山田公政(やまだ きみまさ、1956年2月12日 - )は日… 山田公政(やまだ きみまさ、1956年2月12日 - )は日本の実業家、生化学者。 福岡県に生まれる。1974年福岡県立修猷館高等学校を経て、九州大学農学部を卒業。1981年九州大学大学院農学研究科修士課程を修了。専攻は酵素学、生化学。 1981年4月旭化成工業(現・旭化成)に入社。1998年8月旭化成アメリカ代表取締役上級副社長に就任。旭化成アメリカでは、北米での生物学的製剤のIND申請と臨床試験を実施した。 2005年3月ギンコバイオメディカル研究所代表取締役社長に就任。2007年6月同社がSBIバイオテックとなると、取締役副社長となる。 2009年4月医学生物学研究所に入社。体外診断薬ビジネスに力を注ぎ、経営企画室長兼抗体研究所代表取締役となり、2010年7月執行役員経営企画室長、2010年8月執行役員経営企画本部長、2011年6月取締役経営企画本部長、2011年12月MBL International Corporation社長、2012年9月同社長&CEO兼BION Enterprises Ltd.社長&CEO、2013年4月取締役グローバル戦略本部長を経て、2015年6月医学生物学研究所代表取締役社長に就任。
櫻田 謙悟(さくらだ けんご、1956年2月11日 - )は… 櫻田 謙悟(さくらだ けんご、1956年2月11日 - )は、日本の経営者。公益財団法人SOMPO美術財団理事長。前・SOMPOホールディングス株式会社取締役兼代表執行役会長グループCEO。 1978年(昭和53年)3月、早稲田大学商学部卒業後、安田火災海上保険式会社入社。 2005年(平成17年)7月、損害保険ジャパン執行役員金融法人部長。 2007年(平成19年)4月、株式会社損害保険ジャパン常務執行役員。 2007年6月、株式会社損害保険ジャパン取締役常務執行役員。 2010年(平成22年)4月、SOMPOホールディングス株式会社取締役常務執行役員。 2010年7月、SOMPOホールディングス株式会社取締役執行役員、株式会社損害保険ジャパン代表取締役社長執行役員。
團 紀彦(だん のりひこ、1956年2月11日 - )は、日… 團 紀彦(だん のりひこ、1956年2月11日 - )は、日本の建築家。日本建築学会賞業績賞・吉岡賞・JIA新人賞など受賞。 作曲家・團伊玖磨の次男として、神奈川県三浦郡葉山町に生まれた。神奈川県立湘南高等学校、東京大学工学部卒業。同大学院修了。建築家・槇文彦に師事したのちイェール大学大学院に留学、帰国後に建築設計事務所を設立。 建築設計活動のかたわら、土木と建築の融合や新町屋論など建築と環境の関係性の改善に関する主導的な提言を行っている。台湾桃園国際空港及び日月潭における国際コンペで一等を獲得、国内では日本橋室町東地区開発のマスターアーキテクトに指名されるなど国内外のプロジェクトの活動とともに、“ユニヴァーサルフォーム論”や“多元的世界と建築”等の造形論に関する論文でも国際的に注目される。
田村 圭司(たむら けいじ、1956年2月11日 - )は、… 田村 圭司(たむら けいじ、1956年2月11日 - )は、大阪生まれのジャーナリスト。 関西大学社会学部卒。証券会社勤務を経て、単身アフガニスタンへ。現地ゲリラのムジャーヒディーン(聖戦士)に従軍取材したリポートを『サンデー毎日』で発表し、ジャーナリストとしてのデビューを果たす。 以後、医療や経済、教育など、専門領域を広げている。アフガニスタンの現状は、911テロ後も現地取材。現地の様子に加え、外務省を含めた日本の政治、NGOの実態をからめたリポートを『宝島Real』などで発表している。 2002年7月からマスコミ適塾「ペンの森 大阪」を主宰し、多くの大学生を新聞社に送り出している。2010年4月より三重県伊勢市の皇學館大学に「ペンの森 大阪 皇學館」を開塾。
桑原 淳一(くわばら じゅんいち、1956年2月11日 - … 桑原 淳一(くわばら じゅんいち、1956年2月11日 - )は、東京都江戸川区平井出身の元ボートレーサー。 息子の将光は現役のボートレーサー。 江戸川競艇場の目の先である平井で育ったが、1975年5月8日に多摩川で初出走を迎える。ちなみに東京支部の選手は基本的に平和島か多摩川でデビューすることになっているが、ホームプールは地元中の地元の江戸川になった。 当時の江戸川は千葉出身の選手が大活躍していたが、3年目の1977年9月6日に江戸川で初優勝を飾り、桑原は千葉の選手に交じって江戸川で頭角を表す。特に波乗りが上手いわけではなく、ターンスピードがあるわけでもなく、スタートもいたって普通であったが、江戸川の水面を熟知していたためにそつのないハンドルで勝利を量産。
牧野 元昭(まきの もとあき、Motoaki Makino、… 牧野 元昭(まきの もとあき、Motoaki Makino、1956年2月11日 -)はギタリスト、音楽監督。1986年渡米、バークリー音楽大学を卒業後、1989年よりイリノイ州シカゴに移住。在米中、Moto Makino名で活動。Sugar Blue Bandに14年在籍。2004年帰国。東京を拠点に活動。2022年11月〜沖縄移住。 参加アルバムに関する参考資料 出演TV番組に関する参考資料 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
萩原 健太(はぎわら けんた、1956年2月10日 - )は… 萩原 健太(はぎわら けんた、1956年2月10日 - )は、日本の音楽評論家・ディスクジョッキー・音楽プロデューサー・作曲家・音楽家。CS-TBS番組審議委員、埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。 メジャーなポップ・ミュージック(主にアメリカのヒットチャート系)に精通しており、なかでもザ・ビーチ・ボーイズ、エルヴィス・プレスリー、ザ・ベンチャーズのマニアである。 裁判官の父親の転勤に伴い、北海道や千葉県など転々として育つ。早稲田高等学校を経て早稲田大学法学部に進む。在学中は放送研究会に所属。音楽評論家の宮治淳一は一年後輩で交友関係にある。またサザンオールスターズの桑田佳祐とは、サザンがデビューする以前からの友人であり、アマチュア時代のサザンに加入していたこともある、とラジオ番組で明らかにしている。
高梨 柳太郎(たかなし りゅうたろう、1956年2月10日 … 高梨 柳太郎(たかなし りゅうたろう、1956年2月10日 - )は、日本の実業家。神戸新聞社代表取締役社長。大阪府出身。 大阪府立三国丘高等学校を経て、1979年に早稲田大学政治経済学部を卒業後、神戸新聞社に入社。編集局社会部長、執行役員地域活動局長などをへて、取締役販売・営業担当や常務取締役企画総務・人事労務担当などを歴任。2017年2月に専務に就任し、2019年2月27日に社長に就任。2025年に代表権のある会長に就任。
西 和彦(にし かずひこ、1956年〈昭和31年〉2月10日… 西 和彦(にし かずひこ、1956年〈昭和31年〉2月10日 - )は、日本のエンジニア・クリエーター・ビジネスマン・教育者。日本のパーソナルコンピューターの黎明期に活躍した人物でASCIIの創業者、MSXの生みの親である。 学校法人須磨学園学園長、NPO法人IoTメディアラボラトリー特別顧問、日本先端工科大学(仮称)設置準備委員会特別顧問。 兵庫県神戸市生まれ。須磨学園創立者・西田のぶの孫。 父の西邦大は須磨学園前理事長。関西大学商学部卒業。万世特攻基地で終戦を迎える。神戸銀行に入行。退行して須磨学園に奉職。商業科教諭、理事長を務めた。 母の西都は西田音吉とのぶの3女。奈良女子高等師範学校家政科卒業。
小田桐 幸雄(おだぎり ゆきお、1956年(昭和31年)2月… 小田桐 幸雄(おだぎり ゆきお、1956年(昭和31年)2月10日 - )は、日本のボクサー。 青森県弘前市出身。弘前電波工業高等学校を経て、拓殖大学に入学する。同校在学中に、1976年モントリオールオリンピックにフェザー級で出場し、3回戦で敗退した。 ほか、1976年(昭和51年)全日本選手権フェザー級優勝、第8回アジア選手権ライト級準優勝、1977年(昭和52年)ベオグラード世界選手権出場などの結果を残した。 引退後は消防署員となり、弘前消防署西北分署などに勤務。ほか、弘前ボクシング協会理事長として後進の育成に当たった。
井田 良(いだ まこと、1956年2月9日 - )は、日本の… 井田 良(いだ まこと、1956年2月9日 - )は、日本の法学者。専門は刑法。学位は、Dr. iur.(ドイツ語版)(ケルン大学・1989年)。慶應義塾大学名誉教授。中央大学大学院法務研究科教授。 東京都調布市出身。父は、映画監督の井田探。1989年、ドイツ・ケルン大学で最優等(summa cum laude)の成績で法学博士(Dr. iur.)の学位を取得。2009年、ドイツ・ザールラント大学から名誉博士称号を授与される。 井田良 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース
本城 正博(ほんじょう まさひろ、1956年2月9日 - )… 本城 正博(ほんじょう まさひろ、1956年2月9日 - )は、日本の合唱指揮者、技術者。松下電器産業(現パナソニック)グループの元従業員であり、同社の合唱団であるパナソニック合唱団(旧・松下中央合唱団)の常任指揮者を務める。 大阪府立三国丘高等学校、大阪大学基礎工学研究科卒業。大学在学中は大阪大学男声合唱団の学生指揮者を務めた。指揮法を櫻井吉明に師事。 大学卒業後、松下電器産業(現・パナソニックホールディングス)に入社。研究開発部門にてDVDやデジタル放送に関連する映像・音響信号処理技術の研究開発に従事した。 社内の実業団合唱団である松下中央合唱団(現・パナソニック合唱団)において、1991年より高木善之の後を継いで常任指揮者に就任。
佐々木 七恵(ささき ななえ、結婚後の氏名:永田 七恵、19… 佐々木 七恵(ささき ななえ、結婚後の氏名:永田 七恵、1956年2月8日 - 2009年6月27日)は、1980年代に活躍した女子陸上競技(主に長距離走・マラソン)選手、指導者。1984年ロサンゼルスオリンピック女子マラソン日本代表。 岩手県大船渡市出身。岩手県立住田高等学校、日本体育大学卒業。大卒後は教育職を経て、瀬古利彦らがいたヱスビー食品に所属。増田明美らとともに、初期の日本女子マラソン界を代表する選手の1人だった。 5男2女の7人兄弟の末娘として生まれたことから七恵と命名される。日頃市中時代はバレーボール部に所属し、[要出典]住田高時代から兄の影響で陸上競技を始める。日体大時代までは中距離の選手としてインカレ等で活躍し、大学卒業後マラソンに進む。
吉澤俊 介(よしざわ しゅんすけ、1956年(昭和31年)2… 吉澤俊 介(よしざわ しゅんすけ、1956年(昭和31年)2月8日 - )は、日本の銀行家、実業家。十八親和銀行の会長。親和銀行最後の頭取。ふくおかフィナンシャルグループ執行役員を務める。元ふくおかフィナンシャルグループ取締役。現在は青雲学園の理事長。 長崎県松浦市の出身で慶應義塾大学法学部卒。1978年、親和銀行に入行し、秘書室主任秘書役や本店営業部長、審査部長、総合企画部長、常務執行役員を歴任し、2007年にふくおかフィナンシャルグループの完全子会社となった親和銀行の代表取締役専務に就任した。 2009年にふくおかフィナンシャルグループの取締役に就任し、2014年に小幡修の後任として代表取締役頭取に就任した。
梶 雅範(かじ まさのり、1956年2月8日 - 2016年… 梶 雅範(かじ まさのり、1956年2月8日 - 2016年7月18日)は、日本の科学史学者、東京工業大学教授。ロシアと日本の化学史が専門。 横浜市生まれ。1979年東京工業大学理学部化学科卒。1988年同大学院理工学研究科社会工学専攻博士課程修了、「メンデレーエフによる元素の周期律発見と発見に至る過程の歴史的考察」で学術博士。1990年から1992年にかけてソ連のレニングラード国立大学(留学中にサンクトペテルブルク大学と改称)にソ連政府奨学金留学生として留学。1994年から東京工業大学人文社会群助教授、2015年社会理工学研究科教授。すい臓がんのため闘病を続けたが、2016年に死去。
林 正道(はやし まさみち、1956年2月8日 - )は、日… 林 正道(はやし まさみち、1956年2月8日 - )は、日本の実業家、馬主。 1979年に日興不動産株式会社、次いで1999年に日興証券株式会社に入社。2001年に不動産業務室長、翌年4月に日興コーディアル証券株式会社不動産業務室長となり、同年6月にシンプレクス・インベストメント・アドバイザーズを設立した。 日本中央競馬会(JRA)に登録する馬主としても知られる。勝負服の柄は海老、黒縦縞、冠名は特に用いない。 GI競走こそ未勝利であるが、初年度の所有馬から重賞勝ち馬が3頭現れるなど、活躍馬の多い相馬眼の持ち主である。
粟野 学(あわの まなぶ、1956年(昭和31年)2月7日 … 粟野 学(あわの まなぶ、1956年(昭和31年)2月7日 - )は、日本の銀行家、実業家。きらやか銀行頭取を務めた。 山形県山形市出身。東北大学法学部卒業後、当時の山形相互銀行入行。同行および山形しあわせ銀行トップをあわせて40年あまり務め、安岡正篤を敬慕し人間教育に力を入れた澤井修一からは薫陶を受けた。営業店勤務は5年程で、キャリアの大部分を本部で過ごし、第二地方銀行協会への出向も経験した。 2005年(平成17年)10月、同様に山形市に本店を置く殖産銀行との経営統合を目的に設立されたきらやかホールディングスが発足すると専務、2007年(平成19年)5月、両行の合併によってきらやか銀行が誕生すると同行専務も兼任した。
永井 龍之介(ながい りゅうのすけ、1956年2月7日 - … 永井 龍之介(ながい りゅうのすけ、1956年2月7日 - )は、日本の洋画商、永井画廊代表取締役。 早稲田中学校・高等学校を経て立教大学経済学部に進み、同大学を卒業。先代(永井三喜男)が六本木に1971年にオープンさせた東京アートギャラリーを、2年後に現在の名称に改名して銀座に拠点を移した。テレビ東京の番組「開運!なんでも鑑定団」のレギュラー鑑定士としても活躍した。「公募―日本の絵画―」を主宰し、無名画家や若手画家の発掘・発信に努めている。「公募 日本の絵画2016」はアーチストスペースF(埼玉県草加市両新田東町68-1 )で行われ、審査員は佐々木豊(画家)・千住博(画家)・布施英利(美術評論家)・永井龍之介(永井画廊)、特別審査員として、石坂浩二( 俳優)・吉井篤志(吉井画廊)が参加した。
佐々木 啓司(ささき けいじ、1956年2月7日 - )は、… 佐々木 啓司(ささき けいじ、1956年2月7日 - )は、北海道美唄市出身の元アマチュア野球選手・現アマチュア野球指導者。
成田 道彦(なりた みちひこ、1956年2月6日 - )は、… 成田 道彦(なりた みちひこ、1956年2月6日 - )は、秋田県北秋田市出身の元陸上競技選手。法政大学陸上競技部監督を経て、2013年4月より同校陸上競技部副部長を務める。 秋田県立西目農業高等学校(現・秋田県立西目高等学校)卒業後、法政大学に入学。当時低迷期にあったチームでエースとして活躍し、箱根駅伝では2年時から3年連続で2区を走った。4年時にあたる1978年の第54回大会では、早稲田大学の瀬古利彦、日本体育大学の中村孝生ら強豪を抑えて区間賞を獲得。母校を17年振りに先頭に立たせ、9年振りのシード権獲得(8位)の原動力となった。特に学生最強ランナーと言われた瀬古を破った男として現在でも名前を見つけることができる。
奥泉 光(おくいずみ ひかる、1956年〈昭和31年〉2月6… 奥泉 光(おくいずみ ひかる、1956年〈昭和31年〉2月6日 -)は、日本の小説家。近畿大学文芸学部で教授も務めた。 山形県東田川郡三川町出身。埼玉県立川越高等学校、国際基督教大学 (ICU) 教養学部人文科学科卒。同大学院修士課程修了(博士課程中退)。当初は研究者を目指しており、研究者時代の共訳書に『古代ユダヤ社会史』(G・キッペンベルク著、教文館)がある。師は並木浩一、大塚久雄。 1986年、すばる文学賞に応募した「地の鳥天の魚群」が最終候補になり、後に「すばる」に掲載され小説家としてデビュー。 1990年、『滝』が第3回三島由紀夫賞候補および第103回芥川賞候補。 1993年、『ノヴァーリスの引用』で野間文芸新人賞・瞠目反文学賞を受賞。
森中 直樹(もりなか なおき 1956年2月6日 - )は、… 森中 直樹(もりなか なおき 1956年2月6日 - )は、NHKのシニアアナウンサー。 東京都立小岩高等学校を経て獨協大学外国語学部卒業後、1978年入局。同期には頼近美津子がいた。趣味はテニス。 東京アナウンス室時代(初期) 情報ネットワーク出向時代 東京アナウンス室時代(3度目)
貝沼 由久(かいぬま よしひさ、1956年2月6日 - )は… 貝沼 由久(かいぬま よしひさ、1956年2月6日 - )は、日本の弁護士、実業家。ミネベアミツミ株式会社代表取締役会長。 義父はミネベア元社長・元会長の高橋高見。義叔父は元民社党衆議院議員の高橋高望。 東京都世田谷区生まれ。 慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。高校ではアメリカンフットボール部に所属。また、高校2年生の時にアメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市にあるプナホウ・スクールへ留学。 1980年司法試験合格。1987年ハーバード大学ロースクール(LL.M.プログラム)修了。1988年ニューヨーク州弁護士資格取得。 ニューヨークで弁護士として働いた後、1988年ミネベア株式会社(現・ミネベアミツミ株式会社)入社。
植田 壯一郎(うえた そういちろう、1956年〈昭和31年〉… 植田 壯一郎(うえた そういちろう、1956年〈昭和31年〉2月6日 - )は、日本の政治家。高知県室戸市長(2期)。元高知県議会議員(5回)、室戸市議会議員(2期)。 高知県佐喜浜町(現・室戸市)生まれ。室戸市立佐喜浜小学校、室戸市立佐喜浜中学校、高知県立高知農業高等学校、東京農業大学農学部卒業。 1983年(昭和58年)、室戸市議会議員に初当選。市議を2期務めたのち、1991年(平成3年)の高知県議会議員選挙に立候補し初当選を果たす。県議時代は自由民主党に所属。2011年(平成23年)の県議選は無所属で立候補し、自民党公認の元参議院議員秘書の弘田兼一に敗れ落選。 その後、一般社団法人室戸市観光協会会長を務める。
門田 富昭(かどた ふみあき、1956年2月6日 - )は、… 門田 富昭(かどた ふみあき、1956年2月6日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 小倉商高では、1973年にエースとして春の選抜に出場。1回戦で桜美林高を降すが、2回戦でこの大会に優勝した横浜高の永川英植と投げ合い、延長13回サヨナラ負けを喫する。 卒業後は西南学院大学に進学。九州六大学リーグでは優勝に届かず、2位3回にとどまる。しかし速球投手として知られ、4年春には久留米大学戦で10回を投げて完全試合を記録するなど活躍、リーグ戦通算最多の39勝を記録して「西の江川」と呼ばれた。 1977年のドラフト1位で横浜大洋ホエールズに、西南学院大学出身として初のプロ野球選手として入団した。
浜川 一郎(はまかわ いちろう、1956年2月6日 - )は… 浜川 一郎(はまかわ いちろう、1956年2月6日 - )は、日本の実業家。ジェーシービー代表取締役会長 兼 執行役員社長。 1956年、京都府生まれ。78年京都大学経済学部卒業後、三和銀行(現三菱UFJ銀行)入行。2006年三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)執行役員、09年常務執行役員、11年三菱UFJフィナンシャル・グループ常務執行役員、12年同社専務取締役を経て14年より現職。
渡辺 麿史(わたなべ たかふみ、1956年2月5日 - 20… 渡辺 麿史(わたなべ たかふみ、1956年2月5日 - 2014年2月1日)は、大分県日田市出身の元プロ野球選手(投手)。 日田林工高校ではエースとして活躍。1972年秋季九州大会に進むが、1回戦で鎮西高に敗退。翌1973年夏の甲子園に出場。1回戦で糸魚川商工の黒坂幸夫と投げ合い完封勝ち、2回戦も浜田商を完封で降す。しかし3回戦はエース佃正樹を擁する広島商に2-3で惜敗。卒業後は社会人野球の日本鉱業佐賀関に入社するが、4年先輩のエース・藤沢公也の陰に隠れ、あまり活躍の場はなかった。 1976年のプロ野球ドラフト会議にて近鉄バファローズから4位指名を受けて、1年遅れの1977年オフに入団。プロでは一軍での試合出場がないまま、1982年限りで現役引退。
赤松 利市(あかまつ りいち、1956年〈昭和31年〉2月5… 赤松 利市(あかまつ りいち、1956年〈昭和31年〉2月5日 - )は、日本の小説家。香川県(同県の小豆島〈同県小豆島町または土庄町〉)生まれ。日本ペンクラブ会員。日本推理作家協会会員。 赤松の父は著名な植物病理学者であった。小学生の時にアメリカで2年間を過ごした(帰国子女)。関西大学文学部を卒業して、大手消費者金融会社に入社。上場準備のために激務をこなした結果燃え尽き症候群となってしまい、30歳を前に退社。ゴルフ場の芝生管理の仕事に就き、35歳で起業。バブル景気末期の影響もあり業績は好調で年収は2千万円を超えたが、精神病を患った娘とともに暮らす生活の中で会社が回らなくなり、仕事も家庭も破綻したという。
大地 真央(だいち まお、1956年2月5日 - )は、日本… 大地 真央(だいち まお、1956年2月5日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団月組トップスター。 戸籍名: 森田 真裕美(もりた まゆみ)、旧姓: 多田(ただ)。兵庫県洲本市出身。身長166センチメートル。愛称は真央、マミ。 外国航路船長職・陸軍軍人などの経験をもつ父と横浜市出身の母のもと、三人姉妹の末子として出生。父は42歳、母は38歳という遅い子であった。4歳から日本舞踊を始める。 洲本市立洲本第二小学校を卒業、洲本市立洲浜中学校に進学。同校在学中に、ひょんなことから舞台に立ち、その面白さから芸能活動を希望するようになり、父に相談するも猛反対されてしまう。しかし、「宝塚歌劇団なら軍隊なみに規律が厳しいから、ためになるのではないか」との父の軍隊時代の友人の進言があり、受験を許された。
石井 裕(いしい ひろし、1956年2月4日 - )は、日本… 石井 裕(いしい ひろし、1956年2月4日 - )は、日本のコンピュータ研究者、工学者。東京都生まれ。5歳のときに北海道札幌市に移る。アメリカ合衆国・マサチューセッツ工科大学教授。専門は情報工学。 タンジブル・ビット研究の創始者。モットーは「人の二倍働いて、三倍の成果を出す」 北海道新聞社のエンジニアであった父親の影響で、幼時からコンピュータに興味を持つ。北海道札幌南高等学校、北海道大学工学部電子工学科卒業。同大学大学院情報工学専攻修士課程修了。 電電公社入社。その後、北海道大学より論文博士号(工学博士)を取得。西ドイツ(当時)のGMD研究所客員研究員、NTTヒューマンインターフェース研究所、トロント大学客員助教授、マサチューセッツ工科大学教授を歴任。
桂 米八(かつら よねはち、1956年2月4日 - 2015… 桂 米八(かつら よねはち、1956年2月4日 - 2015年1月20日)は、兵庫県姫路市白浜町出身の落語家、曲独楽師。本名∶山本 悦次。姫路工業高等学校卒業。出囃子は「八兵衛」。米朝一門ではあるが米朝事務所には所属していない。愛称は「八ちゃん」。 1974年3月に3代目桂米朝に入門。同期に落語家では桂小枝、桂千朝、桂吉朝などがおり、芸能界では、明石家さんまや島田紳助、オール阪神・巨人、関根勤などがいる。 1984年11月に芸の肥やしのために曲独楽の伏見紫水に入門。その後は落語活動よりも曲独楽の活動が中心になっていた。 近鉄文化サロン 阿倍野校にて第2・4木曜日曲独楽の講座を行っていた。 曲独楽の伏見紫水に入門するきっかけは、紫水らと談笑している際に紫水から「わしのうなったら(亡くなったら)、この芸も途絶える」とボソっと洩らしたのを周囲に伝えたところみんなに薦められ、米朝に相談し弟子入りにいたった。
沼田 正俊(ぬまた まさとし、1956年2月4日 - )は、… 沼田 正俊(ぬまた まさとし、1956年2月4日 - )は、日本の農水官僚。元林野庁長官。鹿児島県出身。 ラ・サール高等学校、東京大学農学部を卒業し、1979年林学職で農林水産省入省。同期に沖修司林野庁長官など。山形県の鳥海山麓の森林官などを経て、2003年林野庁整備課長。その後、森林整備部長、国有林野部長を経て2010年林野庁次長。2012年林野庁長官となり、2014年辞職。
山田 隆子(やまだ たかこ、1956年〈昭和31年〉2月4日… 山田 隆子(やまだ たかこ、1956年〈昭和31年〉2月4日 - )は、四国放送(JRT)の元アナウンサー。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。 Category:四国放送のアナウンサーを参照
谷崎 尚之(たにざき ただゆき、1956年2月3日 - )は… 谷崎 尚之(たにざき ただゆき、1956年2月3日 - )は、日本の俳優、声優、ラジオパーソナリティ。北海道芦別市出身で、北海道を拠点に活動している。 父方の親戚に深見千三郎がいる。 北海道札幌旭丘高等学校在学中に演劇を始める。卒業後は喜劇役者を目指して上京するも帰郷。1979年に演劇集団「貫索舎」の創設に参加し、解散まで所属する。1993年から劇団「たんず劇場」を主宰。北海道のテレビ局制作によるドラマへの出演多数。FM北海道で長年ラジオパーソナリティを担当している。声優業も行っており、4万セットを販売した「北海道かるた・方言編」の読み手でもある。札幌市西区発寒で喫茶店を経営していたが、2017年に閉店。
小山 裕三(こやま ゆうぞう、1956年2月3日 - )は、… 小山 裕三(こやま ゆうぞう、1956年2月3日 - )は、日本の体育学者、陸上競技選手、陸上競技指導者、陸上競技解説者。砲丸投元室内日本記録保持者。佐野日本大学短期大学学長。専門はスポーツ運動学。日本大学陸上競技部元監督。博士(体育科学)(国士舘大学)。 千葉県出身。成田高等学校を1974年に卒業。日本大学法学部管理行政学科卒業。日本大学文理学部体育学科聴講生を経て、筑波大学大学院修士課程体育研究室研究生。現役時代は砲丸投の日本トップ選手としてゴールドウインに所属して活躍した。第62回(1978年)、第63回(1979年)日本陸上競技選手権大会において優勝。 現役引退後は、母校の成田高等学校で13年間教員を務め、のち日本大学に移る。
福江 純(ふくえ じゅん、1956年2月3日 - )は、日本… 福江 純(ふくえ じゅん、1956年2月3日 - )は、日本の天文学者。大阪教育大学名誉教授。専門は相対論的宇宙流体力学。理学博士(京都大学)。 天文学者(本人は「天文楽者」を名乗ることもある)としてだけではなく熱心なSF、アニメファンとしても有名で、SFアニメやSF小説のアイデアを天文学の立場から考察した著書も多数ある。石原藤夫の主催する「ハードSF研究所」会員でもある。「ハードSF研究所」の広報に発表した〈ラーマに関する一連の考察〉により1992年SFファンジン大賞・研究部門を受賞。 宇部市立琴芝小学校、宇部市立上宇部中学校、山口県立宇部高等学校卒業。1978年3月、京都大学理学部宇宙物理学科卒業。
近藤 史人(こんどう ふみと、1956年2月3日 - )は、… 近藤 史人(こんどう ふみと、1956年2月3日 - )は、テレビディレクター。愛媛県生まれ。愛光高校卒業。1979年東京大学文学部独文科卒業。 NHKに入局し、ディレクターとして、教養番組部、スペシャル番組部を経てエデュケーショナル統括部長。NHKスペシャル「革命に消えた絵画-追跡・ムソルグスキー『展覧会の絵』」で放送文化基金賞奨励賞受賞、1992年これを團伊玖磨との共著でNHK出版から刊行。また同「空白の自伝・藤田嗣治」を製作しこれをもとにしたノンフィクション、『藤田嗣治-「異邦人」の生涯』(講談社、2002)で、2003年大宅壮一ノンフィクション賞受賞(その後文庫)。2005年には講談社文芸文庫『腕一本・巴里の横顔 藤田嗣治エッセイ選』を編纂。
杉山 満丸(すぎやま みつまる、1956年(昭和31年)2月… 杉山 満丸(すぎやま みつまる、1956年(昭和31年)2月3日 - )は、日本の作家、評論家。 戦国大名の龍造寺氏の子孫である。曾祖父は、玄洋社系政財界のフィクサーともいわれた杉山茂丸。祖父は作家の夢野久作。父はインド緑化の父と言われる杉山龍丸、詩人の杉山参緑は叔父にあたる。 現在は、九州産業大学付属九州産業高等学校で、教鞭を執りながら夢野久作と杉山三代の研究を行っている。 1974年 福岡大学附属大濠中学校・高等学校卒業。1980年 東京農工大学農学部蚕糸生物学科 卒業。 1980年~1983年 九州大学農学部農業工学科潅漑利水工学講座の研究生。 1990年 農業土木学会(現農業農村工学会)誌に『シートパイプクロス暗渠工法と施工後の状態を発表し、同技術は農林水産省から新技術の認定を受ける等、農業工学に詳しい。
秋元 克広(あきもと かつひろ、1956年(昭和31年)2月… 秋元 克広(あきもと かつひろ、1956年(昭和31年)2月2日 - )は、日本の政治家。北海道札幌市長(3期)。 北海道夕張市生まれ。北海道夕張北高等学校、北海道大学法学部(商法、経済法ゼミ)卒業。1979年(昭和54年)、札幌市役所に入庁。2004年(平成16年)企画調整局情報化推進部長、2008年(平成20年)南区長、2009年(平成21年)市長政策室長をそれぞれ務め、2012年(平成24年)に副市長に就任。 2014年(平成26年)9月1日、同市の経済人有志から2015年(平成27年)の札幌市長選挙(第18回統一地方選挙)への出馬要請を受け、9月5日、上田文雄市長に辞表を提出し、副市長を辞任した上で、9月16日に立候補する意向を表明した。
岡 正晶(おか まさあき、1956年〈昭和31年〉2月2日 … 岡 正晶(おか まさあき、1956年〈昭和31年〉2月2日 - )は、日本の弁護士。最高裁判所判事。法務省法制審議会民法部会委員、第一東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長などを歴任。香川県綾歌郡国分寺町(現・高松市)出身。
野見山 篤(のみやま あつし、1956年2月2日 - )は、… 野見山 篤(のみやま あつし、1956年2月2日 - )は、福岡県飯塚市出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。 1975年3月に福岡県立嘉穂高等学校を卒業後、早稲田大学教育学部に入学。大学時代は早稲田大学ア式蹴球部に在籍した。 早稲田大学卒業後、1979年4月に住友金属工業蹴球団(現・鹿島アントラーズ)に入団。2年目からキャプテンとなり、選手として6シーズンのあいだプレー。選手との兼任でコーチおよび主務も務めた。クラブが日本サッカーリーグ1部に昇格した1985年に監督代行、1986年から1988年まで監督を務めた。監督在任中は1年目に降格したが、1986-87シーズンにJSL2部で優勝して1年で1部に復帰した。
川原 正行(かわはら まさゆき、1956年2月1日 - )は… 川原 正行(かわはら まさゆき、1956年2月1日 - )は、日本の元スピードスケート選手である。北海道本別町出身。白樺学園高等学校を経て三協精機所属時代にインスブルックオリンピック、レークプラシッドオリンピックに日本代表として出場した。 1976年インスブルックオリンピックでは5000m24位、1980年のレークプラシッドオリンピックでは1000m23位、1500m20位、5000m25位だった。現役引退後は帯広市教育委員会に所属し小中学生のスケート指導に当たった。 2010年バンクーバーオリンピックにコーチとして参加。
半井 真司(はんい しんじ、旧姓内田(うちだ)、1956年(… 半井 真司(はんい しんじ、旧姓内田(うちだ)、1956年(昭和31年)2月1日 - )は、日本の実業家。四国旅客鉄道株式会社(JR四国)の取締役会長。徳島県三好市(旧三好郡池田町)出身。香川県高松市在住。
井上純一(いのうえ じゅんいち、1956年2月1日 - )は… 井上純一(いのうえ じゅんいち、1956年2月1日 - )は、日本の自治体公務員。 神奈川県秦野市出身。神奈川大学法学部卒業後、1978年、平塚市役所入庁。2013年4月、企画政策部長。2015年6月4日、平塚市副市長。2019年6月、任期満了に伴い退任。2020年5月26日、(公財)平塚市まちづくり財団理事長。
ラッシャー みよし(Rusher Miyoshi, 1956… ラッシャー みよし(Rusher Miyoshi, 1956年2月1日 - )は、日本の作家、AV監督、実業家。アダルトビデオメーカー「RASH」主宰。フェチやマニア系と呼ばれるアングラな性ジャンルを文章や監督作品を通してメディアの表舞台に紹介した人物。ザーメン物、脚フェチ物の創始者。 京都府長岡京市出身。 1977年、京都産業大学外国語学部言語学科を卒業後、早稲田大学大学院文学研究科ロシア文学専攻修士課程に進学。在学中よりセルフ出版(現在の白夜書房)に出入りし、1983年、同社発行の風俗雑誌『元気マガジン』にてライター・デビュー。同誌編集長よりラッシャーみよしのペンネームを与えられ、風俗ライターとして活動を始める。
山本 周(やまもと しゅう、1956年2月 - )は、フジテ… 山本 周(やまもと しゅう、1956年2月 - )は、フジテレビ報道局解説編集部解説委員。
加藤 智章(かとう ともゆき、1956年2月- )は、日本の… 加藤 智章(かとう ともゆき、1956年2月- )は、日本の法学者(社会保障法・年金法・医療保険法)。北海道大学名誉教授、元日本社会保障法学会代表理事。法学博士(北海道大学)。北海道出身 北海道生まれ。1979年小樽商科大学商学部卒業。ラグビー部出身。1982年北海道大学大学院法学研究科修士課程修了。1985年北海道大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。1985年山形大学人文学部専任講師。その後、1988年同助教授に昇格。1991年「フランス社会保障制度における自律と平等」で北海道大学にて法学博士受ける。1992年から1994年までフランス政府給費留学生としてリヨン第3大学労働法社会保障研究所客員研究員、1995年新潟大学法学部教授。
坂根 嘉弘(さかね よしひろ 1956年2月 - )は、日本… 坂根 嘉弘(さかね よしひろ 1956年2月 - )は、日本の歴史学者・経済学者。広島修道大学商学部教授。京都府舞鶴市出身。 専門は近代日本経済史特に農業問題の研究。農学博士(京都大学、1989年)。
山内 康裕(やまうち やすひろ、1956年2月 - )は、日… 山内 康裕(やまうち やすひろ、1956年2月 - )は、日本の自動車実業家。元日産自動車取締役、前代表執行役社長兼最高経営責任者代行兼最高執行責任者。 1981年国際基督教大学教養学部社会科学科卒業、日産自動車入社。調達部門を長く担当し、購買管理部主担、購買企画部主管、組織開発部組織開発担当部長、資材・部品調達部部長を経て、2006年執行役員第一・第二プロジェクト購買部、資材・部品調達部担当。2008年常務執行役員購買、RNPO(共同購買本部)、サービスサポート部、購買企画部担当。2014年日産自動車アライアンスグローバルVP、専務執行役員アライアンス購買担当。2015年アライアンスEVP、副社長アライアンス購買担当。
井口 貢(いぐち みつぐ、1956年2月 - )は、日本の文… 井口 貢(いぐち みつぐ、1956年2月 - )は、日本の文化政策学者。同志社大学政策学部・大学院総合政策科学研究科名誉教授。 滋賀県米原町生まれ。1979年滋賀大学経済学部経営学科卒業。1982年滋賀大学大学院経済学研究科経済学専攻修士課程修了、経済学修士。同年岡崎女子大学経営実務科専任講師。1996年岡崎女子大学経営実務科助教授。1999年岐阜女子大学文学部助教授。2001年京都橘女子大学文化政策学部助教授。2005年京都橘大学文化政策学部教授。2007年同志社大学政策学部教授。2026年同志社大学名誉教授。専攻は文化政策学、文化経済学、観光文化論。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。