寺内 大吉(てらうち だいきち、1921年10月6日 - 2… 寺内 大吉(てらうち だいきち、1921年10月6日 - 2008年9月6日)は、作家、スポーツライター、浄土宗の僧侶。本名は成田 有恒(なりた ゆうこう)。 東京府荏原郡世田谷村(現在の世田谷区)生まれ。生家は浄土宗の大吉寺である。東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)卒業後、1945年に大正大学宗教学部卒業。大学在学中から富沢有為男の下へ出入りして文学を学び始めると共に、生家である大吉寺の住職となる。 1955年に「逢春門」で第47回サンデー毎日大衆文芸賞、翌1956年には「黒い旅路」で第8回オール新人杯受賞。この頃に記者として取材に訪れた司馬遼太郎と知り合い、1957年には彼らと同人誌「近代説話」を創刊、1961年には同誌に掲載した「はぐれ念仏」で第44回直木三十五賞受賞。
沢田 一精(澤田 一精、さわだ いっせい、1921年10月6… 沢田 一精(澤田 一精、さわだ いっせい、1921年10月6日 - 2016年3月4日)は、日本の政治家。熊本県知事(公選第7 - 9代)、参議院議員(4期)。 熊本県下益城郡小川町(後の宇城市)出身。熊本中学校(後の熊本県立熊本高等学校)、旧制第七高校を経て京都大学を卒業し、経済企画庁に入庁。熊本県の総務部長や副知事を務めた後、松野鶴平の死去を受けた1962年の第6回参議院議員通常選挙に熊本県選挙区から自民党公認で立候補し、初当選。再選後の1968年には大蔵政務次官に就任した。 その後、前任の寺本広作に代わり自民党の公認を得て1971年から熊本県知事に転身し、水俣病の患者認定問題などに取り組んだほか、熊本県民テレビの開局にも尽力した。
広野 寛(廣野、ひろの ゆたか、1921年 <大正10年> … 広野 寛(廣野、ひろの ゆたか、1921年 <大正10年> 10月4日 - 2006年 <平成18年> 5月19日)は、日本の経営者、銀行家。滋賀銀行頭取を務めた。位階は正五位。 滋賀県出身。1944年に京都帝国大学経済学部を卒業。日本銀行での勤務を経て、1954年10月に滋賀銀行取締役に就任し、1959年10月に常務、1963年10月に専務、1967年11月に副頭取を経て、1971年11月に頭取に就任。1979年6月に会長に就任し、1997年6月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2006年5月19日肺炎のために死去。84歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
佐藤 初女(さとう はつめ、1921年10月3日 - 201… 佐藤 初女(さとう はつめ、1921年10月3日 - 2016年2月1日)は、日本の福祉活動家、教育者。1992年より青森県の岩木山山麓に「森のイスキア」と称する悩みや問題を抱え込んだ人たちを受け入れ、痛みを分かち合う癒しの場を主宰。それ以前は弘前市内で自宅を開放して同様の活動をしており、こちらは「弘前イスキア」と呼ばれていた。素朴な素材の味をそのままに頂く食の見直しにより、からだから心の問題も改善していくことができると訴えた。 「イスキア」とは、イタリア西南部のナポリ湾の西に浮かぶイスキア島の名前から採られたもの。ナポリの富豪の息子で、何不自由ない暮らしをしていた青年が、この島を訪れて、贅沢三昧の生活から、自分を静かに振り返ることを学び、そこの司祭館に滞在したというエピソードから借用されたものである。
小林 直樹(こばやし なおき、1921年10月3日 - 20… 小林 直樹(こばやし なおき、1921年10月3日 - 2020年2月8日)は、日本の法学者。専門は、憲法・法哲学。学位は、法学博士(東京大学、1962年)(学位論文「憲法の構成原理」)。東京大学名誉教授。総合人間学会初代会長。 長野県小県郡滋野村(現・小諸市)生まれ。旧制上田中学校(現・長野県上田高等学校)、旧制水戸高等学校(現・茨城大学文理学部)を経て、1942年東京帝国大学文学部哲学科入学も法学部政治学科に転じる。東京帝大在学中に学徒出陣。二等兵、少尉等を経て、1947年高等文官試験合格。復学して受けた法哲学者尾高朝雄のカントに関する講義に感動し、師事する。 法哲学者として出発し、1951年、東京大学教養学部で法学を教えていたが、1959年、宮沢俊義の後任として、憲法学に転籍し、2年間のドイツ留学を経て、1961年東京大学法学部教授(憲法学)となる。
久保 登喜夫(くぼ ときお、1921年10月2日 - 194… 久保 登喜夫(くぼ ときお、1921年10月2日 - 1945年4月28日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ、ノルディック複合選手。大日本帝国海軍軍人。神風特別攻撃隊隊員として戦死した悲劇のジャンプ選手として有名である。 1921年10月2日に北海道小樽市で生まれた。実家近く(小樽市奥沢・眞栄地区)にゲレンデが多かった影響もあり、少年時代よりスキーの才能を開花させた。1935年に旧制小樽中学(現・北海道小樽潮陵高等学校)入学後は、校内にジャンプ台・山小屋風ヒュッテ・夜間照明など恵まれた環境を活かし、メキメキ実力を上げていった。そして4年生だった1939年の第17回全日本スキー選手権大会ノルディックスキー・スペシャルジャンプ少年の部で65.5m,60mのジャンプを見せ、総合点222.5の成績で優勝を果たした。
鎌田 要人(かまだ かなめ、1921年(大正10年)10月2… 鎌田 要人(かまだ かなめ、1921年(大正10年)10月2日 - 2005年(平成17年)12月3日)は、日本の官僚、政治家。消防庁長官、自治事務次官、鹿児島県知事、参議院議員を歴任。 鹿児島県日置郡田布施村大字尾下(のちの金峰町、現南さつま市)出身。鹿児島二中(現甲南高校)、七高造士館を経て東京帝国大学法学部政治学科卒業後の1943年(昭和18年)、内務省入省。朝鮮総督府への出向、静岡県副知事、税務局長、財政局長、消防庁長官などを経て、1973年(昭和48年)に自治事務次官となる。退官後の1977年(昭和52年)に鹿児島県知事選に立候補し初当選。1989年(平成元年)まで3期12年務めた。在任中は、「官僚出身」を感じさせないざっくばらんな人柄で県民に親しまれた。
大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 20… 大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 2005年1月8日)は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
神田 信夫(かんだ のぶお、1921年(大正10年)10月2… 神田 信夫(かんだ のぶお、1921年(大正10年)10月2日 - 2003年(平成15年)12月30日)は、日本の歴史学者。専門は東洋史、特に清朝史、満州族史。明治大学名誉教授。父は東洋史、書誌学者の神田喜一郎。岳父は恩師でもある和田清。 1921年、京都府京都市で生まれた。父の神田喜一郎が京都帝国大学文学部史学科支那史学専攻を卒業した年に生まれ、1929年に父が台北帝国大学に赴任した際には同行し、幼少期は当時日本領だった台湾で過ごした。 1941年に台北高文科を卒業し、東京帝国大学に入学し、文学部東洋史学科で山根幸夫と同期で学んだ。1943年9月に卒業。同年10月より2年間、大学院特別研究生として、指導教授和田清のもと「満州八旗の研究」のテーマで研究を始めた。
秋月 龍珉(あきづき りょうみん、1921年10月1日 - … 秋月 龍珉(あきづき りょうみん、1921年10月1日 - 1999年9月13日)は、日本の仏教学者、倫理学者。埼玉医科大学名誉教授。成城大学講師。 宮崎県宮崎市出身。東京帝国大学文学部哲学科卒。居士身(在家)で禅の修行を行い、50歳を過ぎた1972年に臨済宗妙心寺派の僧籍に入る。臨済正宗『真人会』師家、埼玉医科大学教授、花園大学教授、雑誌『大乗禅』主幹を務めた。
松島静雄(まつしま しずお、1921年10月1日-2007年… 松島静雄(まつしま しずお、1921年10月1日-2007年1月15日)は、日本の社会学者。東京大学名誉教授。労働社会学、産業社会学専攻。門下に石川晃弘。 東京生まれ。1943年東京帝国大学文学部社会学科卒。東京大学教養学部助教授、1963年教授、1981年定年退官、名誉教授、日本大学文理学部教授、1992年東京都立労働研究所所長。
竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年(大正10年)10月 … 竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年(大正10年)10月 - )は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、軍事評論家。最終階級は陸軍では陸軍大尉、航空自衛隊では統合幕僚会議議長たる空将。第14代航空幕僚長、第12代統合幕僚会議議長。
丸井 文男(まるい ふみお、1921年9月29日 - 199… 丸井 文男(まるい ふみお、1921年9月29日 - 1996年3月17日)は日本の精神医学者。専門は精神発達障害に関する研究。 長野県小県郡丸子町(現上田市)出身。昭和22年(1947年)東北帝国大学医学部卒業。昭和26年(1951年)名古屋大学医学部付属病院助手、同30年(1955年)同教育学部講師、同34年(1959年)助教授、同43年(1968年)教授。同58年(1983年)愛知教育大学学長、平成2年(1990年)長野大学学長。同7年(1995年)勲二等旭日重光章。昭和34年(1959年)名古屋大学より医学博士を取得(論文タイトルは『TATに関する研究』)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
曲直部 寿夫(まなべ ひさお、1921年9月28日 - 19… 曲直部 寿夫(まなべ ひさお、1921年9月28日 - 1996年12月17日)は日本の心臓外科医、外科学者。大阪帝国大学卒業。臓器移植や人工臓器の開発に力を注ぎ、日本の心臓外科手術の礎を作った。 1921年(大正10年)大阪府生まれ。大阪大学医学部助手であった1956年(昭和31年)、ファロー四徴症の手術において、日本国内最初の体外循環装置を用いた心臓外科手術に成功。当時はもちろん体外循環装置を動かす臨床工学技士はおらず、心臓外科医自身が人工心肺、充填液の処方、血液の用意などのシステム全体において責任があり、非常に困難な手術であった。 その後阪大教授を経て1977年(昭和52年)に国立循環器病研究センター初代病院長、1983年には同二代目総長に就任。
隈丸 次郎(くままる じろう、1921年9月26日 - 20… 隈丸 次郎(くままる じろう、1921年9月26日 - 2007年6月8日)は、福岡県久留米市出身の男子テニス選手。慶應義塾大学経済学部卒業。第二次世界大戦終戦直後の時代に、日本男子テニス界をリードした名選手のひとりである。彼は1949年から1952年まで全日本テニス選手権男子シングルス4連覇を達成し、1951年と1952年に男子テニス国別対抗戦・デビスカップの日本代表選手を務めた。現役選手時代の体格は、身長174cm・体重57kgほどであった。 隈丸がテニスを始めたきっかけは、佐藤次郎が1934年4月5日にマラッカ海峡で投身自殺した新聞記事の号外だったという。しかし、彼の近くには専門のテニスコーチがいなかったため、技術解説専門書の日本語訳を読みながら独学でテニスを勉強した。
若菜 珪(わかな けい、1921年9月25日 - 1995年… 若菜 珪(わかな けい、1921年9月25日 - 1995年8月1日)は、日本の童画画家、イラストレーター、画家。埼玉県出身。男性。主に昭和時代を中心に活動。 多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)図案科(現・美術学部グラフィックデザイン学科)卒。主に児童文学、児童誌を中心に様々な挿絵を手掛けた。日本児童出版美術家連盟会員、日本国際児童図書評議会会員であった。 イラストレーターの若菜等は実の息子である。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
深緑 夏代(ふかみどり なつよ、1921年9月24日 - 2… 深緑 夏代(ふかみどり なつよ、1921年9月24日 - 2009年8月31日)は、京城(現在のソウル)出身のシャンソン歌手、音楽講師。元宝塚歌劇団雪組主演娘役の宝塚歌劇団卒業生。 本名は多田 玲子(ただ れいこ)で、愛称はターコさん、タマコさん、ターコ先生など。
村上 弘(むらかみ ひろむ、1921年〈大正10年〉9月24… 村上 弘(むらかみ ひろむ、1921年〈大正10年〉9月24日 - 2007年〈平成19年〉3月22日)は、日本の政治家。第3代日本共産党委員長(中央委員会幹部会委員長)。名誉役員。元全逓信従業員組合大阪地方協会会長。 1972年の総選挙で大阪3区(分区前)から初当選、分区後も大阪3区から衆議院議員を通算4期務めた。 広島県因島市(現:尾道市)に、10人兄弟の5番目の子として生まれる。 逓信省逓信官吏練習所行政科を卒業。戦時中は兵士として広島にいた。1947年日本共産党入党。1948年に阪神教育事件で首謀者とされ、占領政策違反で大阪刑務所に服役、1年8ヶ月投獄される。党の50年分裂では所感派に属する。
菅野 直(かんの なおし、1921年〈大正10年〉9月23日… 菅野 直(かんの なおし、1921年〈大正10年〉9月23日- 1945年〈昭和20年〉8月1日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。大東亜戦争における撃墜王。戦死認定による二階級特進で最終階級は海軍中佐。 胴体に黄色のストライプが描かれた紫電改で、前方高度差1000メートル以上の高さから、背転して真っ逆さまに垂直に突っ込み、真上から敵機に攻め込む「対大型爆撃機戦法」を編み出し、米軍の大型戦闘機パイロット達の間で「イエローファイター」と呼ばれて怖れられた人物である。 1921年(大正10年)9月23日、警察署長である父・浪治の赴任先で日本統治下の朝鮮の竜口(現:北朝鮮平壌近郊)に次男として生まれる。
佐藤 利三郎(さとう りさぶろう、1921年9月23日 - … 佐藤 利三郎(さとう りさぶろう、1921年9月23日 - 2011年4月12日)は、日本の工学者、工学博士。東北大学名誉教授。東北学院大学名誉教授。宮城県古川市(現大崎市古川)に生まれる。東京タワー(日本電波塔)の放送アンテナや、新幹線の通信システムの設計、開発に従事。通信工学の権威。 専門は通信工学、電気回路学、情報伝送工学、環境電磁工学で著書も多い。主な業績として次のものが挙げられる。
宮澤 弘(みやざわ ひろし、1921年(大正10年)9月22… 宮澤 弘(みやざわ ひろし、1921年(大正10年)9月22日 - 2012年(平成24年)5月26日)は、日本の内務・自治官僚、政治家。 自治省官房長、行政局長、消防庁長官、自治事務次官、法務大臣(第61代)、参議院議員(3期)、広島県知事(民選第4代)を歴任した。 戦前・戦後に衆議院議員を務めた宮澤裕の次男。内閣総理大臣を務めた宮澤喜一の弟。 自由民主党参議院議員の宮澤洋一の父。母方の祖父は鉄道大臣を務めた小川平吉。 娘の夫は大蔵官僚の加藤秀樹。 広島県福山市出身。宮澤裕の次男。宮澤三兄弟の幼少の頃を知る従姉妹の和田貞子によれば、「三人はいずれも二歳違いで、とても仲の良い兄弟でした。住まいは東京でしたが、夏になると伯父(裕)の故郷であるこの福山に帰ってきて、海水浴などにでかけていました。
岡部 鷹司(おかべ たかし、1921年9月22日 - 201… 岡部 鷹司(おかべ たかし、1921年9月22日 - 2018年5月24日)は日本の政治家。御所浦町長(7期)を務めた。 1921年9月22日、熊本県天草郡御所浦町(現天草市)に生まれる。1940年、旧熊本県立天草中学校(現熊本県立天草高等学校)卒業。1942年、熊本高等工業学校(現熊本大学工学部)卒業。1945年、東北帝国大学工学部(現東北大学工学部)卒業し、林兼造船に入社する。1951年、九州産業交通(現九州産業交通ホールディングス)に入社する。1972年、岡部産業取締役になる。1979年5月、御所浦町長となる。1991年4月16日、第12回統一地方選挙下で告示された御所浦町長選挙で無投票で4選を果たした。
久場 とよ(くば とよ、1921年9月22日 - 2017年… 久場 とよ(くば とよ、1921年9月22日 - 2017年2月26日)は、沖縄県出身の画家。本名は久場 トヨ。 那覇市出身。那覇尋常小学校で島田寛平、沖縄県立第二高等女学校で名渡山愛順から、絵画の手ほどきを受ける。沖縄県立第二高等女学校、東京女子薬学専門学校(現・明治薬科大学)卒業。 第二次世界大戦後、薬剤師としての仕事と並行して創作活動を続け、沖縄画壇の第一線で活躍した。1977年に沖縄女流美術家協会の初代会長に就任し、沖縄女流画壇のまとめ役を担った。 2017年2月26日に老衰により死去した。95歳。
松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2… 松永 綠郎(まつなが ろくろう、1921年9月21日 - 2005年5月22日)は、日本の政治家。元埼玉県副知事。元桶川町長。旭日中綬章受章。位階は従四位。 埼玉県に生まれる。1938年、軍記章を受賞(歩兵二等兵)。旧制埼玉県立熊谷中学校を経て、1943年、中央大学法学部卒業。1947年4月に桶川町(現・桶川市)長に就任。その後、埼玉会館会長、埼玉県労働部長、埼玉県民生部長、埼玉県企画財政部長を歴任する。1976年~1984年の間埼玉県副知事となる。1993年、旭日中綬章受章。副知事を退任後、株式会社エコ企画顧問、社団法人北海道野生生物保護公社理事長、一般社団法人日本資材管理協会第四代会長となる。
谷 省吾(たに せいご、1921年9月21日 - 2011年… 谷 省吾(たに せいご、1921年9月21日 - 2011年11月5日)は、日本の神道学者。皇學館大学学長を歴任。鈴木重胤と皇学研究の第一人者。垂加神道の研究にも従事した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
利根山 光人(とねやま こうじん、1921年9月19日 - … 利根山 光人(とねやま こうじん、1921年9月19日 - 1994年4月14日)は日本の美術家、画家。メキシコを題材とした情熱的な作品を数多く残し太陽の画家と呼ばれた。茨城県結城市出身。 6人兄弟の末子として生まれる。幼時より創作活動を行っていた。早稲田大学高等師範部国語漢文科(現在の教育学部国語国文学科)卒業後は、静岡県の農業学校、栃木県立烏山高等女学校、海城学園に国語教員として勤務した。その後、一時教員生活を去り、メキシコなどへ渡航した。シケイロス、オロスコなど壁画作家の影響を受ける。帰国後は聖徳学園高等保育学校、聖徳学園短期大学などで教えながら、創作活動を行う。 メキシコのマヤ文明をテーマにした作品(リトグラフ、油彩)を数多く残し、日本芸術大賞やメキシコにおける最高文化勲章であるアギラ・アステカ・ブラーカ賞などを受賞した。
長 大作(ちょう だいさく、1921年9月16日 - 201… 長 大作(ちょう だいさく、1921年9月16日 - 2014年5月1日)は、日本の家具デザイナー、建築家。 中国東北部(旧満洲)生まれ。1945年に東京美術学校建築科を卒業し、1947年に坂倉準三建築研究所に入社。 1957年の「藤山愛一郎邸」、1958年の「八代目 松本幸四郎邸」では、建築の設計から家具のデザインに至るすべてを手がけたという。 1960年に「低座イス」を発表して同年グッドデザイン賞を受賞。1972年に長大作建築設計室を立ち上げた。
山上 一夫(やまがみ かずお、1921年9月16日 – 20… 山上 一夫(やまがみ かずお、1921年9月16日 – 2013年(平成25年)8月30日)は、元日本公認会計士協会会長。 1921年出生。1942年、明治大学法学部卒業。1952年、公認会計士第3次試験合格、税理士試験合格。1989~1992年の間、日本公認会計士協会会長を務める。1984年に藍綬褒章、1992年に勲三等瑞宝章を受章。日本医科大学顧問税理士、日本公認会計士協会相談役なども務めた。 2013年、慢性心不全のため死去。92歳没。
樋口 芳麻呂(ひぐち よしまろ、1921年9月15日 - 2… 樋口 芳麻呂(ひぐち よしまろ、1921年9月15日 - 2011年10月1日)は、日本の国文学者。専門は中古・中世和歌文学。愛知教育大学名誉教授、愛知淑徳大学名誉教授。1983年角川源義賞受賞。1997年勲三等旭日中綬章受章。 1921年(大正10年)9月、愛知県名古屋市に生まれる。旧制愛知県明倫中学校、旧制第八高等学校を経て、1944年(昭和19年)、東京帝国大学文学部国文学科卒業。1951年(昭和26年)、愛知学芸大学講師、1968年(昭和43年)、愛知教育大学教授、1985年(昭和60年)、同大学定年退官、同大学名誉教授、愛知淑徳大学文学部教授。1997年(平成9年)、愛知淑徳大学定年退職、同大学名誉教授。
広瀬功(ひろせ こう、1921年9月15日 - 2006年2… 広瀬功(ひろせ こう、1921年9月15日 - 2006年2月16日)は、日本の洋画家。日展を中心に活動し、風景画や静物画で知られた。日本芸術院賞受賞者。 神奈川県に生まれる。1946年に東京美術学校油絵科を卒業し、同年日展に初入選した。1950年に日展特選を受賞し、1963年には日展審査員を務めた。 風景画や静物画を主に手がけ、日展を主な発表の場とした。1982年には日展内閣総理大臣賞を受賞し、1985年には日展出品作「高原の秋」に対して日本芸術院賞を受賞した。翌1986年には小山敬三賞を受賞した。 山岳、高原、湖沼、都市風景などを主題とし、代表作に「妙高高原新雪」などの風景画を残した。
松田 武彦(まつだ たけひこ、1921年 <大正10年> 9… 松田 武彦(まつだ たけひこ、1921年 <大正10年> 9月14日 - 1999年 <平成11年> 1月26日)は、日本の工学者、工学博士。位階は従三位。 カーネギー工科大学(現カーネギーメロン大学)でハーバート・サイモンに学び、東京工業大学経営工学科助教授、教授、学長を歴任。日本オペレーションズ・リサーチ学会(OR学会)会長、IFORS(国際OR学会連合)会長、経営情報学会初代会長などをつとめ、日本における経営工学、OR研究の黎明期において、その発展、普及に寄与した。研究面では組織知能工学などを提唱。松田研究室出身者に飯島淳一など。
神林 虎二(かんばやし とらじ、1921年9月14日 - 没… 神林 虎二(かんばやし とらじ、1921年9月14日 - 没年不明)は、日本の経営者、銀行家。近畿銀行社長、会長を務めた。茨城県出身。 1950年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1951年に近畿相互銀行に入社。1968年5月に取締役に就任し、1975年5月に常務を経て、1979年6月には社長に就任した。1983年6月に会長を経て、1987年6月には相談役に就任。 1985年11月に藍綬褒章を受章。
遠藤 浩(えんどう ひろし 1921年9月13日 - 200… 遠藤 浩(えんどう ひろし 1921年9月13日 - 2005年5月5日)は、日本の法学者。専門は民法。学習院大学名誉教授。山形県米沢市出身。 米沢市の実家(鍛冶町)の斜向かいに我妻栄の生家(鉄砲町)があった。米沢興譲館中学校3年時に肋膜炎・肺結核を患い、以後三十数年間は持病を抱えながらの生活となる。第一高等学校、東京帝国大学法学部卒。法学部大学院で我妻に師事した。 学習院大学名誉教授。元司法試験考査委員(任:1968年 - 1984年)および元国家公務員上級試験(現在の国家公務員第I種試験)考査委員(任:1970年 - 1972年)。元弁護士。勲三等瑞宝章受章。 米沢高等学校で教師と野球部監督を務め、プロ野球で活躍する皆川睦雄(南海ホークス)を指導した経歴を持っている。
小坂 樹徳(こさか きのり、1921年(大正10年)9月11… 小坂 樹徳(こさか きのり、1921年(大正10年)9月11日 - 2010年(平成22年)8月3日)は、日本の医学者、医学博士。専門は内科学、糖尿病学。東京大学名誉教授、虎の門病院名誉院長。日本人の糖尿病の原因や病態を明らかにし、診断法や治療法の確立に貢献した。 長野県下伊那郡座光寺村(現飯田市)出身。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)、 松本高等学校理科乙類を経て、1945年 東京帝国大学医学部卒業後、坂口康蔵教授の、東京帝国大学第三内科学教室入局。1966年から東京女子医科大学教授、1972年から82年まで東京大学医学部第三内科第6代教授。後任の教授は高久史麿。東京大学退官後は虎の門病院院長を歴任。
黒木 博司(くろき ひろし、1921年(大正10年)9月11… 黒木 博司(くろき ひろし、1921年(大正10年)9月11日 - 1944年(昭和19年)9月7日)は、日本の海軍軍人。海軍機関学校51期。太平洋戦争の末期、仁科関夫中尉とともに人間魚雷「回天」を創案し、自らも搭乗して訓練中の事故で殉職した。最終階級は海軍少佐。 1921年(大正10年)9月11日に岐阜県益田郡下呂村(現・下呂市)で生まれる。幼少より成績優秀・努力家で、黒木家は尊皇の志が篤く、黒木の父親は町医師として近隣の貧しい農民の医療に大きく貢献していた。母親も「百人の人に笑われても一人の正しい人に誉められるよう、百人の人に誉められても一人の正しい人に笑われないよう」と教えた。旧制岐阜中学校を卒業後、1938年(昭和13年)12月1日に海軍機関学校(51期)へ入学する。
館 龍一郎(たち りゅういちろう、1921年9月11日 - … 館 龍一郎(たち りゅういちろう、1921年9月11日 - 2012年2月11日)は、日本の経済学者(金融論・財政学)。勲等は勲二等。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。日本学士院会員。 日本銀行での勤務を経て、東京大学経済学部教授、東京大学経済学部学部長、青山学院大学国際政治経済学部教授、財政金融研究所所長などを歴任した。 父は館哲二(内務官僚・参議院議員)。長男は館直彦(医学者・精神科医)。 館哲二(内務官僚・参議院議員)の長男として横浜市で生まれる。1944年、東京帝国大学経済学部卒。戦後すぐ日本銀行勤務経験もあった。1950年、東京大学助教授。1961年、東京大学教授。1984年、東京大学を退官し青山学院大学教授。
末木 剛博(すえき たけひろ、1921年9月10日 - 20… 末木 剛博(すえき たけひろ、1921年9月10日 - 2007年12月1日)は、日本の哲学者、論理学者、比較思想研究者。東京大学教養学部名誉教授。 戦後いち早く現代論理学(記号論理学)を研究した一人。東大の大学院では科学史・科学哲学と比較文化を教えた。中村元を助け比較思想学会の創立に関わり、同学会の理事を務めた。 1921年、山梨県甲府市生まれ。旧制甲府中学、第一高等学校を経て、1945年東京帝国大学哲学科卒業。卒業後は東京帝国大学副手、電気通信大学助教授を経て、1954年より東京大学教養学部助教授となった。後に同大学教授に昇進。在職中には東京大学陵禪会の顧問を務め、学生と共に参禅していた。この陵禪会の繋がりで、野矢茂樹は末木を師の一人として仰ぐ様になる。
東井 正美(とおい まさみ、1921年9月10日 - 201… 東井 正美(とおい まさみ、1921年9月10日 - 2016年8月4日)は、日本の経済学者。関西大学名誉教授。専門は農業経済学。 大阪府生まれ。旧制金鐘中等学校、1947年関西大学経済学部を卒業。京都大学大学院経済学研究科で山岡亮一の下農業経済学を専攻し、1950年より母校の関西大学経済学部で教鞭を執り、1961年教授就任。『日本の農業政策』で経済学博士の学位を取得。1996年勲三等瑞宝章受章。 アメリカ農業問題に関して先駆的業績を残し、日本農業経済学会理事、関西農業経済学会(現:地域農林経済学会)副会長などを歴任。関西大学では経済学部長を務め、学長事務代行を一時兼務するなどして、大学紛争の収拾に奔走した。
芳賀 日出男(はが ひでお、1921年9月10日 - 202… 芳賀 日出男(はが ひでお、1921年9月10日 - 2022年11月12日)は、日本の写真家、民俗研究家。日本・世界の祭り・民族・民俗芸能の写真取材をおこなった。子息は写真家の芳賀日向。 関東州大連(現・中華人民共和国遼寧省内)に生まれる。慶應義塾大学文学部を卒業した[要出典]。大学では折口信夫に教えを受け、それに触発されて卒業後に民俗を撮影する写真家となる。 1973年に全日本郷土芸能協会を設立した(のちに理事長を務める)。1985年に株式会社芳賀ライブラリーを設立して取締役会長となる[要出典]。 複数の賞や顕彰を受けている(詳細後述)。 100歳を超えた2021年にも活動していた。 2022年11月12日、老衰のため死去。
橋口 收(はしぐち おさむ、1921年(大正10年)9月8日… 橋口 收(はしぐち おさむ、1921年(大正10年)9月8日 - 2005年(平成17年)7月13日)は、日本の大蔵官僚。初代国土事務次官、公正取引委員会委員長、広島銀行頭取・会長、広島商工会議所会頭を歴任した。 学習院初等科、中等科(旧制)を経て、高等科(旧制)を卒業。中等科3年次から高等科卒業までは首席で通していた。模擬試験も上位に進出し、第一高等学校(旧制)在学生にも「学習院のすごい奴」として知られていた。1943年(昭和18年)に東京帝国大学法学部を卒業。当時助教授だった川島武宜ゼミでも抜きん出た存在であり、川島からは大学に残るように勧められていた。しかし、橋口は「象牙の塔にこもるのは性に合わない」と振りきった。
瀧 正男(たき まさお、1921年9月8日 - 2012年4… 瀧 正男(たき まさお、1921年9月8日 - 2012年4月2日)は、日本のアマチュア野球指導者、元アマチュア野球選手、体育学者。長男は野外活動、レクリエーション活動研究を専門とする中京大学スポーツ科学部スポーツ健康科学科教授の瀧克己。 愛知県一宮市出身。1936年に中京商業学校に入学し野球部に入り、5回甲子園大会に出場。1937年夏の第23回全国中等学校優勝野球大会及び1938年春の第15回選抜中等学校野球大会で捕手として優勝を経験している。バッテリーを組んだのは野口二郎であった。 中京商業を卒業後に名古屋高等商業学校(現在の名古屋大学経済学部)に進学した後、軍隊に入りマレーシアへ出征。終戦後のマレーシアでの捕虜生活を経て1947年に内地復員を果たす。
坂井 光夫(さかい みつお、1921年〈大正10年〉9月7日… 坂井 光夫(さかい みつお、1921年〈大正10年〉9月7日 - 2015年〈平成27年〉12月28日)は、日本の物理学者。理学博士(東京大学・1957年)。第4代東京大学原子核研究所所長。東京大学名誉教授。専門は原子核物理学。 新潟県新潟市西堀通6番町(現 新潟市中央区西堀通6番町)の新潟高等女学校教諭・坂井仲太郎の次男として出生。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を4年で修了、1941年(昭和16年)3月に新潟高等学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に東京帝国大学理学部物理学科を半年繰り上げ卒業、10月に海軍技術見習尉官として中国の青島に向かった。 1945年(昭和20年)10月に復員、副手として東京帝国大学理学部の嵯峨根遼吉の研究室で研究、1951年(昭和26年)9月から1954年(昭和29年)12月までフランス、スウェーデン、アメリカに留学。
荒川 法勝(あらかわ のりかつ / ほうしょう、1921年9… 荒川 法勝(あらかわ のりかつ / ほうしょう、1921年9月7日 - 1998年5月6日)は、日本の作家、詩人、文芸評論家。 岩手県下閉伊郡崎山村(現・宮古市)出身。慶応義塾大学文学部哲学科卒。 1951年、千葉県で地方公務員の公立高校教諭となり、千葉県立佐原第一高等学校教諭、1959年千葉県立成東高等学校教諭。 1965年第3次千葉県詩人クラブ初代会長に就任。1977年日本現代詩人会常任理事。1989年多摩美術大学教授。
坂田 民雄(さかた たみお、1921年〈大正10年〉9月6日… 坂田 民雄(さかた たみお、1921年〈大正10年〉9月6日 - 1999年〈平成11年〉12月14日)は、日本の物理学者。元東京理科大学教授。 兄は、湯川秀樹、朝永振一郎とともに日本の素粒子物理学をリードした坂田昌一。 1921年9月、神戸にて誕生。1941年4月、大阪帝国大学理学部物理学科入学。1943年9月、同大学卒業後、阪大の菊池研究室にてサイクロトロンの研究に従事。 1943年11月、理化学研究所の仁科研究室にて原子爆弾製造研究(通称「二号研究」)に従事。1944年3月-4月、福井県鯖江連隊に入隊。1945年12月-1946年1月、仁科と共に長崎にて原爆被害状況の調査。 1948年、株式会社科学研究所設立(初代社長 仁科芳雄)時に入社、ペニシリンの研究に従事。
宇野 一(うの はじめ、1921年9月6日 - )は、日本の… 宇野 一(うの はじめ、1921年9月6日 - )は、日本の教育者、教育評論家。 東京生まれ。1942年東京帝国大学文学部教育学科入学、1943年学徒出陣で仏印に従軍。敗戦後復学、1948年卒業。葛飾実践女学校、東京都立第九女子高校(定時制)高校、東京都立多摩高等学校、同福生分校教諭、1962年東京都立小松川高等学校定時制主事、1969年東京都立小山台高等学校教頭、東京都立竹早高等学校教頭、1975年東京都立南葛飾高等学校校長、東京都立江北高等学校校長。日本教職員組合、日本戦没学生記念会で活動した。
大塚 清次郎(おおつか せいじろう、1921年9月5日 - … 大塚 清次郎(おおつか せいじろう、1921年9月5日 - 1995年10月3日)は、日本の政治家。位階は従四位勲二等、勲章は瑞宝章。参議院議員(2期、自由民主党)。自由民主党参議院副幹事長。 1921年佐賀県鹿島市生まれ。1939年佐賀県立佐賀商業学校卒業。その後、南満洲鉄道入社。敗戦を満洲で迎える。 1946年引き揚げ、浜町農業協同組合に就職。その後、鹿島市農業協同組合長、佐賀県農業協同組合中央会会長、日本園芸農業協同組合連合会会長、日本果汁農業協同組合連合会会長を歴任。1955年鹿島市議会議員選挙当選。以後4期16年務める。1971年佐賀県議会議員当選、以後4期15年務め、副議長も経験。 1986年、第14回参議院議員通常選挙で佐賀県選挙区から自由民主党公認で立候補し、初当選。
高橋 博(たかはし ひろし、1921年 〈大正10年〉 9月… 高橋 博(たかはし ひろし、1921年 〈大正10年〉 9月4日 - 2018年 〈平成30年〉 5月24日)は、日本の経営者。呉羽化学工業 (現在のクレハ) 社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1947年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に呉羽化学工業(現在のクレハ)に入社した。1968年5月に取締役に就任し、1970年5月に常務、1972年11月に専務を経て、1973年11月に社長に就任。1988年6月に会長を経て、1994年6月には最高顧問に就任。 1981年11月に藍綬褒章を受章し、1991年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2018年5月24日老衰のために死去。96歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
鈴木 美嶺(すずき みれい、1921年9月3日 - 1991… 鈴木 美嶺(すずき みれい、1921年9月3日 - 1991年10月11日)は、日本のアマチュア野球選手、東京六大学野球審判員、公式記録員。 兵庫県出身。旧制愛知県立熱田中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)から旧制第八高等学校へ進学した。その後、東京帝国大学文学部西洋史学科に進み、野球部に入部。内野手として東京六大学野球リーグ戦でプレーした。また、1946年から1949年まで東京六大学野球の審判員を務めたこともある。 1950年、東京帝国大学卒業後に毎日新聞社に入社し、運動部記者として健筆を揮う傍ら、1954年に東京六大学野球連盟規則委員となり、1961年まで務める。 1955年の暮れ、それまでプロ野球とアマチュア野球が別々に発行していた規則書(ルールブック)の一本化が図られることになり、日本野球規則委員会が設置される。
大下 高明(おおしも たかあき、1921年9月3日 - 20… 大下 高明(おおしも たかあき、1921年9月3日 - 2010年7月1日)は、日本の経営者。フマキラー社長を務めた。広島県出身。長男は大下俊明。 1944年に明治大学商学部を卒業し、後に大下回春堂(現在のフマキラー)に入社。 1950年に取締役に就任し、1960年には社長に昇格。世界初の電気蚊取り器「ベープマット」の開発を進め、1963年には販売に漕ぎ着けた。1985年には会長に就任。 1981年4月に藍綬褒章を受章。 2010年7月1日老衰のために死去。88歳没。
近藤 等(こんどう ひとし、1921年9月2日 - 2015… 近藤 等(こんどう ひとし、1921年9月2日 - 2015年11月29日)は、日本のフランス文学者、翻訳家、登山家。早稲田大学名誉教授。 京都生まれ。暁星中学校在学中よりフランス語と登山に親しむ。早稲田大学仏文科卒。在学中は山岳部に所属し、朝鮮冠帽峰に遠征。卒業後、同部監督、部長もつとめた。。 早稲田高等学院講師、早大商学部助教授をへて、1955年から教授。フランス文学者としてフランスの山岳文献を多数紹介した。1992年に定年退任、名誉教授。 1962年、パリ大学研究員としてフランスに滞在。この機会にフランス国立登山スキー学校の研修会に参加。以後18回の登山シーズンをアルプスで過ごし、150回ほどの山行で120余峰に登る。