堀江 謙一(ほりえ けんいち、1938年〈昭和13年〉9月8… 堀江 謙一(ほりえ けんいち、1938年〈昭和13年〉9月8日 - )は、日本の海洋冒険家(ソロセーラー、ヨットマン)。大阪府大阪市生まれ。兵庫県芦屋市在住。 1962年、日本人として初めて、小型ヨットによる太平洋単独無寄港横断に成功。1974年、日本初の小型ヨット単独無寄港世界一周に成功。 アマチュア無線家でもある。コールサインはJR3JJE。 大阪市港区で生まれた。 太平洋戦争の末期には大阪府下の箕面村(今の箕面市)で一家で暮らした。1945年(昭和20年)の3月から8月にかけて、大阪市への空襲の際は、遠く離れた堀江のいた箕面市にも爆発音や衝撃波が届くような状況であった。このため太平洋横断中、ミッドウェー島の近くに来た時に、島に向かって死去した兵士に黙祷した。
桑山 正進(くわやま しょうしん、1938年9月8日 - )… 桑山 正進(くわやま しょうしん、1938年9月8日 - )は、東洋学・考古学者、京都大学人文科学研究所名誉教授。 1938年、東京市(現港区)で生まれた。1963年、京都大学文学部考古学科を卒業し、同大学大学院に進んだ。博士課程満期退学。 1986年、学位論文『カーピシー=ガンダーラ史研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。京都大学人文科学研究所教授。1999年9月から2001年10月まで第20代所長を務めた。2002年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。
神戸 一郎(かんべ いちろう、1938年(昭和13年)9月7… 神戸 一郎(かんべ いちろう、1938年(昭和13年)9月7日 - 2014年(平成26年)4月27日)は日本の元歌手、元俳優、実業家。本名:前原 正捷(まえはら まさかつ)。 兵庫県神戸市出身。兵庫県立夢野台高等学校、神戸商科大学卒業[要出典]。芸名は、デビュー前にレコード店で芸名を募集したうえで、作曲家の上原げんとによって命名された。歌手の藤山一郎のような美声と歌の上手さから、「神戸の藤山一郎」…神戸一郎になった[要出典]。 高校時代から、のど自慢に出場し、1957年(昭和32年)、第8回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、コロムビアの専属歌手になる。 同年12月、「十代の恋よさようなら」でデビュー。
青山 太郎(あおやま たろう、1938年9月5日 - 202… 青山 太郎(あおやま たろう、1938年9月5日 - 2024年1月)は、日本のロシア文学者。 1938年、東京で生まれた。私立武蔵高校を卒業後、早稲田大学に進学。文学部ロシア文学科を卒業し、同大学院修士課程修了。 卒業後は九州大学教養部助教授となり、同言語文化部教授を務めた。2002年に九州大学を定年退官した。
坂口 俊一(さかぐち しゅんいち、1938年9月5日 - )… 坂口 俊一(さかぐち しゅんいち、1938年9月5日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。 成章高校から1957年に中日ドラゴンズへ入団。1961年に引退し、中日の2軍マネージャーを務めていたが1963年に現役復帰。同年再び引退した。
福居 純(ふくい あつし、1938年9月5日 - )は、日本… 福居 純(ふくい あつし、1938年9月5日 - )は、日本の哲学者、文学部哲学科元教授(一橋大学・東京都立大学名誉教授)。
府主教ダニイル(ロシア語: Даниил、俗名: 主代郁夫 … 府主教ダニイル(ロシア語: Даниил、俗名: 主代郁夫 - ぬしろいくお、1938年9月5日 - 2023年8月10日)は、日本ハリストス正教会の首座主教。正式な称号は「東京の大主教・全日本の府主教」。「ダニイル」は聖名であり、「モスクワの大公聖ダニイル」を記憶する。聖名日は9月12日。 日本正教会においては通例、「ダニイル府主教」と表記される。日本正教会(のみならずスラヴ系の正教会)では「大主教」よりも「府主教」の方が格上の称号であり、いずれか一つのみの称号を冠する場合は「府主教」を用いる。 前任の首座主教であったフェオドシイ永島新二府主教が1999年5月7日に永眠した後、後継として日本正教会において選立された。
渡会 純男(わたらい すみお、1938年9月4日 - )は、… 渡会 純男(わたらい すみお、1938年9月4日 - )は、大分県出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
野依 良治(、1938年9月3日 - )は、日本の化学者(有… 野依 良治(、1938年9月3日 - )は、日本の化学者(有機化学)。学位は工学博士(京都大学・1967年)。国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター長、名古屋大学特別教授、名城大学客員教授、高砂香料工業株式会社取締役。日本学士院院長。2001年に「キラル触媒による不斉反応の研究」が評価されノーベル化学賞を受賞した。 名古屋大学大学院理学研究科研究科長、理学部長、物質科学国際研究センター長、独立行政法人理化学研究所理事長などを歴任した。 1938年9月、兵庫県武庫郡精道村(当時)に野依金城・鈴子の長男として生まれた。1945年に終戦を迎え、疎開先から神戸市に戻り、兵庫師範学校男子部附属小学校(神戸大学附属住吉小学校の前身)に学んだ。
才口 千晴 (さいぐち ちはる、男性、1938年9月3日 -… 才口 千晴 (さいぐち ちはる、男性、1938年9月3日 - 2024年4月17日)は、弁護士、元最高裁判所判事(2004年1月6日 - 2008年9月2日)。長野県上水内郡豊野町(現長野市)出身。 破産法の専門家で、ダイエー再建時の2003年頃、企業再生ファンド アドバイザーを務めた。2001年から2003年にかけて、ラジオ番組「テレフォン人生相談」(ニッポン放送)に回答者として出演していた。現在はTMI総合法律事務所に所属。
汐澤 安彦(しおざわ やすひこ、1938年9月3日 - 20… 汐澤 安彦(しおざわ やすひこ、1938年9月3日 - 2025年1月7日)は、日本の指揮者。新潟県上越市出身、東京吹奏楽団名誉指揮者、東京音楽大学名誉教授。本名、飯吉靖彦。 これまで、新星日本交響楽団など全国各主要オーケストラを指揮しているが、特に吹奏楽での活動が顕著であり、東京吹奏楽団、シエナ・ウインド・オーケストラ、東京佼成ウインドオーケストラ、東京アカデミック・ウインドオーケストラ(現:ジャパンスーパーバンド)、フィルハーモニア・ウィンド・アンサンブル(現:ニューフィルハーモニア・ウィンド・オーケストラ)、東京音楽大学シンフォニックウインドアンサンブル、その他多くのアマチュア吹奏楽団を指揮し、演奏会、録音など幅広く演奏活動を行った。
三浦 清弘(みうら きよひろ、1938年9月2日 - 201… 三浦 清弘(みうら きよひろ、1938年9月2日 - 2016年3月27日)は、大分県別府市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。 別府鶴見丘高では1年先輩の稲尾和久と投げ合ったこともあり、3年次の1956年、エースとして夏の甲子園に出場。1回戦で足利工を降すが、2回戦では米子東高に0-1で惜敗。 卒業後の1957年、同期の右翼手の山本征良と共に南海ホークスへ入団。1年目から一軍で登板機会こそ得たものの、1961年までは目立った活躍はできなかった。 1962年には開幕から先発陣の一角に組み込まれ、生涯最高の成績となる17勝、初めて規定投球回にも達してリーグ8位の防御率2.62を記録。本人はこのシーズン、それまでのシーズンと異なり監督の鶴岡一人に安定して一軍で重用されたことが大きいと後に振り返っている。
土手 重治(どて しげはる、1938年9月2日 - 2025… 土手 重治(どて しげはる、1938年9月2日 - 2025年3月23日)は、日本の経営者。JFEエンジニアリング社長を務めた。 高知県出身。1961年に京都大学工学部航空工学科を卒業し、同年に日本鋼管に入社。1991年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務、1997年6月に副社長を経て、2003年4月から2004年4月までにJFEエンジニアリング社長を務めた。 2025年3月23日死去。86歳没。
黒川 鍾信(くろかわ あつのぶ、1938年9月2日 - )は… 黒川 鍾信(くろかわ あつのぶ、1938年9月2日 - )は、英文学者、随筆家、明治大学名誉教授。 東京市生まれ。明治学院大学大学院修士課程修了。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)へ留学。明治大学短期大学助教授、教授。2004年情報コミュニケーション学部教授、2009年定年退職、名誉教授。 専門分野は英詩だが、ウィスコンシン州における教育や、家業を継いだ自分のこと、近代東京を中心とした著作などがある。2001年『神楽坂ホン書き旅館』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞、2006年の『旅に出よう船で』で日本自分史学会優秀賞受賞。 叔母(母の妹)の一人が女優の木暮実千代で、その評伝も出版している。
なかにし 礼(なかにし れい、本名:中西 禮三(なかにし れ… なかにし 礼(なかにし れい、本名:中西 禮三(なかにし れいぞう)、1938年〈昭和13年〉9月2日 - 2020年〈令和2年〉12月23日)は、日本の小説家、作詞家。 満洲国の牡丹江省牡丹江市(現在の中華人民共和国黒竜江省)生まれ。両親は酒造業で成功を収めていた。終戦後、満洲からの引き揚げでは家族とともに何度も命の危険に遭遇、この体験は以後の活動に影響を与えた。実兄・正一は特攻隊に配属されたが終戦となった。8歳の時に小樽に戻るが、兄の事業の失敗などで小学校時代は東京と青森(青森市立古川小学校)で育ち、中学から東京品川区大井町に落ち着く。東京都立九段高等学校卒業後、シャンソン喫茶でアルバイトをした。
水越 浩士(みずこし こうし、1938年(昭和13年)9月1… 水越 浩士(みずこし こうし、1938年(昭和13年)9月1日 - )は、日本の実業家。神戸製鋼会長。朝鮮京城府の生まれで、1945年引き揚げ後中学校まで父の郷里広島県豊田郡大崎上島で育つ。東京教育大学附属駒場高等学校を経て1961年3月に東京大学経済学部を卒業し、同年に神戸製鋼入社。
丸山 敬一(まるやま けいいち、1938年9月1日 - )は… 丸山 敬一(まるやま けいいち、1938年9月1日 - )は、日本の政治学者、中京大学名誉教授。 長野県伊那市生まれ。1966年京都大学法学部卒。1976年大阪市立大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学、中京大学法学部助教授、81年教授、87-89年法学部長。2001-03年法学研究科長、2009年定年退職、名誉教授。91年「マルクス主義と民族自決権」で、法学博士(大阪市立大学)の学位を取得。専攻はドイツ、オーストリアの政治思想史。
清水 隆雄(しみず たかお、1938年9月 - )は、日本の… 清水 隆雄(しみず たかお、1938年9月 - )は、日本の経営者。三井不動産販売代表取締役社長や、不動産流通経営協会理事長を務めた 1961年慶應義塾大学経済学部卒業、 三井不動産入社。都市開発部門を歩み、三井不動産取締役都市開発事業部長を経て、1998年から三井不動産販売代表取締役社長。1999年から不動産流通経営協会理事長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山本 兵吾(やまもと ひょうご、1938年8月31日 - 1… 山本 兵吾(やまもと ひょうご、1938年8月31日 - 1999年9月16日)は、広島県出身のプロ野球選手(投手)。 福山誠之館高校、備後通運から専修大学へ進学。東都大学リーグでは在学中4回優勝。同期のエース坂井勝二の陰に隠れがちだったが、坂井は3年で中退しプロ入り。その後はエースの座を引き継ぎ、4年生時は1960年春季リーグで8勝2敗を記録。チームは2位に終わるが最優秀投手、ベストナインに選出される。同年秋季リーグでは8勝3敗を挙げて優勝に貢献、最高殊勲選手とベストナインを受賞。リーグ通算36試合登板し18勝6敗、防御率1.59、141奪三振。坂井以外の大学同期に小池兼司、1年下に堀込基明がいる。
鳥居 宏次(とりい こうじ、1938年8月30日 - )は、… 鳥居 宏次(とりい こうじ、1938年8月30日 - )は、日本の計算機科学者。国立大学法人・奈良先端科学技術大学院大学特任教授。大阪府東大阪市出身。 ソフトウェア作成の観察実験など、数値化を重視した実証的といわれるソフトウェア工学の研究をしたという評価がある。 2006年、情報化月間推進会議(議長:児玉幸治・日本情報処理開発協会会長)が表彰する『平成18年度情報化促進貢献個人表彰』において『経済産業大臣表彰(情報化促進部門)』を受ける。表彰理由は「エンピリカルソフトウェア工学を提唱し、ソフトウェア工学に関する国際的な研究組織の創設に主導的な役を果たす。文部科学省「データに基づくソフトウェア開発支援システム(EASEシステム)」プロジェクトにおいて研究代表者を務め、産業界と学会との連携の枠組みの構築に大きく寄与」となっている。
清川 新吾(きよかわ しんご、1938年8月30日 - 20… 清川 新吾(きよかわ しんご、1938年8月30日 - 2012年7月25日)は日本の俳優。本名は峰 新吾。 東京都渋谷区幡ヶ谷出身。法政大学卒業。 松竹出身。エヌ・エー・シー、細谷事務所に所属していた。 父は元東宝プロデューサーの清川峰輔。妻は女優の千曲里子。元妻は女優の泉京子。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
横田 弘之(よこた ひろゆき、1938年8月29日 - )は… 横田 弘之(よこた ひろゆき、1938年8月29日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。 愛媛県議会議員(8期)、愛媛県議会議長(第95代)、地域政党愛媛維新の会代表などを務めた。 愛媛県宇和島市生まれ。宇和島市立明倫小学校、南宇和郡緑僧郡村立緑小学校、松山市立石井中学校、愛媛県立松山東高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。 1964年に参議院議員の増原惠吉、1983年には衆議院議員の今井勇の秘書を務める。1991年に愛媛県議会議員選挙で立候補し、初当選した。 自由民主党に所属していたが、2010年の松山市長選挙では自民党推薦の新人候補を支持せず、野志克仁を応援したため、県連から除名処分を受ける(市長選では野志が当選)。
伊東 靖倖(いとう やすゆき、1938年(昭和13年)8月2… 伊東 靖倖(いとう やすゆき、1938年(昭和13年)8月27日 - 2026年3月1日(87歳没))は、ローマ五輪日本代表のボクサー。 東京都立江北高等学校を経て、早稲田大学に入学。在学中に、1960年ローマオリンピックで男子ライト級に出場し、3回戦で敗退した。
木村 かほる(きむら かほる、1938年〈昭和13年〉8月2… 木村 かほる(きむら かほる、1938年〈昭和13年〉8月27日 - )は、青森県八戸市出身の特定失踪者。特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1960年(昭和35年)2月、秋田県秋田市で失踪した。失踪当時は21歳であった。 1938年〈昭和13年〉8月27日生まれ。戸籍上は「かをる」だが、日常では「かほる」としていた。 幼少期、大日本帝国陸軍の獣医師だった父の仕事の関係で家族とともに満洲国に渡ったが、母・姉・かほるは第二次世界大戦直後、参戦したソヴィエト連邦軍の侵攻から逃れてたどり着いた平壌で抑留されて収容所生活を送った。かほるの姉は病弱な母とまだ幼かった妹の手を引き、8キロメートルの道を歩き続けて北緯38度線を越え、青森県八戸市に引き揚げた。
初鹿 勇(はつしか いさむ、1938年8月26日 - 202… 初鹿 勇(はつしか いさむ、1938年8月26日 - 2024年11月4日)は、山梨県出身の日本のアマチュア野球選手(外野手)、高校野球指導者。 山梨県出身。地元の巨摩高校卒業後は、東都大学野球連盟所属の駒澤大学に進学。大学卒業後は、社会人野球の電電関東に入社し、俊足巧打の外野手として活躍。 選手としての現役引退後は高校野球の指導者として活動を始める。地元・山梨の塩山商業高校の監督を28年務める。当時は無名だった同校を1976年夏開催の第58回全国高等学校野球選手権大会へと導き、春夏通じて初の甲子園出場を果たした。 1996年に同じ県内の私立・日本航空高校の監督に就任。当時は山梨県大会においても1勝から2勝程度のチームではあったが精度の高いノックや選手のスカウティング活動に力を入れ、就任3年目の1998年春開催の第70回選抜高等学校野球大会に同校を春夏通じて初の甲子園出場に導き、1勝を上げている。
広原 盛明(ひろはら もりあき、1938年8月26日 - )… 広原 盛明(ひろはら もりあき、1938年8月26日 - )は、日本の都市研究者。専攻は都市政策、住宅・都市計画学。 満州国ハルビン市生まれ。1961年京都大学工学部建築学科卒業、同大学院工学研究科建築学専攻博士課程退学ののち、同大学助手・講師を務めた。京都府立大学に赴任、1971年助教授、1985年教授、1992年-1998年学長を歴任した。この間、1971年に結成された京都市電の存続を目指す市民団体「京都の市電をまもる会」の事務局長を務めている。 工学博士、京都府立大学名誉教授。 2000年より龍谷大学法学部教授。2004年2月8日執行の京都市長選挙に日本共産党推薦で立候補、17万票余を得たが落選した。
松田 ひろむ(まつだ ひろむ、1938年8月25日 - )は… 松田 ひろむ(まつだ ひろむ、1938年8月25日 - )は、俳人。本名は英孝(ひでたか)。第28回現代俳句評論賞、第9回新俳句人連盟賞、第1回雑草賞受賞。古沢太穂師系「鴎座」代表、現代俳句協会参与、新俳句人連盟永年会員。 1938年8月25日、高知県高知市小津町に生まれる。高知市立城北中学校・高知県立高知工業高等学校機械科卒業。高校時代、秋元不死男の「氷海」に入会。高校卒業後、東京電力に入社。鶴見火力発電所、千曲川電力所、新東京火力発電所、大井火力発電所に勤務。1972年「沙羅」と合併し古沢太穂主宰となった「道標」に同人として参加。1974年藤田湘子の「鷹」に入会、のち同人となるも1979年退会。
村井 眞二(むらい しんじ、1938年8月24日 - 202… 村井 眞二(むらい しんじ、1938年8月24日 - 2025年6月30日)は、日本の化学者。工学博士。大阪大学・奈良先端科学技術大学院大学名誉教授。 日本化学会会長、科学技術振興機構上席フェロー、奈良先端科学技術大学院大学理事・副学長などを歴任。大阪市出身。
野田 順弘(のだ まさひろ、1938年8月24日 - )は日… 野田 順弘(のだ まさひろ、1938年8月24日 - )は日本の実業家、馬主。 オービック代表取締役会長。2022年のフォーブス長者番付で世界851位、日本10位。保有資産額は2022年4月時点で、35億米ドル(約4,520億円)。妻は、オービック取締役相談役の野田みづき。 1938年(昭和13年)、奈良県宇陀郡室生村(現・宇陀市)生まれ。1957年に奈良県立榛原高等学校(現・奈良県立榛生昇陽高等学校)を卒業後、近畿日本鉄道百貨店部(近鉄百貨店)、次いで東京オフィスマシンに勤める。この間、1961年に関西大学経済学部を卒業。1968年、妻とともに大阪ビジネスカンパニー(のちのオービック)を設立。
佐藤 眞(さとう しん、1938年(昭和13年)8月24日 … 佐藤 眞(さとう しん、1938年(昭和13年)8月24日 - )は、日本の作曲家。代表曲には合唱コンクールでも幅広く歌われている「大地讃頌」(『土の歌』の終曲)など。
石津 進也(いしづ しんや、1938年8月23日 - )は、… 石津 進也(いしづ しんや、1938年8月23日 - )は、日本の実業家。旭硝子代表取締役社長、取締役会議長を歴任。ベルギー王国王冠勲章コマンドール章受章。
與謝野 馨(よさの かおる、1938年(昭和13年)8月22… 與謝野 馨(よさの かおる、1938年(昭和13年)8月22日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日大綬章。学校法人文化学院院長・理事。報道や政治活動においては新字体で与謝野 馨(よさの かおる)と表記されることが比較的多い。
藤野 義昭(ふじの よしあき、1938年8月22日 - )は… 藤野 義昭(ふじの よしあき、1938年8月22日 - )は、日本の弁護士、政治活動家。北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)名誉会長、北朝鮮による拉致と人権問題にとりくむ法律家の会代表共同代表、日本会議北海道本部前議長、2007年夏まで維新政党・新風講師団。 満洲国新京生まれ。1961年中央大学法学部法律学科卒業。会社員生活を経て、1971年に32歳で司法試験合格、司法修習26期、1974年弁護士登録(札幌弁護士会)。 2008年7月3日、佐藤勝巳の後任として救う会代表に選出。7月7日、自民党幹事長経験者加藤紘一が日本BS放送の番組において、「(2002年小泉純一郎総理大臣の訪朝後に一時帰国した)拉致被害者は北朝鮮に戻すべきだった」と発言。
井坂 義雄(いさか よしお、1938年8月22日 - )は、… 井坂 義雄(いさか よしお、1938年8月22日 - )は、日本の英文学者。法政大学名誉教授。 東京生まれ。1965年法政大学文学部英文科卒、1970年同大学院博士課程中退。1971年芝浦工業大学専任講師、1973年法政大学第一教養部専任講師、1974年助教授、1976年教授、2000年国際文化学部教授、2009年定年退任、名誉教授。ペンネームは三仏生葦生。 2017年4月、瑞宝中綬章を受章。
土橋 芳邦(どばし よしくに、1938年8月21日 - )は… 土橋 芳邦(どばし よしくに、1938年8月21日 - )は、日本の実業家。クボタ代表取締役社長、学校法人大阪産業大学理事長などを務めた。 兵庫県宝塚市出身。1961年神戸大学経済学部卒業、久保田鉄工(現クボタ)入社。1982秘書室長。1989年取締役広報室担当。1991年常務取締役。1993年専務取締役。1999年から代表取締役社長を務め、不採算事業の整理などを進め全事業の黒字化を達成した。同年、日本ダクタイル鉄管協会会長に就任。2003年に相談役に退いた。2008年社友。2009年学校法人大阪産業大学理事長。
植松 敏(うえまつ さとし、1938年8月19日 - )は、… 植松 敏(うえまつ さとし、1938年8月19日 - )は、日本の官僚。特許庁長官などを歴任。 神奈川県藤沢町(現在の藤沢市)生まれ。神奈川県立湘南高等学校から東京大学に入学。東京大学法学部第2類(公法コース)在学中に国家公務員上級甲種試験をトップ合格。1961年、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業、同年通商産業省入省(大臣官房総務課)。 同期には内藤正久(産業政策局長)、佐藤剛男、山本貞一(資源エネルギー庁長官、川崎製鉄副社長)、和田文雄(日本自転車振興会副会長)、三野正博(第二電電専務)などがいるが、事務次官は出ていない。 特許庁長官を務めた後に退官してからは、中小企業金融公庫理事となり、1993年7月から1998年12月まで公正取引委員会委員。
小櫻 秀爾(こざくら しゅうじ、1938年8月19日 - )… 小櫻 秀爾(こざくら しゅうじ、1938年8月19日 - )は日本の作曲家。 愛知県名古屋市出身。1961年に愛知学芸大学(現在の愛知教育大学)を卒業した後、東京芸術大学で長谷川良夫、南弘明らに作曲を学び、1970年に卒業した。長く名古屋音楽大学に勤め、現在は名誉教授。 1977年「ふしぎなマンドリン」で第2回日本マンドリン合奏曲作曲コンクール佳作入選。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
當間 一郎(当間一郎、とうま いちろう、1938年8月19日… 當間 一郎(当間一郎、とうま いちろう、1938年8月19日 - 2020年6月18日)は、日本の沖縄芸能研究者。 サイパン島生まれ、沖縄県那覇市出身。1960年に國學院大學文学部文学科を卒業した。大学時代に宮良當壯と出会い、組踊写本などの芸能研究を行うようになり、写本の発掘・整理、組踊の復活上演、真境名由康・島袋光裕らの実演家との交流、沖縄藝能史研究会の立ち上げなど、沖縄芸能の発展と継承に貢献した。沖縄県立博物館・美術館館長も務めた。 2020年6月18日、腎臓癌のため糸満市の病院で死去。
若林 薫(わかばやし かおる、1938年8月19日 - )は… 若林 薫(わかばやし かおる、1938年8月19日 - )は、東京府東京市(現・東京都)出身の元バスケットボール選手。 東京教育大学在学中、全日本に選ばれローマオリンピックに出場。 卒業後、日本鋼管に入社。全日本で活躍し、1963年世界選手権と東京オリンピック、1967年世界選手権に出場。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
新庄 輝也(しんじょう てるや、1938年8月18日 - )… 新庄 輝也(しんじょう てるや、1938年8月18日 - )は、日本の化学者。京都大学名誉教授。紫綬褒章受章者。京都府出身。
松平 賴武(まつだいら よりたけ、1938年8月17日 - … 松平 賴武(まつだいら よりたけ、1938年8月17日 - )は、日本の教育者。高松松平家14代当主。本郷学園理事長 。公益社団法人香川県教育会会長、ボーイスカウト日本連盟理事、同国際コミッショナー、世界スカウト機構アジア太平洋地域連盟スカウト委員を歴任したほか、世界仏教スカウト協会創設に携わった。
松平 賴武(まつだいら よりたけ、1938年8月17日 - … 松平 賴武(まつだいら よりたけ、1938年8月17日 - )は、日本の教育者。高松松平家14代当主。本郷学園理事長、公益社団法人香川県教育会会長、ボーイスカウト日本連盟副理事長、公益財団法人松平公益会会長。ボーイスカウト日本連盟国際コミッショナー、世界スカウト機構アジア太平洋地域連盟スカウト委員を歴任したほか、世界仏教スカウト協会創設に携わった。2010年(平成22年)旭日小綬章受章。 高松松平家の13代当主松平頼明の長男として生まれ、終戦直後、小学2年までの2年間を香川県で過ごした。頼明(のちにボーイスカウト日本連盟理事)がスカウト運動に携わっていたことから三島通陽、久留島秀三郎、古田誠一郎、岩波信平、鳴海重和、村山有、中村知らが家に出入りしており、賴武も自身もスカウトとなる。
澤井 信一郎(さわい しんいちろう、1938年8月16日 -… 澤井 信一郎(さわい しんいちろう、1938年8月16日 - 2021年9月3日)は、日本の映画監督。 静岡県浜名郡雄踏町(現在の浜松市西区)出身。父は代用教員を経て呉服屋を経営。兄は四日市公害関係の記録人である沢井余志郎。 中学時代はハーモニカに熱中。静岡県立浜松北高等学校ではドイツ文学に熱中し、テオドル・シュトルムなどを読み耽り、その延長線上で東京外国語大学ドイツ語科に進学。学生運動に深入りし同大学社会主義学生同盟の主要メンバーとなるが、60年安保を機に運動から離れる。同大学卒業後、1961年東映入社。マキノ雅弘に師事した。 1981年、『野菊の墓』で映画監督デビュー。 1985年、『早春物語』で第26回日本映画監督協会新人賞を受賞した。
湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日… 湯川 豊(ゆかわ ゆたか、1938年8月16日 ‐ )は、日本の編集者、評論家、エッセイスト、元京都造形芸術大学教授。
橋本 卓(はしもと たかし、1938年(昭和13年)8月16… 橋本 卓(はしもと たかし、1938年(昭和13年)8月16日 - 2009年(平成21年)3月)は、日本の政治家。元大阪府箕面市長(2期)。 広島県出身。神戸大学教育学部卒。箕面市役所に入り、助役などを務める。 1993年箕面市長選挙に立候補し、当選する。1997年に再選。2000年自身の健康問題を理由に市長を辞職した。2009年死去。
小倉 純二(おぐら じゅんじ、1938年8月14日 - )は… 小倉 純二(おぐら じゅんじ、1938年8月14日 - )は、日本サッカー協会 (JFA) 第12代会長。日本サッカー界の国際的な渉外活動を長年にわたり引き受ける。またプレーヤーとしての経験が皆無でありながらも日本サッカー協会の首脳部入りした異色の経歴も持つ。2002年から2011年まで国際サッカー連盟 (FIFA) 理事およびアジアサッカー連盟 (AFC) 理事を務めた。 JFA会長に在任中、日本代表やなでしこジャパンの試合がある際には、必ずJFAハウス近くのとんかつ店で食事をするという験担ぎを行うのが恒例だった。2011年9月には男子のW杯3次予選・女子のロンドン五輪予選の日程が被り、5日間で4回とんかつを食べることになったが、それにもめげず験担ぎを続行した。
島田 節子(しまだ せつこ、1938年8月14日 - )は、… 島田 節子(しまだ せつこ、1938年8月14日 - )は、日本の元競泳選手。奈良県宇智郡南宇智村出身。1956年メルボルンオリンピック日本代表。 宇智郡野原中学校、奈良県立五條高等学校卒、東洋レーヨン所属。 1956年の日本選手権兼メルボルンオリンピック選考会で50m自由形で2位に入り、メルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは100m自由形に出場し、予選落ちだった。 1958年アジア競技大会では400mフリーリレーで優勝した。
石毛 鍈子(いしげ えいこ、1938年8月12日 - )は、… 石毛 鍈子(いしげ えいこ、1938年8月12日 - )は、日本の政治家、市民運動家、社会福祉学者。民主党所属の元衆議院議員(4期)。元民主党副代表。『季刊福祉労働』編集長。NPO法人「市民福祉サポートセンター」代表、「市民がつくる政策調査会」代表理事。 政治活動においては石毛 えい子の表記を主に用いている。 千葉県銚子市生まれ。 千葉県立銚子高等学校、日本女子大学文学部卒業。 大学卒業後は社会福祉団体の代表や飯田女子短期大学教授を務めるかたわら、市民運動に取り組む。専門は社会福祉学。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に旧民主党公認で比例東京ブロック単独2位で出馬し、初当選。1999年(平成11年)-7月、衆院本会議で国旗及び国歌に関する法律に反対票を投じた。
島田 順司(しまだ じゅんし、1938年〈昭和13年〉8月1… 島田 順司(しまだ じゅんし、1938年〈昭和13年〉8月12日 - )は、日本の俳優。本名同じ。 兵庫県出身。兵庫県立芦屋高等学校卒業。オフィス斉藤、ジェイ・クリップに所属していた。 関西新劇界の名門劇団である関西芸術座演劇研究所を卒業後、正式座員になった後に退座して上京。東京芸術座に所属。 1965年、NET(現・テレビ朝日)のテレビ時代劇『新選組血風録』の沖田総司役で本格デビュー。同ドラマのヒットにより、栗塚旭演じる土方歳三とともに人気を博した。『新選組血風録』終了後も、『俺は用心棒』(1967年)、『燃えよ剣』(1970年)でも沖田を演じるなど時代劇を中心に活躍。 1988年から『はぐれ刑事純情派』 (テレビ朝日)で、藤田まこと演じる安浦刑事が所属する警視庁山手中央警察署の刑事課長・川辺精一役で、シリーズ18年間の全作品にレギュラー出演。
黒田 杏子(くろだ ももこ、1938年8月10日 - 202… 黒田 杏子(くろだ ももこ、1938年8月10日 - 2023年3月13日)は、日本の俳人。 東京市本郷生まれ。父は開業医。1944年栃木県に疎開、高校卒業まで栃木県内で過ごす。栃木県立宇都宮女子高等学校から東京女子大学に進学。大学入学と同時に俳句研究会「白塔会」に入り、山口青邨の指導を受け、青邨主宰の「夏草」に入会。東京女子大学文学部心理学科を卒業後、博報堂に入社。テレビ、ラジオ局プランナー、雑誌『広告』編集長などを務め、瀬戸内寂聴、梅原猛、山口昌男など多数の著名文化人と親交を持つ。この間、10年ほど作句を中断。1970年、青邨に再入門。青邨没後、1990年俳誌「藍生」(あおい)を創刊、主宰。