蔦川 正義(つたがわ まさよし、1937年12月23日 - … 蔦川 正義(つたがわ まさよし、1937年12月23日 - 2022年12月3日)は、日本の経済学者。佐賀大学名誉教授。専門は、地域経済論、地域開発論。
1930年代生まれ:11,995人
蔦川 正義(つたがわ まさよし、1937年12月23日 - … 蔦川 正義(つたがわ まさよし、1937年12月23日 - 2022年12月3日)は、日本の経済学者。佐賀大学名誉教授。専門は、地域経済論、地域開発論。
木村 要(きむら かなめ、1937年12月23日 - )は、… 木村 要(きむら かなめ、1937年12月23日 - )は、日本の裁判官。法務省広島法務局訟務部長や、最高裁判所事務総局家庭局長、千葉家庭裁判所長等を歴任した。 中央大学卒業後、広島地方裁判所判事補、岐阜地方裁判所多治見支部長、法務省広島法務局訟務部長等を経て、局付などを経験しないまま異例の人事で最高裁判所事務総局家庭局第一課長に就任。その後は、エリートコースを歩み、東京家庭裁判所部総括判事、東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所事務総局家庭局長、千葉家庭裁判所長を歴任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
保苅 瑞穂(ほかり みずほ、男性、1937年12月23日 -… 保苅 瑞穂(ほかり みずほ、男性、1937年12月23日 - 2021年7月10日)は、日本のフランス文学者、東京大学・獨協大学名誉教授。 東京府東京市神田区元佐久間町(現在の東京都千代田区神田佐久間町)の、保苅保の子として生まれる。祖父は保苅忠助といった。九段高等学校から、1961年東大文学部仏文科卒、1963年同大学院修士課程修了、1964 - 1967年パリ大学、パリ高等師範学校留学、1968年東大博士課程単位取得満期退学、中央大学専任講師、1974年東大教養学部助教授、1990年教授、1998年定年退官、獨協大学教授、2008年名誉教授。 はじめプルーストを研究、モンテーニュなどにも考察を提示した。
今井 民雄(いまい たみお、1937年(昭和12年)12月2… 今井 民雄(いまい たみお、1937年(昭和12年)12月22日 -2023年(令和5年) 6月29日)は、日本の政治家。元京都府長岡京市長。 京都府出身。1956年(昭和31年)平安高等学校を卒業し、長岡町役場に奉職。 長岡京市生活環境部、経済衛生部長、建設部長、総務部長を経て、1990年(平成2年)収入役。1991年(平成3年)同市長に就任した。2003年(平成15年)市長を退任した。
堀口 勝正(ほりぐち かつまさ、1937年12月22日-)は… 堀口 勝正(ほりぐち かつまさ、1937年12月22日-)は、日本の弁護士。元次長検事。 香川県生まれ。1960年中央大学法学部卒業。1961年司法修習生、検事任官。 1990年最高検察庁検事、1991年奈良地検検事正、1993年水戸地検検事正、1995年7月最高検総務部長、1996年6月同・刑事部長。北島敬介のあとを受けて、次長検事(1997年12月2日-1999年12月22日)を務めて退官した。2006年4月現在、弁護士、帝京大学客員教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
長崎 暢子(ながさき のぶこ、1937年12月20日 - )… 長崎 暢子(ながさき のぶこ、1937年12月20日 - )は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。専門は、インド近代史、南アジア地域研究。博士(文学)(東京大学、1993年)。東京出身。
伊藤 潔(いとう きよし、1937年12月20日 - 200… 伊藤 潔(いとう きよし、1937年12月20日 - 2006年1月16日)は、東アジア政治外交史専攻の歴史学者、同地域研究者。 日本統治時代の台湾・宜蘭県出身。国立中興大学卒業後、1964年に来日し、1969年に早稲田大学を卒業。東京大学大学院博士課程修了、文学博士(博士論文は「台湾統治と阿片問題」)。1982年、日本に帰化した。二松學舍大学教授、杏林大学教授を務めた。2006年1月16日、杏林大学医学部付属病院において心不全のため死去。 帰化以前の名は「劉 明修」であったが、日本国籍取得時に「伊藤 潔」に改名。「伊藤」という姓は、伊藤 潔が最も尊敬する人物伊藤博文から苗字を拝借したものである。
高山 智博(たかやま ともひろ、1937年12月19日 - … 高山 智博(たかやま ともひろ、1937年12月19日 - )は、日本のラテンアメリカ文化学者、上智大学名誉教授。 東京生まれ。上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業。メキシコ・イベロアメリカ大学人類学研究科修士課程修了。上智大学助教授、教授、名誉教授。1994年、メキシコ観光省「銀ペン賞」受賞。日墨交流会会長。
森田 勝(もりた まさる、1937年(昭和12年)12月19… 森田 勝(もりた まさる、1937年(昭和12年)12月19日 - 1980年(昭和55年)2月24日)は、日本の登山家。 1937年12月19日、東京府北豊島郡(現在の東京都荒川区)に4人兄弟の長男として生まれた。 戦争中、埼玉県松伏に疎開、家族で自給自足生活に入った。小学校4年生の時に、母が死亡。父が再婚すると、野田の醤油工場に奉公に出される。中学校を卒業できないまま実家に戻り、父の下で金型工の見習いとなる。そのころブームになりつつあった登山を始めるようになる。 1959年に東京緑山岳会に入会。主に谷川岳でのクライミングにのめりこんで行く。金型工としての腕はあったが、山登りを優先し、職場を転々とする生活になった。
工藤 雅樹(くどう まさき、1937年(昭和12年)12月1… 工藤 雅樹(くどう まさき、1937年(昭和12年)12月18日 - 2010年(平成22年)1月29日)は、日本の考古学者、歴史学者。福島大学名誉教授。専門は蝦夷を中心とした東北地方の古代史。 岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を経て東北大学文学部史学科入学、1966年には東北大学大学院文学研究科の博士課程を修了した。その後は東北歴史資料館(現在の東北歴史博物館)勤務を経て、宮城学院女子大学に教授として迎えられた。1989年からは福島大学の教授となり、2003年に退官するまで務めた。2004年には再び東北歴史博物館へと戻り、館長を2年間務めた。 2004年からは平泉の世界遺産登録を目指した推薦書作成委員会委員長になったが、2008年7月6日、国際記念物遺跡会議より普遍的価値の証明が不十分との指摘を受け、世界遺産の登録は見送りとなった。
伊藤 謙介(いとう けんすけ、1937年12月17日 - )… 伊藤 謙介(いとう けんすけ、1937年12月17日 - )は日本の実業家。京セラ代表取締役社長や、同社代表取締役会長、京都パープルサンガ代表取締役会長などを務めた。 岡山県川上郡成羽町(現高梁市)出身。1956年岡山県立倉敷工業高等学校卒業、松風工業入社。松風工業の尊敬する上司だった稲盛和夫に誘われ、1959年京都セラミツク(現京セラ)の創業に参画した。1981年専務取締役。1985年代表取締役副社長。 1989年から京セラ代表取締役社長を務め、1997年からホテル京セラ代表取締役会長を兼務。創業40年目にあたる1999年に西口泰夫を後継に指名して代表取締役会長に退き、京都パープルサンガ代表取締役会長に就任。
麻生 実男(あそう じつお、1937年12月17日 - 19… 麻生 実男(あそう じつお、1937年12月17日 - 1991年11月22日)は、広島県福山市出身のプロ野球選手(内野手)。右投げ右打ち。1960年大洋V1戦士の一人で、勝負どころで快打を連発し大洋初優勝に貢献した。
玉澤 徳一郎(玉澤 德一郎、たまざわ とくいちろう、1937… 玉澤 徳一郎(玉澤 德一郎、たまざわ とくいちろう、1937年〈昭和12年〉12月16日 - )は、日本の政治家。 農林水産大臣(第28・29代)、防衛庁長官(第56代)、衆議院議員(9期)などを歴任。 選挙などの際には旧字体の「澤」でなく、画数の少ない「沢」を用い「玉沢徳一郎」と表記されることが多い。 岩手県下閉伊郡田老町(現在の宮古市)出身。岩手県立盛岡第一高等学校を卒業後、早稲田大学第二政治経済学部政治学科に入学。大学では早稲田大学雄弁会に所属。雄弁会の一期上に森喜朗、一期下に小渕恵三がいた。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了、政治学修士。学生時代から左翼が大嫌い(当時は学生運動の嵐の真っ只中)であることを公言していた。
鎌田 光夫(かまた みつお、1937年12月16日 - )は… 鎌田 光夫(かまた みつお、1937年12月16日 - )は、茨城県出身の元サッカー選手(DF)・サッカー監督。 日立市立多賀中学校を経て進学した日立一高では3年次の1955年、神奈川国体・高校の部に出場して3位入賞を果たした。 高校卒業後の1956年に中央大学へ進学し、2年次の1957年からはレギュラーとなる。同年には天皇杯に中大クラブ(学生・OBの混合チーム)のMFとして出場し、決勝で実業団の強豪・東洋工業を破って優勝。3年次の1958年1月に開催された大学選手権でも優勝し、同年12月には川淵三郎・宮本征勝らと共に日本代表デビュー。香港戦で初出場を果して以来、的確で冷静な判断力とカバーリングを武器に代表守備陣の中枢を成した。
外口 玉子(とぐち たまこ、1937年12月16日 - 20… 外口 玉子(とぐち たまこ、1937年12月16日 - 2022年3月12日)は、日本の政治家、保健師(保健学博士)、看護師。衆議院議員(1期)、社会福祉法人かがやき会理事長を務めた。 1960年、東京大学医学部衛生看護学科卒業後、同大学の助手を経て、1968年、国立武蔵野療養所看護婦長に就任。翌1969年に渡米し、ボストン大学に留学。精神疾患を抱えたベトナム帰還兵の看護などにあたったという。1971年に同大学大学院看護学部修士課程を修了。帰国後の1973年、東京都精神医学総合研究所医療研究室主任研究員。1985年、同研究所副参事研究員。1989年に退職。1986年、精神障害者の社会参加と地域での生活を支援する「地域ケアセンター」を有志で立ち上げ、1989年に社会福祉法人かがやき会を設立。
沢井 忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 19… 沢井 忠夫(さわい ただお、1937年12月16日 - 1997年4月1日)は、日本の箏曲家、作曲家。沢井箏曲院の創始者。妻は沢井一恵で、息子は沢井比河流。 愛知県中島郡(現在の一宮市)で尺八家の名家に生まれ、箏を始めたのは小学5年生だった(一度、宮城道雄に師事するが、その後すぐに宮城が亡くなる)。1960年に東京芸術大学邦楽科を、1962年に専攻科を卒業。大学在学中にNHK「全国今年のホープ」に選ばれた。 高校時に作曲を始め(最初に形がなった曲が"雪ものがたり"であった)その後、清水脩の元で作曲を師事した。 1964年に青木鈴慕・伊藤松博・高野和之・杵屋栄三郎・山本邦山と「民族音楽の会」を結成。
木谷 明(きたに あきら、1937年〈昭和12年〉12月15… 木谷 明(きたに あきら、1937年〈昭和12年〉12月15日 - 2024年〈令和6年〉11月21日)は、日本の弁護士、裁判官。位階勲等は従三位瑞宝重光章。東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後に法政大学法科大学院教授を務めた。 囲碁棋士・木谷實九段の次男。神奈川県平塚市に生まれる。女流棋士の小林禮子、アナウンサーの吉田智子は妹。 神奈川県立平塚江南高等学校を経て、東京大学法学部在学中に司法試験に合格し、1961年(昭和36年)に大学を卒業して司法研修所に入所。司法修習を経て、1963年(昭和38年)に判事補任官(東京地裁)。最高裁事務総局刑事局付、最高裁判所調査官、水戸家裁所長、水戸地裁所長などを経て、2000年(平成12年)5月に東京高裁部総括判事を最後に依願退官。
横澤 彪(よこざわ たけし、1937年12月15日 - 20… 横澤 彪(よこざわ たけし、1937年12月15日 - 2011年1月8日)は、日本の元テレビプロデューサー。通称「オジン」。フジテレビプロデューサーを経て、吉本興業東京本社代表、専務取締役東京本部本部長などを歴任。鎌倉女子大学児童学部教授を経て、晩年はフリーの立場で活動した。群馬県出身。実父は元朝日新聞千葉支局長の横澤陸郎。
高橋 睦郎(たかはし むつお、1937年12月15日 - )… 高橋 睦郎(たかはし むつお、1937年12月15日 - )は、日本の詩人・歌人・俳人。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。貧しい母子家庭に育ち、新聞配達と奨学金で福岡県立門司東高等学校に学ぶ。高卒後は就職を希望していたが母子家庭ゆえに就職試験で落とされ、家庭教師のアルバイトをしつつ福岡教育大学教育学部国語科に学ぶ。大学卒業半年前に肺結核と診断され、生活保護を受けて結核療養所に入り、2年間の療養生活を送る。1961年に快癒して療養所を出たが、結核歴のために教員への道を閉ざされる。大学卒業後、1962年上京し、日本デザインセンターにアルバイトで雇われ、1966年にはサン・アドに移る。
石川 勝夫(いしかわ かつお、1937年(昭和12年)12月… 石川 勝夫(いしかわ かつお、1937年(昭和12年)12月14日 - )は、日本の政治家。元埼玉県蓮田市長(2期)。 埼玉県蓮田市出身。埼玉県立浦和商業高等学校卒業。1957年(昭和32年)、日本交通公社に勤務。1980年(昭和55年)、同公社代理店サントラベルを設立した。 政界入り後、蓮田市議会議員、同市議会議長を経て、1990年(平成2年)に蓮田市長に初当選。1994年(平成6年)に再選。1998年(平成10年)、元蓮田市食生活改善推進員協議会会長の樋口曉子に敗れ落選した。 市長退任後は、社会福祉法人清勝会の理事長に就任した。2002年(平成14年)の市長選でも樋口に敗れた。
程 一彦(てい〈本名:根本〉 かずひこ、1937年12月14… 程 一彦(てい〈本名:根本〉 かずひこ、1937年12月14日 - )は中華料理人・研究家(薬膳・台湾料理・香港料理系)。大阪府出身。「台湾料理・龍潭(リュータン)」オーナーシェフ。
早瀬 圭一(はやせ けいいち、1937年12月14日 - )… 早瀬 圭一(はやせ けいいち、1937年12月14日 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、毎日新聞社客員編集委員、東洋英和女学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。同志社大学法学部卒業後、1961年毎日新聞入社。名古屋、大阪、東京各社会部を経て、『サンデー毎日』別冊編集長。石川達三『七人の敵が居た』も担当した。その後、編集局編集委員。1982年、『長い命のために』で第13回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。毎日新聞客員編集委員。1993年愛知みずほ大学教授、1998年龍谷大学社会学部教授、2001年東洋英和女学院大学教授、2008年同名誉教授、北陸学院大学副学長・教授、2012年退任。
関森 勝夫(せきもり かつお、1937年12月14日 - )… 関森 勝夫(せきもり かつお、1937年12月14日 - )は、日本の俳人、文学者(日本文学)。静岡県立大学名誉教授。 静岡女子大学文学部教授、静岡県立大学国際関係学部教授、静岡県立大学国際関係学部学部長、浜松学院大学短期大学部幼児教育科教授などを歴任した。 1937年、神奈川県横浜市にて生まれた。早稲田大学の大学院に進学し、文学研究科の日本文学専攻にて学んだ。1966年に早稲田大学の大学院を修了する。 大野林火に師事し、俳句の創作を続ける。また、俳句雑誌である『蜻蛉』の主宰を務めている。 俳句の創作だけでなく、俳句の研究や評論にも取り組んでおり、教育機関で教鞭も執った。1979年4月、静岡女子大学の文学部に着任した。
島 多慶志(しま たけし、1937年12月14日 - )は、… 島 多慶志(しま たけし、1937年12月14日 - )は、日本の政治家。元北海道名寄市長(4期)。 北海道上川郡名寄町(現・名寄市)出身。北海道名寄北高等学校卒。名寄市役所に入り、名寄市立総合病院管理課長、総務部長などを経て、助役となる。1996年、名寄市長桜庭康喜の衆議院議員総選挙出馬による辞職に伴う名寄市長選挙に立候補し、無投票で当選する。2000年の市長選挙でも無投票で再選。2004年の市長選挙でも無投票で三選した。2006年に名寄市は風連町と合併して新・名寄市が誕生する。新市施行による市長選挙に立候補し、新人候補を破って当選した。2010年に市長を退任した。
副島 忠雄(そえじま ただお、1937年12月13日 - )… 副島 忠雄(そえじま ただお、1937年12月13日 - )は、日本の経営者。東京証券社長を務めた。 長崎県出身。1960年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に日興證券に入社。1983年12月に取締役、1986年9月に常務、1988年8月に専務を経て、1991年5月に副社長に就任し、1995年6月には東京証券社長に就任。2000年10月に会長に就任し、2002年4月には相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
北山 克彦(きたやま かつひこ、1937年12月13日 - … 北山 克彦(きたやま かつひこ、1937年12月13日 - )は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。立教大学名誉教授。 大阪府生まれ。東京外国語大学英米科卒、東京都立大学 (1949-2011)大学院修士課程修了、東京商船大学助教授、立教大学一般教育部助教授、観光学部教授、2003年定年、名誉教授。 現代アメリカ文学、特にレイ・ブラッドベリの翻訳で知られる。
小平 武(こだいら たけし、1937年12月13日 - 19… 小平 武(こだいら たけし、1937年12月13日 - 1992年3月23日)は、日本のロシア文学者、比較文学研究者、翻訳家。元北海道大学教授。 東京出身。東京外国語大学外国語学部ロシア語学科卒業、東京大学大学院比較文化研究科修士課程修了。北海道大学言語文化部ロシア語科を経て、北海道大学教授。 ロシア・ソヴィエトの詩と演劇を専門とし、ロシア文学関係の仕事としては、マヤコフスキーやチェーホフを論じたほか、アレクサンドル・ブローク、アンドレーエフの作品を翻訳・紹介し、比較文学関係では、夏目漱石、志賀直哉、宇野浩二に関する著作を発表した。 1975年に札幌のロシア研究者たちと共に、同人雑誌「えうゐ ロシアの文学・思想」を創刊し、創刊号から第二十号まで17年間編集を担当する。
飯田 晉一郎(はんだ しんいちろう、1937年12月13日 … 飯田 晉一郎(はんだ しんいちろう、1937年12月13日 - )は、日本の実業家。ウェルファイド代表取締役社長として、三菱東京製薬との企業合併を行い、三菱ウェルファーマ(現・田辺ファーマ)で初代代表取締役社長を務めた。
田邊 雅章(たなべ まさあき、1937年12月13日 - )… 田邊 雅章(たなべ まさあき、1937年12月13日 - )は、日本の映像作家。(株)ナック映像センター代表取締役。本名・俊彦(としひこ)。 広島市生まれで父は軍人。市内猿楽町(現・中区大手町)・産業奨励館(原爆ドーム)東隣の生家で育つ。山口県の母の実家に縁故疎開中の1945年、原爆投下により実家に残っていた父・母・弟を失う。自らも家族を捜すため入市し二次被爆した。 原爆投下から9日後の8月15日、終戦となったこの日に父親が死去(敗戦に伴う自害ではなく、原爆の影響による戦傷死)。軍人であった父親は自らが被爆したこともあり、米軍に対して拭いきれない憎しみを抱きながら軍刀を傍に置いたまま亡くなったという。
小松 敏郎(こまつ としろう、1937年12月11日- 20… 小松 敏郎(こまつ としろう、1937年12月11日- 2010年9月20日)は、日本の実業家。学習研究社(現・学研ホールディングス)代表取締役社長を務めた。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1960年に東京教育大学(現・筑波大学)文学部を卒業し、同年に学習研究社(現・学研ホールディングス)に入社。1993年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、1997年6月に代表取締役社長を務めた。2001年6月に相談役に就任。
松田 英三郎(まつだ ひでさぶろう、1937年12月11日 … 松田 英三郎(まつだ ひでさぶろう、1937年12月11日 - )は、日本の経営者。阪急百貨店社長を務めた。 兵庫県神戸市出身、在住。1956年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に阪急百貨店に入社。若いころは営業を担当した。 1985年6月に取締役に就任して以降も開発を担当しており、現場との接点が多く、「現場の声を聴いて組み立てる」のが持論だった。量販店が周囲に多い川西阪急ではアクセサリーなど身の回り品の充実、商圏が狭い宝塚阪急では商品の絞り込みで成功した。その後は常務、専務に就任。1992年(平成4年)ごろ、当時社長の福光尚次からの要請で、次期社長の修行も兼ね、東京店舗事業本部長に就任。赤字が続いた首都圏3店舗(東京大井店=大井阪急、有楽町阪急=阪急百貨店#阪急メンズ東京、数寄屋橋阪急=現在は閉店)の問題を担当した。
今本 博健(いまもと ひろたけ、1937年12月9日 - )… 今本 博健(いまもと ひろたけ、1937年12月9日 - )は、日本の河川工学者。水工技術研究所代表、京都大学名誉教授。専門は実験水理学・河川工学・防災工学。大阪市出身。
霜 禮次郎(しも れいじろう、1937年12月9日 - )は… 霜 禮次郎(しも れいじろう、1937年12月9日 - )は、日本の整形外科医師、射撃選手。
箱島 信一(はこしま しんいち、1937年12月9日 - )… 箱島 信一(はこしま しんいち、1937年12月9日 - )は、日本のジャーナリスト。朝日新聞社元社長。公益財団法人日本対がん協会顧問、一般社団法人日本外交協会理事。福岡県福岡市東区出身。
中野 慶子(なかの けいこ、1937年12月8日 - )は、… 中野 慶子(なかの けいこ、1937年12月8日 - )は、日本の歌手。長野県松本市生まれ。テレビ番組『うたのえほん』(後の『おかあさんといっしょ』)にて、眞理ヨシコ(当時は真理ヨシコ)とともに初代「うたのおねえさん」を務めた。本名︰宮崎慶子。学習院大学文学部英米文学科卒業。 子どもの時には、NHK松本児童合唱団に所属していた。地元の長野県松本深志高等学校卒業後、学習院大学文学部英米文学科に進学し、在学中の1958年にNHK俳優養成所第1期生となった。養成所ではソプラノ歌手の関種子、坂本芳子に、大学卒業後は作曲家の磯部俶に師事した。養成所卒業後、卒業メンバーで「劇団三十人会」を設立。 1960年11月、ラジオドラマ『渦潮』の主演を務め、芸術祭奨励賞を受賞。
石川 恵也(いしかわ けいや、1937年12月8日 - )は… 石川 恵也(いしかわ けいや、1937年12月8日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。
中山 悠(なかやま ひさし、1937年12月8日 - )は、… 中山 悠(なかやま ひさし、1937年12月8日 - )は、日本の実業家。明治ホールディングス相談役、元明治乳業代表取締役会長・社長。
大濱 徹也(おおはま てつや、1937年12月8日 - 20… 大濱 徹也(おおはま てつや、1937年12月8日 - 2019年2月9日)は、日本の歴史学者。筑波大学名誉教授・独立行政法人国立公文書館フェロー・淑徳大学客員教授だった人物。 1937年、山口県大島郡久賀町生まれ。東京教育大学文学部で学び、1961年 に卒業。同大学院文学研究科修士課程日本史学専攻に進み、1964年に修了した。 1967年、女子学院高等学校教諭に就いた。1972年、中京大学法学部助教授に就任。1977年、学位論文『明治前期におけるキリスト教会の構造と存在形態』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。同1977年、同法学部教授に昇格した。1978年、筑波大学歴史人類学系助教授に転じ、1986年に同教授に昇格。
神田 日勝(かんだ にっしょう、1937年12月8日 – 1… 神田 日勝(かんだ にっしょう、1937年12月8日 – 1970年8月25日)は日本の画家。 東京市板橋区練馬(現東京都練馬区練馬)生まれ。7歳のときに戦火を逃れる為に一家で北海道鹿追町へ疎開し、そのまま定住。農業をするかたわら独学で油絵をはじめ、その後、平原社美術協会展(平原社展)や全道美術協会展(全道展)、独立美術協会展(独立展)で活躍。北海道を代表する画家として評価を得つつも、32歳で死去した。 ベニヤ板にペインティングナイフで描く力強いタッチのリアリズム絵画で知られる。農家でもあったことから、農耕馬や牛などをモチーフにした絵も多い。 同じく画家で北海道教育大学教授であった神田一明は兄。
原 章(はら あきら、1937年12月6日 - )は、日本の… 原 章(はら あきら、1937年12月6日 - )は、日本の経営者。福岡放送社長、会長を務めた。 神奈川県出身。1961年に早稲田大学第一政治経済学部を卒業し、同年に日本テレビ放送網に入社。 日本テレビ入社後はスポーツ中継を担当し、特に日本プロレスの中継番組『三菱ダイヤモンド・アワー・プロレス中継』、全日本プロレスの中継番組『全日本プロレス中継』のディレクター・プロデューサーを務めた。その縁でプロレスラーたちとの深い交流があり、特にアントニオ猪木とは昵懇の仲であった。 1997年6月に取締役に就任し、2001年6月に常務を経て、2005年6月から2011年6月までに福岡放送社長を務めた。 2012年4月に旭日中綬章を受章した。
津川 哲雄(つがわ てつお、1937年12月5日 - )は、… 津川 哲雄(つがわ てつお、1937年12月5日 - )は、日本の電子工学者。大阪工業大学工学部電子工学科教授、電子クラブ初代会長。 専門は、電波工学(特に誘電体アンテナ)・電磁波工学。 1963年大阪工業大学工学部電子工学科卒業(電子工学科1期生)。1970年同大学大学院工学研究科博士課程修了。同年、大阪工業大学工学部電子工学科助手。1973年同学科講師を経て、のちに教授。大阪工業大学工学部にて30年以上の長きにわたり教鞭を執り、大阪工業大学電子クラブ初代会長も務めた。特にアンテナ工学分野において、数々の特許技術を研究開発・発明した。 主な所属学会は、電子情報通信学会、IEEEなど。主な著書は「光・電磁波工学」(共著、オーム社2000、学術書)。
永田 俊彦(ながた としひこ、1937年12月5日 - 20… 永田 俊彦(ながた としひこ、1937年12月5日 - 2010年9月6日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。元順天堂大学医学部教授。学位は、医学博士。 1965年、東京医科歯科大学医学部神経精神医学教室に入局し、島崎敏樹教授、宮本忠雄助教授のもとで学んだ。村上靖彦、市橋秀夫、中安信夫らと共に日本の精神病理学第3世代を代表する人物である。主として統合失調症の研究を行った。 1937年12月5日、静岡市生まれ。1957年、静岡県立静岡高等学校卒業。1964年、東京医科歯科大学医学部卒業。1965年4月、東京医科歯科大学医学部神経精神医学教室入局、1965年10月、関東労災病院神経科勤務、1967年1月、私立多摩湖病院勤務、1972年7月、成増厚生病院勤務、1975年1月、同愛記念病院神経科勤務。
岡本 健一(おかもと けんいち、1937年12月3日 - )… 岡本 健一(おかもと けんいち、1937年12月3日 - )は、日本のジャーナリスト・考古学者。京都府京都市生まれ。 1961年京都大学文学部史学科国史専攻卒、毎日新聞社入社。1962年高松塚古墳発掘で被葬者の推定を行う。京都支局・社会部・学芸部に勤務。学芸部副部長、1982年部長・1985年論説委員兼編集委員、1991年論説副委員長、特別編集委員、1999年客員編集委員。1999年京都学園大学人間文化学部教授。2008年定年退職。1979年“稲荷山鉄剣銘発見”のスクープと一連の解説で日本新聞協会賞グランプリ、1999年長年の公正な文化財報道と啓発的な著作で藤森栄一賞(長野県考古学会賞)。
毛利 三彌(もうり みつや、1937年12月3日 - )は、… 毛利 三彌(もうり みつや、1937年12月3日 - )は、日本の演劇学者、成城大学名誉教授。 福井県福井市出身。東京大学文学部美学科卒業、1965年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院演劇科修了、M.A.取得、1966年秋から半年、ノルウェー国立科学研究所の奨学金を得てオスロ大学に留学、1967年成城大学専任講師、助教授、教授、文芸学部長、図書館長を務め、2008年定年退職、名誉教授。 1972年からイプセン研究の著書を刊行、1995年三部作が完結する。1986年文学博士(明治大学)。1985年、日本演劇学会河竹賞受賞、1989年、ミルウォーキー大学客員教授、1996年から2006年まで日本演劇学会会長、国際演劇学会(IFTR)理事、1997年よりノルウェー学士院会員。
武藤 治太(むとう はるた、1937年12月2日 - 202… 武藤 治太(むとう はるた、1937年12月2日 - 2025年12月10日)は、日本の経営者。大和紡績社長を務めた。兵庫県出身。祖父は鐘紡社長を務めた武藤山治。 1960年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年4月に大和紡績に入社。1988年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務を経て、1992年6月に社長に就任。2003年6月に会長に就任し、208年6月から相談役を務めた。 2025年12月10日、病気のため死去。88歳没。
福地 建夫(ふくち たけお、1937年(昭和12年)12月2… 福地 建夫(ふくち たけお、1937年(昭和12年)12月2日 - )は、日本の海上自衛官。第21代海上幕僚長。第5代横須賀地方総監・福地誠夫の次男で、親子で横須賀総監を務めている。 東京府出身。麻布高等学校卒業(父の福地誠夫は旧制麻布中学校出身)。防衛大学校第5期卒業後、海上自衛隊入隊。護衛艦「よしの」艦長、第4護衛隊群司令、海上幕僚監部人事教育部長、舞鶴地方総監、横須賀地方総監等の要職を歴任し、第21代海上幕僚長に就任。 山崎小五郎:1952.4.26-1952.7.31 山崎小五郎:1952.8.1-1954.6.30
天津風 征夫(あまつかぜ まさお、1937年12月1日 - … 天津風 征夫(あまつかぜ まさお、1937年12月1日 - 2013年4月30日)は、石川県鳳至郡門前町(現・同県輪島市)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は宮永 征夫(みやなが ゆきお)。最高位は西前頭3枚目(1962年9月場所)。得意手は右四つ、寄り。現役時代の体格は179cm、124kg。 輪島高校定時制課程門前分校(現・門前高校)では、相撲部に所属し、2年生の時には県大会で個人優勝という実績を残した。この年(1954年)には、国民体育大会や全国高等学校総合体育大会相撲競技大会にも出場している。 1955年、時津風部屋の関係者からの勧誘を受けた。間も無く、高校を中退して同部屋へ入門し、同年5月場所で初土俵を踏んだ。
山崎 晃資(やまざき こうすけ、1937年12月1日 - 2… 山崎 晃資(やまざき こうすけ、1937年12月1日 - 2023年4月21日)は日本の医学者、精神科医。医学博士。専門は児童青年精神医学、特に自閉症問題。北海道出身。 北海道後志支庁管内虻田郡倶知安町に生まれる。1962年、北海道大学医学部医学科卒業。1967年、北海道大学大学院医学研究科神経内分泌専攻博士課程修了。 北海道大学医学部精神科助手を経て、1974年、市立札幌病院附属静療院児童部長。のぞみ学園副医長。 1982年から東海大学医学部精神科学教室教授。2003年から2005年まで東海大学教育研究所教授、東海大学付属相模中学校・高等学校校長を兼任。2005年から臨床児童精神医学研究所所長、目白大学客員教授。
鈴木 幸毅(すずき こうき、1937年12月 - )は日本の… 鈴木 幸毅(すずき こうき、1937年12月 - )は日本の経営学者。駒澤大学名誉教授。専門は経営管理論。工業経営研究学会会長、環境経営学会副会長などを歴任。工業経営研究学会学会賞受賞(2002年)。
奥野 純一(おくの じゅんいち、1937年12月 - )は、… 奥野 純一(おくの じゅんいち、1937年12月 - )は、日本の国文学者。元筑波大学教授、元皇學館大学文学部教授。三重県出身。 専門は国文学、特に連歌の研究に従事。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。