田中 二郎(たなか じろう、1941年1月15日 - )は、… 田中 二郎(たなか じろう、1941年1月15日 - )は、日本の生態人類学者、京都大学名誉教授。 京都府出身。1964年、京都大学理学部動物学科卒。1970年、東京大学大学院文化人類学専攻修士課程修了。1974年、「セントラル・カラハリ・ブッシュマン 生態人類学的研究」で京都大学より理学博士の学位を取得。1976年、京都大学霊長類研究所助教授。1981年、弘前大学人文学部教授。1986年、京都大学アフリカ地域研究センター教授。2004年、定年退官、名誉教授。
海堂 昌之(かいどう まさゆき、1941年1月15日 - )… 海堂 昌之(かいどう まさゆき、1941年1月15日 - )は、フランス文学者、作家。本名は斎藤昌三。法政大学教授を務めた。 富山県高岡市出身。東京大学仏文科卒、同大学院中退。 1968年に本名の斎藤昌三で「拘禁」により文学界新人賞受賞、芥川賞候補、同年「夜への落下」で同候補、1970年海堂昌之名義で「背後の時間」により太宰治賞受賞。 フロベールを専門とし、著作はほぼ本名の斎藤昌三名義で行っている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
川口 順子(かわぐち よりこ、1941年〈昭和16年〉1月1… 川口 順子(かわぐち よりこ、1941年〈昭和16年〉1月14日 - )は、日本の政治家、通産官僚。明治大学研究・知財戦略機構特任教授・豊田通商株式会社取締役・武蔵野大学客員教授/国際総合研究所フェロー などを務めている。 外務大臣(第128・129代)、環境大臣(初代・第2代)、環境庁長官(第39代)、参議院議員を歴任。 夫は元福岡通産局長の川口融(1963年入省、同期に牧野力らがいる)。 東京都生まれ。1960年、東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)を卒業。高校の同期には、畔柳信雄(元三菱UFJフィナンシャル・グループ社長)、島村英紀(元国立極地研究所所長)、星出豊(昭和音楽大学教授)、松本元(脳科学者)、横田洋三(国連大学学長特別顧問)、広瀬久美子(元日本放送協会アナウンサー)、藤田宙靖(元最高裁判事)などがいる。
稲田 順三(いなだ じゅんぞう、1941年(昭和16年)1月… 稲田 順三(いなだ じゅんぞう、1941年(昭和16年)1月14日 - )は、日本の政治家。元大阪府和泉市長。 和泉市出身。1965年(昭和40年)大阪商業大学商経学部卒業。 和泉市教育次長を経て、1995年(平成7年)同市長に当選。2005年(平成17年)競売入札妨害容疑で逮捕され、同年5月に辞職した。
佐藤 雅美(さとう まさよし、1941年1月14日 - 20… 佐藤 雅美(さとう まさよし、1941年1月14日 - 2019年7月29日)は、日本の作家。兵庫県生まれ。早稲田大学法学部卒。直木賞受賞時を含め、1998年途中まで筆名の読みを「さとうまさみ」としていた。 大学卒業後、企業に就職するも新人研修が馬鹿馬鹿しくなって3日で退職。1968年、『ヤングレディ』にフリーライターとして採用されるが女性週刊誌に馴染み難く3ヶ月で退社。『週刊ポスト』創刊に記者として参画。その後『週刊サンケイ』記者、フリーライターを経て、小説家となる。処女作『大君の通貨』で1985年に第4回新田次郎文学賞、『恵比寿屋喜兵衛手控え』で1994年に第110回直木賞。 2019年7月29日死去。
高橋 幹夫(たかはし みきお、1941年〈昭和16年〉1月1… 高橋 幹夫(たかはし みきお、1941年〈昭和16年〉1月14日 -)は、日本の政治家。第7代北海道帯広市長(2期)。旭日双光章受章。 北海道帯広市に出生。早稲田大学文学部卒業後、帯広市役所へ入庁し、帯広市都市環境部次長など歴任。また、帯広市職員労働組合で委員長を務めた。 1986年(昭和61年)帯広市長選挙に立候補するも落選。その後、幕別自動車学校常務を経て、1990年(平成2年)帯広市長に就任し、2期務め、1998年(平成10年)に引退した。
細川 知正(ほそかわ のりただ、1941年1月13日 - )… 細川 知正(ほそかわ のりただ、1941年1月13日 - )は日本テレビ放送網取締役最高顧問、マッドハウス代表取締役会長、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事、茨城キリスト教学園理事長。東京都出身。
伊井 春樹(いい はるき、1941年1月13日- )は、日本… 伊井 春樹(いい はるき、1941年1月13日- )は、日本の国文学者。専門は中古文学、特に『源氏物語』。学位は、文学博士(広島大学・論文博士・1982年)(学位論文「源氏物語注釈史の研究 室町前期」)。大阪大学名誉教授。大沢本源氏物語の紹介者として知られる。 愛媛県生まれ。1964年愛媛大学教育学部卒。1968年広島大学大学院国文学博士課程中退、愛媛大学教育学部助手。1969年同講師、1970年同助教授。1973年国文学研究資料館文献資料部助教授。 1982年「源氏物語注釈史の研究 室町前期」で広島大学より文学博士の学位を取得。 1984年大阪大学文学部助教授、1995年教授、2004年定年退官、名誉教授、国士舘大学文学部教授。
月岡 逸弥(つきおか いつや、1941年1月13日 - )は… 月岡 逸弥(つきおか いつや、1941年1月13日 - )は元文化放送アナウンサー。 東京都台東区出身。早稲田大学法学部卒業。 1964年、文化放送入社。1965年、「歌謡リクエスト〜東芝レコードアワー」が初担当番組。スポーツ中継(文化放送ホームランナイター、大相撲熱戦十番、近代オリンピック他)の実況を中心に担当し、野球からテニスまで16種類のスポーツ実況をこなした。報道番組「ニュース・パレード」のキャスターも担当した。後に、アナウンス部長として、後進の指導に当たる。退職後も、東京アナウンスセミナーでスポーツ中継担当アナウンサー養成のコースでの講師を務めている。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
今西 和男(いまにし かずお、1941年1月12日 - 20… 今西 和男(いまにし かずお、1941年1月12日 - 2026年4月16日)は、広島県広島市中区東平塚出身の教育者、元サッカー選手、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現役時代のポジションはDF。 日本におけるゼネラルマネージャーの地位を確立させた人物。サッカー界では日本の元祖ゼネラルマネージャーとも称される。 マツダ/サンフレッチェ広島F.Cでのチーム作りに辣腕を振り、大分トリニータや愛媛FC・FC岐阜がJリーグ入りを目指していたころにアドバイザーとして参加もしている。 育成に実績があり、森保一・久保竜彦らの無名選手を発掘し、小林伸二や松田浩らの指導者を育成した。今西が整備したサンフレッチェ広島アカデミーは、2012年現在日本有数の育成組織の評価を受けている。
藤井 旭(ふじい あきら、1941年1月12日 - 2022… 藤井 旭(ふじい あきら、1941年1月12日 - 2022年12月28日)は、日本のイラストレーター、天体写真家。天文宇宙の魅力を広く伝え、多様な天文ファンを先導する存在として国際的に知られる。50年以上にわたって第一線で活躍を続けた。 山口県山口市に生まれる。父は岸信介と旧制山口中学校の同級生で、山口県庁の職員を経て釣具店を経営していた。子供の頃は流星観測をしていた。山口県立山口高等学校在学中に天文部を創設。山口高校卒業後は多摩美術大学デザイン科に進学し、1963年同校を卒業。少年マガジンなどの雑誌のイラストを描く仕事に就いていた。その後、東京の光害から逃れるために福島県郡山市に移り住み、それまでやっていたイラスト描きの仕事を辞めて、郡山名物である薄皮饅頭の製造会社に入社して饅頭づくりに励んだ。
高橋 資祐(たかはし もとすけ、1941年〈昭和16年〉1月… 高橋 資祐(たかはし もとすけ、1941年〈昭和16年〉1月11日 - 2007年〈平成19年〉11月8日)は、日本の男性アニメーター、アニメ演出家・監督、キャラクターデザイナー。宮城県石巻市出身。 1959年3月に宮城県石巻高等学校卒業後、石巻市役所に就職。美術を学ぶため、日本デザインスクールに入学するも1963年に同校を中退。第一広告(現・I&S BBDO)、文珠デザインスタジオの商業デザイナーを経て、草月アニメフェスティバルでアニメに興味を持ち、1966年8月に新聞の社員募集広告に応募して竜の子プロダクション(タツノコプロ)へ入社。 同プロでは笹川ひろしや吉田竜夫らの下で『おらぁグズラだど』『昆虫物語 みなしごハッチ』などの原画・演出を担当した他、作画チーフも務めた。
周防 郁雄(すほう いくお、1941年1月11日 - )は、… 周防 郁雄(すほう いくお、1941年1月11日 - )は、千葉県市原市出身の日本の男性実業家・芸能プロモーター。
大出 俊(おおいで しゅん、1941年〈昭和16年〉1月11… 大出 俊(おおいで しゅん、1941年〈昭和16年〉1月11日 - )は、日本の俳優。本名:大出 俊隆(おおいで としたか)。東京市出身。日本大学卒業。文学座、山田栖峰事務所、オフィスPSC、Grueを経て、2025年よりグルックス・モメントがマネジメント業務を担っている。 妻は工藤明子。息子は大出真也(前妻との子)。身長170cm、体重60kg。血液型O型。 大学卒業後、一般企業へ入社するも半月程で辞めてしまい、その後は職を転々とするなど定職に就かない毎日を送っていた。 たまたま東京の六本木を歩いていた時に養成所の募集を見つけ、特に理由もなく応募したところ、無事に合格。1967年、第16期生として俳優座養成所に入所(同期生は古谷一行、峰岸徹、太地喜和子)。
河瀨 正利(かわせ まさとし、1941年(昭和16年)1月1… 河瀨 正利(かわせ まさとし、1941年(昭和16年)1月11日 - 2008年(平成20年)6月14日)は、日本の考古学者。広島大学名誉教授。書家の河瀬断魚は実兄。 1941年(昭和16年)島根県平田市(現:出雲市)に生まれ、1964年(昭和39年)に広島大学教育学部卒業。その後広島県教育委員会文化財保護主事、埋蔵文化財係長の職に就き1975年(昭和50年)より広島大学に勤務。文学部助手・助教授・教授、同大学院教授の職を歴任し2004年(平成16年)に退官。広島大学名誉教授。 2008年(平成20年)6月14日、頭頸部癌のため死去。享年67。
武田 一平(たけだ いっぺい、1941年1月11日 - )は… 武田 一平(たけだ いっぺい、1941年1月11日 - )は日本の経営者。ニチコン株式会社代表取締役会長兼CEO、京都経営者協会元会長。 1963年 3月早稲田大学商学部卒業 1963年 3月日本コンデンサ工業株式会社 (現 ニチコン株式会社)入社 1967年5月米国シカゴ赴任 1978年2月ニチコン(アメリカ)コーポレーション 代表取締役 1983年6月ニチコン株式会社 取締役 就任 同年12月ニチコン株式会社 取締役 国際部長 1990年2月ニチコン(ヨーロッパ)リミテッド 代表取締役 1995年7月ニチコン株式会社 取締役 大野工場長兼 海外営業担当 1997年6月ニチコン株式会社 常務取締役 営業本部長兼 大野工場長 1998年6月ニチコン株式会社 代表取締役社長 2007年 4月 藍綬褒章 授章 2007年6月ニチコン株式会社 代表取締役会長兼CEO 平成24年5月~平成26年5月 京都経営者協会会長 2018年06月 平成30年全国発明表彰 発明表彰功労賞
岡本 佳男(おかもと よしお、1941年〈昭和16年〉1月1… 岡本 佳男(おかもと よしお、1941年〈昭和16年〉1月10日 - )は、日本の高分子化学者。名古屋大学名誉教授、特別教授、ハルビン工程大学特聘教授。 世界に先駆けて不斉重合によって、選択的に高分子を一方方向のらせん型に合成したことで知られる。また、らせん高分子を使用した鏡像異性体を分離する高速液体クロマトグラフィー用の光学分割カラム充填剤を開発し、その成果は医療や高分子研究に利用されている。 2019年4月には、名古屋大学が岡本若手奨励賞を創設している。これは日本国際賞を受賞した際、賞金の一部を名古屋大学に寄付したためで、若手研究者を支援するために設けられたものである。 1979年、世界初のらせん高分子の合成に成功した。
梁川 郁雄(やながわ いくお、1941年1月10日- )は、… 梁川 郁雄(やながわ いくお、1941年1月10日- )は、広島市出身で、1960年代に阪急ブレーブスと広島カープでプレーしたプロ野球選手である。現役時代のポジションは、外野手。
伊藤 正嗣(いとう まさつぐ、1941年1月10日 - 20… 伊藤 正嗣(いとう まさつぐ、1941年1月10日 - 2003年4月5日)は、日本の経営者。カゴメ社長を務めた。 三重県出身。1964年に慶應義塾大学商学部を卒業し、同年にカゴメに入社。1987年6月に取締役、1991年6月に常務、1994年6月に専務を経て、1996年6月に社長に就任。2002年10月に会長に就任。 2003年4月5日に肝不全のために死去。62歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
坂 真次郎(ばん しんじろう、1941年(昭和16年)1月1… 坂 真次郎(ばん しんじろう、1941年(昭和16年)1月10日 - 2006年(平成18年)7月27日)は、昭和・平成期のシテ方観世流能楽師。重要無形文化財「能楽」の保持者(総合認定)。社団法人能楽協会会員。
奥原 國雄(おくはら くにお、1941年〈昭和16年〉1月1… 奥原 國雄(おくはら くにお、1941年〈昭和16年〉1月10日 - )は、日本の実業家。ケムコ商事代表取締役会長。 広島県呉市出身。広島県呉阿賀高等学校卒業。1963年、立教大学経済学部卒業。1978年、呉青年会議所第26代理事長。1992年、コトブキ技研工業社長に就任する。 趣味はゴルフ、囲碁。住所は広島県呉市和庄登町、西中央5丁目。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
高木 一巳(たかぎ かずみ、1941年1月9日 - )は、岐… 高木 一巳(たかぎ かずみ、1941年1月9日 - )は、岐阜県大垣市出身の元プロ野球選手(捕手、内野手)。 大垣商業高等学校では、捕手として1959年夏の甲子園県予選を勝ち抜き三岐大会決勝に進出するが、鈴木正のいた松阪商に敗退し、甲子園出場はならなかった[要ページ番号]。 大型捕手として注目され、1960年に中日ドラゴンズに入団。しかし二軍暮らしが長く、1963年に野手転向。1964年は20試合に起用され、一塁手として先発出場も果たすが、その後はあまり出場機会に恵まれなかった。1966年から捕手に戻り、地味ながら控えをこなす。1972年限りで引退した。
松原 亘子(まつばら のぶこ、1941年1月9日 - )は、… 松原 亘子(まつばら のぶこ、1941年1月9日 - )は、日本の元労働官僚。1997年に女性初の事務次官に就任。労働事務次官を退官した後は、駐イタリア兼アルバニア兼サンマリノ特命全権大使等を歴任し、2006年から三井物産株式会社取締役、2008年から株式会社大和証券グループ本社取締役、2017年2月14日から株式会社電通社外取締役。
荻原 茂(おぎはら しげる、1941年1月9日 - )は、日… 荻原 茂(おぎはら しげる、1941年1月9日 - )は、日本の実業家。名港海運代表取締役社長や、東海港運協会会長、名古屋港運協会会長等を務めた。 愛知県出身。1965年京都大学卒業、名港海運入社。国際畑を歩み、1993年取締役東京支店長に昇格。1998年常務取締役。2001年専務取締役。2004年取締役副社長。2007年から代表取締役社長を務め、業務拡大を進めた。2012年東海港運協会会長。2013年取締役相談役。名古屋港湾福利厚生協会副理事長、名古屋港運協会会長等も務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
長南 敏雄(ちょうなん としお、1941年1月9日 - )は… 長南 敏雄(ちょうなん としお、1941年1月9日 - )は、元札幌テレビアナウンサー。
北村 惣一郎(きたむら そういちろう、1941年〈昭和16年… 北村 惣一郎(きたむら そういちろう、1941年〈昭和16年〉1月8日 - )は、日本の医学者、医師。国立循環器病センター名誉総長。奈良県立医科大学名誉教授。堺市立病院機構理事。地方独立行政法人堺市立病院機構理事長。心臓血管外科専門医認定機構代表幹事、日本胸部外科学会会長。兵庫県西宮市出身。 川崎病外科治療の開発に貢献した。また、日本での心臓移植の再開に尽力し、脳死移植法下での国内第2例、第3例を執刀。(第1例は大阪大学第一外科の松田教授)
柏木 俊彦(かしわぎ としひこ、1941年(昭和16年)1月… 柏木 俊彦(かしわぎ としひこ、1941年(昭和16年)1月8日 - )は、日本の弁護士。大宮法科大学院大学元学長。柏木・田澤法律事務所代表。
畑村 洋太郎(はたむら ようたろう、1941年〈昭和16年〉… 畑村 洋太郎(はたむら ようたろう、1941年〈昭和16年〉1月8日 - )は、日本の工学者、東京大学名誉教授。東京都出身。 失敗学の提唱者で、失敗学会の設立にも携わった。創造的設計論、知能化加工学、ナノ・マイクロ加工学。 最近ではものづくりの領域に留まらず、経営分野における「失敗学」などにも研究領域を広げている。 1959年東京都立戸山高等学校卒、東京大学工学部機械工学科卒、1966年同大学院機械工学科修士課程修了、株式会社日立製作所入社。1968年東京大学工学部助手、1969年講師、1973年助教授、「土の切削機構の解明」で工学博士。1983年教授、2001年定年退官、名誉教授、工学院大学グローバルエンジニア学部機械創造工学科教授、畑村創造工学研究所開設、科学技術振興機構失敗知識データベース整備事業統括。
糸魚川 順(いといがわ じゅん、1941年1月8日 - )は… 糸魚川 順(いといがわ じゅん、1941年1月8日 - )は、日本の実業家、立教学院元理事長、立教女学院元理事長、聖路加国際大学元理事長、日本興業銀行元常務取締役。 1941年1月8日 - 北海道生まれ 1964年3月 - 立教大学経済学部卒業。同年4月日本興業銀行入行、シンガポール支店長やアジア部長を歴任。 1992年 - ハーバード大学AMP修了 1993年 - 日本興業銀行取締役福岡支店長 1994年 - 常務取締役 2000年 - 興銀リース株式会社副社長 2004年 - 興銀リース株式会社副社長退任、第一生命保険相互会社顧問 2007年 - 学校法人立教学院理事、理事長 2010年 - 第一生命保険相互会社顧問退任、財団法人聖路加国際病院理事 2014年 - 立教学院理事長退任、学校法人聖路加国際大学理事 2016年 - 学校法人聖路加国際大学理事長 2017年 - 学校法人立教女学院理事[要出典] 2018年 - 学校法人立教女学院理事長[要出典]
坂根 正弘(さかね まさひろ、1941年1月7日 - )は、… 坂根 正弘(さかね まさひろ、1941年1月7日 - )は、日本の実業家。小松製作所代表取締役社長、産業革新投資機構取締役会議長、武田薬品工業取締役会議長、日本経団連副会長、経済産業省総合資源エネルギー調査会会長、公立大学法人大阪名誉特別顧問等を歴任。広島県広島市生まれ、島根県浜田市育ち。 広島市生まれ、1945年原爆投下の2ヵ月前に島根県浜田市に疎開しその後は同市で育つ。島根県立浜田高校を経て1963年、大阪市立大学工学部卒業。ブルドーザーの設計技術者として小松製作所入社。1989年取締役、1990年小松ドレッサーカンパニー(現コマツアメリカ)社長、1994年常務取締役 1997年専務取締役、1999年代表取締役副社長を経て2001年、同社代表取締役社長兼CEO就任、2007年同社代表取締役会長就任、2010年同社取締役会長就任、2013年同社取締役相談役就任。
宮本 登(みやもと のぼる、1941年1月7日 - )は、日… 宮本 登(みやもと のぼる、1941年1月7日 - )は、日本の機械工学者。北海道大学名誉教授。元自動車技術会理事。元日本機械学会理事。 1964年室蘭工業大学機械工学科卒業、三菱重工業入社。深沢正一や村山正の指導を受け、1969年北海道大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1972年同博士課程修了、北見工業大学機械工学科講師。同年同助教授。1974年北海道大学工学部機械工学科助教授。1976年同教授。1997年北海道大学大学院工学研究科教授。2004年定年退職、北海道大学名誉教授。2005年日本機械学会監事。2013年にはJR北海道の函館本線の出火事故の対策会議の座長を務めた。自動車技術会理事、自動車技術会北海道支部顧問、日本機械学会理事なども務めた。
能村 庸一(のむら よういち、1941年(昭和16年)1月6… 能村 庸一(のむら よういち、1941年(昭和16年)1月6日 - 2017年(平成29年)5月13日)は、日本のテレビプロデューサー。 フジテレビ入社後はアナウンサーを経て、同局の時代劇プロデューサーとして活動した。 東京都生まれ。東京都立北園高等学校、青山学院大学文学部を卒業。高校・大学時代は放送研究会に所属した。 1963年4月、2000人の応募者の中から、フジテレビにアナウンサーとして入社。同期のアナウンサーに岩佐徹、露木茂らがいる。 アナウンサーとして『名画座手帳』、舞台中継などを担当。1972年に編成企画部へ異動し、プロデューサーに転向。その後、開発調査部長、調査部長、編成局編成局専任局長(1994年)などを歴任し、『鬼平犯科帳』、『仕掛人・藤枝梅安』、『八丁堀捕物ばなし』、『阿部一族』、『御家人斬九郎』、『剣客商売』など、レギュラー番組は約20本、単発番組は約100本の時代劇企画制作を手がけたほか、能村太郎名義でナレーションも務めた。
竹田 利秋(たけだ としあき、1941年1月5日 - )は、… 竹田 利秋(たけだ としあき、1941年1月5日 - )は、和歌山県出身の学生野球指導者。社会科教諭。和歌山県立和歌山工業高等学校→國學院大學卒業。東北高等学校、仙台育英学園高等学校野球部監督、國學院大學硬式野球部監督を経て現在は國學院大學硬式野球部総監督。 和歌山工高3年春に三塁手として甲子園出場。大学卒業後銀行員として勤めていたが、当時東北高校野球部を指導していた同じく國學院大學野球部OBの松尾勝栄監督の後任者として招聘され、東北高野球部コーチに就任。 1968年、監督に就任し同年7年ぶりに夏の甲子園出場。これを最後に帰郷しようと考えるも、抽選会で自校を含む東北・北海道勢のチームとの対戦が決まった西日本のチームが、戦わずして勝ったといわんばかりの拍手歓声を挙げて喜ぶのに対し、東北・北海道勢の学校の生徒は下をうつむいている様子を見て、この状況をなんとか変えたいと思うようになり、以後、東北高を甲子園で勝てる強豪校へと育て上げる。
大橋 照枝(おおはし てるえ、1941年1月5日 - 201… 大橋 照枝(おおはし てるえ、1941年1月5日 - 2012年8月5日)は、日本の評論家、社会学者。専門はマーケティングだが『未婚化の社会学』などで知られた[誰によって?]。 滋賀県出身。1963年京都大学文学部哲学科社会学専攻卒業。大広に入社し、マーケティングディレクターを務めた。國學院大學栃木短期大学助教授、1992年麗澤大学経済学部教授、2011年定年退任、客員教授、東北大学客員教授。2001年「持続可能な発展にむけての静脈系社会の設計に関する研究」で昭和女子大学博士(学術)。 2012年8月5日、肺癌のため71歳で死去。
佐藤 克身(さとう かつみ、1941年(昭和16年)1月4日… 佐藤 克身(さとう かつみ、1941年(昭和16年)1月4日 - 2022年(令和4年)6月20日)は、日本の実業家。株式会社福音館書店代表取締役会長。長男の佐藤潤一(1971年(昭和46年)5月11日生)は福音館書店代表取締役社長を務めている。 石川県金沢市出身。1964年(昭和39年)青山学院大学を卒業し、同年福音館書店に入社。同社営業部長を経て、1968年(昭和43年)同社専務、1985年(昭和60年)同社社長に就任。1998年(平成10年)同社会長に就任。2022年(令和4年)6月20日6時、病気療養中のところ死去。 趣味はゴルフ・釣り・読書。
関 光徳(せき みつのり、1941年1月4日 - 2008年… 関 光徳(せき みつのり、1941年1月4日 - 2008年6月6日)は、日本の元プロボクサー。元OBF東洋フェザー級王者。横浜光ボクシングジム初代会長。東京都北区出身。 世界ミドル級チャンピオンであったロッキー・グラジアノの半生を映画化した「傷だらけの栄光」に興奮した友人のボクシングジム入門に付き添っていったところ、つい自分も入門してしまったという。 1958年12月、新和ボクシングジム(新和拳)からフライ級でデビューしたが初戦は4回判定で敗れて黒星。しかしアジアの強豪を次々に破り、デビューから2年半後の1961年6月27日、遂に世界初挑戦のチャンスを掴み、世界フライ級チャンピオンポーン・キングピッチ( タイ)に挑戦。
横路 孝弘(よこみち たかひろ、1941年〈昭和16年〉1月… 横路 孝弘(よこみち たかひろ、1941年〈昭和16年〉1月3日 - 2023年〈令和5年〉2月2日)は、日本の政治家、弁護士。 衆議院議員(通算12期)、北海道知事(公選第10・11・12代)、衆議院議長(第73代)、衆議院副議長(第63代)、民主党総務会長を歴任。父は元日本社会党衆議院議員の横路節雄。 北海道札幌市で次男として生まれる。父・節雄は教員で、後に日本社会党で北海道議会議員、衆議院議員を務めた。母・美喜は経済学者の野呂栄太郎の妹である。札幌市立二条小学校を卒業。中学生時代に交通事故に遭い療養生活を余儀なくされ、4年かけて16歳で札幌市立啓明中学校を卒業する。北海道札幌西高等学校に入学するが、1年生の2学期から東京都立九段高等学校に転校し、同校を卒業。
遠藤 誉(えんどう ほまれ、1941年1月3日 - )は、日… 遠藤 誉(えんどう ほまれ、1941年1月3日 - )は、日本の社会学者、理学博士。作家、中国問題専門家、筑波大学名誉教授、中国問題グローバル研究所 (GRICI) 所長。 1941年に満洲国新京市(現:吉林省長春市)で生まれる。父親の大久保宅次は、同地でアヘン等の慢性中毒に対する治療薬ギフトールを製造する製薬会社を経営し、現地の中国人アヘン中毒患者などを救済した。日中戦争終結後も、日本の独立回復まで中国で教育を受けた。戦後に国民党軍と人民解放軍の市街戦で流れ弾を負傷し、家族が伝染病を罹患して移動禁止となる。長春包囲戦の飢餓で弟、叔父、いとこを失う。死体が折り重なる卡子(チャーズ=Qiǎzi=検問所、包囲網と解放区の間の緩衝区域)で飢餓生活を強いられる。
天地 総子(あまち ふさこ、1941年〈昭和16年〉1月3日… 天地 総子(あまち ふさこ、1941年〈昭和16年〉1月3日 - 2019年〈平成31年〉1月6日)は、日本の歌手、声優、女優。最終所属はプロダクションフーコ。本名は岩澤 総子。 東京都出身。国立音楽大学付属高等学校卒業。父はピアニスト・ピアノ教師の天地真佐雄。 童謡や子供向けの歌から、大人向けの歌までレパートリーは広い。特にコマーシャルソングを数多く2000曲以上も歌っており、楠トシエ、スリー・グレイセスと共に「コマソンの女王」とも称される。 阪田寛夫作詞、服部公一作曲で1965年10月にレコードで発売された「マーチング・マーチ」が40万枚を売り上げ、1965年の第7回日本レコード大賞童謡賞を受賞した。
木村 武彦(きむら たけひこ、1941年1月3日 - 201… 木村 武彦(きむら たけひこ、1941年1月3日 - 2017年7月2日)は、愛知県名古屋市出身の実業家。元ビデオリサーチ代表取締役社長。
西橋 正泰(にしはし まさひろ、1941年1月3日 - )は… 西橋 正泰(にしはし まさひろ、1941年1月3日 - )は、NHKの元アナウンサー。 鹿児島県生まれ、大阪府で育つ。大阪府立三国丘高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業後、1963年入局。初任地は京都で8か月間だった。 現役時代は、山口、大阪、広島、東京アナウンス室などで勤務し、放送総局アナウンス室次長、1996年より1年間アナウンス室長を歴任。役職定年後の1998年4月から『関西発ラジオ深夜便』アンカーを担当。中村宏アンカーと交替で出演してきたが、2012年3月16日深夜の放送を最後に勇退。
岩下 志麻(いわした しま、1941年1月3日 - )は、日… 岩下 志麻(いわした しま、1941年1月3日 - )は、日本の女優。東京府東京市京橋区(現:東京都中央区)銀座生まれ[4]。本名は篠田 志麻(しのだ しま)。
三沢 今朝治(みさわ けさはる、1941年1月3日 - )は… 三沢 今朝治(みさわ けさはる、1941年1月3日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
水谷 寿伸(みずたに ひさのぶ、1941年1月3日 - )は… 水谷 寿伸(みずたに ひさのぶ、1941年1月3日 - )は、愛知県名古屋市千種区出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
臼井 孝(うすい たかし、1941年(昭和16年)1月3日 … 臼井 孝(うすい たかし、1941年(昭和16年)1月3日 - )は、日本の政治家。東京都元あきる野市長(2期)、阿伎留病院組合管理者、秋川衛生組合管理者、西秋川衛生組合管理者。 秋多町議会議員、秋川市議会議員、秋川市長(5期)、東京都議会議員(2期)を務めた。 東京都出身。東京都立国立高等学校を経て、1964年(昭和39年)青山学院大学法学部を卒業。1967年(昭和42年)秋多町議会議員、1972年(昭和47年)秋川市議会議員となり同議長も務めた。1977年(昭和52年)に秋川市長に当選。1995年(平成7年)まで5期にわたり秋川市長を務める。 1996年、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で東京都第25区から出馬したが、自由民主党元職の石川要三元防衛庁長官に敗れ、落選した。
倉持 隆夫(くらもち たかお 1941年1月2日 - )は、… 倉持 隆夫(くらもち たかお 1941年1月2日 - )は、日本テレビ放送網の元アナウンサー。 東京都三鷹市出身。東京都立豊多摩高等学校、早稲田大学法学部卒業。早大在籍時には笹沢左保の書生を務めている。1964年4月、アナウンサーとして日本テレビに入社。徳光和夫の薦めで『全日本プロレス中継』の実況アナウンサーの一員となる。特に1976年頃からは清水一郎、徳光の後を受けたメインアナウンサーとなる。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、ミル・マスカラス、ザ・ファンクスらの数々の名勝負を18年間にわたり実況。独特の「倉持節」でプロレスファンを熱狂させ、1990年の実況最後の日には試合会場でウェーブが沸き起こるほどの支持を得た。
星野 桂一(ほしの けいいち、1941年1月2日 - )は、… 星野 桂一(ほしの けいいち、1941年1月2日 - )は、東京都出身のプロゴルファー。 東海電波高等学校出身。 22歳からゴルフを始め、1970年にプロ入りする。 1978年の広島オープンでは初日を山本善隆・前田新作と共に5アンダー67の4位タイでスタートし、2日目には前田と共に吉川一雄・新井規矩雄・入江勉と並んでの9位タイ、3日目には井上幸一と並んでの7位タイに着けた。 1981年の日本国土計画サマーズでは3日目に藤木三郎と共に69をマークし、最終日には4日間首位で逃げ切った倉本昌弘から5打差の2位タイに入った。 1987年の関東プロを最後にレギュラーツアーから引退し、シニア転向後の1992年にはJAS CUPシニアで小川貞雄・郭吉雄(中華民国)と並んでの10位タイに入った。
植村 榮(うえむら さかえ、1941年1月2日 - )は日本… 植村 榮(うえむら さかえ、1941年1月2日 - )は日本の化学者。京都大学名誉教授。専門は、有機化学・合成化学。大阪府出身。 京都大学工学部において、有機ヘテロ元素化合物を使っての不斉合成、金属交換モンモリロナイト触媒を使っての有機合成、遷移金属触媒を使ってのアルコール酸化などについて研究する。雑誌「化学と工業」2005年度の編集委員長を務めた。 1978年には、関西の化学者からなる会の結成に携わり、産学の連携に尽力した。 所属する日本化学会では、化学への深い造詣を活かし、2005年から創設された化学遺産認定事業に発足から携わり、シンポジウムの司会なども務める。 2004年の京都大学退官後は、科学英語の普及にも尽力している。
秋山 和慶(あきやま かずよし、1941年1月2日 - )は… 秋山 和慶(あきやま かずよし、1941年1月2日 - )は、日本の指揮者。東京交響楽団桂冠指揮者、バンクーバー交響楽団桂冠指揮者、広島交響楽団終身名誉指揮者。日本指揮者協会会長(第5代)。
百瀬 明治(ももせ めいじ、1941年1月2日 - 2016… 百瀬 明治(ももせ めいじ、1941年1月2日 - 2016年10月26日)は、日本の著作家。 長野県松本市生まれ。京都大学文学部国史学科卒。25歳で青春小説でデビュー。平凡社で『季刊歴史と文学』の編集長を務め、38歳から歴史作家として、会田雄次、邦光史郎との共著などを含めて活動を始める。仏教史、宗教史への関心が深い。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。