吉ノ岩 義行(よしのいわ よしゆき、1938年10月29日 … 吉ノ岩 義行(よしのいわ よしゆき、1938年10月29日 -没年不明 )は、二所ノ関部屋に所属した元力士。本名は中村 義行(なかむら よしゆき)(旧姓吉村)。現在の長崎県大村市出身。168cm、79kg。最高位は東十両7枚目。得意技は左四つ、寄り。 長崎県立大村高等学校では野球部に所属し、ポジションは捕手を務めたが、毎年行われていた花相撲を観戦して力士を志し、元二所ノ関部屋の幕下小海山に紹介されて二所ノ関部屋に入門した。入門して約半年間は同郷で相撲解説者の玉の海が住む兵庫県尼崎市の家に住み込んで世話を受けた。1956年1月場所に初土俵。1962年5月場所に十両昇進。非常に軽量ながら7場所連続で十両を務めたが、幕下に陥落した1963年7月場所に24歳で廃業した。
もっと読む
阿部 圭吾(あべ けいご、1938年10月28日 - 201… 阿部 圭吾(あべ けいご、1938年10月28日 - 2019年12月21日)は、日本の松濤館流空手家。 1999年からは師範代 で九段位 。中山正敏 (空手家) (1913–1987), に師事。日本空手協会師範。 阿部は1938年10月28日、 愛媛県 伊予町( 四国島)生まれ 。先祖には侍 で過去に2人の泥棒が彼の家族の家に入った事件について、「私の家族が殺した; 2つの墓がまだ私の家の近くに立っている」と語った 。15歳の1953年に、彼は空手と柔道の武道の訓練を始めた。彼は当初、 志都流風の空手の勉強を始めた。 1956年、日本大学に入学し、工学を学び 、4年後に卒業した。1958年に中山正敏のもとで日本空手協会(JKA)本部道場でトレーニングを開始。
もっと読む
佐々木 孝次(ささき たかつぐ、1938年10月28日 - … 佐々木 孝次(ささき たかつぐ、1938年10月28日 - )は、日本の精神分析学者。専修大学名誉教授。 東京都生まれ。1961年早稲田大学仏文科卒、1963年同大学院修士課程修了、パリ大学へ留学し、フロイト、ジャック・ラカンの精神分析と出会い、自分自身を分析し、精神分析を専門とする。コーズ・フロイディエンヌ(ラカン派)正会員。帰国してからは、1970年に杉野女子大学助教授、1993年まで信州大学教養部教授、1993年から2009年まで専修大学文学部教授(2009年3月末日に定年退職)。 日本における父親権力の弱さを指摘し、河合隼雄の立場に近かったが、「愛させる技術」日本語における「蠱物(まじもの)」としての言葉などを提唱し、次第に日本文化論へ向かった。
もっと読む
中野 武宣(なかの たけのり、1938年10月26日 - )… 中野 武宣(なかの たけのり、1938年10月26日 - )は、日本の天文学者・宇宙物理学者。専門は、恒星および惑星の形成過程。理学博士(京都大学・1966年)。 京都府舞鶴市出身で、林忠四郎の弟子。
もっと読む
伊藤 基隆(いとう もとたか、1938年〈昭和13年〉10月… 伊藤 基隆(いとう もとたか、1938年〈昭和13年〉10月25日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の政治家。参議院議員(比例区、2期)。会派は民主党・新緑風会。参議院民主党国対委員長を務めた。 群馬県北甘楽郡一ノ宮町(現・富岡市)に生まれる。群馬県立富岡高等学校卒業。 田邊誠の実質的な後継者である。全逓書記長在任時の1990年、郵政反マル生闘争における被処分組合員の扱いを巡って、郵政省(当時)との裏交渉で「職場復帰の道が開かれた」として、1991年に処分撤回を求めた裁判を取り下げたが、省は誰一人として被処分者を再雇用しなかった。そればかりか、再雇用されなかった被処分組合員全員を組合組織から追放という結末を演じている。
もっと読む
黒沢 惟昭(くろさわ のぶあき、1938年10月25日 - … 黒沢 惟昭(くろさわ のぶあき、1938年10月25日 - )は、日本の教育学者。東京学芸大学教育学部教授、財団法人神奈川県高等学校教育会館教育研究所代表等を経て、中国東北師範大学名誉教授。 長野県長野市生まれ。1965年一橋大学社会学部卒業。高島善哉や鈴木秀勇の指導を受けた。1969年東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。指導教官は宮原誠一。2010年「現代に生きるグラムシ 市民的ヘゲモニーの思想と現実」で一橋大学より博士(社会学)の学位を取得。審査員加藤哲郎、関啓子、平子友長。 1969年本州大学(現長野大学)経済学部専任講師、1972年助教授。神奈川大学外国語学部教授を経て、2001年に東京学芸大学教育学部教授を定年退官。
もっと読む
吉田 宏一郎(よしだ こういちろう、1938年10月24日 … 吉田 宏一郎(よしだ こういちろう、1938年10月24日 - )は、日本の海洋工学者。東京大学名誉教授。海洋構造工学が専門。 愛知県出身。東海高等学校卒。東京大学工学部船舶工学科卒。1966年工学博士(東京大学)取得。「構造物の塑性設計に関する研究」。東海大学教授、東京大学教授、海洋開発審議会委員、日本造船学会会長を経て、1999年より東京大学名誉教授。著書に「海洋工学の基礎知識」(成山堂書店)がある。日本造船学会論文賞、米国機械学会功労賞(ASME OMAE Achievement Award)、造船技術賞(吉識賞)、米国機械学会10論文賞(ASME OMAE 10 Papers Award)、米国機械学会特別感謝賞(ASME OMAE Special Appreciation Award)受賞。
もっと読む
上原 直彦(うえはら なおひこ、 (1938-10-23) … 上原 直彦(うえはら なおひこ、 (1938-10-23) 1938年10月23日(87歳)‐ )は、沖縄の放送人、フリープロデューサー。 沖縄県那覇市垣花出身。石川高等学校卒業後、琉球新報社入社。社会部勤務時代に1959年の宮森小学校米軍機墜落事故を森口豁とともに取材。同年琉球放送に移籍、当初3か月は報道部、その後はラジオ制作部。1961年から始まった「民謡で今日拝なびら」にプロデューサーとしてかかわり、のちにパーソナリティに。ラジオ局制作部専門職部長、ラジオ局次長を経て、役員待遇ラジオ局専任局長を最後に1998年退職後も現在に至るまでパーソナリティを続けている。元部下に宮城麻里子等がいる。民謡をはじめとする沖縄の芸能文化に造詣が深く、1960年代から70年代にかけて竹中労とともに嘉手苅林昌らの沖縄民謡を本土に紹介した。
もっと読む
堤 康弘(つつみ やすひろ、1938年10月21日 - )は… 堤 康弘(つつみ やすひろ、1938年10月21日 - )は日本の実業家である。堤康次郎は父、堤清二は異母兄、堤義明は同母兄である。 早稲田大学教育学部卒業。株式会社豊島園の社長を務めていたが2005年3月に経営上不正な行為があったとして解任され、西武バス株式会社、西武ハイヤー株式会社、西武運輸株式会社 の取締役も解任された。
もっと読む
香取 環(かとり たまき、1938年10月21日 - 201… 香取 環(かとり たまき、1938年10月21日 - 2015年10月12日)は日本の女優。本名・久木登紀子。別名・佐久間しのぶ。熊本県出身。1960年代から1970年代初頭にかけて、ピンク映画で活躍した。日本初のピンク映画『肉体の市場』に主演した事から、「ピンク女優・第一号」とも呼ばれた。以降、1960年代のピンク映画界においてトップ女優として君臨した。元夫は俳優の船戸順、ピンク映画監督の奥脇敏夫。 香取環は1938年に、熊本県の中流家庭に生まれた。父親は熊本で家族経営の製薬会社を営んでいた。ミスユニバースの熊本代表、全国大会で準ミスに選ばれた後、日活第四期ニューフェイスに採用。同期に赤木圭一郎がいる。
もっと読む
志治 達雄(しじ たつや、1938年10月20日 - )は、… 志治 達雄(しじ たつや、1938年10月20日 - )は、愛知県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 関西学院大学時代はFWとしてプレー。関学クラブ(現役、OBの混成チーム)の一員として1959年の全日本選手権大会の優勝に貢献した。また、在学中の1961年5月28日にマラヤ代表戦で日本代表として初出場初得点を上げた。国際Aマッチは1試合に出場して1得点を記録した。 1962年に大学を卒業後はトヨタ自動車工業に入社して、サッカー部に入部した。 1965年にトヨタ自動車工業の監督に就任。翌年には関学の後輩の西垣成美をコーチとして招き、全国社会人サッカー選手権大会優勝2回(1968年、1970年)、1972年に日本サッカーリーグ2部で初優勝し、翌1973年の1部昇格に導いた。
もっと読む
津野 修(つの おさむ、1938年〈昭和13年〉10月20日… 津野 修(つの おさむ、1938年〈昭和13年〉10月20日 - )は、日本の大蔵官僚、弁護士。勲等は旭日大綬章。第一東京弁護士会所属。 大蔵省主税局税制第三課課長、内閣法制局総務主幹、内閣法制局第三部部長、内閣法制局第一部部長、内閣法制次長、内閣法制局長官、最高裁判所判事などを歴任した。 愛媛県出身の大蔵官僚である。大蔵省においては、主税局の税制第三課長を務めた。のちに内閣法制局に出向し、総務主幹を経て、第三部や第一部にてそれぞれ部長を務めるなど、要職を歴任した。1996年には内閣法制次長に就任した。1999年には大森政輔の後任として内閣法制局長官に就任し、小渕第1次改造内閣から第1次小泉内閣にかけて同職を務めた。
もっと読む
国本 伊代(くにもと いよ、1938年10月20日 - )は… 国本 伊代(くにもと いよ、1938年10月20日 - )は、日本の歴史学者。中央大学名誉教授。ラテンアメリカ近現代史専攻。 満洲・吉林生まれ。東京外国語大学スペイン語科卒業。1975年東京大学大学院社会科学研究科博士課程中退。1975年米国テキサス大学大学院博士課程修了、歴史学博士。1978年中央大学商学部専任講師、1980年助教授、1985年教授。1998年「メキシコ革命とカトリック教会 国民国家形成過程における国家と教会の対立・協調・共存関係」で、東大から博士(学術)。2009年定年退任、名誉教授。 日本ボリビア協会理事。1998年から2000年日本ラテンアメリカ学会理事長。 2003年にボリビアで刊行された『ボリビアに生きる:日本人移住100周年誌』(ボリビア日系協会連合会)の編纂顧問を務める。
もっと読む
若十勝 正雄(わかとかち まさお、1938年10月20日 -… 若十勝 正雄(わかとかち まさお、1938年10月20日 -没年不明 )は、北海道河西郡芽室町出身で花籠部屋に所属した元大相撲力士。本名は高島 正雄(たかしま まさお)。177cm、83kg。最高位は東十両10枚目。得意技は右四つ、寄り。 1954年9月場所に初土俵、1959年9月場所に十両昇進。芽室町からの関取昇進は史上初。新十両の場所から3場所連続で勝ち越したが、その後2場所連続で大きく負け越して1960年7月場所に幕下に陥落。幕下陥落以降は徐々に番付を下げていき、幕下下位で負け越した1962年1月場所に23歳で廃業した。息子も「若十勝」の四股名で三段目まで上がっている。 同郷の横綱・大乃国康は彼の紹介で角界入りした。
もっと読む
安西 愈(あんざい まさる、1938年10月19日 - )は… 安西 愈(あんざい まさる、1938年10月19日 - )は、日本の弁護士・元官僚。安西法律事務所所長。イカイほか企業顧問を多く務める。元・中央大学教授。香川県出身。専門は、労働法や社会保障法(特に労働保険法)。中央大学法学部通信教育課程出身の生え抜き法曹の一人 この他、東京基督教大学神学部兼任講師、中央労働災害防止協会参与会議長、法務省司法書士簡裁訴訟代理等能力認定考査委員、厚生労働省特定社会保険労務士紛争解決手続代理業務試験委員なども務めた
もっと読む
米沢 富美子(よねざわ ふみこ、女性、1938年10月19日… 米沢 富美子(よねざわ ふみこ、女性、1938年10月19日- )は、日本の理論物理学者、慶應義塾大学名誉教授。専門は物性理論、特に固体物理学。アモルファス研究で国際的に知られる。理学博士(京都大学)(1966年)。大阪府吹田市生まれ。旧姓名、奥 富美子。
もっと読む
西村 靖雄(にしむら やすお、1938年10月19日 - )… 西村 靖雄(にしむら やすお、1938年10月19日 - )は、日本の経営者。コナミ社長、会長を務めた。東京都出身。 1962年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に大和銀行に入行した。1991年2月にコナミ工業(のちのコナミ)に転じ、同年5月に常務を経て、1992年5月には社長に就任。1994年6月に三期連続減益の責任を取る形で社長を退任。後任には上月景正が復帰した。
もっと読む
阿奈井 文彦(あない ふみひこ、1938年10月19日 - … 阿奈井 文彦(あない ふみひこ、1938年10月19日 - 2015年3月7日)は、ノンフィクション作家、エッセイスト。本名・穴井典彦(あない ふみひこ)。自称「アホウドリ」。朝鮮(現・韓国)全羅南道筏橋生まれ。 1945年、敗戦後、大分県に引き揚げる。大分県立森高等学校卒業、同志社大学文学部(哲学専攻)入学。教壇に立っていた鶴見俊輔と出会い、「朝鮮半島で生まれ育ち、戦後、大分県に引き揚げてきた自分の体験」を文章にまとめたところ、鶴見の紹介で雑誌「思想の科学」に掲載される。大学中退後、東京でクズ屋に就職。 1965年、ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)発足と同時に参加。開高健の知遇を受け、ベ平連の事務局員となる。
もっと読む
野口 貴史(のぐち たかし、1938年10月18日 - 20… 野口 貴史(のぐち たかし、1938年10月18日 - 2020年)は、日本の俳優。 本名及び旧芸名は野口 泉(のぐち いずみ)。 愛媛県西条市出身。東宝芸能学校卒業後、鶴田浩二の付き人になる。 東映へ入社すると、本名で1963年より始まるヤクザ映画に多数出演。 1969年の後半より改名。 『仁義なき戦いシリーズ』では、第1作から第5作『仁義なき戦い 完結篇』までに出演し、第1作から『仁義なき戦い 頂上作戦』(第4作)までは広能昌三に仕える忠実な子分・岩見益夫役を演じた。 ピラニア軍団の一員でもあった。
もっと読む
甲藤 征史(かっとう せいし、1938年10月17日 - )… 甲藤 征史(かっとう せいし、1938年10月17日 - )は、高知県香美郡土佐山田町(現:香美市土佐山田町)出身の漫画家、アニメーター。 香南中学2年の頃より『こども高知新聞』に4コマまんが「マンガ横町」を連載。 四国学院大学生の時、横山隆一のアニメーション制作会社「おとぎプロ」に呼ばれ、退学して入社。その後、トキワ荘出身の漫画家を中心に設立された「スタジオゼロ」にうつり、映画『ひょうたんすずめ』、アニメ『パーマン』や『オバケのQ太郎』などの制作にかかわる。 1969年、「何か新しいことに挑戦したい」とドイツに移住。ドイツを中心に、チェコ、スイスなどで新聞マンガ、アニメ、イラストなどを制作。 1993年、『ピングー』の制作を原作者のオットマー・グットマン(英語版)急逝後に引き継ぎ、5年間携わった。
もっと読む
石井 幹子(いしい もとこ、1938年10月15日 - )は… 石井 幹子(いしい もとこ、1938年10月15日 - )は、日本の照明デザイナー。石井幹子デザイン事務所主宰。 日本に「ライトアップ」という文化を根付かせたパイオニア的存在であり、東京タワーやレインボーブリッジの照明を手がけるなど、日本の都市夜景に変革をもたらした人物として知られる。 東京都出身。幼稚園から高校までお茶の水女子大学附属に通い、1962年に東京芸術大学美術学部図案計画科を卒業。デザイン会社で照明器具のデザインに携わり、1965年から1967年にかけてフィンランドとドイツの照明設計事務所に助手として勤務する。 帰国後の1968年に石井幹子デザイン事務所を設立し、1970年に開催された大阪万博、1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会の照明デザインを手がけるが、オイルショックの影響で照明デザインは電力の浪費と受け取られ日本国内では不遇の時期を過ごす一方、日本の建築雑誌で作品を見たミノル・ヤマサキの目に留まったことをきっかけに「日本に仕事がなくても、地球上のどこかにはあるはず」とオイルマネーで建設ラッシュに沸く中東をはじめ海外での仕事をこなし実績を作っていった。
もっと読む
水村 治男(みずむら はるお、1938年10月15日 – 2… 水村 治男(みずむら はるお、1938年10月15日 – 2024年8月22日)は、日本の卓球指導者。東京都江東区出身。 東京都江東区生まれ、 昭和26年江東区立八名川小学校卒業、昭和29年江東区立深川第二中学校卒業、昭和33年関東商工高等学校(現在の関東第一高等学校)卒業、昭和37年國學院大學卒業。 卓球選手としての活動を経て、 1970年代初頭より東京富士大学(旧・富士短期大学)女子卓球部の指導を開始した。西村卓二とともに、同部を関東学生リーグ優勝10回、全日本大学総合卓球選手権(インカレ)優勝4回、全日本団体戦優勝3回に導くなど、長年にわたり国内の学生卓球界を支えた。。 指導経験を活かした卓球技術書・練習書の執筆にも取り組み、以下のような著作がある。
もっと読む
柿原彬人(かきはら よしひと、1938年10月14日 - 2… 柿原彬人(かきはら よしひと、1938年10月14日 - 2006年7月18日)は日本の実業家。福岡県出身。出生名は柿原孝(読み方不明)であり、1993年に改名した。 コーエーテクモホールディングスの前身の1社・テクモの創業者。日本アミューズメントマシン工業協会の会長も務めた。
もっと読む
野口 ふみえ(のぐち ふみえ、1938年10月13日 - )… 野口 ふみえ(のぐち ふみえ、1938年10月13日 - )は、日本の女優。東京都出身。調布高校卒[要出典]。本名は宇野ふみえ。夫は東宝のプロデューサー宇野博之[要出典]。
もっと読む
森 一弘(もり かずひろ、1938年10月12日 - 202… 森 一弘(もり かずひろ、1938年10月12日 - 2023年9月2日)は、カトリック教会の司教。洗礼名は「パウロ」。 1938年10月12日、神奈川県横浜市で生まれる。「当時の平均的日本の家庭のように、神棚と仏壇が共存してい」る、両親共クリスチャンではない家庭であった。栄光学園高校在学中、カトリックの洗礼を受ける。受洗時には既に司祭への道を歩む覚悟を決めていた。1959年、男子カルメル修道会に入会。修道名は「神の母のパウロ」。1960年、上智大学文学部哲学科を卒業。1962年、ローマ・カルメル会国際神学院に留学。1967年3月、ローマで司祭に叙階された。1968年、同学院を修了、帰国。帰国後は東京都世田谷区の、現在の町名で上野毛にある男子カルメル会修道院で生活し、カトリック上野毛教会の司牧を務めた。
もっと読む
山尾 三省(やまお さんせい、1938年10月11日 - 2… 山尾 三省(やまお さんせい、1938年10月11日 - 2001年8月28日)は日本の詩人。東京市神田区神田松住町(現・東京都千代田区外神田)生まれ。
もっと読む
八村義夫(はちむら よしお、1938年10月10日 - 19… 八村義夫(はちむら よしお、1938年10月10日 - 1985年6月15日)は、日本の現代音楽の作曲家。東京都出身。 9歳よりヴァイオリンを習い始め、「桐朋学園子供のための音楽教室」に入室。柴田南雄、入野義朗らに聴音、音楽理論、ソルフェージュ等の指導を受ける。中学より作曲とピアノを松本民之助に師事。1954年に東京都立駒場高等学校芸術科にヴァイオリン専攻として入学。 1957年に東京芸術大学作曲科に入学。在学中に、「オーケストラのためのレントとアレグロ」が第29回音楽コンクールにて第3位を受賞。島岡譲に師事し、1961年に東京藝術大学を卒業。芸大卒業後は都立高校の非常勤講師、東京理科大学のオーケストラ部の指導などで生計を立てていたが、和声への研鑽を深めるべく、東京芸大大学院に入学。
もっと読む
森山 大道(もりやま だいどう、本名:ひろみち、1938年1… 森山 大道(もりやま だいどう、本名:ひろみち、1938年10月10日 - )は、日本の写真家。大阪府池田市生まれ。 ハッセルブラッド国際写真賞、ドイツ写真家協会賞、朝日賞、毎日芸術賞、日本写真協会作家賞などを受賞。 世界各国で高く評価されており、アメリカ、イタリア、イギリス、フランス、オーストリア、ベルギー、ドイツ、中国、スペインなどでも個展を開いている。 東京工芸大学客員教授、京都造形芸術大学客員教授、専門学校東京ビジュアルアーツ顧問、専門学校名古屋ビジュアルアーツ特別顧問。 過去に、ワークショップ写真学校や東京写真専門学校(現 東京ビジュアルアーツ)の講師など、さまざまな写真教育活動に当たるなど、教育活動も行っている。
もっと読む
妻島 芳郎(つましま よしろう、1938年10月9日 - )… 妻島 芳郎(つましま よしろう、1938年10月9日 - )は、東京都中野区出身の元プロ野球選手(投手)。 日大二高では2年次の1955年、秋季関東大会都予選決勝に進出するが、日大三高のエース並木輝男に抑えられ敗退。3年次の1956年には夏の甲子園都予選4回戦で成蹊高に敗れ、甲子園には出場できなかった。卒業後は1957年に日本通運浦和へ入社し、古谷法夫コーチの指導を受ける。1958年の都市対抗に出場し、1回戦でエース堀本律雄を好リリーフ、優勝候補の日本生命を降す。1960年からは稲葉誠治監督の指導も受け、1961年の都市対抗では2回戦(初戦)に先発で起用されるが、電電九州に敗退。この時のチームメイトには渋谷誠司がいた。
もっと読む
青木 廣彰(あおき ひろあき、1938年10月9日 - 20… 青木 廣彰(あおき ひろあき、1938年10月9日 - 2008年7月10日)は、東京都出身の実業家、冒険家、元レスリング選手、バックギャモンプレーヤー。通称、ロッキー青木。全米各地で鉄板焼きレストランチェーン「BENIHANA」を展開した経営者(創業は父の郷宏之こと青木湯之助)。息子のスティーヴ・アオキはディスクジョッキー(DJ)、娘のデヴォン青木はモデル・女優として知られる。 青木湯之助、かつの長男として中野で生まれる。青木家は江戸時代は紀州徳川直参の旗本だった和歌山県士族の旧家である[要出典]。父の湯之助はかつて郷宏之の芸名で活躍していた俳優・タップダンサーで、後にレストランチェーン紅花 (BENIHANA) 共同創業者となった。
もっと読む
川西 武彦(かわにし たけひこ、1938年10月9日 - 2… 川西 武彦(かわにし たけひこ、1938年10月9日 - 2026年3月22日)は広島県出身の元サッカー選手(FW/MF)。 東洋工業に所属し、日本代表としてもワールドカップチリ大会予選など、国際Aマッチ8試合に出場した。 選手引退後も東洋工業・マツダに勤務した。
もっと読む
鮫島 章男(さめしま ふみお、1938年(昭和13年)10月… 鮫島 章男(さめしま ふみお、1938年(昭和13年)10月9日 - )は、日本の実業家。太平洋セメント社長、会長を歴任している。 初任配属となった経理部財務課勤務から一貫して経理畑を歩む。社長就任後は双竜セメントの経営再建計画に取り組むなど同社の海外進出路線に先鞭をつけた。
もっと読む
佐藤 壮郎(さとう たけお、1938年10月9日 - )は、… 佐藤 壮郎(さとう たけお、1938年10月9日 - )は、日本の地球科学者(専門は鉱床学)、元人事院総裁。理学博士。祖父・佐藤伝蔵は東京高等師範学校教授で、地質学・鉱物学の分野で多くの著書を残した学者であり、父・佐藤源郎は地質調査所で活躍した地質学者である。 1962年東京大学理学部地学科を卒業し、同大学院数物系研究科地質学課程に進学。1964年同課程を修了し、工業技術院地質調査所(産業技術総合研究所、地質調査総合センターの前身)鉱床部に入所。1973年黒鉱鉱床の研究により、東京大学から理学博士の学位を取得。「Genetical study of the Uchinotai deposits, Kosaka mine, Akita Prefecture, Japan : a passidible model for the kuroko mineralization(秋田県小坂鉱山内の岱鉱床の成因的研究 : 黒鉱々化作用の一モデル)」。
もっと読む
佐佐木 幸綱(ささき ゆきつな、1938年10月8日 - )… 佐佐木 幸綱(ささき ゆきつな、1938年10月8日 - )は、日本の歌人・国文学者。早稲田大学名誉教授。日本芸術院会員。『心の花』主宰・編集長。現代歌人協会前理事長。 曽祖父の佐々木弘綱、祖父で文化勲章受章者の佐佐木信綱、父の佐佐木治綱、母の佐佐木由幾、長男の佐佐木頼綱、次男の佐佐木定綱も歌人である。本名は佐々木幸綱で、祖父、父に倣って「佐佐木」を称する。 祖父信綱が主宰した「竹柏会」とその機関誌「心の花」を継承。骨格の太い男性的な歌風を特色とする。俵万智の師。歌集に『群黎』(1970年)、『反歌』(1989年)、『金色の獅子』(1989年)、『天馬』(2001年)、『ほろほろとろとろ』(2014年)など。
もっと読む
安井 義博(やすい よしひろ、1938年10月8日 - )は… 安井 義博(やすい よしひろ、1938年10月8日 - )は、日本の実業家。ブラザー工業元会長、現相談役。東邦ガス社外監査役。一般社団法人日本縫製機械工業会副会長。元名古屋商工会議所副会頭。
もっと読む
尾原蓉子(おはら ようこ、1938年10月7日 - )は、日… 尾原蓉子(おはら ようこ、1938年10月7日 - )は、日本の実業家。IFIビジネス・スクール元学長。西友元・取締役、エイボン・プロダクツ取締役、良品計画取締役、旭リサーチセンター取締役。柳井正・ファーストリテイリング代表取締役が最も尊敬する女性とされている。
もっと読む
佐々木恒男(ささき つねお、1938年10月7日 - )は、… 佐々木恒男(ささき つねお、1938年10月7日 - )は、日本の経営学者。学位は、商学博士(明治大学・論文博士・1985年)(学位論文「ファヨール経営学説の研究」)。青森公立大学名誉教授。 兵庫県宝塚市生まれ。中央大学第1法学部法律学科卒業、同大学大学院商学研究科博士課程中退。1985年「ファヨール経営学説の研究」で明治大学より商学博士の学位を取得。 中央大学商学部助手、千葉商科大学講師、武蔵大学経済学部助教授・教授、日本大学教授、2001年青森公立大学教授、2003年学長、2012年学長退任。名誉教授。専門は、経営学原理、組織論、マネジメント論、経営学史。組織学会高宮賞受賞。
もっと読む
辰市 祐英(たついち すけひで、1938年10月6日 - )… 辰市 祐英(たついち すけひで、1938年10月6日 - )は京都府京都市左京区出身の元プロ野球選手。選手時代の登録名は、辰市 邦輔(-くにすけ)。 立命館高等学校では2年生の時、エース富永格郎らとともに、四番打者、二塁手として1955年の夏の甲子園に出場。準決勝に進むが坂出商に1-2で敗退した。8月には富永らとともに全日本高校選抜チームとして初のハワイ遠征を果たす。同年の神奈川国体は準決勝に進むが、四日市高の高橋正勝(巨人)に抑えられ敗退。翌1956年夏は府予選準々決勝で花園高に惜敗。 1957年に大阪タイガースに入団。1958年のシーズン中盤には浅越桂一に代り二塁手の定位置を獲得、一番打者として先発した7月20日の対国鉄スワローズダブルヘッダー2戦目(甲子園)では1試合4安打3盗塁を決めるなど、主に一番打者として35試合に先発出場を果たす。
もっと読む
辰市 祐英(たついち すけひで、1938年10月6日 - )… 辰市 祐英(たついち すけひで、1938年10月6日 - )は京都府京都市左京区出身の元プロ野球選手。選手時代の登録名は、辰市 邦輔(-くにすけ)。
もっと読む
栗田 善成(くりた よしなり、1938年〈昭和13年〉10月… 栗田 善成(くりた よしなり、1938年〈昭和13年〉10月6日 - )は、秋田県出身のローカルタレント、ラジオパーソナリティ。 満州の藩陽の奥地で生まれる。両親ともに日本語学校の教師だった。終戦後は秋田へ引き上げ、大学入学とともに上京。秋田県立秋田高等学校を経て、日本大学芸術学部放送学科を卒業後、三木鶏郎の事務所でCMソングのプロデューサーとなる。 事務所の解散後はCMソングなどを作る広告会社を起こすが3年で解散して、1969年に福岡へ拠点を移す(理由はできちゃった結婚)。1971年、福岡県の放送業界で活動を開始した。 2021年3月、『栗田善成の土曜娯楽版』の番組終了を機に、50年に渡るラジオ番組の出演を退き、芸能界を引退した。
もっと読む
遠藤 武彦(えんどう たけひこ、1938年10月5日 - 2… 遠藤 武彦(えんどう たけひこ、1938年10月5日 - 2019年12月27日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(6期)、農林水産大臣(第44代)、山形県議会議員、置賜農業共済組合組合長理事、山形県農業共済組合連合会会長理事、社団法人全国農業共済協会理事などを歴任した。愛称はエンタケ。 山形県米沢市出身。父は米沢市議会議長、山形県議をつとめ、山形農政に強い影響力を持っていた遠藤清海。現在の山形県立米沢興譲館高等学校を卒業後、1961年に中央大学文学部を卒業し、帰郷。県指導主事、米沢市農業協同組合理事などを務めた後、山形県議会議員(3期)を経て、1986年、第38回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選。
もっと読む
岡田 義弘(おかだ よしひろ、1938年〈昭和13年〉10月… 岡田 義弘(おかだ よしひろ、1938年〈昭和13年〉10月5日 - )は、日本の政治家。元群馬県安中市長(2期)、群馬県議会議員(3期)、安中市議会議員(5期)。 1938年、安中市野殿の名主の家柄に、7人兄弟の末子として生まれる。1956年に群馬県立高崎高等学校通信制を中退し、家業の農業に従事する。 1975年に安中市議会議員に初当選し、以後連続5期務める。市議として東邦亜鉛の安中公害問題に取り組む。この間市議会議長、県市議会議長会会長、関東市議会議長会副会長、全国市議会議長会理事や、安中市社会福祉協議会会長を務める。 1995年の群馬県議会議員選挙に安中市選挙区から出馬し初当選、3期務める。
もっと読む
御手洗 肇(みたらい はじめ、1938年10月5日 - 19… 御手洗 肇(みたらい はじめ、1938年10月5日 - 1995年8月31日)は、元キヤノン社長。 東京都出身。マサチューセッツ工科大学大学院電子工学科、スタンフォード大学修了。キヤノン創業者御手洗毅の子。 1974年にキヤノンに入社。中央研究所所長などを務めた後、1993年に山路敬三の突然の退任を受け第五代社長に就任。社長として辣腕を振るったが、1995年に間質性肺炎のため、在職のまま死去。後任社長には従兄の御手洗冨士夫が就任した。
もっと読む
生田 義和 (いくた よしかず 1938年10月5日 - 2… 生田 義和 (いくた よしかず 1938年10月5日 - 2023年1月27日)は、日本の医学者。元広島大学病院病院長、広島大学名誉教授、元日本手外科学会理事長。専門は、手の外科を中心としたマイクロサージャリー(英語版、ドイツ語版、ベラルーシ語版、ギリシア語版)(顕微鏡を使用する手術)、手や指の怪我の治療、切断された指や腕の再接着など。
もっと読む
春田 整秀(はるた よしひで、1938年(昭和13年)10月… 春田 整秀(はるた よしひで、1938年(昭和13年)10月5日 - )は、日本の政治家。元福岡県前原市(現・糸島市)長(2期)。 福岡県糸島郡前原町(のち前原市、現・糸島市)出身。1957年、福岡県立糸島高等学校卒。保育所を運営し、所長となる。前原市議会議員を経て、1995年、前原市長に当選。2期務める。2003年、落選。現在、社会福祉法人春陽会の理事長を務める。
もっと読む
湯浅慎一(湯浅愼一、ゆあさ しんいち、1938年10月5日-… 湯浅慎一(湯浅愼一、ゆあさ しんいち、1938年10月5日- 2022年2月28日)は、日本の哲学者、京都府立医科大学名誉教授。 北海道生まれ。上智大学法学部卒業、同大学院文学研究科修士課程修了。ドイツ・ケルン大学法学部卒業(1969年法学博士)。ドイツ・ケルン大学哲学部卒業(1976年哲学博士)。信州大学教育学部助教授、京都府立医大学教授、2002年定年退官、名誉教授、大阪樟蔭女子大学教授を務めた。
もっと読む
坂本 吉弘(さかもと よしひろ、1938年10月4日 - )… 坂本 吉弘(さかもと よしひろ、1938年10月4日 - )は、日本の通産官僚。通商産業審議官を最後に退官後、アラビア石油代表取締役社長、AOCホールディングス代表取締役社長、三菱重工業取締役、セントラル硝子取締役等を歴任した。 大阪生まれ。岸和田高校を経て1962年東京大学法学部卒業後、通商産業省入省。妻は入省同期の坂本春生。 JETROシドニー駐在、通商産業省航空機武器課長、通商産業省国会担当参事官、通商産業省産業資金課長、通商産業省機械情報産業局総務課長を経て、1986年通商産業大臣官房総務課長。1987年臨時円高対策本部幹事会座長。同年通商産業省通商政策局国際経済部長。1988年資源エネルギー庁石油部長。
もっと読む
綿田 道則 (わただ みちのり、1938年(昭和13年)10… 綿田 道則 (わただ みちのり、1938年(昭和13年)10月3日 - )は、日本のフィールドホッケー選手。 1960年ローマオリンピックで男子トーナメントに出場した。
もっと読む
綿貫 隆夫(わたぬき たかお、1938年(昭和13年)10月… 綿貫 隆夫(わたぬき たかお、1938年(昭和13年)10月2日 - 2020年(令和2年)12月25日)は、日本の政治家、弁理士。長野県中野市長。 長野県下高井郡中野町(現中野市)生まれ。長野県長野高等学校を経て、信州大学工学部卒業。高校卒業時から家業の醤油醸造業を承継し、学生生活と社長を兼ねた。 1973年に弁理士試験合格。科学技術翻訳士資格取得。その後、長野市に綿貫国際特許・商標事務所を開業し、クリエイ知的所有権研究所長も務める。 1996年、中野市長選挙に初当選した。2004年に退任し、2006年からは長野県教育委員長を務めた。 2009年、旭日双光章受章。2020年、紺綬褒章飾版受章。
もっと読む
加納 剛太(かのう ごうた、1938年10月2日 - )は、… 加納 剛太(かのう ごうた、1938年10月2日 - )は、日本の工学者。工学博士。専門は半導体工学。 砒化ガリュウム(GaAs)半導体を用いた携帯電話用化合物半導体集積回路・GaAs MMICの開発実用化、ビスマス多層ペロブスカイト型強誘電体を用いた非接触ICカード用不揮発性メモリ集積回路・FeRAM LSIの開発実用化の貢献に努めた。 2000年、工学分野における研究の在り方に関する新しい概念を、(社)映像情報メディア学会に発起人の一人として提唱し、「起業工学」という学問体系の構築を推進した。同年、マルチメディア・アントレプレナー研究会(後に起業工学研究会と改称、通称アントレ研)を発起人の一人として設立し、2003年には委員長を務めた。
もっと読む