森田 雄三郎(もりた ゆうざぶろう、1930年1月21日 -… 森田 雄三郎(もりた ゆうざぶろう、1930年1月21日 - 2000年4月25日)は、日本の神学者、同志社大学名誉教授。日本基督教学会理事。学会誌『日本の神学』編集委員長。 1960年、京都大学大学院文学研究科基督教学専攻満期退学。1961年、同志社大学商学部専任講師。1963年、助教授。1963年7月、フルブライト留学生としてニューヨークのユニオン神学校留学。1964年5月、STM課程修了、神学修士。1969年、同志社大教授。1975年、「キリスト教の近代性 : 神学的思惟における歴史の自覚」により京都大学文学博士。1976年から1977年まで、スイスのバーゼル大学で在外研究。1995年、同志社大定年、名誉教授。
鯉ノ勢 寅雄(こいのせ とらお、1930年1月21日 - 没… 鯉ノ勢 寅雄(こいのせ とらお、1930年1月21日 - 没年不明)は、愛媛県越智郡乃万村(現・同県今治市)出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は小沢 寅雄(おざわ とらお)。最高位は東前頭12枚目(1958年1月場所)。得意手は左四つ、押し、寄りなど。現役時代の体格は170cm、105kg。 19歳の時、元関脇・二瀬川が率いる朝日山部屋に入門し、1950年1月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外と新序で共に好成績を残したため、翌場所では序ノ口を飛び越して、序二段に付け出された。 当初より「鯉ノ勢」の四股名を名乗り、一時「鯉ノ瀬」に改名するも、1場所で「鯉ノ勢」に戻している。 出世は早く、番付に付いてから4年半弱の1954年9月場所で十両に昇進。
原田 甫(はらだ はじめ、1930年1月20日 - 1993… 原田 甫(はらだ はじめ、1930年1月20日 - 1993年12月5日)は、日本の作曲家。 北海道旭川市出身。中学時代に伊福部昭の《交響譚詩》を聴いたことから作曲を志す。伊福部と同じ札幌第二中学校、札幌西高等学校を経て、1951年4月東京音楽学校作曲科(1952年に東京藝術大学音楽学部となる)に入学し、当時講師をつとめていた伊福部昭に師事するが、伊福部が辞任すると中退する。伊福部の映画音楽制作を手伝うようになり NHK電子音楽スタジオを利用していた 黛敏郎のアシスタントをつとめ、自身の記録映画音楽の作曲に携わり『海壁』『ぬれる』など多くの作品を手がける。 記録映画音楽、テレビドキュメンタリーの音楽などで活躍する一方、純音楽の分野では、《ギター・ソナタ》、《第一シンフォニー》などの作品があり、ギター曲は現在でも演奏されることが多い。
いずみ たく(1930年1月20日 - 1992年5月11日… いずみ たく(1930年1月20日 - 1992年5月11日)は、日本の作曲家・政治家。元参議院議員(第二院クラブ)。中黒を付けていずみ・たくと表記される場合もある。本名は今泉 隆雄(いまいずみ たかお)。 歌謡曲(演歌調からシャンソン風、ブルース、ポップスまで曲調はさまざま)から、フォークソング、CMソング、アニメソング、ミュージカル、童謡、校歌、交響曲(笙や能管などと管弦楽の組み合わせという作品も含めて数曲が残されている)と幅広いジャンルの曲を作曲。多作で知られ、総作数は15,000曲に上るという。 東京市下谷区(現:東京都台東区)谷中生まれ。家系は越智河野氏の末裔に当たる。 仙台陸軍幼年学校に在学中、敗戦を迎える。
渡辺 滉(わたなべ ひろし、1930年1月20日 - 202… 渡辺 滉(わたなべ ひろし、1930年1月20日 - 2021年6月8日)は、日本の実業家。三和銀行頭取や三菱東京UFJ銀行名誉顧問のほか、全国銀行協会連合会副会長、経済同友会副代表幹事等の公職も務めた。1993年藍綬褒章受章。 東京・赤羽出身。渡辺幸吉(中央大学名誉教授)は父。旧制第二東京市立中学校(東京都立上野高等学校の前身)を経て、旧制東京商科大学(一橋大学の前身)に入学。渡辺文雄(俳優)は旧制中学の同級生。大学時代は弓道部に所属。またキリスト教青年会にも参加。大学同期の伊藤助成(元日本生命社長)と親しい関係であった。 1953年に大学を卒業し、三和銀行入行。入行後は、丸善石油(現コスモ石油)や岩井産業(現双日)への出向を経て、営業本部第二部長、融資部長、営業本部長等、国内営業部門を歩み、1988年に川勝堅二の後任として、頭取に就任した。
岸本 裕史(きしもと ひろし、1930年1月20日 - 20… 岸本 裕史(きしもと ひろし、1930年1月20日 - 2006年12月26日)は日本の小学校教師。百ます計算の生みの親[要出典]。神戸市出身。私立三田中学校卒業。 「見える学力・見えない学力」と言う概念を提起し、日本の教育現場に多くの共鳴者を生んだ。エリート教育と競争否定の双方に反対し、徹底した反復訓練による落ちこぼれ救済の論陣を張る。近年は弟子筋の隂山英男が百ます計算を活用し、小学生の基礎学力向上に成果を見せたことにより話題となった。また、「全国教育科学研究会」委員、月刊『どの子も伸びる』誌編集委員、小学館の通信添削の「ドラゼミ」の総監修者等を務めた。 ※小学館の学習雑誌各誌でレギュラー執筆を長らく担当していたため、『岸本=小学館専属』と思われがちだが、昭和61年度にはライバル誌である学研の「1年の学習」巻末の保護者向けページで、1年生の家庭教育について論じた連載記事があった。
相澤 秀禎(あいざわ ひでよし、1930年1月20日 - 2… 相澤 秀禎(あいざわ ひでよし、1930年1月20日 - 2013年5月23日)は、日本の実業家、芸能プロモーター。サンミュージックプロダクションの創業者で初代社長。本名は相澤芳郎(與四郎とも記されている)。自伝によれば姓名判断で上記の通称に改めたという。
桃井 齊(ももい ひとし、1930年1月20日 - 2002… 桃井 齊(ももい ひとし、1930年1月20日 - 2002年2月26日)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学・鉱床学。東京都生まれ。 旧制第五高等学校を経て、1953年九州大学理学部地質学科を卒業。1956年九州大学理学部助手、1968年同助教授。1976年愛媛大学理学部教授に転任。1987年から1995年まで同大学評議員。1995年定年退官。1962年、九州大学より理学博士の学位を取得。 学部から大学院にかけて冨田達の指導を受け、花崗岩および黒色頁岩中のラジウム含有量に関する研究を行った。1956年から吉村豊文のもとで、マンガン珪酸塩鉱物(イネス石、ダンネモル石、パイロクスマンガン石、バナジウム柘榴石、ばら輝石など)の鉱物化学的研究に従事した。
平岡 千之(ひらおか ちゆき、1930年(昭和5年)1月19… 平岡 千之(ひらおか ちゆき、1930年(昭和5年)1月19日 - 1996年(平成8年)1月9日)は、日本の外交官。作家三島由紀夫の弟。駐モロッコ特命全権大使、駐ポルトガル特命全権大使、赤坂迎賓館館長などを歴任した。位階は正三位。 1930年(昭和5年)1月19日、東京市四谷区永住町2番地(現・東京都新宿区四谷4丁目22番)に、父・平岡梓(農商務官僚)と母・倭文重(漢学者・橋健三の次女)との間に二男として生まれる。2歳上に、1928年(昭和3年)2月23日生まれの姉・美津子と、5歳上の1925年(大正14年)1月14日生まれの兄・公威がいた。千之の名は、祖父・平岡定太郎の恩人・江木千之に由来する。
田渕 勲二(田淵 勲二、たぶち くんじ、1930年1月19日… 田渕 勲二(田淵 勲二、たぶち くんじ、1930年1月19日 - 1997年10月9日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、日本社会党)。 京都府出身。1949年福知山工専卒。翌年日本通運大阪梅田支店に入る。日通では労組役員を務め、1981年に全日通委員長に就任した。1986年の第14回参議院議員通常選挙で比例区から日本社会党公認で立候補して当選した。1992年の第16回参議院議員通常選挙には出馬せず引退した。1997年10月9日、心不全のため東京都文京区の東京大学医学部附属病院で死去、67歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、正五位に叙される。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
畑 博行(はた ひろゆき、1930年1月18日 - 2023… 畑 博行(はた ひろゆき、1930年1月18日 - 2023年9月4日)は、日本の法学者。専攻は憲法。学位は、博士(法学)(京都大学・論文博士・1992年)(学位論文「アメリカの政治と連邦最高裁判所」)。広島大学名誉教授。近畿大学名誉学長。 兵庫県明石市生まれ。兵庫県立明石高等学校卒業。1950年、神戸市立外事専門学校卒業。1954年、京都大学法学部卒業。1954年、運輸省航空局入局。まもなく退官。1960年、京都大学大学院(旧制)修了。 1960年、広島大学政経学部助手。1961年、専任講師。1966年、助教授。1970年コロンビア大学法科大学院客員スカラー(客員研究員)(~71年)。1972年、広島大学政経学部教授。
妹背 光雄(いもせ みつお、1930年1月18日 - 199… 妹背 光雄(いもせ みつお、1930年1月18日 - 1998年6月9日)は、日本の経営者。東洋信託銀行社長を務めた。大阪府堺市出身。 1952年に京都大学経済学部を卒業し、同年に三和銀行に入行。1976年7月に東洋信託銀行に転じ、1977年12月に取締役に就任し、1980年12月に常務、1983年12月に専務を経て、1987年2月には社長に就任。1993年3月に会長に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 1998年6月9日に心不全のために死去。68歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
西村 昭五郎(にしむら しょうごろう、1930年1月18日 … 西村 昭五郎(にしむら しょうごろう、1930年1月18日 - 2017年8月1日)は、日本の映画監督。 滋賀県出身。1954年、京都大学文学部仏文科を卒業後、従兄の吉村公三郎監督の紹介で、映画製作を再開した日活に入社。中平康を始めとする監督の下で助監督を務めたのち、1963年の『競輪上人行状記』で監督デビュー。末期の日活アクションや青春映画の演出に携わるが、ヒット作に恵まれず、1960年代終盤からは『大江戸捜査網』などのテレビ路線の演出に回された。それでもロマンポルノ開始以前に14本の映画を監督しており、これは同路線に参加した監督としては長谷部安春の17本に次ぐ数字である。ただし、長谷部は1本だけ撮った後は4年もブランクが空くなどロマンポルノには熱心ではなく、やがて他社の一般映画へと転じていった。
鴨田 利太郎(かもだ としたろう、1930年(昭和5年)1月… 鴨田 利太郎(かもだ としたろう、1930年(昭和5年)1月17日 - 1985年(昭和60年)1月16日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期、自由民主党)。 埼玉県熊谷市出身。父は熊谷市長と衆議院議員を務めた鴨田宗一。1950年(昭和25年)3月、拓殖大学政経学部卒業。1952年(昭和27年)3月、早稲田大学教育学部卒業。1979年(昭和54年)2月、熊谷商工信用組合理事長となった。同年、宗一の後継者として第35回衆議院議員総選挙に埼玉県第3区から自民党で立候補し当選した。1980年(昭和55年)、第36回衆議院議員総選挙でも再選した。しかし、1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙には3回目の立候補したものの、加藤卓二と糸山英太郎(無所属)と議席を争ったが落選した。
吉田 憲治(よしだ けんじ、1930年(昭和5年)1月17日… 吉田 憲治(よしだ けんじ、1930年(昭和5年)1月17日 - 2014年(平成26年)6月29日)は日本の実業家、元トマト銀行社長・会長。岡山県津山市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小沢 元(おざわ げん、1930年1月17日 - )は、日本… 小沢 元(おざわ げん、1930年1月17日 - )は、日本の経営者。大東京火災海上保険社長を務めた。 東京都出身。1965年に東京大学法学部を卒業し、同年に大東京火災海上保険に入社した。1973年6月に取締役に就任し、1976年7月に常務、1983年7月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。1998年6月から2001年3月までに会長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
阿井 美千子(あい みちこ、1930年1月17日 - )は、… 阿井 美千子(あい みちこ、1930年1月17日 - )は、京都府京都市上京区出身の日本の女優。宝塚歌劇団出身。旧芸名は百 ちとせ(もも ちとせ)、阿井 三千子(あい みちこ)。本名は渡辺 千歳。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 紅羽真希(現役)
河村 五良(かわむら ごりょう、1930年1月17日 - 1… 河村 五良(かわむら ごりょう、1930年1月17日 - 1991年1月23日)は、日本の政治家。山口県議会議長。山口県柳井市出身。 柳井市から下松市に移住し、タクシー会社㈱メトロ交通を興す。その後、ゴルフ場経営の白須那高原開発㈱を設立した。 1967年、山口県議会議員(下松市区)当選(以後、1987年まで6期連続当選)。自民党山口県連幹事長、1985年5月9日から1989年5月13日まで山口県議会議長を務めた。 国政選挙では常に佐藤栄作、佐藤信二父子を二代にわたって支持し、選対本部長などの要職を務めた。地方政界のフィクサー的役割を果たす「県政の寝業師」として、地域のために政治力を発揮した。
中谷 千代子(なかたに ちよこ、1930年1月16日 - 1… 中谷 千代子(なかたに ちよこ、1930年1月16日 - 1981年12月26日)は、日本の画家、絵本作家。 1930年1月16日、東京府生まれ。東京府立第十一高等女学校(現東京都立桜町高等学校)卒業後、東京美術学校(現・東京芸術大学)油絵科に進学。美術学校在学中は梅原龍三郎に師事した。後に詩人として活躍する岸田衿子は同級生で、親友となった。美術学校卒業後、先輩だった中谷貞彦と結婚。 在学中から子どもに絵を教える中で、子どもの絵の表現から学んでいたが、1957年ごろから絵本の仕事に興味を持つ。岸田に誘われて、福音館書店の編集長松居直を訪ね、絵本を作ることになる。 最初の作品は『ジオジオのかんむり』(「こどものとも」52号(1960年7月号))で、主人公のライオンのジオジオを描くために動物園でイメージに合うライオンを探し、原画は7回描きなおした。
東松 照明(とうまつ しょうめい、男性、1930年1月16日… 東松 照明(とうまつ しょうめい、男性、1930年1月16日 - 2012年12月14日)は、日本の写真家。 戦後日本を代表する写真家の一人。ヨーロッパやアメリカでも写真展を開くなど、海外での評価も高い。愛知県名古屋市出身。 愛知県名古屋市に生まれる。1954年 - 愛知大学法経学部経済学科在学中、土門拳・木村伊兵衛が審査員を務める「カメラ(CAMERA)」の月例コンテストに応募。学内新聞に発表した「皮肉な誕生」が反響を呼ぶ。卒業後、『岩波写真文庫』のスタッフになる。 1956年 - フリーとなる。1958年 - 「地方政治家」を題材にした作品群で日本写真批評家協会新人賞受賞。 1959年 - 奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」設立(61年解散)。
神宮寺 順(じんぐうじ じゅん、1930年1月16日 - 1… 神宮寺 順(じんぐうじ じゅん、1930年1月16日 - 1997年4月18日)は、日本の経営者。沖電気工業社長を務めた。鹿児島県出身。 1953年に九州大学工学部通信工学科を卒業し、同年に日本電信電話公社に入社した。1978年3月に沖電気工業に転じ、同年6月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1992年10月に社長に就任。1995年8月に取締役に就任し、1996年6月から特別顧問を務めた。 1997年4月18日脳腫瘍のために神奈川県大和市の病院で死去。67歳没。
内田 啓利(うちだ ひろとし、1930年(昭和5年)1月16… 内田 啓利(うちだ ひろとし、1930年(昭和5年)1月16日 - 2005年6月22日)は、日本の実業家。群馬銀行元常務取締役。群馬ビジネスサービス元社長。藤田エンジニアリング元監査役。第89代警視総監を務めた樋口建史の義父。孫に東京都千代田区長(第9代)の樋口高顕。 群馬県出身。高崎市在籍。田島商店社長や安中町会議員などを務めた田島錦一郎の次男として生まれ、1955年(昭和30年)内田まさの養子となる。実家の田島家は安中町有数の素封家であり、名望家として多くの名士を輩出した。 1952年(昭和27年)慶応義塾大学経済学部を卒業し、同年4月群馬銀行に入行。1971年(昭和46年)6月大阪支店長、1975年(昭和50年)2月県庁支店長、1976年(昭和51年)8月大宮支店長、1978年(昭和53年)3月新宿四谷支店長、1979年(昭和54年)11月東京支店長を経て、1982年(昭和57年)6月取締役に就任。
鈴木 忠雄(すずき ただお、1930年1月16日 - 201… 鈴木 忠雄(すずき ただお、1930年1月16日 - 2010年10月12日)は、日本の経営者。メルシャン社長を務めた。 神奈川県出身。1951年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に味の素に入社。1971年に取締役に就任し、1973年に常務、1979年3月に専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1987年6月に副会長を経て、1991年6月には監査役に就任。一方で、1987年3月に三楽(のちのメルシャン)社長に就任し、2004年1月に会長、2006年3月に取締役相談役を経て、2007年3月には特別顧問に退いた。 2001年にはレジオンドヌール勲章シュパリエ章を受章。 2010年10月12日、中咽頭がんのために死去。
宮崎 邦次(みやざき くにじ、1930年(昭和5年)1月15… 宮崎 邦次(みやざき くにじ、1930年(昭和5年)1月15日 - 1997年(平成9年)6月29日)は、日本の銀行家。第一勧業銀行頭取・会長、全国銀行協会連合会会長、日本経営者団体連盟副会長等を歴任した。 1997年に発覚した第一勧業銀行が関連した総会屋利益供与事件(小池隆一事件)で取り調べを受けていた最中、自宅で首吊り自殺した。 佐賀県佐賀市出身。父の宮崎林三郎(2代目)は、失明と貧困の中で画期的な縄ない機を発明し成功を収めた林三郎(初代)から見込まれ、養子に入り農機具販売店を営み、両親共に篤志家()として知られていた。 宮崎は7人兄弟の下から2番めの4男として生まれ、長兄の宮崎善吾は佐賀県副知事を経てエフエム佐賀社長等を歴任、次兄は家業を継ぎ、三兄の宮崎幸造は西日本新聞社で編集局次長を務めた。
涌田 宏昭(わくた ひろあき、1930年1月15日 - 20… 涌田 宏昭(わくた ひろあき、1930年1月15日 - 2003年8月25日)は、日本の経営学者。東洋大学名誉教授。 東京出身。1953年早稲田大学商学部卒、1959年同大学院博士課程満期退学、甲南大学理学部専任講師、1961年経営学部専任講師、1963年東洋大学経済学部専任講師、1964年助教授、66年経営学部助教授、1970年教授。2000年定年、名誉教授。日本情報経営学会初代会長。子に涌田幸宏(1964-)名古屋大学准教授。
山下 高之(やました たかのぶ、1930年1月14日 - 2… 山下 高之(やました たかのぶ、1930年1月14日 - 2007年11月9日 )は、日本の経営学者。学位は、経営学博士(立命館大学・論文博士・1981年)(学位論文「近代的管理論序説 テイラー・システム批判」)。立命館大学名誉教授。 東京府(現荒川区)出身。京都大学経済学部卒。 大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。1981年「近代的管理論序説 テイラー・システム批判」で立命館大学より経営学博士の学位を取得。立命館大学経営学部講師、助教授、教授。1994年退任、名誉教授。あと中京学院大学教授を五年間勤める。
今井 珠泉(いまい しゅせん、1930年1月14日 - 20… 今井 珠泉(いまい しゅせん、1930年1月14日 - 2023年1月15日)は、日本の画家。広島市立大学名誉教授、尾道市立大学名誉教授。本名は、今井昭吾。 福島県白河市生まれ。1947年、旧制白河中学校(現 白河高等学校)を卒業。1956年、東京藝術大学美術学部日本画科卒業。在学中は、前田青邨に師事した。 同年、院展に「禮拝」が初入選。1969年、愛知県立芸術大学助教(- 1971年)。1978年と1988年に紺綬褒章を受章する。1992年・1994年・1999年の三度にわたり、日本美術院賞(大観賞)を受賞する。2003年10月30日、日本美術院同人に推挙される。2009年、院展に出品した「静日(イヌワシ)」「静夜(流氷)」が文部科学大臣賞を受賞する。
井田 毅(いだ たけし、1930年〈昭和5年〉1月13日 -… 井田 毅(いだ たけし、1930年〈昭和5年〉1月13日 - 2013年〈平成25年〉8月20日)は、日本の実業家。サンヨー食品の創業者で、同社2代社長。インスタントラーメン商品「サッポロ一番」の開発に携わった。後任社長の井田純一郎は子。 1930年(昭和5年)群馬県佐波郡玉村町で井田文夫の長男として生まれる。父・文夫は井田酒造の生まれで、1933年(昭和8年)前橋に泉屋酒店を開業した。毅は7人きょうだいの長男で、前橋商業学校(現・群馬県立前橋商業高等学校)を卒業後、旧制巣鴨経済専門学校(現・千葉商科大学)を卒業した。 父と共に、1953年(昭和28年)に乾麺業を創業。1955年(昭和30年)に株式会社富士製麺を設立し、専務取締役に就任。
田中 一光(たなか いっこう、1930年1月13日 - 20… 田中 一光(たなか いっこう、1930年1月13日 - 2002年1月10日)は、日本のグラフィックデザイナー。奈良県奈良市出身。本名は同じ表記で、読みは「たなか かずあき」。 昭和期を代表するグラフィックデザイナーの一人として活躍した。グラフィックデザイン、広告の他、デザイナーとして日本のデザイン界、デザイナーたちに大きな影響を与えた。特にセゾングループのクリエイティブディレクターとして、セゾン文化の裏方を担った。 自身の作風は琳派に大きな影響を受けており、間接的ながら琳派の作風を現代(1970年代以降2020年現在に至るまで)に広め紹介することとなった。
佐倉 朔 (さくら はじめ、1930年1月13日 - 201… 佐倉 朔 (さくら はじめ、1930年1月13日 - 2015年1月27日)は、日本の人類学者。札幌学院大学教授を歴任。 1953年、東京大学大学院在学中に鎌倉材木座中世遺跡発掘調査に参加し、人類学者としてのスタートを切った。 その後、東京医科歯科大学助教授(難治疾患研究所応用人類学部門)、国立科学博物館人類研究部人類第一研究室での研究に従事する傍ら、1961年と1967年には鈴木尚教授を団長とする東京大学西アジア洪積世人類遺跡調査団の主要メンバーとしてアムッド洞窟(イスラエル)の発掘調査を行なった。 平成3年(1991年)には 札幌学院大学教授に就任し、北海道の人類学関係の仕事の傍ら、新宿戸山の旧陸軍軍医学校、現在の国立感染症研究所の建設工事現場で発見された100体以上の人骨の鑑定を行った。
星野 二郎(ほしの じろう、1930年1月13日 - )は、… 星野 二郎(ほしの じろう、1930年1月13日 - )は、日本の経営者。三井造船社長を務めた。大阪府出身。 1952年に東京大学工学部船舶工学科を卒業し、同年に三井造船に入社。1984年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1989年5月に専務を経て、1993年6月に社長に就任。1997年6月には相談役に就任。
鞠子 正(まりこ ただし、1930年1月13日 - )は、日… 鞠子 正(まりこ ただし、1930年1月13日 - )は、日本の地球科学者。専門は鉱床学・鉱物学。東京都墨田区生まれ。 1950年旧制横浜工業専門学校電気科を卒業し、早稲田大学理工学部に編入学。1953年同鉱山学科卒業。1954年早稲田大学大学院工学研究科入学。1961年同博士課程を修了し、早稲田大学より工学博士の学位を取得、学位論文の題名は「鉱物の物性とその鉱床学的研究 : とくに磁硫鉄鉱の磁性について」。 1959年早稲田大学理工学部助手となり、1965年早稲田大学教育学部に専任講師として転任し、1967年同助教授、1972年同教授に昇進した。1998年早稲田大学を定年退職し、名誉教授となる。
良知 力(らち ちから、男性、1930年1月12日 - 19… 良知 力(らち ちから、男性、1930年1月12日 - 1985年10月20日)は、日本の哲学者。社会思想史家。元一橋大学社会学部長・教授。 1848年に相次いで起きたヨーロッパの市民革命やヘーゲル左派・カール・マルクスの研究に関して多くの業績を残した。特に初期マルクス研究は、廣松渉とともに国内においては代表的な存在であり、また日本に社会史研究を定着させるにあたっても、一橋大学社会学部で同僚であった阿部謹也らと共に主導的役割を果たした。 大学院での指導学生に野村真理(金沢大教授、日本学士院賞)、川越修(同志社大教授)、植村邦彦(関西大教授)、渡辺憲正(関東学院大教授)、杉浦秀一(北海道大学教授)、上野卓郎(一橋大学教授)、前田庸介(首都大学東京名誉教授)など。
槇原 稔(まきはら みのる、1930年1月12日 - 202… 槇原 稔(まきはら みのる、1930年1月12日 - 2020年12月13日)は、日本の実業家。従三位。 イギリス生まれ、東京府(現:東京都)。ハーバード大学卒業。三菱商事の社長・会長・特別顧問、三菱グループ・三菱金曜会の世話人代表を歴任した。父・覚(さとる)は青年期に岩崎久弥(岩崎弥太郎の長男、三菱財閥3代目総帥)から奨学金を受け、その後三菱商事に入社し水産部長を務めた。 槙原稔の妻・喜久子は元三菱製紙会長・岩崎隆弥(弥太郎の孫、久弥の次男)の三女。旧制成蹊高校時代に隆弥の4人の娘に英語の家庭教師をしていた縁で隆弥の娘の1人・喜久子と結婚した。この結婚によって三菱の創業者一族・岩崎家と姻戚関係で結ばれることになり、このことが後に三菱商事の社長に就任することにプラスになったと考えられている。
安藤 美紀夫(あんどう みきお、1930年1月12日 - 1… 安藤 美紀夫(あんどう みきお、1930年1月12日 - 1990年3月17日)は、日本の児童文学作家・文芸評論家。日本女子大学家政学部教授。本名は安藤 一郎。 京都府京都市出身。1954年京都大学文学部イタリア文学科卒業後、北海道で高校教師を務める。その傍ら、1957年頃よりイタリア児童文学の翻訳の刊行を始め、自ら創作を始めて、1961年『白いりす』でデビューし、産経児童文化賞を受賞。1962年、評論「ピノッキオとクォーレ」で高山賞(日本児童文学者協会主催)受賞。 1972年、北海道から東京都東大和市に移り、日本女子大学家政学部児童学科の非常勤講師となる。1973年『でんでんむしの競馬』で国際アンデルセン賞作品賞・野間児童文芸賞・日本児童文学者協会賞・赤い鳥文学賞・サンケイ児童出版文化賞受賞。
三宅 久之(みやけ ひさゆき、1930年〈昭和5年〉1月10… 三宅 久之(みやけ ひさゆき、1930年〈昭和5年〉1月10日 - 2012年〈平成24年〉11月15日)は、日本の政治評論家、コメンテーター。元毎日新聞記者。 1930年(昭和5年)、現在の東京都杉並区阿佐谷南一丁目、杉並区役所のすぐ隣の家で生まれた。父は日立製作所の技術者。6歳のときに父が北九州工場に総務課長として転勤となり、福岡県戸畑市に引っ越し、私立小学校である明治学園に通った。 太平洋戦争が始まった翌年、東京府立十九中に入学。ゲートルを巻いた国民服のような制服を着て通った。三年生から昭島に通い、九七式艦上攻撃機などの海軍の飛行機をつくる会社で組み立て作業をした。 1949年(昭和24年)に早稲田大学第一文学部独文科に入学。
山下 耕作(やました こうさく、1930年〈昭和5年〉1月1… 山下 耕作(やました こうさく、1930年〈昭和5年〉1月10日 - 1998年〈平成10年〉12月6日)は、日本の映画監督。時代劇・任侠映画を中心に、テレビ時代劇も演出してきた。愛称は同姓の軍人・山下奉文にちなんで「将軍」。両者に縁戚関係はない。長男は映画監督の山下耕一郎、次男はテレビドラマの監督でテレビ映画制作会社「京都組」代表取締役の山下智彦。 鹿児島県阿久根市出身。鹿児島県出水高等学校・京都大学法学部卒業。京都大学卒業後、東映の入社試験を受け成績トップ。しかし当時の東映に入社する社員は何らかの縁故がなければ入れず、しかも山下は全学連くずれであることから東映の重役連中は不採用にしようとした。
我妻 堯(我妻 尭、わがつま たかし、1930年1月9日 -… 我妻 堯(我妻 尭、わがつま たかし、1930年1月9日 - 2020年5月15日)は、日本の産婦人科医・法医学者。東京大学医学部助教授を経て、国立病院医療センター(現:国立国際医療研究センター)国際医療協力部の初代部長や、米沢有為会我妻榮記念館名誉館長を務めた。 我妻栄の次男として東京に生まれる。青春時代に敗戦を迎えたため、医学なら戦争に利用されないだろうと考え医師を志す。 1955年東京大学医学部卒業。1960年同大学院生物系研究科医学専門課程博士課程修了。「妊娠中毒症の腎クリアランスに関する研究、特に四型分類との関係について」で医学博士の学位を取得、東大医学部助手となる。1962年からロンドン大学、1964年から米国ジョンズ・ホプキンズ大学で学ぶ。
小山内 美江子(おさない みえこ、本名:笹平 美江子(ささひ… 小山内 美江子(おさない みえこ、本名:笹平 美江子(ささひら みえこ)、1930年(昭和5年)1月8日 - )は、日本の脚本家である。代表作には、TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』やNHKの大河ドラマ『徳川家康』『翔ぶが如く』などがある。
久野 昭(くの あきら、1930年1月8日 - 2018年)… 久野 昭(くの あきら、1930年1月8日 - 2018年)は、日本の哲学者。専攻は比較思想論。広島大学名誉教授。国際日本文化研究センター名誉教授。実父は久野朔郎。実弟は小笠原暁、久野暲。 愛知県名古屋市出身。第八高等学校を経て、1952年京都大学文学部哲学科卒業。東洋大学、広島大学、国際日本文化研究センター各教授を歴任した。
門田 英郎(もんでん ひでお、1930年1月8日 - 200… 門田 英郎(もんでん ひでお、1930年1月8日 - 2009年7月1日)は日本の行政管理・総務官僚。行政管理庁行政管理局長、総務庁長官官房長、総務事務次官などを歴任。 広島県出身。京都大学経済学部卒業。1953年 行政管理庁に入庁。統計基準部に配属。1973年 行政管理局管理官。1977年 長官官房秘書課長。1978年 長官官房審議官(行政管理局担当)。1983年4月 行政管理局長。1984年7月 総務庁長官官房長。1985年5月 総務事務次官。1986年10月 財団法人国際開発センター理事。
山田 昭次(やまだ しょうじ、1930年〈昭和5年〉1月8日… 山田 昭次(やまだ しょうじ、1930年〈昭和5年〉1月8日 - 2025年〈令和7年〉3月15日)は、日本の日本史学者、立教大学名誉教授。 1930年、埼玉県入間郡山口村(現・所沢市)に生まれる。1953年、立教大学文学部史学科卒業。1962年、立教大学一般教育部講師。後に助教授、教授。1995年、同大学を定年退職、名誉教授。 2025年3月15日、誤嚥性肺炎で死去。95歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
東 世津子(あずま せつこ、1930年〈昭和5年〉1月8日 … 東 世津子(あずま せつこ、1930年〈昭和5年〉1月8日 - )は、京都府京丹後市出身の郷土史家。 京都府竹野郡間人町(現・京丹後市丹後町間人)に1930年(昭和5年)1月8日に生まれた。生家は、戦前、間人に3軒あった傘屋のひとつ「清水傘店」で、屋号を宮津屋という。祖父の代までは隣接する竹野村(たかのむら)で造り酒屋を営んでいたが、あるとき蔵をたたんで間人の岡成地区に転居し、世津子の父が宮津市内の傘屋で修業し、和傘や提灯の製造販売を始めた。 1944年(昭和19年)に14才で舞鶴女学院に入学。当時は太平洋戦争中であったため、授業は行われず、学徒動員により軍服縫工所で働いた。おもにポケットの型板にそって縫代を折りまげ、はりつけやすいようアイロンをかける仕事だった。
菅野 昭正(かんの あきまさ、1930年1月7日 - )は、… 菅野 昭正(かんの あきまさ、1930年1月7日 - )は、日本の文芸評論家・フランス文学者。東京大学名誉教授・日本芸術院会員。
秋吉 久紀夫(あきよし くきお、1930年1月7日 - )は… 秋吉 久紀夫(あきよし くきお、1930年1月7日 - )は、日本の詩人・中国文学者。九州大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。本名・勝廣。九州大学文学部卒。1977年「近代中国における文学運動の展開」で九大文学博士。近畿大学第二教養部(福岡)助教授、福岡女子大学教授、九大文学部教授。1993年定年退官、名誉教授。1993年翻訳特別功労賞(日本翻訳家協会)。1998年福岡県詩人会特別賞。2001年第一回詩界賞(日本詩人クラブ)。2011年福岡県詩人会先達詩人顕彰。
森川 俊夫(もりかわ としお、1930年1月7日 - 201… 森川 俊夫(もりかわ としお、1930年1月7日 - 2018年10月30日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。一橋大学名誉教授。トーマス・マンの作品を多く翻訳した。 東京生まれ。水戸高等学校卒、1953年東京大学文学部独文科卒業、熊本大学法文学部助手。1954年東大文学部助手。1957年電気通信大学専任講師。1961年一橋大学専任講師。西ドイツ・チュービンゲン大学に二年留学。1963年助教授。1971年教授。1992年定年退官、名誉教授、東京国際大学教授。2011年、瑞宝中綬章受章。 2018年10月30日、食道がんのため死去、88歳。叙正四位。
船戸 英夫(ふなと ひでお、1930年1月7日 - 1994… 船戸 英夫(ふなと ひでお、1930年1月7日 - 1994年4月27日)は、日本の英文学者。 埼玉県川越市生まれ。立教大学大学院文学研究科修士課程修了。立教大学助教授、教授を務めた。1994年4月27日、在職中に肝不全のため死去。
南 温平(みなみ おんぺい、1930年1月6日 - )は、和… 南 温平(みなみ おんぺい、1930年1月6日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。 旧制田辺中学校では遊撃手として活躍。2年次の1947年に春の選抜へ出場。1回戦で富田中から22点を奪い快勝。しかし2回戦では城東中に延長11回サヨナラ負け。3年次の1948年にも2年連続で春の選抜へ出場。1回戦は岐阜商を大差で降すが、準々決勝はこの大会に優勝した京都一商の北本重二に抑えられ敗退。チームメートでは右翼手の岩本尭、二塁手の寺本哲治がプロ入りしている。 卒業後は社会人野球の海南日東紡績を経て、1949年夏に読売ジャイアンツが初めて行った選手公募を受験し、大阪地区でただ一人合格し入団。1951年には一軍初出場を果たすが、活躍の場は少なかった。
松浦 周吉(まつうら しゅうきち、1930年(昭和5年)1月… 松浦 周吉(まつうら しゅうきち、1930年(昭和5年)1月6日 - 2019年(平成31年)1月5日)は、日本の合唱指揮者。関西地方を拠点に活動した。 関西学院大学経済学部卒業。在学中は関西学院グリークラブに在団し、学生指揮者を務める。1950年(昭和25年)の第3回全日本合唱コンクール全国大会一般部門に同団を指揮して出場、翌年の第4回全日本合唱コンクール全国大会大学部門と連続優勝を果たす。 大学卒業後の1952年(昭和27年)に大和銀行(現・りそな銀行)に入行、同年に行員たちを集めて大和銀行合唱団(現・りそな合唱団)を結成し指揮者に就任した。1954年(昭和29年)の第7回全日本合唱コンクール全国大会職場部門に同団を指揮して初出場で第4位、1959年(昭和34年)の第12回以後全国大会の常連となり、1962年(昭和37年)の第15回から3年連続優勝。
河野 一郎(こうの いちろう、1930年1月6日 - 202… 河野 一郎(こうの いちろう、1930年1月6日 - 2023年1月6日)は、日本の英文学者、比較文学者、翻訳家。東京外国語大学およびフェリス女学院大学名誉教授。専門は、19・20世紀イギリス小説、児童文学。20代から多くの英米文学を訳し、翻訳学校教師も務めた。 兵庫県芦屋市出身(大阪府出身とも)。1947年(昭和22年)東京高等師範学校附属中学校、1951年(昭和26年)東京外事専門学校卒業。1954年(昭和29年)東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業 。 1958年に一橋大学講師。1961年に東京外国語大学講師。1964年にカリフォルニア大学客員教授。1970年に東京外国語大学教授を経てフェリス女学院大学教授。