宮本 春樹(みやもと はるき、1936年3月30日 - 20… 宮本 春樹(みやもと はるき、1936年3月30日 - 2016年12月11日 )は、日本の運輸官僚。海上保安庁長官などを務めた。 千葉県出身。1959年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省した。1990年6月に航空局長を経て、1991年6月に海上保安庁長官に就任し、1997年10月には運輸施設整備事業団理事長に就任。2000年7月に空港施設顧問に就任し、2001年6月に社長に昇格し、2006年6月には会長に就任した。 2006年4月に瑞宝重光章を受章。。 2016年12月11日、病気のために死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
秋山 実 (あきやま みのる、1936年3月30日 - 20… 秋山 実 (あきやま みのる、1936年3月30日 - 2000年8月18日)は、日本のギタリスト。岩手県花巻市出身。 昭和期の歌謡曲、演歌の伴奏者として、多くのレコード録音、音楽ステージ(テレビ、ライブ、コンサート等)に参加。 ギター全般、後年はアコースティック・ギターをメインに演奏した。 1963年、日本クラウンレコード設立時から1年間、同社の専属ギタリストを、その後、日本ビクターで専属ギタリストを務めたあと、フリーとなる。 1960年代、「NHK紅白歌合戦」のバックバンドを務めていたが、NHKにバックバンド団員の出演料が低額である事を抗議した次年から出演依頼が途絶える。1990年代に森進一、島倉千代子などのギター伴奏収録で演奏依頼再開。
高木 昭作(たかぎ しょうさく、1936年3月29日 - 2… 高木 昭作(たかぎ しょうさく、1936年3月29日 - 2011年7月10日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。日本近世政治史専攻。 愛媛県生まれ。1959年東大文学部国史学科卒、1965年同大学院博士課程中退、東京大学史料編纂所助手、助教授、教授、所長、1996年「日本近世国家史の研究」で文学博士、同年定年退官、帯広大谷短期大学学長、放送大学教授。2007年春、瑞宝中綬章受勲。 2011年7月10日、肝不全のため東京都小平市の病院で死去。75歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
石井 代蔵(いしい だいぞう、1936年3月29日 - 20… 石井 代蔵(いしい だいぞう、1936年3月29日 - 2012年12月17日)は、日本の小説家、相撲作家。本名・三郎。 和歌山県生まれ。1959年早稲田大学文学部卒。産経新聞社に入社し、「週刊サンケイ」記者として活躍。 1969年「押しの一手」で作家デビューし、相撲実録小説を中心に執筆した。 2012年急性心筋梗塞のため死去。76歳。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
石井 敏(いしい さとし、1936年3月28日 - 2017… 石井 敏(いしい さとし、1936年3月28日 - 2017年1月30日)は、日本のコミュニケーション学者。獨協大学名誉教授。日本におけるスピーチ・コミュニケーション学の先駆者。専門は異文化コミュニケーション論、対人コミュニケーション論、非言語コミュニケーション論、英語教育。 1936年埼玉県春日部市生まれ。1959年千葉大学教育学部英語科卒業。英語教育における視聴覚的方法論の第一人者である天野一夫に師事。1959年から1971年までは公立校の教員として、千葉県立茂原高等学校英語教諭などを勤めた。1969年フルブライト奨学生として米国ノースウェスタン大学大学院スピーチ学研究科修士課程修了(M.A.)。
安伍朗(やすごろう、1936年(昭和11年)3月28日 - … 安伍朗(やすごろう、1936年(昭和11年)3月28日 - )は、大相撲の元幕内呼出。本名は高沢 安雄。東京都荒川区出身。二所ノ関部屋所属。 番付制度が導入されてから、後輩呼出にどんどん抜かれた。番付では秀男に抜かれ、呼び上げでは秀男、拓郎、琴二、次郎、克之、志朗、重夫に抜かれていった。停年直前の2001年3月場所の時点では、順席は幕内呼出2番手でありながら、呼び上げは十両取組担当であった。
羽黒花 統司(はぐろはな とうじ、1936年3月28日 - … 羽黒花 統司(はぐろはな とうじ、1936年3月28日 - 1984年6月3日)は、北海道紋別郡西興部村出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は千葉 進(ちば すすむ)。最高位は東関脇(1963年3月場所・1964年7月場所)。現役時代の体格は181cm、125kg。得意手は左四つ、吊り、上手投げ。大相撲の黄金時代の1つである「柏鵬時代」に、幕内力士として活躍した。 地元の高校を卒業後、農業に従事していたが、安念山(後の羽黒山。引退後、年寄・追手風→同・立浪を襲名)の親戚に大相撲入りを勧められて上京。1955年9月場所にて、19歳で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、本名と同一の「千葉」。 初土俵の場所では番付外と新序でいずれも好成績を収めたため、翌年1月場所では序ノ口を飛び越して、いきなり序二段に付いた。
小沢 明(おざわ あきら、1936年3月27日 - )は、日… 小沢 明(おざわ あきら、1936年3月27日 - )は、日本の建築家、東北芸術工科大学第三代学長で、同大学名誉教授。 建築家が大学の教育現場で建築デザインを教えることは、最早めずらしいことではない。その意味で小沢は、みずからプロフェッサー・アーキテクトであることを任じ、実作の世界と教育の世界の二元的な立場から、「建築家による建築家教育」の重要性を説く。学長時代には、これからの芸術デザイン教育のありかたとして、表現の教育ではなく「表現者の教育」が重要であるとして、作家・デザイナーとして活躍する同大現役教員48名による「私の語るアートとデザイン」の著書を発行した。 建築家としての小沢の作品は、新建築、住宅特集に掲載されるほか、近年の代表作として城下町鶴岡(山形県)につくられた「鶴岡アートフォーラム」がある。
井出 弘之(いで ひろゆき、1936年〈昭和11年〉3月27… 井出 弘之(いで ひろゆき、1936年〈昭和11年〉3月27日 - 2015年〈平成27年〉11月24日)は岡山県出身の英文学者、東京都立大学名誉教授。 岡山県勝山町(現・真庭市)生まれ、小倉で少年期を過ごす。1948年に自作の詩が川端康成の選で『赤とんぼ』に掲載される。東京大学文学部英文科卒、1963年同大学大学院博士課程中退、金沢大学教養部助手、講師、1968年明治大学助教授、東京都立大学人文学部助教授、同教授。1999年定年退職、名誉教授、中央大学人文科学研究所客員研究員。イギリス近代文学および現代文学を専門としており、ウィリアム・ゴールディングやトマス・ハーディなどを訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
飯田 和平(いいだ わへい、1936年3月26日 - 201… 飯田 和平(いいだ わへい、1936年3月26日 - 2012年3月8日)は、日本の男性俳優、声優。劇団昴所属。東京都出身。東京都立上野高等学校卒。
木塚 晴夫(きづか はるお、1936年3月26日 - )は、… 木塚 晴夫(きづか はるお、1936年3月26日 - )は、日本の英語教育者。東京理科大学名誉教授。 東京出身。東京都立富士高等学校卒業後、渡米。カリフォルニア大学バークレー校卒業。政治(国際関係)を専攻した。帰国後、NHK国際局にて英語ニュース解説者、その後東京理科大学助教授、教授。2002年退職し、名誉教授となる。日本時事英語学会理事などを歴任した。
海原 徹(うみはら とおる、1936年3月26日 -2025… 海原 徹(うみはら とおる、1936年3月26日 -2025年2月6日 )は、日本の教育学者・歴史学者。教育学博士(京都大学・論文博士・1973年)。元京都学園大学学長、京都大学名誉教授。専門は日本教育史特に江戸時代から近代にかけての教育、吉田松陰や松下村塾などについて研究。
河野 隆(こうの たかし、1936年3月26日 - 2026… 河野 隆(こうの たかし、1936年3月26日 - 2026年2月23日)は、日本の実業家、ハウス食品代表取締役社長[信頼性要検証]。 ハウス食品4代目代表取締役社長、会長を歴任した。 1959年、関西大学経済学部を卒業後、同年4月にハウスカレー浦上商店(現・ハウス食品グループ本社)に入社。1998年6月、ハウス食品株式会社の社長に就任。 2026年2月23日死去。89歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
29代 木村 庄之助(にじゅうきゅうだい きむら しょうのす… 29代 木村 庄之助(にじゅうきゅうだい きむら しょうのすけ、本名:櫻井 春芳(さくらい はるよし、旧姓・梯〈かけはし〉)、1936年3月26日 - )は、大相撲の立行司の一人。木村庄之助としての在位期間は1995年1月-2001年3月。二所ノ関部屋所属。高知県香南市香我美町岸本(旧香美郡香我美町)出身。 幼少期、岸本の漁師、梯長太郎の養子となる。香南市立岸本小学校4年生の時に、隣人で園芸を営む河村重寅という相撲愛好家に 「どうか、東京に行ってみないか」 と言われ、故郷を離れ、二所ノ関部屋に入門。 満9歳でいわゆる「豆行司」と呼ばれる年齢であった1945年11月に木村春芳の名で初土俵。のちに師匠の三役格行司・9代式守与太夫の養子となり、房錦は義理の兄になった(房錦と同じ学年だが、生まれは房錦のほうがわずかに早い)。
池田 澄子(いけだ すみこ、1936年3月25日 - )は、… 池田 澄子(いけだ すみこ、1936年3月25日 - )は、日本の女性俳人。生活の周辺をややアイロニカルに眺めた口語的な文体の俳句を得意としながら、生の孤独、戦争などのテーマを詠んだ句も多い。代表句に「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」「ピーマン切って中を明るくしてあげた」「前ヘススメ前ヘススミテ還ラザル」など。 神奈川県鎌倉市に生まれる。父の出征のため父の郷里である新潟県村上市に疎開し、1947年より結婚まで新潟市に育つ。新潟県立新潟中央高等学校卒業。俳句をはじめた時期は遅く、38歳でたまたま目にした阿部完市の俳句に興味を抱いたのがきっかけである。1975年に堀井鶏主宰の「群島」に入会(のち同人。
平岩 嗣朗(ひらいわ つぐお、1936年3月25日 - )は… 平岩 嗣朗(ひらいわ つぐお、1936年3月25日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。1958年から1960年の登録名は平岩 次男。
川島 信也(かわしま のぶや、1936年〈昭和11年〉3月2… 川島 信也(かわしま のぶや、1936年〈昭和11年〉3月24日 - 2023年〈令和5年〉11月15日)は、日本の政治家。長浜市長を通算3期12年務めた。 高島郡(現・高島市)生まれで長浜市在住 。1959年に東京大学法学部卒業後、日本国有鉄道に入社。米子鉄道管理局総務部人事課長、大阪鉄道管理局営業部旅客課長、ニューヨーク事務所次長、九州地方資材部長、本社経営計画室主幹を歴任し、1980年に退職。1983年の第37回衆議院議員総選挙(自由民主党公認)、1986年の第38回衆議院議員総選挙(自由民主党公認)、1990年の第39回衆議院議員総選挙(無所属)に続けて出馬するが落選した。 1991年11月12日に長浜市長に就任し1995年11月11日まで在任。
木村 正人(きむら まさと、1936年3月24日 - 201… 木村 正人(きむら まさと、1936年3月24日 - 2018年5月17日)は、日本の実業家である。コープこうべの元組合長理事。兵庫県出身。 1958年大阪経済大学卒業、1961年灘生協(現コープこうべ)に入所、1981年常勤理事、1987年常務理事、同年12月専務理事を経て、1993年組合長理事に就任。日本流通産業副社長、大阪北生活協同組合理事なども兼任した。 組合長在任時には阪神・淡路大震災が発生。行政と協力し、被災者に緊急物資の提供をいち早く実施するなど、同生協自身の復旧支援のみならず、広く被災者の救援にあたったことで社会的にも評価され、生協への強い信頼を得ることにつなげた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
村上 博基(むらかみ ひろき、1936年3月24日 - 20… 村上 博基(むらかみ ひろき、1936年3月24日 - 2016年4月30日)は、日本の翻訳家。主に英米文学を翻訳した。 愛知県生まれ。1957年東京外国語大学ドイツ語学科卒。 はじめ映画字幕翻訳の仕事をし、1970年より書籍翻訳を始める。推理・冒険ものを主として訳し、ジョン・ル・カレの作品を多く訳している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
奥平 忠志(おくだいら ただし、1936年3月23日 - 2… 奥平 忠志(おくだいら ただし、1936年3月23日 - 2007年8月24日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学。北海道教育大学名誉教授。兄に憲法学者である奥平康弘(東京大学名誉教授)がいる。
吉田 輝雄(よしだ てるお、1936年3月23日 - )は、… 吉田 輝雄(よしだ てるお、1936年3月23日 - )は、大阪府高槻市出身の俳優、歌手。 高槻市立第一中学校時代は野球部に属していた。北陽高等学校、立命館大学経済学部卒業後、1958年湯浅電池に入社(営業部に配属)。翌1959年、新東宝の大蔵貢社長にスカウトされ、湯浅電池を退職後、新東宝に入社。菅原文太、高宮敬二、寺島達夫ら長身の若手二枚目スターと共に「ハンサムタワーズ」として売り出し、主演スターとして活躍。代表作『地帯(ライン)シリーズ』(監督・石井輝男)では、天知茂、三原葉子らと共演。このシリーズは5部作にも及ぶ人気シリーズになった。 1961年、新東宝の倒産に伴い、ハンサムタワーズのメンバーと共に松竹へ移籍。
大野 誠治(おおの せいじ、1936年3月23日 - )は、… 大野 誠治(おおの せいじ、1936年3月23日 - )は、日本のジャーナリスト、経済評論家。 大分県大分郡湯布院町(現・由布市)出身。1960年埼玉大学文理学部経済学科卒。日刊工業新聞、日本工業新聞記者を経て、雑誌『財界』編集長。のち常務取締役兼論説委員。
西野 脩司(にしの しゅうじ、1936年3月23日- )は… 西野 脩司(にしの しゅうじ、1936年3月23日- )は、日本の経営者。三井鉱山社長を務めた。東京都出身。 1959年に東京大学法学部を卒業し、同年に三井鉱山に入社した。1989年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1995年6月に専務を経て、1997年6月に社長に就任。2004年1月に経営責任により、社長を辞任。
マークス 寿子(マークス としこ、英語: Toshiko M… マークス 寿子(マークス としこ、英語: Toshiko Marks、1936年(昭和11年)3月23日 - 2024年(令和6年)6月15日)は、日本出身のイギリスの学者、評論家。エセックス大学講師や秀明大学教授を務めた。 正式名は「ブロートンのマークス男爵夫人トシコ・マークス閣下(The Right Honourable Toshiko Marks, Baroness Marks of Broughton)」[要出典]。旧名は志村 寿子(しむら としこ)。アメリカ文学者の志村正雄(東京外国語大学名誉教授)は兄。 1936年、東京府に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業。旧・東京都立大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。
山田 智彦(やまだ ともひこ、1936年3月23日 - 20… 山田 智彦(やまだ ともひこ、1936年3月23日 - 2001年4月17日)は、日本の小説家。 神奈川県生まれ。1958年、早稲田大学第一文学部独文科卒業。同大学院文学研究科独文科修士課程修了。 東京相互銀行(のち東京相和銀行)に勤務しながら小説を書き、1967年、「犬の生活」で文学界新人賞に佳作入選、デビュー。1971年、初の作品集『結婚生活』を上梓。 芥川賞の候補に5回挙がるが受賞ならず(1968年上半期「予言者」、68年下半期「父の謝肉祭」、71年上半期「実験室」、72年上半期「家を出る」、72年下半期「蟻の塔」)。 1976年、長編『水中庭園』で毎日出版文化賞受賞。 1976年の『重役候補』以来、企業小説を書き、ほかにビジネス書も執筆し、重点がそちらに移る。
山本 和義(やまもと かずよし、1936年3月22日 - 2… 山本 和義(やまもと かずよし、1936年3月22日 - 2023年4月21日)は、日本の漢文学者。南山大学名誉教授。 1936年、岐阜県大垣市で生まれた。京都大学文学部中国文学科で学び、同大学大学院に進んだ。博士課程を単位取得後満期退学した。 1974年に南山大学文学部助教授に就いた。1980年に教授昇格。学内では、1988年から1994年まで図書館長、1996年から2000年まで文学部学部長を務めた。2001年に南山大学を定年退任し、名誉教授となった。 2023年4月21日に死去。87歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
石川 恭三(いしかわ きょうぞう、1936年3月22日 - … 石川 恭三(いしかわ きょうぞう、1936年3月22日 - )は、杏林大学医学部名誉教授、医学博士。東京都出身。 循環器・心臓病の分野を専門とし、日本の名医の一人として知られている。メディアへの出演も多い。著書は専門書・一般書合わせて70冊以上。
瓦谷 嘉宏(かわらたに よしひろ、1936年3月21日 - … 瓦谷 嘉宏(かわらたに よしひろ、1936年3月21日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。 尼崎北高校から大阪商業大学を経て1958年に近鉄パールスへ入団。1966年に引退。
花本 金吾(はなもと きんご、1936年3月21日 - )は… 花本 金吾(はなもと きんご、1936年3月21日 - )は、日本のアメリカ文学者。早稲田大学名誉教授。 島根県生まれ。島根県立浜田高等学校卒、早稲田大学文学部英文科卒、1965年同大学院文学研究科博士課程満期退学、立正女子大学短期大学部専任講師、1969年助教授、1974年早大法学部助教授、教授。2005年定年、名誉教授。2015年11月瑞宝中綬章受章。
小原 芳春(おばら よしはる、1936年3月21日 - )は… 小原 芳春(おばら よしはる、1936年3月21日 - )は、日本の実業家。株式会社デニーズジャパン第3代代表取締役社長を務めた。 静岡県沼津市出身。小樽商科大学卒業後、1960年東レ入社。1971年イトーヨーカ堂入社。1993年からデニーズジャパン代表取締役社長を務め、業務改革を進め、サービス水準の向上にあたった。1998年沼津市ぬまづ大使。2001年緑丘会理事長。2002年デニーズジャパン相談役。2003年ヤギ監査役。
眞崎 才次(まさき さいじ、1936年3月19日 - )は、… 眞崎 才次(まさき さいじ、1936年3月19日 - )は、日本の機械工学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(京都大学)。第9代大阪工業大学機械工学科同窓会会長。元京都工芸繊維大学助教授。瑞宝中綬章受章。 専門は、材料加工・塑性工学・トライボロジー、生産工学・材料科学。 1959年大阪工業大学工学部機械工学科卒業。1961年同大学大学院機械工学専攻修士課程修了。のちに、京都大学大学院にて工学博士号を取得。同大学助手、京都工芸繊維大学工芸学部助教授などを経て、1972年大阪工業大学工学部機械工学科教授。文部省在外研究員としてカリフォルニア大学バークレー校に留学。1998年第9代大阪工業大学機械工学科同窓会会長を務め、2001年同大学名誉教授。
上野 尚一(うえの しょういち、1936年3月19日 - 2… 上野 尚一(うえの しょういち、1936年3月19日 - 2016年2月29日)は、朝日新聞社社主。朝日新聞社初代社主、上野理一の曾孫にあたる。 京都府出身。1958年、慶應義塾大学法学部卒業。1962年に朝日新聞社に入社。元・同社国際本部副部長。1995年12月から社主代理、1997年10月から社主を務める。 朝日新聞社株式を11.02%保有。元朝日新聞社社主・上野淳一の長男であり、独立行政法人国立博物館運営委員会副委員長、仏教美術研究上野記念財団理事。朝日新聞社社主は村山美知子と共同で務める。 2016年2月29日、肺がんのため死去。79歳没。 上野理一(曽祖父、初代社主) - 上野精一(祖父、2代目社主) - 上野淳一(父、3代目社主) - 上野尚一(4代目社主)
島田 燁子 (しまだ あきこ、1936年3月19日 - )は… 島田 燁子 (しまだ あきこ、1936年3月19日 - )は、学校法人文京学園理事長、学園長、文京学院大学学長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、教育に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:教育)。
釜屋修(かまや おさむ、1936年3月18日 -2013年2… 釜屋修(かまや おさむ、1936年3月18日 -2013年2月2日)は、中国現代文学研究家。研究対象は趙樹理はじめ幅広い。 大阪府堺市生まれ。大阪外国語大学卒業。在学中から中国語を学び、卒業後は商社に勤務。1961年、日中貿易促進会関西事務所に転職。1966年、文化大革命の影響で同会は解散、職員は解雇され失業する。1970年、自己の中国理解の点検と新たな勉強のため大阪外国語大学大学院入学、在学中に山田敬三らと中国文芸研究会を創立する。1973年、静岡大学教養部助教授、1979年、同教授となる。1981年、和光大学人文学部に転じ、1987年まで勤務。1987年より駒澤大学外国語学部に勤務し、2006年定年退職。
横田 雅文(よこた まさふみ、1936年3月18日 - 20… 横田 雅文(よこた まさふみ、1936年3月18日 - 2018年8月20日)は、関西テレビ放送株式会社代表取締役会長、フジ・メディア・ホールディングス取締役。兵庫県出身。
斎藤 博(さいとう ひろし、1936年3月17日 - 201… 斎藤 博(さいとう ひろし、1936年3月17日 - 2015年6月26日)は、日本のアニメーション監督、脚本家、演出家。京都市立紫野高等学校卒業。 中国(当時は満洲国)の日本租借地であった関東州大連市生まれ。太平洋戦争終戦後の1946年に日本へ引き揚げ、京都府に住む。 20代前半、油絵の勉強に専念し画家をめざすが、結婚後の1960年、漫画家の横山隆一 主宰するおとぎプロへ入社し、1961年放送開始のテレビアニメ『インスタント・ヒストリー』や劇場作品の作画を数本担当する。 1963年『鉄腕アトム』の放映が開始されると、おとぎプロの先輩アニメーターで1961年に設立された虫プロダクションの創設メンバー山本暎一の紹介で虫プロダクションへ入社。
久下塚 青蘭(くげづか せいらん、1936年〈昭和11年〉3… 久下塚 青蘭(くげづか せいらん、1936年〈昭和11年〉3月17日 - 没年不明)は、日本の洋画家。「久下田の塚田」を略して「久下塚」とした。「青蘭」は東郷青児から与えられた雅号である。 1936年(昭和11年)3月17日、栃木県芳賀郡久下田町(1954年に町村合併で芳賀郡二宮町になり、2009年に真岡市に編入)に生まれる。養子縁組して塚田貞輔・富美子夫妻の長男となる。資産家の一人息子として育った久下塚は何一つ不自由のない少年時代を過ごした。しかし、陸軍大尉であった父・貞輔が28歳の若さで戦死を遂げた。久下塚が中学2年の時には母の富美子が子供よりも女としての幸せを選んで再婚。久下塚は父母の愛情に満たされずに育った言わばおばあちゃん子であり女中っ子であった。
福島 邦彦(ふくしま くにひこ、1936年3月16日 - )… 福島 邦彦(ふくしま くにひこ、1936年3月16日 - )は、日本の計算機科学者。ニューラルネットワークと深層学習の研究で有名である。現在、ファジィシステム研究所(福岡県飯塚市)の特別研究員である。 1958年、京都大学工学部電子工学科卒業。NHK放送科学基礎研究所主任研究員、NHK放送技術研究所主任研究員を経て、1989年大阪大学基礎工学部教授。1999年、電気通信大学電気通信学部教授。2001年東京工科大学教授。2006年から2010年まで関西大学客員教授。2006年から一般財団法人ファジィシステム研究所特別研究員。 日本神経回路学会(JNNS)初代会長・名誉会員、電子情報通信学会フェロー。
岩間 一雄(いわま かずお、1936年3月16日 - )は、… 岩間 一雄(いわま かずお、1936年3月16日 - )は、日本の政治学者、岡山大学名誉教授。専攻は中国・東洋政治思想史。 愛知県名古屋市生まれ。名古屋大学大学院法学研究科博士課程修了。1967年「中国における封建的思惟の展開」で名大法学博士。名古屋大学法学部助手、1966年岡山大学法学部助手、同法文学部助教授、教授。2001年定年退官、名誉教授。1998年地方出版文化功労賞受賞。守本順一郎に師事した。門下生に伊藤恭彦等。
西田 篤弘(にしだ あつひろ、1936年3月15日 - 20… 西田 篤弘(にしだ あつひろ、1936年3月15日 - 2025年5月17日)は、日本の物理学者、宇宙科学研究所名誉教授。日本学士院会員。専門は宇宙空間物理学。 三重県出身。愛知県立明和高等学校卒業。東京大学卒業。1968年東京大学理学博士。「Plasma in the earth's upper atmosphere(地球上層大気のプラズマ)」。1981年に宇宙科学研究所教授となり、東大教授を併任。1996年宇宙科学研究所所長に就任。GEOTAIL衛星プロジェクトのリーダーを務めた。 プラズマポーズの成因を明らかにする理論を確立し、またプラズマ対流の発生機構を明らかにするなど、地球周辺空間の基本構造の解明に貢献した。
ジミー 時田(ジミーときた、1936年3月15日 - 200… ジミー 時田(ジミーときた、1936年3月15日 - 2000年3月10日)は満洲生まれのカントリー・ミュージックの歌手。本名は時田 圭介。ジミー・ロジャーズにあやかって「ジミー」を名乗った。 1936年、満洲にて出生。 1951年、荒川区立第一中学校卒業。青山学院高等部入学。 高校1年の頃、友人の伝手でウェスタン・ランブラーズと知り合い、カントリー・ミュージックに目覚め、FENから流れてくるカントリー番組を聴いてはコピーしながらレパートリーを増やしつつ、英語力も磨いたという。 1954年、青山学院大学文学部英文学科入学。学生バンド「サンセット・バリー・ボーイズ」を結成。1955年から1年間ほど、山口銀次等のハワイアン・バンドにてギターの修行をした。
波多野 哲朗(はたの てつろう、1936年3月15日 - 2… 波多野 哲朗(はたの てつろう、1936年3月15日 - 2020年10月2日)は、日本の映画評論家、映像作家、翻訳家。東京造形大学名誉教授、日本大学大学院芸術学研究科非常勤講師。 福井市出身。日本映像学会元会長、日本映画学会名誉顧問、日本アニメーション学会名誉会員 を務めた。 1969年から1971年まで山根貞男、手島修三とともに映画批評誌『シネマ』(誌名は『シネマ69』『シネマ70』『シネマ71』と変遷)の編集・発行に携わる。 1998年には、オートバイによるユーラシア大陸横断ツーリングを計画し、みずから隊長としてロシアのウラジオストックからポルトガルのロカ岬まで16000キロを約2か月をかけて横断に成功した。
中里 斉(なかざと ひとし、1936年3月15日 - 201… 中里 斉(なかざと ひとし、1936年3月15日 - 2010年7月18日)は、日本の画家。東京都生まれ。ニューヨークにて制作活動をした。2010年、製作中の不慮の事故により急逝した。 東京府南多摩郡忠生村(現 東京都町田市)生まれ。1948年桜美林中学校に入学、1954年桜美林高等学校を卒業。1956年多摩美術大学美術学部絵画科(油画)に入学し、大沢昌助らに師事。1960年同大学卒業。半年ほど『北海タイムス』の美術記者として勤務した後、桜美林学園の専任講師となる。1962年アメリカに渡り、ウィスコンシン大学大学院(絵画専攻、版画副専攻)に入学。1964年ミルウォーキーのセント・ジェームス・ギャラリーで初個展を開催。
池田 得太郎(いけだ とくたろう、1936年3月15日 - … 池田 得太郎(いけだ とくたろう、1936年3月15日 - )は、日本の小説家。 東京日本橋生まれ。日本大学旧工学部中退。 1958年、学生時代に「家畜小屋」を中央公論新人賞に応募。受賞できず佳作止まりだったが、選考委員三島由紀夫の絶賛を受けて『中央公論』に掲載され、第40回芥川賞候補となる。 四人の子供を育てながら日立製作所でサラリーマン生活をしつつ、1972年から再度作品を発表。1976年『野性時代』に掲載された「ノアの箱舟殺人事件」が最後の作品となっている。
高見澤たか子(たかみざわ たかこ、1936年3月15日- )… 高見澤たか子(たかみざわ たかこ、1936年3月15日- )は、日本のノンフィクション作家。 東京生まれ。本名・寺尾隆子。高見沢遠治は伯父(父の兄)。早稲田大学文学部卒。伝記作品のほか、自らの体験を通して家族や生活、高齢社会をテーマにした著書も多い。
牧 昭男(まき あきお、1936年3月14日 - 2014年… 牧 昭男(まき あきお、1936年3月14日 - 2014年4月26日)は、日本の元プロボクサー。元OBF東洋スーパーバンタム級王者。アマチュアの強豪からプロに転じ、東洋王座を獲得したテクニシャン。 大阪府大阪市大淀区(現:北区)に生まれる。浪華商業高等学校(現:大阪体育大学浪商高等学校)から関西大学に進み、アマチュアボクシングで活躍。1958年(昭和33年)に全日本チャンピオンとなった後、同年に開催された第三回アジア大会にも出場、またメキシコで開催されたダイヤモンド・ベルト大会で銅メダルを獲得するなど、アマで通算82勝10敗と輝かしい成績を残す。 1959年(昭和34年)にプロに転向。3戦目で後の強豪関光徳と対戦、6回を引き分けている。
永江 一仁(ながえ かずひと、1936年3月14日 - 20… 永江 一仁(ながえ かずひと、1936年3月14日 - 2012年3月11日)は、日本の元政治家。元民社党衆議院議員(通算2期)、兵庫県議会議員(通算2期)。父は元衆議院議員、農林水産大臣の永江一夫。長男の一之は、神戸市会議員。 兵庫県出身。関西学院大学経済学部卒。 兵庫県議会議員を経て、引退した永江一夫の後継候補として民社党公認で1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧兵庫1区から出馬するも落選。1976年の第34回衆議院議員総選挙でも落選するが1979年の第35回衆議院議員総選挙で初当選。翌年の第36回衆議院議員総選挙で落選するも、1983年の第37回衆議院議員総選挙で当選し返り咲いた。 しかし、これ以降1986年、1990年の衆議院議員選挙で落選。
樋口 公啓(ひぐち こうけい、1936年(昭和11年)3月1… 樋口 公啓(ひぐち こうけい、1936年(昭和11年)3月14日 - 2018年(平成30年)10月16日)は、日本の実業家。 鳥取県米子市出身。1960年慶應義塾大学経済学部卒業後、東京海上火災保険株式会社入社。1996年社長、2001年会長、2003年相談役に就任。この間日本損害保険協会会長や日本経済団体連合会副会長等を歴任。その後、ビジネスに見切りをつけ大学院で学びなおす。2005年慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程修了、2011年同後期博士課程修了。2018年10月16日、胆管炎のため死去、82歳没。 『山田方谷の思想と藩政改革』明徳出版社、2011年2月 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
翁長 助裕(おなが すけひろ、1936年〈昭和11年〉3月1… 翁長 助裕(おなが すけひろ、1936年〈昭和11年〉3月14日 - 2011年〈平成23年〉1月15日)は、日本の政治家、地方公務員。沖縄県副知事、沖縄県議会議員。 1936年(昭和11年)3月14日、沖縄県那覇市古島に生まれる。1959年(昭和34年)に法政大学法学部政治学科を卒業、1962年(昭和37年)に法政大学大学院社会学研究科政治学専攻修士課程を修了し、琉球政府計画局に入る。 1972年(昭和47年)に沖縄県議会議員(2期)に当選し、1977年(昭和52年)に新自由クラブ沖縄県連代表に就任し、1979年(昭和54年)の衆議院沖縄県全県区に新自由クラブ公認で立候補するが落選する。1980年(昭和55年)に沖縄県教育委員(2期)、1984年(昭和59年)から教育委員長(3期)を務める。
藤村 龍雄(ふじむら たつお、1936年3月13日 - )は… 藤村 龍雄(ふじむら たつお、1936年3月13日 - )は、日本の哲学研究者・論理学者。東京水産大学名誉教授。 樺太生まれ。岩手県立千厩高等学校卒、1958年千葉大学文理学部哲学科卒、1964年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学、東京薬科大学専任講師、1965年国士舘大学専任講師、1966年鹿児島大学法文学部助手、1967年講師に就任、1968年東京水産大学講師、1970年助教授、1980年教授、1999年定年退官、名誉教授、2001年立正大学教授、2006年に定年退職。 『フレーゲ著作集』で2000年日本翻訳出版文化賞受賞。