盛 貢(もり みつぐ、1932年(昭和7年)12月9日 - … 盛 貢(もり みつぐ、1932年(昭和7年)12月9日 - 2026年(令和8年)2月20日)は、日本の政治家。元青森県西津軽郡木造町長(5期)。 青森県西津軽郡木造町(現・つがる市)出身。青森県立木造高等学校卒。柴田村(のち木造町、現・つがる市)農業協同組合専務理事、木造町議会議員、同町農業協同組合組合長理事を経て、1983年(昭和58年)木造町長に就任。5期務める。2003年(平成5年)に退任。同年、岩木川左岸地区土地改良事業促進協議会会長となる。このほか、木造町出身の横綱旭富士の後援会長を務めた。 2004年4月の春の叙勲で旭日小綬章を受章する。 2026年2月20日、老衰のためつがる市内の福祉施設で死去した。
髙坂 和彦(こうさか かずひこ、1932年12月9日 - 2… 髙坂 和彦(こうさか かずひこ、1932年12月9日 - 2006年12月19日)はフランス文学者、翻訳家。東京都出身。
菅 洋(すげ ひろし、1932年12月9日 - )は、日本の… 菅 洋(すげ ひろし、1932年12月9日 - )は、日本の農学者、東北大学名誉教授。農学博士。専門は作物生理学。 山形県鶴岡市生まれ。1955年東北大学農学部卒業。農林省中国農業試験所勤務、1962年農林省農業技術研究所、1966年「大麦の出穂性に関する育種学的研究」で東北大学農学博士。1978年東北大学農学部助教授、82年教授。87年農学研究所長、89年遺伝生態研究センター長。96年定年退官、名誉教授。1983年日本作物学会賞受賞。
笹山 晴生(ささやま はるお、1932年12月8日 - 20… 笹山 晴生(ささやま はるお、1932年12月8日 - 2024年4月12日)は、日本の歴史学者。日本古代史専攻。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1989年)。東京大学名誉教授。 日本古代史専攻。古代日本の武力・兵制の研究者として著名。このほか山川出版社の高等学校用日本史教科書の執筆・編纂を担当。日本歴史学会会長、横手市史編纂委員、多摩市史編纂委員等も務める。 東京市豊島区雑司が谷生まれ。父は元衆議院議員笹山茂太郎。熊本市で小学校を終え、1951年秋田県立横手美入野高等学校(現・秋田県立横手高等学校)卒業。1955年東京大学文学部国史学科卒業。1960年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、研究室助手となり、同年国史学科学生の樺美智子が安保闘争で死んだ時の国民葬では樺の遺影を掲げてデモ行進の先頭に立った。
根本 悌二(ねもと ていじ、1932年12月8日 - 200… 根本 悌二(ねもと ていじ、1932年12月8日 - 2000年3月16日)は、東京都出身の日本の映画プロデューサー。日活会長などを歴任する。 東京都立小石川高等学校では加藤彰と同期。東京大学文学部言語学科卒業後の1956年、助監督として日活に入社。1965年から1975年にかけて日活労働組合委員長を務めた後、1976年にいきなり専務取締役に。代表取締役副社長を経て、にっかつに社名変更した翌1979年に代表取締役社長に就任する。 労組委員長在任中の1971年11月には、同年の映画製作中止を受け俳優・関係者が多数会社をあとにする中で、労組を中心としてロマンポルノ製作に踏み切り、日活の経営を再建へと導く。
滝澤 行雄(たきざわ ゆきお、1932年12月8日 - )は… 滝澤 行雄(たきざわ ゆきお、1932年12月8日 - )は、日本の医学者、医師。秋田大学名誉教授。 1932年(昭和7年)長野県塩尻市生まれ。1951年(昭和26年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1957年(昭和32年)新潟大学医学部医学研究科卒業。専攻分野は公衆衛生。以降、新潟大学助教授、秋田大学教授、金沢大学放射線実験施設教授(併任)。国立水俣病総合研究センター所長、同センター顧問、UNEP環境影響評価パネル委員、水俣市助役を歴任。 現在、医療法人財団青葉会理事・老健ホスピア玉川施設長。要職にはOECD化学品セクター検討会委員、WHO有機水銀の健康影響に関する研究協力センター長を務め、UNEP環境影響パネル委員にある。
名塩良一郎(なしお りょういちろう、1932年12月7日 -… 名塩良一郎(なしお りょういちろう、1932年12月7日 - 2021年11月12日)は、株式会社ナシオの三代目で同社代表取締役会長。 スペイン文民功労勲章オフィシャル十字型勲章(2009年)
竹内 啓一(たけうち けいいち、1932年12月7日 - 2… 竹内 啓一(たけうち けいいち、1932年12月7日 - 2005年6月25日)は、日本の地理学者。一橋大学名誉教授。専門は人文地理学、社会経済地理学。おもな研究テーマは地中海地域研究、地理思想史。日本地理学会会長、経済地理学会会長等を歴任。 1932年、神奈川県高座郡茅ヶ崎町(現・茅ヶ崎市)で生まれた。地元の国民学校を終えた後、父が小松製作所に再入社したため、一時石川県小松市に移り住んだ。旧制石川県立小松中学校から新制石川県立小松高等学校への移行期を小松で迎えたが、高校の途中で茅ヶ崎に戻った。神奈川県立湘南高等学校に転学し、卒業。 1951年、東京大学理科二類に入学。当初は医学に関心を持っていたが、理学部地理学科に進学し、人文地理学を学んだ。
岩本 行正(いわもと ゆきまさ、1932年12月7日 - 2… 岩本 行正(いわもと ゆきまさ、1932年12月7日 - 2018年7月7日)は、日本の実業家、銀行家。中京テレビ放送社長、会長を務めた。 愛知県出身。1955年に名古屋大学法学部を卒業し、同年に東海銀行に入行。東京総務部長、取締役、営業企業部長、人事部長、本店営業部長、常務、資金営業部長を経て、1989年6月に専務に就任。 1991年6月に中京テレビ放送副社長に就任し、1992年6月から2003年6月までに社長を務め、2003年6月から会長に就任した。 2018年7月7日、胃がんのために死去。85歳没。
石田 泰照(いしだ やすてる、1932年(昭和7年)12月7… 石田 泰照(いしだ やすてる、1932年(昭和7年)12月7日- )は、日本の教育家、児童文学作家。 練馬区立豊渓小学校長、同南町小学校長、練馬区小学校教育会長、竹早教員保育士養成所講師、日本創作ゲーム協会常任理事、教育文筆者の会事務局長。 大阪市生まれ。広島大学教育学部卒。童話集、ゲーム集、教育書など著書多数。
辻 晴雄(つじ・はるお、1932年(昭和7年)12月6日‐)… 辻 晴雄(つじ・はるお、1932年(昭和7年)12月6日‐)は、日本の実業家。シャープ株式会社相談役。弟の妻が第2代社長佐伯旭の子。 大阪府大阪市生まれ。1955年、関西学院大学商学部卒業。同年、早川電機工業株式会社入社(1970年、シャープ株式会社に社名変更)。 1977年取締役、1981年常務取締役、1983年専務取締役を経て、1986年6月取締役社長に就任(シャープの第3代社長)。 1998年相談役(現職)就任。 世界に先駆けて液晶ディスプレイ事業の本格的な立上げに成功した。液晶の大型、高画質、フルカラー化などを進める一方、液晶付ビデオカメラ「液晶ビューカム」、携帯情報ツール「ザウルス」、液晶プロジェクター「液晶ビジョン」、8.6型(当時最大)壁掛け液晶テレビ「液晶ミュージアム」など画期的な応用商品の開発を指揮、「液晶のシャープ」を築き上げた。
西条 道彦 (さいじょう みちひこ、1932年12月6日 -… 西条 道彦 (さいじょう みちひこ、1932年12月6日 - ) は、日本の作家、脚本家、小説家。日本脚本家連盟理事。本名、増成道彦。
沼沢 洽治(ぬまさわ こうじ、1932年12月6日 - 20… 沼沢 洽治(ぬまさわ こうじ、1932年12月6日 - 2007年11月16日)は、日本の英文学者、翻訳家。東京工業大学名誉教授。従四位瑞宝中綬章。専攻はアメリカ文学。姓の正式な表記は沼澤。 東京市本郷区本富士町(現文京区)生まれ。父の沼沢東衛は山形県人で医学中央雑誌社取締役。 東京都立日比谷高等学校を経て、1955年、東京大学文学部英文科卒業。1958年、東京大学大学院修士課程修了。1960年~1961年コロンビア大学に留学。東京工業大学教授。1988年、退任して東京工業大学名誉教授。桐蔭学園横浜大学教授をへて、1996年から2001年まで聖心女子大学文学部教授(外国語外国文学科)。 専門としてはヘミングウェイ、フィッツジェラルドなどロスト・ジェネレーションの作家や、サリンジャー、および現代英米演劇。
丸山 博(まるやま ひろし、1932年12月5日 - 201… 丸山 博(まるやま ひろし、1932年12月5日 - 2019年3月28日)は、プロ野球審判員で元セントラル・リーグ審判部副部長。審判員袖番号は30。 長野県上田市出身。終戦の1945年に旧制上田中学に入学、野球部に入部するも小柄だったためマネージャーを務めた。新制となった上田松尾高校(現在の長野県上田高等学校)を卒業後、長野県高等学校野球連盟を経て1957年セ・リーグ審判部に入局。 以後セ・リーグの中心審判の一人として活躍し、1989年に引退するまでの審判としての通算試合出場数は3515試合を数えたが、日本シリーズ出場は意外と少なく2回(1977年の日本シリーズと1982年の日本シリーズ)、またオールスターには6回出場した。
辰馬 輝彦(たつうま てるひこ、1932年12月5日- 20… 辰馬 輝彦(たつうま てるひこ、1932年12月5日- 2015年7月23日 )は、日本の経営者。興亜火災海上保険社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1955年に関西学院大学商学部を卒業し、同年に興亜火災海上保険に入社した。1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格した。1998年6月から会長を務めた。 2015年7月23日、肺炎のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
斎藤 伝吉(さいとう でんきち、1932年〈昭和7年〉12月… 斎藤 伝吉(さいとう でんきち、1932年〈昭和7年〉12月4日 - 2016年〈平成28年〉1月22日)は、日本の政治家、埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)長(第9代 - 第12代)。 現在のさいたま市岩槻区に生まれる。埼玉県立春日部高等学校卒。岩槻町役場に入り、市制施行後は土木課長、産業建設、総務の各部長、助役を経て、1985年の岩槻市長選挙に立候補し、元市長を破って初当選した。以来1998年まで市長を4期務めた。1997年に4回目の当選を果たして半年後の1998年1月、市内の再開発に関し、納入業者から200万円を受け取ったとして、収賄容疑で逮捕された。逮捕後に市長を辞職。同年6月、浦和地裁で懲役2年6ヶ月、執行猶予3年、追徴金200万円の有罪判決を受けた。
佐藤方彦(さとう まさひこ、1932年12月4日 - )は、… 佐藤方彦(さとう まさひこ、1932年12月4日 - )は、日本の人間工学者、九州芸術工科大学名誉教授。 北海道釧路市生まれ。祖父、父ともに医師で、医師の家系に育つ。幼少期に実母が逝去。1954年、東京大学理学部生物学科卒業、同大学院人類学専攻修了、時実利彦に師事。1962年「運動の巧みさに関する研究」で理学博士。東京大学助手、日本女子体育大学助教授をへて、九州芸術工科大学教授、2003年名誉教授。日本生理人類学会会長。2011年秋瑞宝中綬章受勲。専門は人間工学。
宮井 国夫(みやい くにお、1932年12月3日 - )は、… 宮井 国夫(みやい くにお、1932年12月3日 - )は、日本の元ラグビー選手。「走る重戦車」の異名をもつ。 北海道北見北斗高等学校時代の1951年度、主将として全国高等学校ラグビーフットボール大会に出場し、準優勝を経験。 その後、明治大学へと進み、1955年度には主将を務め、また同大学在籍時代には日本代表選手にも選出された。加えて当時、同大学の陸上部が弱小であったため、100m走・10秒台の走力を見込まれて、1955年の日本学生陸上競技対校選手権大会の同種目に出場し、10.6秒の好タイムをマークして2位に入った。 1956年、八幡製鐵に入社。同社在籍時代には、全国社会人ラグビーフットボール大会(全国社会人大会)で6回の優勝を経験。
藤波 孝生(ふじなみ たかお、1932年12月3日 - 20… 藤波 孝生(ふじなみ たかお、1932年12月3日 - 2007年10月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)。 三重県度会郡神社町(現在は伊勢市)出身。三重県立宇治山田高等学校卒業。早稲田大学商学部時代は雄弁会で活躍。当時の愛称は「神様」。 大学卒業後、家業の和菓子店に従事。伊勢青年会議所を組織し、副理事長に就任。それを選挙母体として1963年三重県議会議員に当選。1期務めた。 浜地文平から後継に指名され、1967年、自由民主党から第31回衆議院議員総選挙に三重県第2区から立候補し初当選し、以後当選11回(当選同期に山下元利・増岡博之・塩川正十郎・加藤六月・中尾栄一・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・水野清など)。
奥野 隆史(おくの たかし、1932年(昭和7年)12月3日… 奥野 隆史(おくの たかし、1932年(昭和7年)12月3日 - 2003年(平成15年)9月6日)は、日本の地理学者。学位は、理学博士(東京教育大学・1965年)。筑波大学名誉教授。位階は正四位。勲三等瑞宝章。 東京府東京市神田神保町生まれ。1955年東京教育大学地理学科卒、1964年同大学院博士課程満期退学、同助手、1965年「東京都区部における発生・吸收交通に関する研究」で、東京教育大学より理学博士の学位を取得。1969年青山学院大学経済学部助教授、1974年東京教育大学理学部助教授、1976年筑波大学助教授、1980年教授、1996年定年退官、名誉教授、上武大学商学部教授。2003年定年退任。
槇 洋介(まき ようすけ、1932年12月2日 - )は、タ… 槇 洋介(まき ようすけ、1932年12月2日 - )は、タレント・ラジオパーソナリティ・放送作家・ファッション評論家・フリープロデューサー。主に関西で活躍中。 神戸市出身。神戸二中(現兵庫高等学校)卒業。1955年慶應義塾大学卒業後に朝日放送に入社、同期に植草貞夫と山内久司と澤田隆治らがいる。その後、大阪テレビ放送へ出向し、大阪テレビ放送が朝日放送と合併後は新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)へ移籍。毎日放送退社後は松下電工(現・パナソニック電工)に転職。 朝日放送・大阪テレビ時代は制作部に所属し、多くの番組でディレクターとして活動。新日本放送時代は制作部門を渡り歩き、松下電工時代は広報・宣伝に携わる。
大河原 昭次(おおかわら しょうじ、1932年(昭和7年)1… 大河原 昭次(おおかわら しょうじ、1932年(昭和7年)12月2日 - )は、日本の実業家。株式会社東食(現・カーギルジャパン)元常務。同社元加工原料本部長。衆議院議員の河野太郎の義父。 群馬県出身。大河原茂平・カネの次男に生まれる。1957年慶應義塾大学経済学部卒業。同年4月東食に入社。1981年8月食品第三副部長、1986年1月食品第一部長委嘱を経て、1989年1月取締役に就任。同年8月加工原料本部長委嘱、1992年1月常務に就任する。 趣味はゴルフとテニス。宗教は禅宗。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐々波 楊子(さざなみ ようこ、1932年12月2日 - 2… 佐々波 楊子(さざなみ ようこ、1932年12月2日 - 2023年5月17日)[要文献特定詳細情報]は、日本の経済学者。慶應義塾大学名誉教授。専門は国際経済学。旧姓川島。 川島楊子は1932年東京府生まれ。1955年慶應義塾大学経済学部卒業。1957年ハーバード大学修士課程修了。1959年から国連本部経済調査官として勤務。1962年慶應義塾大学産業研究所助手。1963年に同学の専任講師、1967年同助教授、1968年に「経済成長と国際競争力」の博士論文の題目で慶應義塾大学から経済学博士を授与。1972年同学教授職に就任。1997年定年退職、同学名誉教授、明海大学教授に就任。 佐々波楊子は2023年に老衰で死去。
鈴木 敏文(すずき としふみ、1932年〈昭和7年〉12月1… 鈴木 敏文(すずき としふみ、1932年〈昭和7年〉12月1日 - )は、日本の経営者、実業家であり、元セブン&アイ・ホールディングス会長兼最高経営責任者(現・名誉顧問)。日本では「コンビニの父」と呼ばれている。 セブン-イレブン社長、イトーヨーカ堂会長、トーハン副会長、日本経済団体連合会副会長、日本フランチャイズチェーン協会会長、日本チェーンストア協会会長、学校法人中央大学理事長を歴任。 長野県埴科郡坂城町出身。1952年3月、長野県小県蚕業高等学校(現・長野県上田東高等学校)卒業。1956年3月、中央大学経済学部 卒業。 東京出版販売(現・トーハン)に入社 イトーヨーカ堂創業者の伊藤雅俊に乞われ31歳で同社に転職し、1971年9月に 同社取締役に就任。
川本 浩司(かわもと こうじ、1932年12月1日 - )は… 川本 浩司(かわもと こうじ、1932年12月1日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手。 山城高校から関西学院大学を経て1955年に大映スターズへ入団。1957年に退団。
脇山 徳雄(わきやま とくお、1932年12月1日 - )は… 脇山 徳雄(わきやま とくお、1932年12月1日 - )は、日本の物性物理学者。東北大学名誉教授。理学博士(東京大学、1965年)。 1932年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1956年に学習院大学理学部物理学科卒業、1958年に同大学大学院自然科学研究科修士課程を修了。小林理学研究所を経て、1961年東京大学物性研究所助手となり、1965年に「鉄-アルミニウム系合金単結晶の磁場中冷却効果の研究」で理学博士号を取得。グルノーブル大学理学部客員助教授を経て、1967年東北大学助教授、1978年教授。磁気物性工学を専門とし、1977年には「DHCP結晶構造を持つコバルト・鉄合金の発見とその物性に関する研究」で松永賞を受賞。
毛利 敏彦(もうり としひこ、1932年12月1日 - 20… 毛利 敏彦(もうり としひこ、1932年12月1日 - 2016年3月12日)は、日本の歴史学者。大阪市立大学名誉教授。明治維新史学会顧問。専門は日本近代史(政治史・外交史)。 千葉県千葉市生まれ。1956年九州大学法学部卒業。1969年九州大学大学院法学研究科博士課程修了(日本政治外交史専攻)、「明治維新政治史序説」で法学博士。九州工業大学助教授、大阪市立大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授、広島市立大学国際学部長・教授、2003年退職。 維新の十傑の江藤新平は縁戚にあたる。 2016年3月12日に腎不全のため死去。83歳没。 従来の研究では明治六年政変で西郷隆盛や江藤新平が下野したのは征韓論という外交問題での対立が原因という見方が支配的だった。
和角 仁(わずみ ひとし、1932年〈昭和7年〉12月1日 … 和角 仁(わずみ ひとし、1932年〈昭和7年〉12月1日 - )は、日本の演劇評論家。歌舞伎・日本舞踊の研究でも知られる。日本演劇協会会員、日本演劇学会会員。予備校講師(古文担当)。テクニックを重視した授業は、グリデン古文と呼ばれ、当時の受験生から厚い支持を得ていた。 北海道に生まれる。早稲田大学大学院文学研究科(日本文学専攻)修了。三宅周太郎、安藤鶴夫、加賀山直三に師事し、1964年より歌舞伎の評論活動に入る。 『創』『朝日ジャーナル』『演劇界』などで評論活動を行う。あわせて1965年から1974年まで、目白学園短期大学(現目白大学短期大学部)講師(芸能史・歌舞伎・演出研究)を務める。 その後、劇団「民芸」の演出家、宮内満也と「劇団ピストールの会」を創り、1965年から2003年まで、俳優座劇場、本多劇場などで「令嬢ジュリー」「かもめ」などを公演する。
渡辺 清(わたなべ きよし、1932年11月30日 - )は… 渡辺 清(わたなべ きよし、1932年11月30日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。 福岡県立戸畑高等学校への在学中は投手で、エースとして活躍するが、甲子園球場での全国大会と縁がなかった。 高校からの卒業後に専修大学へ進学すると、3年生から外野手に転向。在学中には、東都大学野球リーグで4回の優勝を経験した。4年時の1954年、第3回大学選手権の準決勝で明大の「五人衆」(秋山登と土井淳のバッテリー、岩岡保宏、黒木弘重、沖山光利)を擁する明治大学に敗れた。硬式野球部の同期生に岡本健一郎と片山嘉視がいて、1955年に3人揃って阪急ブレーブスへ入団した。 入団1年目の1955年から、レギュラー外野手としてパシフィック・リーグ公式戦132試合に出場するとともに、リーグの最終規定打席へ到達。
平野 和男(ひらの かずお、1932年11月30日- 201… 平野 和男(ひらの かずお、1932年11月30日- 2019年8月6日 )は、日本の経営者。大同生命保険社長、会長を務めた。 岐阜県出身。1955年に神戸大学経営学部を卒業し、同年に大同生命保険に入社した。1978年6月に取締役に就任し、1982年7月に常務、1985年4月に専務を経て、1988年7月に副社長に就任し、1990年7月には副会長に就任。1992年3月に再び副社長に就任し、1994年7月には社長に昇格した。1999年7月に会長に就任し、2001年7月には顧問に就任。 2019年8月6日、肺炎のために死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
栗原 隆(くりはら たかし、1932年11月30日 - )は… 栗原 隆(くりはら たかし、1932年11月30日 - )は、日本の経営者。秩父セメント社長、会長を務めた。 東京都出身。1956年に横浜国立大学経済学部を卒業し、同年4月に秩父セメントに入社した。1984年8月に取締役に就任し、1988年8月に常務、1990年6月に専務を経て、1991年6月に社長に就任。1994年10月に秩父小野田副社長、1996年6月に副会長、1998年6月に相談役、同年10月に太平洋セメント相談役を経て、2006年6月には特別顧問に就任。1998年6月には秩父鉄道会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山浦 常克(やまうら つねかつ、1932年11月30日 - … 山浦 常克(やまうら つねかつ、1932年11月30日 - 2012年10月11日)は日本の実業家。あすなろ書房創業者。 長野県佐久市出身。上京し、昭和22年(1947年)神田で読書指導専門誌「月刊児童図書館」を開業し、日本初の児童優良図書専門書店「森田書店」を開業するなど、児童書向け図書の販売に従事した後、滑川道夫の紹介により、同24年(1949年)珠算専門出版社の「牧書店」に入社し、「学校図書館文庫」の企画・編集に携わる。同36年(1961年)あすなろ書房を創業した。家庭教育書と児童書を中心に出版事業を展開した。
太田 宏次(おおた ひろじ、1932年11月29日 - )は… 太田 宏次(おおた ひろじ、1932年11月29日 - )は、日本の経営者。工学博士。中部電力元社長。系統事故時の自主復旧操作方式や転送遮断方式を考案するなど、系統運用技術の近代化に貢献した。 長野県松本市出身。長野県松本深志高校を経て1955年に東京大学工学部電気工学科を卒業し、同年に中部電力に入社。1985年6月に取締役、1989年6月には常務、1991年6月には副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格した。2001年6月に会長に就任した。また、1999年6月には電気事業連合会会長、2001年5月には中部経済連合会会長を務めるとともに、1970年から1985年まで愛知工業大学で講師、1998年には電気学会会長を務めた。
服部 武夫(はっとり たけお、1932年11月28日 - )… 服部 武夫(はっとり たけお、1932年11月28日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(投手)。 四日市高卒業に当たって、南海球団社長・松浦竹松の友人の紹介でテストを受けて合格し、1950年に南海ホークスへ入団。 2年目の1951年に31試合登板し、10勝7敗、防御率2.03を記録して南海の優勝に貢献した。防御率2.03はリーグ1位の成績だったが、この年だけ導入された資格投球回数算定法によって南海ホークスの標準回数が164回と決まっており、投球回数が155回だった服部は規定未満として最優秀防御率のタイトルを逃し、2.08で2位だった同僚の柚木進がタイトル獲得となった。読売ジャイアンツとの日本シリーズにも出場し、第1戦と第2戦はリリーフで登板。
八嶋 健三(やじま けんぞう、1932年11月28日 - 2… 八嶋 健三(やじま けんぞう、1932年11月28日 - 2025年10月31日)は、日本の経営者。北陸銀行頭取を務めた。 富山県出身。1955年に小樽商科大学商学部を卒業し、同年に北陸銀行に入行した。1983年9月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1992年6月に頭取に就任。1998年6月に会長に就任し、2002年6月には特別参与に就任。 2025年10月31日午後、肺炎のため富山県高岡市の病院で死去。92歳没。死没日付をもって正五位に叙され、旭日中綬章を追贈された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
秋山雅保(あきやま まさやす、1932年11月27日 - )… 秋山雅保(あきやま まさやす、1932年11月27日 - )は日本の大蔵官僚。中国財務局長、横浜税関長などを務めた。 神奈川県出身。埼玉県立浦和高等学校、東京大学理学部数学科卒業。1955年 大蔵省入省(銀行局保険課)。大蔵省では数年に一度は理数科出身者を募集するが、秋山はその2番目の該当者だった。1962年7月 鹿屋税務署長。 1976年6月25日 理財局国有財産第二課長。1977年6月27日 理財局国有財産第一課長。1979年7月10日 中国財務局長。 1981年6月26日から横浜税関長。1982年6月1日に退官。 その後は協栄生命専務取締役に就いた。
山田 勢児(やまだ せいじ、1932年11月27日 - 20… 山田 勢児(やまだ せいじ、1932年11月27日 - 2013年2月6日)は、日本の陶芸家。
橋本 萬太郎(はしもと まんたろう、1932年〈昭和7年〉1… 橋本 萬太郎(はしもと まんたろう、1932年〈昭和7年〉11月26日 - 1987年〈昭和62年〉6月7日)は、日本の言語学者。中国語の研究から、言語類型論と言語地理学を結び付けた言語類型地理論を提唱した。 群馬県新田郡沢野村(現太田市)生まれ。群馬県立太田高等学校、1955年に東京大学文学部中国文学科を卒業。1960年に同大学院博士課程中退。1965年、オハイオ州立大学で言語学の博士号を取得。 1966年2月から8月までハワイ大学助教授、4月大阪市立大学講師、1967年より助教授。1968年9月よりプリンストン大学准教授。1970年7月より東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の助教授となり、1973年6月より教授。
速水 佑次郎(はやみ ゆうじろう、1932年(昭和7年)11… 速水 佑次郎(はやみ ゆうじろう、1932年(昭和7年)11月26日 - 2012年(平成24年)12月24日)は、日本の経済学者。専門は、農業経済学・開発経済学。学位は博士(アイオワ州立大学)。旧・東京都立大学名誉教授。位階は正四位。勲等は瑞宝重光章。文化功労者。 東京都立大学経済学部教授、青山学院大学国際政治経済学部教授、政策研究大学院大学教授などを歴任した。 東京府(現:東京都)出身。東京都立大学附属高等学校を経て、東京大学教養学部教養学科卒業。 農林水産省農業総合研究所で研究員となり、1957~60年に米国アイオワ州立大学経済社会学部大学院へ留学し、同大学院博士課程修了。農業経済学の博士号を取得した。
熊谷 一乗(くまがい かずのり、1932年〈昭和7年〉11月… 熊谷 一乗(くまがい かずのり、1932年〈昭和7年〉11月26日 - )は、教育学者、評論家、創価大学名誉教授。 京都市生まれ。鳥取県出身。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、創価大学文学部助教授、新潟大学教育学部教授、創価大学教育学部教授、名誉教授、桐生大学教授。
久島 正(ひさじま ただし、1932年(昭和7年)11月26… 久島 正(ひさじま ただし、1932年(昭和7年)11月26日 - 2005年(平成17年)2月26日)は、日本の政治家・地方公務員だった人物。 北海道北見市長(1987年-1995年、2期)。北見工業大学教授を歴任した。 北海道常呂郡訓子府町出身。北見市で育つ。 1956年(昭和31年)に日本大学旧工学部建築学科卒業。卒業後、市の職員として技師に就く。その後、北見市商工部長、同建設部長、同企画部長、同総務部長を歴任し、1983年(昭和58年)に同助役に就く。1987年(昭和42年)に寺前武雄の勇退を受けて、北見市市長選挙に出馬し初当選する。2期8年を務め、1995年(平成7年)に新人の小山健一に敗れ落選した。
河野 基比古(こうの もとひこ、1932年11月26日 - … 河野 基比古(こうの もとひこ、1932年11月26日 - 1991年8月11日)は、日本の映画評論家、 音楽評論家。 河野房夫、末高淑子の長男として、慶應義塾大学病院に生まれる。伯父に淑子の兄、早稲田大学商学博士、愛知学院大学名誉教授の末高信がいる。 基比古の名は両親が基督教徒であることに由来し、国文学者の笹川臨風に拠って命名された。1956年に早稲田大学第一文学部英文科を卒業。淀川長治が主催する映画友の会に在籍、同級生には作家の生島治郎と小林信彦がいる。日本コロムビア洋楽部入社。ディレクターとして音楽制作を手掛け、渡米するようになった。 日本コロムビア退社後、日本クラウン、ワーナーパイオニアに転勤し、退社後フリーに転向。
土屋 弘光(つちや ひろみつ、1932年11月25日 - )… 土屋 弘光(つちや ひろみつ、1932年11月25日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者。引退後は、所属していた中日ドラゴンズの球団マネジャー・スカウト・コーチなどを務めた。
法橋 和彦(ほっきょう かずひこ、1932年11月25日 -… 法橋 和彦(ほっきょう かずひこ、1932年11月25日 - 2024年9月8日)は、ロシア文学者、大阪外国語大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。1956年大阪外国語大学卒業、1962年早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、大阪外国語大学助手、1966年助教授、1975年教授、1998年定年退官、名誉教授。教え子には山城むつみなど。 トルストイ研究のほか、小熊秀雄、太宰治についても評論を書いた。2011年瑞宝中綬章を受章。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
片山 智行(かたやま ともゆき、1932年11月25日 - … 片山 智行(かたやま ともゆき、1932年11月25日 - )は、中国文学者。大阪市立大学名誉教授。 大阪市生まれ。1958年東京大学文学部中国文学科卒、1965年大阪市立大学大学院博士課程満期退学。1971年大阪市立大学講師、1973年助教授、1980年教授。1993年「魯迅のリアリズム 「孔子」と「阿Q」の死闘」で、文学博士(大阪市立大学)の学位を取得。1996年定年退官、名誉教授、関西外国語大学教授、同孔子学院理事。2003年退職。
馬場 駿吉(ばば しゅんきち、1932年11月25日 - )… 馬場 駿吉(ばば しゅんきち、1932年11月25日 - )は、俳人、美術評論家、医師(医学博士)。名古屋市立大学名誉教授(耳鼻咽喉科学)。 愛知県名古屋市東区に生まれる。実家は開業医。名古屋市立大学医学部を卒業後、同大学で耳鼻咽喉科の教授を務める。のち同名誉教授。名古屋市立大学病院では院長を務め、感染やアレルギーなどの生体防御反応を研究。また渡米して耳の欠損の再建技術を研究、500例におよぶ再建手術を手掛けた。 中学時代、親戚の開いていた句会を見て以来俳句に興味を持つ。俳人としては橋本鶏二に師事し、「年輪」ほかの同人として活動。第一句集『断面』までは写実的な句風であったが、第二句集『薔薇色地獄』より絢爛な幻視的作風となった。
三原 憲三(みはら けんぞう、1932年11月24日 - 2… 三原 憲三(みはら けんぞう、1932年11月24日 - 2014年6月15日)は、日本の法学者。刑法学者。弁護士。朝日大学名誉教授。朝日大学大学院法学研究科客員教授。博士(法学)(明治大学、1992年)。 香川県生まれ。1951年香川県立丸亀高等学校卒業。1956年明治大学法学部卒業。1958年明治大学大学院法学研究科修士課程修了。明治大学法学部助手などを経て、1971年創価大学法学部専任講師に就任。1973年創価大学法学部助教授。1980年創価大学法学部教授。1981年創価大学大学院法学研究科教授。1984年創価大学通信教育部副部長(〜1987年)。1987年朝日大学法学部教授。1991年朝日大学法学部長(〜1997年)。
中島 貞夫(なかじま さだお、1932年11月24日 - )… 中島 貞夫(なかじま さだお、1932年11月24日 - )は、日本の経営者。アキレス社長、会長を務めた。 栃木県出身。1955年に上智大学経済学部を卒業し、同年に興国化学工業(のちのアキレス)に入社。 1978年1月に取締役に就任し、1980年1月に常務、1985年に専務を経て、1988年1月に副社長に就任し、1992年6月には社長に昇格。1994年6月には相談役に退いた。
島田 昌彦(しまだ まさひこ、1932年11月24日-201… 島田 昌彦(しまだ まさひこ、1932年11月24日-2017年3月13日)は、日本の日本語学者。金沢大学名誉教授。日本語文法学専攻。 東京出身。東京教育大学大学院日本文学専攻博士課程中退。89年「国語における文の構造」で九州大学文学博士。金沢大学法文学部助教授、教授、98年定年退官、名誉教授、桜花学園大学教授。叙従四位、瑞宝中綬章追贈。
桐野 洋雄(、1932年〈昭和7年〉11月24日 - )は、… 桐野 洋雄(、1932年〈昭和7年〉11月24日 - )は、日本の俳優。愛媛県松山市出身。本名同じ。 ポンジュースの生みの親として知られる桐野忠兵衛の一族であったとされ、父親は愛媛の県会議員を務めていた。 早稲田大学文学部演劇科在学中の1952年、俳優座養成所に四期生として入所し(同期に仲代達矢、中谷一郎、佐藤慶、佐藤允ら)、劇団三期会を経て、1958年に東宝と専属契約。東宝の同期には夏木陽介がおり、契約も2人で同時に行ったという。 社長シリーズやクレージーキャッツの映画の常連であったほか、アクション映画の悪役から、特撮映画の自衛官まで、さまざまなジャンルの作品に個性派の脇役として多数出演。代表作に、『若い娘たち』の学生・橋本、『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』の精悍な防衛隊員、『100発100中 黄金の眼』のハッサン兄弟(一人二役)などがあり、テレビドラマ『ウルトラマン』の第31話「来たのは誰だ」でゴトウ隊員(正体は吸血植物ケロニア)を演じている。