山中 卓(やまなか たかし、1927年8月31日 - 200… 山中 卓(やまなか たかし、1927年8月31日 - 2004年1月11日)は、日本の実業家。元横河電機会長。 第六高等学校 (旧制)を経て、1951年京都大学工学部卒業、横河電機製作所(現・横河電機)入社。横河電機取締役システム機器事業部長等を経て、1988年横河電機社長。1993年横河電機会長。1997年退任。 1993年に藍綬褒章、1999年に勲二等瑞宝章を受章。2004年1月11日、肺炎のため死去。
入江 春行(いりえ はるゆき、1927年8月31日 - 20… 入江 春行(いりえ はるゆき、1927年8月31日 - 2022年6月3日)は、日本の文学研究者。元大谷女子大学教授。主に与謝野晶子の研究をしていた。 東京出身。法政大学文学部卒。大阪外国語大学講師、大谷女子大学助教授、教授、日本文芸学会常任理事を務めた。与謝野晶子倶楽部名誉会長。雑誌「与謝野晶子研究」主宰。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
黒田 勲(くろだ いさお、1927年8月31日 - 2009… 黒田 勲(くろだ いさお、1927年8月31日 - 2009年2月17日)は、日本の航空自衛官、医学者、医師。早稲田大学教授。最終階級は空将。専門は航空医学、宇宙医学。北海道旭川市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
多田 幸正(ただ ゆきまさ、1927年〈昭和2年〉8月31日… 多田 幸正(ただ ゆきまさ、1927年〈昭和2年〉8月31日 - 2001年〈平成13年〉1月24日)は、日本の実業家。サンドラッグ創業者。 東京都出身。1949年に明治薬学専門学校を卒業。1957年12月にサンドラッグを創業し、社長に就任。1994年10月に会長に就任。 2001年1月24日肺ガンのために死去。73歳没。
田中 健一(たなか けんいち、1927年8月31日 - 20… 田中 健一(たなか けんいち、1927年8月31日 - 2021年7月29日)は、日本のカトリック司教。洗礼名はライムンド。カトリック高松教区の教区長であった田中英吉司教の甥にあたる。 1927年8月31日、愛媛県宇和島市に生まれる。泰星中学校(福岡市・現上智福岡中学校)を経て1944年に長崎公教神学校、1946年に大阪関目仮神学校、1948年に東京神学院に入学した。1951年12月21日に高松教区にて司祭叙階。1952年から58年まで、ローマなどに留学した。帰国後は、大阪教区の甲陽園と園田、1964年から高松教区の桜町、三本松、長尾、大島の各小教区で働く。1976年7月8日、ローマ教皇パウロ6世により京都教区司教に任命、同年9月23日、司教に叙階された。
島 桂次(しま けいじ、1927年8月30日 - 1996年… 島 桂次(しま けいじ、1927年8月30日 - 1996年6月23日)は、日本のジャーナリスト。第15代日本放送協会(NHK)会長、元NHK政治部記者。 栃木県上都賀郡足尾町(現在の日光市足尾町)出身。旧制宇都宮中学、旧制新潟高校を経て、海軍兵学校2年生の時に終戦。東北大学文学部美学科卒業後、1952年4月NHKに入局。初任地はNHK盛岡放送局。政治部記者となり池田勇人の総理番記者となり、その後、宏池会を担当。1973年、ニュースセンター次長となり、1973年9月に放送総局副総局長の堀四志男の指示の下、報道番組部長として、1974年4月『ニュースセンター9時』、1976年4月に『NHK特集』をスタートさせる。
加藤 知弘(かとう ともひろ、1927年8月30日 - 20… 加藤 知弘(かとう ともひろ、1927年8月30日 - 2005年12月6日)は、日本の西洋史学者である。 1927年(昭和2年)、福岡県福岡市で生まれる。福岡県立筑紫丘高等学校を経て、1953年(昭和28年)に九州大学文学部を卒業し、九州大学助手となる。 翌1954年(昭和29年)に大分大学学芸学部に赴任し、1976年(昭和51年)に大分大学教育学部教授となる。1987年(昭和62年)からは大分大学教育学部長を務めた。1991年(平成3年)に大分大学を定年退官し、名誉教授となる。 1992年(平成4年)から大分県立芸術文化短期大学教授。1997年(平成9年)に『バテレンと宗麟の時代』で、ポルトガル大使館よりロドリゲス通事賞を受賞するとともに、地中海学会の地中海学会賞を受賞。
広瀬 善男(ひろせ よしお、1927年8月30日 - 201… 広瀬 善男(ひろせ よしお、1927年8月30日 - 2016年10月6日)は、日本の法学者。 千葉県千葉市生まれ。中央大学法学部卒。1958年東京大学大学院博士課程公法コース修了、「政府承認の法構造」で法学博士(東京大学)。明治学院大学助教授、教授、98年名誉教授。安達峰一郎記念賞受賞。国際法が専門。
青木 信仰(あおき しんこう、 1927年8月30日 - 2… 青木 信仰(あおき しんこう、 1927年8月30日 - 2011年10月9日)は、日本の天文学者。 東京府に生まれる。第一高等学校に進み,1947年に東京大学理学部天文学科に入学した。1952年に卒業、麻布の東京大学理学部の天文教室に採用され、その後東京天文台に移籍する。1961年の1年間,アメリカ航空宇宙局(NASA)のゴダード宇宙飛行センターで人工衛星の運動の研究に従事した。1970年に教授に昇任。 専門は、天文学の基本座標系と地球自転運動・地球内部構造との関係、銀河の構造と力学など。地球のコアとマントルの相互作用が黄道傾斜角に及ぼす影響を述べた論文は広く引用された。天文定数系の問題では、国際天文学連合(IAU)の委員として大きな役割を果たした。
小浜 俊郎(こはま しゅんろう、1927年8月29日 - 2… 小浜 俊郎(こはま しゅんろう、1927年8月29日 - 2020年7月5日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。慶應義塾大学名誉教授。 東京府(現練馬区)出身。 1954年、東京大学文学部仏文科卒。1961年、慶應義塾大学大学院博士課程満期退学。慶應義塾大学法学部助教授。1971年、慶應義塾大学法学部教授、1993年、定年退任、慶應義塾大学名誉教授。 2020年7月5日7時57分、老衰のため死去。92歳没。
岡森博和(おかもり ひろかず、1927年8月28日 - 20… 岡森博和(おかもり ひろかず、1927年8月28日 - 2012年7月23日)は、日本の数学者・算数教育学者。 大阪府出身。大阪学芸大学中等教育卒、大阪教育大学附属高等学校教諭、1968年大阪教育大学助教授をへて、教授。1993年定年退官、名誉教授。
小山 宙丸(こやま ちゅうまる、1927年(昭和2年)8月2… 小山 宙丸(こやま ちゅうまる、1927年(昭和2年)8月28日 - 2006年(平成18年)9月22日)は、日本の哲学者。早稲田大学第13代総長。早稲田大学名誉教授。 東京都北区に生まれる。実家小山酒造は、東京・北区岩淵町にあり、長年、都区内唯一の造り酒屋として知られていたが、2018年に酒造業から撤退した。第一早稲田高等学院文科(旧制)を経て、1951年(昭和26年) 早稲田大学文学部西洋哲学専攻(旧制)卒業。1953年(昭和28年) 早稲田大学大学院文学研究科修士課程(西洋哲学専攻)修了。1956年(昭和31年)早稲田大学大学院文学研究科博士課程(西洋哲学専攻)単位取得退学。同年、早稲田大学第一文学部助手。
乾 由明(いぬい よしあき、1927年8月26日 - 201… 乾 由明(いぬい よしあき、1927年8月26日 - 2017年7月17日)は、日本の美術史家。京都大学名誉教授、金沢美術工芸大学名誉教授。兵庫陶芸美術館名誉館長。 大阪府大阪市出身。実家は高級料亭の播半。1951年京都大学文学部西洋近代美術史専攻卒。京都国立近代美術館勤務、京都大学教養部助教授、1975年教授。1991年、定年退官、名誉教授。1997年金沢美術工芸大学長。2006年兵庫陶芸美術館館長、2012年、退任、名誉館長。 フランスを中心とする西洋近代美術の研究・紹介に務める一方で、日本の近・現代美術について活発な評論活動を繰り広げ、現代美術批評の最前線に立つ。現代陶芸の研究者としても活躍し、富本憲吉、楠部弥弌など日本の陶芸家のみならず、バーナード・リーチ、ルーシー・リーやハンス・コパーなど海外の陶芸家とも親交を深めた。
久保田芳太郎(くぼた よしたろう、1927年8月26日- )… 久保田芳太郎(くぼた よしたろう、1927年8月26日- )は、日本近代文学研究者、東横学園女子短期大学名誉教授。 静岡県生まれ。1952年早稲田大学文学部国文科卒、54年同大学院修士課程修了、1970年都留文科大学講師、73年早稲田大学講師、1975年東横学園短期大学教授。1998年定年退任、名誉教授。
浅井 美幸(あさい よしゆき、1927年8月25日 - 20… 浅井 美幸(あさい よしゆき、1927年8月25日 - 2009年10月4日)は、日本の政治家。東京都出身。衆議院議員。 1927年8月25日、東京市、現在の東京都新宿区に生まれる。1948年、東京歯科医専(現・東京歯科大学)を卒業する。 1967年、公明党の衆議院初進出となる衆院選に旧大阪2区から立候補し、初当選する。国会対策委員長に就任する。 1969年、国対委員長を渡部一郎に譲り退任する。 1970年、公明党委員長の竹入義勝を団長とする第1次公明党中華人民共和国訪問団(訪中団)に参加し副団長に就任する。1971年から1972年の田中角栄首相自民党総裁の中国訪問までに第2次、第3次の訪中団として日中間の交渉をおこなう。
秋元 満(あきもと みつる、1927年8月25日 - 201… 秋元 満(あきもと みつる、1927年8月25日 - 2019年1月5日)は、日本の銀行家。 滋賀県出身。1952年に同志社大学経済学部を卒業し、翌年に京都銀行に入行。1974年11月に取締役に就任し、1979年7月に常務、1984年6月に専務、1992年6月に副頭取を経て、1994年4月に頭取に就任。1998年6月に会長に就任し、2002年6月から2006年6月までに相談役を務めた。 京都銀行協会会長、京都経済同友会副代表幹事、京都商工会議所副会頭、京セラ・日本電産各監査役などを歴任した。 2002年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2019年1月5日、老衰のために死去。91歳没。
福田 甲子雄(ふくだ きねお、1927年8月25日 - 20… 福田 甲子雄(ふくだ きねお、1927年8月25日 - 2005年4月25日)は、日本の俳人。 山梨県中巨摩郡飯野村(現・南アルプス市飯野)に生まれる。1947年より、飯田蛇笏選「春夏秋冬」に投句をはじめ、「雲母」に入会、蛇笏に師事。1960年より飯田龍太選に投句し龍太に師事、1963年より終刊まで「雲母」編集同人。1969年、第5回山盧賞を受賞、2002年、第25回野口賞を受賞。 1971年6月、第一句集『藁火』を出版。その後、数々の句集や評論集などを出版。1992年、「雲母」終刊。その後は、盟友・廣瀬直人の主宰誌「白露」の同人として活躍。作品は、重厚な風土性と格調の高さが特徴であると評される。
堀川 清司(ほりかわ きよし、1927年〈昭和2年〉8月24… 堀川 清司(ほりかわ きよし、1927年〈昭和2年〉8月24日 - 2024年〈令和6年〉4月18日)は、日本の工学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。文化功労者。工学博士(東京大学)。専門は海岸工学。東京都出身。 埼玉大学学長時代の1993年3月25日午前8時15分頃、東京都三鷹市の自宅から歩いて出勤しようとしたところ、乗用車に乗った2人組の男に拉致され、身代金数千万円から1億円が埼玉大学へ要求、大学が現金の引き渡し場所に指定された。大学から通報を受けた埼玉県警は午後3時30分頃、浦和市大久保領家の県道で学長と犯人2人が乗った乗用車を発見、午後4時頃、埼玉大学近くで車両を再発見、工事中のためノロノロ運転をしていた車に職務質問をした上で2人組を逮捕、堀川は無事保護された。
星野 命(ほしの あきら、1927年8月24日- 2015年… 星野 命(ほしの あきら、1927年8月24日- 2015年11月7日)は、日本の心理学者。国際基督教大学名誉教授。 石川県金沢市生まれ。1952年東京大学文学部心理学科卒業、名古屋大学医学部精神医学教室臨床心理学研修生入局。54年同研究生。55年米国アイオワ州立大学大学院臨床心理学研究科にフルブライト奨学生として留学。56年ミシガン大学心理学クリニック研究員。1957年国際基督教大学教養学部専任講師。60年助教授、準教授、72年教授、90年定年、名誉教授、京都女子大学教授。2015年11月7日没。日本社会心理学会名誉会員。
川井 健(かわい たけし、1927年8月23日 - 2013… 川井 健(かわい たけし、1927年8月23日 - 2013年5月15日)は、日本の法学者。学位は法学博士。専門は民法。第11代一橋大学学長、一橋大学名誉教授。広島市生まれ。位階は従三位。父の川井清一郎は川井訓導事件で知られる教育者。 我妻栄の最後の弟子であるとされている[要出典]。北海道大学法学部教授を経て、1971年4月、長らく民法の専任教員が好美清光1名しかいなかった一橋大学法学部の教授に島津一郎とともに就任する。1986年には今井賢一商学部長が学長選の学生投票で除斥され、種瀬茂学長が心労で急逝するなど混乱が生じる中、学園紛争期の都留重人第6代学長以来となる史上2人目の一橋出身者以外の学長として、第11代一橋大学学長に選出された。
井上 昭文(いのうえ しょうぶん、1927年8月22日 - … 井上 昭文(いのうえ しょうぶん、1927年8月22日 - 2013年1月28日)は、日本の俳優。本名は同じ。 愛知県名古屋市出身。中京商業高等学校卒業。劇団新人会を経て、六芸社、グループ71に所属していた。 妻は女優の第1回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した馬場恵美子。 俳優座養成所2期生。養成所卒業後、劇団新人会の創立メンバーの一員となる。 色川武大の『浅草葬送譜』によれば、名古屋から家出をして清水金一の付き人をしていたという。中京商業が母校。 東宝で若干のキャリアを積んだ後、1957年に『幕末太陽傳』で日活デビュー。1961年から1965年までは日活と専属契約を結び、名バイプレイヤーとして数多くの作品に出演し、石原裕次郎、小林旭、吉永小百合らのスターを引き立てながら、日活映画の黄金期を支えた。
谷村 友一(たにむら ともいち、1927年8月22日 - 2… 谷村 友一(たにむら ともいち、1927年8月22日 - 2022年7月31日)は、日本のプロ野球審判員。所属はセントラル・リーグ。京都府出身(出生地はアメリカ・ニューヨーク)。 1927年、父親の駐在先であるニューヨークで生まれる。5歳で帰国した。 旧制同志社中学(現:同志社高校)、同志社大学から極東商事(現:三菱商事入社。選手時代は二塁手で、甲子園出場は無いが、大学では4年生時に主将を務め、1950年秋のリーグ優勝に貢献し、最高殊勲選手賞を受賞している。また、1952年に社会人野球チーム・京都クラブで第23回都市対抗野球大会への出場経験がある。 大学卒業後、24歳から旧関西六大学野球と高校野球で審判員を務め、1955年から甲子園大会も担当。
稲田 祐二(いなだ ゆうじ、1927年8月22日 - 201… 稲田 祐二(いなだ ゆうじ、1927年8月22日 - 2012年3月2日)は、日本の生化学者。専攻はタンパク質工学。東京工業大学名誉教授。 神戸市出身。2012年3月2日、悪性リンパ腫により死去。84歳没。
堀 幸夫(ほり ゆきお、1927年〈昭和2年〉8月22日 -… 堀 幸夫(ほり ゆきお、1927年〈昭和2年〉8月22日 - 2024年〈令和6年〉7月5日)は、日本の機械工学者。東京大学名誉教授、金沢工業大学学事顧問。日本学士院会員。オイルウィップ、潤滑、プラスチック材料の研究で知られる。東京府出身。
下飯坂 菊馬(しもいいざか きくま、1927年8月22日 -… 下飯坂 菊馬(しもいいざか きくま、1927年8月22日 - 2008年4月10日)は、日本の脚本家。 東京都世田谷区生まれ。父は裁判官の下飯坂潤夫。子供の頃、父の転勤に伴って鳥取県へ転校するも、その後再び東京へ戻る。 旧制麻布中学校、東京外国語大学ロシア語科卒。大学4年生の時から約4年間結核を患って闘病生活をしていた。役所勤務、ロシア語教師を経て、大学の同窓生の脚本家・山内久の勧めで大映シナリオ作家養成所に入所。1955年大映シナリオ作家養成所卒業(同所の同期に野上龍雄、安倍徹郎らがいる)、5年間専属ライターとして勤務の後フリー。女を主人公としたアクション映画、やくざ映画などを得意とした。映画のほか、テレビドラマのシナリオも多数執筆した。
飯田 清悦郎(いいだ せいえつろう、1927年8月22日 -… 飯田 清悦郎(いいだ せいえつろう、1927年8月22日 - )は、日本のジャーナリスト。 北海道爾志郡熊石町(現・二海郡八雲町)生まれ。筆名・富岡良介。1953年法政大学社会学部卒、北海道経済新聞、産経新聞経済部記者をへて、フリージャーナリスト。1976年北海道乙部町でブドウ栽培とワイン生産を始めた。
平井 富雄(ひらい とみお、1927年8月21日 - 199… 平井 富雄(ひらい とみお、1927年8月21日 - 1993年1月26日)は、日本の医学者、精神科医。 東京生まれ。東京大学医学部卒業。学位は、医学博士(東京大学・1960年)(学位論文「坐禅の脳波的研究」)。東京大学医学部附属病院分院長、東京家政大学教授、日本精神神経学会理事長(任期:1973年 - 1977年)も務めた。 禅宗の僧侶を脳波測定し、α波など、精神状態と脳波の関連性について研究を行った。脳波研究での草分け的な存在。日本睡眠学会の設立にも参加した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
金馬 昭郎(きんば あきお、1927年8月18日 - 201… 金馬 昭郎(きんば あきお、1927年8月18日 - 2019年4月15日)は、日本の実業家。京阪電気鉄道社長、会長などを務めた。 大分県大分市出身。大分県立大分上野丘高等学校、東京大学第二工学部土木工学科卒業。1951年4月、京阪電気鉄道に入社。主に技術畑を歩み、1977年から取締役、常務、専務を経て1992年から副社長。1995年から社長に就任。京阪神急行電鉄(1943年に阪神急行電鉄と京阪電気鉄道が合併して発足。企業としては現在の阪急阪神ホールディングス)から京阪電鉄が再分離した後に入社した、初の社長となった。社長時代は子会社の整理など事業の構造改革に取り組んだ。2001年に社長を退任。尚、後任の社長の佐藤茂雄も同郷・大分県出身である。
城山 三郎(しろやま さぶろう、1927年(昭和2年)8月1… 城山 三郎(しろやま さぶろう、1927年(昭和2年)8月18日 - 2007年(平成19年)3月22日)は、日本の小説家。本名は、杉浦 英一(すぎうら えいいち)。
細田 安兵衛(ほそだ やすべえ、1927年8月18日 - 2… 細田 安兵衛(ほそだ やすべえ、1927年8月18日 - 2021年11月3日)は、日本の実業家。榮太樓總本鋪第6代社長、相談役。幼名は恕夫。 1927年東京都中央区日本橋一丁目生まれ。1950年慶應義塾大学経済学部卒業。株式会社榮太樓總本鋪入社。1972年代表取締役社長に就任。1995年代表取締役会長に就任。2000年相談役に就任。
辻内 順平(つじうち じゅんぺい、1927年〈昭和2年〉8月… 辻内 順平(つじうち じゅんぺい、1927年〈昭和2年〉8月18日 - 2024年〈令和6年〉12月29日)は、日本の物理工学者。専門は応用光学。東京工業大学名誉教授。応用物理学会会長(1988年度-1989年度)。工学博士。 1927年8月18日、和歌山県那賀郡粉河町に生まれた。旧制第八高等学校を経て、1951年に東京大学理学部天文学科を卒業した。同年、通商産業省工業技術院機械試験所(現在の産業技術総合研究所)に入所し、光学顕微鏡の結像特性に関する研究に携わった。1958年9月から1960年4月まで、フランス政府技術留学生およびCNRS研究員として、パリの光学研究所に在籍し、光学研究に従事した。
渡辺 宏(わたなべ ひろし、1927年8月18日 - 200… 渡辺 宏(わたなべ ひろし、1927年8月18日 - 2007年7月17日)は、日本の経営者、理学博士。日立マクセル社長を務めた。 長野県出身。1952年に東京大学理学部物理学科を卒業し、同年に日立製作所に入社。1973年11月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1983年6月に専務、1985年6月に副社長を経て、1989年6月には日立マクセル社長に就任。1995年6月から相談役を務めた。1996年6月に東電工業監査役に就任。 1989年4月に藍綬褒章を受章。 2007年7月17日虚血性心疾患のために死去。79歳没。
坂本 昇一(さかもと しょういち、1927年(昭和2年)8月… 坂本 昇一(さかもと しょういち、1927年(昭和2年)8月18日 - )は、日本の教育学者。千葉大学名誉教授。 神奈川県川崎市生まれ。1945年海軍兵学校中退、1947年(旧制)横浜工業専門学校(のち横浜国立大学工学部)卒業、横浜市の中学校教諭となり、1956年東京教育大学卒、64年同大学院博士課程満期退学後、都立教育研究所員。千葉大学教育学部助教授、教授。1970年「アメリカのガイダンスにおける哲学的前提に関する研究」で東京教育大学より教育学博士の学位を取得。1992年千葉大を定年退官、名誉教授、聖徳大学教授、同児童学研究所長。文部省の「児童生徒の問題行動に関する調査研究協力者会議」主査。1998年「学校は万能ではない」として限界主義の答申を行う。
宗藤 尚三(むねとう しょうぞう、1927年(昭和2年)8月… 宗藤 尚三(むねとう しょうぞう、1927年(昭和2年)8月18日 - 2016年(平成28年)10月30日)は、日本の随筆家であり、牧師、教育者、被爆者でもある。倉田百三の甥。 広島市内にて、アメリカによる原子爆弾の爆心地から約1kmの至近距離で被爆。生死をさまようも89歳の長寿を全うした。一般市民をも標的にした原爆投下について、被爆者としては珍しくアメリカに恨みを持つのではなく、軍事主義であった日本国の責任もあると語った。中立の立場から平和について語り、多くの書籍を出版した。死の境目であった己が生かされていることを神に感謝し、宗教学者として様々な宗教への関わりや知識がある。 被爆の後に広島大学中退、東京神学大学大学院修了。
林 董一(はやし とういち、1927年8月18日 - 201… 林 董一(はやし とういち、1927年8月18日 - 2018年9月21日)は、日本の法制史学者。 名古屋市東区七間町(現・中区錦三丁目)、伸銅品販売の小舗岐阜屋東助こと、岐阜東商店の長男として出生。名古屋薬学専門学校(現・名古屋市立大学薬学部)、名古屋帝国大学法学部から、名古屋大学大学院(旧制)に進み、1959年修了。1957年愛知学院大学法学部講師に嘱任、助教授、教授となり、2004年定年、名誉教授。日本法制史担当。1962年「尾張藩公法史の研究」で京都大学法学博士(旧制)の学位を受く。薬剤師免許。城山三郎の妹を妻とする(生年月日も城山と同じである)。
埴原 和郎(はにはら かずろう、1927年〈昭和2年〉8月1… 埴原 和郎(はにはら かずろう、1927年〈昭和2年〉8月17日 - 2004年〈平成16年〉10月10日)は、日本の自然人類学者。東京大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。 1927年、福岡県北九州市で生まれた。明星中学校、旧制成蹊高等学校を経て、東京大学理学部人類学科に進学した。同大学大学院(旧制)を修了。1958年、学位論文『日本人及び日米混血児乳歯の研究』を東京大学に提出して理学博士号を取得。 1958年、札幌医科大学法医学教室助教授に就いた。1972年、東京大学理学部人類学教室教授となった。1984年からは東京大学総合研究資料館館長を兼任(1985年まで)。1987年に国際日本文化研究センター教授となり、同年は東京大学教授も兼任した。
金子 佐一郎(かねこ さいちろう、1927年〈昭和2年〉8月… 金子 佐一郎(かねこ さいちろう、1927年〈昭和2年〉8月16日 - 2014年〈平成26年〉8月9日)は、日本の地方政治家、教育者。第5代東京都調布市長。位階は正六位。 1951年(昭和26年)、日本大学農獣医学部畜産学科卒業。卒業後は東京都青少年委員、公明選挙推進委員を経て、保護司となった。1963年(昭和38年)、調布市議会議員に当選し、自民党系の会派に所属した。都議会議員選挙立候補のため、1965年(昭和40年)7月8日付で辞職した。同月の都議選に調布市選挙区から自民党公認で立候補したが、落選した。1966年(昭和41年)3月、私立調布若竹幼稚園(現・学校法人泳光学園調布若竹幼稚園)を開園し、自ら理事長となった。
粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日… 粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日 - 2024年(令和6年)4月19日)は、日本の文芸評論家、フランス文学者、美術評論家、詩人、翻訳家。日本芸術院会員。「歴程」同人。法政大学名誉教授。 1927年、愛知県西尾市生まれ。京都府立第一中学校、第三高等学校で学び、卒業した。1948年、東京帝国大学文学部仏文科に入学。1952年に東京大学を卒業し、その後はフランス文学の翻訳、美術評論等を多く手掛けた。 1964年に法政大学経済学部助教授となり、後に教授昇格。1997年に法政大学を定年退職して名誉教授となった。草野心平と1960年代に出会って以降、生涯にわたって交友が深く、後にいわき市立草野心平記念文学館長を務めた。
金谷 英一(かなたに えいいち、1927年8月15日 - )… 金谷 英一(かなたに えいいち、1927年8月15日 - )は、日本の建築生産・建築環境工学者。建築設備士。工学博士(京都大学)。大阪工業大学名誉教授。元建築学教室担当。空気調和・衛生工学会特別会員・元理事。 専門は、建築環境工学、建築生産/建築設備。 1951年京都大学工学部建築学科卒業。1954年京都大学大学院工学研究科特別研究生前期修了(指導教授:建築環境工学の第一人者で日本建築学会会長を務めた前田敏男)、のちに工学博士(京都大学)。1955年大阪工業大学工学部建築学科に講師として着任、建築学教室を担当。1964年同学科助教授を経て、1974年同学科教授。1995年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部建築学科にて40年の長きに渡り教鞭を執り、大学初期の建築環境工学および建築生産/建築設備の研究育成に貢献した。
佐藤 昭夫(さとう あきお、1927年8月15日 - 200… 佐藤 昭夫(さとう あきお、1927年8月15日 - 2007年10月23日)は日本の教育者、政治家。元参議院議員(日本共産党公認、2期)。 愛知県名古屋市出身。京都大学理学部を卒業後、京都市立日吉ヶ丘高等学校教諭を務める傍ら、1958年京都教職員組合役員に就任。 1977年の参院選に京都府選挙区から立候補し初当選。1983年の参院選でも再選を果たすが、1989年の参院選で次点に終わる。 2007年10月23日、肺炎のため京都府宇治市の病院で死去。80歳。
神阪 昂哉(こうさか たかや、1927年8月15日 - )… 神阪 昂哉(こうさか たかや、1927年8月15日 - )は、日本の銀行家、経営者。近畿銀行社長を務めた。 奈良県出身。1947年に法政大学専門部政経科を卒業し、1950年に近畿相互銀行に入行。1968年に取締役に就任し、1975年5月に常務、1979年6月に副社長を経て、1983年6月には社長に就任。1993年6月からは会長を務めた。
角道 謙一(かくどう けんいち、1927年〈昭和2年〉8月1… 角道 謙一(かくどう けんいち、1927年〈昭和2年〉8月14日 - 2013年〈平成25年〉12月5日)は、日本の農林官僚。林野庁長官、農林水産事務次官を歴任し、退官後は農林中央金庫理事長を務めた。 大阪府出身。東京大学経済学部を卒業後し、1953年に農林省へ入省した。水産庁生産部海洋第一課長、農林大臣官房審議官、林野庁次長、農林水産大臣官房総務審議官を務めたのち、1981年には局長級のポストである農林水産大臣官房長に就いた。1984年7月、林野庁長官。同年11月には、農林水産事務次官に就任した。事務次官を退任後は、1987年から1990年までは農林漁業信用基金理事長、1991年から2000年までは農林中央金庫理事長を歴任した。
安西 篤子(あんざい あつこ、1927年8月11日 - )は… 安西 篤子(あんざい あつこ、1927年8月11日 - )は、日本の小説家。 兵庫県武庫郡須磨村(神戸市須磨区)村雨町生まれ。父は福島県出身で横浜正金銀行に勤務した安西政一郎。母は東京都の出身。妹に作家の杉本晴子がいる(本項に記述)。生後間もなく父の勤務でドイツに渡り、1933年まで在住した。ドイツ滞在中、ベルリンで群衆の歓呼に応えるアドルフ・ヒトラーを目撃する(「あの日、ヒトラーを見た私」新潮社「波」2021年5月号)。帰国後の1935年、再び父の転勤で中国へ渡り、青島高等女学校を経て1941年に帰国。1945年神奈川県立横浜第一高等女学校(現・神奈川県立横浜平沼高等学校)卒。1946年冨中暁と結婚、長女、長男を儲ける。
中西 信男(なかにし のぶお、1927年(昭和2年)8月10… 中西 信男(なかにし のぶお、1927年(昭和2年)8月10日 - 2000年(平成12年)11月5日)は、日本の青年・児童心理学者。大阪大学人間科学部教授を経て、大阪大学名誉教授。従四位勲三等瑞宝章。 東京生まれ。東京大学文学部卒業。 東京家庭裁判所、最高裁判所勤務、1976年大阪大学人間科学部教授、1991年定年退官、名誉教授、明治学院大学文学部教授(人格心理学)。 没後従四位勲三等瑞宝章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
石井 勝(いしい まさる、1927年〈昭和2年〉8月9日 -… 石井 勝(いしい まさる、1927年〈昭和2年〉8月9日 - 2009年〈平成19年〉9月27日)は、日本の経営者。高砂熱学工業社長、同会長。海軍兵学校75期。 東京都出身。1945年10月、海軍兵学校75期卒業、1951年に慶應義塾大学工学部機械学科を卒業し、同年に高砂熱学工業に入社した。1972年5月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1983年6月に専務、1985年6月に副社長を経て、1986年4月に社長に就任。2004年4月に会長に就任。 2009年9月27日、死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
銀林 浩(ぎんばやし こう、1927年〈昭和2年〉8月9日 … 銀林 浩(ぎんばやし こう、1927年〈昭和2年〉8月9日 - 2020年〈令和2年〉8月18日)は、日本の数学者。数学教育運動家。明治大学名誉教授。 東京出身。旧制第一高等学校を経て、東京大学理学部数学科卒業。遠山啓とともに考案した四則計算の指導体系「水道方式」を提唱。1962年、日大数学科事件に伴い日本大学講師を退職。ファン・デル・ヴェルデンの現代代数学の名訳で知られている。同書は2018年に第1巻のみ復刊された。
小西 正泰(こにし まさやす、1927年8月9日 - 201… 小西 正泰(こにし まさやす、1927年8月9日 - 2013年8月25日)は、日本の昆虫学者。 1927年、兵庫県西宮市に生まれる。父の小西正倫は、三重県出身で麹町区平河町の日本赤十字医師小西功の次男として1891年生まれた。祖父の小西正職は津藩士であった。父は俳人として翠雨と号し、のちに藤田組の監査役となっている。父の兄の正道は園芸家で駒沢で農園を営んだ。 父親の仕事の関係で小学生時代は秋田県で過ごす。青森県立弘前中学校(現:青森県立弘前高等学校)を卒業。北海道大学農学部農業生物学科を卒業。北海道大学大学院農学研究科修士課程修了、1961年「日本列島産キクイゾウムシ亜科(鞘翅目、象鼻虫科)の分類学的研究」で農学博士。
十代目 岩井 半四郎(いわい はんしろう、1927年〈昭和2… 十代目 岩井 半四郎(いわい はんしろう、1927年〈昭和2年〉8月8日 - 2011年〈平成23年〉12月25日)は、俳優、歌舞伎役者、日本舞踊家。屋号は大和屋。定紋は丸に三ツ扇、替紋は杜若丁字。俳名に杜若・紫若・扇蝶。本名は仁科 周芳(にしな ただよし)。所属事務所はミナァバ。明治大学文芸科卒業。 舞踊家花柳壽太郎の長男として東京に生まれる。1935年有楽座の『侠艶録』で仁科周芳で初舞台。1939年2月、二代目市川猿之助の門人となり二代目市川笑猿を襲名。同年5月有楽座『隅田川続俤』「法界坊」で里の子喜三松。1951年10月歌舞伎座『源氏物語』の若き光の君と『寿曽我対面』の化粧坂少将で十代目岩井半四郎を襲名。
萩中 美枝(はぎなか みえ、1927年〈昭和2年〉8月7日 … 萩中 美枝(はぎなか みえ、1927年〈昭和2年〉8月7日 - 2021年〈令和3年〉4月4日 )は、アイヌ文化研究家。夫はアイヌ出身の言語学者である知里真志保。 北海道様似郡様似村に麹製造業・萩中与三治の長女として生まれる。庁立旭川高等女学校(現・北海道旭川西高等学校)を卒業し、郷里の国民学校で2年間、助教諭として勤務する。1948年(昭和23年)の夏、様似町の友人の家で知里真志保を紹介され、いっしょにアポイ岳に登る。知里は萩中をアイヌ語やアイヌ文化の研究に導いた。 1956年(昭和31年)8月に、北海道大学文学部に勤務していた知里から求婚され、同年秋に結婚。自身は再婚(知里は再々婚)で、前夫は知里の弟子。
杉山 光平(すぎやま こうへい、1927年8月7日 - )は… 杉山 光平(すぎやま こうへい、1927年8月7日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。「円月打法」という独特の打撃フォームで人気のあった職人的左打者。