川口 三郎(かわぐち さぶろう、1932年11月23日 - … 川口 三郎(かわぐち さぶろう、1932年11月23日 - 2007年3月8日)は、日本の政治家。茨城県議会議員、第78代茨城県議会議長を務めた。 茨城県取手市(旧・北相馬郡藤代町)出身。茨城県立水海道第一高等学校卒業後、中央大学卒業。1967年に藤代町議会議員となる。1970年、茨城県議会議員選挙に北相馬郡選挙区から立候補し、当選。 2007年、9期目途中で肺癌のため死去。これにより県議選で一騎討ちとなった自由民主党の新人、小林靖男が繰り上げ当選。
阿部 正美(あべ まさみ、1932年(昭和7年)11月23日… 阿部 正美(あべ まさみ、1932年(昭和7年)11月23日 - )は、日本の国文学者。専修大学名誉教授。 東京市麻布区(麻布)出身。東京都立日比谷高等学校卒。麻生磯次に師事。1961年『芭蕉伝記考説』で文部大臣奨励賞受賞。1966年国士舘短期大学講師、1976年助教授、1980年教授、1982年専修大学文学部教授、2003年定年退任、名誉教授。
田中 邦衛(たなか くにえ、1932年11月23日 - )は… 田中 邦衛(たなか くにえ、1932年11月23日 - )は、日本の俳優。現代劇・時代劇・コメディーを問わず、幅広いジャンルで映画・テレビドラマに数多く出演した。位階勲章は旭日小綬章。岐阜県土岐郡土岐津町出身。麗澤高等学校、麗澤短期大学英語科卒。
田沢 智治(たざわ ともはる、田澤 智治、1932年(昭和7… 田沢 智治(たざわ ともはる、田澤 智治、1932年(昭和7年)11月23日 - 2006年(平成18年)11月21日)は、日本の政治家。位階は正四位。勲等は旭日重光章。参議院議員、法務大臣、日本大学理事、日本会理事長を歴任。 神奈川県横浜市出身。1956年に日本大学法学部を卒業。日大会頭・古田重二良の懐刀である。 日大評議員などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から出馬し、初当選。その後、比例区から立候補して、連続当選3回。党内では福田派→安倍派→三塚派に所属。 第2次中曽根内閣 (第1次改造)の通商産業政務次官、参議院文教委員長を経て、1995年の8月に村山改造内閣の法務大臣として初入閣したが、かねてから親密な関係にあった立正佼成会からの2億円借り入れ問題が発覚した。
巴 里夫(ともえ さとお、1932年11月22日 - 201… 巴 里夫(ともえ さとお、1932年11月22日 - 2016年7月1日)は、日本の漫画家。本名:磯島 重二(いそじま しげじ)。大分県中津市出身。血液型はO型。 関西大学経済学部在学中の1952年にカバヤキャラメルの景品のオマケ漫画を描く漫画家の募集に応募し作品を描いて収入を得る。 1954年、日の丸文庫『母を呼ぶ歌』で貸本漫画家としてデビュー。1956年に上京し、若木書房の社長の勧めで巴里夫に改名。以後、若木書房より貸本少女漫画を多数発表する。 1965年に初の作品『さよなら三角』(『りぼん』)で雑誌デビュー。以後は『りぼん』などで学園系作品の少女漫画を発表する。1978年頃より集英社の編集者として新人漫画家の育成に携わるようになる。
石塚 貢(いしづか みつぐ、1932年11月22日 - 20… 石塚 貢(いしづか みつぐ、1932年11月22日 - 2020年11月16日)は、日本の科学技術官僚。私立大学出身者としては初となる科学技術事務次官や、海洋科学技術センター理事長、科学技術会議議員などを歴任した。 1959年日本大学理工学部機械工学科卒業、科学技術庁入庁、原子力局管理課。1971年外務省経済協力開発機構日本政府代表部一等書記官。1974年科学技術庁原子力局放射能課長。その後核燃料規制課長、調査国際協力課長、原子炉規制課長、総合研究課長と課長職を5つ務め、1983年科学技術庁長官官房秘書課長。1986年原子力委員会専門委員。1987年科学技術庁原子力安全局長。1988年科学技術庁科学技術政策局長。
谷 幹一(たに かんいち、1932年11月21日 - 200… 谷 幹一(たに かんいち、1932年11月21日 - 2007年6月25日)は、日本の俳優・コメディアン。東京都出身。本名は西村 昌明(にしむら まさあき)。「タニカン」の愛称で親しまれた。 1950年に都立農芸高校を中退後、新宿のムーランルージュ新宿座に最後の研究生として入る。 ムーランルージュ解散後は、劇団東京喜劇での地方巡演の後、浅草フランス座で渥美清、関敬六と出会い、下積み時代を共に送った。葛飾区青戸の自宅には渥美や関が頻繁に訪問し、谷の義母が振る舞うカレーライスを好んで食べていた。後年、渥美は「あの味だけは忘れられない。もう一度食いたいねえ」と懐かしがったという。 戦前の役者谷幹一に似ていると言われたことから芸名を谷昌明から谷幹一に改める。
轟 謙二(とどろき けんじ、1932年11月21日 - )は… 轟 謙二(とどろき けんじ、1932年11月21日 - )は、日本の俳優。本名は佐戸正男、現芸名は轟謙司。 広島県大竹市出身。広島県立大竹高校から広島大学に進むが中退。 1952年、市川右太衛門に弟子入りし、轟謙二の芸名をもらう。同年、東映京都に入り、1954年の『旗本退屈男 謎の百萬両』でデビュー。その後、多数の時代劇に端役で出演。 1957年には東映東京に移り、『月光仮面 魔人(サタン)の爪』(1958年)を皮切りに、現代劇映画に多数出演した。テレビドラマは、1959年の『七色仮面』第二部(毎日放送)に初出演。1961年11月にスタートした『特別機動捜査隊』(NET)では桃井刑事役で11年間レギュラーを務め、これをきっかけにテレビドラマに専念するようになった。
中川 君子(なかがわ きみこ、1932年〈昭和7年〉11月2… 中川 君子(なかがわ きみこ、1932年〈昭和7年〉11月21日 - )は、日本の宗教家。幸福の科学名誉秘書長。徳島県徳島市出身。徳島女子職業学校(現:徳島文理中学校・高等学校)卒業。 徳島県徳島市で生まれ、徳島女子職業学校(現:徳島文理中学校・高等学校)を卒業。理容師の資格を得て徳島市内で理容業を営む。 18歳で針の製造会社を経営する中川忠義と結婚し、理容業を続ける。忠義との間には1952年(昭和27年)に長男の力と1956年(昭和31年)に次男の隆(後の大川隆法)を出産する。 また理容師を営みながら、管理理容師の資格も得て、自宅の1階を理容店に改装して経営していた。 1986年(昭和61年)10月に次男の大川隆法が、幸福の科学を設立。
佐藤 宗司(さとう そうじ、1932年11月20日 - 20… 佐藤 宗司(さとう そうじ、1932年11月20日 - 2008年10月15日)は日本の経営者。群馬県出身。慶応義塾大学法学部卒。慶応連合三田会 須藤研究会OB会会長。生前は、近藤電機工業、近藤電機株式会社、近藤シルバニア、GTE近藤シルバニア株式会社の各取締役社長を経て、日本フィリップス相談役およびフィリップス・ライティング株式会社取締役社長を経て会長。 群馬県立太田高等学校卒業。日本医科大学医学部医学科中退。1956年インドネシア共和国バンドン市で開催されたアジア・アフリカ学生会議に慶應義塾大学在学中、日本ユネスコ学生連盟代表で出席。1958年慶應義塾大学法学部卒業。コロンビア大学留学。カワイ楽器製作所入社後、住友スリーエムを経て、近藤電気株式会社代表取締役社長。
森 敬(もり けい、1932年11月20日 - 1990年2… 森 敬(もり けい、1932年11月20日 - 1990年2月15日)は、日本の経済学者。専門は計量経済学。元慶應義塾大学理工学部管理工学科教授。森ビル創業者・森泰吉郎の長男としても知られた。 東京出身。慶應義塾大学経済学部卒業。専門とする計量経済学のマクロ経済研究にとどまらず、インキュベーション(起業)、都市情報機能の地震対策など、幅広い分野の研究を行なった。とくにインキュベーションの研究においては、単に起業支援の仕組みやその経済的影響の研究にとどまらず、太陽光自動集光・伝送装置「ひまわり」を開発し、自らも起業を実践した。 森が開発した「ひまわり」は、1978年(昭和53年)にプロトタイプが完成し、1988年(昭和63年)に市販された。
實方 謙二(さねかた けんじ、1932年11月20日 - 2… 實方 謙二(さねかた けんじ、1932年11月20日 - 2014年1月23日)は、日本の法学者。専門は、経済法・独占禁止法・アメリカ反トラスト法。学位は、法学博士(東京大学)。北海道大学名誉教授、神戸学院大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 山本・森・松尾法律事務所弁護士(大阪弁護士会所属)。宮城県仙台市出身。「実方謙二」とも表記される この他、コロンビア大学法学部客員教授(1983年)やメルボルン大学法学部客員教授(1986年)、公正取引委員会「情報・通信産業と競争政策研究会」座長(1988年~1996年)、公正取引委員会「流通・取引慣行と競争政策検討委員会」座長(1989年~1990年)も務めた。
髙橋 治朗(たかはし じろう、1932年(昭和7年)11月2… 髙橋 治朗(たかはし じろう、1932年(昭和7年)11月20日 - 2023年(令和5年)10月25日)は、日本の実業家。名港海運社長、会長、名古屋商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭、名古屋中小企業投資育成社長等を歴任。 愛知県名古屋市瑞穂区出身。名港海運創業者の髙橋儀三郎の次男。のちの名古屋港ガーデンふ頭付近で育ち、1956年に一橋大学商学部を卒業し、大阪商船(現商船三井)入社。 1961年名港海運に移る。1974年取締役に就任。常務、副社長を経て、1995年に代表取締役社長、2001年には代表取締役会長に就任。 2010年から名古屋商工会議所会頭を務め、名古屋港の国際バルク戦略港湾選定に尽力。
安東 ウメ子(あんどう うめこ、1932年11月20日 ‐ … 安東 ウメ子(あんどう うめこ、1932年11月20日 ‐ 2004年7月15日)は、北海道帯広市フシココタン出身のアイヌの音楽家。ムックリ(口琴)とウポポ(歌)の名手として知られる。 音楽家としてはトンコリ奏者のOKIと共にCDアルバムなどを出している。他にアイヌ語講師やアイヌ文化の保存活動も行っていた。
松本 鶴雄(まつもと つるお、1932年11月19日 - 2… 松本 鶴雄(まつもと つるお、1932年11月19日 - 2016年5月11日)は、日本の文芸評論家。 埼玉県児玉郡神保原村(現・上里町)生まれ。埼玉県立本庄高等学校(定時制)、早稲田大学第一文学部独文科卒業。現代作家を中心に評論を書く。埼玉県立本庄高等学校(定時制)教諭、日本大学国際関係学部教授、群馬県立女子大学教授、日本大学大学院総合社会情報研究科兼任教授を歴任。
福田 秀一(ふくだ ひでいち、1932年11月19日 - 2… 福田 秀一(ふくだ ひでいち、1932年11月19日 - 2006年4月23日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(論文博士・1975年)(学位論文「中世和歌史の基礎的研究」)。愛知県名古屋市出身。 愛知県名古屋市出身。生理学者の福田邦三は父。言語学者の田村すず子は妹。1945年に東京都立第一中学校を卒業し、旧制武蔵高等学校に入学した。1951年に旧制武蔵高校を卒業し、東京大学教養学部理科に入学した。1955年に文学部国文科を卒業し、1960年に東京大学大学院を満期退学した。1975年に「中世和歌史の基礎的研究」で文学博士を授与された。 成城大学助教授を経て、1970年に武蔵大学人文学部助教授となった。
村田 昭治(むらた しょうじ、1932年11月19日 - 2… 村田 昭治(むらた しょうじ、1932年11月19日 - 2015年4月16日)は、日本のマーケティング論の第一人者。商学博士。慶應義塾大学名誉教授。(財)社会経済生産性本部理事、同本部マーケティングソフト研究所所長、(社)日本マーケティング協会常任理事、日本商業学会理事、日本広告学会理事。
西村 正雄(にしむら まさお、1932年(昭和7年)11月1… 西村 正雄(にしむら まさお、1932年(昭和7年)11月18日 - 2006年(平成18年)8月1日)は、日本の銀行家。神奈川県出身。日本興業銀行元頭取、みずほホールディングス元会長。 政治家・安倍晋太郎は異父兄であり、その次男・安倍晋三及び同三男・岸信夫は甥にあたる。 1999年、大手銀行に約7兆4,500億円もの公的資金が注入されたが、各行がこの受け入れに尻込みする中、注入の申請を真っ先に表明して流れを作る場面もあった。同年にはみずほフィナンシャルグループ発足に動き、非金利収入の拡大や投資銀行ビジネスの推進を訴えるなど、2000年前後の金融ビッグバンの牽引役の一人であった。 みずほフィナンシャルグループをみずほコーポレート銀行とみずほ銀行へ分割するグループ編成を考えた。
大倉 徹也(おおくら てつや、1932年11月18日 - 2… 大倉 徹也(おおくら てつや、1932年11月18日 - 2019年2月4日)は、日本の放送作家。 大阪市十三で生まれ、幼少時に豊中市へ移り住む。東京都立大学へ進み、在学中は演劇部で活動した。 1956年から永六輔の誘いを受けて放送作家の活動を始め、『夢であいましょう』『8時だョ!全員集合』『小沢昭一の小沢昭一的こころ』など、数多くの芸能関係のテレビ・ラジオ番組を手がけた。日本脚本家連盟の理事を20年以上勤めた。 また、阪急宝塚線沿線で生まれ育ったため阪急ブレーブスのファンとなり、純パの会代表を務めたこともあったため、パ・リーグに関する著作もある。 2019年2月4日午後1時41分、肺がんのため東京都目黒区の自宅で死去。
青木 雨彦(あおき あめひこ、1932年11月17日 ‐ 1… 青木 雨彦(あおき あめひこ、1932年11月17日 ‐ 1991年3月2日)は、日本のコラムニスト、文芸評論家。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、早稲田大学文学部仏文科卒。同大学大学院修士課程修了。在学中は「早稲田大学現代文学会」に所属。会員に生島治郎、高井有一、富島健夫がいた。生島は神奈川県立横浜第二中学校(横浜翠嵐高等学校の前身)以来の友人でもある。 新聞記者として東京タイムズ社に勤務、学芸部長を務めた。その後、学習参考書編集者を経てコラムニスト・文芸評論家に。1972年から1978年まで『週刊朝日』に「人間万歳」を連載し、「アメヒコ節」で人気を博した。早川書房の『ミステリマガジン』誌では、読者の誌上登場コーナー「街角のあなた」のインタビュアーなども行っている。
佐野 ぬい(さの ぬい、旧姓:佐々木、1932年11月16日… 佐野 ぬい(さの ぬい、旧姓:佐々木、1932年11月16日 - 2023年8月23日)は、日本の洋画家。位階は正五位。 女子美術大学名誉教授(第16代学長)。日本美術家連盟洋画部理事、新制作協会会員。1950年代から青色を基調とする作品を多く発表し、自身は「青の画家」、作品の青使いは「ぬいブルー」「佐野ブルー」と称される。 青森県弘前市百石町出身。実家は「和菓子さゝき」(現・ラグノオささき)。青森県立弘前高等女学校(現・青森県立弘前中央高等学校)、1955年女子美術大学芸術学部洋画科卒業。25歳で結婚。夫は元新聞記者でエッセイストの佐野寧。寧との間に2男を儲ける。 女子美術大学助手(1955年 - 1961年)、同講師(1961年 - 1976年)、同助教授(1976年 - 1987年)、同教授(1987年 - 1994年)。
山田 彦彌(やまだ ひこや、1932年11月16日 - 19… 山田 彦彌(やまだ ひこや、1932年11月16日 - 1999年10月31日)は、日本の編集者。週刊新潮編集長、新潮社常務取締役。
小浪 充(こなみ たかし、1932年 <昭和7年> 11月1… 小浪 充(こなみ たかし、1932年 <昭和7年> 11月15日 - 2006年 <平成18年> 11月18日)は、日本の社会学者、東京外国語大学名誉教授。元NHKテレビ英会話講師。元日本カナダ学会会長。位階は正四位。 秋田県生まれ。1955年、東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業後、東京大学大学院社会科学研究科入学。東大の教養学科アメリカ分科で主任教授を務めた中屋健一に師事した。東大大学院在学中に、フルブライト奨学生としてコロンビア大学国際関係大学院修士課程に留学。 外務省調査員を経て、母校である東京外国語大学英米語学科の教員となる。在職中(1966-1995年)、学部講座では主にアメリカ事情、大学院では地域研究方法論を担当、1980年代の学際研究ブームの一翼を担った外語黄金期を支えた。
山田高生(やまだ たかお、1932年11月15日-2014年… 山田高生(やまだ たかお、1932年11月15日-2014年10月10日)は、日本の社会学者。成城大学名誉教授。専門はドイツ社会政策史。
渡辺 晧彦(わたなべ あきひこ、1932年(昭和7年)11月… 渡辺 晧彦(わたなべ あきひこ、1932年(昭和7年)11月15日 - )は、日本の政治家。元山梨県富士吉田市長(2期)。 山梨県出身。國學院大學政経部卒。富士吉田市役所に入り、行政企画部長などを務め、1987年の富士吉田市長選挙に立候補し当選した。1991年に再選。1995年の市長選挙で元県議の栗原雅智に敗れた。
糸山 隆司(いとやま たかし、1932年11月14日 - 1… 糸山 隆司(いとやま たかし、1932年11月14日 - 1983年8月17日)は、兵庫県出身の日本のバスケットボール選手である。195cm、85kgという体格を持ち、日本初のビッグマンとして活躍した。 旧制佐賀中学(佐賀西高校)2年でバスケを始め、東京教育大に進み、在学中アジア大会に出場する全日本チームに選ばれる。 卒業後は日本鋼管に入社。メルボルン・ローマの五輪2大会に出場し、ローマ五輪では日本選手団の主将を務めた。 1965年には全日本チームのコーチを務めた。
横田 滋(よこた しげる、1932年11月14日 - )は、… 横田 滋(よこた しげる、1932年11月14日 - )は、日本の元銀行員。
松村 實(まつむら みのる、1932年11月14日 - )は… 松村 實(まつむら みのる、1932年11月14日 - )は、日本の経営者。日本板硝子社長、会長を務めた。福井県出身。 1955年に神戸大学経済学部を卒業し、同年に日本板硝子に入社。1959年に経営学を学ぶために、アメリカのジョン・ホプキンス大学に留学。1982年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1992年6月には社長に就任。1998年6月に会長に就任し、2000年6月には相談役に就任。
木村 浩(きむら ひろし、1932年11月14日 - 201… 木村 浩(きむら ひろし、1932年11月14日 - 2015年11月1日)は、日本の教育学者である。大阪府出身。元国立教育研究所主任研究官・研究室長、元城西大学教授・城西大学水田記念図書館名誉館長。専門は比較教育学、イギリス教育、中等教育制度。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
斉藤 英二(齊藤、さいとう えいじ、1932年(昭和7年)1… 斉藤 英二(齊藤、さいとう えいじ、1932年(昭和7年)11月14日 - 2000年(平成12年)6月8日)は、日本の政治家・元地方公務員。北海道岩内郡岩内町出身。北海道大学法学部卒業。北海道石狩町町長(1994年-1996年)・北海道石狩市市長(1996年-1999年)。位階は正五位。勲四等瑞宝章。 北海道大学卒業後に、北海道庁に入庁。同庁住宅都市部長。北海道住宅管理公社理事長。恵庭リサーチ・ビジネス・パーク社長。1994年寺内靖治逮捕に伴い石狩町長選挙に出馬し、初当選。1996年市制に移行。1999年風邪で入院中転倒し背骨を骨折、悪化。任期半ばで市長辞任し、翌年、逝去。死没日付をもって正五位に叙され、勲四等瑞宝章を追贈された。
柴田 彰(しばた あきら、1932年(昭和7年)11月13日… 柴田 彰(しばた あきら、1932年(昭和7年)11月13日 - 2014年(平成26年)1月26日)は、日本の政治家。北海道函館市長(1期)。 北海道函館市出身。1951年、北海道函館中部高等学校卒。卒業後は函館市役所に入る。1953年には市役所内の富士銀行出張所に勤めていた銀行員と結婚、後に2児をもうける。市役所では民生課、総務課、秘書室に勤務し、その後、秘書係長、秘書課長補佐、秘書課長、市長公室次長、市長公室長、企画室長を歴任した。 1983年、矢野康函館市長の勇退に伴い、函館市長選挙に立候補して当選した。しかし、健康問題を理由に1986年に市長を辞職した。 高校時代からハンドボールを始め、全日本代表選手にも選ばれた。
阪埜 光男(ばんの みつお、1932年11月13日 - 20… 阪埜 光男(ばんの みつお、1932年11月13日 - 2016年11月6日)は、日本の法学者。専攻は、商法・会社法。慶應義塾大学名誉教授。父は極東軍事裁判にてA級戦犯板垣征四郎陸軍大将の弁護人を務めた阪埜淳吉。次男は慶應義塾大学医学部准教授の阪埜浩司。 阪埜淳吉・錥子の長男として生まれる。義弟に日本興業銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)元取締役を務めた白川和則がいる。 1951年に東京都立西高等学校、1955年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業する。1957年に同大学大学院法学研究科修士課程を修了し、法学部助手となる。1963年に慶應義塾大学助教授、1970年に法学部教授に昇任する。1973年-1977年まで慶應義塾常任理事、1983年に法学部長および法学研究科委員長、1988年-1993年に慶應義塾体育会理事を歴任する。
小谷 昌(こたに まさる、1932年11月13日 - )は、… 小谷 昌(こたに まさる、1932年11月13日 - )は、日本の実業家。京浜急行電鉄社長、同社会長、日本民営鉄道協会会長等を経て、横浜新都市センター社長、横浜ポルタ会会長。旭日大綬章受章。 京都府出身。京都府立東舞鶴高等学校を経て、1956年東北大学法学部卒業、京浜急行電鉄入社。1980年総務部長。1985年取締役に昇格。1988年常務取締役。1990年専務取締役。1993年取締役副社長。1995年代表取締役副社長。1997年代表取締役社長。2003年神奈川経済同友会代表幹事。2005年代表取締役会長。 2009年から横浜新都市センター代表取締役社長及び横浜駅東口振興協議会会長、横浜ポルタ会会長を務め、横浜ポルタのリニューアルなどを進めた。
東 潤(あずま じゅん、1932年(昭和7年)11月13日 … 東 潤(あずま じゅん、1932年(昭和7年)11月13日 - 2017年(平成29年)6月3日)は、昭和から平成時代の政治家。大阪府門真市長。位階は従四位。 大阪府出身。関西大学卒業。門真市議会議員5期、市議会議長を経て、1985年(昭和60年)門真市長に当選。5期20年間務めた。 2017年(平成29年)6月3日、肺炎のため死去した。死没日付をもって従四位に叙された。
福山 諦法(ふくやま たいほう、1932年11月13日 - … 福山 諦法(ふくやま たいほう、1932年11月13日 - 2021年9月10日)は、日本の僧侶。曹洞宗管長・永平寺79世貫首、仏教伝道協会理事長。道号法諱「絶学諦法」、慈航玄徳禅師。 東京都出身。旧姓小野田。11歳で愛知県新城市鳳来町に学童疎開。1946年、愛知県豊川市の妙厳寺(豊川稲荷)住職、福山忍裳に就いて得度。同寺の修行僧となる。旧制豊川中学校を経て、駒澤大学仏教学部を卒業。同大学大学院修士課程修了。1958年、永平寺に上山する。豊川稲荷東京別院の副寺(ふうす、経理部長のこと)などを経て、1972年、師僧の福山忍裳遷化に伴い、40歳で豊川閣妙厳寺住職となり、福山姓を襲名する。1985年、大本山永平寺名古屋別院監院就任。
原子 修(はらこ おさむ、1932年11月13日 - 202… 原子 修(はらこ おさむ、1932年11月13日 - 2024年1月30日)は、日本の詩人、劇作家。札幌大学名誉教授、日本文芸家協会会員、日本現代詩人会会員。 北海道函館市生まれ。北海道学芸大学(現在の北海道教育大学)卒。24歳で処女作『第一詩集』刊行。札幌市教育委員会文化課長、札幌彫刻美術館館長などを歴任。1989年札幌大学教養部教授、総合文化部教授、2003年定年退任、名誉教授。 北海道の縄文文化に関心が深く、『縄文の花』『縄文の夜明け』といった詩劇や叙事詩を発表した。また、北海道龍馬会の会長も務めた。 2024年1月30日、小樽市内の病院で、肺炎のため死去した。91歳没。
小池 唯夫(こいけ ただお、1932年11月12日 - 20… 小池 唯夫(こいけ ただお、1932年11月12日 - 2017年11月30日)は、日本のジャーナリスト、実業家。元毎日新聞社長。元パシフィック・リーグ会長。栃木県出身。 早稲田大学政治経済学部卒業後の1956年4月に毎日新聞社に入社。政治部長、論説委員長、東京本社編集局長などを経て、1992年6月に代表取締役社長に就任。1995年から1999年まで日本新聞協会会長を務めた。2001年1月からはパシフィック・リーグ会長に就任。2008年12月に任期満了で退任するまで、日本ハムファイターズの北海道への本拠地移転問題の解決や、2004年から始まったプレーオフ制度の導入、オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併に端を発した球界再編問題への対応などに尽力した。
鵜飼 勝美(うかい かつみ、1932年11月11日 - )は… 鵜飼 勝美(うかい かつみ、1932年11月11日 - )は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手、外野手。1953年は鵜飼 勝助(うかい かつすけ)の登録名でプレー。
磯浦 康二(いそうら こうじ、1932年11月11日 - 2… 磯浦 康二(いそうら こうじ、1932年11月11日 - 2018年4月7日)は、元日本放送協会(NHK)のアナウンサー。 東京都豊島区出身。1957年上智大学文学部新聞学科卒業。同年、日本放送協会(NHK)にアナウンサーとして入局。1990年まで同局にて活躍。同局退社後、ラジオ・パーソナリティー、上智大学文学部新聞学科講師、対話総合研究所主任研究員、国会議員政策担当秘書を歴任。2000年4月よりNHK水戸文化センターで「心を開く話し方講座」「朗読講座」の講師を務める。 また、1988年にマスコミ・ソフィア会の創設に参加し、東京放送ホールディングス社長や社長室名誉顧問を歴任した濱口浩三初代会長とともに同会の発展に寄与した。
国場 幸一郎 (こくば こういちろう、1932年11月11日… 国場 幸一郎 (こくば こういちろう、1932年11月11日 - 2019年4月11日)は、沖縄県国頭村生まれの國場組代表取締役会長、国建、ムーンビーチ、ザ・テラスホテルズ社長、宜野座リゾート開発社長、沖縄観光コンベンションビューロー理事、沖縄建設業協会会長。沖縄県日中友好協会会長など歴任。父は國場幸吉、また国場組の創設者、國場幸太郎は叔父にあたる。また自民党の衆議院議員国場幸之助にとっては伯父にあたる。 1932年、国頭村に生まれる。沖縄戦当時は宮崎県へ疎開し、米軍統治下で封鎖された沖縄に密航によって帰郷した。石川高等学校、沖縄工業高校建築科、九州大学教養学部を経て、早稲田大学第一理工学部建築科、同大学院工学研究科で建築を学ぶ。
清水 茂(しみず しげる、1932年[昭和7年]11月11日… 清水 茂(しみず しげる、1932年[昭和7年]11月11日 - 2020年[令和2年]1月16日)は、日本のフランス文学者、詩人、翻訳家、早稲田大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人、編集長。日本詩人クラブ会長。 東京府出身。1956年早稲田大学文学部仏文科卒、1961年同大学院文学研究科退学。1959年より早稲田大学文学部助手、専任講師、助教授、教授を経て、2003年定年退職、同年より名誉教授となる。 1953年片山敏彦を中心に集まった若者たちによる詩誌『横笛』を創刊。1972年パリのロマン・ロラン研究所にてロランの未公開資料の研究をする。1976年より文芸誌『同時代』同人として活動し、編集長も兼任した。
高橋 貢(たかはし みつぐ、1932年11月11日 - )は… 高橋 貢(たかはし みつぐ、1932年11月11日 - )は、日本の国文学者、専修大学名誉教授。 東京生まれ。早稲田大学文学部国文科卒、同大学院博士課程満期退学、1973年「説話文学の研究」で博士(文学)取得。早稲田実業学校教諭、梅光女学院短期大学助教授、梅光女学院大学教授を経て、専修大学文学部教授。2003年に専修大学を定年退職し、名誉教授に就任。専門は中古説話文学。
萱島 興三(かやしま こうぞう、1932年(昭和7年)11月… 萱島 興三(かやしま こうぞう、1932年(昭和7年)11月10日 - 2018年(平成30年)6月)は、昭和から平成時代の計算機科学者、実業家。 1955年(昭和30年)京都大学工学部電気工学科を卒業後、日立製作所に入社する。 入社後約1年間、推計学やORの研究に従事したのち、上司の高田昇平、島田正三らの下でパラメトロンを使った電子計算機HIPAC MK-1の開発を行い、1957年(昭和32年)12月にこれを完成させた。その後、日立製作所戸塚工場へ異動し、1962年(昭和37年)8月にコンピュータ事業部が設立されるとHIPAC 101、103の製品化を指揮した。また、RCA/Spectra 70シリーズの国産化、Spectra 70/35 (HITAC 8300) の共同開発、高橋茂の下でHITAC 8000シリーズの事業化などに貢献した。
葉山 良二(はやま りょうじ、1932年11月9日 - 19… 葉山 良二(はやま りょうじ、1932年11月9日 - 1993年1月3日)は、日本の俳優。千葉県鴨川市出身。本名は山口 良一郎。妻は浜田ゆう子。 日本大学経済学部在学中に1953年度ミスター平凡グランプリの栄冠に輝いたのが縁で、日活第2期ニューフェイスとなる。日活スターの一人として数々の映画に出演した。 映画産業の斜陽化後はテレビに活動の場を移し『非情のライセンス』の四方刑事、『特別機動捜査隊』の日高主任などを演じる一方、重厚な悪役としても活躍。時代劇の黒幕役などで憎々しい演技を見せた。また事業経営にも乗り出し、1977年に名古屋で舶来雑貨店、1980年に東京・銀座で宝石店を開くが、1985年に手形詐欺に遭い両店共に倒産した。
津金沢 聡広(津金澤 聰廣、つがねさわ としひろ、1932年… 津金沢 聡広(津金澤 聰廣、つがねさわ としひろ、1932年11月8日 - )は、日本の社会学者、メディア研究者、関西学院大学名誉教授、関西学院大学博士(社会学)。
津金沢 聡広(津金澤 聰廣、つがねさわ としひろ、1932年… 津金沢 聡広(津金澤 聰廣、つがねさわ としひろ、1932年11月8日 - 2022年2月19日)は、日本の社会学者、メディア研究者、関西学院大学名誉教授。学位は、博士(社会学)(関西学院大学・2000年)。 群馬県生まれ。1957年京都大学教育学部卒業、1959年同大学院教育学研究科修士課程中退。関西学院大学教授を務め、2000年「現代日本メディア史の研究」で関西学院大学より博士(社会学)の学位を取得。定年後名誉教授、桃山学院大学特任教授、2008年退任。 戦中期から戦後に至るメディア史、宝塚歌劇の宣伝戦略などを研究、『村嶋歸之著作選集』も編纂した。 1976年には、桑原武夫、鶴見俊輔、多田道太郎、井上俊らと現代風俗研究会を創設(桑原が初代会長)。
藤井 正雄(ふじい まさお、1932年(昭和7年)11月7日… 藤井 正雄(ふじい まさお、1932年(昭和7年)11月7日 - )は、日本の裁判官。弁護士。元最高裁判所判事。 1957年(昭和32年)判事補任官。法務省民事局長、横浜地裁所長等を経て、1994年(平成6年)大阪高裁長官に就任。1995年(平成7年)には最高裁判所判事となり、2002年(平成14年)に定年退官。 退官後は、弁護士登録し、京都産業大学法科大学院教授のほか、新日本石油監査役、丸紅取締役等を務める。 2005年(平成17年)の秋の叙勲で旭日大綬章を受章した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
杉岡 洋一(すぎおか よういち、1932年11月6日 - 2… 杉岡 洋一(すぎおか よういち、1932年11月6日 - 2009年11月27日)は、日本の医学者。整形外科医。第20代九州大学総長。広島県生まれ。 福岡県立東筑高等学校を経て、1958年九州大学医学部卒業。1970年、米ペンシルヴェニア大学に留学。1972年、大腿骨頭壊死症の新しい手術法を考案。九州大学医学部助教授を経て、1983年同教授に就任。1995年から2001年まで同学長を務める。この間東北大学などとともに、国立大学初の人物重視を掲げたアドミッションオフィス入試(AO入試)を導入。 学長退任後の2002年3月、韓国国民勲章無窮花章を受章。2008年秋の叙勲で瑞宝大綬章を受章。 2009年11月27日、十二指腸癌のため死去。
佐藤 純彌(さとう じゅんや、1932年11月6日 - )は… 佐藤 純彌(さとう じゅんや、1932年11月6日 - )は、日本の映画監督、脚本家。かつては、佐藤 純弥の表記も用いられた。
佐藤 純彌(さとう じゅんや、1932年〈昭和7年〉11月6… 佐藤 純彌(さとう じゅんや、1932年〈昭和7年〉11月6日 - 2019年〈平成31年〉2月9日)は、日本の映画監督・脚本家。別名義は佐藤 純弥。幅広いジャンルを手掛け、莫大な予算と豪華なスタッフ・キャストを使用した作品を多数製作したことから“ミスター超大作”の異名で呼ばれる。 東京都出身。太平洋戦争時は、山形県鶴岡市の祖父と叔父の元へ縁故疎開した。当時は勤皇少年で、「自分は二十歳まで生きられていない」と思っていたという。 東京都立第一中学校在学中に学制改革を経て日比谷高校を卒業。その後東京大学に進学し、文学部を卒業した。 1956年に東映へ入社し、東映東京撮影所の映画スタッフとしてキャリアを積む。