武居 俊樹(たけい としき、1941年 - )は、日本の編集… 武居 俊樹(たけい としき、1941年 - )は、日本の編集者。赤塚マンガのキャラクター「武居記者」として知られる。 1941年(昭和16年)、長野県岡谷市に生まれる。実家は諏訪で800年の歴史を持つ神社。長野県諏訪清陵高等学校を経て早稲田大学第一文学部を卒業、大学時代の親友に後の俳優の小林勝也、後の漫画原作者であるやまさき十三がいた。 1966年(昭和41年)、小学館に入社、第二編集部の『少年サンデー』に配属され、赤塚不二夫、古谷三敏、石井いさみ、あだち充などの担当編集者として数々のヒット作を手がける。 1975年からは少女漫画部門へ異動となり、『週刊少女コミック』副編集長に就任。新人編集者の都築伸一郎と共に、人気作家となる前のあだち充を粘り強く起用し続けた。
手塚 和彰(てづか かずあき、1941年 - )は、日本の法… 手塚 和彰(てづか かずあき、1941年 - )は、日本の法学者、千葉大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高校を経て、東京大学法学部政治学科卒業。同大学助手を経て、1970年千葉大学講師、1974年同大学法経学部助教授、1984年同大学教授。1985年~1987年ドイツケルン大学客員教授等を兼任。1999年4月より法経学部学部長。2007年定年退官、名誉教授となり、青山学院大学国際政治経済学部教授。2012年退職。2020年春、瑞宝中綬章受勲。専門は外国人労働者、ドイツ問題。
一郷 正道(いちごう まさみち、1941年 - )は、日本の… 一郷 正道(いちごう まさみち、1941年 - )は、日本の仏教学者。文学博士(京都大学・1986年)。元京都産業大学教授、大谷大学教授、京都光華女子大学・同短期大学部学長。岡崎教区第34組真勝寺住職。 静岡県生まれ。1959年(昭和34年)、静岡県立静岡高等学校卒業。1963年(昭和38年)、大谷大学文学部仏教学科卒業。1967年(昭和42年)、ワシントン州立大学極東学部大学院入学。1969年(昭和44年)、京都産業大学講師、1970年(昭和45年)、京都大学大学院文学研究科博士課程宗教学(仏教学)専攻単位取得後退学。1981年(昭和56年)、京都産業大学教養部教授。1986年(昭和61年)、文学博士(論文博・京都大学)。
伊藤 方也(いとう まさや、1941年 -2020年 )は、… 伊藤 方也(いとう まさや、1941年 -2020年 )は、日本の墨画師、イラストレーター。主に広告業界で活動し、サントリーリザーブの新聞広告、キリン一番搾りの墨文字・墨画などで人気を博した。 1941年、上海生まれ。1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1965年、東京芸術大学工芸科卒業。広告代理店に入りアートディレクターをしていたが、「どうしても絵をかきたい」との思いを抑えきれず退社し、1971年〜1972年、ヨーロッパを旅した。当初、版画に取り組んだが、しばらくして「墨で絵をかいたらどうなるか」と考え、習字を習った。間もなく、サントリーから墨絵の広告を依頼され、約7年間描いた。サントリーリザーブの新聞広告を皮切りに、雑誌の表紙絵、デパートのポスター、カレンダー、商品パッケージのイラスト、企業のロゴマークなどを手掛けた。
植松 正(うえまつ ただし、1941年 - )は、名古屋市出… 植松 正(うえまつ ただし、1941年 - )は、名古屋市出身の東洋史学者。専門は、宋・元代。元香川大学教授、京都女子大学文学部長、学校法人京都女子学園理事。博士(文学)(京都大学)。 1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1964年、京都大学文学部史学科東洋史学専攻卒業。1965年、京都大学大学院文学研究科修士課程(東洋史学専攻)入学。1967年、同修了。1970年、京都大学大学院文学研究科博士課程(東洋史学専攻)単位取得退学。1970年、学術振興会奨励研究員。1971年6月、京都大学研修員。同年10月、香川大学教育学部講師。1973年、同助教授、1983年、同教授。1988年9月、文部省短期在外研究員として、米国、西ドイツにおいて研修(同年10月まで)。
川島 紘一郎(かわしま こういちろう、1941年〈昭和16年… 川島 紘一郎(かわしま こういちろう、1941年〈昭和16年〉 - )は、日本の薬学者。共立薬科大学名誉教授。薬学博士(東京大学)。 1960年(昭和35年)、静岡県立静岡高等学校卒業。東京大学薬学部卒業。1971年、東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了。同年、ニューヨーク医科大学 Research Fellow、Postdoctoral Fellow。1973年、ロッシュ分子生物学研究所(英語版)Postdoctoral Fellow。1975年、自治医科大学薬理学教室講師。共立薬科大学薬理学教室教授。2007年、同大学退任、名誉教授。武蔵野大学薬学研究所客員教授、北里大学薬学部分子薬理学教室客員教授を歴任した。
安藤 喜春(あんどう よしはる、1941年 - )は、静岡県… 安藤 喜春(あんどう よしはる、1941年 - )は、静岡県出身の元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。 沼津東高等学校では、1958年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが、静岡高に延長14回逆転サヨナラ負け。1959年に社会人野球の大昭和製紙に入社、10年間遊撃手として活躍した。1961年の都市対抗では準決勝に進むが、新三菱重工に敗退。1968年には全日本代表のメンバーにも選ばれた。 1969年から大昭和製紙北海道の監督を務め、1974年の都市対抗野球で北海道のチームで初の優勝を果たし、同年には社会人ベストナインの特別表彰を受けている。 1980年から古巣の大昭和製紙の監督を務め、1980年の都市対抗でチームを優勝に導いた。
棚橋 康郎(たなはし やすろう、1941年 - )は、日本の… 棚橋 康郎(たなはし やすろう、1941年 - )は、日本の実業家。新日本製鐵常務取締役や新日鉄ソリューションズ社長を務めた。 名古屋市千種区に生まれる。 幼少時代は岐阜県大垣市で過ごす。その後愛知県立明和高等学校(1959年卒業)を経て、慶応義塾大学経済学部に入学し、加藤寛ゼミで学んだ。 物事には前捌きで捌いてよい問題もあるが、原点に回帰して構造的に取り組まねばな らない問題があることをしっかり認識し、後者については労を惜しんではならないと教えられる。 1963年の卒業後は日本経済の基幹産業である製鉄業を志し、富士製鉄(現・日本製鉄)に入社した。 入社後、経営企画部・販売管理部・総務部など製鉄事業の企画管理畑を歩んだが、取締役就任後はバブル崩壊を受け、手を広げ過ぎた新規事業の選択と集中を決断し、整理撤退すべき事業(半導体事業・シリコンウエハ事業)からの撤退と残すべき事業(情報通 信事業・新素材事業)の育成強化を陣頭指揮した。
西川 富夫(にしかわ とみお、1941年 - )は、日本の実… 西川 富夫(にしかわ とみお、1941年 - )は、日本の実業家。元名鉄グランドホテル代表取締役社長。元名古屋鉄道副社長。 名古屋市生まれ。愛知県立明和高等学校、名古屋大学工学部を卒業後、名古屋鉄道入社。名古屋鉄道副社長等を経て、2007年、名鉄グランドホテル社長に就任。この間、牛島市街地再開発組合(名古屋鉄道、中部電力、トヨタ自動車等で作る名古屋ルーセントタワー建設推進組織)の理事長を兼任。また、2006年より、愛知県経営者協会副会長に就任。2012年には名古屋駅太閤通口まちづくり協議会の会長に就任している。
西条 ロック(さいじょう ロック、1941年〈昭和16年〉-… 西条 ロック(さいじょう ロック、1941年〈昭和16年〉- )は、日本の漫談家、歌手、ラジオパーソナリティ、作詞家。京都府出身。本名は西条 貴博(さいじょう たかひろ)。1970年代以降、関西を中心に漫談・音楽ショー・ラジオなど幅広い分野で活動した。 京都府立朱雀高等学校在学中、京都市内の歌謡喫茶「ひばり」に所属するグループ「シャネル・カンカンズ」のリーダーを務めた。同店でボーヤとして楽器運びをしていた人物が、後にラジオ大阪『オーサカ・オールナイト』で共演する横山プリンである。同時期、素人参加型のラジオ演芸番組に数多く出演し賞金を得る、いわゆる「素人番組荒らし」として早くから注目される存在となっていた。
岸本 哲也(きしもと てつや、1941年 - )は、日本の経… 岸本 哲也(きしもと てつや、1941年 - )は、日本の経済学者。神戸大学大学院経済学研究科教授、早稲田大学政治経済学術院教授を経て、神戸大学名誉教授。 兵庫県立星陵高等学校を経て、1964年神戸大学経済学部卒業。1967年神戸市外国語大学助手。1969年神戸大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。1970年神戸大学教養部講師。1974年ロチェスター大学経済学研究科博士課程修了、Ph.D.。1977年神戸大学経済学部助教授。1982年神戸大学経済学部教授。1996年日本公共政策学会理事。1998年日本経済学会常任理事。2000年神戸大学大学院経済学研究科長・経済学部長、日本政策学会理事。2004年早稲田大学政治経済学術院教授。
広瀬 幸司(ひろせ こうじ、1941年 - )は、兵庫県出身… 広瀬 幸司(ひろせ こうじ、1941年 - )は、兵庫県出身の野球選手(捕手)。 芦屋高校では、同期のエース安藤敏雄とバッテリーを組む。2年次の1958年に秋季近畿大会準決勝へ進み、平安高の藤野隆司に抑えられ敗退するが、3年次の1959年春の選抜出場を決める。大会では1回戦で三浦和美のいた広陵高を降すが、2回戦で浪華商に敗れる。同年夏は県予選準々決勝で滝川高に敗退、甲子園には届かなかった。他の高校同期に一塁手の西岡浩史らがいる。 高校卒業後は1960年に法政大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは4回の優勝を経験。2年次の1961年から正捕手となり、2年上の新山彰忠、同期の山崎武昭・龍隆行らとバッテリーを組む。
小林 四郎(こばやし しろう、1941年 - )は、日本の化… 小林 四郎(こばやし しろう、1941年 - )は、日本の化学者。京都大学名誉教授。現在、京都工芸繊維大学バイオベースマテリアル研究センター特任教授。 兵庫県立姫路西高等学校卒業。京都大学工学部卒業。1986年東北大学工学部教授、1997年京都大学大学院工学研究科教授。有機化学に立脚した高分子合成手法の開拓と、それを利用する新高分子材料の創出に関する研究に携わる。特に、酵素触媒の特徴を活かした高分子合成反応(酵素触媒重合)は、それまで成功していなかったセルロース、キチン、ヒアルロン酸、コンドロイチンのような天然多糖の試験管内合成を可能ならしめた手法として有名である。
別紙 壮一(べっし そういち、1941年 - )は、日本の元… 別紙 壮一(べっし そういち、1941年 - )は、日本の元アニメプロデューサー。香川県高松市出身。 香川県立坂出高等学校、中央大学商学部卒業。大学卒業後に日通液化ガス(在職中に日通商事へ社名変更。現:NX商事)へ入社し、主計課に配属される。その傍ら、妻の姉の友人である藤岡豊に経理業務の補佐を依頼され、非常勤のアルバイトとしてシンエイ動画の前身である有限会社エイプロダクション(Aプロ)に出入りするようになる。藤岡とはその後義兄弟の関係となる。 アニメ業界への関心が高まったことや、Aプロの社長である楠部大吉郎に乞われたこともあって転職を決意し、1966年11月に日通商事を退社して、総務経理の専従スタッフとしてAプロに入社。
倉田 眉貴子(くらた みきこ、1941年 - )は、日本の教… 倉田 眉貴子(くらた みきこ、1941年 - )は、日本の教育者、大手前丸亀中学・高等学校前校長。
井上 雅弘(いのうえ まさひろ、1941年 - ) は、日本… 井上 雅弘(いのうえ まさひろ、1941年 - ) は、日本の機械工学者。九州大学名誉教授。元佐世保工業高等専門学校校長。元精華女子短期大学学長。元ターボ機械協会会長。元日本機械学会副会長。 1960年福岡県立修猷館高等学校、1964年九州大学工学部機械工学科卒業。九州大学大学院工学研究科機械工学専攻を経て、1969年九州大学工学部講師。1971年九州大学工学博士。1972年九州大学助教授。1973年日本機械学会論文賞受賞。1983年九州大学教授。同年日本機械学会論文賞、ターボ機械協会論文賞受賞。1988年日本ガスタービン学会理事。同年ターボ機械協会論文賞、日本ガスタービン学会論文賞受賞。1989年ターボ機械協会会長。
由佐 悠紀(ゆさ ゆうき、1941年 - )は日本の地球物理… 由佐 悠紀(ゆさ ゆうき、1941年 - )は日本の地球物理学者。京都大学名誉教授。温泉資源の保護と適正利用に業績があった。 長崎県出身。長崎県立長崎東高等学校卒業。1964年3月京都大学理学部地球物理学科卒業、1966年3月同大学大学院理学研究科修士課程修了。1966年5月京都大学助手、1979年10月助教授を経て、1987年10月に教授就任。大学院修了後は大分県別府市にある京都大学大学院理学研究科附属地球熱学研究施設で研究を行っていた。1970年から1982年にかけては南極ビクトリアランドの塩湖の調査・観測活動に参加した。2000年度・2001年度には日本温泉科学会長を務めた。理学博士(京都大学、1976年)。
横田 哲治(よこた てつじ、1941年- )は、国際マーチャ… 横田 哲治(よこた てつじ、1941年- )は、国際マーチャンダイジング研究所代表、農政・食生活ジャーナリスト、ノンフィクション作家。 1941年、中国・上海生まれ。戦後、上海より帰国し長崎県の開拓地に入植した父のもとで農業に従事しながら少年期を過ごす。長崎県立諫早農業高等学校卒業。その経験から農業者の視点での発言の必要性を感じ、農政ジャーナリストに転じた。 栃木県立農業者大学校、宇都宮大学教育学部の講師を経て、現在はFSN代表、国際マーチャンダイジング研究所代表。客員待遇で近畿大学農学部、慶應義塾大学総合政策学部で非常勤講師を務める。国際農業ジャーナリスト連盟(IFAJ)正会員。 1984年に出版した『明日の農業を求めて-自立をめざす青年たち-』など多数の著書がある。
浅川 征一郎(あさかわ せいいちろう、1941年 – )は、… 浅川 征一郎(あさかわ せいいちろう、1941年 – )は、太平書屋社長、編集者。斎田作楽の筆名でも、解題翻刻を手がける。 福岡県生まれ。熊本県立熊本高等学校を経て、1963年明治大学商学部卒業。在学中より有光書房のアルバイトをしていた縁から同書房の社員として残り、高橋鉄・林美一らの知遇を得る。1977年、有光書房社主坂本篤の死去をきっかけに太平書屋を創立した。 近世江戸の軟派文学・狂歌狂詩・川柳などの稀書に光を当て、正確に解題・翻刻・校註した出版刊行の成果は高く評価されている。第1回岩瀬弥助記念書物文化賞を受賞。
堀川 征孝(ほりかわ まさたか、1941年 - )は、日本の… 堀川 征孝(ほりかわ まさたか、1941年 - )は、日本の実業家。日本製粉代表取締役社長や、同社取締役副会長、製粉協会会長などを務めた。 熊本県出身。父は警察官。玉名市立伊倉小学校、玉名市立玉南中学校、熊本県立玉名高等学校を経て、九州大学経済学部に進学。大学では野球部に所属し九州六大学野球連盟で活躍した。1964年大学を卒業し日本製粉に入社。神戸工場配属。 日本製粉企画部副部長、小山工場長、人事部長を経て、1998年取締役人事部長に昇格。2001年常務取締役企画部長兼調査部長兼業務統括室長。2002年から代表取締役社長兼COOを務め、グローバル化を進めた。2005年製粉協会会長。2006年日本製粉取締役副会長。
村松 賢一(むらまつ けんいち、1941年 - )はアナウン… 村松 賢一(むらまつ けんいち、1941年 - )はアナウンサー。NHKアナウンサーを経て、お茶の水女子大学文教育学部教授を務めた。
秋元 実治(あきもと みのじ、1941年 - )は、日本の英… 秋元 実治(あきもと みのじ、1941年 - )は、日本の英語学者。青山学院大学名誉教授。 東京生まれ。青山学院大学文学部英文科卒、東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。1990年「「動詞+動詞派生名詞」構造研究」で青学文学博士。青山学院大学助教授を経て、教授、2012年定年、名誉教授となる。
大村 次郷(おおむら つぐさと、1941年 - )は、日本の… 大村 次郷(おおむら つぐさと、1941年 - )は、日本の写真家、文筆家。 満洲生まれ。岩手県出身。エトロフ事件で捕虜となった大村治五平の子孫で、弟は考古学者の大村幸弘。作家の森荘已池は伯父(母親の兄)。 多摩芸術学園写真科・青山学院大学卒業。濱谷浩に師事。オリエント、インド、中国を中心にルポルタージュを手がける。『シルクロード』『文明の道』などのNHK特集(スペシャル)に参加。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
岩橋 勝(いわはし まさる、1941年 - )は、日本の経済… 岩橋 勝(いわはし まさる、1941年 - )は、日本の経済学者(日本経済史)。学位は経済学博士(大阪大学・1983年)。松山大学名誉教授。 大阪大学助手、松山商科大学助教授、松山大学教授などを歴任した。 愛知県名古屋市生まれ、同県瀬戸市出身。1964年滋賀大学経済学部卒業。1967年大阪大学大学院経済学研究科博士課程中途退学。1983年「近世日本物価史の研究」で経済学博士の学位を取得。 大阪大学助手、松山商科大学(のち松山大学)専任講師・助教授・松山大学教授を経て、2012年定年退任、名誉教授。関西大学経済・政治研究所非常勤研究員。 2020年『近世貨幣と経済発展』で徳川賞受賞。2023年日本学士院賞受賞。
尾浦憲治郎(おうらけんじろう、1941年 - ) は大阪大学… 尾浦憲治郎(おうらけんじろう、1941年 - ) は大阪大学名誉教授。応用物理学会長. 日本真空協会長. 1964年大阪大工卒 大阪大学院博士課程修了 大阪大学超高圧電子顕微鏡センタ特任教授 2006年日本応用物理学会会長。2011年日本真空協会会長 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
新井 俊一(あらい としかず、1941年 - )は日本の宗教… 新井 俊一(あらい としかず、1941年 - )は日本の宗教学者、浄土真宗本願寺派教師、相愛大学名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
有馬 道子(ありま みちこ、1941年 - )は、日本の言語… 有馬 道子(ありま みちこ、1941年 - )は、日本の言語学・記号学者。専門は英語学・一般言語学・記号論。京都女子大学文学部教授等を歴任。 大阪府生まれ。旧姓・岡本。大阪市立大学文学部英文科卒、同大学院文学研究科修士課程修了。 1965年4月から1969年3月まで武庫川女子大学・短期大学専任講師、その後複数の大学で非常勤講師を務めたのち1974年4月から親和女子大学(後の神戸親和女子大学)専任講師、助教授、教授を務め、1990年4月光華女子大学(後の京都光華女子大学)教授。2001年京都女子大学文学部教授。2014年退職。日本記号学会および日本エドワード・サピア協会理事。
田中 恒子(たなか つねこ、1941年〈昭和16年〉 - )… 田中 恒子(たなか つねこ、1941年〈昭和16年〉 - )は、日本の住居学・教育学者。住教育の普及に努めた。大阪教育大学名誉教授。大阪市生まれ。
宮田 美智也(みやた みちや、1941年 - )は、日本の経… 宮田 美智也(みやた みちや、1941年 - )は、日本の経済学者。金沢大学名誉教授。専門は金融論(信用論)、金融制度論。マルクス経済学的視角から、19世紀を中心としたイギリスの短期金融市場の展開に関して研究した。また指導を受けた川合一郎の研究を基礎として、信用論(マルクス経済学に基づく金融体系論)に関する研究を行った。 宮崎県生まれ。1965年大阪市立大学(現大阪公立大学)商学部卒業。大阪市立大学大学院経営学研究科に入学し、会計学、後に金融論を専攻し、生川栄治、川合一郎の指導を受ける。1970年大阪市立大学大学院経営学研究科博士課程中退。金沢大学法文学部講師、助教授を経て、金沢大学経済学部教授。
稲本 志良(いなもと しろう、1941年 - )は、日本の農… 稲本 志良(いなもと しろう、1941年 - )は、日本の農業経済学者。京都大学名誉教授。元地域農林経済学会会長。元日本農業経営学会会長。 鹿児島県生まれ。1964年大阪府立大学農学部卒業。1967年京都大学大学院農学研究科博士課程中退。京都大学大学院農学研究科教授、龍谷大学経済学部教授、地域農林経済学会会長、日本農業経営学会会長、農業会計研究会会長、日本農業普及学会会長などを歴任した。京都大学名誉教授。地域農林経済学会学会賞特別賞、日本農業経営学会学会賞学術賞受賞。
都田 徹(みやこだ とおる、1941年 - )は株式会社景観… 都田 徹(みやこだ とおる、1941年 - )は株式会社景観設計・東京代表。ランドスケープアーキテクト。日本大学生物資源科学部講師やルイジアナ州立大学アートデザイン学部ランドスケープアーキテクチュア学科客員教授、ランドスケープアーキテクト資格制度総合管理委員会委員を歴任し、2007年にアメリカ合衆国ASLAフェローに、ソウル生まれ。大阪府出身。 1967年に大阪府立大学大学院農学研究科緑地工学専攻緑地計画学講座修士課程を修了し、鹿島建設(株)入社、設計本部開発計画部に勤務し、この間の1971年にカリフォルニア州立大学大学院バークレー校およびハーバード大学デザイン大学院へ客員研究員として留学。在学中はEckbo Dean Austin & Williams(後EDAW→AECOM)、Sasaki Walker & Associates(現SWAグループ)、Sasaki Dawson Demey & Associates(現Sasaki Associates)、修了後はザイオン・アンド・ブリーンに勤務。
大倉 徹彦(おおくら てつひこ、1941年 - )は、日本の… 大倉 徹彦(おおくら てつひこ、1941年 - )は、日本の経営者。山陽放送社長を務めた。 岡山県出身。1963年に岡山大学教育学部を卒業し、1964年10月に山陽放送に入社した。1995年2月に取締役に就任し、2002年2月に常務、同年6月に山陽放送取締役、2001年6月に専務を経て、2002年1月に副社長に就任し、同年6月には社長に昇格。2007年6月に相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
江種 満子(えぐさ みつこ、1941年 - )は、日本近代文… 江種 満子(えぐさ みつこ、1941年 - )は、日本近代文学研究者。博士(人文科学)(お茶の水女子大・論文博士・2004年)(学位論文「日本近代文学とジェンダー 女性・身体・言葉」)。文教大学名誉教授。 広島県に生まれる。お茶の水女子大学文教育学部国文学科を卒業。東京教育大学大学院博士課程満期退学。文教大学文学部教授。2004年に「日本近代文学とジェンダー 女性・身体・言葉」でお茶の水大学より博士(人文科学)の学位を授与される。2012年に定年退任、名誉教授となった。日本近代文学館の理事を務める。
斉藤 武(さいとう たけし、1941年- )は、日本の法学者… 斉藤 武(さいとう たけし、1941年- )は、日本の法学者。商法学者。専門は、商法・国際取引法。 1963年金沢大学法文学部卒業。1965年東北大学大学院法学研究科修士課程修了。1965年同法学部助手や 仙台法経専門学校兼任講師を経て、1967年小樽商科大学商学部専任講師。1973年立命館大学法学部助教授。1988年に立命館大学国際関係学部設置に伴い教授に就任。後に、同法学部教授。2005年龍谷大学法科大学院教授。2011年同定年退職。立命館大学名誉教授。龍谷大学法科大学院客員教授(~2013年)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
市野 重義(いちの しげよし、1941年 - )は、陶芸家。… 市野 重義(いちの しげよし、1941年 - )は、陶芸家。兵庫県丹波篠山市今田町立杭出身。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
松尾 聿正(まつお のぶまさ、1941年 - )は、日本の会… 松尾 聿正(まつお のぶまさ、1941年 - )は、日本の会計学者。関西大学大学院会計研究科教授。専攻は財務会計論。学位は、博士(商学)(関西大学)。
渡辺 雄三(わたなべ ゆうぞう、1941年 - )は、日本の… 渡辺 雄三(わたなべ ゆうぞう、1941年 - )は、日本の臨床心理士。 愛知県・名古屋市生まれ。1965年名古屋大学工学部中退。同年より精神科病院に勤務。1987年に渡辺雄三分析心理室を開設。1994年には開業心理臨床家として独立し、分析的心理療法に専念。2000年に人間環境大学 人間環境学部 および大学院 人間環境学研究科教授に就任。2001年、関西大学より博士(社会学)の学位を取得。論文の題目は『精神分裂病者に対する心理療法の臨床心理学的研究』。
佐々木 徹(ささき とおる、1941年 - )は、日本の哲学… 佐々木 徹(ささき とおる、1941年 - )は、日本の哲学者、美術評論家、追手門学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。関西学院大学経済学部卒業。同大学院文学部哲学科博士課程修了。 大阪商業大学専任講師、追手門学院大学文学部専任講師、同助教授・教授を経て、国際教養学部教授。 2012年定年、財団法人国際日本研究所理事1980年−2001年、日本文化会議1986年−1994年、日中文化交流日本代表団2002年、日本文化研究会主宰2001年−、専門は哲学・比較思想比較文化論。 英・独・仏・伊・西・中の六ヶ国による国際共同出版、 巻頭論文
横田 晃(よこた あきら、1941年 - )は、日本の実業家… 横田 晃(よこた あきら、1941年 - )は、日本の実業家。1964年関東学院大学工学部卒、1964年東京応化工業に入社。1985年東京応化工業取締役就任、1987年東京応化工業常務取締役就任、1995年科学技術庁長官賞科学技術功労者受賞、2000年東京応化工業代表取締役社長就任。2002年東京応化工業代表取締役会長就任。2004年相談役に就任し代表権のある会長を退任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
衛藤 博啓(えとう ひろあき、1941年(昭和16年) - … 衛藤 博啓(えとう ひろあき、1941年(昭和16年) - )は、日本の銀行家。みずほ信託銀行初代社長。 1996年(平成8年)富士銀行専務取締役に就任 1998年(平成10年)同取締役副頭取に就任 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
藤田 恭伸(ふじた やすのぶ、1941年 - ) は、日本の… 藤田 恭伸(ふじた やすのぶ、1941年 - ) は、日本の機械工学者。専門は熱工学。九州大学名誉教授。元日本伝熱学会会長。元日本機械学会副会長。 1963年九州大学工学部機械工学科卒業。1965年九州大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1968年九州大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程単位修得退学、九州大学工学部機械工学科講師。1969年九州大学工学部助教授。1970年九州大学工学博士。1980年九州大学工学部教授。 1997年日本伝熱学会副会長、日本伝熱学会学術賞受賞。1998年日本機械学会九州支部長、日本機械学会熱工学部門功績賞受賞。2001年日本伝熱学会会長、日本機械学会フェロー。
福島 孝一(ふくしま こういち、1941年(昭和16年) -… 福島 孝一(ふくしま こういち、1941年(昭和16年) - )は、日本の実業家。住友金属鉱山元社長、住友金属鉱山元会長、住友金属鉱山相談役、日本鉱業協会元会長、住友財団評議員。 福岡県出身。1964年に九州工業大学工学部金属工学科を卒業した。1964年に住友金属鉱山に入社し、別子事業所東予工場長、播磨事業所長、取締役などを経て、2000年に社長、2007年に会長、2010年に相談役に就任した。住友グループ20社(白水会)の資金拠出により設立された公益財団法人住友財団の評議員。
北岡 正敏(きたおか まさとし、1941年 -)は、日本の工… 北岡 正敏(きたおか まさとし、1941年 -)は、日本の工学者である。専門は経営工学(品質工学、生産システム工学、制御工学など)、知識工学、生産技術。中国東北工学院元客員教授、日本ロジスティクスシステム学会副会長、元神奈川県大学空手道連盟理事長、兵站史、軍事史.。政治的活動としては弟:北岡俊明(「シンクタンク戦略大学」主宰)と共に2013年9月、2014年2月、7月にベトナムの慰霊廟など現地調査を行いベトナム戦争での韓国の大量虐殺事件について調査・研究・渡米し発表した。 1941年(昭和16年)徳島県生まれ 工学博士(京都大学) 1969年神奈川大学 工学部 助手1974年 神奈川大学 工学部 専任講師1976年 神奈川大学 工学部 助教授1986年 神奈川大学 工学部 教授1994年 - 2006年神奈川大学 工学部 教授。
佐々木 一郎(ささき いちろう、1941年 - )は、日本の… 佐々木 一郎(ささき いちろう、1941年 - )は、日本の政治学者。横浜市立大学名誉教授。 京都大学大学院法学研究科(公法政治)修士課程修了。法学修士。岡山大学法文学部助教授、横浜市立大学文理学部助教授を経て、文理学部が国際文化学部に改組され、横浜市立大学国際文化学部国際関係学科教授。2006年横浜市立大学を退職。横浜市立大学名誉教授。
佐藤 禎一(さとう ていいち、1941年(昭和16年) - … 佐藤 禎一(さとう ていいち、1941年(昭和16年) - )は、日本の官僚。元文部事務次官。NPO法人大学経営協会会長。大分県出身。 京都大学法学部卒業後、文部省入省。文化庁次長、学術国際局長、大臣官房長を経て、1997年(平成9年)に文部事務次官。 退官後は、2000年(平成12年)日本学術振興会理事長、2003年(平成15年)ユネスコ日本政府代表部特命全権大使を歴任し、2007年(平成19年)からは東京国立博物館長を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
寺嶋 英志(てらしま ひでし、1941年 - )は、日本の翻… 寺嶋 英志(てらしま ひでし、1941年 - )は、日本の翻訳家。 1941年、旧満州(奉天)生まれ。京都大学大学院理学研究科博士課程修了。海外での石油探鉱開発の仕事に約30年間従事したのち、浜松大学非常勤講師、日本エネルギー経済研究所客員研究員を勤め、一般科学書の翻訳を行う。白亜紀の終幕の論争の跡を克明にたどり科学革命=パラダイムシフトの瞬間を生々しく描き出した『白亜紀に夜がくる』の翻訳をはじめとし、数学や物理学、自然科学全般にわたる幅広い翻訳書がある。 娘は作家の井嶋ナギ。
徳岡 秀雄(とくおか ひでお、1941年(昭和16年) - … 徳岡 秀雄(とくおか ひでお、1941年(昭和16年) - )は、日本の教育学者、浄土真宗僧侶。 京都府生まれ。1964年京都大学教育学部卒業。京都家庭裁判所調査官補、1971年関西大学社会学部講師、助教授、81年教授、94-96年学部長、99年京都大学教育学研究科教授、2002年退職、放送大学客員教授。1987年「「予言の自己成就過程」研究 ラベリング論・再考」で京大教育学博士。中央仏教学院(浄土真宗本願寺派)通信教育課程を卒業。得度修礼・教師教修を経て、2003年から布教使(助教)。
中堀 一郎(なかほり いちろう、1941年-)は、日本の実業… 中堀 一郎(なかほり いちろう、1941年-)は、日本の実業家、技術者、工学博士。三菱電機を経て2000年に独立。創発システム研究所を設立。道路トンネル向けの「換気制御用ソフトウェア」「インバータ換気動力盤」「レーザー式車両検知器」などの開発で知られる。 1941年、京都府生まれ。 京都大学大学院修士課程(電気工学専攻)修了。工学博士。 1967年、三菱電機入社。中央研究所、制御製作所勤務を経て産業システム研究所所長、開発本部理事などを歴任し58歳にて早期退職。創発システム研究所を設立し、社長に就任。 1967年、入社。中央研究所で10年間研究開発に従事。 上水道・下水道の設備のシステム、さらに道路トンネルの換気制御システムを手掛ける。
中村 道(なかむら おさむ、1941年 - 2008年)は、… 中村 道(なかむら おさむ、1941年 - 2008年)は、日本の法学者。専門は国際法。神戸大学名誉教授。元中部大学国際関係学部国際関係学科教授。 1941年、東京都生まれ。父は弁護士である中村吉郎(後に学校法人青風塾を創立)。1964年、京都大学大学院法学研究科修士課程修了。 1991年4月から2005年3月まで、神戸大学大学院法学研究科教授。2005年3月定年退職、神戸大学名誉教授。4月より、中部大学国際関係学部国際関係学科教授。2008年、神戸市灘区にて逝去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
端 信行(はた のぶゆき、1941年 - )は、日本の文化人… 端 信行(はた のぶゆき、1941年 - )は、日本の文化人類学者。専攻は経済人類学・アフリカ民族学。国立民族学博物館名誉教授。 1941年、大阪府生まれ。京都大学文学部を卒業。卒業後は天理大学教養学部講師、国文学研究資料館助教授を務めた。その後、国立民族学博物館助教授、教授を務め、2001年に退職すると同時に名誉教授となった。その後も2001年から2007年まで京都橘大学文化政策学部教授。2004年から2006年まで文化経済学会<日本>会長、その後は2014年3月まで兵庫県立歴史博物館館長を務めた。2015年現在、滋賀県平和祈念館館長を務めている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。