塚本 靑史(つかもと せいし、1949年4月9日 - )は、… 塚本 靑史(つかもと せいし、1949年4月9日 - )は、日本の歴史小説作家。岡山県倉敷市生まれ。父は歌人の塚本邦雄。代表作に『霍去病』、『光武帝』、『始皇帝』、『煬帝』、『サテライト三国志』、『バシレウス』、『玄宗皇帝』など。 靑史が産まれた当時、父・邦雄は商社員として倉敷に在勤していた。邦雄の母方の叔父外村吉之介が館長をしていた倉敷民藝館に間借りしており、靑史はその敷地内で生まれた。1ヵ月後、邦雄の転勤に伴い島根県松江市へ転居。その地で3年を過ごす。 1952年、大阪府中河内郡盾津町(現東大阪市南鴻池町)へ居を移し、幼稚園から社会人に至るまでその地で育つ。少年時代の靑史は、野球、魚釣り、昆虫採集が好きなアウトドア派で、父と違ってあまり活字に親しむことはなかったという。
西森 弘志 ルイスことルイス・ヒロシ・ニシモリ(ポルトガル語… 西森 弘志 ルイスことルイス・ヒロシ・ニシモリ(ポルトガル語: Luiz Hiloshi Nishimori、1949年4月9日 - )は、ブラジルの政治家。ブラジル社会民主党所属のブラジル連邦下院議員(4期)。 ブラジル連邦共和国パラナ州マリアルバ市出身。高知市立高知商業高等学校、マリンガ州立大学商業科卒業。 パラナ州議会議員(2期)を経て、ブラジル連邦下院議員(4期)を務める。 2024年、旭日中綬章を受章。
塚本 靑史(つかもと せいし、1949年4月9日 - )は、… 塚本 靑史(つかもと せいし、1949年4月9日 - )は、日本の歴史小説作家。岡山県倉敷市生まれ。父は歌人の塚本邦雄。
神 洋明(じん ひろあき、1949年4月8日 - )は、日本… 神 洋明(じん ひろあき、1949年4月8日 - )は、日本の弁護士。第一東京弁護士会会長や、日本弁護士連合会副会長、法務省法制審議会刑事法部会幹事、東亜道路工業監査役等を歴任した。 1968年青森県立八戸高等学校卒業。1972年中央大学法学部卒業。1979年弁護士登録。法務省法制審議会刑事法部会幹事、警察大学校非常勤講師等を歴任。2003年東亜道路工業監査役。2014年第一東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。 2019年春の叙勲で旭日中綬章を受章。同年中央大学法曹会会長。
林部 英雄(はやしべ ひでお、1949年4月8日 - )は、… 林部 英雄(はやしべ ひでお、1949年4月8日 - )は、日本の実験心理学者。専門は発達言語心理学、行動分析学。横浜国立大学名誉教授。 神奈川県横浜市出身。栄光学園高等学校、慶應義塾大学文学部卒業、同大学院社会学研究科修了。 東京学芸大学教育学部助手、横浜国立大学教育学部助教授などを経て、1997年横浜国立大学教育人間科学部教授。 国際交流委員長、留学生センター長、学長特任補佐(国際担当)などを歴任し、横浜国立大学の留学生教育および大学の国際化に貢献する。2015年名誉教授。
奥宮 種男(おくみや たねお、1949年4月8日 - )は、… 奥宮 種男(おくみや たねお、1949年4月8日 - )は、福岡県小倉市(現・北九州市)出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 九州工では同期の桑野議とバッテリーを組み、3年次の1967年に夏の甲子園県予選で決勝に進出。小倉工の横山晴久に0-3の完封負けを喫し、甲子園出場を逸する。 同年のドラフト3位でサンケイアトムズに入団し、1年目の1968年は4月7日の中日戦(中日)で初出場を果たすと、田中勉から初安打の二塁打を放つ。2年目の1969年は4月26日の大洋戦(長崎大橋)で島田源太郎から初本塁打を放ち、自身唯一の打率3割となる.308を記録。3年目の1970年にはジュニアオールスターに出場し、1971年からは大矢明彦の控え捕手として一軍に定着。
冨士原 康一(ふじわら こういち、1949年4月8日 - )… 冨士原 康一(ふじわら こういち、1949年4月8日 - )は、日本の国土交通技官。国土交通省海事局長や、日本海事協会会長を経て、日本海事協会理事会議長。 北海道出身。1968年北海道札幌北高等学校卒業。1973年東京大学工学部船舶工学科卒業。1975年東京大学大学院修士課程修了、運輸省入省。1996年運輸省海上技術安全局舶用工業課長。2002年国土交通省中国運輸局長。2003年国土交通省大臣官房技術審議官(海事局)。2005年国土交通省海事局次長。2006年国土交通省海事局長。2007年日本海事協会顧問。2010年日本海事協会常務理事。2011年日本海事協会業務執行理事常務理事。2011一般財団法人日本海事協会業務執行理事副会長。
小松 真知子(こまつ まちこ、1949年4月8日 - )は日… 小松 真知子(こまつ まちこ、1949年4月8日 - )は日本のピアニスト タンゴ楽団『小松真知子とタンゴクリスタル』(別名『タンゴクリスタル』)代表 1949年4月8日、東京都足立区生まれ 1968年、桐朋学園大学ピアノ科入学 1972年、桐朋学園大学ピアノ科卒業 1973年、長男、亮太を出産 1974年、『志賀清とタンゴ・モデルノス』に加わる。 1980年、『早川真平とオルケスタティピカ東京』に加わる。そのステージに招聘されていたオルランド・トリポディ楽団のタンゴピアニストのオルランド・トリポディ(1927-1995)、バンドネオン奏者のカーチョ・ジャンニーニ(1947-2019)から大いに学ぶ。
石鍋 真澄(いしなべ ますみ、1949年4月8日 - )は、… 石鍋 真澄(いしなべ ますみ、1949年4月8日 - )は、日本の西洋美術史学者、成城大学教授。 埼玉県生まれ。東北大学文学部哲学科卒、1979年同大学院博士課程満期退学。フィレンツェ大学へ留学。1979年成城短期大学専任講師、助教授、教授、成城大学文芸学部教授。1989年『聖母の都市 シエナ 中世イタリアの都市国家と美術』でマルコ・ポーロ賞受賞。2006年「ピエロ・デッラ・フランチェスカ」で東北大学文学博士。
平井 睦雄(ひらい むつお、1949年4月7日 - )は、日… 平井 睦雄(ひらい むつお、1949年4月7日 - )は、日本の実業家。進学会創業者、現同社代表取締役会長。株式会社コンサドーレ社外取締役(非常勤)北海道出身。 北海道札幌東高等学校卒業後、1972年小樽商科大学卒業。学習塾北大学力増進会を創業。当時の講師は小樽商大生の平井と北大生3人の4人、生徒数は20人だった。1976年、北大学力増進会を母体に、株式会社北大学力増進会を設立。北海道全域に渡って展開を拡げ、1983年からは本州各地域へ進出。2005年に、東証一部上場を果たし、今や全国に基盤を置く学習塾界を代表する企業となるまでに成長させた。 2009年、長く務めてきた同社社長を長男の平井崇浩に譲り、代表取締役会長に就任した。
細谷 知行(ほそや ともゆき、1949年4月7日 - )は、… 細谷 知行(ほそや ともゆき、1949年4月7日 - )は、日本の地方公務員。山形県副知事や、山形県住宅供給公社理事長、山形県道路公社理事長、山形県スポーツ振興21世紀協会理事長等を務めた。 山形県立山形東高等学校を経て、明治大学商学部卒業。高校の同級生に遠藤利明元東京オリンピック・パラリンピック担当大臣がいた。1974年山形県入庁。工業振興課開発主幹、工業振興課開発課長、土木部管理課長等を経て、2001年上山市助役。2004年文化環境部次長。出納局長、文化環境部長を経て、退職後、企業管理者、山形県信用保証協会理事長を経て、2013年から高橋節の後任として副知事を務め、公益社団法人山形県スポーツ振興21世紀協会理事長、山形県住宅供給公社理事長、公益財団法人やまがた農業支援理事長、山形県道路公社理事長、山形県土地開発公社理事長も兼務した。
石山 照明(いしやま てるあき、1949年〈昭和24年〉4月… 石山 照明(いしやま てるあき、1949年〈昭和24年〉4月7日 - )は、日本の実業家。初代新日鉄マテリアルズ代表取締役社長や、初代新日本電工代表取締役社長を務めた。 群馬県藤岡市生まれ。群馬県立高崎高等学校を経て、1973年一橋大学経済学部卒業、新日本製鐵入社。進藤孝生日本製鉄代表取締役会長や、弁護士の一木剛太郎元新日本電工監査役は大学の同期。1996年新日本製鐵室蘭製鐵所総務部長。2002年新日本製鐵新素材事業部長。2005年新日本製鐵参与新素材事業部長。 2006年新日本製鐵新素材事業部が分社化され、新たに設立された新日鉄マテリアルズ代表取締役社長に就任。 中期経営計画の初年度に合わせ2011年日本電工代表取締役社長に着任。
滝沢 双(たきざわ そう、1949年4月7日 - )は、日本… 滝沢 双(たきざわ そう、1949年4月7日 - )は、日本の元俳優。本名、森永 昇一。別名義、森永 双。 京都府出身。関西学院大学卒業。 東宝演劇部出身。1970年代から1980年代初頭まで、東映作品を中心に、映画やテレビドラマに出演。 1976年には、特撮テレビドラマ『アクマイザー3』(NET)において、主人公・ザビタンが変身した青年・南雲健二役で第17話よりレギュラー出演した。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
福島 七郎(ふくしま しちろう、1949年4月7日 - )は… 福島 七郎(ふくしま しちろう、1949年4月7日 - )は、日本の地方公務員。東京都都市整備局技監、東京テレポートセンター代表取締役社長等を経て、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会場整備局長。 日本大学卒業。1971年東京都入庁。江戸川区都市開発部建築指導課長、新宿区都市整備部まちづくり推進室長、新宿区都市計画部長兼住宅対策室長等を経て、2000年東京都都市計画局防災都市づくり推進担当部長。2002年東京都財務局建築保全部長。2006年東京都都市整備局技監。2007年建築行政共用データベースシステム連絡協議会会長。 2010年東京臨海ホールディングス常務取締役。同年東京テレポートセンター代表取締役社長。
矢島 勉(やじま つとむ、1949年4月7日 - )は、日本… 矢島 勉(やじま つとむ、1949年4月7日 - )は、日本の実業家。JFEスチール代表取締役副社長や、JFE商事代表取締役社長、日本貿易会常任理事などを務めた。 群馬県出身。1973年北海道大学法学部卒業、川崎製鉄(現JFEスチール)入社。電機グループ長、鋼管営業部長、理事営業総括部長等を経て、2004年JFE商事取締役常務執行役員。2010年JFEスチール代表取締役副社長。2012年JFE商事代表取締役副社長。 2013年からJFE商事代表取締役社長(CEO)を務め、2015年にはメキシコで同国最大の鋼管メーカー・プロラムサ等との間で合弁会社設立の合意を行った。2016年JFE商事相談役。2017年兼松取締役。
ジェフ・バーグランド(Jeffrey L. Berglund… ジェフ・バーグランド(Jeffrey L. Berglund、1949年4月6日 - )は、日本の著作家、タレント。財団法人大阪21世紀協会企画委員。映画英語教育学会(ATEM)特別顧問。京都外国語大学外国語学部教授。
追塩 千尋(おいしお ちひろ、1949年4月6日 - )は、… 追塩 千尋(おいしお ちひろ、1949年4月6日 - )は、日本の歴史学者。元北海学園大学教授。博士(文学)(北海道大学・1996年)(学位論文「中世の南都仏教」)。 1949年(昭和24年)4月、北海道小樽市に生まれる。 1968年(昭和43年)3月、北海道札幌東高等学校を卒業。1972年(昭和47年)3月、北海道教育大学教育学部を卒業(札幌分校・小学校教員養成課程)。1979年(昭和54年)3月、北海道大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。 1980年(昭和55年)、北海道大学文学部助手となる。1985年(昭和60年)、北海道教育大学釧路分校助手となる。1986年(昭和61年)、同校講師として務める。
佐佐木 邦子(ささき くにこ、1949年4月6日 - 201… 佐佐木 邦子(ささき くにこ、1949年4月6日 - 2016年9月20日)は、日本の小説家。宮城県仙台市出身。宮城教育大学卒業。 1985年、『卵』で芥川賞候補、第11回中央公論新人賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
柴田 民男(しばた たみお、1949年4月5日 - )は、東… 柴田 民男(しばた たみお、1949年4月5日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手)。 日大三高では、同期の古賀正明とともに投手陣の中心として活躍。1965年秋季東京大会では1回戦で先発を任されるが、堀越高に大敗。1966年の夏の東京都大会決勝に進出するが修徳高に敗退、古賀が完投して自らの登板はなかった。1966年秋季東京大会では日体荏原高との準々決勝で先発するが古賀らに繋ぎ、延長15回の末に敗退。1967年夏は都大会準決勝で古賀が先発して3番手で登板したがまたも堀越高に7回コールド負け、甲子園出場はならなかった。古賀以外の高校同期に大学でも同僚の畑野実三塁手がいる。 高校卒業後は、畑野とともに日本大学へ進学。
安藤 峰雄(あんどう みねお、1949年4月5日 - )は、… 安藤 峰雄(あんどう みねお、1949年4月5日 - )は、元プロ野球選手。 愛知県立木曽川高等学校から日本コロムビアを経て、1969年にドラフト10位で入団。高校時代、一試合平均12個の三振を奪っており、粗けずりだが、左の本格派。
原 秀樹(はら ひでき、1949年4月5日 - )は、愛媛県… 原 秀樹(はら ひでき、1949年4月5日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 新居浜商業高校では3年生の時に四番打者、一塁手として1967年の春の選抜に出場。札幌光星高、平安高を降し3回戦に進出するが、報徳学園に延長11回の熱戦の末に敗退。この試合では大会第6号本塁打も放っている。同年夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが、松山商の玉井信博に完封を喫する。 1967年ドラフト会議で阪神タイガースから6位指名を受け入団。右の長距離打者としての将来性を買われたが、出場機会に恵まれず1971年に引退した。
宇田川 憲一(うだがわ けんいち、1949年4月5日 - )… 宇田川 憲一(うだがわ けんいち、1949年4月5日 - )は、日本の実業家。東ソー代表取締役社長、電気化学会会長、日本ソーダ工業会会長、相模中央化学研究所理事長などを歴任。全国発明表彰21世紀発明貢献賞受賞。 東京都足立区出身。1972年東京工業大学(現東京科学大学)工学部高分子工学科卒業、東洋曹達工業(現東ソー)入社。1988年アメリカ合衆国の子会社に副社長として出向し、1989年から4年間社長を務めた。1996年塩ビ海外プロジェクト統括チーム・リーダー。1998年石英事業室次長兼務。2000年社長室生産・技術グループリーダー兼連結経営グループ・サブリーダー兼務。2001年理事構造改革本部生産・技術グループ・リーダー兼連結経営グループ・サブリーダー。
板谷 謹悟(いたや きんご、1949年4月5日 - )は日本… 板谷 謹悟(いたや きんご、1949年4月5日 - )は日本の化学者。東北大学名誉教授・工学部客員教授(東北大学多元物質科学研究所河村研究室産学連携研究員)、熊本大学客員教授(非常勤)。専門は電気化学。北海道出身。 電気化学走査トンネル顕微鏡(電気化学STM)を世界で初めて開発するなどの功績により、1996年に「仁科賞」。 この項目は、化学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:化学/Portal:化学)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
飯田 正人(いいだ まさひと、1949年4月5日 - 201… 飯田 正人(いいだ まさひと、1949年4月5日 - 2012年5月18日 )は、最高位戦日本プロ麻雀協会に所属した競技麻雀のプロ雀士(かつては101競技連盟にも所属)。富山県出身。早稲田大学法学部卒。 池袋の雀荘「ハッピー」のマネージャー、立教大学側に立地した雀荘「リツ」の経営を経て1981年、32歳のときに第6期最高位戦BIIリーグでプロデビュー。プロデビュー後はしばらくタイトルに縁がなかったが、最高位戦と同時に参加していた101競技連盟において、初タイトルとなる第5期八翔位を獲得。1989年に最高位を初めて獲得し、以後1993年まで4連覇。2009年に10回目の最高位を獲得してからは、協会から公式に永世最高位と呼ばれるようになった。
渋谷 博史(しぶや ひろし、1949年4月4日 - 2024… 渋谷 博史(しぶや ひろし、1949年4月4日 - 2024年6月25日)は、日本の経済学者、財政学者。東京大学名誉教授、元東京大学社会科学研究所教授。専門は、福祉国家論、アメリカ財政論。アメリカ財政史。 1949年4月4日生まれ。1973年、東京大学経済学部卒業。1977年3月まで商社(三井物産)勤務。1977年4月〜83年3月、東京大学大学院経済研究科博士課程在学。 1983年4月~90年3月、日本証券経済研究所に勤務。同研究所在籍中の1985年、博士論文『戦後アメリカ財政の論理』により経済学博士(東京大学)の学位を授与される。1986年、博士論文を大幅に書き改めた『現代アメリカ財政論』(御茶の水書房)を出版し、1987年度日米友好基金賞を受賞する。
高島 幸次(たかしま こうじ、1949年4月4日 - )は、… 高島 幸次(たかしま こうじ、1949年4月4日 - )は、日本の歴史学者。専攻は日本近世史、天神信仰史。龍谷大学エクステンションセンター顧問。大阪天満宮文化研究所所長。芦屋大学客員教授。大阪大学招聘教授、夙川学院短期大学名誉教授。 大阪市に生まれる。1974年に龍谷大学大学院文学研究科修士課程を修了。1976年から夙川学院短期大学専任講師、助教授、教授(2008年まで)。龍谷大学仏教文化研究所研究員、追手門学院大学客員教授、本願寺史料研究所委託研究員などを歴任。2012年大阪市市民表彰(文化功労)。 草津市総合計画策定懇話会委員、草津川廃川敷地利用計画検討懇話会委員、ひょうご部落解放・人権研究所研究員、毎日新聞紙面研究プロジェクト委員などを経て、現在、NPO上方落語支援の会理事、一般社団法人おしてるなにわ顧問、大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)協議会委員などを務める。
石井好博(いしい よしひろ、1949年4月3日 - 2023… 石井好博(いしい よしひろ、1949年4月3日 - 2023年11月26日)は、日本の高校野球の指導者。東葉高等学校野球部監督。元習志野市立習志野高等学校野球部監督。 1949年(昭和24年)、千葉県安房郡千倉町(現在の南房総市)に生まれる。1965年(昭和40年)4月、習志野市立習志野高等学校に入学し野球部に入部。2年生からエースとなり、1966年(昭和41年)夏の甲子園県予選では準決勝に進出するが、千葉工商の中山孝一投手に抑えられ敗退。翌1967年(昭和42年)は東関東大会決勝で竜ヶ崎一高を破り、夏の甲子園に出場。市原弘道監督の下、決勝で広陵高の宇根洋介(近大-電電中国)に投げ勝ち、千葉県勢初のチーム全国優勝に導く。
金丸 一元(かねまる かずもと、1949年〈昭和24年〉4月… 金丸 一元(かねまる かずもと、1949年〈昭和24年〉4月3日 - )は、日本の政治家。山梨県南アルプス市長(3期)。 山梨県出身。山梨県立甲府第一高等学校卒業。1974年(昭和49年)、立教大学卒業。 1987年(昭和62年)峡西青年会議所理事長、2004年(平成16年)南アルプス市議会議員に初当選。2008年(平成20年)に再選。2012年(平成24年)に三選。 2015年(平成27年)4月26日執行の南アルプス市長選挙で現職の中込博文を破り、初当選(金丸:18,109票、中込:16,235票)。同年4月27日、市長に就任。 2019年(平成31年)の市長選では、前回戦った元職の中込博文を破り再選(金丸:17,367票、中込:12,487票)。
早川 実(はやかわ みのる、1949年4月3日 - )は、福… 早川 実(はやかわ みのる、1949年4月3日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
野上 ふさ子(のがみ ふさこ、1949年4月3日 - 201… 野上 ふさ子(のがみ ふさこ、1949年4月3日 - 2012年10月10日)とは、日本のNPO法人「地球生物会議 ALIVE」創設者。動物愛護・動物保護活動家。日本の新左翼活動家・著作家。アイヌ民族の権利のための活動と「ポン・フチ」のペンネームで著作を書き、北海道で開発反対運動をする。後に動物実験反対、原発反対を主張し、更に動物愛護・動物保護・環境保護を訴えた。 1949年新潟県南魚沼市生まれ。学園紛争で立命館大学文学部哲学科を中退し、北海道に渡り、アイヌの権利のための新左翼活動を行う。野上は“和人”(大和民族)であるが、アイヌ名「ポン・フチ(ポンフチ)」と名乗って1976年にアイヌ民族に関する著作を出し始めた(当時の模様はアイヌ革命論を参照)。
早川 聞多(はやかわ もんた、1949年4月2日 - )は、… 早川 聞多(はやかわ もんた、1949年4月2日 - )は、日本の美術史家。専攻は日本美術史、江戸文化史。国際日本文化研究センター名誉教授。主に与謝蕪村や浮世絵春画などを研究分野としている。 京都市出身。京都教育大学附属高等学校を経て、1970年に国際基督教大学人文学科中退後、東京大学入学。在学中硬式野球部に所属。投手として東京六大学野球で活躍し、1973年秋のリーグ戦で慶法立から3勝を挙げた。六大学リーグ戦通算3勝。1974年に東京大学文学部哲学科卒業。 1980年大阪大学大学院芸術学専攻修士課程修了。1978年大和文華館学芸員、1987年に創設された国際日本文化研究センターに同年11月より助教授として勤務する。
岡田 光雄(おかだ みつお、1949年4月2日 - )は、島… 岡田 光雄(おかだ みつお、1949年4月2日 - )は、島根県大田市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 邇摩高校では1966年、2年生の時、春の選抜にエースとして出場。1回戦で室蘭工業高校に敗退。同年夏は西中国大会の決勝で早鞆高校の坂本義雄と投げ合うが惜敗、翌年も予選で敗れ甲子園出場には届かなかった。 1967年ドラフト会議で東京オリオンズから2位指名されるも拒否し、松下電器へ入社した。1968年の第39回都市対抗野球大会に富士鉄広畑の補強選手として出場。松下電器同僚の加藤秀司、福本豊も同じく富士鉄広畑に補強されている。大会では神部年男投手との二本柱で勝ち進み、河合楽器との決勝戦でも神部をリリーフしてチームを優勝に導く。
富田 たかし(とみた たかし 1949年4月2日 - )は日… 富田 たかし(とみた たかし 1949年4月2日 - )は日本の心理学者。駒沢女子大学教授。本名:富田隆。所属事務所は浅井企画。血液型B型。東京都出身。
田村 英一(たむら えいいち、1949年4月2日 - )は、… 田村 英一(たむら えいいち、1949年4月2日 - )は、日本のフリーアナウンサー、北海道放送の元アナウンサー。北海道出身。法政大学社会学部卒業後、1973年に北海道放送入社。全国ネットのドキュメント番組のナレーション(ヤンキー母校に帰るなど)をこなし、数多くのアナウンス優秀賞を受賞。かつてはニュースキャスターの傍ら、本社編成制作局長も務めた。 退社後は、文学作品の朗読も行っており、財団法人北海道文学館の評議員も務める。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
海老原 清治(えびはら せいじ、1949年4月2日 - )は… 海老原 清治(えびはら せいじ、1949年4月2日 - )は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファー。 実家は鮮魚店を営み、我孫子ゴルフ倶楽部の3番ホールの左側に家があった。生家の隣は林由郎の自宅で、年の近い林の子供と遊びながらゴルフを覚えた。子供は1歳年上の林由一で、近所では由一の家にしかまだテレビがなく、海老原は力道山の試合を見せてもらった。当時は由一の父がプロゴルファーということは知らなかったが、7歳の頃に近所の10数人と一緒に我孫子GCの2番ホール、ティーから150ヤード辺りに行った際、由郎がクラブセットと球を出して、一人ずつ打たせてくれた。海老原は由郎に右の小指と左の人さし指を絡める握り方を教えられたが、現在でもそのまま、インターロッキンググリップでプレーしている。
星田 良子(ほしだ よしこ、1949年(昭和24年)4月1日… 星田 良子(ほしだ よしこ、1949年(昭和24年)4月1日 - )は、日本のテレビドラマプロデューサー、演出家。共同テレビ部長待遇ゼネラルディレクターを務めた。 永田雅一大映社長の側近の一人として活躍した星田陽次郎の子として東京都に生まれる。 聖心女子大学文学部国文学科を卒業する前に、父親の姿を見てきたせいか、どうしても芸能界でモノ作りをして生きていきたい気持ちが強くなり、まず映画界に入ろうとした。しかし、星田の卒業した1972年には映画会社はどこも新入社員を採用せず、新東宝社長だった大蔵貢の紹介でTBSの石井ふく子プロデューサーと知り合い、『東芝日曜劇場』の演出助手のアルバイトを始めた。台本配り、弁当渡し、クルマの手配と何でもやった。
絓 秀実(すが ひでみ、1949年4月1日 - )は、日本の… 絓 秀実(すが ひでみ、1949年4月1日 - )は、日本の文芸評論家。本名は菅秀実。元近畿大学国際人文科学研究所教授。 妻は詩人で自然美容法研究家の筏丸けいこ(本名・菅圭子)。埼玉県坂戸市在住。 新潟県小千谷市出身。小千谷市立東小千谷中学校、新潟県立長岡高等学校卒業。代々木ゼミナール(世田谷寮)を経て、1969年学習院大学文学部哲学科に入学(後に中退)。 「日本読書新聞」編集長、「杼」編集員。1978年4月からサンリオ出版部アシスタント・エディターを務めたが、組合闘争のため、同年10月6日に解雇される。 コーネル大学客員研究員(1990年9月から1年間)、日本ジャーナリスト専門学校専任講師(1998年3月迄)を経て、2002年より近畿大学国際人文科学研究所教授、2015年定年。
高橋 実(たかはし みのる、1949年4月1日 - )は、日… 高橋 実(たかはし みのる、1949年4月1日 - )は、日本の学者。名古屋工業大学学長を経て、愛知産業大学学長。専門は、セラミックスプロセッシング、粉体工学、応用レオロジー。
玉井 和博(たまい かずひろ、1949年4月1日 - )は、… 玉井 和博(たまい かずひろ、1949年4月1日 - )は、日本の実業家、教育者。株式会社ホテル京急元代表取締役社長、ホテルパシフィック東京元総支配人、立教大学観光学部元特任教授、大妻女子大学特任教授。 1949年4月1日生まれ。1971年3月、立教大学経済学部経営学科(現・経営学部)卒業。同年4月、京急興業株式会社(現・京急不動産株式会社)入社。 1993年9月、株式会社ホテル京急出向。2001年6月、ホテルグランパシフィックメリディアン取締役副総支配人兼営業統括部長。 2004年6月、ホテルパシフィック東京取締役副総支配人、兼総支配人室長、兼営業企画部長。2005年6月、株式会社楼蘭代表取締役社長兼務。
藤原 節男(ふじわら せつお、1949年4月 -)は日本の原… 藤原 節男(ふじわら せつお、1949年4月 -)は日本の原子力技術者。 和歌山県南部町出身。灘高等学校を経て、1972年に大阪大学工学部原子力工学科を卒業。大学では、原子動力専攻(吹田徳雄教授、藤家洋一助教授、宮崎慶次助手)で学ぶ。卒業論文は「液体ナトリウム沸騰ループ試験装置による液体ナトリウム沸騰現象実験」。 卒業後、三菱原子力工業(1995年に三菱重工業に合併)に入社。大飯発電所・伊方発電所・泊発電所・川内発電所等の原子力発電所プロジェクトに従事する。 2000年に日本原子力研究所東海研究所に移籍。2005年に独立行政法人原子力安全基盤機構に移り、検査業務部に検査技師として2010年まで在籍。
大村 敬一(おおむら けいいち、1949年4月 - )は、日… 大村 敬一(おおむら けいいち、1949年4月 - )は、日本の経済学者。専門は金融論。リアルオプション等、実証分析に重きをおく。学位は、博士(経済学)(法政大学・論文博士・1993年)(博士論文は「オプション理論と応用」)。早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授を経て、早稲田大学名誉教授。 また、公認会計士試験委員、日本ファイナンス学会会長等も歴任。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
小川 幸代(おがわ さちよ、1949年4月 - )は、日本の… 小川 幸代(おがわ さちよ、1949年4月 - )は、日本の国文学者、歴史学者。長岡大学教授。専門は古事記研究、および近世の南山城、女性史の研究など。 福島県会津若松市出身。1975年に國學院大學文学部文学科を卒業の後、國學院大學日本文化研究所勤務を経て、1975年から船橋女子高等学校、1976年から潤徳女子高等学校で非常勤講師をつとめるかたわら、國學院大學で書道科の教員免許を取得し、また朝日カルチャーセンターで古文書を学ぶ。1980年、東京大学経済学部文書室に勤務して近世文書の整理研究を行い、1999年から長岡短期大学助教授、2001年から長岡大学助教授(2007年、准教授)、2008年から教授。
臼井 佐知子(うすい さちこ、1949年4月 - )は、日本… 臼井 佐知子(うすい さちこ、1949年4月 - )は、日本の歴史学者。専門は中国近現代史、明清史。東京外国語大学名誉教授。博士(文学)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
深井 甚三(ふかい じんぞう、 1949年4月 - )は、日… 深井 甚三(ふかい じんぞう、 1949年4月 - )は、日本の歴史学者。富山大学教授。専門は日本近世史(都市史・交通史)。 埼玉県生まれ。1972年東北大学文学部卒業。1978年同大学院文学研究科博士課程中退。東北大学文学部助手、富山大学教育学部講師、助教授、教授。1993年「幕府制下陸上交通の研究」で東北大文学博士。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
酒井 英行(さかい ひでゆき、1949年4月 - )は、日本… 酒井 英行(さかい ひでゆき、1949年4月 - )は、日本近現代文学研究者、静岡大学教授。 岡山県生まれ。1973年早稲田大学文学部日本文学科卒業、1976年同大学院修士課程修了。1978年早稲田大学高等学院教諭、1986年藤女子短期大学専任講師、助教授、1991年静岡大人文学部助教授を経て教授。 はじめ夏目漱石、内田百閒など近代文学を論じたが、のち村上春樹など現代文学を論じるようになる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鈴木 紀夫(すずき のりお、1949年(昭和24年)4月 -… 鈴木 紀夫(すずき のりお、1949年(昭和24年)4月 - 1986年(昭和61年)11月)は、日本の冒険家。千葉県市原市八幡出身。習志野市立習志野高等学校卒業。法政大学経済学部二部中退。
千葉マリア(ちば まりあ、1949年3月31日 - )は、日… 千葉マリア(ちば まりあ、1949年3月31日 - )は、日本の歌手・タレント。千葉県茂原市出身。本名:十枝みつ(とえだ みつ)。 1971年に「千葉マリヤ」としてシングル『薔薇の涙』でレコードデビューした。途中「千葉真利亜」名義を経て「千葉マリア」に改名し、現在に至る。 俳優の松方弘樹と愛人関係にあった際、松方との間の隠し子が報道されて、芸能界を実質追われた。また政治活動では2001年7月の第19回参議院議員通常選挙で自由連合公認の比例区で立候補したが落選している(得票数3736票)。組織委員会女性局次長を務めた。 現在は館山市に住み、女性専用依存症リハビリ施設及びハーブやさつまいもの栽培・加工・販売を行う株式会社チバマリアの代表を務めている。
栃偉山 弘行(とちいやま ひろゆき、1949年3月30日 -… 栃偉山 弘行(とちいやま ひろゆき、1949年3月30日 - )は、千葉県千葉市出身で、大和証券バスケットボール部所属の元バスケットボール選手、春日野部屋所属の元大相撲力士。本名は浜中 忠(はまなか ただし)、旧姓は大野。大相撲時代は身長191cm、体重95kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。最高位は東十両13枚目(1973年9月場所)。父も元力士で、大野山の四股名で三段目まで昇進した。 千葉商業高校卒業後は、身長191cmの体格を見込まれて大和証券バスケットボール部に入社し、いきなり主力となり、1967年に行われた第22回全日本実業団競技大会で活躍、チームの日本リーグ入りに大いに貢献した。バスケットボールを続けていれば1972年ミュンヘンオリンピック日本代表入りを果たせると言われたほどの大器であったが「バスケットじゃ飯が食えない。
佐瀬 寿一(させ じゅいち、1949年3月30日 - )は、… 佐瀬 寿一(させ じゅいち、1949年3月30日 - )は、日本の作曲家。千葉県勝浦市出身。 佐瀬壽一の表記もある。 千葉県立大多喜高等学校を経て日本大学芸術学部放送学科卒業。 放送作家の高田文夫、落語家の古今亭右朝は大学の同窓生である。 学生時代はビートルズのコピーバンドなどをやっており、『勝ち抜きエレキ合戦』にも出演したことがある。 1969年、大学在学中にピオニーズの「消えた想い出」で作詞・作曲家デビュー。このとき印税か買取のどちらにするかと聞かれ、結局3万円の買取契約にしたものの、割と売れたので後悔したという。同時期にヤマハポピュラーソングコンテストで編曲の仕事をし、音楽で生計を立てることに興味を持ち始めた。
谷口 芳紀(たにぐち よしき、1949年〈昭和24年〉3月3… 谷口 芳紀(たにぐち よしき、1949年〈昭和24年〉3月30日 - )は、日本の政治家。兵庫県相生市長(7期)。 兵庫県相生市那波野出身。 相生市立双葉小学校、淳心学院中学校・高等学校、慶應義塾大学法学部卒業。 大学卒業後、河本敏夫衆議院議員秘書を経て、2000年に相生市長選に出馬し初当選、以降は無投票再選が続いた。2024年5月12日に告示された市長選挙には元兵庫県議会議員の小西彦治も午前中に立候補を届け出たが、同月19日告示、26日投開票の静岡県藤枝市長選挙に立候補するため、告示日午後になって急遽、立候補を取りやめたため、6回連続無投票で谷口の7選が決まった。 同じ2000年(平成12年)に初当選した、衆議院議員の山口壯(元二階派事務総長)は淳心学院の後輩。