中村 典正(なかむら てんしょう、1935年12月12日 -… 中村 典正(なかむら てんしょう、1935年12月12日 - 2019年8月16日)は、おもに歌謡曲、演歌を手がける日本の作曲家。本名:中村貞夫(なかむら さだお)。 山口県の後の新南陽市〜周南市にて誕生。地元開催の「コロムビア歌謡コンクール」徳山大会で入賞し、歌手を志して「かばん1つで上京」した。1958年には「コロムビア歌謡コンクール」全国大会で入賞して若山彰の付き人となる。原六朗に師事した後、歌手ではなく作曲の道に進んだ。 1963年、北島三郎の『三郎太鼓』のB面曲『田舎へ帰れよ』で、本名の中村貞夫として作曲家デビューした。1969年には、中村千里名義で同じく北島三郎の『仁義』をヒットさせた。
森 正夫(もり まさお、1935年12月11日 - )は、日… 森 正夫(もり まさお、1935年12月11日 - )は、日本の中国史学者、名古屋大学名誉教授。 京都府出身。京都府立洛北高等学校卒、1958年京都大学文学部東洋史学科卒、1963年同大学院博士課程単位取得退学。1989年「明代江南土地制度の研究」で文学博士。1963年名古屋大学文学部助手、1967年高知大学教育学部専任講師、1968年助教授、1970年名大文学部助教授を経て、1980年教授、1989-1991年文学部長を務め、1998年定年退官、名誉教授となる。1998-2001年愛知県立大学学長。明清史が専門。 2013年11月瑞宝中綬章受章。
安田 矩明(やすだ のりあき、1935年12月11日 - 2… 安田 矩明(やすだ のりあき、1935年12月11日 - 2004年4月16日)は、日本の陸上競技選手・指導者・研究者、新聞記者。専門は棒高跳で元・日本記録保持者。中京大学名誉教授。日本統治時代の台湾生まれ、鳥取県出身。 安田の現役時代は棒高跳のポールの進化が続いていた頃であり、竹、スチール、グラスファイバーの3種を手に競技を行った。 1935年(昭和10年)12月11日、日本統治下の台湾の台北県樹林鎮(現・新北市樹林区)に安田家7人兄弟の5番目として生まれた。当時の樹林は台北市の郊外にある田舎町であり、父は台湾で国民学校の校長を務め、自宅は学校の裏にあった。高いところに登るのが好きで、2歳の頃に学校の樋を伝って10 mほどの高さの屋根まで登り、母をひやひやさせた経験があるという。
福井 重雅(ふくい しげまさ、1935年12月11日 - 2… 福井 重雅(ふくい しげまさ、1935年12月11日 - 2020年3月13日)は、日本の東洋史学者。早稲田大学名誉教授。 1935年、東京府牛込区(現東京都新宿区)で生まれた。1954年、早稲田大学高等学院を卒業。早稲田大学第一文学部史学科東洋史専修に進学し、1958年に卒業。同大学院文学研究科に進み、1965年に博士課程を単位取得満期退学。 1965年、同大学文学部講師となった。1971年に助教授、1967年に同教授昇格。1988年、学位論文『漢代官吏登用制度の研究』を早稲田大学に提出し、文学博士号を取得。2006年に早稲田大学を定年退職し、名誉教授となった。
寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12… 寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12月10日 - 1983年〈昭和58年〉5月4日)は、日本の歌人・劇作家。演劇実験室を標榜した前衛演劇グループ「天井桟敷」主宰。 「言葉の錬金術師」「アングラ演劇・四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表した。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。 1935年(昭和10年)12月10日、父・八郎、母・ハツの長男として生を受ける。八郎は東奥義塾弁論部OBで当時弘前警察署勤務の特高警察刑事を務めていた。父の転勤のため、県内各所を転々とする。本人は出生について「走っている列車の中で生まれ、ゆえに故郷はない」などと記していたが、ハツと元妻の九條今日子によると、青森県弘前市紺屋町生まれとされ、戸籍上は1936年(昭和11年)1月10日が出生日となっている。
山尾 幸久(やまお ゆきひさ、1935年12月10日 - 2… 山尾 幸久(やまお ゆきひさ、1935年12月10日 - 2021年11月4日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。立命館大学名誉教授。 旧満洲撫順出身。後に、満洲での中国人との関わりや引き揚げ体験の記憶が、自らの歴史観に大きく影響していたと回顧している。 1962年、立命館大学二部(夜間)文学部日本文学専攻に入学。中国文学専攻の白川静の授業を受講して学問に目覚めた。北山茂夫と出会ったことにより日本古代史を志し、一部(昼間)文学部日本史学専攻に転籍した。卒業論文は「魏志倭人伝の史料批判」で、『立命館文学』267号(1967年)に掲載された。 大学院修士課程に進学し、1969年に立命館大学文学部助手となった。
池田 幾三(いけだ いくぞう、1935年12月10日 - 、… 池田 幾三(いけだ いくぞう、1935年12月10日 - 、本名同じ)は、大阪府堺市出身の放送作家・ラジオパーソナリティー。新野新と「ペン企画」主宰。B型。既婚、1男1女あり。兵庫県西宮市在住。 滋賀県近江八幡市生まれ。父は菓子屋でパンを売っていた。大阪府堺市浜寺公園の海辺で1歳から約40年を暮らす。浜寺水練学校出身。浜寺昭和小学校、浜寺中学校、大阪府立三国丘高校(6期)卒業。1954年4月、早稲田大学文学部演劇科入学。印南高一ゼミに所属。1959年3月、卒業。映画の脚本家を目指し松竹大船撮影所での入社試験を受け、大島渚の助監督になる予定が、試験当日に寝過ごしてしまい映画を諦める。印南にテレビの構成放送作家を薦められ、1959年4月に東宝テレビ部入社。
洲崎 惠三(洲崎 恵三、すざき けいぞう、1935年12月9… 洲崎 惠三(洲崎 恵三、すざき けいぞう、1935年12月9日 - )は、日本のドイツ文学者。筑波大学名誉教授。 福井県敦賀生まれ。富山県立富山中部高等学校から東京教育大学文学部を経て、東京大学大学院人文科学研究科修士課程独文科修了。金沢大学講師および九州大学助教授を務めた後、筑波大学教授(現代語・現代文化学系)に就任。 1967年、旧・西ドイツのミュンスター大学(ドイツ学術交流会)、1977年にシュトゥットガルト大学およびスイス・チューリッヒ大学に留学したほか、1991年にテュービンゲン大学で文部省在外研究を行った。1999年に論文「トーマス・マン 神話とイロニー」で筑波大学より文学博士号を得た。
水谷川 忠俊(みやがわ ただとし、1935年12月9日 - … 水谷川 忠俊(みやがわ ただとし、1935年12月9日 - )は、日本の作曲家、雅楽研究家。旧姓名・近衛俊健。 近衛秀麿の三男(非嫡出子)として大阪市東区久宝寺町に生まれる。母は坪井文子。1937年7月22日、父秀麿により、大阪市東区役所に出生届が出される。1939年10月19日、父の末弟である水谷川忠麿の養子となり、忠俊と改名。物心ついたときは東京千駄ヶ谷の忠麿のアトリエにおり、生母の記憶はないという。 学習院初等科在学中、奈良県に転居し、奈良女子高等師範学校附属小学校(現・奈良女子大学附属小学校)から同中学校・同高校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)を卒業。上京後、山本直純の助手を務めながら作曲を学ぶ。
青木 政代(あおき まさよ、1935年(昭和10年)12月9… 青木 政代(あおき まさよ、1935年(昭和10年)12月9日 - )は、日本の元競泳選手。現姓は東。 和歌山県伊都郡高野口町(現橋本市)出身。九度山町立九度山小学校卒業。 和歌山県立伊都高等学校在学中、1952年ヘルシンキオリンピックで競泳日本代表として女子200m平泳ぎに出場したが予選落ちに終わった。 1954年アジア競技大会では女子200m平泳ぎに出場し優勝した。 高校卒業後は、帝塚山学院短期大学を経て三冷社に入社。1958年アジア競技大会では主将として出場し、女子100m平泳ぎで準優勝した。
友川 賢次(ともかわ けんじ、1935年12月9日 - )は… 友川 賢次(ともかわ けんじ、1935年12月9日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 宮崎大宮高校から1953年に洋松ロビンスへ入団。1955年は開幕直後から一軍に上がるが、40打席無安打と不振を極める。しかし8月16日に中日の杉下茂から初安打。その後は主に中堅手として起用され、同年は49試合に先発出場。その後も準レギュラーとして活躍するが、1958年オフに国鉄スワローズへ移籍。1959年限りで引退した。
小澤 三敏(おざわ みとし、1935年12月9日 - )は、… 小澤 三敏(おざわ みとし、1935年12月9日 - )は、日本の経営者。住友重機械工業社長を務めた。京都府京都市出身。 1958年に京都大学工学部機械工学科を卒業し、同年に住友重機械工業に入社。1986年6月に取締役を就任し、1989年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年4月に社長に就任。1999年4月に会長に就任し、2002年6月から相談役を務めた。
冨金原 俊二(ふきんばら しゅんじ、1935年 <昭和10年… 冨金原 俊二(ふきんばら しゅんじ、1935年 <昭和10年> 12月8日 - 2024年 <令和6年> 1月12日) は、日本の大蔵官僚。元経済企画事務次官。位階は正四位。瑞宝重光章受章。
宗内 敦(むねうち あつし、1935年12月8日 - )は、… 宗内 敦(むねうち あつし、1935年12月8日 - )は、日本の臨床心理学者。都留文科大学名誉教授、随筆家。日本教育心理学会終身会員。日本ペンクラブ会員。生徒指導と性格検査法を専攻。 東京教育大学教育学部心理学科を卒業後、東京家庭裁判所調査官、都留文科大学助教授・教授、明星大学教授(2006年3月まで)。 生徒指導ではとりわけ教師権威の教育臨床心理学的問題を考究、投影法性格検査ではカラー・ピラミッド・テスト(CPT)の日本における標準化などを行い、CPTの権威である。 1992年、教育・文芸同人誌『琅』を興し、それに拠って、さまざまな社会的発言をなしている(2016年10月現在、第31号まで発行。
多菊 善和(たぎく よしかず、1935年12月8日 - 20… 多菊 善和(たぎく よしかず、1935年12月8日 - 2018年10月7日)は、日本の経営者。ヤクルト専務、ヤクルトスワローズ球団社長を務めた。 群馬県前橋市出身。1958年に天理大学外国語学部を卒業し、同年にヤクルト本社に入社した。営業部長、直販事業部長、常務を経て、1990年6月に専務に就任した。 2001年3月から2007年3月までにヤクルトスワローズ球団社長を務めた。 1998年11月に藍綬褒章を受章した。 2018年10月7日、肺炎のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐藤 孝吉(さとう たかよし、1935年12月7日 - )は… 佐藤 孝吉(さとう たかよし、1935年12月7日 - )は、日本テレビ顧問、エグゼクティブディレクター、大正大学招聘教授、サイバー大学客員教授。東京府出身。 立教高等学校(現・立教新座高等学校)から一橋大学社会学部を経て、1959年に日本テレビに入社。当初はドラマ班に配属され「ダイヤル110番」などを演出。1965年の「ビートルズ日本公演」も担当。 その後バラエティ班に異動、娯楽ドキュメンタリーの分野で才能を開花させる。最大のヒット作は『アメリカ横断ウルトラクイズ』。彼によるとこの番組は単なるクイズ番組の枠を超えて人間ドキュメンタリー番組までに発展していったと言う。また、徳光和夫を目標、そして鑑として見習って来た福留功男を鍛え直した逸話がある。
宮良 高弘(みやら たかひろ、1935年12月7日 - 20… 宮良 高弘(みやら たかひろ、1935年12月7日 - 2018年2月17日)は、日本の民俗学者、札幌大学名誉教授。 沖縄県石垣市生まれ。1960年明治大学法学部卒、1966年東洋大学社会学部卒、1965年明大法学部助手、1967年札幌大学教養部講師、1970年助教授、1976年教授、1979年教養部長、文化学部教授、2006年定年退任、名誉教授。 1973年『波照間島民俗誌』で渋沢賞受賞。1974年「八重山の社会構造に関する研究」で東洋大学社会学博士。弟子には森雅人(札幌大谷大学教授)がいる。
伊達 正三郎(だて しょうざぶろう、1935年12月7日 -… 伊達 正三郎(だて しょうざぶろう、1935年12月7日 - )は、神奈川県足柄上郡松田町出身の俳優。旧芸名:舘 正三郎新東宝映画末期の主演級スター。 生家は酒類小売商で4男2女の2男。神奈川県立吉田島農林高等学校から法政大学法学部法律学科に進み、3年のときアルバイトで知り合った丹波哲郎に薦められ、第5期新東宝ニューフェイスに応募して合格し、1957年4月、新東宝に入社。丹波の本名・正三郎をもらい舘正三郎を芸名として映画『憲兵とバラバラ死美人』(1957年)でデビュー。のち伊達正三郎と改名。時代劇・現代劇両方に出演し、怪談映画の『怪談鏡ケ淵』(1959年)、『怪猫お玉が池』(1960年)では主演を務めるなど、新東宝の若手スターの一人となった。
大友 徳明(おおとも のりあき、1935年12月7日 - )… 大友 徳明(おおとも のりあき、1935年12月7日 - )は、日本の翻訳家・フランス文学者。関東学院大学名誉教授。筆名に秋本紀夫。 東京生まれ。早稲田大学政経学部卒、同大学院仏文学専攻をへて、2006年まで関東学院大学教授。 モーリス・ルブラン、ジュール・ヴェルヌなどフランスの冒険小説を多く翻訳した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
西尾 成子(にしお しげこ、1935年12月6日 - )は、… 西尾 成子(にしお しげこ、1935年12月6日 - )は、日本の科学史家、日本大学名誉教授。専門は物理学史。 東京生まれ。お茶の水女子大学理学部物理学科卒業。1974年「1916年のSommerfeldの量子論の形成」で名古屋大学理学博士。日本科学技術情報センター所員、日本大学理工学部教授、2006年定年、名誉教授。2012年『科学ジャーナリズムの先駆者 評伝石原純』で第15回桑原武夫学芸賞受賞。2015年11月瑞宝中綬章受章。
土橋 正幸(どばし まさゆき、1935年12月5日 - 20… 土橋 正幸(どばし まさゆき、1935年12月5日 - 2013年8月24日)は、東京都台東区出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。 軟式野球から硬式野球に転向した異色の経歴ながら、昭和30年代(1950年代後半~1960年代前半)に東映で主力投手として活躍。現役引退後は東映→日拓→日本ハム、ヤクルトでコーチ・監督を歴任した。生粋の江戸っ子で、頑固親父的な独特のキャラクターも伴い、野球解説者としても人気を博した。 浅草・雷門の生まれで、実家は鮮魚店だった。戦時中は千葉の幕張に疎開していたが戦後、東京に戻った中学生の時に水泳部に所属する傍ら野球と出会い、草野球チームの雷門サンダースに所属していた。
古河 潤之助(ふるかわ じゅんのすけ、1935年〈昭和10年… 古河 潤之助(ふるかわ じゅんのすけ、1935年〈昭和10年〉12月5日 - 2018年〈平成30年〉3月3日)は、日本の実業家。古河財閥4代目古河従純の長男で、創業者古河市兵衛から数えて5代目の古河家当主。元古河林業会長、元古河電気工業名誉顧問。位階は正四位。 東京府で古河従純・幸子夫妻の長男として生まれる。学習院幼稚園、学習院初等科、学習院中・高等科を経て、1959年(昭和34年)3月、慶應義塾大学経済学部経済学科卒業。同年4月、古河電気工業入社。取締役、常務取締役、専務取締役を経て、古河電気工業株式会社代表取締役社長、会長。社長時代には次々と新しい事業を興し、ルーセント・テクノロジーズの光ファイバ部門を買収、株価も史上最高の3500円を超えたが、ITバブル崩壊のあおりを受け、買収翌年の2002年度は1140億円の赤字に膨れ上がるなどし、事実上の引責辞任に至った。
小沢 文夫(おざわ ふみお、1935年12月5日 - )は、… 小沢 文夫(おざわ ふみお、1935年12月5日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。 愛知県立岡崎北高等学校から愛知大学を経て、1955年にトンボユニオンズへ入団。 1956年オフに球団が吸収合併したため1957年は近鉄パールスへ移籍。同年引退。
石井 弓夫(いしい ゆみお、1935年(昭和10年)12月4… 石井 弓夫(いしい ゆみお、1935年(昭和10年)12月4日 - )は、日本の土木工学者。工学博士、技術士、APECエンジニア、土木学会認定特別上級土木技術者(施工・マネジメント)。 1959年(昭和34年)東京大学工学部土木工学科を卒業し、建設技術研究所に入社。同社東京本社技術第3部部長、取締役、社長を経て、1995年(平成7年)代表取締役会長に、2003年(平成15年)建設コンサルタンツ協会会長に就任した。のち建設技術研究所名誉顧問となった。 ほか、土木学会第95代会長、同会理事、国際委員会委員長、コンサルタント委員会委員長、国際貢献賞選考委員会委員長、表彰委員会委員長、倫理・社会規範委員会委員長などを歴任した。
東浦 利夫(とううら としお、1935年12月3日 - 20… 東浦 利夫(とううら としお、1935年12月3日 - 2024年2月6日)は、日本の経営者。蝶理社長を務めた。 東京都出身。1958年に東京大学法学部を卒業し、同年に東レに入社。 1989年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務、1992年6月に蝶理副社長を経て、2001年6月に社長に就任し、2003年4月までに務めた。 2024年2月6日、肺炎のため死去。88歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
川内 通康(かわうち みちやす、1935年(昭和10年)12… 川内 通康(かわうち みちやす、1935年(昭和10年)12月2日 - 2019年(平成31年)3月5日)は、日本の実業家。ニッポン放送元社長。佐賀県佐賀市出身。 佐賀市水ケ江にあるロングサン薬局の長男として産まれる。 佐賀大附属中、佐賀高校を経て、1959年に東京大学教育学部を卒業し、同年にニッポン放送に入社。 1979年に取締役に就任し、1983年に常務、1985年に専務、1989年6月に副社長を経て、1992年6月に社長に就任し、1999年6月会長に退いた。 1992年から1999年までに日本民間放送連盟の理事を務め、2001年と2002年に東京国際映画祭のゼネラルプロデューサーも務めた。
島津 伸男(しまづ のぶお、1935年12月2日 - 201… 島津 伸男(しまづ のぶお、1935年12月2日 - 2013年5月9日)は、日本の作曲家。本名は堀 信義(ほり のぶよし)。鹿児島県出身。日本作曲家協会所属。 鹿児島県揖宿郡喜入村大字前之浜(現在の鹿児島市喜入前之浜町)出身。鹿児島県立指宿高等学校普通科卒業。北島三郎と同じく船村徹の門下生。北島の舞台におけるバックバンドの指揮者も長年担当していたが、亡くなる2年程前に、体調不良を理由に降板していたという。心不全のため77歳で死去。
牧 岩男(まき いわお、1935年12月1日 - 2009年… 牧 岩男(まき いわお、1935年12月1日 - 2009年5月30日)は、日本の生物学者。専攻分野は淡水魚。和歌山大学名誉教授。 長野県出身。1961年に京都大学理学部動物学科を卒業後、同大学院に進み、1966年3月同大学院単位取得退学。同年4月和歌山大学助手となる。以後、講師・准教授を経て、1977年4月に和歌山大学教授に就任する。 この間、1968年3月に京都大学より理学博士号を取得した。 1987年4月から1989年3月まで教育学部長を務める。1991年4月 - 1993年3月には図書館長も務めた。 1996年4月に大阪教育大学教授に転じ、2001年3月に退官した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
平野 貞夫(ひらの さだお、1935年〈昭和10年〉12月1… 平野 貞夫(ひらの さだお、1935年〈昭和10年〉12月1日 ‐ )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、参議院財政金融委員長などを務めた。 高知県土佐清水市出身。父は医師。1958年、法政大学法学部法律学科卒業。1960年、法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士課程修了。衆議院事務局に入局し、園田直の下で副議長秘書、前尾繁三郎の下で議長秘書を務めた後、委員部総務課長、委員部長を経て退職。 1992年7月26日投開票の第16回参議院議員通常選挙に高知県選挙区から無所属(自由民主党、公明党推薦、民社党支援)で立候補し、初当選。国会議員選挙ではそれまでに例のない与党自民党と野党公明党(当時)・民社党(当時)支援の相乗り候補として注目され、小沢一郎と市川雄一によるいわゆる「一・一ライン」の存在が広く知られる契機となる。
大久保 昇(おおくぼ のぼる、1935年11月30日 - )… 大久保 昇(おおくぼ のぼる、1935年11月30日 - )は、日本の実業家。日本漢字能力検定協会の創立者。日本漢字教育振興会元理事長。日本語文章能力検定協会元理事長。特定非営利活動法人ジャパンウェイ元理事長。財団法人日本国際連合協会元理事。社団法人全国日本学士会元理事。社団法人全国珠算教育連盟元理事。社団法人日本ペンクラブ元会員。国際ロータリー第2650地区元ガバナー(2005-2006)。長男は日本漢字能力検定元副理事長の大久保浩(2022年8月死去)。 京都府京都市出身。1958年、同志社大学経済学部を卒業後、松下電工に就職。父の死を機に1970年に実家の新聞販売店を継ぐ。西京区の阪急桂駅西口にビルを建て、のちの協会の母体株式会社オークを1971年に創業した。
峯山 昭範(みねやま あきのり、1935年〈昭和10年〉11… 峯山 昭範(みねやま あきのり、1935年〈昭和10年〉11月29日 - 2025年7月18日)は、日本の政治家、参議院議員(4期、公明党所属)。近畿大学教養学部教授。 種子島生まれ、鹿児島県熊毛郡南種子町出身。中学時代に大阪へ移り、大阪市立天下茶屋中学校、大阪府立今宮工業高等学校を経て、近畿大学理工学部機械工学科中退の後、1954年に日本合成化学工業入社。1961年聖教新聞社に入社し、1962年創価学会関西本部庶務部長となる。その後、創価学会副理事長、関西本部事務局長に就任。1968年の第8回参議院議員通常選挙で全国区から公明党公認で立候補して初当選。議員在任中に大学法学部で学び、近畿大学法学部を卒業。
小城ノ花 正昭(おぎのはな まさあき、1935年11月29日… 小城ノ花 正昭(おぎのはな まさあき、1935年11月29日 - 2006年12月16日)は、佐賀県小城郡三日月村(現・同県小城市)出身で、出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は本村 正昭(もとむら まさあき)→小岩井 正昭(こいわい -)。最高位は西関脇(1962年11月場所、1963年1月場所、同年3月場所)。現役時代の体格は174cm、124kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げ。 小城中学校を卒業後は、実家の佐賀新聞販売店を手伝っていた。 父が大の相撲好きだった事もあり、以前よりその勧めで度々、地元の村相撲に参加していたが、そこで飲食店を営んでいた元十両・佐賀ノ山の目に留まり、角界入りを打診される。
鎌田 吉郎(かまた よしろう、1935年(昭和10年)11月… 鎌田 吉郎(かまた よしろう、1935年(昭和10年)11月28日 - )は、日本の通産官僚。元資源エネルギー庁長官。瑞宝重光章。 旧通産省同期入省者には、棚橋祐治、小川邦夫(日本自転車振興会会長、特許庁長官)、佐藤満秋(日本ガス機器検査協会理事長)、弘津匡啓(日本鉄鋼連盟専務理事・事務局長、国土庁長官官房審議官)、井上宣時(日中経済協会理事長)など。
常陸宮正仁親王(ひたちのみや まさひとしんのう、1935年〈… 常陸宮正仁親王(ひたちのみや まさひとしんのう、1935年〈昭和10年〉11月28日 - )は、日本の皇族。常陸宮家当主。御称号は義宮(よしのみや)、お印は黄心樹(おがたま)。身位は親王。敬称は殿下。勲等は大勲位。昭和天皇と香淳皇后の第2皇男子(第6子)。第125代天皇で現上皇(明仁)の弟。第126代天皇(徳仁)、皇嗣秋篠宮文仁親王の叔父。2019年(令和元年)5月1日時点の皇位継承順位は第3位。 1935年(昭和10年)11月28日午前7時57分、宮城(皇居)の明治宮殿奥宮殿内御産殿にて昭和天皇と香淳皇后の第2皇男子として誕生。御七夜の12月4日午前9時に浴湯の儀が、同日午前11時に命名の儀が執り行われ、「義宮」「正仁」と命名された。
小田 久榮門(小田 久栄門、おだ きゅうえもん、1935年(… 小田 久榮門(小田 久栄門、おだ きゅうえもん、1935年(昭和10年)11月28日 - 2014年(平成26年)10月30日)は、日本のテレビプロデューサー。テレビ朝日取締役編成局長、テレビ朝日映像、ビーエス朝日で社長等を務めた。 当時同局に在籍していた皇達也と共に、テレ朝の天皇の異名で知られた。 新潟県朝日村(現:村上市)で生まれる。故郷で教師になろうと専修大学に入学。ところが叔父がTBSに勤めていた関係で、大学3年のときからTBSでアルバイトするようになり、テレビの仕事が面白くなって、日本教育テレビ(NETテレビ。後のテレビ朝日)開局の前年の11月に契約社員として入社し、翌年3月に正式入社となり、教養部に籍を置いた。
浅井 正(あさい ただし、1935年11月28日 -1990… 浅井 正(あさい ただし、1935年11月28日 -1990年1月6日)は、レスラー。1956年メルボルンオリンピック4位入賞。北海道留萌支庁増毛郡増毛町生まれ。 北海道増毛高等学校-中央大学-北日本砂鉄鉱業 高校と大学を通じて、金メダリストの池田三男と同期、プロ野球国鉄スワローズに進んだ桂本和夫は1期上、増毛高-中大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大黄金時代の屋台骨となった。 中央大学3年の時にメルボルンオリンピックでフライ級4位入賞、増毛高校の全国制覇メンバー3人が入賞する大活躍だった。中大卒業後の1960年ローマオリンピックでもレスリング王国増毛高校勢は3人が出場し、4期下の佐藤多美治とともに4位入賞した。
加藤 寛一郎(かとう かんいちろう、1935年11月28日 … 加藤 寛一郎(かとう かんいちろう、1935年11月28日 - )は、日本の航空工学者、東京大学名誉教授。 東京生まれ。専門は航空宇宙工学。 2004年から2010年までは防衛省技術研究本部技術顧問を務めていた。2016年、坂井三郎を描いた「操縦の神業を追って」で草思社・文芸社W出版賞受賞。
馬場 彰(ばば あきら、1935年11月28日 - 2025… 馬場 彰(ばば あきら、1935年11月28日 - 2025年8月5日)は、日本の経営者。オンワード樫山社長、会長を務めた。 神奈川県出身。1958年に横浜市立大学商学部を卒業し、同年に樫山(のちのオンワード樫山)に入社。1972年4月に取締役に就任し、1974年4月には社長に昇格。樫山純三の後継として、38歳という若さで社長に就任し、「中興の祖」として、同社の売上高をアパレル業界トップに押し上げていった。1997年4月に会長に就任し、2005年3月から名誉会長を務めた。 1998年11月に藍綬褒章を受章し、2008年11月に秋の叙勲で旭日重光章を受章。 2025年8月5日、死去。89歳没。
城 卓矢(じょう たくや, 1935年〈昭和10年〉11月2… 城 卓矢(じょう たくや, 1935年〈昭和10年〉11月28日 - 1989年〈平成元年〉5月9日)は、日本の歌手、作曲家である。本名・作曲家名は菊地 正規(きくち まさき)、1966年の改名前の芸名は菊地 正夫(きくち まさお)。ヨーデルを得意とし、鼻から抜ける独特のハスキー・ボイスとこぶし回しが特徴で魅力的な声の持ち主であった。『骨まで愛して』のヒット後の一時期、映画俳優としても活動した。 1935年(昭和10年)11月28日、当時日本領であった樺太(現在のロシア共和国サハリン)に生まれる。兄の正巳はのちの作曲家・北原じゅん(文れいじ)、作詞家・川内康範は叔父(叔母の元夫)にあたる。第二次世界大戦中に父が死去、引き揚げて室蘭市で育つ。
足立 良平(あだち りょうへい、1935年11月27日 - … 足立 良平(あだち りょうへい、1935年11月27日 - )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、参議院労働委員長、民主党参議院幹事長(初代)、電力総連副会長などを歴任した。 兵庫県出身。1964年関西大学経済学部卒。関西電力入社後、同労組執行委員長、電力総連副会長、電力労連副会長、大阪同盟会長代理を歴任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で比例区に民社党から立候補して当選。1994年の新進党結党に参加。その後新党友愛を経て民主党(民社協会に所属した)に合流し、同党の初代参議院幹事長に就任。参議院議員として2期務め、2001年の第19回参議院議員通常選挙に立候補せず、政界から引退する。 2006年4月の春の叙勲で旭日中綬章を受章する。
槌田 劭(つちだ たかし、1935年11月27日 - )は、… 槌田 劭(つちだ たかし、1935年11月27日 - )は、日本の物理学者、アソシエーショニスト。専攻は金属物理学(特にレアアース)。 京都市生まれ。父は槌田龍太郎、兄は槌田敦。1958年 京都大学理学部化学科卒業。1963年アメリカピッツバーグ大学留学。1967年京都大学工学部助教授。1973年伊方原発訴訟に住民側証人として参加。炉心担当。1978年松山地方裁判所での敗訴後、科学技術そのものの社会でのあり方に疑問を持ち、1979年京都大学を辞職。1979年京都精華大学開学時に精華大教員に(美術学部)。 1973年使い捨て時代を考える会、1975年安全農産供給センターを設立。有機農業運動及び環境運動に深く関わる。
波多野 誼余夫(はたの ぎよお、1935年11月27日 - … 波多野 誼余夫(はたの ぎよお、1935年11月27日 - 2006年1月13日)は、日本の心理学者。専攻は、認知心理学・教育心理学。学位は、教育学博士。獨協大学教授、慶應義塾大学文学部教授を歴任。 東京生まれ。両親は、ともに心理学者の波多野完治・波多野勤子。兄に国際法学者の波多野里望。甥に小説家の波多野鷹。誼余夫の名はフランスの心理学者ポール・ギヨーム(フランス語版)にちなんでつけられたという。 東京大学教育学部卒業。同大学大学院教育心理学専攻修了(教育学博士)。 獨協大学教授、慶應義塾大学文学部教授を歴任。2001年定年退職後、放送大学教養学部教授。同職在職中に間質性肺炎のため急死した。 1973年、稲垣佳世子との共著『知的好奇心』で毎日出版文化賞・特別賞を受賞。
竹野 暢勇(たけの のぶお、1935年11月25日- 200… 竹野 暢勇(たけの のぶお、1935年11月25日- 2009年10月1日)は、競輪選手。現在の真岡市(旧二宮町)出身。現役時は日本競輪選手会栃木支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第10期卒業。選手登録番号6574。 栃木県立真岡高等学校在籍時代はサッカーを行っていたが、親が自転車店を経営していた縁で、卒業後競輪選手を志し、競輪学校第10期生となった。 鋭いダッシュ力を駆使した走法を武器として、長年に亘りトップクラスで活躍。全国都道府県選抜競輪を4回優勝した。 また、オールスター競輪では、1956年に川崎競輪場で開催された第1回から、1984年に西宮競輪場で開催された第27回まで、ファン投票で選ばれ全て出場した。
椋本 彦之(むくもと ひこゆき、1935年〈昭和10年〉11… 椋本 彦之(むくもと ひこゆき、1935年〈昭和10年〉11月24日 - 2008年〈平成20年〉6月24日)は、日本の実業家。飲食店チェーン「グルメ杵屋」創業者。元学校法人大阪初芝学園理事長。 1935年(昭和10年)大阪府大阪市生まれ。1954年、大阪府立阿倍野高等学校卒業。 1957年、両国米穀販売店を創業。1967年、両国食品株式会社を設立(代表取締役)。1986年、両国食品と株式会社グルメを合併、株式会社グルメ杵屋を発足させ代表取締役社長に就任した。 1991年(平成3年)9月、学校法人大阪初芝学園理事長・学園長に就任。そのほか大阪木津市場(1999年)や元気寿司(2002年)の取締役なども務めた。
中野 三敏(なかの みつとし、1935年《昭和10年》11月… 中野 三敏(なかの みつとし、1935年《昭和10年》11月24日 - 2019年《令和元年》11月27日)は、日本の教育者・文学者(日本近世文学)。位階は従三位。学位は、文学博士(早稲田大学・1982年)。九州大学名誉教授。文化功労者。文化勲章受章。 正則高等学校教諭、愛知淑徳短期大学国文学科助教授、九州大学文学部教授、九州大学文学部長、福岡大学人文学部教授などを歴任。 福岡県生まれ佐賀県武雄市育ちの日本文学研究者である。江戸から明治期の近世文学を中心に研究する。九州大学文学部学部長などを務め、のちに名誉教授となった。 福岡県に生まれ佐賀県武雄市で育つ。父 中野敏雄は戦前、高額納税者で貴族院議員、戦時中は、海軍参与官で、戦後GHQにより公職追放にあったが、後1954年に合併によって誕生した佐賀県武雄市の初代市長に就任。
賀陽 宗憲(かや むねのり、1935年〈昭和10年〉11月2… 賀陽 宗憲(かや むねのり、1935年〈昭和10年〉11月24日 - 2017年〈平成29年〉12月23日)は、日本の旧皇族。賀陽宮恒憲王の第5王子。皇籍離脱前の名は宗憲王(むねのりおう)。 1935年(昭和10年)11月24日誕生。1947年(昭和22年)10月14日、11宮家の皇籍離脱が行われた際、王も皇籍を離脱、賀陽宗憲となる(『官報』 第六二二六号 昭和二十二年十月十四日 告示 宮内府告示第十六号)。学習院大学卒業後、味の素に勤務した。同社の食の文化センター事務局長を歴任した他、大日本居合道連盟会長となる。2017年12月23日、東京都中野区の病院で、逝去。
青山 京子(あおやま きょうこ、1935年11月23日 - … 青山 京子(あおやま きょうこ、1935年11月23日 - 2020年1月12日) は、1950年代から1960年代にかけて活動していた日本の女優。本名・小林 みどり(こばやし みどり)。東京都世田谷区出身。夫は俳優・歌手の小林旭。 香蘭女学校中等科卒業後、玉川聖学院高等部在学中の1952年に、東宝の丸山誠治監督作品『思春期』に登場する女子高校生役のオーディションを受け、2000人の中から合格し、本名の中西みどり名義でデビューした。映画公開後に青山京子と改名。同年に退学処分となったために、文化学院へ転校して卒業。 東宝の5期ニューフェイスとして演技の勉強を続け、1953年以降50本余の東宝作品に出演した。
川崎正道(かわさき まさみち、1935年11月23日 - )… 川崎正道(かわさき まさみち、1935年11月23日 - )は、日本の大蔵官僚。血液型はB型。 大臣官房審議官(大臣官房担当)兼財務研修所長、人事院事務局任用局審議官、人事院事務局職員局長、東洋海上火災保険会長などを務めた。 京都府京都市出身(父母も京都府)。洛星高等学校から京都大学法学部に入学。1957年10月 国家公務員上級甲種試験(法律)を合格。京大法学部を卒業し、1958年 大蔵省に入省。主計局総務課企画係に配属。 主計局主計官補佐(総理府、特別機関係主査)、人事院事務局給与局給与第二課長、主計局給与課長、主計局主計官(総理府、司法・警察担当)などを務め、1979年4月1日 環境庁企画調整局企画調整課長。
天野 正治(あまの まさはる、1935年11月23日- )は… 天野 正治(あまの まさはる、1935年11月23日- )は、日本の教育学者、筑波大学名誉教授。教育哲学、比較・国際教育学専攻。 満州奉天生まれ。広島県出身。1958年東京教育大学卒。64年同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。1965年「Spranger陶冶理想論の研究」で教育学博士。ベルリンのマックス・プランク教育研究所に留学。1966年国立教育研究所所員、1973年東京教育大学教育学部助教授兼任、ボン大学客員教授、1984年国立教育研究所第一研究部長、1985年筑波大学教育学系教授、99年定年退官、名誉教授、聖徳大学教授、2006年退職。
榛谷泰明(はんがい やすあき、1935年11月23日 - 2… 榛谷泰明(はんがい やすあき、1935年11月23日 - 2014年4月25日)は、映像作家、辞典編纂者。北海道生まれ。早稲田大学文学部演劇学科卒。フリーの脚本家・演出家。映画・テレビ・ビデオ・舞台劇の構成・監督。口承文芸(民話)の記録・文字化。事典・辞典の編纂。紀行作家。『北の縄文塾』塾長。『人聞の足跡をたどる会』たどる人。山口崇のラジオ番組「音と崇と昔ばなし」の同行者を務めた。病気と闘いながら最後の執筆「一期一会」を残し、愛妻に見守られながら故郷の石狩市の病院で息を引き取った。78歳だった。亡くなる直前まで意識があり、創作意欲は途絶えることがなかった。