奥村 昭雄(おくむら あきお、1928年10月2日 - 20… 奥村 昭雄(おくむら あきお、1928年10月2日 - 2012年12月27日)は、日本の建築家。屋根で集めた太陽熱を床下に送るOMソーラーの考案者。 東京府に生まれる。1952年東京美術学校(現・東京芸術大学)建築科を卒業。1956年吉村順三設計事務所入所。1964年、東京芸術大学美術学部建築学科助教授。1973年、同教授。東京芸術大学名誉教授。 2012年12月27日、虚血性心不全のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
義井 博(よしい ひろし、1928年10月2日-2008年5… 義井 博(よしい ひろし、1928年10月2日-2008年5月26日)は、日本の歴史学者。名古屋市立大学名誉教授。 大阪府出身。海軍兵学校、旧制八高を経て1952年名古屋大学文学部史学科卒、1959年同大学院西洋史博士課程満期退学、1978年「日独伊三国同盟と日米関係 太平洋戦争前国際関係の研究」で大阪大学文学博士。 1957年愛知学院大学講師、助教授、1964年名古屋市立大学教養部助教授、教授、1994年定年退官、名誉教授、愛知淑徳大学教授。1999年退職。 西洋史研究からスタートしたが、20世紀の軍事・戦争史や外交史に手を広げた。 1983年『真珠湾奇襲とポーランド電撃戦』で吉田茂賞受賞。
澤木 秀夫(さわき ひでお、1928年10月1日 - 201… 澤木 秀夫(さわき ひでお、1928年10月1日 - 2018年5月21日)は、日本の実業家。丸栄代表取締役社長や、同社代表取締役会長、中部百貨店協会会長などを務めた。 愛知県出身。愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)を経て、1949年名古屋経済専門学校(現名古屋大学経済学部)卒業、東海銀行入行。東海銀行専務などを経て、1986年丸栄副社長。1989年丸栄社長。1996年キタン会会長。1998年丸栄会長。2001年退任。中部百貨店協会会長なども務めた。2018年肺炎のため死去。享年89。
須田 勝勇(すだ かつとし、1928年9月30日 - 201… 須田 勝勇(すだ かつとし、1928年9月30日 - 2018年/2019年)は日本の政治家。木更津市長(2期)。 千葉県君津郡清川村(現在の木更津市)に生まれる。望陀農学校卒業。家業の農業に従事する。戦後は青年団に入り、連合青年団体育部長。このほか清川農協青年部長、消防第三分団長などを務めた。清見台土地区画整理組合理事長、清見台貸家組合理事長、清見台賃貸住宅管理組合会長、千葉県土地区画整理組合連合会会長、全国土地区画整理組合連合会理事長に就任。木更津市内では国立木更津工業高等専門学校の誘致に尽力し、清見台幼稚園理事長となった。 1975年、千葉県議会議員選挙に自由民主党から出馬して初当選、以後4選。
五十嵐 悦郎(いがらし えつろう、1928年(昭和3年)9月… 五十嵐 悦郎(いがらし えつろう、1928年(昭和3年)9月30日 - 2000年(平成12年)1月3日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道留萌市長。留萌市名誉市民。位階は従六位。勲五等瑞宝章。 留萌市出身。旧制留萌中学校を経て、明治大学商学部を卒業。 1951年(昭和26年)北海道庁に入り、留萌支庁総務課勤務を経て、1969年(昭和44年)留萌市役所に転じた。企画室長、産業港湾部長、総務部長を経て、1983年(昭和58年)助役に就任。1984年(昭和59年)7月、退任。 留萌商工会議所専務理事を経て、1986年(昭和61年)の留萌市長選に市民党として出馬し、当選。1994年(平成6年)まで2期8年間市長を務めた。
泉洋 辰夫(いずみなだ たつお、1928年9月30日 - 没… 泉洋 辰夫(いずみなだ たつお、1928年9月30日 - 没年不明 )は、大阪府泉佐野市出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は山形 辰夫(やまがた たつお)。最高位は西前頭6枚目(1959年7月場所)。現役時代の体格は176cm、103kg。得意手は左四つ、寄り、突っ張り、押し、下手捻り。 1949年、21歳で時津風部屋に入門。同年10月場所で初土俵を踏んだ。この場所、番付外と新序で好成績を残した為、翌年1月場所では序ノ口を飛び越していきなり序二段に付いた。 因みに当初の四股名は、本名でもある「山形」であった。 1953年1月場所、番付に付いてから僅か3年、所要11場所で十両に昇進。1954年5月場所で、新入幕を果たした。
吉井 直昭(よしい なおあき、1928年9月28日 - )は… 吉井 直昭(よしい なおあき、1928年9月28日 - )は、日本の裁判官、公証人、弁護士。最高裁判所上席調査官や、東京高等裁判所部総括判事を経て、退官後、日本公証人連合会会長などを務めた。 福岡県立高等学校修猷館を経て、岡山大学法文学部在学中の1952年に旧司法試験合格。1953年に大学卒業後、司法修習を経て、1955年裁判官任官。京都地方裁判所判事補、最高裁判所事務総局総務局付、旭川地方裁判所判事、最高裁判所調査官、東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所上席調査官等を経て、1986年宇都宮家庭裁判所所長。1987年神戸家庭裁判所所長。1989年東京高等裁判所部総括判事。1990年日本橋公証役場公証人。
岡本 朴(おかもと すなお、1928年9月28日 - 199… 岡本 朴(おかもと すなお、1928年9月28日 - 1993年4月8日)は、日本の物理工学者。京都大学名誉教授。元京都大学原子炉実験所(現:京都大学複合原子力科学研究所)長。専門は中性子工学。工学博士。愛知県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
村井 修(むらい おさむ 1928年(昭和3年)9月27日 … 村井 修(むらい おさむ 1928年(昭和3年)9月27日 - 2016年(平成28年)10月23日)は日本の写真家。 愛知県半田市出身。愛知県立第七中学校(現・愛知県立半田高等学校)を経て、1950年東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)を卒業。 建築や彫刻を被写体とした写真家活動を始め、東京で独立。小田仁二郎、瀬戸内晴美(寂聴)らによる同人誌「Z」の表紙(写真)を担当する。新旧東京都庁舎ほか一連の丹下健三の建築、白井晟一の作品など数多くの建築物を撮影し、1980年代には数年間に及ぶ京都迎賓館の撮影を手掛けた。シドニー・オペラハウス、関西国際空港、中部国際空港、東京駅などの写真を撮影・発表している。
二宮 敬(にのみや たかし、1928年9月27日 - 200… 二宮 敬(にのみや たかし、1928年9月27日 - 2002年)は、日本のフランス文学者、東京大学文学部名誉教授。
鈴木 義司(すずき よしじ、1928年〈昭和3年〉9月26日… 鈴木 義司(すずき よしじ、1928年〈昭和3年〉9月26日 - 2004年〈平成16年〉7月17日)は、日本の漫画家。 代表作は読売新聞夕刊に1966年6月22日より2004年7月2日まで、新聞連載としては当時歴代歴代2位となる38年間、合計1万1240話にわたって長期連載された『サンワリ君』。勲等は勲四等。 東京市赤坂区(のちの東京都港区)で酒屋と質屋を兼業する商家に生まれ、川崎市大師河原(現:川崎区)に育つ。少年時代は漫画に興味がなく、1989年の毎日新聞のインタビューに答えた時点では「のらくろも冒険ダン吉もそれほど読んだことがない」という。旧制神奈川県立川崎中学校(神奈川県立川崎高等学校の前身)を経て旧制東京都立理工専門学校(東京都立大学の前身)卒業。
渥美 和彦(あつみ かずひこ、1928年9月25日 - 20… 渥美 和彦(あつみ かずひこ、1928年9月25日 - 2019年12月31日)は、日本の医学者。専門は医用工学。東京大学名誉教授。医学博士。大阪府出身。旧制北野中学校、旧制第三高等学校、東京大学医学部卒業。 渥美と漫画家・医師の手塚治虫は旧制北野中学校(現:大阪府立北野高等学校)の同級生であり、手塚が『鉄腕アトム』に登場させたキャラクターであるお茶の水博士を描くに際しては同級生であった渥美をモデルの一人としたことを渥美本人に打ち明けている。
西園 昌久(にしぞの まさひさ、1928年9月25日 - 2… 西園 昌久(にしぞの まさひさ、1928年9月25日 - 2022年4月19日)は、日本の医学者・精神科医。福岡大学名誉教授。学位は、医学博士(論文博士・1959年)(学位論文「神経症に関する臨床的研究」)。 福岡県生まれ。1953年九州大学医学部卒業。1959年論文「神経症に関する臨床的研究」で医学博士の学位の取得。 1971年九州大学医学部助教授。1973年福岡大学医学部教授。医学部学部長。1993-2001年WHO協力センター(福岡大学)所長。1999年定年退任、名誉教授。 1999年、福岡市博多区に心理社会的精神医学研究所を開設して活動の拠点としたが、2019年に自ら閉鎖。 長いキャリアの間に、日本精神神経学会、日本精神分析学会、西太平洋地域医学教育連合、環太平洋精神科医会議、アジア児童思春期精神医学会、多文化間精神医学会、日本精神分析協会の会長などを歴任した。
津末 昭生(つすえ あきお、1928年9月24日 - 199… 津末 昭生(つすえ あきお、1928年9月24日 - 1995年6月10日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。熊本大学教授。東京都港区出身。祖父は衆院議員の津末良介。 成蹊高等学校から東京大学へ入学。1954年、理学部地学科(地質学課程)を卒業。鉱床学の渡辺武男教授の指導を受けて大学院に進み、1960年、博士課程を修了(理学博士)、「岩手県釜石鉱山地方の接触交代型鉄、銅鉱床について 」。 理学部地質学教室助手となる。ただちに米国のコロンビア大学・プリンストン大学に留学し、1963年復職。 1970年、熊本大学理学部助教授、1973年、教授となる。1994年、停年退官。この間、1990年から1992年は理学部長を務める。
森泉 章(もりいずみ あきら、1928年9月24日 - 20… 森泉 章(もりいずみ あきら、1928年9月24日 - 2007年1月26日)は、日本の法学者。専門は民法・金融法・団体法・不動産法。学位は法学博士(東北大学・1966年)(学位論文『権利能力なき社団に関する研究』)。青山学院大学名誉教授。弁護士。中川善之助門下。 長野県小県郡丸子町(現上田市)生まれ。長野県立上田中学校などを経て、1951年に東北大学法学部を卒業する。 1954年静岡大学法経短期大学部助教授、1957年福島大学経済学部教授を務め、1968年青山学院大学法学部教授として民法の講義を長年していた。1979年学部長。その後、駿河台大学法学部教授、関東学院大学法科大学院教授を歴任し、生涯現役で教育・研究に従事した。
三光 長治(さんこう ながはる、1928年9月24日 - 2… 三光 長治(さんこう ながはる、1928年9月24日 - 2025年1月30日)は、日本の音楽学者、ドイツ文学者、埼玉大学名誉教授。 広島県生まれ。1952年、京都大学独文科卒業。愛知大学講師、神戸大学助教授、埼玉大学教授、1994年定年退官、名誉教授、神戸松蔭女子学院大学教授。2008年秋、瑞宝中綬章受勲。テオドール・アドルノ、リヒャルト・ワーグナーの研究、翻訳等に従事。 2025年1月30日、誤嚥性肺炎のため兵庫県神戸市の病院で死去。96歳没。 この項目は、音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 音楽/ウィキプロジェクト 音楽)。
松尾 壽之(まつお ひさゆき、1928年〈昭和3年〉9月24… 松尾 壽之(まつお ひさゆき、1928年〈昭和3年〉9月24日 - 2022年〈令和4年〉6月8日)は、日本の生化学者。ヒト心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)を始めとする多くの新規べプチドホルモンを発見。国立循環器病研究センター研究所長、宮崎医科大学長などを歴任。 学位は薬学博士(東京大学・1959年)。国立循環器病研究センター名誉研究所長、宮崎大学名誉教授。文化功労者。位階勲等は従四位瑞宝中綬章。 1928年(昭和3年)9月24日、福岡県に生まれる。 1959年(昭和34年)に東京大学大学院化学系(薬学)博士課程を修了し、1960年(昭和35年)には東京大学薬学部助手、1964年(昭和39年)には理化学研究所研究員となる。
菅 朝照(かん ともてる、1928年〈昭和3年〉9月24日 … 菅 朝照(かん ともてる、1928年〈昭和3年〉9月24日 - 2000年〈平成12年〉3月31日)は、日本の政治家、歯科医師。愛媛県北条市(現・松山市)長(2期)。位階は正六位。 愛媛県出身。東京歯科医学専門学校(現・東京歯科大学)卒業。地元で歯科医を開業し、北条市歯科医師会会長、愛媛県歯科医政治連盟副会長などを務める。1987年愛媛県議会議員選挙に立候補し、当選。2期務める。1992年北条市長選挙に立候補し、現職を破って初当選する。1996年に再選。2000年1月31日北条市長のまま死去。死没日付をもって正六位に叙され、勲五等双光旭日章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
林 昌二(はやし しょうじ、1928年9月23日 - 201… 林 昌二(はやし しょうじ、1928年9月23日 - 2011年11月30日)は、日本の建築家。日建設計で、チーフアーキテクトとして活躍。1971年にはポーラ五反田ビルで日本建築学会賞作品賞を受賞した。夫人は建築家の林雅子。
佐野 喜秋(さの よしあき、1928年9月22日 - 199… 佐野 喜秋(さの よしあき、1928年9月22日 - 1993年1月31日)は、日本の経営者。日本火災海上保険社長を務めた。山梨県出身。 1951年に豊島実業高校(現在の豊島学院高等学校)を卒業し、同年に日本火災海上保険に入社。 1982年7月に取締役に就任し、1985年7月に常務、1986年6月に専務を経て、1988年6月には副社長に就任し、1989年月には社長に昇格。 1993年1月31日心不全のために死去。64歳没。
元藤 燁子(もとふじ あきこ、1928年9月22日 - 20… 元藤 燁子(もとふじ あきこ、1928年9月22日 - 2003年10月19日)は、舞踏家。(本名:元藤明子)、土方巽記念資料館館長、アスベスト館館長。 東京生れ、1936年、礼儀見習い奉公のため奉公していた隣家の斎藤実内大臣(前海軍大将)の私邸(四ツ谷仲町3丁目44)で、二・二六事件に遭遇している。実践女子大学卒、日本大学芸術科卒、石井みどり舞踏研究所入所、小牧正英バレエ団入団。津田近代舞踊学校(津田・元藤近代舞踊研究所)の主宰者(津田信敏、1910-1984)との結婚を経て、1968年「暗黒舞踏」創始者である土方巽(1928-1986)と再婚した。 1952年、元藤は津田信敏近代舞踊学校(津田・元藤近代舞踊研究所)を目黒区下目黒(現・中町)に設立した(後のアスベスト館)。
鈴木 清(すずき きよし、1928年9月21日 - )は、日… 鈴木 清(すずき きよし、1928年9月21日 - )は、日本の医師、教育学者。青山学院大学名誉教授。 愛知県出身。1945年(昭和20年)旧制愛知県立津島中学校(現・愛知県立津島高等学校)卒業。1953年(昭和28年)慶應義塾大学医学部卒業。 1954年(昭和2年)12月から1960年(昭和28年)3月まで慶応堂病院に在籍。この後、転出して東京医科歯科大学第二内科学講師。後に青山学院大学公衆衛生学教授、青山学院診療所長を務める。現在は青山学院大学名誉教授。
小林 一也(こばやし かずや、1928年9月21日 ‐ 20… 小林 一也(こばやし かずや、1928年9月21日 ‐ 2015年3月9日)は、日本の教育学者。拓殖大学名誉教授、日本工業技術教育学会名誉会長。 新潟県柏崎市生まれ。1948年長岡工業高等専門学校工業化学科(のち新潟大学工学部)卒、立正大学文学部地理学科卒。1948年から中学校、高等学校で教える。1968年東京都教育庁指導部指導主事、1976年同主任指導主事、1981年東京都立工業技術教育センター指導部長、東京工業大学非常勤講師、1983年東京都立小石川工業高等学校校長。全国工業高等学校長協会理事長、顧問。1989年拓殖大学工学部教授、早稲田大学非常勤講師、1994年日本工業技術教育学会長。1999年拓殖大学名誉教授。
橋爪 四郎(はしづめ しろう、1928年〈昭和3年〉9月20… 橋爪 四郎(はしづめ しろう、1928年〈昭和3年〉9月20日 - 2023年〈令和5年〉3月9日)は、日本の競泳選手、スポーツ指導者。ヘルシンキオリンピック競泳男子1500m自由形銀メダリスト。和歌山県和歌山市出身。日本大学卒業。 終戦直後の1946年、古橋廣之進に誘われて日本大学に進学。その後、世界トップレベルの記録を連発。1948年のロンドンオリンピックではメダル獲得が確実視されたが、日本の参加は認められなかった。ロンドン五輪の代わりとして日本水泳連盟が開催した全日本水上選手権大会では1500m自由形で当時の世界記録を上回る18分37秒8を記録した(当時の日本は敗戦国であったことから国際水泳連盟(FINA)から除名されていたため、世界記録としては公認されなかった)。
唐澤 茂人(からさわ しげと、1928年(昭和3年)9月20… 唐澤 茂人(からさわ しげと、1928年(昭和3年)9月20日 - 1995年(平成7年)12月6日)は、日本の政治家。長野県伊那市長。 現在の伊那市出身。上伊那農林学校卒業。東春近村役場職員、伊那市助役から、平成6年(1994年)市長選挙に当選したが、翌年7月、肺がんにより信州大病院で手術を受ける。退院後、自宅で療養しながら公務をこなしていたが、風邪をこじらせて体調を崩し、市議会を欠席。小坂樫男助役を職務代理者に任命し療養に専念していた。12月6日肺がんにより死去。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
中島 武敏(なかじま たけとし、1928年9月20日 - 2… 中島 武敏(なかじま たけとし、1928年9月20日 - 2013年3月21日)は、日本の政治家で、日本共産党所属の衆議院議員(通算7期)。党東京都委員会委員長、党中央委員会中央委員を歴任した。 北海道雨竜郡沼田町生まれ。北海道帝国大学予科卒業後、東京大学文学部に入学。在学中に東京大学学生自治会中央委員会議長となった事を理由に学内処分を受けた。まもなく中退する。その後、日本共産党に入党し東京都委員会職員となる。1972年の第33回衆議院議員総選挙に東京都第9区 (中選挙区)より出馬し初当選。衆議院建設委員なども務め、談合の暴露・追及などを行なった。 第34回衆議院議員総選挙では落選したが、次の第35回衆議院議員総選挙で返り咲きを果たし、以降連続4回当選した。
杉本 正(すぎもと ただし、1928年9月19日 - 20… 杉本 正(すぎもと ただし、1928年9月19日 - 2022年11月24日 )は、日本の文学者。専門は英文学。特にイギリス現代詩が研究領域。北海道空知郡砂川町(現・砂川市)出身。札幌学院大学でも数少ない生え抜きの教員であった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小島 千加子(こじま ちかこ〈本名:小嶋喜久江〉、1928年… 小島 千加子(こじま ちかこ〈本名:小嶋喜久江〉、1928年9月19日 - 2025年9月5日)は、日本の編集者、文芸評論家、詩人。 東京府出身。日本女子大学国文科卒業。1949年、新潮社入社。『新潮』編集部にて森茉莉や三島由紀夫、檀一雄、吉行理恵、幸田文、円地文子らを担当。特に森とは、1958年から森が死去する1987年まで29年間にわたって親交を結んでいた。1970年には、三島事件当日の朝に三島由紀夫の遺作となった『豊饒の海』第4巻「天人五衰」の最終回原稿を受け取った。 出版部、副部長職兼務を経て1988年に退社し、文筆業一本となる。 2025年9月5日、老衰のため死去。96歳没。生涯独身だった。
山崎 幹雄(やまざき みきお、1928年 <昭和3年> 9月… 山崎 幹雄(やまざき みきお、1928年 <昭和3年> 9月17日 - 2008年 <平成20年> 3月16日)は、日本の実業家・地方公務員・学校経営者。釧路市助役、葵建設社長、釧路短期大学学長を歴任。位階は正五位。 北海道網走市出身。1948年、北海道帝國大學工学部土木専門部卒業。北海道立釧路工業高等学校教諭。1950年、釧路市役所に入所。同市港湾部長。1972年、同市総務部長。1973年、同市助役。1977年、釧路市役所退職。葵鉱発に入社。1983年、同社代表取締役専務。1984年、葵建設代表取締役専務。1986年、同社代表取締役社長。2001年、葵建設退社。釧路短期大学学長。2003年、同大学退職。
園田 高弘(そのだ たかひろ、1928年9月17日 - 20… 園田 高弘(そのだ たかひろ、1928年9月17日 - 2004年10月7日)は、日本のクラシック音楽のピアニスト。 戦後の日本の音楽界を演奏者・教育者としてリードした。レパートリーと録音・演奏回数ともに余人の及ばない域に達しており、没年の翌年にも演奏会のスケジュールが入っていた。 1928年、東京府豊多摩郡中野町生まれ。園田の幼少期に急逝した父・清秀は、フランスでロベール・カサドシュに学んだピアニストであった。その方針により音楽の英才教育を受ける。1936年、父が他界。1939年からユダヤ系ロシア人ピアニストレオ・シロタの個人指導を受ける。本郷区千駄木尋常小学校を経て、軍事教練の無かった旧制豊山中学4年修了後、最年少で東京音楽学校に入学する。
泉田 芳次(いずみだ よしつぐ、1928年〈昭和3年〉9月1… 泉田 芳次(いずみだ よしつぐ、1928年〈昭和3年〉9月17日 - 2007年〈平成19年〉8月17日)は、日本の政治家、官僚。元山口県下関市長。 奈良県出身。1957年(昭和32年)國學院大學文学部卒業。 1960年(昭和35年)総理府事務官となり、1966年(昭和41年)下関市財政課長、水道事業管理者を経て、1972年(昭和47年)助役。1979年(昭和54年)下関市長に当選し、3期務めた。1991年(平成3年)落選した。
村上 尚文(むらかみ なおふみ、1928年9月17日 - 2… 村上 尚文(むらかみ なおふみ、1928年9月17日 - 2000年12月25日)は、日本の検察官。広島高等検察庁検事長などを務めた。位階は正三位。勲等は勲二等。 福岡県北九州市出身。1952年東京大学法学部卒業。大学3年の在学中に司法試験合格を果たす。 著書は約30冊におよび、警察官向けのテキストが多く、中には東京地方検察庁特別捜査部長などを歴任した河上和雄や藤永幸治との分担執筆や共著の書籍もある。 元最高裁判所裁判官である団藤重光を支持する。 1998年、勲二等旭日重光章を受章。2000年12月25日、肝臓疾患のため死去。 刑法を研究する。刑事責任について、精神科医に精神医学は未知の分野であることを告げられ、また、道路交通の実務体験では、目撃証言や裁判官の見解次第で過失か否かが次々と覆ることなどから、責任能力や過失については運が良いか悪いかが決め手であるとし、これを「運天主義」と呼んだ。
古橋 廣之進(ふるはし ひろのしん、1928年9月16日 -… 古橋 廣之進(ふるはし ひろのしん、1928年9月16日 - 2009年8月2日)は日本の水泳選手であり、スポーツ指導者。日本大学名誉教授。
古賀 英三郎(こが えいざぶろう、1928年(昭和3年)9月… 古賀 英三郎(こが えいざぶろう、1928年(昭和3年)9月16日 - 1990年(平成2年)12月1日)は、日本の社会学者。
井形 昭弘(いがた あきひろ、1928年9月16日 -201… 井形 昭弘(いがた あきひろ、1928年9月16日 -2016年8月12日)は、日本の医学者、内科学者。鹿児島大学第7代学長・名誉教授、名古屋学芸大学初代学長、名古屋学芸大学短期大学部学長。医学博士。専門は神経内科学。 静岡県浜松市出身。1946年、第八高等学校に入学。1950年、東京大学医学部医学科入学。1955年、東京大学医学部第三内科に入局。1960年から2年間のドイツ留学を経て、1960年「神経体液学説に関する研究」により東京大学から医学博士の学位を授与される[要出典]。1971年、新設された鹿児島大学医学部第三内科の初代教授に着任。1984年、鹿児島大学病院長に就任し、全国に先駆けてコンピュータシステムの導入を行った。
進 功(しん いさお、1928年9月16日 - )は、日本の… 進 功(しん いさお、1928年9月16日 - )は、日本の経営者。住友製薬社長を務めた。 三重県出身。1952年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に住友化学工業に入社。1981年3月に取締役に就任し、1984年3月に常務、同年10月に住友製薬常務、1986年3月に専務を経て、1989年3月に副社長に就任し、1991年3月には社長に昇格。1995年3月に会長を経て、1996年6月に相談役に就任。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
倉松 功(くらまつ いさお、1928年(昭和3年)9月16日… 倉松 功(くらまつ いさお、1928年(昭和3年)9月16日 - 2020年(令和2年)7月17日)は、日本の神学者・キリスト教学者。東北学院大学名誉教授。高知県土佐清水市出身。 日本キリスト教団東京信濃町教会伝道師、日本ルター学会理事長、日本基督教学会理事長を務めた。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
泉 治典(いずみ はるのり、1928年9月16日 - 201… 泉 治典(いずみ はるのり、1928年9月16日 - 2011年6月1日)は、日本の哲学・聖書研究者。東洋大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。旧・東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。東洋大学講師、助教授、教授、1992年定年退任、名誉教授。はじめ実存哲学を研究し、のち聖書、アウグスティヌスなどを研究する。
山口 敏明(やまぐち としあき、1928年9月16日 - 2… 山口 敏明(やまぐち としあき、1928年9月16日 - 2000年1月3日)は、日本の実業家。東ソー代表取締役社長、新大協和石油化学代表取締役社長、経済同友会副代表幹事、塩化ビニル工業協会会長、プラスチック処理促進協会会長などを歴任した。 中華民国奉天市出身。1942年陸軍幼年学校進学。陸軍予科士官学校在学中、ソ連対日参戦を前に満州国で母を自決により亡くす。日本の降伏後、1945年旧制東京商科大学(現一橋大学)入学。大学では同期の伊東光晴(京都大学名誉教授)らとともに一橋新聞の活動に熱中した。1951年大学を卒業し、東洋曹達工業(現東ソー)に入社。企画部門や、ファイン・スペシャリティー事業、海外事業等を担当した。
日比 賢昭(ひび よしあき、1928年9月15日 - 201… 日比 賢昭(ひび よしあき、1928年9月15日 - 2012年9月29日)は、日本の経営者。サンゲツ社長、会長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1947年に旧制名古屋中学校を卒業し、同年に家業の山月堂商店(のちのサンゲツ)に入社。1953年に常務に就任し、1963年に専務を経て、1965年に社長に就任。2012年9月に会長に就任。 2009年4月に旭日小綬章を受章 2012年9月29日心不全のために死去。84歳没。
大沢 博(おおさわ ひろし、1928年〈昭和3年〉9月15日… 大沢 博(おおさわ ひろし、1928年〈昭和3年〉9月15日 - 2020年〈令和2年〉5月6日)は、日本の心理栄養学者。岩手大学名誉教授。 群馬県富岡市出身。1949年(昭和24年)群馬師範学校を卒業し、1952年(昭和27年)に東京文理科大学を卒業した。 1952年(昭和27年)前橋少年鑑別所法務技官、1953年(昭和28年)前橋市立女子高等学校教諭を経て1956年(昭和31年)岩手大学学芸学部助手。1959年(昭和34年)同講師、1963年(昭和38年)同助教授、1972年(昭和47年)教育学部教授。1977年(昭和52年)附属看護学校長、1983年(昭和58年)附属中学校長。1994年(平成6年)に名誉教授となる。
鈴木 雅廣(すずき まさひろ、1928年(昭和3年)9月14… 鈴木 雅廣(すずき まさひろ、1928年(昭和3年)9月14日 - 2002年(平成14年)10月25日)は、日本の政治家。山形県天童市長(3期)。 山形県出身。盛岡農林専門学校(現岩手大学農学部)卒。卒業後は岩手県農業試験場に入り、技師となる。その後、帰郷し、天童市役所に入り、農業委員会事務局長、農林、総務各課長を経て、助役となる。1985年、天童市長小座間泰蔵が死去。これに伴う市長選挙に立候補し、無投票で初当選する。1989年、1993年と連続で無投票当選。1997年の市長選挙では市内に大型商業施設の設置が争点となり、市民の間から1万人規模の反対署名運動が起きた。これを受けて元衆議院議員の遠藤登が「そうした運動が起こるのは市民の声が届いていない証拠であり、無競争のうえにあぐらをかいている市政を変えなければならない」と市長選挙に名乗りを挙げ、就任以来初の選挙戦となった結果、鈴木は遠藤に敗れた。
杉山 二郎(すぎやま じろう、1928年9月14日 - 20… 杉山 二郎(すぎやま じろう、1928年9月14日 - 2011年11月30日)は、日本の美術史学者。 東京府出身。1954年東京大学文学部美学美術史学科卒業。1955年奈良国立文化財研究所美術工藝室勤務、1960年東京国立博物館学芸部に勤務、東洋考古室長。シルクロードの現地調査に参加、西アジアの古代美術や東西文化交流史を研究。 1988年長岡技術科学大学工学部教授、1991年佛教大学文学部教授、1996年国際仏教学大学院大学教授、2002年退任。 1969年『大仏建立』で毎日出版文化賞受賞。 2011年11月30日、膵臓(すいぞう)がんで死去。83歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
佐藤 芳夫(さとう よしお、1928年9月13日 - 200… 佐藤 芳夫(さとう よしお、1928年9月13日 - 2006年11月25日)は、昭和から平成時代の労働運動家。全国労働組合交流センター代表運営委員。元全造船機械労組石川島分会執行委員長、中立労連議長。 東京、浅草生まれ。1948年石川島重工業に管理工として入社。1951年中央大学専門部経済学科(二部)卒業。1950年頃は組合の青年協議会副議長をしていたが、共産党員ではなかったためレッドパージを免れた。パージに賛成した柳沢錬造、金杉秀信ら愛国労働運動派に対抗し、1952年春に左派社会党に入党。同年6月全造船石川島分会執行委員に初当選。1961年11月全造船石川島分会執行委員長に初当選(1期)。1963年10月同執行委員長、石川島播磨重工労働組合連合会中央執行委員長(それぞれ2期)。
浮田 典良(うきた つねよし、1928年9月12日 - 20… 浮田 典良(うきた つねよし、1928年9月12日 - 2005年1月12日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学。京都大学名誉教授。 1928年、東京市渋谷区で生まれた。父の転勤に伴い、幼少期は東京、上海、横浜、神戸を転々とした。神戸第一中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)在学中の16歳の時に、勤労動員中の事故で左腕を失った。広島高等師範学校を卒業し、京都大学文学部史学科に入学。1952年に同大学を卒業。 卒業後は、京都女子中学校・高等学校で教鞭を執った。翌1953年からは京都大学教養部助手に就いた。1958年に大阪府立大学に転じた。1963年から1965年まで、ドイツ・フンボルト財団の奨学生としてミュンスター大学に留学し、W. ミュラー=ヴィレ(英語版)(Wilhelm Müller-Wille)ほかの下で研究を進めた。
髙松 康生(たかまつ やすお、1928年9月12日 - 20… 髙松 康生(たかまつ やすお、1928年9月12日 - 2019年9月29日)は、日本の流体工学者。九州大学名誉教授。元有明工業高等専門学校校長。元久留米工業大学学長。 福岡県福岡市出身。福岡県中学修猷館を経て、1958年九州大学大学院修了。1962年九州大学より工学博士の学位を取得。九州大学助手、九州大学講師、九州大学助教授を経て、1972年九州大学教授に昇格。1988年から九州大学工学部長を務め、ベビーブーム期の学生への対応を行うなどした。1992年有明工業高等専門学校校長。1998年久留米工業大学学長。2001年勲二等瑞宝章受章。2019年9月29日、福岡市城南区の病院で急性肺炎のため死去。
金田一郎(かねだ いちろう、1928年9月12日 - 201… 金田一郎(かねだ いちろう、1928年9月12日 - 2015年9月28日 (87歳))は日本の厚生官僚。総理府社会保障制度審議会事務局長、厚生省児童家庭局長、厚生省社会局長、社会保険庁長官、社会福祉・医療事業団理事長、財団法人長寿社会開発センター理事長、東京厚生年金会館館長などを歴任。東京都新宿区北新宿在住。 石川県出身。東京大学法学部法律学科卒業。1952年 厚生省入省。1973年7月27日 厚生省医務局総務課長。1974年6月11日 社会保険庁長官官房総務課長。1976年7月1日 厚生省大臣官房審議官(公衆衛生担当)。同年12月27日 厚生省大臣官房審議官(医療保険担当)。1977年8月23日 社会保険庁参事官。
神吉 拓郎(かんき たくろう、1928年(昭和3年)9月11… 神吉 拓郎(かんき たくろう、1928年(昭和3年)9月11日 - 1994年(平成6年)6月28日)は、日本の小説家、俳人、随筆家。
畑 英次郎(はた えいじろう、1928年〈昭和3年〉9月10… 畑 英次郎(はた えいじろう、1928年〈昭和3年〉9月10日 - 2023年〈令和5年〉8月4日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲章は勲一等瑞宝章。 通商産業大臣(第56代)、農林水産大臣(第19代)、衆議院議員(7期)、民主党副代表、太陽党幹事長、大分県日田市長(3期)等を歴任した。 大分県日田市生まれ。1946年、武蔵工業専門学校(現東京都市大学)を中退し、出身地である日田市の市役所に入庁。その後、旧大分1区選出の衆議院議員・広瀬正雄の秘書に転じる。 1968年、日田市長選挙に立候補し、初当選。市長を3期11年務め、1979年に3期目の任期途中で辞職。同年の第35回衆議院議員総選挙に自由民主党の公認を受け、旧大分1区から広瀬の地盤を引き継いで出馬し、当選した(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元らがいる)。
杉浦 光夫(すぎうら みつお、1928年9月10日- 200… 杉浦 光夫(すぎうら みつお、1928年9月10日- 2008年3月11日)は、日本の数学者。理学博士(1961年)。東京大学名誉教授。 愛知県岡崎市出身。1946年、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。1953年、東京大学理学部数学科卒業。1961年、理学博士。東京大学教養学部助教授、教授、1989年、定年退官、名誉教授。1989年、津田塾大学学芸部教授。2003年より津田塾大学理事。2008年3月11日に死去。79歳没。 俳優杉浦直樹は従兄弟である。