野村 純一 (のむら じゅんいち、1935年3月10日 - … 野村 純一 (のむら じゅんいち、1935年3月10日 - 2007年6月20日)は、日本の民俗学者・文化人類学者・国文学者。学位は、文学博士(論文博士・1985年)(学位論文「昔話伝承の研究」)。國學院大學名誉教授。2000年紫綬褒章受章。正五位瑞宝中綬章。 東京都出身。岩倉高等学校教諭、國學院大學兼任講師を経て、1966年専任講師。助教授を経て、1981年國學院大學文学部日本文学科教授。國學院大學図書館長も兼任し、國學院大學名誉教授。日本民俗学会理事、日本口承文芸学会会長、日本昔話学会理事など。2000年紫綬褒章受章。 いち早く、口裂け女を、民俗学・口承文芸の見地から研究し、日本における怪談研究、都市伝説研究の先駆けとなった。
小松 俊典(こまつ としのり、1935年〈昭和10年〉3月1… 小松 俊典(こまつ としのり、1935年〈昭和10年〉3月10日 - 2020年〈令和2年〉12月4日)は、日本の言語学者(英語学・英語教育)。位階は従四位。学位は修士(ポートランド大学・1970年)。静岡県立大学名誉教授、静岡県立大学教職員テニスクラブ名誉会長。 駐日ニュージーランド大使館での勤務を経て、大同工業大学助教授、静岡薬科大学助教授、静岡県立大学国際関係学部教授などを歴任した。 英語学や英語教育を専攻する言語学者である。日本における中等教育や高等教育の英作文に対する研究などが知られる。駐日ニュージーランド大使館で勤務した経験を持ち、大同工業大学、静岡薬科大学、静岡県立大学などで教鞭を執った。
岡村 春彦(おかむら はるひこ、1935年3月9日 - 20… 岡村 春彦(おかむら はるひこ、1935年3月9日 - 2020年5月31日)は、日本の俳優・演出家。東京都出身。國學院大學卒。趣味はスキー、水泳。 大日本帝国海軍参謀の岡村於菟彦の子として生まれる。父方の曾祖父に明治天皇侍従の堤正誼、父方の祖父に大審院判事・弁護士・中央大学学長の岡村輝彦がおり、母方の曾祖父に日本赤十字社創設者で伯爵の佐野常民、母方の祖父に海軍少将で子爵の田村丕顕がいる。伯父に医学者緒方知三郎、兄はジャーナリストの岡村昭彦。 北海道放送演劇養成所に学ぶ。北海道札幌南高等学校在学中に、加清純子や樫村幹夫らとともに文芸同人誌「青銅文学」を創刊。加清純子とは恋仲であった。札幌南高校を追い出されるようなかたちで退学となり、「青銅文学」は27号で終刊。
仲村 秀生(なかむら しゅうせい、本名:中村 秀男、1935… 仲村 秀生(なかむら しゅうせい、本名:中村 秀男、1935年3月9日 - 2014年7月30日)は日本の俳優、声優、ナレーター。現役時は、同人舎プロダクション、ぷろだくしょんバオバブを経て81プロデュースに所属していた。声質は端正なバリトン。血液型はO型。
北口 晃(きたぐち あきら、1935年3月8日 - )は大阪… 北口 晃(きたぐち あきら、1935年3月8日 - )は大阪府出身の元サッカー選手。ポジションはFW。
岡崎 正孝(おかざき しょうこう、1935年3月8日 - 2… 岡崎 正孝(おかざき しょうこう、1935年3月8日 - 2022年)は、ペルシア文学者、イラン研究者、大阪外国語大学名誉教授。 福井県出身。1957年京都大学文学部(東洋史学専攻)卒業、1960年同大学大学院東洋史学科修士課程修了。アジア経済研究所、大阪外国語大学助教授、教授、2000年定年退官、名誉教授。
藤原 良一(ふじわら よしかず、1935年(昭和10年)3月… 藤原 良一(ふじわら よしかず、1935年(昭和10年)3月8日 - )は、日本の官僚。元国土事務次官。 1960年(昭和35年)京都大学農学部卒業。国土庁土地局次長、土地局長、長官官房長を経て、1992年(平成4年)国土事務次官に就任。 1993年(平成5年)に退官後、1996年(平成8年)本州四国連絡橋公団総裁、2000年(平成12年)建設業振興基金理事長を歴任、2001年(平成13年)から東日本建設業保証社長。2008年(平成20年)の春の叙勲で瑞宝重光章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
豊田 裕(とよだ ゆたか、1935年(昭和10年)3月8日 … 豊田 裕(とよだ ゆたか、1935年(昭和10年)3月8日 - 2021年(令和3年)5月28日)は、日本の研究者・教育者。帯広畜産大学名誉教授。栃木県芳賀郡二宮町出身。 1953年栃木県立真岡高等学校、1957年東京大学農学部畜産学科を卒業、1962年同大学院生物系研究科(現・理学系研究科)博士課程を修了(農学博士)。同年東北大学農学部助手(家畜繁殖学講座・竹内三郎教授)。1967年~1968年米国・ウースター実験生物学研究所(英語版)に留学し、M.C.チャン(英語版)の指導を受ける。1968年北里大学畜産学部助教授、1971年教授、1987年東京大学医科学研究所教授、1995年定年退職、帯広畜産大学原虫病分子免疫研究センター教授、1998年名誉教授。
多田 明重(ただ あきしげ、1935年3月8日 - )は、日… 多田 明重(ただ あきしげ、1935年3月8日 - )は、日本の経営者。西日本新聞社社長を務めた。 大分県出身。1957年に早稲田大学文学部を卒業し、同年に西日本新聞社に入社。1993年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務、1997年6月に専務を経て、2001年6月に社長に就任。2008年6月に会長に就任。2010年6月に取締役相談役を経て、2011年6月には相談役に就任した。 2004年6月から2011年6月までに共同通信社理事会長務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
江坂 元穂(えさか もとお、1935年3月7日 - )は、… 江坂 元穂(えさか もとお、1935年3月7日 - )は、日本の経営者。大和証券社長を務めた。 東京都出身。1959年に東京大学農学部を卒業し、同年に。1984年12月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1992年4月に社長に就任。1997年に総会屋への利益供与事件により、責任を取る形で辞任し、顧問に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
下宮 忠雄(しもみや ただお、1935年3月7日 - )は、… 下宮 忠雄(しもみや ただお、1935年3月7日 - )は、日本の言語学者。ゲルマン語学・比較言語学分野を専門とし、学習院大学名誉教授。 東京都出身。1961年早稲田大学第二文学部卒業(英語文学)、1964年東京教育大学修士号(ゲルマン語学・比較言語学)取得。ボン大学、サラマンカ大学に留学。弘前大学講師、助教授、学習院大学助教授、教授を歴任し、現在、同名誉教授。
大平 礼三(おおひら れいぞう、1935年3月7日 - 20… 大平 礼三(おおひら れいぞう、1935年3月7日 - 2024年6月6日)は、日本のバスケットボール選手である。 福島県いわき市に生まれる。福島県立磐城高校卒業。明治大学出身。1956年メルボルンオリンピックに出場した。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
緋本 祥男(ひもと さちお、1935年3月6日 - )は、兵… 緋本 祥男(ひもと さちお、1935年3月6日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロ野球選手である。ポジションは外野手、一塁手。1954年から1963年までの登録名は、緋本 祥好。 県立西宮高校を卒業後、1954年に広島カープへ入団。入団後最初の2年間は二軍にいたが、1955年の秋に来日したメジャーリーガー、エルストン・ハワード(ニューヨーク・ヤンキース)の極端なクローズドスタンスからヒントを得る。さらに川上哲治の、「部屋の中にろうそくを立て、振ったバットの風力で火を消す」という練習法も覚え、初の一軍昇格を目指す。 1957年には開幕から右翼手、七番打者に抜擢される。同年は主に中堅手として101試合に先発出場、四番打者としても12試合に起用される。
遊佐 雄彦(ゆさ かつひこ、1935年3月6日 - 2012… 遊佐 雄彦(ゆさ かつひこ、1935年3月6日 - 2012年12月13日)は、日本のジャーナリスト。 福島県二本松市出身。1958年、埼玉大学文理学部卒、読売新聞社に入り、地方支局を回って1962年本社復帰。地方部、整理部、婦人部、1974年新聞監査委員。
千速 晃(ちはや あきら、1935年3月6日 - 2007年… 千速 晃(ちはや あきら、1935年3月6日 - 2007年1月22日)は、東京都出身の日本の実業家。新日本製鐵(現・日本製鉄)元会長。 東京大学経済学部経済学科を卒業後、八幡製鐵に入社し、新日本製鐵の社長、会長を歴任。また、経済団体連合会(経団連)副会長、日本鉄鋼連盟第10代会長、国土交通省国土審議会会長などを務めた。特に新日鐵による上海宝山鋼鉄誕生(小説『大地の子』のモデル)など対中経済支援に携わり中国に太い人脈を持つことから、2005年より日中経済協会会長となった。 稲山嘉寛、永野重雄といった重鎮に秘書として仕える。アジア通貨危機で鉄鋼業界が苦境に陥った1998年、社長に就任し業績回復に尽力。
狩野 安(かのう やす、1935年〈昭和10年〉3月5日 -… 狩野 安(かのう やす、1935年〈昭和10年〉3月5日 - 2025年〈令和7年〉9月28日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(3期)。元全国更生保護婦人連盟会長。茨城県水戸市出身。 1953年(昭和28年)、茨城県立水戸第二高等学校卒業。1957年(昭和32年)、道徳再武装(MRA)活動参加のため渡米後、狩野明男と結婚。水戸商工会議所婦人部会長・県商工会議所婦人部連合会理事・水戸家庭裁判所調停委員・水戸地区保護司・県更生保護婦人連盟副会長・保護観察協会評議員・イニシアティブス・オブ・チェンジ顧問などを歴任。 1992年(平成4年)、夫・明男の死去に伴う参議院議員補欠選挙の茨城県選挙区に自民党から立候補し初当選。
植草 三樹男(うえくさみきお、1935年3月5日 - )は、… 植草 三樹男(うえくさみきお、1935年3月5日 - )は、日本の元和菓子店経営者、株式会社曙元代表取締役社長、現会長である。 1935年、東京都中央区日本橋に5人兄妹の長男として生まれる。東京都立忍岡高等学校を経て、1962年に早稲田大学法学部を卒業後、英国系の商社勤務を経て、父・圭三が1948年に創業した株式会社曙に入社。1976年に社長就任。百貨店に積極出店し、全国区の和菓子店に成長させた。2004年、長女の細野佳代に社長を譲り、会長に就任。次女の智子がダウン症候群であったことから、町田リス園理事長や、社会福祉法人愛の鈴理事長を務めるなど、障害者支援施設などに関わる。 現在は経営の第一線からは退き、福祉活動に力を注いでいる。
今田 美奈子(いまだ みなこ、1935年〈昭和10年〉3月5… 今田 美奈子(いまだ みなこ、1935年〈昭和10年〉3月5日 - )は、日本の洋菓子研究家、食卓芸術プロデューサー、実業家。 株式会社今田美奈子食卓芸術サロン代表取締役社長、日仏生活芸術協会会長、国際食卓芸術アカデミー協会会長、TPPを考える国民会議世話人を務める。 芸術文化勲章オフィシエ受章者(2003年)。 1935年3月5日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。父は愛光商会(1939年創立)社長の今田冨雄。 函嶺白百合学園中学校・高等学校を経て、白百合短期大学(現・白百合女子大学)を卒業。のちに父の後継者として愛光商会社長となる今田潔と結婚。1971年(昭和46年)、スイスに招かれ、洋菓子の世界を知る。
宮本 三喜彦(みやもと みきひこ、1935年3月5日 - 2… 宮本 三喜彦(みやもと みきひこ、1935年3月5日 - 2019年10月25日)は、日本の実業家。明治生命保険と安田生命保険の合併を実現させ、初代明治安田生命保険代表取締役会長を務めた。 熊本県出身。熊本県立八代高等学校を経て、1959年一橋大学社会学部卒業。安田生命保険入社。大学では一橋大学硬式野球部所属。 安田生命保険では営業畑を歩み、1971年新橋支店長、1983年取締役、1993年副社長。 1999年安田生命保険代表取締役社長。拡大路線を進めた。 2000年富国生命保険と業務提携開始。富国生命との統合も考えたものの、頓挫。 2001年東京建物、大成建設、朝日生命保険とともに、J-REITを組成。
藤木宏幸(ふじき・ひろゆき、1935年3月5日 - 2003… 藤木宏幸(ふじき・ひろゆき、1935年3月5日 - 2003年12月24日)は日本近現代演劇研究者、演劇評論家。 東京都出身。1957年日本大学芸術学部卒業、1960年同大学院研究科修了。日大在学中に秋庭太郎の教えを受け、秋庭太郎の日本演劇研究での数少ない弟子とされる。1967年共立女子大学専任講師。同助教授、教授を経て同大学名誉教授。近代日本のイプセン受容研究で業績をあげる。「戦争と平和」戯曲全集を源五郎、今村忠純と共に編集。日本演劇学会理事も務める。 2003年12月24日、大動脈瘤破裂のため自宅で死去。68歳没。 藤木宏幸氏死去 演劇評論家(共同通信)
西垣 覚(にしがき さとる、1935年(昭和10年)3月4日… 西垣 覚(にしがき さとる、1935年(昭和10年)3月4日 - 2020年 (令和2年) 6月24日)は、日本の銀行家。元東海銀行(現三菱UFJ銀行)頭取。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
高田 敏江(たかだ としえ、1935年〈昭和10年〉3月3日… 高田 敏江(たかだ としえ、1935年〈昭和10年〉3月3日 - )は、日本の女優・司会者。 群馬県前橋市出身。群馬大学教育学部附属中学校、群馬県立前橋女子高等学校卒業。日本社会事業短期大学中退。夫は心理学者の相場均(1976年死別)。アニマ・エージェンシー所属。身長156cm、血液型AB型。 1954年、東映ニューフェイスの第1期生となり、高原紀子の芸名でデビュー(同期は中原ひとみ、山本麟一、南原宏治など)。 その後、劇団民藝に入団し、1971年の退団まで活動。 1950年代から1960年代にかけては、日活映画にも出演した。 テレビドラマでは多数の作品で母親役として起用された。 『アフタヌーンショー』では桂小金治と司会を務めた。
法元 英明(ほうもと ひであき、1935年3月3日 - )は… 法元 英明(ほうもと ひであき、1935年3月3日 - )は、大阪府大阪市平野区出身の元プロ野球選手(外野手、投手)・指導者・監督・スカウト、野球解説者。
福田 護(ふくだ まもる、1935年 <昭和10年> 3月3… 福田 護(ふくだ まもる、1935年 <昭和10年> 3月3日 - )は、京都府出身の日本の土木工学者。工学博士(京都大学)。大阪工業大学名誉教授。元土木工学教室担当。地盤工学会名誉会員・関西支部元幹事長。瑞宝小綬章受章。 専門は、土質工学(現:地盤工学)・土砂災害、地盤材料。 1957年大阪工業大学工学部土木工学科卒業。のちに、京都大学大学院にて工学博士号を取得。大阪工業大学工学部土木工学科講師として、土木工学教室を担当。1974年同学部助教授。1982年同学科教授、同大学図書館長などを経て、2002年定年退職、同大学名誉教授。2013年秋の叙勲で瑞宝小綬章受章。 大阪工業大学土木工学科で35年以上の長きに渡り教鞭を執り、同学科の初期における土質工学・土砂災害・地盤材料(のちの地盤工学・地盤防災工学)の研究推進・育成に貢献した。
瓜生 良介(うりゅう りょうすけ、1935年3月3日 - 2… 瓜生 良介(うりゅう りょうすけ、1935年3月3日 - 2012年9月5日)は、日本の演出家、鍼灸師。劇団「発見の会」主宰。「ウリウ治療室」を開設し「快医学」を提唱。発見の会は「最初のアングラ劇団」と言われる。青年劇場の瓜生正美は兄。 1935年(昭和10年)、福岡県若松市(現・北九州市)に生まれる。兄たちの影響で、小中学生のころより劇団や人形劇に携わる。15歳のとき父が死去。1951年、若松高校に入学、演劇部に入部。18歳のとき家が破産。 1954年、19歳で上京。黒雅舎で印刷工として働く。1956年、舞台芸術学院に入学。1958年、劇団「舞芸座」の演出部に所属(23歳)。演出家・土方与志に師事。
月原 茂皓(つきはら しげあき、1935年〈昭和10年〉3月… 月原 茂皓(つきはら しげあき、1935年〈昭和10年〉3月2日 - 2019年〈平成31年〉1月19日)は、日本の政治家、防衛官僚。本名:月原 重明。 衆議院議員(通算3期)、参議院議員(1期)、郵政政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣)、国土交通副大臣(第1次小泉内閣)などを歴任した。 香川県観音寺市出身。幼少期を中国の奉天で過ごす。香川県立観音寺第一高等学校、東北大学法学部卒業。学生生活は民法学者である中川善之の私塾冲和寮で送る。 1960年(昭和35年)東北大学卒業後、防衛庁に入庁。1963年(昭和38年)大蔵省主計局、1971年(昭和46年)和歌山県警警務部長、1973年(昭和48年)防衛庁長官秘書、1976年(昭和51年)国連事務総長スタッフ、1978年(昭和53年)防衛庁広報課長を歴任。
井村 健輔(いむら けんすけ、1935年3月2日 - )は、… 井村 健輔(いむら けんすけ、1935年3月2日 - )は、日本の実業家。元不二越会長・社長。長崎県出身。 1935年(昭和10年)生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1957年に長崎大学経済学部を卒業し、同年不二越入社。取締役、常務取締役、代表取締役専務などを経て、1998年2月社長に就任した。事業部門の再編や同業他社との業務提携を進めたほか、不二越の創業70年を記念してコーポレートマークの改定を行なった。また、第二次世界大戦中に強制労働を強いられたとして元女子勤労挺身隊員の3名が雇用企業である不二越に損害賠償と謝罪を求めていた「不二越訴訟」について、第一審・第二審ともに不二越側の全面勝訴であったにもかかわらず、2000年7月に最高裁での和解に踏み切った。
吉田 剛(よしだ たけし、1935年3月2日 - 2018年… 吉田 剛(よしだ たけし、1935年3月2日 - 2018年11月17日)は、日本の脚本家・映画監督である。本名同じ。大阪府堺市生まれ。 1958年、関西大学文学部卒業後、松竹大船撮影所に入社。助監督として小林正樹、篠田正浩、斎藤耕一らの作品につく。それと並行して、野村芳太郎の『おはなはん・第二部』(1966年)、小林『化石』(1975年)、瀬川昌治『哀しい気分でジョーク』(1985年)、佐藤純彌『敦煌』(1988年)や、『必殺シリーズ』(ABC)などのテレビドラマのシナリオを執筆。 1992年、野村芳太郎が急病のため、映画『復活の朝』で監督も兼任する。 1990年代の「月刊ドラマ」誌上における近況報告や随筆では、幕末におけるアメリカ人の傲慢さなども例に挙げて反米主義者を自称していたこともあった。
数土 直方(すど なおかた、1935年3月2日 - )は、日… 数土 直方(すど なおかた、1935年3月2日 - )は、日本の経営者、薬学博士。数土文夫の兄。旧姓は泰道で2000年12月に数土に改姓。エスエス製薬社長、会長を務めた。 富山県出身。1958年に東京大学工学部を卒業し、1962年にエスエス製薬に入社し、取締役に就任。1968年に常務、1974年に専務を経て、1976年に社長に就任した。2001年に会長を経て、2004年に名誉会長に就任。 2005年に旭日中綬章を受章。
土屋 統督(つちや のりおさ、1935年3月2日 - )は、… 土屋 統督(つちや のりおさ、1935年3月2日 - )は、日本のアナウンサー、ニュースキャスターである。 東京都出身。北海道大学理学部数学科卒業。 1959年4月、TBSにアナウンサー6期生として入社(同期には池田孝一郎・石井智・川野昌宏・里見恭夫・新堀俊明・藤田和弘・料治直矢・相場君子・今井登茂子・加藤かな子・加藤珪子・土井誉子・蛭田玲子)。主にニュース、報道番組を担当。報道局ニュース部(1963年11月1日)、ニュース取材部(1965年12月)、ラジオニュース部(1967年10月)に在籍。1967年11月15日にアナウンサー研修室を設置に伴い報道局ラジオニュース部兼アナウンサー研修室付となる。
山本 耕一(やまもと こういち、1935年3月2日 - )は… 山本 耕一(やまもと こういち、1935年3月2日 - )は、日本の俳優である。 東京都目黒区出身。早稲田大学第一文学部卒業後、劇団俳優座に第8期生として入団する。同期に山﨑努、加地健太郎、嵐圭史、水野久美など。俳優座卒業後は劇団新人会に所属し、1960年に舞台『ドン・カルロス』でデビュー。その後も舞台を中心に、映画やテレビドラマなどで活躍。 ワイドショー番組『アフタヌーンショー』(テレビ朝日)ではリポーターを務め、川崎敬三との「そうなんですよ、川崎さん」の名文句が有名となった。 夫人は女優・タレントの小林千登勢。長年「おしどり夫婦」としても有名だったが、2003年に小林が多発性骨髄腫により66歳で死去した。
吉田 修(よしだ おさむ、1935年3月1日 - )は、日本… 吉田 修(よしだ おさむ、1935年3月1日 - )は、日本の医学者。前奈良県立医科大学学長。京都大学名誉教授。学位は、医学博士(京都大学・1967年)。専門は泌尿器科学。 岡山県出身。元日本学術会議議員。38歳で京都大学医学部泌尿器科学講座を主宰。以後多数の俊英を育成。日本泌尿器科学会総会会長、同理事長、日本癌治療学会総会会長、同理事などを歴任。泌尿器科学領域全般に幅広い業績。特に泌尿器腫瘍学分野で画期的な業績。また、医学教育分野や医事行政にも造詣が深く、文部科学省、厚生労働省関連の協議会、懇談会などに数多く参加。 2008年6月よりiPSアカデミアジャパン株式会社代表取締役社長(現在相談役)、2012年4月より天理医療大学学長。
瑳峨 三智子(さが みちこ、1935年3月1日 - 1992… 瑳峨 三智子(さが みちこ、1935年3月1日 - 1992年8月19日)は、女優。俳優・月田一郎と女優・山田五十鈴との間の一人娘。京都府京都市出身。相模女子大学文学部中退。
松井和夫(まつい かずお、1935年3月1日ー2004年1月… 松井和夫(まつい かずお、1935年3月1日ー2004年1月7日)は、日本の経済学者。 岡山県日生町(現・備前市)生まれ。1958年神戸大学経営学部卒、1963年大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、大阪証券経済研究所入所、64年日本証券経済研究所主任研究員。のち大阪経済大学教授となり、69歳で死去。
金子 明雄(かねこ あきお、1935年3月 - )は、日本の… 金子 明雄(かねこ あきお、1935年3月 - )は、日本のテレビプロデューサー。元テレビ東京ミュージック社長。東京都中野区出身。学習院大学政経学部卒業。 大学在学中の1958年に第4期東映ニューフェイスに合格、俳優活動を始める。当時は会社側から「佐久間良子のボディーガードをやれ」と言われ、佐久間と同じ現場となることが多かった。 翌1959年に大学を卒業するが、たまたま日本テレビのドラマに出演する機会があり、そこでテレビの現場に触れたことで「これからはテレビの時代が来る」と考え、1960年に東映を退社し東京放送(TBS)でアルバイトのアシスタントディレクター(AD)として働き始めた。当初はTBSで正社員になることを目指したものの登用試験に不合格となり、ちょうど新たにテレビ局(東京12チャンネル)の開設準備を進めていた日本科学技術振興財団が社員募集をしていたことから、その試験を受け合格し1964年1月に財団に入社した。
田中 治男(たなか はるお、1935年3月 - )は、日本の… 田中 治男(たなか はるお、1935年3月 - )は、日本の政治学者。成蹊大学名誉教授。 1958年京都大学文学部哲学科西洋哲学史専攻卒、64年東京大学大学院法学研究科博士課程修了、「フランス自由主義の生成と展開 コンスタン・ギゾー・トックヴィルの自由及び秩序観を中心として」で法学博士。1965年東京外国語大学助教授、教授、88年成蹊大学法学部教授、2003年帝京平成大学教授、2007年退職。
齋藤 龍 (さいとう りゅう、女性、1935年3月 - 20… 齋藤 龍 (さいとう りゅう、女性、1935年3月 - 2025年7月28日)は、日本の音楽学者、音楽教育者、文筆家。旧姓は渡邊。 横浜市で初の女性助役に任命された。財団法人横浜市芸術文化振興財団理事長も務めた。 教育者の渡邊潜龍・カツの一人娘として横浜市鶴見区に生まれる。横浜市立磯子国民学校(現・横浜市立磯子小学校)、鶴見女子中学校 から神奈川県立希望ヶ丘高等学校に進学。希望ヶ丘高等学校では男女共学実施後の女子1期生で、式典でピアノ演奏に起用されたりしたが、3年生のときに芸術科を新設した東京都立駒場高等学校に移る。ピアニストを志望し、石渡日出夫よりピアノの指導を受けた。東京芸術大学音楽学部楽理科に進み、音楽学を服部幸三に師事し、西洋音楽史を専攻する。
杉田 弘子(すぎた ひろこ、1935年〈昭和10年〉3月 -… 杉田 弘子(すぎた ひろこ、1935年〈昭和10年〉3月 - 2024年〈令和6年〉6月16日)は、日本の比較哲学研究者。武蔵大学名誉教授。 愛媛県松山市生まれ。愛知県立刈谷高等学校卒、1957年東京大学法学部卒業、文化放送勤務ののち1962年東大大学院比較文学比較文化修士課程入学、1968年同博士課程満期退学。1969年7月東大教養学部助手(ドイツ語)、1971年7月退任、西ドイツ・ハンブルク大学、1974年イタリア、米国で滞在研究。1976年帰国、武蔵大学人文学部教授、2000年定年退任、特任教授、2001年名誉教授。2011年『漱石の「猫」とニーチェ』で和辻哲郎文化賞受賞。 2024年6月16日に老衰のため死去。
押阪 忍(おしざか しのぶ、1935年〈昭和10年〉2月28… 押阪 忍(おしざか しのぶ、1935年〈昭和10年〉2月28日 - 2024年〈令和6年〉6月29日)は、日本のフリーアナウンサー、司会者、タレント、芸能プロモーター。元日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日)アナウンサー。 岡山県津山市出身。「押阪」姓は飛鳥時代の皇族・押坂彦人大兄皇子がルーツという。岡山県立津山高等学校、立教大学経済学部を卒業した。5人兄弟の末っ子で、上の4人をすべて結核で失い、母親も早くに亡くした。そのため、同大学時代は実父の知人であった出羽海親方(元横綱・常ノ花)の伝手で出羽海部屋の書生を務めており、アナウンサーの中では非常に珍しい苦学生だった。 1958年4月、開局を翌年に控えた『日本教育テレビ』(NETテレビ、現在のテレビ朝日)にアナウンサーとして入社した。
兼子 仁(かねこ まさし、1935年2月28日 - )は、日… 兼子 仁(かねこ まさし、1935年2月28日 - )は、日本の法学者。専攻は、フランス行政法・地方自治法・情報法・教育法。学位は、法学博士(東京大学・1965年)(学位論文「行政行為の公定力の理論」)。旧・東京都立大学名誉教授。前川崎市市民オンブズマン代表。元神奈川県個人情報保護審議会会長。東京都出身。 民事訴訟法学者で中央大学総長、東京帝国大学教授の加藤正治を祖父に、民事訴訟法学者で東京大学教授の兼子一を父に持つ。叔父に心理学者で早稲田大学生産研教授等を務めた兼子宙、義弟に民事訴訟法学者で駿河台大学学長、元法制審議会会長の一橋大学名誉教授竹下守夫がいる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
飯田 章(いいだ あきら、1935年2月28日 - )は、日… 飯田 章(いいだ あきら、1935年2月28日 - )は、日本の作家。 東京市(現:墨田区)生まれ。早稲田大学第二政治経済学部卒業。 同人誌『文藝首都』に参加。1974年「迪子とその夫」で群像新人文学賞受賞。1987年「あしたの熱に身もほそり」で芥川賞候補。
田切 勝之(たぎり かつゆき、1935年2月27日 - )は… 田切 勝之(たぎり かつゆき、1935年2月27日 - )は、栃木県出身の元プロ野球選手。 作新学院高校から神奈川大学を経て1957年に毎日オリオンズへ入団。1958年に退団。
藤本 文朗(ふじもと ぶんろう、1935年2月27日 - )… 藤本 文朗(ふじもと ぶんろう、1935年2月27日 - )は、日本の特殊教育学者・社会運動家。学位は、教育学博士(東北大学・1993年)(学位論文「障害児教育の義務制に関する教育臨床的研究」)。滋賀大学名誉教授、大阪健康福祉短期大学名誉教授。 京都府生まれ。東京教育大学特殊教育卒、1961年京都大学大学院教育学研究科修士課程修了、大阪学芸大学助手、1965年福井大学教育学部講師、助教授、1978年滋賀大学教育学部助教授、教授、1993年「障害児教育の義務制に関する教育臨床的研究」で東北大学より教育学博士の学位を取得。2000年定年退官、名誉教授、大阪健康福祉短期大学教授、2009年退職、名誉教授。
李 恢成(り かいせい、イ・フェソン、이회성、1935年2月… 李 恢成(り かいせい、イ・フェソン、이회성、1935年2月26日 - 2025年1月5日)は、在日コリアンの小説家。1972年に芥川賞を受賞した。 樺太真岡郡真岡町に生まれる。父親は黄海北道、母親は慶尚北道の出身。1944年に母が病死、1945年の敗戦後、家族で日本人引揚者とともに樺太より脱出。、GHQによって長崎県大村市の収容所に収監された後、朝鮮への帰還を図ったが果たせず、札幌市に住む。このとき、樺太に姉を残留させたことが、その後の作品内でもトラウマとして残っていたことが語られている(在樺コリアン参照)。 北海道札幌西高等学校から、早稲田大学第一文学部露文科に進学。早稲田大学時代は留学生運動の中で活動していた。
三田 登喜子(みた ときこ、旧芸名:三田 桃基子〈読みは同じ… 三田 登喜子(みた ときこ、旧芸名:三田 桃基子〈読みは同じ〉、1935年2月26日 - )は、日本の女優。本名は宮澤 登喜子(旧姓:淵上)。特技はテニス、水泳。 防府商業高校在学中の1951年、大映創立10周年記念ミス・ニッポンの準ミスに輝く。高校を中退し、大映演技研究所に6期生として入る。同期に品川隆二、南原宏治らがいる。1953年、溝口健二監督の『雨月物語』でデビュー。以降、大映の時代劇映画で活躍。1962年にフリーになってからはテレビドラマで活躍している。
松本 道介(まつもと みちすけ、1935年2月26日 - 2… 松本 道介(まつもと みちすけ、1935年2月26日 - 2017年5月12日)は、日本のドイツ文学者・文芸評論家。中央大学名誉教授。 北海道生まれ。2歳で東京に移る。のち京都、岡山に移り、東京大学文学部独文科卒。1960年東京大学大学院修士課程修了。熊本大学法文学部助手、1962年専任講師。1964年國學院大學専任講師、1967年助教授。2年間フランクフルト大学講師を務め、1973年中央大学文学部助教授。1976年教授。文学部長を歴任し、2005年に定年を迎え同大名誉教授。なお中央大学在籍中には体育会水泳部の部長も務めていた。 『季刊文科』同人、1982年より『文學界』に同人雑誌評を書き続けた。
浦田 賢治(うらた けんじ、1935年2月25日 - )は、… 浦田 賢治(うらた けんじ、1935年2月25日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。早稲田大学名誉教授。憲法学舎主宰。熊本県葦北郡佐敷町(現在の芦北町)出身。
木村 淳(きむら じゅん、1935年2月25日 - 2022… 木村 淳(きむら じゅん、1935年2月25日 - 2022年3月3日)は、米国と日本を中心に世界中で活躍した臨床神経生理学(特に筋電図分野)、臨床神経学の第一人者。1989年に京都大学神経内科学教授となってからは日本の臨床神経学、臨床神経生理学の発展に尽くし、その国際化に大きな貢献を果たした。退官後もアイオワ大学で最後まで教鞭を執り続けた。アイオワ大学名誉教授、京都大学名誉教授。米国電気診断医学会、日本臨床神経生理学会、国際臨床神経生理学連合、世界神経学連合の理事長を歴任。2022年3月、現役の医師・研究者のまま急逝した。晩年に米国国籍を取得。兄は精神病理学者の木村敏。2022年にその功績をたたえて日本臨床神経生理学会に学会の特別賞 Jun Kimura Award が設立された。
高橋 靖周(たかはし やすちか、1935年2月25日 - … 高橋 靖周(たかはし やすちか、1935年2月25日 - )は、日本の経営者。大分銀行頭取を務めた。 大分県出身。1958年に神戸大学経済学部を卒業し、同年に大分銀行に入行した。1986年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1996年6月に副頭取に就任し、1998年6月には頭取に昇格。2005年6月に会長に就任し、2010年6月には取締役相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉田 宏晢(よしだ こうせき/ひろあき、1935年2月25日… 吉田 宏晢(よしだ こうせき/ひろあき、1935年2月25日 - )は、真言宗の僧侶、日本の仏教学者で大正大学名誉教授、川崎大師教学研究所相談役。真言宗智山派菩提院結衆、集議を経て智積院化主(智山派管長)。埼玉県本庄市栗崎の宥勝寺住職。 埼玉県生まれ。1953年埼玉県立熊谷高等学校卒業、1961年東京大学文学部哲学科卒業、1971年同大学大学院人部科学研究科印度哲学科博士課程満期退学、1973年大正大学仏教学部専任講師、1980年助教授、1983年教授、1991年「空海思想形成過程の研究」で、文学博士(早稲田大学)の学位を取得。1997年大正大学大学院研究科長、2005年大正大学を定年退任、名誉教授。