犬飼 公之(いぬかい きみゆき、1944年1月 - )は、日… 犬飼 公之(いぬかい きみゆき、1944年1月 - )は、日本の日本文学研究者。専門は古代文学。宮城学院女子大学名誉教授。 長野県松本市生まれ。1964年二松學舍大学文学部卒業、1966年國學院大學大学院文学研究科修士課程修了、1972年國學院大學大学院文学研究科博士課程中退。1977年、宮城学院女子大学・女子短期大学講師、1978年同助教授、1985年同教授。1986年、「鏡の目覚書」などの業績により第三回上代文学会賞を受賞。琉球の組踊についても著書を出しており、2005年に第27回沖縄文化協会賞(仲原善忠賞)を受賞した。2011年宮城学院女子大学を定年退職、後、名誉教授。
大竹 竹風(おおたけ ちくふう、1944年1月 - )は、日… 大竹 竹風(おおたけ ちくふう、1944年1月 - )は、日本の将棋駒師。新潟県三条市在住。 東京都神田区(現・千代田区)神田出身。新潟県立三条実業高等学校商業科を卒業後、東京本郷の前沢碁盤店に勤める。 「竹風駒」は、プロ棋士のタイトル戦でも使われている。 竹風駒の木地は、伊豆七島の御蔵島の原生林で伐採された黄楊を4-5年寝かせて使用する。 木地は木目により「柾」(まさ)、「杢」(もく)に大別される、柾はさらに「赤柾」、「糸柾」等、杢は「虎斑」(とらふ)、「孔雀杢」、「根杢」(ねもく-模様が多岐にわたる)、等とさらに細かく分類される。光の加減により木目が美しく変化する「虎斑」や「孔雀杢」が蒐集家等に人気があるのに対し、長時間駒と向き合うプロ棋士は光による変化が「目に刺す」と嫌って柾を選ぶことが多かったが、竹風は「最近は虎斑を使うこともあります」と述べている。
佐藤 康邦(さとう やすくに、1944年1月 - 2018年… 佐藤 康邦(さとう やすくに、1944年1月 - 2018年7月)は、日本の哲学研究者、倫理学者。東京大学名誉教授。 東京都生まれ。東京都立新宿高等学校を経て1968年東京大学文学部倫理学科卒業、1973年同大学院博士課程単位取得退学、教養学部社会科学科助手、1977年東洋大学文学部専任講師、1980年助教授、1989年教授、1996年東京大学大学院人文社会系研究科教授、2006年定年退職、東京大学名誉教授、放送大学教授(2007-2014)、放送大学客員教授(2015-2017)。 1984年から1986年、西ドイツ・アレクサンダー・フォン・フンボルト財団奨学生としてエアランゲン・ニュルンベルク大学哲学科に在学。
大塚 勤(おおつか つとむ、1944年1月 - )は、日本の… 大塚 勤(おおつか つとむ、1944年1月 - )は、日本の映画プロデューサー、実業家。エイアンドジー顧問プロデューサー、國學院大學院友経済会会長、湘南出版白扇会メンバー。 1966年に國學院大學政経学部国際経済学科(74期)を卒業。1967年4月に所属会社の合併に伴い徳間書店に入社。加藤博之常務の大映移籍後に取締役映像事業局長、更に加藤の後任だった尾形英夫常務が1994年に退社しアニメの統括プロデューサーとなる。その後海外事業局長を経て、1997年12月にディレクTV放送の為設立された子会社である徳間デジタル放送(後のスーパーデジタル放送)代表取締役社長に就任。2000年8月28日にエイアンドジーを設立。
佐々木 一樹(ささき かずき、1944年 - )は、日本のヴ… 佐々木 一樹(ささき かずき、1944年 - )は、日本のヴァイオリニスト。 札幌北高校出身、札幌音楽院で荒谷正雄に師事。1966年から札幌交響楽団コンサートマスター、1977年から東京交響楽団コンサートマスターを務めた。1980年、ヴェネツィア合奏団 (I SOLISTI VENETI)に招かれ、首席奏者及びソリストに就任。ソロ及び「クヮルテット・ロッシーニ」等の室内楽でも活躍。 長女はピアニストのウララ・ササキ、次女はチェロ奏者のマルモ・ササキで、父娘で「パドヴァ・トリオ」としても活動している。
吉澤 靖之(よしざわ やすゆき、1944年 - )は、日本の… 吉澤 靖之(よしざわ やすゆき、1944年 - )は、日本の医学者。専門は呼吸器内科学。元東京医科歯科大学学長。 北海道比布町出身。北海道旭川西高等学校を経て、1969年東京医科歯科大学医学部医学科卒業。1970年東京医科歯科大学医学部副手。1972年東京逓信病院医師。1977年イリノイ大学客員研究員。1978年ウイスコンシン医科大学客員研究員。1979年ウイスコンシン医科大学客員教授。1980年東京逓信病院医師。1984年筑波大学臨床医学系講師。1986年筑波大学臨床医学系助教授。1993年東京医科歯科大学医学部助教授。1998年東京医科歯科大学医学部附属病院教授。1999年東京医科歯科大学医学部附属病院病院長補佐。
松永 政司(まつなが まさじ、1944年 - )は、日本の工… 松永 政司(まつなが まさじ、1944年 - )は、日本の工学者。北海道 伊達市出身。北海道大学、京都大学卒業。京都大学工学博士、昭和大学医学博士。 第7の栄養素といわれる食品素材としての核酸(サケの白子DNA、ビール酵母RNA)の研究開発・普及に努め、日本病態栄養学会、国際DNA・ゲノム会議(大連)などで核酸の栄養医学に関する特別公演などを行う。NPO法人遺伝子栄養学研究所理事長。現在も北海道で核酸の研究開発を続けている。 鮭の白子から核酸素材を抽出しサプリメント化した最初の日本人。「核酸サプリメントの父」と称される。 太平洋戦争末期の1944年、北海道伊達紋別町(今の伊達市)に4人兄弟の長男として生まれる。
渡辺 嘉二郎(わたなべ かじろう、1944年 - )は日本の… 渡辺 嘉二郎(わたなべ かじろう、1944年 - )は日本の工学者。法政大学名誉教授。専門は、計測工学・制御工学。
菅井 秀郎(すがい ひでお、1944年 - )は、日本の工学… 菅井 秀郎(すがい ひでお、1944年 - )は、日本の工学者、名古屋大学大学院工学研究科教授、中部大学客員教授。 宮城県に生まれる。宮城県古川高等学校卒業。東北大学工学部卒業。東北大学大学院工学研究科修士課程修了。
下遠野 邦忠(しもとおの くにただ、1944年 - ) は、… 下遠野 邦忠(しもとおの くにただ、1944年 - ) は、日本の分子生物学者、ウイルス学者。京都大学名誉教授。 福島県植田町(現:いわき市植田町)生まれ。1962年福島県立磐城高等学校卒業。1967年東北大学理学部化学科卒業。1969年東北大学大学院理学研究科修士課程修了。1973年北海道大学大学院薬学研究科博士課程修了、薬学博士。国立遺伝学研究所分子遺伝部で三浦謹一郎の下研究員を務め、ウィスコンシン大学MacArdle癌研究所に留学し、ハワード・マーティン・テミンの下で研究に従事。1985年国立がんセンター研究所ウィルス部長。1996年京都大学ウイルス研究所がんウイルス研究部門教授。2002年京都大学ウイルス研究所所長。
鬼澤 邦夫(おにざわ くにお、1944年 - )は、日本の実… 鬼澤 邦夫(おにざわ くにお、1944年 - )は、日本の実業家。常陽銀行代表取締役頭取、同会長、全国地方銀行協会副会長、茨城県経営者協会会長、茨城県公安委員会委員長等を歴任。 茨城県ひたちなか市出身。那珂湊中学校、茨城県立水戸第一高等学校を経て、1967年に一橋大学商学部を卒業し、株式会社常陽銀行入行。のちに水戸第一高等学校同窓会知道会第10代会長を務めた。 人事部部長代理、人事部副部長、堀留支店長、総務部長、人事部長を経て、1997年取締役人事部長。常務取締役、副頭取を経て、2005年から常陽銀行代表取締役頭取。2009年社団法人全国地方銀行協会副会長、財団法人常陽地域研究センター会長。2011年常陽銀行代表取締役会長。
加納 國雄(かのう くにお、1944年 - )は、一般社団法… 加納 國雄(かのう くにお、1944年 - )は、一般社団法人 国際観光文化推進機構 [ITCO]名誉理事 https://yamatogokoro.jp/inbound_interview/4745/ 群馬県生まれ。群馬県立高崎高等学校卒業、米国ブリガムヤング大学マーケティング専攻学士号取得、米国サンフランシスコ州立大学にて国際経営学修士号(MBA)取得。 1972年 マニュファクチャラーズ・ハノーバー銀行入社。 1982年 同銀行証券駐在事務所設立、マネージング兼駐日代表に就任。 1987年 同銀行証券会社設立、マネージングディレクター兼副支店長に就任。 1991年 ロイヤルドルトン・ドッドウェル株式会社代表取締役社長を経て、1995年 香港政府観光局 日本・韓国地区局長に就任[https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R000000004-I4328861-00/]。
滝村 隆一(たきむら りゅういち、1944年〈昭和19年〉 … 滝村 隆一(たきむら りゅういち、1944年〈昭和19年〉 - 2016年)は在野にして独学の政治学徒。 1944年岡山県倉敷市生まれ。埼玉県立浦和高等学校、1970年法政大学社会学部応用経済学科卒業。 1967年「二重権力論」(『試行』21号)を発表。吉本隆明主宰の不定期雑誌『試行』を主要な論文発表の舞台とする。1969年『革命とコンミューン』(イザラ書房1976年新版)、1971年『マルクス主義国家論』(三一書房1974年増補版)、1973年『北一輝』日本の国家社会主義(ISBN 4326150203 勁草書房)出版。 その後、実証史学の業績を踏まえた歴史理論的研究へと進み、「アジア的国家の論理構造」(『展望』1976年3月号)などの歴史理論的諸論文を発表。
朝日 健太郎(あさひ けんたろう、1944年 - )は、日本… 朝日 健太郎(あさひ けんたろう、1944年 - )は、日本の新左翼活動家。フロント (社会主義同盟)共同代表。本名・山田勝。 群馬県前橋市生まれ。営林署職員であった父親の転勤に伴い那須、東京、伊豆、高萩で転勤生活を送る。茨城大学附属中学校に一学期通った後、港区立高松中学校に転校。1960年、東京都立日比谷高校に入学。統一社会主義同盟(統社同)系の社研に入部。一浪して1964年、東京大学文科Ⅰ類に入学、統社同に加入。のち東大卒業。統社同は1960年代後半に構造改革路線を捨てて急進化・新左翼化した。 統社同が1970年12月に名称変更した日本共産主義革命党の政治局員となり、労働運動路線を主張したが、統社同的体質が抜けない傾向だとして1972年3月に政治局員を解任された。
國生 剛治(こくしょう たかじ、1944年 - )は、日本の… 國生 剛治(こくしょう たかじ、1944年 - )は、日本の工学者、博士(工学)、技術士(建設部門)、中央大学名誉教授。
跡見 順子(あとみ よりこ、1944年 - ) は、日本の生… 跡見 順子(あとみ よりこ、1944年 - ) は、日本の生物学者。東京大学名誉教授。元跡見学園評議員。元日本女性科学者の会会長。文部科学大臣表彰科学技術賞受賞。 茨城県筑波郡小野川村(現在のつくば市)生まれ。東京都立駒場高等学校を経て、1967年お茶の水女子大学文教育学部保健体育学科卒業。1973年東京大学大学院教育学研究科体育学専門課程修士課程修了、教育学修士。1979同博士課程満期退学、東京大学教育学部助手。1980年教育学博士。1982年東京大学教養学部講師。1985年同助教授。1994年東京大学大学院総合文化研究科生命環境科学系教授。1998年日本運動生理学会理事。2000年日本宇宙生物科学会副会長。
猪熊建夫(いのくま たてお、1944年 - )は、東京都出身… 猪熊建夫(いのくま たてお、1944年 - )は、東京都出身の記者、ジャーナリスト、経営コンサルタント。専門はメディア論、コンテンツ産業論、学校教育。 1944年に東京都で出生。東京都立大学附属高等学校を卒業後、早稲田大学政経学部政治学科を中途退学し、京都大学農学部農林経済学科に転学した。 大学を卒業後、1970年に毎日新聞社に入社して記者となる。主に経済分野を歩み、仙台支局を経て、1974年に東京本社経済部記者として大蔵省、農林水産省、日本銀行などの官公庁、民間業界の取材を担当した。1988年に東京本社経済部副部長(デスク)に就任。 1990年に毎日新聞を退職後、船井総合研究所に入所し、経営コンサルタントとなる。
三橋 郁雄(みはし いくお、1944年 – )は日本の官僚、… 三橋 郁雄(みはし いくお、1944年 – )は日本の官僚、技術士(建設部門)、博士(工学)。元運輸省第一港湾建設局長。 この他に、新潟県港湾審議会計画部会長、むつ小川原開発株式会社常務取締役、財団法人国際臨海開発研究センター調査役を務め、複数の大学で非常勤講師としても活動した。また、北東アジア貿易回廊構想を提唱した。 株式会社新潟国際海運の取締役及びその子会社であるNAFJ PANAMA INCの役員を務めており、日本海横断航路計画に関するフェリー契約トラブルに関わった。
尾形 明子(おがた あきこ、1944年 - )は、日本の文芸… 尾形 明子(おがた あきこ、1944年 - )は、日本の文芸評論家、日本近代文学の研究者。近代日本文学、特に自然主義文学と女性文学 - 「女人芸術」「輝ク」の研究が専門。 東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。同大学院博士課程満期退学。東京女学館短期大学、東京女学館大学教授を歴任。
高須 れいじ(たかす れいじ、1944年 - )は、日本の漫… 高須 れいじ(たかす れいじ、1944年 - )は、日本の漫画家。別名:高須礼二。
髙橋 恒一(たかはし こういち、1944年 - )は、日本の… 髙橋 恒一(たかはし こういち、1944年 - )は、日本の外交官。法務大臣官房審議官、外務省国際社会協力部長、駐チェコ共和国特命全権大使、外務省研修所長等を経て、日本チェコ友好協会会長。 東京都立北園高等学校を経て、昭和43年度外務公務員採用上級試験合格。1969年国際基督教大学教養学部卒業、外務省入省。 外務省経済協力局政策課企画官兼外務公務員採用第Ⅰ種試験委員(ドイツ語)等を経て、1985年外務省経済協力局国際機構課長。 1987年在カナダ日本国大使館参事官。1990年在タイ日本国大使館参事官。1992年在ドイツ日本国大使館参事官。1996年在ベルリン日本国総領事館総領事。 1997年東京都外務長。
新田 義孝(にった よしたか、1944年 - )は、日本の工… 新田 義孝(にった よしたか、1944年 - )は、日本の工学者。四日市大学名誉教授。 石川県河北郡津幡町に生まれる。東京都立大泉高等学校を経て、1968年に慶應義塾大学工学部応用化学科を卒業。1970年、慶應義塾大学大学院工学研究科(応用化学専攻)修士課程修了。1976年、慶應義塾大学より工学博士の学位を取得。 四日市大学環境情報学部教授を務め、2015年に退職後は名誉教授となる。 このほか、電力中央研究所理事待遇、クイーンズランド大学や瀋陽農業大学の客員教授といった役職も務めた。
時實 象一(ときざね そういち、1944年 - )は、日本の… 時實 象一(ときざね そういち、1944年 - )は、日本の図書館情報学者(理学博士、乙種、大阪大学、1987年)。元Chemical Abstracts Serviceアジア太平洋地区長、愛知大学元教授、学術情報XML推進協議会(XSPA)代表理事、一般社団法人情報科学技術協会(INFOSTA)前会長。専門は電子ジャーナル、デジタルアーカイブ、ウィキペディア。 1944年、岡山県に生まれる。東京都立立川高等学校卒業後、東京大学に進学。1966年に同大理学部化学科を卒業、同大学院理学系研究科化学専門課程修士課程進学。1968年同課程修了。1987年、理学博士、乙種。 修士修了後、東洋レーヨン株式会社入社、基礎研究所で化学研究・開発に従事。
岩田 孝(いわた たかし、Iwata Takashi, 19… 岩田 孝(いわた たかし、Iwata Takashi, 1944年 - )は、日本のインド哲学・仏教学者。早稲田大学名誉教授。早稲田大学仏教青年会第9代会長。 1944年東京生まれ。早稲田大学高等学院出身。早稲田大学理工学部・研究科(物理学)で理学修士号を取得後、同大学文学部東洋哲学科に入学。文学研究科(東洋哲学)に進学後、原始仏教・大乗仏教研究の碩学平川彰教授の指導を受ける。博士課程の後半に平川教授の紹介により、ドイツへ留学。そこでディーター・シュリングロフ教授(de:Dieter Schlingloff)の紹介を受け、当時新進気鋭の仏教研究者であったハンブルク大学のランベルト・シュミットハウゼン教授に師事し、後期大乗仏教の認識論を研究、哲学博士号(インド哲学・仏教学)を取得する。
秋元 征紘(あきもと ゆきひろ、1944年〈昭和19年〉 -… 秋元 征紘(あきもと ゆきひろ、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の実業家、作家。ワイ・エイ・パートナーズ(株)代表取締役、ジャイロ経営塾代表。株式会社ナイキジャパン元代表取締役社長。ゲラン株式会社元取締役会長・代表取締役社長。上智大学経済学部卒業、シドニー大学経済学部修士課程。神奈川県横浜市出身。 著書に「金の社員・銀の社員・銅の社員」「こうして私は外資4社のトップになった」「『ジャイロ経営』が社員のやる気に火をつける?パッション・カンパニー」がある。 1944年(昭和19年)神奈川県横浜市生まれ。上智大学経済学部を卒業、シドニー大学経済学部修士課程を修める。 1970年(昭和45年)日本精工(株)入社、2年後にニューヨークに3年駐在、トロントに5年駐在。
小島 一平(こじま いっぺい、1944年 - )は京都府出身… 小島 一平(こじま いっぺい、1944年 - )は京都府出身の元バドミントン選手である。中央大学卒。アジア選手権銀メダリスト。デンマーク・オープン3連覇。 神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校在学中の1962年に高校総体の男子シングルでは2位となり、1964年から1966年まで全日本学生バドミントン選手権大会で優勝した。大学卒業後、ヨネヤマラケット(現・ヨネックス)に入社、全日本社会人バドミントン選手権大会(1968年〜1970年、1973年、1975年)で優勝した。海外では、全英選手権でシングルス・ダブルスで共に3位、デンマークオープン優勝などの実績がある。 引退後はバドミントンショップを経営者であり、各地で指導者として活躍している。
中山 武憲(なかやま たけのり、1944年 - )は、日本の… 中山 武憲(なかやま たけのり、1944年 - )は、日本の法学者。学位は経済法。名古屋経済大学名誉教授。元公取官僚。 富山県福岡町生まれ。金沢大学附属高等学校を経て、1969年に滋賀大学経済学部を卒業。同年公正取引委員会事務局に入局。この間2年間通商産業省。1982年以降、公正取引委員会事務局官房、取引部、審査部の各課・室長、名古屋地方事務所長等を経て、1991年に公正取引委員会事務局退職。同年名古屋経済大学企業法制研究所教授に就任。1994年に同法学部教授となり、2012年名誉教授。
清水 秀樹(しみず ひでき、1944年 - )は、日本の教育… 清水 秀樹(しみず ひでき、1944年 - )は、日本の教育者。向上高等学校校長および学校法人向上学園理事長、自修館中等教育学校初代校長、学校法人文京学園監事および特別顧問などを歴任。 山梨県北杜市出身。山梨県立韮崎高等学校、駒澤大学文学部卒業。大学卒業後、高等学校にて英語教諭として教壇に立つ。のち学校法人向上学園理事長、1987年同学園向上高等学校校長、1998年新設開校の自修館中等教育学校初代校長に就任。神奈川県私立中学高等学校協会理事、同研究部生徒指導研究委員会委員長。日本私学教育研究所特任研究員。同研究所教員免許更新講習運営委員、生徒指導委員会委員を兼務。教員初任者全国研修会、10年経験者全国研修会の指導講師。
柳沢 京子(やなぎさわ きょうこ、1944年 - )は、日本… 柳沢 京子(やなぎさわ きょうこ、1944年 - )は、日本の切り絵作家。長野県北佐久郡浅科村(現・佐久市)生まれ。 独自の切り絵創作で、日本はもとよりドイツ各地、ニューヨークなど個展多数。長野県を本来の美しい風土にしたい、と情熱を燃やし続ける。特定非営利活動法人として「ふるさと研究所」を発足。長野県のグランドデザインを描き、興す活動は、切り絵創りにも通ずる潔さがある。
仙石 正和(せんごく まさかず、1944年 - )は、日本の… 仙石 正和(せんごく まさかず、1944年 - )は、日本の工学者。新潟大学名誉教授。専門は情報通信工学、情報ネットワーク、ネットワーク工学。 長野県松本市生まれ。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て、昭和42年新潟大学工学部電気工学科卒業。昭和47年北海道大学大学院博士課程修了、工学博士。北海道大学工学部助手、新潟大学工学部助教授を経て教授。2008年、電子情報通信学会功績賞を受賞。新潟大学副学長、理事を務めた。2014年事業創造大学院大学学長・教授。2024年、瑞宝中綬章受章。
田口 守一(たぐち もりかず、1944年 - )は、日本の法… 田口 守一(たぐち もりかず、1944年 - )は、日本の法学者。専門は刑事訴訟法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1981年)(学位論文「刑事裁判の拘束力」)。名誉法学博士(アウグスブルク大学)。元司法試験第二次試験考査委員(2001年まで)。早稲田大学名誉教授。信州大学大学院法曹法務研究科元教授。岐阜県生まれ。
江川 豪雄(えがわ ひでお、1944年 - )は、日本の実業… 江川 豪雄(えがわ ひでお、1944年 - )は、日本の実業家。元三菱航空機会長 兼 最高経営責任者。国産初のジェット旅客機を目指したMRJ開発の指揮を執った。 静岡県静岡市清水区出身。1963年、静岡県立静岡高等学校卒業。1967年、東京大学法学部卒業。同年、三菱重工業入社。ワシントン大学法学修士号取得(社費留学)。同社にて航空機部長、1999年、米国現地法人取締役社長。常務取締役兼海外戦略本部長等を歴任し、2007年、取締役副社長。2009年、三菱航空機代表取締役社長。2013年、三菱航空機会長 兼 最高経営責任者。2015年、退任。2016年、三菱重工業株式会社顧問。 三菱重工による零戦製造の伝統を受け継ぎ、世界のリージョナルジェット機市場の拡大を見越して、国産初のジェット旅客機として企画されたMRJの開発指揮を執るとともに、多くの受注実績を上げたが、最終的にMRJ(開発中止時にはスペースジェット)は製品化されなかった。
磯部 稔(いそべ みのる 1944年 - )は、日本の化学者… 磯部 稔(いそべ みのる 1944年 - )は、日本の化学者。天然物化学者。農学博士(名古屋大学)。元名古屋大学大学院生命農学研究科教授。名古屋大学名誉教授。中国科学院上海薬物研究所名誉教授。 平田義正博士の流れを汲む研究者で、専門は、天然物有機化学。「生物発光」、「昆虫休眠」等に関しての化学的仕組みの解明、たんぱく質脱リン酸酵素阻害剤等の研究で知られる。2008年紫綬褒章受章、2018年瑞宝中綬章受章、2024年ナカニシプライズ受賞。
近藤 徹(こんどう とおる、1944年 - )は、愛知県出身… 近藤 徹(こんどう とおる、1944年 - )は、愛知県出身の元アマチュア野球選手(内野手)。 岡崎北高等学校では3年生の時に、1962年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、豊田西高に敗退。高校卒業後に法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは在学中2回優勝。三番打者、三塁手として活躍し、1966年秋季リーグではベストナイン(三塁手)に選出されている。 大学同期に二塁手の中村之保、投手の里見忠志がいる。同年の第二次ドラフトでサンケイアトムズに4位指名されるが入団を拒否。 卒業後は社会人野球の日本コロムビアに進む。1967年の都市対抗に四番打者として出場、エース近藤重雄を擁し準々決勝に進出する。この試合の先発を任された永淵洋三(東芝から補強)が好投するが、6回に逆転を許し電電東京に惜敗。
岡村 倫行(おかむら りんこう、1944年(昭和19年) -… 岡村 倫行(おかむら りんこう、1944年(昭和19年) - )は日本画家。京都府京都市出身。
田口宏昭(たぐち・ひろあき、1944年 - )は、日本の社会… 田口宏昭(たぐち・ひろあき、1944年 - )は、日本の社会学者。熊本大学名誉教授。専門は医療社会学、死の社会文化論。大阪府出身。
沖村 孝(おきむら たかし、1944年 - )は、日本の土木… 沖村 孝(おきむら たかし、1944年 - )は、日本の土木工学者。神戸大学名誉教授。元日本地形学連合会長。 豊岡市出身。1967年、神戸大学工学部土木工学科卒業。1969年、神戸大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程修了し、神戸市役所に入庁する。 1971年から神戸大学工学部助手を務め、1977年からは神戸大学工学部講師を務めた。1984年、神戸大学工学部助教授に就いた後、1995年から神戸大学工学部教授を務める。1996年に神戸大学都市安全研究センター教授に就任した。 2002年からは人と防災未来センター上級研究員も務めた。2004年から神戸大学都市安全研究センター副センター長を務める。 2008年に神戸大学を定年退職し、神戸大名誉教授となる。
興 直孝(おき なおたか、1944年 - )は、日本の科学技… 興 直孝(おき なおたか、1944年 - )は、日本の科学技術技官。内閣府政策統括官や、広島大学理事・副学長、静岡大学学長、日本海洋科学振興財団理事長等を歴任した。 島根県松江市で高等学校教員の家に生まれる。島根県立松江高等学校を経て、1967年静岡大学工学部工業化学科卒業。1969年東北大学大学院理学研究科化学専攻修士課程修了、科学技術庁入庁、原子力局調査課配属。1981年外務省在オーストリア日本国大使館一等書記官。1992年科学技術庁長官官房会計課長。1994年科学技術庁長官官房審議官(原子力局担当)。1998年科学技術庁長官官房長。1999年科学技術庁原子力局長。2000年科学技術庁科学技術振興局長。
藤井 信吾(ふじい しんご、1944年 - )は、日本の医学… 藤井 信吾(ふじい しんご、1944年 - )は、日本の医学者。医学博士(京都大学・1981年)。京都大学名誉教授(医学)。社会医療法人岡本病院(財団)理事長。 1963年広島大学附属福山中学校・高等学校卒業。1971年に京都大学医学部を卒業して、1985年京都大学医学部講師となる。その後、ジョンズ・ホプキンズ大学に留学し、1991年信州大学医学部教授、1997年には京都大学医学部婦人科学産科学教室教授に着任する。2004年には、日本産科婦人科学会会長となり、また、国際婦人科腫瘍学会の理事も歴任した。その後、国立病院機構京都医療センター院長を経て、公益財団法人田附興風会医学研究所北野病院院長となった。
大田 良充(おおた よしみつ、1944年 - )は、山口県の… 大田 良充(おおた よしみつ、1944年 - )は、山口県の政治家。元山口県熊毛町長。山口県桜ケ丘高等学校電気科卒業。旭日双光章。
永井 吐無(ながいとむ、1944年 -2024 )は、洋画家… 永井 吐無(ながいとむ、1944年 -2024 )は、洋画家、無所属。 愛媛県新居浜市生まれ。香川県立高松工芸学校図案科卒。 1970年、東京日本橋「此花画廊」にて初個展。 以後欧州各地に取材制作活動を重ねながら、主に発表の場を個展に求め、各地にて開催している。 1984年、フランスのサロンドートンヌ展、1988年、安井賞展等に発表し、高い評価を得るが、永井の真の姿は彼自身の個展の中にある。 それは永井もよく理解していて、1970年の初個展以来、積極的に作品を発表している。 その個展の数は2021年現在で既に82回を記録し、日本で最も権威ある日本橋三越ギャラリーでも定期的に開催している。 永井の作風の根幹は緻密な構成力と魂のこもった線にあるだろう。
太田 洪量(おおた ひろかず、おおた こうりょう、1944年… 太田 洪量(おおた ひろかず、おおた こうりょう、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の宗教家、政治活動家、日韓古代史研究家。全国大学連合原理研究会(J-CARP)の初代会長を務めた。国際勝共連合会長、世界平和連合会長、世界日報社取締役などを歴任。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の「777双」の一人。 東京都に生まれる。直後に熊本県に疎開。熊本県立熊本高等学校卒業。1963年、京都大学工学部原子核工学科に入学。在学中は片山泰久教授に師事した。当初は日本共産党系の日本民主青年同盟(民青)で活動し、のちに反共主義に転向した。 統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の教理「統一原理」を研究する団体である全国大学連合原理研究会(J-CARP)が発足。
河野 正憲(かわの まさのり、1944年 - )は、日本の法… 河野 正憲(かわの まさのり、1944年 - )は、日本の法学者(民事訴訟法・倒産処理法・国際仲裁法)、弁護士。法学博士(1995年)。元東北大学教授、名古屋大学名誉教授。元司法試験考査委員。
齋藤 淑人(さいとう よしと、1944年 - )は、(元)税… 齋藤 淑人(さいとう よしと、1944年 - )は、(元)税務大学校教育第一部教授、(元)税務署長、税理士、(株)TKC税務研究所特別研究員。
本間 勝喜(ほんま かつよし、1944年(昭和19年) - … 本間 勝喜(ほんま かつよし、1944年(昭和19年) - )は、日本の教育者、歴史研究家。
ケンジ・ステファン・スズキ(Kenji Stefan Suz… ケンジ・ステファン・スズキ(Kenji Stefan Suzuki、日本名:鈴木健司、1944年 - )は、社会起業家、環境活動家。S.R.A.Denmark代表、風のがっこう代表。
諏訪俊彦(すわ としひこ、1944年 - )は岐阜県出身の元… 諏訪俊彦(すわ としひこ、1944年 - )は岐阜県出身の元高校野球指導者及び商業科教諭。
大野 信彦(おおの のぶひこ、1944年(昭和19年) - … 大野 信彦(おおの のぶひこ、1944年(昭和19年) - )は、日本の政治家、元岐阜県土岐市長(1期)。 愛知大学法学部卒。土岐市役所に入り、助役となる。2007年の市長選挙に立候補し、元市議会議長を破り当選した。2011年の選挙でも再び立候補したが、元土岐市職員の加藤靖也に敗れた。
中尾 勝洋(なかお まさひろ、1944年(昭和19年) - … 中尾 勝洋(なかお まさひろ、1944年(昭和19年) - )は日本の実業家。名鉄観光サービス株式会社取締相談役。同社の前代表取締役社長。 中尾が社長に就任した2005年は、中部国際空港(セントレア)が開港し、愛・地球博なども開催されるなど、名古屋経済が活性化し旅行業界も大いに恩恵を受けた年であった。しかしながら、2001年のアメリカ同時多発テロに端を発した国際テロ問題は、依然として旅行業界にダメージを与えており、さらには SARS 感染問題、中国の抗日運動、H5N1型鳥インフルエンザなどの世界的大流行の恐れにいたるまで、次から次へと予期せぬ出来事が発生した多難な時代でもあった。外務省が行った海外安全情報によると「海外旅行に行く際に、滞在中の事故や病気、トラブルを避けるための知識や情報の相談先」の第1位は旅行業者で、全体の50%を占めていた。
吉村 侑久代(よしむら いくよ、1944年 - )は、日本の… 吉村 侑久代(よしむら いくよ、1944年 - )は、日本の詩人、俳人。 1944年京都市に生まれる。海外の俳句普及の礎を築いた英国人、学習院大学教授のレジナルド・ブライス、および世界俳句の研究者、詩人、俳人。同志社大学卒業。愛知学院大学大学院で修士、博士課程修了。文学博士。 高校・大学時より詩作をはじめる。俳句結社「海原」同人、詩誌『饗宴』、詩誌JUNPA同人。英語俳句グループEvergreen(1988)を創設。第二回環太平洋ハイク大会The Second Haiku Pacific Rim(大垣2004)を企画。 大垣女子短期大学助教授、朝日大学教授、岐阜保健短期大学教授(1989 - 2014)を歴任。