藤原 清悦(ふじわら せいえつ、1943年(昭和18年)5月… 藤原 清悦(ふじわら せいえつ、1943年(昭和18年)5月15日 - 2024年(令和6年)12月11日)は、日本の銀行家。秋田銀行頭取を務めた。 秋田県秋田市出身。慶應義塾大学文学部卒業後、秋田銀行入行。 企画部門を長く担当し、6年あまり頭取を務めた新開卓が、非常勤相談役・秋田経済研究所理事長に勇退したことに伴い、後任として昇格。 2013年(平成25年)には、頭取職を湊屋隆夫に引き継ぎ、相談役に退いた。 2024年12月11日午後9時、心不全のため東京都内の病院で死去。81歳没。
中井 真孝(中井 眞孝、なかい しんこう、1943年5月15… 中井 真孝(中井 眞孝、なかい しんこう、1943年5月15日 - 2024年5月20日)は、日本の浄土宗の僧侶・歴史学者。佛教大学名誉教授・元学長、学校法人佛教教育学園理事長。専門は日本古代史・仏教史。浄土宗常照山長香寺住職。 1943年、滋賀県で生まれた。京都府立大学文家政学部文学科を卒業し、大阪大学大学院文学研究科国史学専攻に進んだ。1972年、博士課程を満期退学。 1978年、佛教大学助教授に就いた。1985年に教授昇進。1991年、学位論文『日本古代仏教制度史の研究』を佛教大学に提出して文学博士の学位を取得。1999年より2005年まで学長を務める。2012年より佛教教育学園理事長。2014年に佛教大学を退職し、名誉教授となった。
大島 賢三(おおしま けんぞう、1943年〈昭和18年〉5月… 大島 賢三(おおしま けんぞう、1943年〈昭和18年〉5月14日 - 2021年〈令和3年〉5月29日)は、日本の外交官。外務省経済協力局局長、国際平和協力本部事務局長、国際連合事務次長(人道問題担当)、オーストラリア駐箚特命全権大使、国際連合政府代表部特命全権大使、国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会委員、原子力規制委員会委員などを歴任した。 広島県広島市東区牛田出身。1961年広島大附属高校時代にAFSでアメリカ合衆国に1年間留学。 1965年東京大学在学中サンケイスカラシップで英国留学、1967年、東京大学法学部を中退し、4月、外務省入省。 フランス語研修、在フランス大使館・在インド大使館・在オーストラリア大使館・在アメリカ大使館勤務などを経て、1990年在アメリカ合衆国日本国大使館公使、1993年8月国際協力事業団総務部長 1995年8月アジア局審議官、国際社会協力部長、1997年経済協力局長、人間の安全保障・科学技術協力・国連改革担当大使を務めた。
大庭 清(おおば きよし、1943年5月14日 - )は、長… 大庭 清(おおば きよし、1943年5月14日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手。 佐世保北高校から1962年に西鉄ライオンズへ入団。 武末コーチの指導でサブマリン投手を志したが、未完成のまま、1965年に引退。 兄は元高橋ユニオンズ投手の大庭宏である。
長瀬 寧次(ながせ やすじ、1943年5月13日 - )は、… 長瀬 寧次(ながせ やすじ、1943年5月13日 - )は、日本の経営者。日立化成工業社長を務めた。岡山県出身。 岡山県立瀬戸高等学校を経て、1966年に京都大学工学部を卒業し、1967年に日立化成工業に入社した。1995年に取締役に就任し、1996年に常務、1997年6月に専務、1999年12月に副社長、2001年5月に日立ハウステック社長を経て、2003年4月には社長に就任。2009年4月には取締役に退いた。
佐藤 博俊(さとう ひろとし、1943年(昭和18年)5月1… 佐藤 博俊(さとう ひろとし、1943年(昭和18年)5月12日 - )は、宮城県仙台市出身の実業家、レスリング選手。株式会社橋本店元代表取締役社長、元会長。宮城県建設業協会元会長。宮城県レスリング協会元会長。 宮城県仙台市出身。東北学院中学校・高等学校、中央大学商学部卒業。 高校時代にレスリングを始め、中央大学進学後もレスリング部に所属。1964年の全日本学生選手権を制覇し、東京オリンピックの代表候補として期待されたが、最終選考で敗れ出場を逃した。この時の「あと一歩で夢を逃した」悔しさが、その後の人生における「不撓不屈の精神」の原動力になったと語っている。 大学卒業後、東京の建設関連会社での勤務を経て、1971年(昭和46年)に株式会社橋本店に入社。
入江 若葉(いりえ わかば、1943年5月12日 - )は、… 入江 若葉(いりえ わかば、1943年5月12日 - )は、日本の女優。 本名は小林 若葉(こばやし わかば、旧姓:田村)。東京都港区出身。血液型A型、身長160cm、体重48kg。アン・ヌフ所属。 文化学院専門課程美術学科卒業。 1943年5月12日、無声映画時代からトーキー初期にかけての人気女優入江たか子と、当時日活太秦撮影所の俳優だった田村道美の娘として、東京・港区赤坂に生まれる。 人気商売の両親の結婚は、10年間極秘であったが、父・田村が俳優業を引退してたか子のマネージャーとなり、母・たか子も自らの映画製作会社「入江ぷろだくしょん」をたたみ東宝映画東京撮影所と専属契約して6年を経て、若葉が生まれるのを期に入籍した。
久保村 寛(くぼむら かん、1943年〈昭和18年〉5月11… 久保村 寛(くぼむら かん、1943年〈昭和18年〉5月11日 - )は、日本競輪選手会群馬支部に在籍していた元競輪選手。 群馬県前橋市芳町(現・三河町)に生まれる。群馬県立前橋商業高等学校に在籍時代の1960年、ローマオリンピック日本代表選手として、4000m団体追抜に出場し10位。 1961年、全国高等学校総合体育大会自転車競技大会において、トラックレースの1kmタイムトライアルとポイントレース、及び道路競走中央大会(ロードレース)の個人優勝を果たした。 その後、日本競輪学校第16期生として競輪選手となった。1988年3月14日、選手登録削除。
石川 多聞(いしかわ たもん、1943年5月11日 - 20… 石川 多聞(いしかわ たもん、1943年5月11日 - 2023年10月23日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元茨城県議会議員。茨城県東茨城郡城里町(旧常北町)出身。 父は、茨城県議・常北町長を務めた石川稲實。 地元の中学卒業後、東京に単身上京。日本大学豊山高等学校から日本大学法学部に進学し卒業。 大学卒業後は、日本会・日本総調和連盟の総裁である内閣総理大臣佐藤榮作の秘書、また機関紙『総調和』(発行責任者は山岡荘八)の編集長も務めた。 その後、郷土に戻り常北町議会議員(3期)を経て、自民党選出の茨城県議会議員を7期 務める。この間、各常任委員会委員長・茨城県議会議長、自民党茨城県連政調会長・総務会長・会派「いばらき自民党」議員会長を歴任。
高倉 洋彰(たかくら ひろあき、1943年5月11日 - )… 高倉 洋彰(たかくら ひろあき、1943年5月11日 - )は、日本の考古学者。西南学院大学名誉教授。観世音寺住職。僧名・石田琳彰。 福岡県甘木市(現朝倉市)生まれ。1974年(昭和49年)九州大学大学院博士後期課程修了。 1975年(昭和50年)から埋蔵文化財研究会の世話人を務める。1987年(昭和62年)、九州歴史資料館技術主査を経て、1990年(平成2年)西南学院大学教授。 専門は弥生時代を中心とする日本考古学で、大宰府跡の研究のほか、アジアの考古学についても幅広く研究を行った。 また、九州国立博物館の誘致活動にも尽力し、博物館等建設推進九州会議の機関誌『文明のクロスロード Museum Kyusyu』の編集に携わり、1991年(平成3年)から編集委員長を務めた。
山本 紀彦(やまもと としひこ、1943年〈昭和18年〉5月… 山本 紀彦(やまもと としひこ、1943年〈昭和18年〉5月10日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。 千葉県生まれ。北海道育ち。日本大学卒業。劇団欅、三船プロダクション、田中プロモーション、アクターズプロモーションを経て、I・T企画所属。 高校生の時に、男子部員が足りないという理由で先輩から誘われて演劇を始める。高校卒業後にテレビタレントセンターに入る。生コマーシャルが初めての仕事。その後タレント事務所に所属。本人曰く、最初に台詞をもらえたドラマは1963年のテレビドラマ『戦友』(NET)だったと記憶しているという。 1967年に劇団欅に入団。 1968年のナショナルゴールデン劇場『フルーツポンチ3対3』でドラマ初レギュラー出演。
遠藤 和良(えんどう かずよし、1943年(昭和18年)5月… 遠藤 和良(えんどう かずよし、1943年(昭和18年)5月9日 - )は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(6期)。
北河原 公敬 (きたかわら こうけい/きみひろ、1943年(… 北河原 公敬 (きたかわら こうけい/きみひろ、1943年(昭和18年)5月9日 - )は、日本の華厳宗の僧侶。華厳宗管長・第220世東大寺別当。2022年現在は東大寺長老、学校法人東大寺学園理事長、印度山日本寺(インド・ブッダガヤ)第6世竺主などを務める。 北河原公典(第210世東大寺別当)の子として奈良市に生まれる。10歳で東大寺に入寺し、15歳(中学3年生時)で得度。中学・高校は東京で親族宅に下宿し、学習院中等科・高等科に通う。1962年、学習院高等科卒業。1968年、龍谷大学大学院修士課程修了。 1971年5月、東大寺塔頭総持院住職。1987年4月、東大寺塔頭中性院住職。華厳宗および東大寺での役職を歴任し、2004年5月に華厳宗宗務長・東大寺執事長、2007年5月に上院院主・学校法人東大寺学園理事長。
舛岡 富士雄(ますおか ふじお、1943年5月8日 - )は… 舛岡 富士雄(ますおか ふじお、1943年5月8日 - )は、日本の電子工学研究者。フラッシュメモリの発明者として知られており、1980年代にNOR型フラッシュメモリおよびNAND型フラッシュメモリを開発した。1988年には、初期の非平面型3Dトランジスタ(英語版)である初のGate-all-around(英語版)(GAA)MOSFET(GAAFET(英語版))も発明している。 元東芝社員。東北大学名誉教授。現在は日本ユニサンティスエレクトロニクス株式会社最高技術責任者(CTO)として、Surrounding Gate Transistor(SGT)の開発を行っている。紫綬褒章、文化功労者、瑞宝重光章。
朝比奈 千足(あさひな ちたる、1943年5月8日 - )は… 朝比奈 千足(あさひな ちたる、1943年5月8日 - )は、日本の指揮者・クラリネット奏者。父は同じく指揮者の朝比奈隆。現在、神戸フィルハーモニックの音楽監督兼常任指揮者を務めているほか、京都市立芸術大学非常勤講師、大阪府警察音楽隊嘱託講師でもある。 兵庫県立神戸高等学校、慶應義塾大学法学部卒業。1966年西ドイツ(当時)のブレーメン市立音楽院に留学、1968年ベルリン音楽大学(現・ベルリン芸術大学)に入学。ハインリヒ・ゴイザー教授の下でクラリネットの研鑚を積む。1970年からはクラリネットの独奏者として西ヨーロッパや日本国内で活動を展開している。 1973年には活動範囲を指揮の分野に広げ、1977年に東ドイツへと渡る。
松井 信行(まつい のぶゆき、1943年5月7日 -2024… 松井 信行(まつい のぶゆき、1943年5月7日 -2024年7月10日 )は、日本の学者。名古屋工業大学名誉教授、IEEEライフフェロー、名古屋国際工科専門職大学学長。名古屋工業大学学長、愛知県顧問、リンナイ取締役、愛知時計電機取締役、富士電機製造取締役なども歴任。 専門は、パワーエレクトロニクス、モーションコントロール。
谷口 義幸(たにぐち よしゆき、1943年(昭和18年)5月… 谷口 義幸(たにぐち よしゆき、1943年(昭和18年)5月6日 - 2017年(平成29年)1月8日)は、日本の政治家。宮崎県日南市長(新市制、1期)。 宮崎県立日南高等学校、岡山大学農学部卒業。衆議院議員公設秘書を15年つとめたのち、学生支援にとりくむ民間企業に勤務。 2004年(平成16年)、旧日南市長選挙に出馬し当選。同年7月20日に第15代旧日南市長に就任。2008年(平成20年)6月29日執行の同市長選において2期目の当選。 2009年(平成21年)3月30日、旧制の日南市が北郷町、南郷町と合併して新しい日南市が誕生する。それに伴って同年4月26日執行の日南市長選挙に出馬し、当選。 2013年(平成25年)4月14日執行の日南市長選挙に出馬するも、前宮崎県職員の崎田恭平に敗れ、落選。
河内 功(かわうち いさお、1943年5月5日 - )は、日… 河内 功(かわうち いさお、1943年5月5日 - )は、日本の実業家。元東京メトロポリタンテレビジョン代表取締役社長。 栃木県出身。1966年慶應義塾大学法学部卒業。同年三井銀行(現:三井住友銀行)入行。総合企画部副部長、融資第一部長、さくら銀行取締役等を経て、1994年さくら信用保証(現:SMBC信用保証)社長。2002年退任、同年東京メトロポリタンテレビジョン常勤監査役。2011年専務取締役、2014年中川謙三の後を受けて代表取締役社長に就任した。2018年相談役。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊藤 英昌(いとう ひでまさ、1943年5月5日 - )は、… 伊藤 英昌(いとう ひでまさ、1943年5月5日 - )は、日本の造園系建設官僚。 千葉県出身[要出典]。1967年に東京大学農学部農業生物学科を卒業し、同年建設省に入省した[要出典]。 1985年当時は都市局都市計画課建設専門官を務めていた[要出典]。1996年時点では都市局公園緑地課長であった。その後、建設大臣官房審議官や、都市基盤整備公団理事となる。 2001年に、第23回日本公園緑地協会北村賞を受賞した。 退官後は、日本公園緑地協会会長(2015年時点)、2016年から2018年まで、日本造園修景協会会長(8代目)、日本造園学会副会長・理事[要出典]といった役職を歴任した。 2015年、瑞宝中綬章を授章した。
工藤 正廣(工藤 正広、くどう まさひろ、1943年5月5日… 工藤 正廣(工藤 正広、くどう まさひろ、1943年5月5日 - )は、日本のロシア文学者、詩人、翻訳家。北海道大学名誉教授。元・公益財団法人北海道文学館理事長。現・北海道立文学館館長(2025年3月現在)。 津軽方言を用いた詩を書くほか、ボリス・パステルナークの詩を多く翻訳、研究した。専門はロシア文学・ポーランド文学。文芸誌『同時代』同人。 青森県南津軽郡黒石町(現・同県黒石市)生まれ。青森県立黒石高等学校を経て、北海道大学文学部露文科を卒業し、1970年東京外国語大学大学院スラブ系言語修士課程を修了。大学院在学中にロープシン『蒼ざめた馬』『漆黒の馬』の翻訳を手がけ、頭角をあらわす。1975年7月、北海道大学教養部教員に任用、のちに助教授となる。
服部 盛隆(はっとり もりたか、1943年5月5日 - )は… 服部 盛隆(はっとり もりたか、1943年5月5日 - )は、日本の経営者。池田泉州銀行頭取を務めた。大阪府出身。 1966年に同志社大学法学部を卒業し、同年に池田銀行に入行した。1991年6月に取締役に就任し、1996年11月に常務、1998年1月に専務を経て、2001年1月に頭取に就任。2010年6月に池田泉州銀行頭取に就任し、2012年6月には相談役に就任。 2020年11月に旭日小綬章を受章。
香取 光子(かんどり みつこ、1943年(昭和18年)5月5… 香取 光子(かんどり みつこ、1943年(昭和18年)5月5日 - )は、日本の体操選手である。現姓は中山。 日本体育大学在学中に、1968年メキシコシティーオリンピックに出場した。同大体育学部を卒業し、中京大学体育学部体育科学科教授となった。また、同大体操競技部女子監督を務めた。 この項目は、体操に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
橋 幸夫(はし ゆきお、本名:橋 幸男(読み同じ)、1943… 橋 幸夫(はし ゆきお、本名:橋 幸男(読み同じ)、1943年〈昭和18年〉5月3日 - 2025年〈令和7年〉9月4日)は、日本の歌手、俳優、プロデューサー。 舟木一夫、西郷輝彦とともに『御三家』と称された。血液型はA型。著書に認知症の実母の介護生活を綴った『お母さんは宇宙人』がある。 俳優の橋龍吾は息子、演歌歌手の橋宏之(はしひろゆき)は甥にあたる。東京都荒川区出身。静岡県熱海市在住。 晩年はアルツハイマー型認知症を患っていた。 1943年5月3日、東京府東京市荒川区に呉服屋の9人兄弟の末っ子として生まれた。ちなみに、「橋」という珍しい苗字は、先祖が代々滋賀県で神主を務めていたことに由来するという。
原輝史(はら てるし、1943年5月3日 - 2011年8月… 原輝史(はら てるし、1943年5月3日 - 2011年8月18日)は、日本の経済学者。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て早稲田大学商学部卒業、1975年同大学院商学研究科博士課程満期退学。フランス・ディジョン大学に学ぶ。1986年「フランス資本主義 成立と展開」で商学博士(早大)。早稲田大学商学部助教授、教授。
木村 昌平(きむら しょうへい、1943年5月2日 - 20… 木村 昌平(きむら しょうへい、1943年5月2日 - 2018年7月21日)は、日本の経営者。セコム社長を務めた。北海道釧路市出身。 北海道釧路湖陵高等学校を経て、同志社大学文学部に入学。演劇活動に熱中し、映画監督に憧れていた。1966年に大学を卒業し、セコムに入社。 1975年2月に取締役に就任し、1988年2月に常務、1995年6月に専務を経て、2002年4月に社長に就任。2005年4月に会長に就任。2016年6月に相談役に就任。40歳代の初め頃には、セコム創業者の飯田亮から「俺が興味があるのは、お前がどこまで成長するかだ」と言わしめた人物であった。 社外では全国警備業協会4代目会長、空港保安事業センター評議員、日本救急医療財団理事、日本情報システムユーザー協会常任理事、中央大学大学院客員教授などを歴任した。
小林 光俊(こばやし みつとし、1943年5月2日 - )は… 小林 光俊(こばやし みつとし、1943年5月2日 - )は学校法人敬心学園の理事長。 1943年、富山県富山市八尾町生まれ。富山県立高岡高等学校、大東文化大学経済学部卒業。 岐阜県境にある白木峰山麓の静かな里山 旧大長谷村で育つ。大長谷小学校・中学校を本校とする栃折分校に通った。とにかく勉強嫌いで遊んでばかりのガキ大将だった。 中学一年生のとき、弁論大会に出場する。学校に対する問題点と生徒に対する問題点について熱弁し、二年生三年生を負かして優勝した。二年生のとき、柔道を習いたいと先生に申し出ると畳も用具もないからと断られたため大長谷村の役場にでかけ、村長に直談判したこともあった。村長は口約束で実行しなかったため「大人が子供に言ったことを守らない」と抗議し、そのことが村議会で問題となり、柔道用具や畳が入ったことがあった。
二村 昭雄(にむら てるお、1943年5月2日 - )は、京… 二村 昭雄(にむら てるお、1943年5月2日 - )は、京都府京都市右京区出身の元サッカー日本代表選手、サッカー指導者。 現役時代は、身体的には恵まれていないが、ポジションセンスと運動量の両方を伴ったMF。 中学校から大学時代まで一つ下の後輩の釜本邦茂とプレー。大西忠生、釜本と合わせて「京都三羽ガラス」として名を馳せた。 京都府立山城高等学校3年のときMFとして全日本ユース代表。その後早稲田大学第二政治経済学部へと進学。松本育夫、野村尊敬、桑田隆幸、森孝慈、釜本、大野毅らと同大学ア式蹴球部の黄金時代を創る。1963年日立本社(現柏レイソル)を3-0で破り、早稲田26年ぶりの天皇杯制覇に貢献。また、大学2年のときMFとして全日本ユース代表に選出されている。
野村 正雄(のむら まさお、1943年 5月2日‐)は、日本… 野村 正雄(のむら まさお、1943年 5月2日‐)は、日本の銀行家。 三栄相互銀行社長、および普通銀行(第二地方銀行)転換後の奈良銀行社長・頭取を、通算26年間にわたって務めた。 1943年5月2日、三栄相互銀行(1953年設立)の創業者で初代社長の野村万作(戦後、官選31代・公選初代奈良県知事)の長男として奈良県に生まれる。青々中学校(現東大寺学園)を経て、1968年に京都大学法学部を卒業後に大和銀行に入行し、4年間勤務した。1972年に三栄相互銀行に入社、1974年5月には取締役に就任し、業務部長としてコンピューター化の導入を推進した。 1978年12月6日、創業社長の野村万作の死去を受けて、翌12月7日に取締役であった野村正雄が第2代社長に就任した。
林 南八(はやし なんぱち、1943年5月2日 - 2025… 林 南八(はやし なんぱち、1943年5月2日 - 2025年6月21日)は、日本の自動車技術者。 トヨタ自動車取締役や、同社技監、同社顧問、中部インダストリアル・エンジニアリング協会会長等を歴任した。 東京府東京市で日本軍大本営参謀を務めた林太郎元陸軍中将の三男として生まれた。 武蔵工業大学工学部機械工学科で古濱庄一研究室に所属しエンジンの研究を行い、1966年に大学卒業後、トヨタ自動車工業(のちのトヨタ自動車)入社。元町工場機械部技術員室配属。 大野耐一や鈴村喜久男に師事し、生産現場や流通などでのトヨタ生産方式の整備にあたり、後進技術者の育成も行った。 1982年トヨタ自動車工業製造課長に昇格。
阿部 昭(あべ あきら、1943年〈昭和18年〉5月1日 -… 阿部 昭(あべ あきら、1943年〈昭和18年〉5月1日 - 2021年〈令和3年〉11月16日)は、日本近世史の研究者。 1943年、栃木県足利市に生まれる。1966年に東京教育大学文学部史学科日本史学専攻を卒業後、黒磯高等学校や宇都宮女子高等学校で県立高等学校教諭を務める。栃木県立文書館(wikidata)の1986年設立に際しては、指導主事として尽力し、1987年4月に国士舘大学文学部国史学専攻助教授に就任した。 1992年4月に同学の教授に就任し、学部長(2000年4月 - 2004年4月)、2004年からは法人常任理事を歴任したが、2013年3月をもって法人理事および教授職から退いた。
富永 俊夫(とみなが としお、1943年5月1日 - )は、… 富永 俊夫(とみなが としお、1943年5月1日 - )は、日本の遠泳家。修道中学校・高等学校、慶應義塾大学出身。現在、津軽海峡単独遠洋横断の世界最高齢記録(73歳)を所持している。広島県呉市出身。広島市西区在住。 学生時代には水泳や水球の選手として活躍した。その後、大手家電メーカーに就職した。退職後に、水泳を再開し以下の経験を持つ。 80歳までは頑張りたいと話している。
都筑 信(つづき しん、1943年〈昭和18年〉5月 - )… 都筑 信(つづき しん、1943年〈昭和18年〉5月 - )は日本の地方公務員。埼玉県公営企業管理者、埼玉県副知事、同信用保証協会会長を歴任。瑞宝中綬章受章。 1966年 明治大学法学部卒業。同年4月 埼玉県庁に入庁し、1991年 (平成3年) 4月 廃棄物対策課長、1992年4月 広報広聴課長、1993年4月 報道長、1996年4月 テレビ埼玉に出向し常務取締役、1998年4月 県庁に帰任し県民生活部長、1999年4月 環境防災局長、2001年4月 柿沼トミ子と同職を交代し総務部長、公営企業管理者、2003年10月 同職を田村健次と交代し埼玉県副知事就任。2007年10月 橋本光男を後任として副知事退職。
足立 昌勝(あだち まさかつ、1943年4月30日 - )は… 足立 昌勝(あだち まさかつ、1943年4月30日 - )は、日本の法学者。専攻は近代刑法成立史。関東学院大学名誉教授。東京都出身。 日本弁護士連合会刑事法制委員会の助言者を務め、神奈川県の市と町の個人情報保護審査会委員を務めている。 また、2002年5月20日に独立した東ティモールの国立東ティモール大学に法学部を創設する運動を行っている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
高橋 浩(たかはし ひろし、1943年4月29日 - )は、… 高橋 浩(たかはし ひろし、1943年4月29日 - )は、テレビ朝日元編成局編成部長、東映アニメーション元社長(2003年 - 2011年)。広島県出身。 広島県福山市生まれ。父親は日立製作所に勤務し、戦後は東京中野で育ち、1950年、水力発電所の多い富山県に転勤となり、小学校2年から高校卒業まで富山市で育つ。映画好きだった父の影響で映画館に通い詰める。当時の富山は映画の上映環境が良くなく、一人で金沢や大阪まで汽車に乗って映画を観に行ったという。小学校・中学校時代に好きだったのは『新諸国物語 笛吹童子』や『紅孔雀』といった東映の時代劇だった。時代劇がピークを過ぎると洋画ばかり観るようになった。
湯浅 康平(ゆあさ こうへい、1943年4月29日 - )は… 湯浅 康平(ゆあさ こうへい、1943年4月29日 - )は、日本の実業家。中央倉庫代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、京都倉庫協会会長。 京都府出身。1967年同志社大学経済学部卒業、中央倉庫入社。1991年中央倉庫経営企画室長。1994年中央倉庫取締役。2004年中央倉庫常務取締役。2004年から中央倉庫代表取締役社長を務め、新倉庫の建設や、インランドデポ整備などによる総合物流会社化を進め、売上増加にあたった。2005年中倉陸運代表取締役社長。2013年中倉陸運代表取締役会長。2016年中央倉庫ワークス代表取締役会長。2017年中央倉庫代表取締役会長。京都倉庫協会会長も務めた。
山前 五十洋(やまさき いそみ、1943年4月28日 - 2… 山前 五十洋(やまさき いそみ、1943年4月28日 - 2020年4月5日)は、日本の実業家、映画監督、俳優である。京都市出身。関西大学法学部2部中退。娘は歌手の倉木麻衣。父は詩人の山前実治。 京都府京都市下京区に生まれ。厳格な父親は京都で出版社、印刷会社を経営する傍ら詩人としても活動し、比較的裕福な家庭で育つ。3歳頃に父親の故郷、岐阜県大野郡荘川村(現在の高山市)へ一時疎開している。小学校入学時は京都市東山区に居住し、小学校5年生から新聞配達などを務める。 京都市立日吉ヶ丘高等学校2年生時、少年画報連載中の堀江卓原作「天馬天平」がフジテレビでテレビ映画化された際、一般公募3万人中から主役天平役に抜擢され、当時の編成局長草間浩之が8チャンネルにちなみ芸名を富士八郎とする。
大塚 勝久(おおつか かつひさ、1943年4月27日 - )… 大塚 勝久(おおつか かつひさ、1943年4月27日 - )は、日本の実業家。匠大塚代表取締役会長。 大塚家具創業者で、同社代表取締役社長、代表取締役会長を歴任。 埼玉県春日部市出身。1963年に家業の手伝いをしながら埼玉県立春日部高等学校定時制を卒業。幼少時から桐箪笥職人だった父・大塚千代三の仕事を手伝い、中学校までに調達、販売、資金調達、経理、税務などの業務を一通り経験した。1969年、父が1928年に春日部に作った工房をもとに、社員24名で株式会社大塚家具センター(現大塚家具)を創業し、春日部駅西口に春日部店を開店させた。1978年には株式会社大塚家具が株式会社大塚家具センターを吸収合併し、東京店を開店。
ジョージ 秋山(ジョージ あきやま、本名:秋山 勇二(あきや… ジョージ 秋山(ジョージ あきやま、本名:秋山 勇二(あきやま ゆうじ)、1943年〈昭和18年〉4月27日 - 2020年〈令和2年〉5月12日)は、日本の漫画家。 1943年、東京都の日暮里で出生。姉、兄、弟、妹それぞれ1人ずつの5人きょうだいの次男。父は腕のいい朝鮮人の造花職人だった。第二次世界大戦中は栃木県田沼町に疎開した。10歳のとき父親が事業に失敗し足利市へ転居。極貧生活を経験する。子供の頃から漫画を描き出し、中学2年生で漫画本を自作した。 高校への進学を勧められたが、親兄弟のことを考えて中学卒業後に上京し、神田の貸本漫画の取次店、芳明堂に就職。芳明堂に勤務しながら、取次として担当した若木書房に原稿を持ち込んだり、漫画家の前谷惟光邸へ日参して、漫画家を目指した。
中島 潔(なかしま きよし、1943年4月26日 - )は、… 中島 潔(なかしま きよし、1943年4月26日 - )は、日本画家、絵本作家、イラストレーター。郷愁を誘う童画や、儚げな女性画を得意とする。「風の画家」として知られる。 1943年(昭和18年)、旧満洲国奉天市(現在の中国瀋陽市)において父・峰雄、母・ウメ子の間に生まれる。両親は理髪店を営んでいた。1歳の時、母の地元の佐賀県東松浦郡厳木村(現在の佐賀県唐津市厳木町)へ引き揚げる。 1961年、佐賀県立唐津西高等学校卒業。母の死後2か月で再婚をした父への反発から家を出て、伊豆下田で温泉掘りの仕事をする。独学で絵を学び、その後印刷所、広告会社などで働く。 1971年、パリへ行き、半年間絵の勉強をする。
山岡 賢次(やまおか けんじ、1943年〈昭和18年〉4月2… 山岡 賢次(やまおか けんじ、1943年〈昭和18年〉4月25日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(5期)、参議院議員(2期)、法務政務次官(竹下内閣)、大蔵政務次官(第2次海部内閣)、国家公安委員会委員長(第84代)・内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当)・拉致問題担当大臣(野田内閣)、衆議院農林水産委員長、自由党国会対策委員長(第4代)、民主党副代表、民主党国会対策委員長(第13代)、国民の生活が第一代表代行などを歴任。1987年までは「藤野賢二」の名前で政治活動を行っていた。 城北高等学校を経て慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、安田生命の人事課、アメリカ留学を経て1983年(昭和58年)の第13回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で当選し政界入りした。
天本 宏(あまもと ひろし、1943年(昭和18年) 4月2… 天本 宏(あまもと ひろし、1943年(昭和18年) 4月25日生まれ- )は、日本の医師・医学博士。医療法人財団天翁会(東京都多摩市)を設立し、初代理事長に就任した。地域包括ケアの先行モデルとして、多摩ニュータウンを中心とした「あいセーフティネット」の構築で知られる。 1980年に天本病院(東京都多摩市)を開設し、95年、医療法人財団天翁会設立、初代理事長に就任。老人の専門医療を考える会初代会長、日本慢性期医療協会初代会長、厚生省老人保健審議会委員、東京都医師会理事、多摩市介護保険運営協議会委員、全日本病院協会副会長、日本医師会常任理事、地域包括ケアシステム研究会委員などを歴任した。2016年に天翁会は社会医療法人河北医療財団と合併し、天翁会の事業はそのまま河北医療財団多摩事業部となった。
小林 多門(こばやし たもん、1943年(昭和18年)4月2… 小林 多門(こばやし たもん、1943年(昭和18年)4月24日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、東京都議会議員(3期)、八王子市議会議員(3期)を務めた。 山梨県大月市出身。1967年明治大学政治経済学部卒業。大学時代は明治大学の雄弁部に所属していた。小山省二衆議院議員秘書を経て、八王子市議会議員を3期務めた後、東京都議会議員(自由民主党)を3期務めた。 1996年の第41回衆議院議員総選挙で東京24区から立候補して初当選。衆議院議員時代は自由民主党の宏池会に所属していた。2000年(平成12年)の第42回総選挙でも立候補したが、比例東京ブロックでも復活出来ず落選した。自然を大切にし蛍を復活させる会の会長。
小笠原 博(おがさわら ひろし、1943年4月23日 - 2… 小笠原 博(おがさわら ひろし、1943年4月23日 - 2022年8月26日)は、日本の元ラグビー選手。 弘前実業高校では野球部の長身投手で鳴らしていたが、肩を壊し、習志野自衛隊では教育隊の命令によりラグビーを始めた。最初は当たり負けしたが、たちまち生来の負けじ魂に火が付き、ほどなく当たり勝つようになると複数の大学の誘いがかかる。しかし大学に入れば社会人経由の年長者である自分が年下の先輩に殴られることが予想されたため、それを嫌って大学ラグビーに進むことを避け、21歳の時に近鉄に入社。坂田好弘、石塚広治、今里良三、原進(後の阿修羅・原)らとともに、近鉄の黄金時代の一翼を担い、全国社会人大会で4回、日本選手権で3回優勝を経験した。
田原 睦夫(たはら むつお、1943年4月23日 - 201… 田原 睦夫(たはら むつお、1943年4月23日 - 2016年2月19日)は、弁護士、元最高裁判所判事(2006年11月1日 - 2013年4月22日)。京都府京都市伏見区出身。 主に倒産法関係で著名。伊方原発事件原告代理人。
生野 照子(いくの てるこ、1943年4月23日 - 201… 生野 照子(いくの てるこ、1943年4月23日 - 2019年8月9日)は、日本の小児心身医学者。 大阪府大阪市生まれ。大阪市立大学医学部卒業。心療内科・小児科医。とくに摂食障害の治療に力を入れ、セルフヘルプ活動を支援。1998年より1年間ロンドンの大学病院で研修し、その体験を生かして本格的なチーム治療を開始。神戸女学院大学人間科学部教授。2014年定年、名誉教授。大阪府教育委員会委員長を務めた。 2019年8月9日、膵臓癌のため死去。76歳没。
小田 章(おだ あきら、1943年〈昭和18年〉4月21日 … 小田 章(おだ あきら、1943年〈昭和18年〉4月21日 - 2022年〈令和4年〉7月19日)は、日本の経営学者。第14代和歌山大学長で同名誉教授。日本維新の会所属の参議院議員高木佳保里の父。位階勲等は従三位瑞宝中綬章。 大阪府大阪市出身。1961年(昭和36年)、大阪府立清水谷高等学校卒業。1970年、神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了。経営学修士、専門はドイツ経営学。1971年、和歌山大学経済学部助手に。助教授などを経て1985年(昭和60年)から教授。経済学部長、副学長を務め、2002年(平成14年)8月、第14代学長に就任した。 学長として、国立大学法人化の指揮を取りながら、独自の教育・研究を目指す改革路線を掲げ、2008年(平成20年)国公立大学で初の観光学部を新設した。
谷口 勝則(たにぐち かつのり、1943年4月21日 - )… 谷口 勝則(たにぐち かつのり、1943年4月21日 - )は、日本の電気工学者。大阪工業大学名誉教授・電気クラブ元副会長。工学博士(大阪府立大学)。パワーエレクトロニクス学会元会長。電気学会フェローおよび電力変換国際会議(PCC-Osaka)2002実行委員長。元IEEE-IE TOKYO CHAPTER VICE CHAIRMAN。 専門は、パワーエレクトロニクス、電力工学・電力変換(特にインバータ・コンバータ)、電気回路・電動機制御システムなど。 長崎県出身。1966年大阪工業大学工学部電気工学科卒業。1970年大阪府立大学大学院工学研究科電気工学専攻修士課程修了、のちに工学博士(大阪府立大学)号を取得。
深田 烝治(ふかだ じょうじ、1943年(昭和18年)4月2… 深田 烝治(ふかだ じょうじ、1943年(昭和18年)4月21日 - )は、日本の官僚。元会計検査院事務総長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
34代 木村 庄之助(さんじゅうよんだい きむら しょうのす… 34代 木村 庄之助(さんじゅうよんだい きむら しょうのすけ、本名は伊藤 勝治(いとう かつはる)、1943年4月21日 - )は、大相撲の立行司の一人。木村庄之助としての在位期間は2007年5月〜2008年4月。錦島部屋→式秀部屋→伊勢ノ海部屋所属。 昭和18年(1943年)、愛知県名古屋市生まれる。小学4年生より東京都江戸川区小岩で育つ。父は硫黄島の戦いに従軍して戦死、母も結核で死去したため、幼少時は力士だった義伯父(母の義兄)に育てられた。 1956年5月場所に式守勝春の名で初土俵。師匠は木村筆之助。 幕内格時代まで場内アナウンスを長らく担当していた。 2005年9月場所に三役格になったあと、史上最短の4場所で通過して、2006年5月場所、36代式守伊之助を襲名する。
輪島 功一(わじま こういち、1943年4月21日 - )は… 輪島 功一(わじま こういち、1943年4月21日 - )は、日本の元プロボクサー。元WBA・WBC世界スーパーウェルター級統一王者。元リングマガジン世界スーパーウェルター級王者。 現在はタレント、輪島功一スポーツジム名誉会長。団子屋の経営も行っていた。樺太豊原市(現・ユジノサハリンスク)出身、北海道士別市育ち。血液型はB型。 世界スーパーウェルター級王座を3度獲得(1度目と2度目はWBA・WBC統一王座で、日本人初の公式な(WBA・WBC分立後)統一世界王者でもある。3度目はWBAのみ)。"炎の男"の異名を持ち、"かえる跳び"等で知られる変則右ボクサーであった。具志堅用高、ガッツ石松、輪島の三人でボクシング界の重鎮として共演することが多い。