浜野 安宏(はまの やすひろ、 1941年7月22日 - )… 浜野 安宏(はまの やすひろ、 1941年7月22日 - )は、京都府京都市出身の日本のライフスタイルプロデューサー。 高校時代は美術を志し上京したが、すぐに美術より映画に興味を持ち、日本大学芸術学部映画演出科に進学。同時期にセツ・モードセミナーにも入学。 ファッション、新業態開発、建築プロデュース、等の幅広い分野で活躍しているが、釣り師(フライ・フィッシャーマン)としてもその名は知れ渡っている。川釣りを愛好している為、自然保護にも積極的に力をいれている。 70歳を迎え、映画監督の道へ! ※2019年9月29日 アメリカ.ハリウッドの映画祭 ファミリーフイルム大賞 最優秀監督賞を受賞。 23rd Family Film Awards Winner2019 Best Director
川谷 拓三(かわたに たくぞう、1941年〈昭和16年〉7月… 川谷 拓三(かわたに たくぞう、1941年〈昭和16年〉7月21日 - 1995年〈平成7年〉12月22日)は、日本の俳優。本名は仁科 拓三(にしな たくぞう・旧姓:川谷)。愛称は拓ボン。身長163cm。 大部屋俳優から上り詰め、昭和を中心に活躍した名優の一人。"3000回殺された男""不世出の役者バカ"とも評された。 仁科貴は長男、仁科扶紀は長女、仁科熊彦は岳父、岡島艶子は丈母にあたる。大叔父(実母の叔父)に伊沢一郎がいる。 父・川谷庄平は1915年に17歳で日活京都にカメラ助手として入社、牧野省三作品や尾上松之助の映画を撮り、1927年に日活を退社するまでに、主に築山光吉とコンビで237本の映画を撮影したカメラマンで1975年没。
浅井 和子(あさい かずこ、1941年7月20日 - )は、… 浅井 和子(あさい かずこ、1941年7月20日 - )は、日本の弁護士、外交官。民間人初の駐ガーナ兼シエラレオネ兼リベリア特命全権大使や、アフリカ協会顧問、土佐高校理事等を務めた。 東京都に生まれ、高知県で育つ。旧姓中谷。中谷貞頼元衆議院議員は父。中谷元元防衛大臣は甥。土佐高等学校を経て、1964年国際基督教大学卒業した翌年に結婚、3人の子供と授かり、家庭と両立しつつ、並行して弁護士の資格を取り、1972年第一東京弁護士会弁護士登録。2000年ブラッドフォード大学平和研究大学院修了、修士。司法研修所の同期からの要請で、2002年から民間人としては初となる駐ガーナ兼シエラレオネ兼リベリア特命全権大使を務めた。
下元 克己(しももと かつみ(1941年7月20日 - )は… 下元 克己(しももと かつみ(1941年7月20日 - )は、日本の漫画家。山口県宇部市出身。下元克巳とも表記。劇画の寵児として多くの漫画家に影響を与えるが、寡作であり商業漫画家としての活動期間が短かった為、一般的な知名度は低い。しかし現在も精力的に漫画関係者と交流し、業界内での知名度は高い。 1965年、大阪のめばえ書房で短編を描いてデビュー。その後名古屋のセントラル出版や、上京し桜井昌一の誘いで東考社などの貸本漫画で複数の漫画作品を発表する。当時主流であった手塚治虫系列の漫画(トキワ荘)に対抗し国分寺に劇画家が集まり、さいとう・たかを、佐藤まさあき、辰巳ヨシヒロ、みやわき心太郎らと交友。一時漫画業から離れ新宿で清掃のアルバイトに従事。
日出 英輔(ひので えいすけ、1941年(昭和16年)7月1… 日出 英輔(ひので えいすけ、1941年(昭和16年)7月19日 - 2012年(平成24年)1月15日)は、日本の政治家。正四位。参議院議員(1期)。宮城県生まれ。 気仙沼市出身。宮城県気仙沼高等学校、東北大学法学部卒。1964年 農林省に入省。1994年 農林水産省農蚕園芸局長に就任。農林漁業金融公庫理事を経て、1998年 参議院議員に立候補し、当選。2002年 外務大臣政務官に就任。しかし2004年の参議院議員選挙で落選。2012年1月15日に胆嚢がんのため死去。
江村 超(えむら たかし、1941年(昭和16年)7月19日… 江村 超(えむら たかし、1941年(昭和16年)7月19日 - )は、機械工学・メカトロニクスを専門とする日本の研究者、教育者。東北大学名誉教授。吸振フライホイール、二相PLLによるサーボモータ制御、非円形歯車を加工できるNCホブ盤の開発、三半規管にヒントを得た角速度センサ、倒立振子や動的二足歩行ロボットの制御などで実績を残した。工学博士(東北大学、1969年)。2021年瑞宝中綬章受章者。 江村は1964年に東北大学工学部精密工学科を卒業。1966年には同大学大学院精密工学専攻修士課程を修了し、博士課程に進学する。この間、熱力学や流体力学を専門とし、沈降塔による液体噴霧の粒度分布測定法の研究によって1969年に工学博士の学位を取得する。
三代目 三遊亭 歌奴(1941年7月18日 - 2004年4… 三代目 三遊亭 歌奴(1941年7月18日 - 2004年4月6日)は、落語家。本名∶平田 昭宏。出囃子∶『梅の栄』。 東京都立一橋高等学校卒業。 1959年5月、二代目三遊亭歌奴に入門。前座名は「どん栗」。 1963年5月に柳家小きんと共に二ツ目昇進、「歌雀」に改名。 1973年9月に林家木久蔵、三遊亭好生、桂文平、四代目三遊亭歌笑、三遊亭生之助、橘家三蔵、柳家小きん、柳家さん弥、金原亭桂太と共に真打昇進。1975年5月に大師匠・師匠が名乗った名跡である三遊亭歌奴を三代目として襲名。 2004年4月6日、肝臓がんのため死去。62歳没。
得本 輝人(とくもと てるひと、1941年7月18日 - 2… 得本 輝人(とくもと てるひと、1941年7月18日 - 2009年4月5日)は、昭和から平成時代の労働運動家。 鹿児島県大島郡喜界町(喜界島)出身。1965年に京都大学経済学部を卒業し、同年トヨタ自動車工業(1982年トヨタ自動車)に入社。1969年トヨタ労組執行委員。1976年自動車総連事務局長。1985年全民労協副議長。1986年全トヨタ労連中央執行委員長、1986年9月自動車総連会長(1998年まで)、金属労協副議長。1987年民間連合初代副会長。1989年連合初代副会長。1990年金属労協議長(2000年まで)。 財団法人中部産業・労働政策研究会(中部産政研)初代副理事長、同理事、政治改革推進協議会(民間政治臨調)会長代理、全国労働組合生産性会議(全労生)副議長、同議長、財団法人国際労働財団(JILAF)理事長(2000年から2004年)、国家公務員倫理審査会委員(2002年から2007年)も務めた。
髙木 守道(たかぎ もりみち、1941年7月17日 - )は… 髙木 守道(たかぎ もりみち、1941年7月17日 - )は、プロ野球選手・プロ野球監督、野球解説者。愛知県名古屋市生まれ、岐阜県岐阜市育ち。
酒井 忠康(さかい ただやす、1941年7月16日 - )は… 酒井 忠康(さかい ただやす、1941年7月16日 - )は、日本の美術評論家、世田谷美術館館長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。 1941年、北海道余市郡余市町生まれ。北海道余市高等学校を経て、慶應義塾大学に入学。1964年、慶應義塾大学文学部美学美術史科を卒業。 大学卒業と同時期に神奈川県立近代美術館学芸員になる。土方定一に師事し、学芸課長、副館長を経て、1992年より館長。2004年から2024年3月まで世田谷美術館館長。2003年の『海にかえる魚』では、小説に挑んだ。2006年から2021年まで美術館連絡協議会理事長。 近代美術の研究、現代美術の評論活動を行う。ベネチア・ビエンナーレ日本館コミッショナーを務めた。
神山 征二郎(こうやま せいじろう、1941年〈昭和16年〉… 神山 征二郎(こうやま せいじろう、1941年〈昭和16年〉7月16日 - )は、日本の映画監督、脚本家。岐阜県岐阜市中西郷出身。2022年5月より東京都内から長野県上田市に移住(2024年9月時点)。 農家に生まれる。岐阜県立岐阜北高等学校に在学中は画家を志していた。日本大学芸術学部映画学科に在学中は演劇に傾倒していたが、1964年(昭和39年)、4年生の時に重症の右湿性肋膜炎を患い大学を中退し帰郷する。病気の回復後に再び上京し、映画芸術誌編集部のアルバイトを経て、1965年(昭和40年)、新藤兼人監督が主宰する近代映画協会に参加する。なお、大学時代の同窓生にアニメーション監督の富野由悠季がいる。
林 勝(はやし まさる、1941年7月16日 ‐ 2025年… 林 勝(はやし まさる、1941年7月16日 ‐ 2025年9月14日)は、日本の高校野球指導者。滋賀県出身。現役時代は捕手、外野手。 滋賀県立伊香高等学校では春季近畿大会でベスト4まで進出した経験はあるが、甲子園大会とは無縁だった。中京大学に進学したが1年で退学し、日本大学に再入学した。日大野球部では外野手として1試合しか出場できなかった。 1965年に卒業して帰郷、創立4年目の滋賀県立能登川高等学校に保健体育教師として赴任。翌年から野球部監督に就任し、1975年の第47回選抜高等学校野球大会に同校を甲子園初出場させた。 1978年に開校3年目の滋賀県立長浜高等学校に転じ、野球部監督に就任。1年目は練習試合を含めて18戦全敗に終わったが、1984年の第66回全国高等学校野球選手権大会に同校を導き、初戦の岩手県立大船渡高等学校戦で自身甲子園初勝利も記録した。
村瀬 広基(むらせ ひろもと、1941年7月16日 - )は… 村瀬 広基(むらせ ひろもと、1941年7月16日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。
三木 善彦(みき よしひこ、1941年7月16日 - 201… 三木 善彦(みき よしひこ、1941年7月16日 - 2018年6月24日)は、日本の臨床心理学者。臨床心理士。文学修士。大阪大学名誉教授。専門は、臨床心理学・内観療法・犯罪被害者の心理学。京都府生まれ。 手品。また、その口上が絶妙。また、詩吟の心得があり、万葉集の歌にメロディーをつけて披露する。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
長谷川 勝彦(はせがわ・かつひこ、1941年7月15日 - … 長谷川 勝彦(はせがわ・かつひこ、1941年7月15日 - )は、フリーのナレーターで、元NHKエグゼクティブアナウンサー、のちアナウンス室専門委員。 都立小石川高等学校を経て、早稲田大学卒業。1966年入局。現役時代は徳島、長崎、京都、山口、鳥取、東京アナウンス室などで勤務。主にラジオ第1を中心にニュースやナレーションで活躍し、朗読の第一人者と言われた。NHKを定年退職後も番組のナレーションを行っているほか、各地の講演会や朗読教室などで活躍している。2009年、ドキュメンタリーのナレーションで放送文化基金賞受賞。
黒川 洸(くろかわ たけし、1941年7月15日 - 202… 黒川 洸(くろかわ たけし、1941年7月15日 - 2023年9月13日)は、日本の都市工学者。工学博士。東京工業大学名誉教授、筑波大学名誉教授。専攻は交通計画、都市計画など。曾祖父(祖母の父)は男爵の黒川通軌。祖父は元大邱覆審法院検事長の黒川譲。父は元司法省次官で男爵の黒川渉。兄は医学者で東京大学名誉教授の黒川清。外叔父(母の弟)は教育心理学者の続有恒。 東京都出身。成蹊中学校・高等学校を経て、1964年東京大学工学部土木工学科卒業。1970年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。同年建設省に入省。建築研究所都市施設研究室長、筑波大学社会工学系助教授、同教授、東京工業大学大学院教授、早稲田大学大学院客員教授、同理工学総合研究センター客員教授を歴任。
柳父 悟(やなぶ さとる、1941年7月15日 - )は、元… 柳父 悟(やなぶ さとる、1941年7月15日 - )は、元東京電機大学工学部電気電子工学科教授(2012年3月退任)。元東芝重電技術研究所所長。専門分野は高電圧大電流工学。IEEE Fellow、Royal Academy of Engineering FREng、Current Zero Club、日本工学アカデミー会員。現在は中国の西安交通大学教授。
小林 敏雄(こばやし としお、1941年(昭和16年)7月1… 小林 敏雄(こばやし としお、1941年(昭和16年)7月15日 - ) は、日本の機械工学者。東京大学名誉教授。元日本機械学会会長。 1970年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、東京大学生産技術研究所助教授。1986年東京大学生産技術研究所教授。1996年東京大学国際・産学共同研究センター教授。2000年日本学術会議会員。2001年日本機械学会会長。 2003年日本自動車研究所副理事長・所長、東京大学名誉教授。2012年日本自動車研究所代表理事・研究所長。2013年日本自動車研究所顧問。アイシン精機取締役。2016年ドライブレコーダー協議会代表理事会長。2022年、瑞宝中綬章受章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
溝口 文雄(みぞぐち ふみお、1941年7月15日 - 20… 溝口 文雄(みぞぐち ふみお、1941年7月15日 - 2023年1月31日)は、日本の工学者・起業家。東京理科大学名誉教授、工学博士。専門は人工知能、認知科学およびソフトウェア工学。 2008年(平成20年)3月21日より株式会社ウィズダムテック代表 (CEO)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
赤井 邦男(あかい くにお、1941年(昭和16年)7月14… 赤井 邦男(あかい くにお、1941年(昭和16年)7月14日 - )は、日本の政治家。元北海道紋別市長。 紋別市出身。旧北海道紋別高等学校卒業。石材店を経営する。 1977年(昭和52年)6月より紋別市議会議員に6期当選し、同議長を経て、1997年(平成9年)6月に紋別市長に当選した。 2005年(平成17年)まで2期務めた。
吉村 斌(よしむら あきら、1941年7月13日[要出典] … 吉村 斌(よしむら あきら、1941年7月13日[要出典] - )は、日本の放送ディレクター。 愛媛県の放送局である南海放送に入社し、主に番組の演出、脚本を担当する。1978年には、創立25周年記念番組として、愛媛県ゆかりの俳人種田山頭火を題材にしたラジオドラマ「行乞の詩 どうしようもない私」(脚本:長坂秀佳、音楽:池辺晋一郎、6月4日に1時間枠で放送)のディレクターを務め、山頭火役に局のディレクター、脇役に一般市民を起用する機軸を取り入れ、日本民間放送連盟賞を受賞した。 1985年12月に放送された、自身が脚本、演出を務めたラジオドラマ『赤シャツの逆襲』は、1986年に文化庁芸術作品賞、放送文化基金賞を受賞した。
宮崎 俊一(みやざき しゅんいち、1941年7月12日 - … 宮崎 俊一(みやざき しゅんいち、1941年7月12日 - 2024年5月9日)は、日本の医学者(生理学・発生生物学・細胞生物学)である。医師、医学博士、東京女子医科大学名誉教授。 東京女子医科大学教授、同大学学長(第5代)、学校法人東京女子医科大学評議員・理事、国立岡崎共同研究機構生理学研究所客員教授、文部科学省科学技術振興調整費国際統合医科学インスティチュート所長、淑徳大学客員教授、医学教育振興財団監事、医療法人精光会理事長などを歴任。 東京都出身、茨城県稲敷市育ち。1960年に開成高等学校、1966年に東京大学医学部を卒業。臨床研修を経て1967年に同医学部附属脳研究施設生理部門で研究を開始。
吉住 小貴三郎(よしずみ こきさぶろう、1941年7月12日… 吉住 小貴三郎(よしずみ こきさぶろう、1941年7月12日 - )は、長唄の唄方。本名:吉住 長三。 5代目吉住小三郎の三男として生まれる。幼少期から長唄の稽古を積んでいたものの、日本大学芸術学部写真学科に進学し、金丸重嶺に指導を受ける。写真家の篠山紀信は一級上の先輩。 カメラマンとしての進路も決まっていたが、家族の意向で長唄唄方としての道を歩み、長男の小三治郎、次男の花垣嘉秀、三男の小貴三郎と3兄弟揃って1960年代以降からの吉住流・研精会を支える。 のち、早稲田大学のサークル・長唄研究会にて、指導をしてきた吉住小健次に代わって長唄の指導を務めた。 2020年には重要無形文化財に長唄唄方として総合認定。
清水 潔(しみず きよし、1941年7月12日 - )は、フ… 清水 潔(しみず きよし、1941年7月12日 - )は、フリーライター。 東京生まれ。福岡教育大学卒、世界文化社勤務を経て、フリーライター・エディトリアルデザイナー。 自然図鑑や子供向け科学書の執筆・編集のほか、各紙誌に自然科学と文化の両面から執筆を続ける。
家田 佳子(いえだ よしこ、1941年7月12日 - )は、… 家田 佳子(いえだ よしこ、1941年7月12日 - )は、日本の元女優、元モデルである。本名同じ。 1941年(昭和16年)7月12日、静岡県静岡市に生まれる。 青山学院中等部・高等部に進学する傍ら、舞踊家の貝谷八百子が創設した貝谷バレエ団(現在の貝谷バレエアカデミー)に所属し、4年間舞踊を修得していたが、1957年(昭和32年)5月、同校高等部在学中に実父と懇意だった劇作家の内村直也にスカウトされ、東宝に入社する。同年11月5日に公開された鈴木英夫監督映画『脱獄囚』で池部良と共演し、映画デビューを果たす。以後、同社の新進女優として、ジャンルを問わず多くの作品に脇役、時には準主役として出演した。
村田 邦彦(むらた くにひこ、1941年7月10日 - 20… 村田 邦彦(むらた くにひこ、1941年7月10日 - 2017年4月9日)は、日本の料理人、実業家。株式会社ピエトロ創業者。元同社代表取締役社長。 福岡県福岡市博多区出身。1960年福岡県立福岡中央高等学校卒業。1964年福岡大学商学部卒業。1980年親不孝通りに洋麺屋ピエトロを創業し、オーナーシェフとなる。1985年株式会社ピエトロ設立、同社代表取締役社長。2002年に東京証券取引所市場第二部に上場。2007年には取引先の日清オイリオグループと資本業務提携を締結した。2010年に役員報酬の個別開示が始まった際は、九州の主要企業ではイフジ産業の藤井徳夫とともに1億円以上の役員報酬を受けたことが話題になった。
中村 基樹(なかむら もとき、1941年7月10日 - )は… 中村 基樹(なかむら もとき、1941年7月10日 - )は福岡県を拠点に活躍するフリーアナウンサー。RKB毎日放送・元アナウンサー・写真家。 西南学院大学商学部卒業後の1964年にRKB毎日放送に入社した。大学時代は、グリークラブに所属していた。NHKアナウンサーだった志村正順を憧れの存在として、アナウンサーを志望したという。 RKBアナウンサー時代には、1967年にスタートした、九州初の深夜ワイドラジオ番組『You&Me』のパーソナリティを担当。1975年には、アナウンサーでありながら、地元プロ野球チーム太平洋クラブライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の球団歌『惚れたぜライオンズ』を歌いレコードを販売している。
中谷 雄英(なかたに たけひで、男性、1941年7月9日 -… 中谷 雄英(なかたに たけひで、男性、1941年7月9日 - )は、元柔道選手。柔道指導者。講道館9段。
南 将之(みなみ まさゆき、1941年7月8日 - 2000… 南 将之(みなみ まさゆき、1941年7月8日 - 2000年4月7日)は、日本の元バレーボール選手(元全日本代表)・指導者。元バレーボール全日本男子代表監督。 福岡県福岡市出身。福岡市立当仁小学校出身。福岡大大濠高校卒業後、1960年旭化成に入社、バレーボール部に入部。196cmの大型スパイカーとして活躍した。1961年全日本代表初選出。オリンピックでは1964年東京五輪で銅メダル、1968年メキシコ五輪で銀メダルを獲得。 そして1972年ミュンヘン五輪では念願の金メダルを獲得。特に準決勝のブルガリア戦では、相手チームのエース・ズラタノフの活躍で先に2セットを奪われて、絶体絶命の状況で第3セット途中から出場し、ミュンヘンの奇跡として語り継がれる逆転勝利の立役者となった。
石原 高文(いしはら たかふみ、1941年〈昭和16年〉7月… 石原 高文(いしはら たかふみ、1941年〈昭和16年〉7月8日 - )は、日本の薬理学者、医学博士。 熊本県熊本市東区小山出身。 実家である小山諏訪神社がある熊本県熊本市東区小山学区の熊本市立託麻東小学校を経て熊本市立東部中学校を卒業、県立高等学校を卒業後に熊本大学薬学部と熊本大学大学院の医学研究科博士課程と薬学研究科博士課程を卒業。 熊本大学大学院の医学研究科と薬学研究科に在籍のち大塚製薬など製薬会社で勤務、勲二等瑞宝章を受章し日本薬理学会名誉会員や日本薬学会有功会員である熊本大学薬学部名誉教授の加瀬佳年(1917年3月26日-2003年1月25日)から声が掛かり、1982年から教授と共に大阪山崎のサントリー生物医学研究所にて研究に携わる。
島田 順子(しまだじゅんこ、Junko Shimada、19… 島田 順子(しまだじゅんこ、Junko Shimada、1941年7月7日 - )は日本のファッションデザイナー、パリ在住。
榎本 日出夫(えのもと ひでお、1941年7月7日 - )は… 榎本 日出夫(えのもと ひでお、1941年7月7日 - )は、東京都中野区出身のバスケットボール指導者。日本バスケットボール界初のプロコーチである。 武蔵中学校・高等学校・大学出身。 中3でバスケを始め、高校では3年連続でインターハイに出場。優勝も経験する。 大学卒業後、光文社に入社。そこで杉野女子短大の学生と出会い、これを機にバスケットボールのコーチに転じる。 後に日立戸塚女子バスケットボール部に移り、プロコーチ宣言。25年間指揮を執り、1976・77年の2年連続でオールジャパン・日本リーグ2冠に導く。 その間全日本女子のコーチとなり、1982年には監督を務める。 その後、日立本社男子(現・サンロッカーズ渋谷)のヘッドコーチに就任。
夏目 和良 (なつめ かずよし、1941年7月7日 - )… 夏目 和良 (なつめ かずよし、1941年7月7日 - )は、日本の実業家。元中部日本放送、CBCテレビ社長、会長、相談役。 愛知県出身。同志社大学経済学部卒業。大学卒業後の1965年4月、中部日本放送に入社。1997年6月東京支社長。1998年12月テレビ営業局長。1999年6月取締役テレビ営業局長。2001年6月常務取締役。2003年6月代表取締役社長。2008年6月代表取締役会長。2011年9月CBCラジオ取締役。2014年4月CBCテレビ代表取締役会長。同年6月取締役相談役名誉会長、取締役相談役。2016年退任。 2013年11月旭日中綬章受章。
殿岡 昭郎(とのおか てるお、1941年7月7日 - )は、… 殿岡 昭郎(とのおか てるお、1941年7月7日 - )は、日本の政治学者、政治運動家。 栃木県足利市出身。1966年慶應義塾大学法学部政治学科卒業、1971年同大学院法学研究科博士課程単位取得退学。駒澤大学法学部講師(1971-74年)、東京学芸大学助教授(1974-1983年)を務めた[要出典]。 チベット(チベット自治区)、東トルキスタン(ウイグル)、南モンゴル(内モンゴル)の中国からの独立を主張しており、これらの地域の亡命政府と連携し独立運動を積極的に行っている。同時に中国によるこれら少数民族に対する大量虐殺、迫害などの人権侵害を紹介し、日本も中国を警戒すべしと主張している[要出典]。 維新政党・新風講師、日本戦略フォーラム政策提言委員などを務める[要出典]。
入江 克己(いりえ かつみ、1941年7月7日 - )は、日… 入江 克己(いりえ かつみ、1941年7月7日 - )は、日本の体育教育学者。鳥取大学名誉教授。 1964年東京教育大学体育学部卒業、66年同大学院教育学研究科修士課程修了。鳥取大学教育地域科学部助教授、同教授、鳥取大学教育学部附属養護学校校長。2006年定年退官、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
石川 次郎(いしかわ じろう、1941年7月5日 - )は、… 石川 次郎(いしかわ じろう、1941年7月5日 - )は、東京都生まれの雑誌編集者で、CNNj放送番組審議会委員を務める。 7人姉弟で姉6人の末子として生まれる。戦後まもなく父が他界して母親に育てられる。杉並区立高井戸中学校で美術部に所属して絵描きを志望した。高校受験で第1志望の東京都立西高等学校に不合格となり、第2志望の東京都立富士高等学校へ進学する。 平凡出版創業者の1人である清水達夫は、清水の娘と同級生であることから意気投合する。早稲田大学へ進学後、清水から企画の相談を受ける。 1964年に大学を卒業して旅行代理店に就職するも2年後に退職し、平凡出版(現在のマガジンハウス)へ入社して『平凡パンチ』の編集を担当する。
岡野 圭一(おかの けいいち、1941年7月5日 - 201… 岡野 圭一(おかの けいいち、1941年7月5日 - 2012年10月7日)は、日本の歴史学者。専修大学名誉教授。専門は西洋美術史。ミドルネームはHeinrich(ハインリッヒ)。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、1965年上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業。1971年ケルン大学哲学部美術史学科卒業、Ph.D.取得。1968年ケルン市美術館勤務、1969年在ケルン日本文化会館勤務を経て帰国し、1976年政府関係特殊法人国際交流基金課長補佐に就任。1978年専修大学文学部専任講師、1986年教授。図書館情報大学、多摩美術大学、明治大学、明治学院大学、東京芸術大学などの兼任講師も務めた。
仲本 工事(なかもと こうじ、1941年〈昭和16年〉7月5… 仲本 工事(なかもと こうじ、1941年〈昭和16年〉7月5日 - 2022年〈令和4年〉10月19日)は、日本のコメディアン、ミュージシャン(ギタリスト)。ザ・ドリフターズのメンバー。東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋)出身。本名は仲本 興喜(なかもと こうき)。バンドでの担当はボーカルとギター。ドリフから派生したこぶ茶バンドメンバーとしても活動した。生前は渡辺プロダクション→イザワオフィスに所属して、同じザ・ドリフターズメンバーで既に故人となっているいかりや長介、志村けんと同様に没後もイザワオフィス所属となっている。 当初は「仲 こうじ」「仲本 こうじ」「仲本 コージ」を名乗っていた。
杉山 隆一(すぎやま りゅういち、1941年7月4日 - )… 杉山 隆一(すぎやま りゅういち、1941年7月4日 - )は、静岡県清水市(現静岡市清水区)出身の元サッカー選手・監督、解説者。 袖師中学校時代からサッカーを始め、清水東高校時代に富山国体で優勝、一躍有名になる。1年次の1958年から3年次の1960年まで3年連続で日本ユース代表に選出され、AFCユース選手権に参加するなど、国際的にも活躍した。 大学浪人中の1961年に19歳で国際Aマッチ初出場を果たし、1962年に明治大学へ進学。3年次の1964年には東京オリンピックで活躍し、日本代表をベスト8へと導いた。この活躍により南米のクラブからは20万ドルの移籍金を提示され「20万ドルの左足」と賞されたが、20万ドルという金額及び移籍の申し入れに関しては、岡野俊一郎が話題づくりのために意図的に間違った情報をリークしたとされている。
井上 寛司(いのうえ ひろし、1941年7月4日 - )は、… 井上 寛司(いのうえ ひろし、1941年7月4日 - )は、日本の歴史学者、島根大学・大阪工業大学名誉教授。専攻は日本中世史。 京都府京都市生まれ。1966年大阪大学文学部史学科卒業。1968年に大阪大学大学院文学研究科博士課程を中退し、大阪大学文学部助手となる。1975年に島根大学に移り文理学部助教授、教授を経て、1997年定年退官、名誉教授。大阪工業大学情報科学部教授となり、2007年に退任、名誉教授となる。
浅井 基文(あさい もとふみ、1941年7月3日 - )は、… 浅井 基文(あさい もとふみ、1941年7月3日 - )は、日本の元外交官、政治学者。 愛知県生まれ。愛知県立西尾高等学校卒業。1963年3月、東京大学法学部中退。同年4月、外務省に入省。同期には野村一成ら。 中国語研修(台湾及び米国ハーバード大学)、アジア局中国課、条約局条約課、在オーストラリア大使館、在ソ連大使館、調査部分析課を経て、条約局国際協定課長(1978年 - 1980年)、在中国大使館参事官(1980年 - 1983年)、アジア局中国課長(1983年 - 1985年)、イギリス国際戦略研究所研究員(1986年 - 1987年)などを歴任。 1988年に外務省から文部省に出向し、東京大学教養学部教授(国際関係論)に就任。
牧本 幹男(まきもと みきお、1941年〈昭和16年〉7月3… 牧本 幹男(まきもと みきお、1941年〈昭和16年〉7月3日 - )は、日本の政治家。第10代福山市長(2期)。 広島県福山市に生まれる。牧本利夫の長男。1960年 (昭和35年) に広島大学附属福山高等学校、1964年(昭和39年)に同志社大学商学部を卒業、琴の生産で知られる牧本楽器株式会社に入社。1974年(昭和49年)、同社専務に就任。 1983年(昭和58年)8月21日に行われた福山市長選挙に、日本鋼管福山製鉄所の全面的な支持を受けて立候補。現職市長の中川弘、元市長の立石定夫、日本共産党公認の新人らを相手に戦い初当選した。市長選の前年12月、土木行政をめぐる汚職事件で助役の土屋陽光が逮捕されており、中川は1期で退くこととなった。
早川 豊(はやかわ ゆたか、1941年7月3日 - )は、日… 早川 豊(はやかわ ゆたか、1941年7月3日 - )は、日本の会計学者。学位は、経済学博士(北海道大学)。三重県出身。 日本公認会計士協会学術賞 (1983年) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
栗原 雅智(くりはら まさとも、1941年(昭和16年)7月… 栗原 雅智(くりはら まさとも、1941年(昭和16年)7月3日 - 2015年(平成27年)1月12日)は、日本の政治家。山梨県富士吉田市長(1期)。 山梨県出身。法政大学経営学部卒。富士吉田市議会議員を経て、1991年、山梨県議会議員となる。県議を1期務めた後、1995年の富士吉田市長選挙に立候補し、現職の渡辺晧彦を破って当選した。1999年の市長選挙で再選を目指したが、元県議の武川勉に敗れ、1期で退任した。2015年1月12日死去、73歳。死没日をもって旭日小綬章追贈、従五位に叙される。
南谷 昌二郎(なんや しょうじろう、1941年7月2日-)は… 南谷 昌二郎(なんや しょうじろう、1941年7月2日-)は、日本の実業家。西日本旅客鉄道株式会社(JR西日本)代表取締役社長・会長を歴任。 JR福知山線脱線事故発生時の会長職。事故発生直後には任期切れが迫っていた関西経済連合会副会長職の続投を示唆し、引き続き会長職を務めながら事故処理や経済界の活動に当たる考えを示していたが、翌年、事故の責任を取って会長職を辞任した。後に業務上過失致死罪容疑で起訴された際には、JR西日本本社前で記者会見を開き、「申し訳ない気持ちでいっぱい」と述べた。
高久 泰文(たかく やすぶみ、1941年7月2日 - )は、… 高久 泰文(たかく やすぶみ、1941年7月2日 - )は、日本の法学者、行政学者。専門は憲法、行政法。拓殖大学大学院非常勤講師、同大学元教授。茨城県筑西市出身。
甲村 秀雄(こうむら ひでお、1941年7月2日 - 202… 甲村 秀雄(こうむら ひでお、1941年7月2日 - 2025年1月4日)は、日本の歌人。 愛知県出身。國學院大學文学部日本文学科卒業、同大学院日本文学研究科修士課程修了。 大学入学前から作歌を始め、大脇月甫主宰の歌誌「青虹」に入会。香川進、岡野弘彦に師事。前田夕暮の流れを汲み、「地中海」を経て、「ナイル短歌工房」代表を務めた。その後2021年に、釈迢空系隔月刊同人誌「ぱとす」(1978年創刊)を復刊し、「ぱとす短歌会」に活動の場を移した。 日本文藝家協会会員、現代歌人協会会員、國學院大學国文学会会員、日本短歌協会理事長。テレビ朝日のドラマ『相棒』2011年11月2日放送の「晩夏」では短歌監修を担当した。
中村 光男(なかむら みつお、1941年7月2日 - 202… 中村 光男(なかむら みつお、1941年7月2日 - 2020年8月13日)は、日本の建築家。元株式会社日建設計代表取締役社長。東京都生まれ。 1965年、千葉大学工学部建築学科卒業。1967年、東京藝術大学大学院美術研究科建築設計専攻修士課程修了。1967年、日建設計工務株式会社(現・株式会社日建設計)に入社し、東京事務所勤務。1991年に同社取締役・東京スタジオ所長就任。1995年に常務取締役・名古屋事務所長。1999年に専務取締役・東京本社代表。2000年に副社長、2004年、日建設計代表取締役社長。 2020年8月13日、膵臓癌のため死去。79歳没。
つげ 忠男(つげ ただお、男性、1941年7月2日 - )は… つげ 忠男(つげ ただお、男性、1941年7月2日 - )は、日本の漫画家。本名:柘植 忠男。『ガロ』を中心に作品を発表。つげ義春は兄。 東京府大島町生まれ、千葉県大原町(現在のいすみ市)育ち。幼少期の大半(6歳~15、16歳)を葛飾区立石町で過ごす。小学校4年生ころからは大人の知恵を身に着け、見様見真似ながら物事を自分で判断し行動するようになる。物不足は深刻で、常に空腹を抱えてはいたもののよく遊び、学校から帰宅するなり一目散に屋外へ出た。 病弱で労働もできずに家にいた癇癪持ちの義父と、血の気の多い母、漁師上がりで荒くれ者の母の義父が一つ屋根の下で反目し合いながら暮らしており、忠男は訳も分からずにいきなり殴られる場所であったため、外出は逃亡であった。
佐伯 浩(さえき ひろし、1941年7月1日 - ) は、日… 佐伯 浩(さえき ひろし、1941年7月1日 - ) は、日本の工学者。専門は、海岸工学、湾岸工学、氷工学、寒地海洋工学。 1941年、満洲で生まれた。出身は宮崎県。1960年、宮崎県立宮崎大宮高等学校を卒業し、北海道大学工学部に進学。土木工学科で学び、1964年に卒業。同大学大学院工学研究科土木工学専攻に進み、1966年に修士課程を修了。 1966年、北海道大学工学部講師に就いた。1968年に同助教授に昇格。1983年、学位論文『海氷の強度特性と海岸・海洋構造物の耐氷設計法に関する研究』を北海道大学に提出して工学博士号を取得。翌1984年、北海道大学工学部教授に昇格。2007年、第17代北海道大学総長に就任した。