佐藤 喬(さとう たかし、1925年(大正14年)8月23日… 佐藤 喬(さとう たかし、1925年(大正14年)8月23日 - 2020年(令和2年)8月4日)は、日本の英語学者、慶應義塾大学名誉教授。 東京生まれ。1953年東京教育大学文学部卒業。1961 - 62年フルブライト奨学生としてミシガン大学に学ぶ。1964年慶應義塾大学法学部講師、70年助教授、75年教授、1990年定年退任、名誉教授、明海大学教授。日本英語教育研究所所長、日本国連協会理事。 2020年8月4日、脳梗塞のため東京都中野区の病院で死去、94歳没。
もっと読む
丹 保三郎(たん やすさぶろう、1925年8月23日 - 2… 丹 保三郎(たん やすさぶろう、1925年8月23日 - 2015年9月10日)は、日本の整形外科医。 北海道赤平市においてポリオが流行していた1961年に、治療に当たっていた丹が中心となって重度心身障害児者の会「赤平父母の会」(後に赤平くるみ会)を創設し、以後50年以上に渡り中心的な人物として活動を続けた。 福島県小名浜町(現・いわき市小名浜)に生まれる。 陸軍士官学校(58期)および日本医科大学を卒業し、整形外科医となる。 1958年(昭和33年)3月より赤平市立病院に勤務後、1963年6月に丹整形外科を開業した。 整形外科一般に加え、ポリオ、脳性麻痺児の治療に生涯従事する。
もっと読む
篠原 一(しのはら はじめ、1925年8月21日 - 201… 篠原 一(しのはら はじめ、1925年8月21日 - 2015年10月31日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。専門は、ヨーロッパ、特にドイツの政治史。 1925年、東京都目白生まれ。第一高等学校から東京帝国大学へ進み、政治学を専攻する。しかし、太平洋戦争の下で同世代は兵役あるいは学徒として出生してゆき、篠原も兵役に就くが外地に出るまえに敗戦を迎え、自身は結核を発症した。。東京帝国大学へ復学し、1950年3月に東京大学法学部政治学科を卒業。1950年4月より東京大学法学部助手となった。しかし、再び結核を発病し、伏臥生活を送りつつ、ドイツ語の資料を読んで助手論文を執筆。 1953年7月、東京大学法学部助教授に昇進。
もっと読む
田中 隆荘(たなか りゅうそう、1925年8月20日 - 2… 田中 隆荘(たなか りゅうそう、1925年8月20日 - 2008年7月14日)は、日本の生物学者。 広島県広島市出身。広島高等師範学校・広島文理科大学卒業後、広島大学理学部教授。理学部生物学科の植物形態学講座の研究を引っ張った。植物の染色体研究のほか、広島大学附属植物遺伝子保管研究施設では、植物の組織培養(クローン)の研究を行った。その後、1989年から1993年まで広島大学学長、広島市立大学初代学長となった。2000年、勲二等旭日重光章受章。 2008年7月14日午前1時43分、呼吸不全のため広島県東広島市の病院で死去。82歳没。
もっと読む
渡辺 宙明(わたなべ ちゅうめい、1925年〈大正14年〉8… 渡辺 宙明(わたなべ ちゅうめい、1925年〈大正14年〉8月19日 - 2022年〈令和4年〉6月23日)は、日本の作曲家、編曲家。「ちゅうめい」は本名を音読みしたペンネームであり、本来の読みは「わたなべ みちあき」。 父は渡邊工業社長・名古屋螺子製作所(現:メイラ株式会社)創業者の渡辺俊雄。息子は作曲家・編曲家の渡辺俊幸。孫(俊幸の息子と娘)はナレーター・声優の渡辺眞伍、芸術家アイドルとして活動するマコ・プリンシパル(渡辺真子)。 また、作詞家の田野倉健之がアシスタントを務めた。 愛知県名古屋市出身。愛知県立明倫中学校(現・愛知県立明和高等学校)、第八高等学校理科、東京大学文学部心理学科卒。
もっと読む
吉田 善一(よしだ ぜんいち、1925年〈大正14年〉8月1… 吉田 善一(よしだ ぜんいち、1925年〈大正14年〉8月19日 - 2023年〈令和5年〉5月4日)は、日本の化学者。専門は有機化学、創造機能化学。京都大学名誉教授。1987年度日本化学会会長。工学博士。位階勲等は正四位勲二等瑞宝章。 1925年8月19日、香川県三豊郡仁尾町(現在の三豊市仁尾町)にて生まれた。家業が醸造業だったため、子供の頃からコウジやもろみなど、発酵過程における色の変化を不思議に思い、成長の中で自然が魅せる多種多様な色素に興味を持つようになった。戦時中は、父親が召集された上に、原爆による被爆を経験した。 戦後復員した父の許可を得て、色素研究で著名な吉田彦六郎のいる京都大学工学部工業化学科に進学した。
もっと読む
田実 泰良(たじつ やすよし、1925年8月19日 - 19… 田実 泰良(たじつ やすよし、1925年8月19日 - 1982年6月)は日本映画のプロデューサー。 1950年に慶應義塾大学卒業と同時に東宝撮影所演出部に入社。1953年に東宝社員となる。監督の黒澤明や松林宗恵の下で助監督をした。1963年文芸部に配属され1965年に契約者となる。1971年に日本創造企画に入社し博覧会物をプロデュースする。その後日本映画プロデューサー協会事務局長を務めたが、1982年6月癌の為死亡。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
もっと読む
市村 泰一(いちむら ひろかず、1925年8月19日 - 1… 市村 泰一(いちむら ひろかず、1925年8月19日 - 1989年3月18日)は、日本の映画監督。 長野県須坂市出身。父は「信濃毎日新聞」の記者。小学校四年まで上田市で過ごしたのち東京府・世田谷に移住、独協中学校をへて1947年上智大学文学部新聞報道科卒業。中学の同級生に藤間紫の弟・藤間勝胤がおり、その関係で15歳の時から大学卒業まで藤間宗家の書生であった。六代目尾上菊五郎に魅せられ歌舞伎研究に没頭、1949年松竹京都撮影所演出部に入る。斎藤寅次郎、大曾根辰保、渡辺邦男、内出好吉などの作品に助監督でついたあと、1961年、川内康範原作、伴淳三郎主演のアクション・コメディ「快人黄色い手袋」で監督デビュー。
もっと読む
北村 義和(きたむら よしかず、1925年8月19日 - 1… 北村 義和(きたむら よしかず、1925年8月19日 - 1986年5月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 北海道阿寒郡鶴居村出身。1945年北海道帝国大学農林専門部農学科卒。 大学卒業後、鶴居村農業会技術員、ホクレン農業協同組合連合会理事を経て、1975年から北海道議会議員(釧路支庁選出)を2期務めた。 その後、1980年の第36回衆議院議員総選挙に本名武の後継者として自由民主党公認で旧北海道5区から立候補し当選(当選同期に古賀誠・平沼赳夫・太田誠一・川崎二郎・久間章生・森田一・高村正彦・柿澤弘治など)。1983年の第37回衆議院議員総選挙では自民党公認の北村と中川昭一に加え、保守系無所属で鈴木宗男(中川一郎の元秘書)と武部勤(元北海道議)が立候補する保守乱立選挙となり、そのまま落選し政界から引退した。
もっと読む
佐藤 光(さとう あきら、1925年 <大正14年> 8月1… 佐藤 光(さとう あきら、1925年 <大正14年> 8月18日 - 2001年 <平成13年> 1月9日 )は、日本の銀行家。岩手銀行頭取を務めた。位階は正五位。 岩手県気仙郡三陸町(現大船渡市)出身。1947年9月に横浜経済専門学校を卒業し、1949年4月岩手殖産銀行(のちの岩手銀行)に入行。1974年11月に取締役に就任し、1979年12月に常務、1984年5月に専務を経て、1989年6月に頭取に就任。1996年6月に会長に退いた。 2001年1月9日、盛岡市内の病院で死去。75歳没。膀胱腫瘍につき入院していた最中の訃報となった。死没日付をもって正五位に叙され、勲三等瑞宝章を追贈された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
伊豆野 一郎(いずの いちろう、1925年(大正14年)8月… 伊豆野 一郎(いずの いちろう、1925年(大正14年)8月18日 - 2001年(平成13年)6月7日)は、昭和から平成時代の政治家。新潟県両津市長。 新潟県出身。両津高等小学校卒業。 両津市議会議員2期、新潟県議会議員2期を経て、1984年(昭和59年)両津市長に当選。3期務め、1995年(平成7年)引退した。
もっと読む
小坂 隆(こさか たかし、1925年8月18日 - 1989… 小坂 隆(こさか たかし、1925年8月18日 - 1989年11月26日)は、日本の政治家。広島県竹原市長(1期)。 広島県竹原市出身。広島県立忠海中学校卒業。竹原町議会議員、同市議、同議長となる。その一方、竹原市で中国通運を創業し、社長となる。また、中通冷蔵、中通倉庫を創業し、各社長となる。1986年竹原市長に当選。市長在任中の1989年に死去した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
もっと読む
櫻部 建(桜部 建、さくらべ はじめ、1925年8月16日 … 櫻部 建(桜部 建、さくらべ はじめ、1925年8月16日 - 2012年6月9日)は、日本の仏教学者。 京都市生まれ。大谷大学文学部原始仏教学科卒業。インド・ビハール州立ナーランダ研究所講師を経て、大谷大学助教授、教授。1967年「阿毘達磨倶舎論界・根品の研究」で大谷大学より文学博士の学位を取得。駒澤大学教授、同朋大学教授。
もっと読む
高杉 廸忠(たかすぎ みちただ、1925年8月16日 - 2… 高杉 廸忠(たかすぎ みちただ、1925年8月16日 - 2000年5月27日)は、日本の政治家。参議院議員(2期、日本社会党)。 静岡県出身。1950年専修大学法律学科卒。1952年日本社会事業大学研究科卒。参議院議員藤原道子の秘書となり、茨城県中小企業労務協会会長。全国中小商工業団体連合会副会長に就任する。1977年の第11回参議院議員通常選挙で茨城県選挙区から日本社会党公認で立候補して当選。2期務める。この間、参議院物価対策特別委員長、逓信委員長、社会党茨城県委員長などを歴任した。1989年に引退。1995年、勲二等瑞宝章受章。2000年5月27日死去、74歳。死没日をもって従四位に叙される。
もっと読む
山口 健二(やまぐち けんじ、1925年8月15日 - 19… 山口 健二(やまぐち けんじ、1925年8月15日 - 1999年6月12日)は、日本の政治活動家、アナキスト、作家。日本社会党と日本共産党に双方に入党し、共産党では志田派として中核自衛隊にも参加したが、後に両党から除名された。 1925年横浜市に生まれる。横浜第二中学校卒業後、1942年東京美術学校油画科入学、1943年第一高等学校文科入学、1944年旅順高等学校入学。旅順高等学校での学生生活が関東軍指揮下であることに反発し、朝鮮人の友人三人とともに脱走し、満州、朝鮮半島を南下し、日本本土に戻る。戦時下には太宰治に私淑し、1942、3年頃太宰の自宅を訪問し面会。 長野県で終戦を迎え、第一次日本アナキスト連盟に参加。
もっと読む
浜田 陽太郎(はまだ ようたろう、1925年8月15日 - … 浜田 陽太郎(はまだ ようたろう、1925年8月15日 - 1998年4月28日)は、日本の教育学者。教育社会学、教育史などを研究。第13代・14代立教大学総長。 台湾生まれ。甲陽中学校、東京文理科大学卒業。野間教育研究所、信濃教育会教育研究所に勤めた。1965年、東京教育大学助教授となり、1973年、立教大学文学部教授。1986年から1994年まで同大学総長。日本私立大学連盟会長と野球部長も務めた。
もっと読む
岩内 克己(いわうち かつき、1925年8月15日 - )は… 岩内 克己(いわうち かつき、1925年8月15日 - )は、日本の映画監督。若大将シリーズを多く監督した。
もっと読む
杉浦 喬也(すぎうら たかや、1925年8月15日 - 20… 杉浦 喬也(すぎうら たかや、1925年8月15日 - 2008年1月16日 )は、日本の運輸官僚、実業家。第10代日本国有鉄道(国鉄)総裁(在任1985年 - 1987年)。従三位勲一等。 東京市大森区で生まれ、4歳のとき父親が死亡し母親が美容師となって生計を立てた。東京府立電機工業学校(現在の東京都立産業技術高等専門学校)、旧制第一高等学校、東京大学経済学部卒業。1951年に運輸省へ入省。入省同期に、山地進(日本航空社長・会長、運輸省鉄道監督局長)、妹尾弘人(海上保安庁長官)などがいる。1969年鉄道監督局国鉄部財政課長に就任の後、国鉄部長になる。このころ自由民主党の有力な運輸族であった三塚博・加藤六月らと親しくなる。
もっと読む
天納 傳中(あまの でんちゅう、1925年8月14日 - 2… 天納 傳中(あまの でんちゅう、1925年8月14日 - 2002年5月3日)は、天台宗の僧、声明研究者。 京都市出身。大正大学予科修了。1949年大谷大学文学部国史学科卒業。中山玄雄・誉田玄昭に天台声明を学ぶ。天台宗京都大原魚山実光院住職、叡山学院声明科教授。欧州・国内各地での声明公演の企画・指導・出演などを行う。 劇場用アニメ「紫式部 源氏物語」の読経指導担当。
もっと読む
斎藤 文一(さいとう ぶんいち、1925年8月13日- 20… 斎藤 文一(さいとう ぶんいち、1925年8月13日- 2017年10月20日)は、日本の宇宙物理学者、宮沢賢治研究家。新潟大学名誉教授。岩手県北上市出身。 岩手県立黒沢尻中学校を経て、東北大学理学部卒業、同大学院で1962年、理学博士の学位を取得。博士論文は「夜光発光機構の研究」。オーロラの研究者として南極観測隊(第5次夏隊、1960年 - 1961年)に加わったのち、新潟大学理学部教授を務める[要出典]。 詩人でもあり、詩誌『歴程』同人。宮沢賢治の研究家としても知られ、宮沢賢治学会イーハトーブセンターの設立発起人(1990年)や宮沢賢治イーハトーブ館の初代館長(1992年-1994年)も務めた。
もっと読む
嘉治 元郎(かじ もとお、1925年8月13日 - 2011… 嘉治 元郎(かじ もとお、1925年8月13日 - 2011年7月23日)は、日本の経済学者。専門は経済学。東京大学名誉教授。嘉治隆一の長男。 53-54年フルブライト奨学生としてハーヴァード大学大学院に学ぶ。55年東大専任講師、58年助教授、60-61年フルブライト研究員としてスタンフォード大学に学ぶ。68年教授、68-69年イェール大学に留学、1974年から1975年まで東京大学評議員、1978年から1979年まで東京大学教養学部長、 84-86年アメリカ学会会長。財団法人放送大学教育振興会理事、財団法人国際文化会館理事長、財団法人グルー基金理事長、財団法人アメリカ研究振興会常務理事、財団法人政策科学研究所理事、財団法人渋沢栄一記念財団理事、財団法人日本ユニセフ協会評議員、財団法人ラボ国際交流センター評議員を歴任した。
もっと読む
佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日… 佐野 浅夫(さの あさお、1925年8月13日 - )は、日本の俳優・童話作家・実業家。神奈川県横浜市、現在の保土ケ谷区出身。アクターズ・セブン所属。身長168cm。神奈川県立横浜第三中学校卒業。
もっと読む
清水川 明於(しみずがわ あきお、1925年8月13日 - … 清水川 明於(しみずがわ あきお、1925年8月13日 - 1979年2月5日)は、兵庫県明石市出身で追手風部屋に所属した大相撲力士。本名は鉾浦 光男(ほこうら みつお)。最高位は東小結(1951年1月場所、1953年5月場所、1958年1月場所)。引退後は、年寄・間垣として日本相撲協会に残った。身長176cm、体重115kg。得意手は左四つ、上手投げ。 14歳の時に角界入りし、1940年5月場所に於いて、元大関・清水川元吉が率いた追手風部屋から初土俵を踏んだ。幕下時代に兵役に服したが帰還後1947年6月場所で十両昇進、僅か1場所で十両を通過して1947年11月場所で新入幕を果たした。1950年9月場所では優勝した横綱・照國から金星を奪い、翌1951年1月場所では小結に昇進した。
もっと読む
鈴木 貞敏(すずき ていびん / さだとし、1925年〈大正… 鈴木 貞敏(すずき ていびん / さだとし、1925年〈大正14年〉8月12日 - 2009年〈平成21年〉10月24日)は、日本の警察官僚、政治家。第11代警察庁長官、参議院議員(2期、自由民主党)。位階は従三位。勲等は勲二等。 山形県寒河江市生まれ。両親は昭和の頭に満州に渡り、地元にとどまる。 山形県立寒河江中学校(18期)を経て、東京帝国大学に進学するも数日で学徒出陣し、前橋陸軍予備士官学校に入学(砲兵第2中隊第4区隊)。1945年6月に卒業後、独立山砲第12連隊に配属され間もなく終戦を迎えた。 戦後復学し、1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科を卒業。 同年4月、国家地方警察に入る。
もっと読む
林 陸朗(はやし ろくろう、1925年8月12日 - 201… 林 陸朗(はやし ろくろう、1925年8月12日 - 2017年2月17日)は、日本の歴史学者。國學院大學文学部名誉教授。文学博士。専門分野は日本古代史。 富山県富山市出身。1949年に國學院大學文学部史学科を卒業、同年助手。1965年から同専任講師、1966年から助教授、1969年から教授。同大学文学部長、大学院委員長、1991年国学院短期大学長を歴任。1996年定年退職、名誉教授。 1970年国学院大学にて「上代政治社会の研究」で文学博士。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
もっと読む
沖 外夫(おき そとお、1925年(大正14年)8月12日 … 沖 外夫(おき そとお、1925年(大正14年)8月12日 - 1986年(昭和61年)6月28日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 富山県高岡市で生まれた。1945年(昭和20年)興亜工学院を卒業した。 1960年(昭和35年)三協アルミニウム工業(現三協立山)が設立し常務取締役に就任。以後、専務取締役、副社長を経て、1979年(昭和54年)代表取締役社長に就任。その他、日本サッシ協会理事長、日本カーテンウォール工業会会長、富山県経営者協会常任理事、通商産業省産業構造審議会委員、富山県人事委員会委員、三協工機代表取締役社長、アルケン工業代表取締役社長、富山軽金属工業取締役、富山県経済同友会常任幹事などを務めた。
もっと読む
岡田 与好(おかだ ともよし、1925年8月11日 - 20… 岡田 与好(おかだ ともよし、1925年8月11日 - 2014年5月27日)は、日本の西洋経済史学者。大塚久雄、高橋幸八郎の愛弟子。
もっと読む
白川 清(しらかわ きよし、1925年8月11日 - )は、… 白川 清(しらかわ きよし、1925年8月11日 - )は、日本の農業経済学者、名城大学名誉教授。 岐阜県出身。東京農業教育専門学校卒。1962年「資本の運動と地代」で東京大学農学博士。農林省農業総合研究所、名城大学商学部教授。1998年定年、名誉教授。
もっと読む
大堀 誠一(おおほり せいいち、1925年 <大正14年> … 大堀 誠一(おおほり せいいち、1925年 <大正14年> 8月11日 - 2005年 <平成17年> 7月2日)は、日本の検察官。東京地検特捜部長や、東京地検検事正、次長検事、最高裁判所判事等を歴任した。位階は正三位。 東北帝国大学工学部では工業力学を専攻し、戦闘機設計を目指す。しかし、卒業時は敗戦後だったため、やむなく鉱山関係の企業に就職。「法律家になるな」と生前に厳命していた父の残した書物を頼りに1年間独学して、初挑戦で司法試験を突破した。 弁護士を半年経験した後に検事任官。東京地検特捜部では武州鉄道汚職事件などの捜査に加わる。東京地検次席検事在籍時に発覚したダグラス・グラマン事件では異例の捜査開始宣言をした。
もっと読む
藤波 洸子(ふじなみ こうこ、1925年8月10日 - 19… 藤波 洸子(ふじなみ こうこ、1925年8月10日 - 1983年11月7日)とは元宝塚歌劇団(元花組組長)の女優。滋賀県彦根市出身。東洋英和女学校出身。宝塚歌劇団時代の芸名は久松一聲が命名。宝塚時代の愛称はヤマコ。 1940年に宝塚音楽舞踊学校(現在の宝塚音楽学校)に入学し、1942年に30期生として、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は16人中3位。 1952年に花組組長就任し、1953年に退任。 1956年に宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目は花組公演『浮かれ大名/天使と山賊』である。 1959年より東宝演劇部に所属。 1983年11月7日、翌年に控えた宝塚70周年を見ることなく58歳で死去。
もっと読む
木村 重信(きむら しげのぶ、1925年8月10日 - 20… 木村 重信(きむら しげのぶ、1925年8月10日 - 2017年1月30日)は、日本の美術学者(民族芸術学・近現代美術史)。大阪大学名誉教授、京都市立芸術大学名誉教授、兵庫県立美術館名誉館長。位階は従四位。勲等は勲三等。京都市立美術大学美術学部教授、大阪大学文学部教授、国立国際美術館館長、兵庫県立美術館館長などを務めた。 1925年、京都府綴喜郡青谷村(現:城陽市)の宇治茶問屋・丸京山城園製茶場の経営者であった木村重太郎とトヨの二男として出生。姉、兄、弟、妹6人兄弟の3番目であった。青谷小学校を経て、京都市立第一商業学校を優等生で卒業。優等賞として寺内製の腕時計を授与された。1943年4月に名古屋高等商業学校に入学、在学中の1944年4月1日に名古屋経済専門学校と改称され、学徒動員により繰上げ卒業となった。
もっと読む
高山 冨士雄(たかやま ふじお、1925年8月10日 - 2… 高山 冨士雄(たかやま ふじお、1925年8月10日 - 2014年7月7日)は、日本の経営者。安田信託銀行社長を務めた。 鹿児島県日置郡伊集院町(現日置市)出身。伊集院小学校、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1945年旧制第七高等学校造士館文科卒業。1949年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に中央信託銀行(のちの安田信託銀行)に入行。1972年5月に取締役に就任し、1976年6月に常務、1980年6月に専務、1984年6月に副社長を経て、1986年6月には社長に就任。1992年4月に会長に就任し、1996年4月には相談役に就任。社長在任中、信託協会会長も務めた。
もっと読む
仲田 紀夫(なかだ のりお、1925年8月9日 - )は、日… 仲田 紀夫(なかだ のりお、1925年8月9日 - )は、日本の数学教育者、元埼玉大学教授。
もっと読む
神津 友好(こうづ ともよし、1925年8月8日 - 201… 神津 友好(こうづ ともよし、1925年8月8日 - 2019年12月28日)は、日本の放送演芸作家。 長野県小県郡中塩田村(現上田市)生まれ。旧制丸子農商学校(長野県丸子修学館高等学校)を経て、上智大学文学部新聞学科在学中に学徒出陣で兵役に就くが、訓練中に終戦を迎えたために復員する。 戦後に上智大学に復学し卒業した後に「より文学上の知識を得たい」として法政大学文学部英文科に入学し、4年間学ぶ。法政大学卒業後は雑誌や業界紙記者をへて、1953年から演芸台本作家となる。 手掛けた主な放送番組に『やじうま寄席』(日本テレビ放送網)、『お好み演芸会』、『演芸風土記』(共に日本放送協会)などがある。 1970年からはNHK演芸担当者と協力して漫才師を志す新人向けの勉強会を定期的に行うなど、新人発掘やサポートも手掛けた。
もっと読む
丹野 章(たんの あきら、1925年8月8日 - 2015年… 丹野 章(たんの あきら、1925年8月8日 - 2015年8月5日)は、日本の写真家。 東京都生まれ。日本大学芸術科写真学科を戦後1期生として卒業後、フリーカメラマンが少数の時代にフリーランスとして活動を始める。舞台写真の分野で活躍した後、新感覚の写真のグループVIVOに参加。東京都写真美術館、山口県立美術館、日本大学芸術学部、東京工芸大学ほかに作品がコレクションとして収蔵されている。 写真の著作権の保護期間問題に関わり、日本写真著作権協会(JPCA)の創設に貢献。1970年、著作権法の改正に関して、日本写真家協会を代表し、渡辺義雄とともに、第63回通常国会の衆参両院の関係委員会で意見を述べた。
もっと読む
片岡 信二(かたおか しんじ、1925年〈大正14年〉8月6… 片岡 信二(かたおか しんじ、1925年〈大正14年〉8月6日 - 2014年〈平成26年〉4月21日)は、日本の計算機科学者、応用数学者、統計物理学者。理学博士(九州大学・1962年)。一橋大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授。 新潟県長岡市出生、新潟市出身。1942年(昭和17年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1944年(昭和19年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学理学部物理学科を卒業。 1949年(昭和24年)6月に東京商科大学助手に就任、1959年(昭和34年)7月にカリフォルニア大学ロサンゼルス校 (UCLA) Western Data Processing Center 研究助手に就任(期間1年)、1960年(昭和35年)7月にマサチューセッツ工科大学 (MIT) Operations Research Center 研究助手に就任(期間1年)、1962年(昭和37年)5月に一橋大学経済学部講師に就任、1963年(昭和38年)7月に一橋大学経済学部助教授に就任、1967年(昭和42年)4月に一橋大学経済学部教授に就任、1977年(昭和52年)4月に一橋大学評議員に就任、1984年(昭和59年)12月に一橋大学情報処理センター長に就任、1987年(昭和62年)4月に一橋大学名誉教授の称号を受称、フェリス女学院大学教授に就任。
もっと読む
坂上 六郎(さかがみ ろくろう、1925年〈大正14年〉8月… 坂上 六郎(さかがみ ろくろう、1925年〈大正14年〉8月5日 - 2001年〈平成13年〉4月20日)は、日本の金属工学者。工学博士。東北大学名誉教授。専門は鉄鋼精錬学。 新潟県加茂市出身。1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1948年(昭和23年)3月に東京大学第二工学部冶金学科を卒業、1953年(昭和28年)3月に大学院を修了。 1953年(昭和28年)4月に日曹製鋼に入社、1954年(昭和29年)9月に東京大学生産技術研究所に入所、1958年(昭和33年)7月に東北大学金属材料研究所講師に就任、1959年(昭和34年)5月に東北大学金属材料研究所助教授に就任、1961年(昭和36年)11月に東京大学から工学博士号を取得、1963年(昭和38年)6月から1964年(昭和39年)5月までドイツのマックス・プランク鉄鋼研究所(英語版)に留学、1983年(昭和58年)4月に東北大学金属材料研究所教授に就任、1989年(平成元年)3月に東北大学を定年退官、東北大学名誉教授の称号を受称。
もっと読む
小今井 傓治(こいまい せんじ、1925年8月5日 - 20… 小今井 傓治(こいまい せんじ、1925年8月5日 - 2006年6月10日)は、日本の経営者。日立物流社長を務めた。 山口県生まれの福岡県豊前市出身。1948年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に日立製作所に入社。1977年6月に理事に就任し、1981年6月には日立物流常務に就任。副社長を経て、1981年2月には社長に就任。1994年6月に会長に就任し、1996年6月に相談役に就任。 2006年6月10日に肺炎のために死去。80歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
もっと読む
菅沼 政一(すがぬま まさかず、1925年8月5日 - 19… 菅沼 政一(すがぬま まさかず、1925年8月5日 - 1990年3月20日)は、日本の経営者。三菱倉庫社長、会長を務めた。兵庫県出身。 1949年に東京大学法学部を卒業し、同年に三菱倉庫に入社。1976年に取締役に就任し、1980年に常務、1984年に専務を経て、1987年6月に社長に就任。 1990年3月20日急性心不全で在任中に死去。64歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
もっと読む
栗山 仙之助(くりやま せんのすけ、1925年8月4日 - … 栗山 仙之助(くりやま せんのすけ、1925年8月4日 - )は、日本の経営工学・経営学者。大阪工業大学名誉教授・第3代工経会会長、青藍会初代会長・名誉会長。工学博士(大阪大学)・経営学博士(大阪市立大学)。元摂南大学学長。日本学術会議経営情報研究連絡委員会1996委員長・第18期情報技術革新と経済・社会特別委員会元委員。日本経営工学会(JIMA)第21期会長・名誉会員。日本情報経営学会(JSIM)元副会長・名誉会員。国際経営工学会連合名誉理事。経営行動学会理事。日本データプロセシング協会常任理事。日本セキュリティマネジメント学会副会長。瑞宝中綬章受章。 専門は、経営工学・経営情報学、経営学・経営管理、技術経営(MOT)・技術マネジメント(特にSIS、CIM・MRP、OA、FA)、社会システム工学、経済工学・マーケティング科学。
もっと読む
江頭 数馬(えがしら かずま、1925年8月4日 - 200… 江頭 数馬(えがしら かずま、1925年8月4日 - 2004年7月26日)は、日本のジャーナリスト、中国研究家。 佐賀市生まれ。東亜同文書院大学第44期生、京都大学文学部東洋史学科卒。毎日新聞社に入り、北京支局長となるが文化大革命に際し国外追放となる。受難の書「燕山夜話」紹介解説で1966年菊池寛賞受賞、1968年米中関係全国委員会の招請で渡米報告、1979年論説委員で退社、日本大学商学部教授を務め、95年退職。上海師範大学客員教授。
もっと読む
近藤 宏(こんどう ひろし、本名 同じ、1925年8月4日 … 近藤 宏(こんどう ひろし、本名 同じ、1925年8月4日 - 1992年4月28日)は、日本の俳優。埼玉県川越市出身。 日本大学専門部芸術科(現・藝術学部)卒業。1944年に東宝に入社。1953年に東宝を退社しフリーランスとなる。1955年に日活に入社。その後はシナリオ文芸協会に所属していた。アクション映画を中心に主に悪役で活躍。 1960年代後半からはテレビドラマにも本格的に進出し、バイプレイヤーとして様々な役柄を演じた。 1992年4月28日午後4時10分、急性心肺機能不全のため、東京医科大学病院にて死去。66歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
もっと読む
丹生 潔(にう きよし、1925年8月2日 - 2017年1… 丹生 潔(にう きよし、1925年8月2日 - 2017年1月30日)は、日本の物理学者。名古屋大学名誉教授。専門は素粒子物理学。世界で最初の、第4のクォークである「チャームクォーク」の発見者。東京出身。従四位。 1971年から名古屋大理学部教授を務め、原子核乾板の実験装置で得られた宇宙線の素粒子反応の中から、特異な様式で崩壊する新粒子を発見。同年の物理学会で、それを「X粒子」と名付けて報告した。この粒子は、広島大学の小川修三(後に名古屋大学)らによって、4つめのクォーク(当時の表現では「第4の粒子」)であると主張されたが、当時においては広く認められるまでには至らなかった。 しかしこのことが、小林誠や益川敏英に4つめのクォークの存在を確信させ、両者が小林・益川理論(クォーク6個の理論)を生み出す契機となった。
もっと読む
梶 哲夫(かじ てつお、1925年(大正14年)8月2日 -… 梶 哲夫(かじ てつお、1925年(大正14年)8月2日 - )は、日本の教育学者。筑波大学名誉教授。社会科教育学専攻。 東京府東京市浅草区田町生まれ。1945年東京高等師範学校卒業、同年4月東京文理科大学倫理学科に入るが、5月に陸軍特別甲種幹部候補生となり、前橋陸軍予備士官学校の士官候補生で敗戦を迎える。1948年、東京文理科大学卒業、副手、東京教育大学助手。1952年、同附属中学高校教諭。1966年、文部省初等中等教科調査官。1972年、東京教育大学助教授、1974年同教授。1976年、筑波大学教授。1989年定年退官、名誉教授。
もっと読む
野呂 芳男(のろ よしお、1925年8月2日 - 2010年… 野呂 芳男(のろ よしお、1925年8月2日 - 2010年4月26日)は、日本のキリスト教神学者、牧師。 1925年、東京都江東区で生まれた。1945年、徴兵により慶應義塾大学法学部を中退。除隊後に日本基督教神学専門学校(現東京神学大学)で学び、1948年に卒業。1949年にアメリカ合衆国へ留学し、1952年までドルー大学神学部で学び、学士号(B.D.)を取得。1955年までニューヨーク・ユニオン神学校で学び、神学博士号(Th.D.)を取得。 帰国後、青山学院大学文学部神学科教授に就いた。立教大学文学部キリスト教学科教授に転じた。日本においてウェスレー研究を進め、その基礎となるウェスレー学会を組織して委員長を務め、またウェスレー著作集刊行会委員長などを務めた。
もっと読む
盛永 宗興(もりなが そうこう、1925年8月2日 - 19… 盛永 宗興(もりなが そうこう、1925年8月2日 - 1995年6月12日)は、日本の臨済宗の僧。 大正14年(1925年)、富山県に生まれた。後藤瑞巌について出家し、小田雪窓より印可を受けた。妙心寺・龍安寺の塔頭である大珠院住職を務めた。 昭和61年(1986年)4月から平成6年(1994年)3月まで、花園大学学長。平成7年(1995年)6月12日没。 1925年(大正14年)に富山県魚津市で、姉が三人と弟の五人姉弟の長男として生まれた。家は元来、先祖代々百姓で、祖父の代までは百姓であった。そんななか宗興の父が突然医学の勉強を志して、開業医となった。そのため田畑は全て小作に出すこととなった。
もっと読む
川北 博(かわきた ひろし、1925年8月1日 - 2018… 川北 博(かわきた ひろし、1925年8月1日 - 2018年12月9日)は、日本の公認会計士、税理士、不動産鑑定士、司法書士、会計学者(監査論)。階級は陸軍少尉。学位は博士(会計学)(中央大学・2000年)。 公認会計士・税理士川北事務所代表、山梨学院大学教授、日本公認会計士協会会長、アジア太平洋会計士連盟会長、サンワ・等松青木監査法人会長、監査法人トーマツ会長、デロイトトウシュトーマツインターナショナル代表者会議議長、公認会計士川北・徳永事務所代表社員、東亜大学大学院総合学術研究科教授、日本内部統制研究学会会長、有限責任中間法人日本IPO実務検定協会理事長、宗和税理士法人代表社員などを歴任した。
もっと読む
中村 陽吉(なかむら ひよし、1925年8月1日 ‐ )は、… 中村 陽吉(なかむら ひよし、1925年8月1日 ‐ )は、東京都出身の心理学者。著書は、専門の心理学の他、自宅で飼っている亀に関するものがある。 1947年 東京帝国大学文学部心理学科卒業1947年 厚生省国立公衆衛生院 心理学研究室勤務1950年 東京都立大学人文学部 助手1956年 同大学助教授1969年 東京女子大学文学部 心理学科 教授1983年 学習院大学文学部教授1996年 同大学退職
もっと読む
大昇 充宏(おおのぼり みつひろ、1925年8月1日 - 2… 大昇 充宏(おおのぼり みつひろ、1925年8月1日 - 2009年3月1日)は、長野県北佐久郡軽井沢町出身で春日山部屋(一時立浪部屋)に所属した大相撲力士。本名は石田 勇。最高位は西前頭筆頭(1955年3月場所)。現役時代の体格は身長185cm、体重116kg。得意手は左四つ、寄り、外掛け。引退後は春日山部屋を経営して、後進の指導に尽くした。 1941年1月場所、春日山部屋から初土俵を踏む。藤川の四股名で昇進していったが、親方(元関脇・藤ノ川)が1946年限りで部屋を閉じ、幕下だった彼は立浪部屋に預けられることになった。1949年1月場所、信州の四股名で十両昇進、すぐに大昇と改め、1951年1月場所に新入幕を果たした。
もっと読む
尾﨑 公 (おざき ただし、1925年8月-2018年8月)… 尾﨑 公 (おざき ただし、1925年8月-2018年8月) は、日本の解剖学者、歯の人類学者。 和歌山県出身、日本大学歯学部卒業後、同校の助手を経て教授(昭和40年)となり、オーストラリア・アデレード大学に留学した。 在豪中にはオーストラリア先住民の歯の形態学的研究を行った。 昭和46年日本大学松戸歯学部解剖学教授となり、三次元計測の新しい方法として注目を浴びていたモアレ法を歯の形態学に応用し、数々の業績を上げた。 東京大学理学部人類学教室の埴原和郎教授が立ち上げられた歯の形態をめぐる懇話会[1]に参加し、長年その中心的役割を果たした。 また、教育面では同学部学部長や歯科大学学長会議理事等を務めた。
もっと読む