塩浜 勝博(しおはま かつひろ、1940年7月2日 -)は、… 塩浜 勝博(しおはま かつひろ、1940年7月2日 -)は、日本の数学者。専門は微分幾何学。九州大学名誉教授、80歳を超えてなお福岡工業大学付置研究所研究員として数学の研究を継続している。 1940年 東京都出身、理学博士(指導教員は、大槻富之助)。1964年 東京工業大学卒、1966年 東京工業大学大学院修士課程修了、1967年 筑波大学助手、同 助教授、同 教授を経て、1984年 九州大学教授。この間にカリフォルニア大学ロサンゼルス校や現マックスプランク数学研究所の前身となるボン大学特別研究領域40等に客員教授、研究員として滞在している。1998年 佐賀大学教授、2006年 退官後も福岡大学、福岡工業大学で非常勤講師、研究員を続けている。
山本 圭(やまもと けい、1940年〈昭和15年〉7月1日 … 山本 圭(やまもと けい、1940年〈昭和15年〉7月1日 - 2022年〈令和4年〉3月31日)は、日本の俳優、声優。身長167 cm、血液型はO型。有限会社活動屋所属。趣味は渓流釣り。 妻は囲碁棋士の小川誠子。長女もいる。父は山本勝巳、父方の叔父は山本薩夫。兄は山本學、弟は山本亘。 大阪府大阪市生まれ。成蹊大学政治経済学部を中退。大学中退後、1960年に俳優座養成所第12期生となり、1963年に正式に入団(1980年に退団)。 1962年、叔父・薩夫監督の『乳房を抱く娘たち』でスクリーンデビュー。 1966年、テレビドラマ『若者たち』で三男・佐藤三郎役を演じて人気を獲得(1968年からの映画化三部作にも同役で出演)。
福の花 孝一(ふくのはな こういち、1940年7月1日 - … 福の花 孝一(ふくのはな こういち、1940年7月1日 - 2021年)は、熊本県菊池郡合志町(現役当時、現在の同県合志市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は松井 孝一(まつい こういち)(入門時の姓は福島(ふくしま))。得意手は右四つ、突っ張り、寄り。身長183cm、体重135kg。岳父は元小結・和歌嶌。最高位は東関脇(1971年1月場所)。 農家の生まれで、親類に出羽海部屋の幕内力士、八方山がいた関係で出羽海部屋に入門、1958年1月に初土俵を踏んだ。入門から6年後の1964年7月に新十両、1965年9月に新入幕を果たした。 同部屋の先輩である横綱・佐田の山譲りの突っ張りが得意で、その強さは1970年1月場所で当時大関の北の富士を張り手一発で倒し脳震盪を起こさせるほどだった。
愛田 武(あいだ たけし、本名:榎本 武(えのもと たけし)… 愛田 武(あいだ たけし、本名:榎本 武(えのもと たけし)、1940年7月1日 - 2018年10月25日)は、日本の実業家。愛田観光株式会社元代表取締役社長。歌舞伎町ホストクラブ協力会初代会長。 源氏名は大ファンであった歌手の愛田健二に因む。 この項目は、性風俗関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:性/PJ:性)。
清水 正教(しみず まさのり、1940年7月 - )は、日本… 清水 正教(しみず まさのり、1940年7月 - )は、日本の画家(油画)。皇學館大学名誉教授。
鈴木 陽子(すずき ようこ、1940年7月 - )は、日本の… 鈴木 陽子(すずき ようこ、1940年7月 - )は、日本の医師、元麻薬取締官。徳島県出身。 徳島大学薬学部卒業後、厚生省入省、麻薬取締官に任官。1974年に医大受験の為の勉強を始め、36歳の時に大阪市立大学医学部に入学。6年後、医師国家試験に合格し医師免許取得。大阪市内の総合病院に勤務。 1990年5月に北海道幌泉郡えりも町の診療所に単身赴任する。2001年に国民健康保険診療所所長を退任。その後は神陽台クリニック(洲本市五色町)に勤務。
田代 菊雄(たしろ きくお、1940年6月30日 - 202… 田代 菊雄(たしろ きくお、1940年6月30日 - 2021年5月12日)は、日本の法学者。専攻は西洋法制史(教会法、カノン法)、社会福祉法制。ノートルダム清心女子大学名誉教授。日本キムイルソン研究会会長。
朝間 義隆(あさま よしたか、1940年6月29日 - )は… 朝間 義隆(あさま よしたか、1940年6月29日 - )は、日本の脚本家、映画監督。宮城県仙台市出身、神奈川県鎌倉市在住。山田洋次監督との共作で知られる。 1965年、上智大学文学部英文学科を卒業。 松竹大船撮影所演出助手室に入社。山田洋次に師事し、『男はつらいよ』シリーズや『遙かなる山の呼び声』、『同胞』など山田監督作品の脚本を共同で手がける。『幸福の黄色いハンカチ』では第1回日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第51回キネマ旬報賞脚本賞受賞。 1979年、街で働く若者たちが第九交響曲を一緒に歌うまでのドラマを描いた『俺たちの交響楽』により監督デビュー。1980年に松竹を退社し、以後契約監督。1996年、フリーに。
下田 京子(しもだ きょうこ、1940年6月29日 - 20… 下田 京子(しもだ きょうこ、1940年6月29日 - 2013年8月27日)は日本共産党の元・参議院議員である。2期、務めた。 福島県東白川郡塙町出身。福島大学 学芸学部 (美術科)を卒業後、中学校教員や石川町議を経て、1977年施行の第11回参議院議員通常選挙にて全国区から日本共産党公認で出馬し15位で初当選。1983年の参院選に比例区から立候補し再選。 その後、衆議院の予定候補者として活動することとなり、1989年の参議院選挙には出馬せず、1990年の総選挙で福島県第2区から出馬し、32,589票獲得するも次々点で落選。 党内では、文教部副部長や農政対策委員長などを歴任した。 2013年8月27日に心不全のため死去。
松前山 武士(まつまえやま たけし、1940年6月29日 -… 松前山 武士(まつまえやま たけし、1940年6月29日 -)は、北海道松前郡松前町出身で出羽海部屋(のち九重部屋)に所属した元大相撲力士。本名は渡辺 貞夫(わたなべ さだお)。最高位は東前頭9枚目(1965年5月場所)。現役当時の体格は173cm、94kg。得意手は左四つ、ハズ押し、寄り、投げ。 中学校卒業後は漁業に従事していたが、帰省した時に村相撲で活躍し、千代の山(横綱。引退後、年寄・九重を襲名)の入門を世話した地元の中学校校長・若狭龍太郎から角界入りを勧められた。その後上京し、1957年11月に出羽海部屋へ入門。入門後すぐ、彼が漁師時代に乗っていた漁船・久栄丸が転覆する海難事故があって乗組員全員が死亡しており、力士になったため命拾いしたともいえる。
海乃山 勇(かいのやま いさむ、1940年6月28日 - 1… 海乃山 勇(かいのやま いさむ、1940年6月28日 - 1997年7月5日)は、茨城県龍ケ崎市出身で小野川部屋(のち出羽海部屋)に所属した大相撲力士。本名は入井 勇(いりい いさむ)。最高位は東関脇(1968年1月場所)。現役時代の体格は172cm、120kg。得意手は左四つ、寄り、蹴手繰り、蹴返し、突き落とし。 中学校卒業後に角界入りし、1956年5月場所、小野川部屋から初土俵を踏んだ。最初は本名でもある「入井」の名で番付に付いたが、当時日本で人気が高かった元力士のプロレスラー・力道山にあやかろうとして、「海力山(かいりきざん)」という四股名を考え、日本相撲協会に改名届を出した。ところが、実際に発表された1957年1月場所の番付表には、なぜか「海乃山」と記されていた。
臼井 久和(うすい ひさかず、1940年6月27日 - )は… 臼井 久和(うすい ひさかず、1940年6月27日 - )は、日本の日本の政治学者。国際政治学・平和学を専攻。獨協大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授。 神奈川県平塚市生まれ。学習院大学政経学部卒業。旧・東京都立大学大学院社会科学研究科修士課程修了、一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。獨協大学法学部専任講師・助教授・教授、フェリス女学院大学文学部教授、同大学国際交流学部教授、中央大学法学部教授を務める。
ジェリー藤尾( - ふじお、本名:藤尾 薫紀(ふじお しげき… ジェリー藤尾( - ふじお、本名:藤尾 薫紀(ふじお しげき)、1940年6月26日 - 2021年8月14日)は、日本の歌手、俳優、タレント。 オフィスキコ所属。代表曲は『遠くへ行きたい』(作詞:永六輔、作曲:中村八大)。専修大学附属京王高等学校(現・専修大学附属高等学校)中退。娘は元女優の藤尾美紀、藤尾亜紀。元妻は歌手、タレントの渡辺友子。身長172cm。 1940年に、高知県出身で松竹で俳優になったのちに日本放送協会国際部勤務で英語アナウンサーをしていた父・藤尾薫宏とイギリス国籍の母・オリビア・ヒース・ゴンザレスのもと、当時の中華民国上海の日本租界で生まれる。当地で第二次世界大戦の終戦を迎え1946年に家族で日本へ引き揚げるものの、上海では家族のみならず外国人居留地においても英会話のみで生活していたため、帰国後の藤尾と母は言葉の壁や外見から差別を受ける。
扇田 昭彦(せんだ あきひこ、1940年6月26日 - 20… 扇田 昭彦(せんだ あきひこ、1940年6月26日 - 2015年5月22日)は、演劇評論家、元朝日新聞記者。 東京生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒業。1964年に朝日新聞に入社。1968年より学芸部に配属され、長く演劇記者として活動した。1960年代以降の小劇場運動を高く評価し、積極的に紹介し続けた。1989年に『現代演劇の航海』で芸術選奨新人賞受賞。1997年以降、NHK衛星第二放送の深夜番組「80年代演劇大全集」「20世紀演劇カーテンコール」「新世紀演劇パレード」で長く司会を務めた。2003 - 2006年までAICT国際演劇評論家協会日本センター会長。静岡文化芸術大学文化政策学部特任教授。
磯 良史(いそ よしふみ、1940年(昭和15年)6月26日… 磯 良史(いそ よしふみ、1940年(昭和15年)6月26日 - )は、日本の政治家。実業家。元茨城県笠間市長((3期)。 東京農業大学農学部卒業。 会社社長、茨城県醸造組合理事、小中学校PTA会長、笠間市教育委員を経て、1994年(平成6年)笠間市長に当選した。 笠間市長を2006年まで3期務め、合併後の笠間市長選挙に立候補しなかった。
宮地 正介(みやち しょうすけ、1940年6月26日 - 2… 宮地 正介(みやち しょうすけ、1940年6月26日 - 2025年3月8日)は、日本の政治家。衆議院議員7期。佐賀県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。 若くして創価学会に入信。程なく政治活動に入り、公明党所属参議院議員秘書、公明党埼玉県政策局次長、西部開発特別委員長などを経て、1972年の衆院選に出馬するも落選。1976年の第34回衆議院議員総選挙に旧埼玉2区から立候補。山口敏夫、小宮山重四郎ら新自由クラブ、自由民主党の大物がそろう選挙区で厳しい戦いを迫られたが、現職の日本社会党の清水徳松を振り切って3位に滑り込み、初当選。1980年、第36回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。1983年、第37回衆議院議員総選挙で衆議院議員に返り咲いた。
日根 紘三(ひね こうぞう、1940年6月25日 - )は、… 日根 紘三(ひね こうぞう、1940年6月25日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 息子は、ヴィジュアル系ロックバンドSHAZNAのボーカリスト・IZAM。 引退後は東京都で印刷所を経営している。
石原 全(いしはら あきら、1940年6月25日 - )は、… 石原 全(いしはら あきら、1940年6月25日 - )は、日本の法学者。専門は商法。学位は、博士(法学)(一橋大学・論文博士・1995年)。一橋大学名誉教授。 1940年6月25日神奈川県平塚市に生まれる。 1959年神奈川県立平塚江南高等学校卒業。1965年一橋大学卒業。1968年一橋大学大学院法学研究科修士課程を修了。1971年一橋大学大学院法学研究科博士課程単位修得。 同年小樽商科大学短期大学部専任講師、1972年同助教授。1981年小樽商科大学商学部助教授、1982年同教授。 1984年一橋大学法学部教授就任。1987年一橋大学法学部評議員。1988年日本私法学会理事。1991年から1992年までイギリス、ドイツにて在外研究。
熊谷 弘(くまがい ひろし、1940年6月25日 - )は、… 熊谷 弘(くまがい ひろし、1940年6月25日 - )は、日本の政治家、通産官僚。 参議院議員(1期)、衆議院議員(6期)、通商産業大臣(第55代)、内閣官房長官(第57代)、保守新党代表(初代)を歴任した。 静岡県磐田郡水窪町(現・浜松市天竜区)出身。長野県飯田高等学校を経て、1964年に一橋大学社会学部を卒業し、通商産業省に入省。同期に渡辺修、細川恒、中田哲雄、藤原武平太、川田洋輝(資源エネルギー庁長官、電源開発副社長)、久禮彦治(駐連合王国公使、日本産業デザイン振興会理事長)、横田捷宏らがいる。 1966年企業局産業資金課、1972年繊維雑貨局繊維製品課長補佐、機械情報産業局情報処理振興課補佐、1974年10月大臣官房秘書課補佐、1974年11月ハーバード大学留学、1975年5月中小企業庁官房施策普及室長などを経て、1977年、第11回参議院議員通常選挙に自由民主党から立候補し当選する。
継谷 昌三(つぎたに しょうぞう、1940年6月25日 - … 継谷 昌三(つぎたに しょうぞう、1940年6月25日 - 1978年6月2日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。ポジションはMF。 神戸市出身で実家は材木商を営んでいて、裕福であったとされる。関西学院中学部サッカー部では3年次の1955年に主将を務めた。関学高等部でもサッカー部に所属して関学高等部の黄金時代の中心的な役割を担った。 1959年に関西学院大学に入学しサッカー部に所属し、この年に開催されたAFCユース選手権1959の日本代表に選出された。また、大学3年次の1961年8月15日にはインドネシア代表戦で日本代表として初出場した。大学4年次は主将を務めた他、1962年のアジア大会の代表に選出され出場も果たした。
加賀美 幸子(かがみ さちこ、旧姓・山田。1940年〈昭和1… 加賀美 幸子(かがみ さちこ、旧姓・山田。1940年〈昭和15年〉6月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー、千葉市女性センター名誉館長、松下幸之助記念志財団評議員。 元NHKエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)でNHKを代表するアナウンサーの一人であった。 夫はNHKディレクターを経て中央大学教授を務めた加賀美鉄雄。 1940年(昭和15年)、群馬県北群馬郡渋川町(現・渋川市)で生まれる。母方の伯父は渋川市長を務めた石北正司。渋川北小学校入学後、東京の小学校へ転校。東京都立駒場高等学校を経て、1963年(昭和38年)に立教大学文学部英米文学科を卒業し、NHK入局。以来定年まで一貫して東京アナウンス室勤務だった。
野崎 靖博(のざき やすひろ、1940年6月24日 - )は… 野崎 靖博(のざき やすひろ、1940年6月24日 - )は、日本のスポーツライター(スポーツジャーナリスト)。元日刊スポーツ編集委員。石川県生まれ。 テレビ番組への出演も多く、眉毛がとてつもなく太くて濃いため「まゆげのノーさん」、「眉毛の野崎さん」の愛称で親しまれた。 1960年、東京都立桜町高等学校から中央大学法学部法律学科に入学。1964年に同大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。校閲部を経て、1968年には野球部に配属。その後コミッショナー事務局、遊軍記者を経て、1980年12月に野球部次長に就任。 1986年4月よりテレビ朝日『ニュースステーション』に出演。木曜日のプロ野球コーナーを担当するなどメディアにも登場し、テレビゲーム「プロ野球チームをつくろう!」にも「まゆげのノーさん」として登場した。
倉島 今朝徳(くらしま けさのり、1940年6月24日 - … 倉島 今朝徳(くらしま けさのり、1940年6月24日 - 2013年7月3日)は、長野県出身のプロ野球選手(捕手・内野手)。 長中3年生の時に野球を始め、上田松尾高では1年生の時、神津進投手とバッテリーを組み、1957年夏の甲子園に捕手、六番打者として出場。前年度優勝校の平安高を降し準々決勝に進出するが、この大会に優勝した広島商の山中英明(法大)に完封負けを喫した。同年秋の静岡国体は1回戦で 早実高を降すが、準々決勝で法政二高の延藤謙吉(三重交通)らに抑えられ完封負け。翌1958年春季北信越大会に進むが、準決勝で小松実に敗退。1959年夏は県予選準々決勝で小諸商に敗れる。 卒業後は明治大学へ進学。
荒井 幸昭(あらい ゆきあき、1940年(昭和15年)6月2… 荒井 幸昭(あらい ゆきあき、1940年(昭和15年)6月23日 - 2019年(令和元年)6月14日)は、昭和から平成時代の政治家。山形県南陽市長。旭日小綬章。 中央大学法学部卒業。1976年(昭和51年)4月から17年3か月にわたり南陽市議会議員を務め、1994年(平成6年)4月からは同議長を務めた。1998年(平成10年)7月、南陽市長に当選し2期務めた。 市長在任中は、第4次南陽市総合計画の策定、公立置賜総合病院の開設、えくぼプラザ、赤湯小学校、交流プラザ「蔵楽」の建設、斎場整備などに尽くした。2011年春の叙勲で旭日小綬章を受章。
小林 達彦(こばやし たつひこ、1940年6月23日 - )… 小林 達彦(こばやし たつひこ、1940年6月23日 - )は、日本のアナウンサー。株式会社オフィス・コバヤシ代表取締役社長。神奈川県出身。サッカーネームは「ペレコバ」。 1963年に早稲田大学教育学部を卒業後、RKB毎日放送へ入社。1969年にニッポン放送(LF)へ移籍。野球やサッカーを中心に各種スポーツ中継の実況アナウンサーとして活躍した。 2000年の定年退社後は引き続きLFの契約アナウンサーとして活動し、2004年よりフリーアナウンサーとなる。2007年に株式会社オフィス・コバヤシを設立。 サンケイスポーツに記事を出稿することもある。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
鈴木 正孝(すずき まさたか、1940年(昭和15年)6月2… 鈴木 正孝(すずき まさたか、1940年(昭和15年)6月22日 - )は、日本の官僚、政治家。元防衛医科大学校副校長。元参議院議員。静岡県出身。
栗原 アヤ子(くりはら アヤこ、1940年6月22日 - 2… 栗原 アヤ子(くりはら アヤこ、1940年6月22日 - 2026年3月21日)は、日本のフリーアナウンサー、タレント、女優。エス・オー・プロモーションの取締役。東京都中野区出身。 夫はフリーアナウンサー、元日本教育テレビ(NET、現在のテレビ朝日)アナウンサーでエス・オー・プロモーション創業者・会長の押阪忍。長男はエス・オー・プロモーション代表取締役社長でDJの押阪雅彦(DJ OSSHY)。次男は、エス・オー・プロモーション監査役の押阪智彦。 1959年にタレントとしてデビューした。 1963年に押阪忍と結婚した。1971年、押阪忍と株式会社エス・オー・プロモーションを設立。1994年、押阪忍と「押阪忍のトークアカデミー」を開校し、副塾長となる。
重松 森雄(しげまつ もりお、1940年6月21日 - )は… 重松 森雄(しげまつ もりお、1940年6月21日 - )は、日本のマラソン選手。福岡県福岡市早良区(旧・早良郡早良町)出身。1965年に世界最高記録を樹立した。 福岡県立福岡工業高等学校を卒業して、1959年九電工に入社する。 1960年に熊日30キロロードレースで当時の日本記録で優勝。 九州一周駅伝などのレースに出場するが、1961年に病気に襲われ、療養を余儀なくされる。このとき、将来をことを考えて大学を出ておくべきだと決意し、九電工を退社。1962年に福岡大学に入学するという異色の経歴の持ち主である。 1964年1月2・3日、第40回箱根駅伝に立命館大学と共に福岡大学が招待され、エース区間の2区を走った。
井狩 彌介(いかり やすけ、1940年〈昭和15年〉6月21… 井狩 彌介(いかり やすけ、1940年〈昭和15年〉6月21日 - )は、日本のインド哲学者、仏教学者。京都大学名誉教授。
花光 節夫(はなひかり せつお、1940年6月21日 - 没… 花光 節夫(はなひかり せつお、1940年6月21日 - 没年不明)は、岩手県岩手郡松尾村(現在の同県八幡平市)出身で、花籠部屋に所属した大相撲力士。本名は遠藤 節夫(えんどう せつお)。身長178cm、体重130kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は東前頭3枚目(1968年1月場所)。 父、兄とも松尾鉱山の採鉱夫で、松尾鉱山中学校、松尾鉱山高校(定時制)時代は相撲部に所属して岩手県大会などに出場するなど活躍した。 高校時代に岩手県大会定時制の部で優勝したことにより大相撲にスカウトされ、高校を3年生で中退して花籠部屋に入門し、1958年(昭和33年)5月場所で初土俵を踏んだ。 1962年(昭和37年)9月場所で新十両に昇進し、その後19場所を要したが1965年(昭和40年)9月場所にて12勝3敗という好成績を収めて十両優勝を果たし、翌11月場所で新入幕を決めた。
池田 浩士(いけだ ひろし、1940年6月20日 - )は、… 池田 浩士(いけだ ひろし、1940年6月20日 - )は、日本のドイツ文学者、評論家、京都大学名誉教授。 専門分野はドイツ文学、現代文明論、ファシズム文化研究。 1940年、滋賀県大津市で生まれた。慶應義塾高校から、慶應義塾大学文学部独文科に進んだ。後に作家となる車谷長吉とは大学時代の友人であった。1963年に卒業し、同大学大学院に進学。1968年、博士課程を満期退学した。 1968年、京都大学教養部講師に就いた。後に助教授昇格。教養部が改組後、京都大学総合人間学部教授となった。2004年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は京都精華大学教授として教鞭をとった。2013年に京都精華大学を退職。
斎藤 惇夫(さいとう あつお、1940年6月20日 - )は… 斎藤 惇夫(さいとう あつお、1940年6月20日 - )は、日本の児童文学作家、編集者。 1940年に新潟県新潟市に生まれる。小学校から高校卒業までを長岡市で過ごす。新潟大学教育学部附属長岡小学校、新潟県立長岡高等学校を卒業後、立教大学法学部法学科に進学。60年安保闘争に参加。同大卒業後、大手電機メーカーに勤務した。 その後、福音館書店編集部に勤務。長年にわたり児童書籍の編集に携わる。同社編集担当取締役となった。 1970年の処女作『グリックの冒険』で、翌年に日本児童文学者協会新人賞を受賞。 1972年の『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』で、国際児童年特別アンデルセン賞優良作品に選出。 1983年には、『ガンバとカワウソの冒険』で野間児童文芸賞を受賞した。
安藤 宏三(あんどう こうぞう、1940年6月20日 - 2… 安藤 宏三(あんどう こうぞう、1940年6月20日 - 2003年10月8日)は、日本の剣道家。段位は教士八段。早稲田大学卒業。岐阜県大垣市生まれ。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
寺田 典城(てらた すけしろ、1940年(昭和15年)6月1… 寺田 典城(てらた すけしろ、1940年(昭和15年)6月19日 ‐ )は、日本の政治家。旧姓は小原。 参議院議員(1期)、秋田県知事(民選第14・15・16代)、秋田県横手市長(2期)、秋田経済法科大学理事長、結いの党副代表、維新の党参議院議員会長などを務めた。また、知事在任中、全国知事会副会長、北海道東北知事会会長を務めた。 秋田県仙北郡大川西根村(現、大仙市)生まれ。秋田県立横手高等学校、早稲田大学第二法学部卒業。横手市の寺田家に婿入りし、石油小売会社テラセキ及び建設会社や創和建設の社長を務める。 1991年、横手市長選挙に出馬し、新人4人が立候補した混戦を制して初当選(現職の千田謙蔵市長は不出馬)。
田中 直紀(たなか なおき、1940年〈昭和15年〉6月19… 田中 直紀(たなか なおき、1940年〈昭和15年〉6月19日 - )は、日本の政治家、実業家。越後交通代表取締役会長。 外務政務次官(宇野内閣、第1次海部内閣)、農林水産副大臣(初代)、防衛大臣(第10代)、参議院議員(3期)、衆議院議員(3期)を歴任した。旧姓は鈴木。父は、内務官僚、自由党衆議院議員であった鈴木直人。妻は越後交通グループ前会長で現相談役である田中眞紀子。 石川県金沢市生まれ。現在は新潟県在住。武蔵高等学校中学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学卒業後は日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)に入社。1969年に田中角栄元総理の長女・田中眞紀子と結婚して田中家に婿入りし、姓を田中に改める。
張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、… 張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者・野球評論家、日本プロ野球名球会会員、韓国野球委員会(KBO)コミッショナー特別補佐官。在日韓国人二世であり、本名は張 勲(読みがな:チャン・フン、ハングル:장훈)。
常松 裕志(つねまつ ひろし、1940年6月19日-)は、日… 常松 裕志(つねまつ ひろし、1940年6月19日-)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。 旧満洲国浜江省ハルビン市生まれ。1963年東京大学経済学部卒。三井鉱山勤務を経て、1976年に三多摩医療生活協同組合を設立し、理事長に就任した。旧東京7区から1983年の総選挙、1986年の総選挙に立候補したが落選。同じく旧東京7区から1990年の総選挙に立候補して三度目の挑戦で初当選。1993年の総選挙で落選した。1996年の総選挙で新設された小選挙区東京19区に社会民主党から立候補するも落選。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
小島 康臣(こじま やすおみ、1940年6月18日 - )は… 小島 康臣(こじま やすおみ、1940年6月18日 - )は、日本のアナウンサー、キャスター。 神奈川県横浜市出身。慶應義塾大学法学部卒業。 1964年4月、TBSに第9期生アナウンサーとして入社(同期には石川顯・大沢悠里・平原晋太郎・桝井論平・宇野淑子・高階玲子・二村義子・山田照子・吉野好子)。主にニュース、報道番組を担当。1964年5月ラジオ編成局実施部、1965年6月報道局ニュース部、1965年12月ニュース取材部の後、1967年11月15日アナウンサー研修室設置に伴いラジオニュース部兼アナウンサー研修室付に。1970年7月テレビ本部報道局ラジオニュース部、1972年11月テレビニュース部兼ラジオ局ラジオニュース部、1984年4月政経部、1987年7月編集部に在籍したのち、1990年6月、東京放送健康保険組合へ現職出向。
高木 喬(たかぎ たかし、1940年6月17日 - 2012… 高木 喬(たかぎ たかし、1940年6月17日 - 2012年11月25日)は、大阪府堺市出身のプロ野球選手(内野手)。建築家。 小学生の頃から野球に触れる。兄弟の中で唯一の男子ということもあり、家業の建築スタジオを継ぐために少しは勉強してほしいという両親の願いもあり、進学校の三国丘高校に入学。法政大学では3年春に初のベンチ入りを果たすと、在学中は東京六大学野球リーグで3度の優勝に貢献。4年次の1962年には大学選手権でも優勝している。1年下の山崎武昭・龍隆行の両左腕を擁して1962年の第1回日米大学選手権に出場し、ミシガン大学と対戦。同年秋季リーグではベストナイン(一塁手)に選出される。大学同期に外野手の堀内嗣郎がいた。
山本 雅弘(やまもと まさひろ、1940年(昭和15年)6月… 山本 雅弘(やまもと まさひろ、1940年(昭和15年)6月17日 - )は、株式会社毎日放送 (MBS) の相談役最高顧問、元社長・会長。東京放送ホールディングス取締役も務めた。 大阪府出身。大阪府立北野高等学校を経て、京都大学法学部卒業。 1964年(昭和39年)に毎日放送へ入社。第5代社長斎藤守慶が営業局の中心だった昭和40年代から50年代にかけ、部下として主に営業畑を歩んだ。1975年(昭和50年)のネットチェンジは東京支社テレビ営業部配属で迎え『ストロンガー』から『スーパー1』までの『仮面ライダー』シリーズのTBS系列移行を推進。『まんが日本昔ばなし』の立ち上げでは川内康範と組み、『世界まるごとHOWマッチ』では制作会社イーストと組んで大橋巨泉とビートたけしを結び付け大ヒット、巨泉のセミリタイアを5年延長させた。
宮城 孝太郎(みやぎ こうたろう、1940年6月17日 - … 宮城 孝太郎(みやぎ こうたろう、1940年6月17日 - )は、日本の実業家。ミヤギアソシエーツ創業者で、同社代表取締役社長。 東京都出身。慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。同年、キヤノン株式会社入社。2004年に退社し、ミヤギアソシエーツ設立、同社代表取締役社長就任。 1980年ごろからカメラ事業企画部部長に就任し、ベストセラーとなるキヤノン EOSシリーズの立ち上げ、開発を担当した。子会社であるキヤノンオーストラリア Pty.Ltd.社長を経て、1995年よりキヤノン株式会社取締役兼キヤノンシンガポール Pte.Ltd.社長兼キヤノン香港 Co.,Ltd.社長に就任。
崔 吉城(チェ・キルソン、최길성、1940年6月17日 - … 崔 吉城(チェ・キルソン、최길성、1940年6月17日 - 2022年3月22日)は、韓国系日本人の社会人類学者。学位は文学博士(筑波大学)。東亜大学教授、広島大学名誉教授。 2018年、国家基本問題研究所の主宰する「日本研究賞」を受賞。韓国京畿道楊州市出身、下関市在住。元韓国人。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小野 堅太郎(おの けんたろう、1940年6月17日 - … 小野 堅太郎(おの けんたろう、1940年6月17日 - )は、日本の経営者、銀行家。山梨中央銀行頭取を務めた。 山梨県出身。1964年に北海道大学法学部を卒業し、同年に山梨中央銀行に入行した。1995年6月に取締役に就任し、1997年6月に常務、1999年6月に専務を経て、2001年6月には頭取に就任。2007年6月に会長に就任し、2011年6月には取締役顧問に就任。 2011年11月に旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
真樹 日佐夫(まき ひさお、1940年〈昭和15年〉6月16… 真樹 日佐夫(まき ひさお、1940年〈昭和15年〉6月16日 - 2012年〈平成24年〉1月2日)は、日本の漫画原作者・小説家・空手家。本名:高森 真土(たかもり まつち)。 世界空手道連盟真樹道場宗師 キックボクシング真樹ジム会長。株式会社真樹プロダクション代表取締役、元極真会館本部道場師範代、元マス大山カラテスクール責任者。元ビッグマウス・ラウド特別顧問。NPO・アジア地域戦没者慰霊協会名誉顧問。映画・Vシネマの企画プロデュースや、格闘技のイベント興行・マッチメイクも不定期に手がけていた。 ペンネームは、高森3兄弟の本名の構成漢字を組み合わせる案を梶原が出し、これに従ったという。すなわち、梶原の「朝樹」と「真土」から1字ずつとって姓を「真樹」とし、下の名は三男の名「日佐志」を基に「志」を語呂良く「夫」に置き換えたものである。
大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、… 大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、日本のイラストレーター、デザイナー。週刊「平凡パンチ」の表紙のイラストを創刊号から担当したことで知られる。本名、石井久美子。夫は彫刻作家の石井厚生。 三重県津市出身。三重県立四日市高等学校卒業。1959年、多摩美術大学絵画科油絵専攻入学。大学3年生の時、河原淳のゼミナールに入る。 1963年、イラストレーターを目指していた大橋は、大学4年生の時に同級生の紹介でヴァンヂャケットにデザイン画を持ち込む。そのとき会ったのが石津謙介の長男で企画部長の石津祥介で、その場で「メンズクラブ」のイラストを依頼される。1964年1月、「メンクラ」3ページに初めてイラストが掲載される。
丸平 峯子(まるひら みねこ、1940年6月16日 - )は… 丸平 峯子(まるひら みねこ、1940年6月16日 - )は、愛媛県宇和島市出身の日本の女優。 愛媛県立宇和島東高等学校卒業。
堀籠 幸男(ほりごめ ゆきお、1940年6月16日 - )は… 堀籠 幸男(ほりごめ ゆきお、1940年6月16日 - )は、元最高裁判所判事(2005年5月17日 -2010年6月15日 )。
山家 悠紀夫(やんべ ゆきお、1940年6月16日 - )は… 山家 悠紀夫(やんべ ゆきお、1940年6月16日 - )は、日本の経済学者。 1964年、神戸大学経済学部卒業。第一銀行に入行。1982年、第一勧業銀行虎ノ門支店副支店長に就任。1994年、第一勧銀総合研究所専務理事に就任。2001年、神戸大学大学院経済学研究科教授( - 2003年)。 ケインズ派の経済学者であり、小泉政権の新自由主義に基づく構造改革を批判している。 女性史研究者の山家悠平は子。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
黒田 能弘(くろだ よしひろ、1940年6月15日 - )は… 黒田 能弘(くろだ よしひろ、1940年6月15日 - )は、日本の元プロ野球選手。北海道北見市生まれ。 北見北斗高卒業後の1959年に読売ジャイアンツ入団。2年目の1960年に初登板を果たすが、公式戦出場はその1試合に留まり、1961年オフに自由契約となる。1962年は同じく巨人を自由契約となった義原武敏とともに近鉄でに移籍するが、出場機会はなく、同年引退。 引退後はプロゴルファーに転向。1986年の北海道オープンに出場している。後に定山渓カントリークラブ(現:札幌南ゴルフクラブ駒丘コース)に勤務した。
伊賀 健一(いが けんいち、1940年6月15日 - )は、… 伊賀 健一(いが けんいち、1940年6月15日 - )は、日本の工学者。工学博士。広島県呉市出身。東京科学大学栄誉教授・旧名東京工業大学18代学長。文化功労者 1940年、広島県呉市出身。広島大学附属高等学校を経て、東京工業大学理工学部電気工学課程卒業。大学4年次に末松安晴研究室で光・量子エレクトロニクスの研究に入門。東京工業大学教授、電子情報通信学会会長、日本学術振興会理事を歴任。 2007年より2012年まで東京工業大学学長。高速データ通信の信号源等に応用されている面発光レーザー(VCSEL)生みの親。高速光ファイバー通信網などインターネットやデータセンターの光配線への基礎技術、コンピューターマウス、レーザープリンターのレーザー光源などに展開される光エレクトロニクスの基礎を築いた。