岩瀬 義郎(いわせ よしろう、1920年〈大正9年〉4月19… 岩瀬 義郎(いわせ よしろう、1920年〈大正9年〉4月19日 - 2015年〈平成27年〉1月10日)は、日本の大蔵官僚。証券局長、理財局長、日本キャッシュサービス取締役社長、外務省海外移住審議会会長、 沖縄振興開発金融公庫理事長、財団法人日本経済教育センター副会長などを務めた。 東京府出身。1943年12月 臨時召集(横須賀第2海兵団)。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月、主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月、経理学校を卒業し、海軍主計少尉に任官。1944年12月、1945年2月 天城乗組。同年9月、主計中尉に進み予備役に編入。 1946年9月 東京帝国大学経済学部経済学科卒業。
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久野 健(くの たけし、1920年4月19日 - 2007年… 久野 健(くの たけし、1920年4月19日 - 2007年7月27日)は、日本の仏像研究家。日本彫刻史が専門で、仏像研究に日本で初めて光学的方法を適用した。 東京都出身。東京帝国大学卒。 1945年(昭和20年)、文部省美術研究所(現東京国立文化財研究所)入所。 1959年(昭和34年)、神奈川県横須賀市芦名の浄楽寺で、江戸時代の地誌に仏師運慶との関係を伝える記録があった仏像5体(阿弥陀如来坐像・観音菩薩立像・勢至菩薩立像・毘沙門天立像・不動明王立像)を調査し、内部から運慶の銘札を発見し運慶作であることを実証した。 1976年(昭和51年)に「平安初期彫刻史の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。
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真島 公三郎(まじま こうざぶろう、1920年4月19日-2… 真島 公三郎(まじま こうざぶろう、1920年4月19日-2009年9月19日 )は、日本の経営者。三井金属鉱業社長を務めた。佐賀県出身。 1943年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に三井鉱山に入社した。後に三井金属鉱業に転じ、1974年5月に取締役に就任し、1978年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1983年6月に副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格した。1990年6月に会長に就任し、1993年6月から名誉相談役を務めた。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲一等瑞宝章を受章した。 2009年9月19日心不全のため死去、89歳没。
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安岡 章太郎(やすおか しょうたろう、1920年4月18日 … 安岡 章太郎(やすおか しょうたろう、1920年4月18日 - 2013年1月26日)は、日本の小説家。
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山田 英雄(やまだ ひでお、1920年4月18日 - 200… 山田 英雄(やまだ ひでお、1920年4月18日 - 2001年5月7日)は、日本の歴史学者、新潟大学名誉教授。専攻は日本古代史・国文学。 1920年、東京で生まれた。父・山田孝雄の東北帝国大学赴任に従って仙台で育った。第二高等学校を卒業し、東京帝国大学国史学科に進学。卒業後、1942年に召集。 戦後は三重県立宇治山田高等学校の歴史教師、1952年より新潟大学人文学部で専任講師を務めた。1954年より助教授、1965年に教授昇任。1972年には人文学部長、図書館長を務めた。1986年に定年退官し、同時に名誉教授となった。2001年に死去。
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大原 恆一(おおはら こういち、1920年(大正9年)4月1… 大原 恆一(おおはら こういち、1920年(大正9年)4月18日- 1998年(平成10年)7月20日)は、日本のロシア文学者、評論家、翻訳家、実業家。本名は大原嘉蔵。 太平洋戦争後の冷戦期、ソヴィエト社会主義共和国連邦のモスクワ大学に初めて留学した日本人の一人である。 帝政ロシア時代の詩人ニコライ・ネクラーソフの研究、翻訳において日本の第一人者である。ネクラーソフの叙事詩『だれにロシアは住みよいか』(原題Кому на Руси жить хорошо)を日本で初めて翻訳出版した。 作家の佐多稲子によると、佐多と大原とは昭和16年頃からの知り合いで、その時大原は、法政大学の学生であった。福岡の大きな材木店の、あるいはそのときから店主だったのかもしれない。
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庄司 隆雄(しょうじ たかお、1920年(大正9年)4月17… 庄司 隆雄(しょうじ たかお、1920年(大正9年)4月17日 - 没年不明)は、日本の実業家。巽興行代表社長。 横浜市出身。田辺家の三男として生まれ、庄司家を継ぐ。慶應義塾大学経済学部卒業。その後、巽興行代表社長を務め、熊谷観光開発代表取締役社長、高根カントリー倶楽部総支配人を兼任。 義弟の原田利彦も同じく後に高根カントリー倶楽部理事長を務めている。 娘の希実子の夫(娘婿)は十二代目市川團十郎。孫に十三代目市川團十郎、四代目市川翠扇。曾孫(ともに十三代目團十郎の子)に四代目市川ぼたん、八代目市川新之助。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
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山崎 隆三(やまざき りゅうぞう、1920年4月16日 - … 山崎 隆三(やまざき りゅうぞう、1920年4月16日 - 2011年3月10日)は、日本の農業経済学者。経済学博士(大阪市立大学・論文博士・1962年)。大阪市立大学名誉教授。孫はフリーアナウンサーの伊東紗冶子。 大阪市出身。1942年大阪商科大学卒。兵役ののち、大阪商大事件で拘束。1946年大阪商大助手。1949年大阪市立大学経済学部助教授。1962年教授。同年「地主制成立期の農業構造」で大阪市立大学より経済学博士の学位を取得。1982年定年退官、名誉教授。名城大学商学部教授。1993年退職、名誉教授。
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青木 英夫(あおき ひでお、1920年4月16日 - 201… 青木 英夫(あおき ひでお、1920年4月16日 - 2014年)は、日本の文化史家。 東京出身。上智大学文学部史学科卒。東京大学大学院西洋史博士課程満期退学。米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校歴史科大学院修了。民族学博士、Ph.D.。江馬務、岡田章雄に師事した。ビューティ・サイエンス学会会長。1999年日本風俗史学会長、顧問、名誉会員。日本生活文化史学会顧問、国際服飾学会理事。戸板学園理事長。
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緒明 泰平(おあけ たいへい、1920年4月15日 - 19… 緒明 泰平(おあけ たいへい、1920年4月15日 - 1997年8月30日)は、日本の経営者。静岡銀行頭取を務めた。東京都出身。兄は三菱商事社長を務めた三村庸平。 1942年9月に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、海軍大尉を経て、1946年11月に千代田火災海上保険に入社。 1949年6月に静岡銀行に転じ、1968年10月に取締役に就任し、1971年11月に常務、1973年11月に専務を経て、1975年5月に副頭取を就任し、1978年6月に頭取に昇格。1983年6月に取締役相談役を経て、1985年6月から相談役を務めた。 1983年11月に藍綬褒章を受章し、1990年11月に勲三等瑞宝章を受章。
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久保田 美文(くぼた よしふみ、1920年4月14日 - 2… 久保田 美文(くぼた よしふみ、1920年4月14日 - 2005年1月24日)は、日本の経営者。ダイセル化学工業(現在のダイセル)社長、会長を務めた。和歌山県出身。 1943年に東京商科大学を卒業。大蔵省理財局での勤務を経て、1951年に大日本セルロイドに入社。1967年1月に取締役に就任し、1971年1月に常務、1974年11月に専務を経て、1977年6月に副社長に就任し、1979年9月には社長に昇格。1988年6月に会長に就任し、1993年6月に取締役相談役を経て、1995年6月には相談役に就任。 1981年11月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2005年1月24日くも膜下出血のために死去。
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香川 茂(かがわ しげる、1920年4月14日 - 1991… 香川 茂(かがわ しげる、1920年4月14日 - 1991年5月13日)は、日本の児童文学作家、教育評論家。 香川県高松市中新町出身。旧制高松中学から日本大学(芸術科)に進むも中退し、香川県師範学校を卒業。 終戦まで北支と満洲で軍隊生活を送る。戦後、高松市内の小・中学校で教鞭をとった。1951年に上京。川越市立富士見中学校を振り出しに、1960年志木市立志木中学校の校長となり、1980年新座市立新座中学校の校長を最後に退職した。 その間作家として活動、1967年「セトロの海」で野間児童文芸賞、1980年「高空10000mのかなたで」で小学館文学賞受賞。 「中学生文学」を創刊し、編集長を務めて文学教育にも取り組んだ。
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舩山 しん(ふなやま しん、1920年4月13日 - 200… 舩山 しん(ふなやま しん、1920年4月13日 - 2006年8月23日)は、日本の女性運動家。元新日本婦人の会札幌協議会代表。元北海道教育大学学長の舩山謙次の妻。船山しんとも書かれる。日本共産党員。 山形県生まれ。山形県女子師範学校卒。夫・舩山謙次に伴って北海道に転居。新日本婦人の会の運動に参加し、札幌協議会代表などを歴任した。 「老人ホームをつくる会」(略称・つくる会)運動の中心メンバーとして同会副会長を務め、協立いつくしみの会の設立に尽力。特別養護老人ホームかりぷ・あつべつ開所後は協立いつくしみの会を支援する「かりぷ・あつべつ友の会」の初代会長に就任した。 長女の夫は新しい歴史教科書をつくる会(略称・つくる会)会長で元共産党員の藤岡信勝。
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金春 信高(こんぱる のぶたか、1920年(大正9年)4月1… 金春 信高(こんぱる のぶたか、1920年(大正9年)4月12日 - 2010年(平成22年)8月7日)は、シテ方金春流能楽師。七十九世金春流宗家。 七十八世金春八条(光太郎)の長男として奈良に生まれる。1942年に関西大学専門部第二部国漢科卒業。1951年に宗家を継承。1956年東京に拠点を移す。東京における流派の活動基盤整備を進めるとともに、金春流では廃絶していた能演目を復曲して流勢挽回を図った。また謡本の刊行を担当し、他流に比べて遅れていた謡本の改訂を行った。女性能楽師の育成にも尽力。能楽協会理事長・日本能楽会会長を歴任。1990年4月、勲四等瑞宝章。2010年パーキンソン症候群のため死去。
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森下 重好(もりした しげよし、1920年4月12日 - 2… 森下 重好(もりした しげよし、1920年4月12日 - 2000年7月16日)は兵庫県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。
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高村 武人(たかむら たけと、1920年(大正9年)4月12… 高村 武人(たかむら たけと、1920年(大正9年)4月12日 - 1998年(平成10年)10月18日)は、日本の陸軍軍人、実業家。山口県柳井市生まれ。 小林よしのりの「新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論」(1998年初版)でその生い立ち、戦歴が紹介された。 1935年(昭和10年)4月1日、 東京陸軍幼年学校 第39期生として入学。第3学年在学中の1937年(昭和12年)、日中戦争(支那事変)が勃発し、繰上げで11月19日に卒業。同年12月1日に陸軍予科士官学校へ入学した。1940年(昭和40年)9月、陸軍士官学校 第54期卒業。 陸士卒業と同時に久留米第56師団(竜兵団)に所属し南方パラオに動員後、各地を転戦。
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岩村 信二(いわむら しんじ、1920年(大正9年)4月11… 岩村 信二(いわむら しんじ、1920年(大正9年)4月11日 - 2014年(平成26年)7月25日)は、日本の牧師。 日本基督教団大森めぐみ教会第2代牧師、日本基督教団教育委員長、世界宣教協力委員長、東京同信会長、NCC家庭生活委員長、アジアキリスト教幼児教育者協議会(創立者)、日本キリスト教教育センター理事長、社会福祉法人牧人会理事(創立に参加)、日本聾話学校理事長、国際宗教教育学会会員、WCC男女協力委員、読売日本テレビ文化センター講師などを務めた。 1920年(大正9年)、東京赤坂霊南坂教会副牧師館にて岩村清四郎・安子の次男として生まれ、祖父小崎弘道牧師(同志社第2代社長)より幼児受洗。
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面高 信俊(おもだか のぶとし、1920年4月11日 - 2… 面高 信俊(おもだか のぶとし、1920年4月11日 - 2010年2月13日)は、日本の実業家。王子製紙副社長、王子ティッシュ販売社長、新王子製紙特別顧問などを歴任。 鹿児島県川辺郡加世田村武田(川辺郡加世田町武田、加世田市武田を経て現南さつま市加世田武田)生まれ。鹿児島市へ移り上荒田で育つ。荒田尋常高等小学校(現鹿児島市立荒田小学校)、鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)、陸軍予科士官学校を経て、1941年に陸軍航空士官学校を卒業し、少尉として陸軍入隊。1942年陸軍航空技術学校へ移り発動機の研究員。1944年陸軍航空士官学校教官。 戦後、1949年に東京工業大学工学部機械工学科を卒業し、日本パルプ工業へ入社。
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楢崎 弥之助(ならざき やのすけ、1920年〈大正9年〉4月… 楢崎 弥之助(ならざき やのすけ、1920年〈大正9年〉4月11日 - 2012年〈平成24年〉2月28日)は、日本の政治家。本名は、楢崎 弥之祐(読みは同じ)。衆議院議員(11期)、社会民主連合書記長、同党副代表を歴任した。衆議院議員を務めた楢崎欣弥は長男。
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越智 春美(おち はるみ、1920年4月11日 - 2001… 越智 春美(おち はるみ、1920年4月11日 - 2001年5月2日)は、日本の蘚苔類学者。ハリガネゴケ科の分類学的研究を行った。 北海道枝幸郡頓別村(現、浜頓別町)に生まれた。北海道旭川師範学校で学んだ。北海道時代に植物採集を行い、1100枚の標本を作った。1939年に広島高等師範学校に進み、1943年に広島文理科大学(広島大学の前身)生物学科に入学した。卒業研究では、戦時下の研究で、ヌルデに、ヌルデシロアブラムシ(Schlechtendalia chinensis)がに寄生してできる、虫こぶ(虫癭)をタンニンの増産のために増やす研究を行い、この研究でアブラムシの生態とコケの関係からコケの研究に入ることになった。
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菊地 勝志郎(きくち かつしろう、1920年(大正9年)4月… 菊地 勝志郎(きくち かつしろう、1920年(大正9年)4月10日 - 2011年(平成23年)6月8日)は、日本の政治家。茨城県取手市長(4期)。 茨城県北相馬郡藤代町(現・取手市)出身。1938年旧制茨城県立龍ヶ崎中学校(現・茨城県立竜ヶ崎第一高等学校・附属中学校)卒業。卒業後は朝鮮総督府鉄道局、川崎銀行、東晃製機を経て、菊地園芸を創業する。県造園建設協会を結成し、会長となる。その後取手市農業協同組合長となり、1979年取手市長に当選。4期務め、1995年に退任した。同年勲四等瑞宝章を受章した。2011年に死去した。
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井上 了介(いのうえ りょうすけ、1920年〈大正9年〉4月… 井上 了介(いのうえ りょうすけ、1920年〈大正9年〉4月10日 - 2000年〈平成12年〉12月7日)は、日本の銀行家。秋田銀行頭取、会長を歴任した。 秋田県秋田市出身。三菱銀行勤務を経て、秋田銀行入行。審査部長、仙台支店長等を歴任する。 1971年(昭和46年)に竣工となった現本店の建設地選考の際には、当時の役員ほぼ全員が旧本店跡地への建設へと傾いた中、企画部長であった井上が県庁、市役所などが集積し官庁街として新しい街並みが形成されつつあった「山王地区」の将来性に着目。3ヶ月で行内を説得し、同地区への新築へと構想を具体化したは長く行内でエピソードとして語り継がれた。 頭取在任時は、第二次オンラインシステムの稼動、預金残高1兆円の達成、CSモニター制の導入など営業体制の整備にあたった。
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池辺 陽(いけべ きよし、1920年4月8日 - 1979年… 池辺 陽(いけべ きよし、1920年4月8日 - 1979年2月10日)は、日本の建築家。長く東京大学教授として、工業化という方向から建築をとらえた作品を残した。 戦後すぐの日本における住宅問題に対し「立体最小限住宅(1950年)」と呼ばれる住宅を発表し、同じ50年代に発表された増沢洵の「最小限住宅」、清家清「森邸(1951年)」、広瀬鎌二「SHシリーズ」、と共に機能主義による都市住宅のプロトタイプを提案した。工学博士。東京都出身。 1920年釜山(現・大韓民国釜山広域市)生まれ。父は内務省の官僚。 東京豊島師範小学校、東京高等学校を経て、1942年、東京帝国大学工学部建築学科卒業後、同大学大学院に進学する。
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中村 伊一(なかむら いいち、1920年4月7日 - 200… 中村 伊一(なかむら いいち、1920年4月7日 - 2005年4月14日)は日本の実業家。ワコール創業メンバーで、同社副社長や、社団法人京都経済同友会代表幹事、京都証券取引所理事長を務めた。 滋賀県近江八幡市出身。八幡商業(現滋賀県立八幡商業高等学校)首席卒業を経て、横浜高等商業学校(現横浜国立大学)卒業、1944年東京商科大学(現一橋大学)卒業。 学徒出陣で満州に渡る。シベリア抑留を経て、母校八幡商業で教鞭をとっていたところ、八幡商業の同級生塚本幸一にさそわれ、相学の先生からの託宣もあり、1949年にワコールの前身である和江商事に入社。1963年から1984年まで副社長を務め、同年取締役相談役に退く。
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萩原 淳平(はぎわら じゅんぺい、1920年4月4日 - 2… 萩原 淳平(はぎわら じゅんぺい、1920年4月4日 - 2000年12月17日)は、静岡県出身の東洋史学者。京都大学名誉教授、文学博士。 静岡県生まれ。1938年、静岡県立静岡中学校卒業。静岡高等学校 (旧制)を経て、1946年、京都帝国大学文学部史学科を卒業。大学院修了後、京都大学副手となったが郷里に戻り、1950年、静岡県立教員養成所教授、静岡大学教育学部講師となった。1955年、再び京都大学に戻り、1958年、京都大学文学部講師となり、『明代満蒙史料』(京都大学文学部刊)の編纂にあたった。1962年、助教授。1977年、『明代蒙古史研究』で京都大学文学博士。1978年、京都大学文学部教授。
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吉葉山 潤之輔(よしばやま じゅんのすけ、1920年4月3日… 吉葉山 潤之輔(よしばやま じゅんのすけ、1920年4月3日 - 1977年11月26日)は、北海道厚田郡厚田村(現:石狩市)出身で高島部屋に所属した大相撲力士。第43代横綱。本名は池田 潤之輔(いけだ じゅんのすけ)。 1920年4月3日に、北海道厚田郡厚田村(現:石狩市)で裕福だった網元の家に三男として生まれる。幼少期から身体が大きく、網元を営んでいたことから家族全員が怪力だったが、潤之輔少年は特に体格も大きく、力も強かった。やがて不漁が3年続いた末に家業が倒産してしまったことで、高等小学校卒業後は北海道製糖へ就職したが、学歴が無いことで技術を習得しようと一念発起し、単身で上京した。夜行列車で上野駅へ到着すると二人の若い力士が迎えに来ており、なぜか高島部屋へ連れて行かれた。
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安倍 治夫(あべ はるお、1920年4月2日 - 1999年… 安倍 治夫(あべ はるお、1920年4月2日 - 1999年8月16日)は、日本の弁護士、検察官。 1920年4月2日生まれ。北海道根室市出身。1943年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官。1945年3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた。 1949年に東京大学法学部政治学科を卒業。 1951年に札幌地検検事となり、その後東京地方検察庁・法務省刑事局・福岡高等検察庁で検事職に従事した。この間に法務総合研究所教授・国連アジア極東犯罪防止研修所教授も務めた。ハーバード大学に留学して刑事学を専攻し、1953年に卒業。
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久保 赳(くぼ たけし、1920年 <大正9年> 4月1日 … 久保 赳(くぼ たけし、1920年 <大正9年> 4月1日 - 2011年 <平成23年> 4月1日)は、日本の建設技官。初代建設省下水道部長や、日本下水道事業団理事長、日本下水道協会理事長を務め、日本の下水道行政の基礎を築いた。1994年には日本人として初めてストックホルム水賞を受賞した。勲二等瑞宝章受章。位階は正五位。 北海道夕張市生まれ。北海道庁立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)を経て、1944年北海道帝国大学工学部土木工学科卒業。満洲国政府高等官試補、神戸市復興本部を経て、建設省が発足した1948年に同省に入省し、水道課に配属された。建設省下水道課長を経て、初代建設省下水道部長や、日本下水道事業団理事長、日本下水道協会理事長を務め、流域下水道計画を推進し、長與專齋、關一、ウィリアム・K・バートン、中島鋭治らと並んで、日本の下水道事業を軌道に乗せた技術者と評された。
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佐藤 久(さとう ひさし、1920年4月1日 - 2020年… 佐藤 久(さとう ひさし、1920年4月1日 - 2020年3月23日)は、日本の地理学者、地形学者、東京大学名誉教授。 1938年に旧制・秋田県立秋田中学校(秋田県立秋田高等学校の前身)、1941年に旧制・水戸高等学校理科甲類を卒業し、東京帝国大学理学部地理学科に学ぶ。1943年9月に学部を卒業し、10月に大学院に進む。これは、第二次世界大戦戦時下での、繰り上げ卒業であり、また徴兵延期の扱いを受けた大学院特別研究生としての進学であった。戦時下では、田山利三郎が率いたニューギニア島調査に加わったり、陸地測量部嘱託となり、この頃から空中写真を利用して地形研究に取り組んだ。また、ニューギニアではマラリアに罹患し、その後の健康を損なったとされる。
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添田 清美(そえだ きよみ 1920年4月1日 - 2021… 添田 清美(そえだ きよみ 1920年4月1日 - 2021年12月11日)は、日本の寺庭婦人、高野山の宿坊ビジネスの元祖。センテナリアン。旧姓・土生川。 和歌山県出身、和歌山県立橋本高等女学校卒業、東京女子大学卒業。 教師の家に生まれ育つ。女学校で英語が好きになり、教育熱心な親のおかげで大学進学し英語を専攻する。卒業後は横浜正金銀行に就職したものの、東京が空襲を受けるようになったことから帰郷。帰郷後は周囲から女学校での家庭科教師になるように望まれていたのに対し、本人は英語教師を希望していたが敵性語のために叶わなかった。1946年に高野山の宿坊・蓮華定院に嫁ぐ。戦後の宿坊には進駐軍が訪れるようになり英語力が役立った。
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藤田 一暁(ふじた かずあき、1920年〈大正9年〉4月1日… 藤田 一暁(ふじた かずあき、1920年〈大正9年〉4月1日 - 1991年〈平成3年〉5月16日)は、日本の実業家。フジタ社長・会長。フジタドルフィンクラブ設立者。 広島県広島市出身。広島済美小学校(広島偕行社付属済美学校)、旧制広島一中を経て、1943年に日本大学旧工学部建築学科卒業。藤田組に入り、1949年に監査役、1951年に取締役、1957年に副社長を経て、1962年に社長に就任。 1945年(昭和20年)8月6日の広島市への原子爆弾投下により、東白島町の藤田家はぺしゃんこにつぶれた。自宅にいた一暁は気を失ったが、何秒後かに気がつき、ケガもないため自力で這い出した。家の下にある両親とお手伝いさんを助けようとしたが、一人ではどうにもならず、通りがかりの兵隊の助けを借りて救出した。
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細谷 千博(ほそや ちひろ、1920年4月1日 - 2011… 細谷 千博(ほそや ちひろ、1920年4月1日 - 2011年9月21日)は、日本の国際政治学者。一橋大学名誉教授、国際大学名誉教授、日本学士院会員、英国学士院客員会員、元日本国際政治学会理事長。専門は外交史。ちなみに、国際政治学者の細谷雄一との血縁関係はない。
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宗政 美三(むねまさ よしぞう、1920年(大正9年)4月1… 宗政 美三(むねまさ よしぞう、1920年(大正9年)4月1日 - 2006年(平成18年)5月25日)は、日本の弁護士。広島県高田郡(現安芸高田市)出身。中央大学法学部卒業。 1943年(昭和18年)、高文司法科合格。1944年(昭和19年)、近衛師団司令部、東部軍管区司令部、中国軍管区司令部の各法務部において軍務及び残務整理に従事する。1947年(昭和22年)に弁護士登録、後に日本弁護士連合会副会長、中国地方弁護士連合会会長、広島県弁護士会会長を務めた。また、日本調停協会連合会副会長を始め、法務省委嘱人権擁護委員、中国船員地方労働委員、広島地方裁判所調停委員、広島家庭裁判所調停委員、広島県選挙管理委員、広島市教育委員等の各委員や、広島連合会会長、広島女子商学園理事、広島山陽学園理事長等を歴任した。
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景山 克三(かげやま かつみ、1920年4月1日 - 200… 景山 克三(かげやま かつみ、1920年4月1日 - 2008年9月16日)は、日本の機械工学者、海軍軍人(技術大尉)、日本大学理工学部名誉教授。学位は工学博士。専攻は機械工学。勲三等瑞宝章受章者。 1920年、福岡県八幡市(現北九州市)生まれ。日本大学旧工学部(現・日本大学理工学部)卒業後、大日本帝国海軍技術士官として、航空発動機の製造に従事。戦後、日本大学の機械工学科に戻り、二輪車の研究で工学博士を取得(「二輪自動車の動力性能に関する研究」日本大学工学博士1961-3-31)。その後自動車の操縦性•安定性の研究に従事、(社)自動車技術会車両運動性能部門委員会委員長。後に同学会理事。1990年日本大学理工学部定年退職、名誉教授。
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高林 克巳(たかばやし かつみ、1920年(大正9年)3月3… 高林 克巳(たかばやし かつみ、1920年(大正9年)3月31日 - 2000年(平成12年)9月2日)は、日本の裁判官。位階は正三位。 鳥取県米子市博労町出身。 1943年(昭和18年)東京帝国大学法学部卒業。宮崎地方裁判所、東京地方裁判所裁判官を経て1957年(昭和32年)鹿児島地方裁判所裁判官。1985年3月 定年退官。 1990年、勲二等瑞宝章を受章。2000年9月2日、大腸癌のため死去。死没日付をもって正三位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
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王 相殷(ワン・サンウン、朝鮮語: 왕상은、1920年3月3… 王 相殷(ワン・サンウン、朝鮮語: 왕상은、1920年3月31日 - 2019年10月16日)は、韓国の実業家、政治家。韓国の海運業と釜山の地域発展には多大な貢献をしたほか、第11・12代国会議員を歴任した。 本貫は開城王氏。号は草渓(チョゲ、초계)。仏教徒。 日本統治時代の黄海道黄州郡黄州面に生まれ、釜山出身。釜山第8小学校、釜山公立中学を経て、1941年に同志社大学商科大学卒。 1951年に協成海運を設立し、同社代表取締役を経て、国際商業会議所委員、釜山商工会議所副会長を務めた。特に1960年代に韓国初の船員派遣業への参入、釜山と下関を繋ぐ釜関フェリーの導入、国籍取得条件付裸傭船の運航などを主導し、韓国の海運業の発展に多大な貢献をした。
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芥川 比呂志(あくたがわ ひろし、1920年3月30日 - … 芥川 比呂志(あくたがわ ひろし、1920年3月30日 - 1981年10月28日)は、日本の俳優、演出家。 東京府東京市滝野川区(現・東京都北区)田端出身。作家・芥川龍之介の長男。母は海軍少佐の塚本善五郎の娘・文。妻は、龍之介の次姉・ヒサの長女で、従姉にあたる芥川瑠璃子。 3人兄弟で、長弟・多加志は第二次世界大戦中、22歳でビルマにて戦死、末弟・也寸志は作曲家。名の由来は龍之介の親友・菊池寛(表記同じで筆名ではカン、本名ではヒロシと読む)の名の読みを万葉仮名に当てたもの。ちなみに、多加志は小穴隆一の「隆」から、也寸志は恒藤恭の「恭」から取られている。 1926年、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学。
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安藤 信和(あんどう のぶかず、1920年〈大正9年〉3月3… 安藤 信和(あんどう のぶかず、1920年〈大正9年〉3月30日 - 2014年〈平成26年〉12月29日)は、昭和・平成期のアメリカンフットボール功労者。旧磐城平藩主安藤家16代当主。 1920年(大正9年)3月30日、子爵安藤信昭(旧磐城平藩主安藤家15代当主)の次男(第3子)として、東京都に生まれる。母は、閑院宮載仁親王と同妃智恵子の第1女子・恭子女王(ゆきこじょおう)である。 東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高等学校)を経て、1937年(昭和12年)に立教大学予科へ入学。入学後すぐアメリカンフットボール部に入り、ラインとして活躍した。1942年(昭和17年)に立教大学を卒業。 1952年(昭和27年)、関東大学連盟理事に就任。
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伊東 甚吉(いとう じんきち、1920年3月30日 - 没年… 伊東 甚吉(いとう じんきち、1920年3月30日 - 没年不明)は、プロ野球選手(二塁手)。
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杉原 四郎(すぎはら しろう、1920年(大正9年)3月30… 杉原 四郎(すぎはら しろう、1920年(大正9年)3月30日 - 2009年(平成21年)7月24日)は、日本の経済学者・思想史家。専攻は経済学史・社会思想史・経済思想史。甲南大学・関西大学名誉教授。 京都市で生まれる。1929年第三高等学校を卒業し、京都帝国大学経済学部に進学。柴田敬のゼミナールで学んだ。1941年に学士試験に合格し、翌年卒業。 1942年から京都帝国大学経済学部助手を務めた。1950年に退官し、関西大学経済学部教授に転じた。在任中は同学部長も務めた。1956年、学位論文『ミルとマルクス:現代経済思想の二大源流に関する比較研究』を関西大学に提出して経済学博士号を取得。1970年に関西大学を退職し、名誉教授となった。
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井野 隆一(いの りゅういち、1920年3月30日 - 20… 井野 隆一(いの りゅういち、1920年3月30日 - 2001年7月1日)は、日本の農業経済学者、マルクス主義者、日本共産党員。 東京府豊多摩郡生まれ。父は井野碩哉。1942年東京帝国大学経済学部卒、農林省に入り応召。1946年日本農業研究所勤務、日本共産党に入る。1958年東京経済大学専任講師、1961年助教授、1965年教授。1973年退職、日本農業研究所に戻る。農民運動全国連合会顧問。野呂栄太郎賞を二度受賞した。墓所は多磨霊園。
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霜田 美樹雄(しもだ みきお、1920年3月30日 - 20… 霜田 美樹雄(しもだ みきお、1920年3月30日 - 2016年2月5日)は、日本の政治学者。早稲田大学名誉教授。 東京生まれ。1947年早稲田大学政治経済学部卒。名城大学助教授、早稲田大学政経学部教授。1989年退職、名誉教授、聖学院大学政治経済学部教授。1980年『キリスト教は如何にしてローマに広まったか』でマルコ・ポーロ賞受賞。1995年、勲三等瑞宝章受章。墓所は多磨霊園。
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川手 良萬(かわて よしかず、1920年3月29日 - 1… 川手 良萬(かわて よしかず、1920年3月29日 - 1986年10月18日)は、日本の実業家。山梨県建設業協会会長、山梨県サッカー協会会長。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するヴァンフォーレ甲府の前身である甲府サッカークラブの創始者でもある。 山梨県北巨摩郡若神子村(現在の北杜市須玉町)生まれ。父の川手良雄は小学校長や無尽会社の支店長などを歴任した。長兄の川手良親は山梨県土木部長や須玉町長を務めた。良雄の従姉の夫は、昭和初期に衆議院議員を務めた川手甫雄 。 旧制甲府中学校(現在の山梨県立甲府第一高等学校、以下「甲府一高」と記述)に進学しサッカー部に所属していた。山梨高等工業学校(現在の山梨大学工学部)を卒業後、山梨県土木課に勤務した。
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伊藤 三郎(いとう さぶろう、1920年(大正9年)3月29… 伊藤 三郎(いとう さぶろう、1920年(大正9年)3月29日 – 1997年(平成9年)10月16日)は、日本の政治家。神奈川県川崎市長(第7・8・9・10・11代)、全国革新市長会会長等を歴任した。位階は正四位。 千葉県成田市生まれ。1940年早稲田高等工学校(現早稲田大学)を卒業後、逓信省航空局に入省。第二次世界大戦での兵役を経て、敗戦後の1951年に川崎市役所に就職。技術吏員を振り出しに、職員組合委員長、労働組合連合会委員長、自治労神奈川県本部委員長等を経て、1971年の川崎市長選挙に日本社会党・日本共産党の推薦を受けて出馬し、7期目の当選を目指していた保守系の現職・金刺不二太郎を破り、初当選を果たす。
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筑紫 申真(つくし のぶざね、1920年(大正9年)3月28… 筑紫 申真(つくし のぶざね、1920年(大正9年)3月28日 - 1973年(昭和48年)1月9日)は、在野の神話学者、歴史学者、民俗学者。 1920年(大正9年)、広島県に生まれる。広島県三原市の沼田神社社家で沼田国造家を称する筑紫家に連なる家系であったため、筑紫家の養子となる。実父は侍従武官も務めた陸軍中将坪島文雄。國學院大學を卒業し、第59代沼田国造として沼田神社の神職を務めながら、郷里の中学校の教師ともなる。戦中は応召し、戦後は広島県内の中学・高校教師を歴任。1952年6月に転任した三重県立亀山高等学校を振り出しに、三重県立鳥羽高等学校・三重県立志摩高等学校・三重県立上野高等学校・鳥羽・三重県立四日市高等学校・三重県立明野高等学校の各高校へと転任した。
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都竹 通年雄(つづく つねお、1920年3月28日 - 19… 都竹 通年雄(つづく つねお、1920年3月28日 - 1984年8月2日)は、日本の日本語学者。専門は方言学。岐阜県益田郡萩原町(現:下呂市)生まれ。 法政大学卒業。1974年旧東京都立大学大学院修士課程修了。武蔵大学講師を経て、 1980年富山大学教授に就任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、言語学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 言語学)。
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菊池 三男(きくち みつお、1920年(大正9年)3月26日… 菊池 三男(きくち みつお、1920年(大正9年)3月26日 - 2017年(平成29年)11月4日)は、昭和から平成時代の土木工学者、内務官僚、建設省技監。 1945年(昭和20年)東京帝国大学工学部第二工学部土木工学科を卒業し、1947年(昭和22年)内務省に入省。建設省道路局、有料道路課長、国道第一課長、関東地方建設局長、道路局長を経て、1974年(昭和49年)建設省技監となる。1976年(昭和51年)退官。 退官後は、首都高速道路公団副理事長・理事長、日本高速通信代表取締役社長、立体道路推進機構理事長、土木学会副会長・会長など要職を歴任した。2017年(平成29年)11月4日、神奈川県藤沢市鵠沼藤が谷の自宅にて老衰のため死去した。
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鈴木 正長(すずき まさなが、1920年 <大正9年> 3月… 鈴木 正長(すずき まさなが、1920年 <大正9年> 3月26日 - 1988年 <昭和63年> 3月5日)は、日本の経営者。日本水産社長、会長を務めた。神奈川県出身。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 1946年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本水産に入社。 1966年に取締役に就任し、1970年5月に常務を経て、1973年5月に副社長に就任し、同年11月には社長に昇格。1975年12月から1978年6月までに会長を務め、1981年には小田原信用金庫理事長に就任。 1978年4月に藍綬褒章を受章。。 1988年3月5日胃癌のために死去。67歳没。死没日付をもって従四位に叙され、勲二等瑞宝章を追贈された。
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野々川 美寿子(ののがわ みつこ、みづこ、1920年〈大正9… 野々川 美寿子(ののがわ みつこ、みづこ、1920年〈大正9年〉3月26日 - 1987年〈昭和62年〉7月)は、日本の実業家。日本メナード化粧品創業者。 愛知県東春日井郡篠岡村大字大草において、稲垣美寿子として生まれる。1942年(昭和17年)、野々川大介と結婚。名古屋市中村区上米野町に文具および事務用品を商う店を構えた。 1959年(昭和34年)には「メナード」と称する総合化粧品会社を設立。メナードは訪問販売による化粧品販売であり、当初は理解されず苦労した。 女性の美との関連で多くの美術品を収集。社会還元のために美術館設立に奮闘したが、実現を見ることなくこの世を去った。
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近藤 啓太郎(こんどう けいたろう、1920年(大正9年)3… 近藤 啓太郎(こんどう けいたろう、1920年(大正9年)3月25日 - 2002年(平成14年)2月1日)は、日本の作家。 三重県四日市市生まれ。第一東京市立中学校(現東京都立九段高等学校)を経て、東京美術学校日本画科卒業。戦後、千葉県鴨川で1年ほど漁業に従事する。その後鴨川中学校の図工科教師となり、教職のかたわら創作を行う。1952年、「遭難」を『早稲田文学』に発表してデビュー、1956年、「海人舟」で芥川賞受賞。第三の新人の一人に数えられ、阿川弘之、吉行淳之介、安岡章太郎らとは終生親しくつきあった。 愛犬家で中学生の頃からの日本犬保存会の会員であり、鴨川で家を建てた後は「八色犬舎」という犬舎号を登録して柴犬や紀州犬の繁殖を行い井上靖、遠藤周作ら作家仲間に柴犬の仔犬を譲ったり、安岡章太郎に紀州犬の仔犬を世話したりした。
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