月23日)は、日本の食品研究家。 兵庫県出身。関西学院大学卒。大阪市立大学助手などをへて、1968年大阪薫英女子短期大学教授。1964年河野食品研究所を設立し所長となる。食品学,栄養学・調理科学・嗜好学をベースに生活文化を研究した。
牟礼 慶子(むれ けいこ、1929年〈昭和4年〉2月1日 -… 牟礼 慶子(むれ けいこ、1929年〈昭和4年〉2月1日 - 2012年〈平成24年〉1月29日)は、日本の詩人・教師。主な著作として『見えないだけ』『鮎川信夫 路上のたましい』『満身創痍』『夢の庭へ』など。 本名は谷田慶子で、ペンネームの牟礼は三鷹市の牟礼町に因む。夫は堀辰雄の研究者で「新潮」の編集長なども務めた、文芸評論家の谷田昌平。2012年、82歳で脳梗塞のため死去。 東京府出身。4人兄弟の長女として生まれる。出生名殿岡慶子。 東京市立啓明小学校、 東京都立北野高等女学校、 實践女子専門学校(現在の実践女子大学)国文科卒業。 学生時代は井坂洋子の母親らと回覧雑誌に参加して短歌を作っていたが、のちに詩に転向した。
宇田川 芳雄(うだがわ よしお、1929年2月1日 - 20… 宇田川 芳雄(うだがわ よしお、1929年2月1日 - 2021年4月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、東京都議会議員(6期)を歴任した。 東京府南葛飾郡葛西村(現在の東京都江戸川区)生まれ。中央大学経済学部卒業。大学卒業後は衆議院議員の島村一郎の秘書を21年間務めた。 1976年、島村が政界引退を表明。島村はかねてから世襲に反対しており、六男の宜伸の衆院選出馬にも強く反対した。宇田川は島村の後継に名乗りを上げたが、島村後援会は宜伸の擁立を決定し、島村一郎も最終的には宜伸の立候補を容認したため、自由民主党に公認を申請したものの認められなかった。同年の第34回衆議院議員総選挙に旧東京10区(定数5)から無所属で出馬したが得票数8位で落選し、宜伸は5位(当選者中の最下位)で初当選した。
佐々木の 将人(ささきの まさんど、佐々木将人、1929年〈… 佐々木の 将人(ささきの まさんど、佐々木将人、1929年〈昭和4年〉2月1日 - 2013年〈平成25年〉2月15日)は、日本の合気道家、神道家。山蔭神道上福岡斎宮(埼玉県ふじみ野市)宮司、合気道神明塾塾頭。合気道(合気会)八段。雅号は、乾舟(けんしゅう)。 1929年(昭和4年)山形県長井市成田に生まれる。太平洋戦争(大東亜戦争)下の小学生の頃特攻隊への入隊を目指し陸軍幼年学校を受験するが失敗、14歳で徴用により動員され、名古屋の三菱重工で飛行機の部品(ネジ)製造業務に就き、そこで終戦を迎える。戦後、大工となったが、19歳の時、飛んできた釘が当たって左目を失明する。その後は古本屋・黒板塗り・闇米売りなど、あらゆる仕事で食いつなぐ。
八馬 望(はちうま のぞむ、1929年〈昭和4年〉2月1日 … 八馬 望(はちうま のぞむ、1929年〈昭和4年〉2月1日 - )は、日本の実業家。多聞酒造会長。 兵庫県西宮市久保町、八馬汽船相談役・三代八馬兼介の三男。1952年、同志社大学美学科卒業。宝梅園農場常務となり、1953年に社長となった。1976年から1987年まで多聞酒造社長を務めた。 八馬啓、八馬理の弟である。趣味は音楽鑑賞、読書。宗教は真宗。兵庫県西宮市在籍。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
鳥海 尽三(とりうみ じんぞう、1929年2月1日 ‐ 20… 鳥海 尽三(とりうみ じんぞう、1929年2月1日 ‐ 2008年1月17日)は、日本の男性脚本家、小説家。シナリオサークル鳳工房主幹、早稲田シナリオ義塾講師、代々木アニメーション学院講師、日本シナリオ作家協会会員、日本放送作家協会会員。 主にテレビアニメの脚本を執筆。『昆虫物語 みなしごハッチ』『科学忍者隊ガッチャマン』『新造人間キャシャーン』など、アニメ制作会社タツノコプロの草創期から1970年代まで黄金時代のほぼ全ての作品を企画文芸の中核として支えた。また、1970年に師匠である脚本家・陶山鉄の長男で、日活企画室に勤務していた陶山智、同じく日活で陶山の上司だった陣野修、SF作家の広瀬正をタツノコプロへ招聘して、人材面でも大きな役割を果たした人物でもある。
庄司 和晃(しょうじ かずあき、1929年2月 - 2015… 庄司 和晃(しょうじ かずあき、1929年2月 - 2015年5月5日)は日本の教育実践家・教育学者。本名は庄司宗晃(しょうじむねあき)。 1929年山形県西村山郡本郷村葛沢(現、大江町葛沢)で生まれる。生家は曹洞宗の寺院で、父親はその住職。山形県立寒河江中学校に入学したが、予科練を志願し、その後小松海軍航空隊に転勤。一時期、藤沢市の日本精工に動員される。その後、中学校を卒業し、山形師範学校入学。卒業後、1948年より長井市豊田小学校に赴任。翌1949年に成城学園初等学校に教諭として転職。当時、成城学園にて社会科構想を説いていた柳田國男に師事する。1955年日本大学文学部(現、文理学部)宗教学科卒業。
伊集院 俊隆(いじゅういん としたか、1929年2月 - 2… 伊集院 俊隆(いじゅういん としたか、1929年2月 - 2004年9月1日)は、日本のロシア語翻訳家、出版編集者、ロシア語教育者。 現在の大阪府大阪市旭区森小路生まれ。大阪市立中大江東小学校、山水中学校、仙台幼年学校、茨城県立下妻中学校を経て、東京外国語大学ロシア語科卒業。新読書社社長、本郷ロシア語クールス主宰。レーニン、クルプスカヤ夫妻に関心が深く教育学関係図書の翻訳を多く行った。 2004年9月1日、脳幹梗塞のため死去。
青木 慈雲(あおき じうん、本名:青木理、1929年2月 -… 青木 慈雲(あおき じうん、本名:青木理、1929年2月 - 1998年4月11日)は、僧侶、画家。大本山妙尊寺(三重県)、総本山龍覚寺・慈雲院(山梨県)、妙海寺(山口県)管主。 現代美術協会設立に参加その後、一線美術会に移籍。美術家として多くの作品を残している。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
山田 修(やまだ おさむ、1929年1月31日- )は、日本… 山田 修(やまだ おさむ、1929年1月31日- )は、日本の建築家、韓国古文化研究家。 兵庫県伊丹市出身。1950年神戸工業専門学校卒。大阪市立工芸高等学校教諭。韓国古文化研究会主宰。1979年日本建築士連合会長賞受賞。大阪市立大学生活科学部・大阪市立デザイン教育研究所講師。修(しゅう)建築事務所主宰。伊丹市図書館協議会委員、伊丹市美術館協議会委員。1987年韓国観光公社賞、1998年釜山広域市建築士会功労牌、2002年駐大阪大韓民国総領事感謝状。
赤﨑 勇(あかさき いさむ、1929年〈昭和4年〉1月30日… 赤﨑 勇(あかさき いさむ、1929年〈昭和4年〉1月30日 - 2021年〈令和3年〉4月1日)は、日本の半導体工学者。位階は従三位。 学位は工学博士(名古屋大学・1964年)。名城大学大学院理工学研究科・特別栄誉終身教授、名城大学先端科学技術研究所所長、名古屋大学特別教授・名誉教授、名古屋大学赤﨑記念研究センターフェロー。京都大学名誉博士。日本学術会議栄誉会員、日本学士院会員。恩賜賞、文化勲章、文化功労者受章。『 高輝度青色発光ダイオードの発明 』で2014年度ノーベル物理学賞を受賞。 京都大学理学部卒業後、株式会社松下電器東京研究所基礎第4研究室長、松下技研株式会社半導体部長、名古屋大学工学部教授などを歴任した。
氏原 寛(うじはら ひろし、1929年1月30日 - 201… 氏原 寛(うじはら ひろし、1929年1月30日 - 2019年7月8日)は、日本の臨床心理学者・臨床心理士。専門は臨床心理学。ユング派である。元帝塚山学院大学大学院人間科学研究科教授。 1929年、大阪府生まれ。京都大学文学部史学科に入学し、西洋史学を専攻した。戦後の1953年、京都大学文学部を卒業。 卒業後は、大阪市立南高等学校教諭となり、大阪市教育研究所所員となった。一方で、大阪市立大学大学院生活科学研究科で学び、卒業した。1977年、大阪外国語大学教授に就任。1984年からは大阪市立大学生活科学部教授。1990年、学位論文『「意識の場」理論と心理臨床の実践的研究』を大阪市立大学に提出して学術博士の学位を取得。
森田 松太郎(もりた まつたろう、1929年1月30日 - … 森田 松太郎(もりた まつたろう、1929年1月30日 - 2014年5月31日)は、日本の公認会計士。経営コンサルタント。ARI研究所所長。 この他、財務データベースの国際比較などを研究。 『北海道人物・人材情報リスト2004 な-わ』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
李 錦玉(り くむおく、1929年1月30日 -2019年7… 李 錦玉(り くむおく、1929年1月30日 -2019年7月2日 )は、在日韓国・朝鮮人の児童文学作家。本名・李金玉(朝: 이금옥)。 大阪生まれ。金城女子専門学校(現金城学院大学)卒業。2004年詩集『いちど消えたものは』で第35回赤い鳥文学賞、第9回三越左千夫少年詩賞を受賞。詩誌「バオバブ」「みみずく」同人。東京都中野区在住。朝鮮民話の再話も多い。
德川 宗英(正字: 德川 宗英、とくがわ むねふさ、1929… 德川 宗英(正字: 德川 宗英、とくがわ むねふさ、1929年(昭和4年)1月30日 - )は、日本の歴史学者。田安徳川家第11代当主。慶應義塾大学工学部卒業。イギリス・ロンドン出身。 父は徳川達成、母は徳川元子。料亭「御花」女将の立花文子(旧柳川藩主家立花氏)は従姉。徳川家康や徳川吉宗の男系子孫に当たる。 1929年1月30日、徳川達成の子として、達成の留学先であったイギリス・ロンドンで生まれる。 学習院中等科(現・学習院高等科)を経て、海軍兵学校に入学(77期)。海兵在学中に終戦を迎え、後に慶應義塾大学工学部を卒業。その後、石川島重工業に入社した。 1995年に石川島播磨重工業を退職した後、静岡日伊協会名誉顧問、全国東照宮連合会顧問、社団法人霞会館評議員、社団法人尚友倶楽部評議員などを務める傍ら、作家として多数の著書を執筆するなどの活動を続けている。
薬師川 虹一(やくしがわ こういち、1929年1月30日 -… 薬師川 虹一(やくしがわ こういち、1929年1月30日 - )は、日本の英文学者、詩人、写真家。同志社大学名誉教授。 英国初期ロマン派が専門。詩誌『Ravine』編集・発行同人。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、日本翻訳家協会、日本写真協会、日本バイロン協会、関西詩人協会、京都現代詩協議会、京都写真芸術家協会、京都市芸術文化協会に所属。 京都市生まれ。1952年同志社大学文学部英文科卒、1954年同大学院修士課程修了。立命館大学専任講師、助教授、教授、同志社大学文学部教授、1999年名誉教授、東海学園大学経営学部教授。 1997年京都市芸術文化協会賞受賞。2010年瑞宝中綬章受章。
寺尾 睦男(てらお むつお、1929年1月30日 - 201… 寺尾 睦男(てらお むつお、1929年1月30日 - 2019年7月24日)は、日本の実業家。京都府生まれ。ライオン副社長、公共広告機構(ACジャパンの前身)理事長、ACジャパン相談役、日本広告写真家協会理事、NPO法人LWC Happy Rice理事、世界の子どもにワクチンを日本委員会理事などを歴任。 1929年京都生まれ。後に東京へ転居し、永田町小学校(現・麹町小学校)、旧・関東中学校(現・聖徳学園中学校・高等学校)、立教大学経済学部卒業。 大学卒業翌年の1951年、ライオン油脂(のちのライオン)に入社。以来、一貫して広告宣伝マーケティングに従事し、ビートルズ日本公演特番の単独CM提供やエメロン「ふりむかないでキャンペーン」などを手掛け、商品のヒットにつなげた。
飯塚 正(いいづか ただし、1929年(昭和4年)1月29日… 飯塚 正(いいづか ただし、1929年(昭和4年)1月29日 - 2019年(平成31年)3月4日)は、昭和から平成時代の政治家。新潟県柏崎市長、新潟産業大学理事長を務めた。 柏崎市出身。1946年(昭和21年)新潟県立柏崎農学校卒業。 1959年(昭和34年)柏崎市議会議員に当選し、1987年(昭和62年)4月に7期目の途中で辞職するまで務めた。この間、1975年(昭和50年)5月から1979年(昭和54年)4月まで同市議会議長を歴任。1987年(昭和62年)以来、柏崎市長に2選。1992年(平成4年)11月、2期目の途中で辞職した。ほか、新潟産業大学理事長を務めた。 市長在任中は原子力発電所誘致による地域振興、新潟産業大学および新潟工科大学の開学、第6次上水道拡張事業に尽力した。
橋本 尚(はしもと たかし、1929年1月29日 - 199… 橋本 尚(はしもと たかし、1929年1月29日 - 1999年)は、日本の電気技術者、文筆家。技術コンサルタント。 大阪府堺市出身。1948年大阪工業専門学校電気科(現大阪府立大学)卒、1961年近畿大学理工学部電気工学科卒。 長男の橋本岳(たけし、1961年生)は電気工学者、静岡大学教授[要出典]。次男の橋本均(ひとし)は薬学研究者、大阪大学教授 [要出典]。
武居 良明(たけい よしてる、1929年(昭和4年)1月29… 武居 良明(たけい よしてる、1929年(昭和4年)1月29日 - 2009年(平成21年)1月13日)は、日本の経済史学者。 中華民国関東州大連生まれ。長野県松本市育ち。父は武居郷一。1953年名古屋大学経済学部卒、1954年同助手、1960年信州大学人文学部講師、1965年「イギリス封建制の解体過程」で名大経済学博士。信州大学助教授、教授、経済学部教授、1975-1979年附属図書館長、静岡大学教授、1992年定年退官、名誉教授、常葉学園大学教授、1994年静岡産業大学教授。2008年春、瑞宝中綬章受勲。没後正四位。英国経済史。
志田 諄一(しだ じゅんいち、1929年1月29日 - 2… 志田 諄一(しだ じゅんいち、1929年1月29日 - 2011年12月21日)は、日本の歴史学者。 山形県生まれ。明治大学大学院文学研究科博士課程修了、1998年「常陸国風土記と説話の研究」で史学博士。茨城キリスト教大学教授、学長、99年定年退職、名誉教授。茨城県教育委員長、元日立市郷土博物館館長、日本古代史・古代中世氏族研究の研究者。 茨城県文化財保護審議会委員、県教育委員長を歴任。 2005年、瑞宝中綬章を受章した。武田氏の発祥について、現在では、1968年に志田諄一が『勝田市史』において発祥を清光(新羅三郎義光)の三男(次男とも)である源義清が常陸国那珂郡武田郷を本貫として武田姓を名乗ったとする説が提唱され、以来定説として支持されている。
前川 忠男(まえがわ ただお、1929年1月28日 - )は… 前川 忠男(まえがわ ただお、1929年1月28日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(内野手)。 鹿児島商業から西日本鉄道、八幡製鐵所を経て1954年に南海ホークスへ入団。南海では控えだったが翌年に移籍したトンボユニオンズではショートのレギュラーを獲得し2番打者として定着した。しかし、1956年にチームが解散し、翌年は東映フライヤーズでプレー。8番ショートでレギュラーとして活躍。1958年オフに引退した。
辻元 一郎(つじもと いちろう、1929年〈昭和4年〉1月2… 辻元 一郎(つじもと いちろう、1929年〈昭和4年〉1月28日 - 1989年〈平成元年〉3月1日)は、日本のアメリカ文学者。 大阪府生まれ。1955年京都大学文学部英文科卒業、京都大学大学院文学研究科英文専攻修士課程修了。大谷大学講師の後、1957年鹿児島大学講師、1963年滋賀大学助教授、神戸大学教育学部助教授、教授を務めた。1989年、急性心不全のため死去。
向山 茂樹(むこうやま しげき、1929年1月28日 - )… 向山 茂樹(むこうやま しげき、1929年1月28日 - )は、日本の経営者。日本軽金属社長を務めた。山梨県出身。 1951年に東京大学工学部計測工学科を卒業し、同年に日本軽金属に入社。1982年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務を経て、1987年3月に社長に就任。1993年12月に会長に就任し、1994年6月に取締役相談役を経て、1995年6月には相談役に就任。 1992年11月に藍綬褒章を受章。
岩佐 幹三(いわさ みきそう、1929年1月28日 - 20… 岩佐 幹三(いわさ みきそう、1929年1月28日 - 2020年9月7日)は 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)顧問で、金沢大学名誉教授。 福岡県福岡市出身。富士見町 (広島市)修道中学校在学中であった1945年(昭和20年)8月6日16歳の時、爆心地から1・2キロの広島市富士見町(現同市中区)の自宅の庭で被爆し、母と妹を亡くして「原爆孤児」となった。 1960年に石川県原爆被災者友の会を設立。金沢大学で法学部長を務めた後、2000年から日本原水爆被害者団体協議会]の事務局次長、11年から代表委員、17年から顧問を務め、被爆者救済などに取り組んだ。 2016年には、オバマ米大統領(当時)の広島訪問に立ち会った。