石黒 靖規(いしぐろ やすのり、1963年1月20日 - )… 石黒 靖規(いしぐろ やすのり、1963年1月20日 - )は、日本の実業家。DCMホールディングス代表取締役社長執行役員兼COO・DCM代表取締役社長。北海道釧路市出身。 ホーマックの創業家である石黒靖尋の長男として北海道釧路市に生まれる。 2011年、ホーマック社長昇格。
北海道 釧路市:203人
石黒 靖規(いしぐろ やすのり、1963年1月20日 - )… 石黒 靖規(いしぐろ やすのり、1963年1月20日 - )は、日本の実業家。DCMホールディングス代表取締役社長執行役員兼COO・DCM代表取締役社長。北海道釧路市出身。 ホーマックの創業家である石黒靖尋の長男として北海道釧路市に生まれる。 2011年、ホーマック社長昇格。
北沢 欣浩(きたざわ よしひろ、戸籍上の表記は北澤 欣浩、1… 北沢 欣浩(きたざわ よしひろ、戸籍上の表記は北澤 欣浩、1962年8月4日 - )は、北海道釧路市出身の元スピードスケート選手。「キンコウ」の愛称で知られていた。
小田 佳奈子(おだ かなこ、1962年8月3日 - )は、日… 小田 佳奈子(おだ かなこ、1962年8月3日 - )は、日本の女性作詞家。北海道釧路市出身。 ビーイングとの関わりが深く1990年代のビーイングに所属する歌手の中で、作詞を活動の主としないアーティストの作品には必ずと言っていいほど名を連ねていたが、2003年以降作詞活動は確認されていない。 最初に作詞を手がけたのは、栗林誠一郎の「Secret Lover」(但し、アルバム『LA JOLLA(ラ・ホーヤ)』では、小田加奈子名義)。栗林曰く、「彼女の作詞はアーティストの心情を反映した作品」とのこと。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
はた 万次郎(はた まんじろう、1962年7月16日 - )… はた 万次郎(はた まんじろう、1962年7月16日 - )は、日本の漫画家。北海道釧路市出身、北海道上川郡下川町在住。 1981年に上京。日本電信電話公社(電電公社・現在のNTT)電報課に勤めながらプロの漫画家を目指し、1985年に漫画家生活をスタート。1992年に北海道上川郡下川町に移住、愛犬のウッシー(2009年没)との田舎暮らしの日々を綴った漫画『ウッシーとの日々』を『ビジネスジャンプ』(集英社)に連載。もともとルポ漫画やエッセイ漫画が多かったが、下川町移住後は文章によるエッセイも執筆。 一貫してエッセイ漫画がメインである。しかし東京時代と北海道時代ではコマ割りや絵に大きな変化がある。与えられるページが少ないこともあり、東京時代の「おもしろ図鑑」までの作品はコマ割りが非常に細かく、1ページあたり20コマ前後の細かいコマ割りであった。
岩﨑 元是(いわさき もとよし、1962年3月19日 - )… 岩﨑 元是(いわさき もとよし、1962年3月19日 - )は、作曲家、編曲家、ギタリスト、歌手。北海道釧路市出身。作曲家、編曲家の岩崎文紀は実兄に当たる。 1984年、シンセサイザーの喜多郎と出会い、「岩崎元是 with 喜多郎」としてシングルをリリース。1986年、岩﨑元是&WINDYとしてデビュー。4枚のシングルと2枚のアルバムを残す。グループ解散後の1988年以降は、コーラス・ミュージシャン、ソングライター、編曲家として活動する。様々な歌手に楽曲を提供したり、作詞やコーラスアレンジを手掛けたり、歌唱やコーラスとして楽曲に参加したりと、活動の幅を広げる。その他、アニメやゲームのサウンドトラックなども手がける。
合田 道人(ごうだ みちと、1961年12月13日 - ) … 合田 道人(ごうだ みちと、1961年12月13日 - ) は、北海道釧路市出身の日本の芸能タレント。ミュージック・オフィス合田代表取締役社長、オフィスキコ、キタガワサウンズ代表取締役会長。日本歌手協会理事長、日本報道協会理事、日本音楽著作権協会正会員。父はノンフィクション作家の合田一道。[要出典]
三遊亭 道楽(さんゆうてい どうらく、1961年10月19日… 三遊亭 道楽(さんゆうてい どうらく、1961年10月19日 - )は、北海道釧路市出身の落語家。五代目円楽一門会所属。本名∶斎藤 稔哉。出囃子は『のっと』。 北海道釧路北陽高等学校を経て、1980年に北海道教育大学釧路分校(現・北海道教育大学釧路校)小学校教員養成課程に入学した。 1983年3月、五代目三遊亭圓楽に入門、命名「道楽」で初高座。北海道生まれのため「道楽」と名付けられたか、一門などによく「道楽好き」だからそう名付けられたとネタにされる。 1986年10月に二ツ目昇進。 1991年10月、三遊亭栄楽と共に真打に昇進した。
岡崎 公聡(おかざき こうそう、1960年5月8日- )は、… 岡崎 公聡(おかざき こうそう、1960年5月8日- )は、過去に芸能事務所のGMAエンタープライズ株式会社およびゴルフクラブメーカーのティーティーオー株式会社代表取締役を務めた。現在kosoという名で音楽活動を行っている。北海道釧路市出身。 2005年には、尾崎将司プロとの用品契約を結ぶ。 その他にも、東京でレストランやゴルフバーを経営している。 2008年、自身が代表取締役を務めるGMAエンタープライズ所属のclass新メンバーに加入。しかし、2009年10月、classのメンバーである津久井克行が死去したことに伴いグループとしての活動を休止。 2010年、中学の先輩だった今剛らと新バンド”Battle Cry"を結成。
塚原 義弘(つかはら よしひろ、1960年4月1日 - )は… 塚原 義弘(つかはら よしひろ、1960年4月1日 - )は、北海道釧路市出身の作曲家。(株)スタジオリッチョ代表を務めている。静岡県浜松市の河合楽器ピアノ調律師養成所を1980年に卒業後、釧路でピアノ調律師として働く。その後札幌市のゲーム制作会社に就職。独立後はライブスタジオを立ち上げる。札幌大谷大学、東海大学、札幌国際大学に於いてサウンドデザイン等の非常勤講師を務める。北海道作曲家協会。
野宮 真貴(のみや まき、1960年3月12日 - )は、歌… 野宮 真貴(のみや まき、1960年3月12日 - )は、歌手。 ピチカート・ファイヴの3代目ヴォーカルとして有名。現在ではソロでの音楽活動の他、ナレーター、モデル、デザイナーなどとしている。 北海道白糠郡音別町(現・釧路市音別町)生まれ。子供時代は父親の仕事の都合で札幌-東京-室蘭-千葉と引越を繰り返した。本人の話によると、歌手になりたいと思い始めたのは『ステージ101』(NHK総合)を観てのことで、この番組発のグループ『ヤング101』に入りたいと思っていた。10歳の時にカーペンターズ、セルジオ・メンデス、ミッシェル・ポルナレフなどの洋楽を聴き始め、その後グラムロック好きになり、ニューヨーク・ドールズがお気に入りになっていた。
諏訪 緑(すわ みどり、1959年5月14日 - )は、日本… 諏訪 緑(すわ みどり、1959年5月14日 - )は、日本の女性漫画家。北海道釧路市出身。 1984年、『プチフラワー』(現月刊flowers、小学館刊)に掲載の「バラモンの塔」でデビュー。以後、独自の視点で描く良質な歴史漫画を数多く上梓する。代表作/「玄奘西域記」「うつほ草紙」「諸葛孔明 時の地平線」「蠶叢(さんそう)の仮面」「西王母」「三蔵法師の大唐見聞録」「西の国の物語」「砂漠の花の物語」「パピルスは神」「諏訪緑ファンタジー短編集1,2」「あっちゃんとリカの日誌全5巻」(デジタル)。また角川書店の学習漫画シリーズ「日本の歴史 近現代史」や「クレオパトラ」「坂本龍馬」等にシナリオ・ネームで参加。
原田 理人(はらだ みちと、1959年4月4日 - )は、日… 原田 理人(はらだ みちと、1959年4月4日 - )は、日本の元フットサル選手、元日本サッカー協会フットサル日本代表監督、指導者。現在は2010年よりF・リーグ/規律・フェアープレー委員長、NHKスポーツ解説者。1996年4月(2010年-2011年の1期を除く)より現在まで一般財団法人日本フットサル連盟理事。黎明期より長い間フットサルに携わってきたフロンティアとして知られる。現在は、岐阜協立大学経営学部教授。 北海道釧路市出身、東海大学卒業。1977年に札幌で行われた第1回北海道サロンフットボールフェスティバルから出場している。1983年に札幌蹴球隊の編成に携わり、1983年 - 1985年当時には、北海道内を含め国内では無敵を誇った伝説のチームに所属した。
蝦名 大也(えびな ひろや、1959年(昭和34年)1月4日… 蝦名 大也(えびな ひろや、1959年(昭和34年)1月4日 - 2026年(令和8年)1月7日)は、日本の政治家。北海道釧路市長(4期)、北海道議会議員、釧路市議会議員を歴任した。 北海道釧路市出身。北海道釧路湖陵高等学校卒業。青山学院大学在学中から衆議院議員中川一郎の議員会館事務所に来てアルバイトをし、その後秘書となる。1983年、青山学院大学経済学部を中退する。その後中川の筆頭秘書であった鈴木宗男釧路事務所長となる。自民党所属の釧路市議会議員を2期務めた。 1999年(平成11年)、北海道議会議員選挙に釧路市選挙区(定数4)から無所属・自民党推薦で立候補。無所属新人の小畑保則を219票の僅差でかわし初当選した。
別所 智博(べっしょ ともひろ、1958年11月15日 - … 別所 智博(べっしょ ともひろ、1958年11月15日 - )は、日本の農林水産技官。農林水産政策研究所長を経て、農林水産省技術総括審議官兼農林水産技術会議事務局長。 北海道釧路市出身。北海道札幌北高等学校、埼玉県立浦和西高等学校を経て、1981年北海道大学農学部農芸化学科卒業、農林水産省入省。1990年クイーンズランド大学農学部大学院修士課程修了。 1999年新潟県地域農政推進課長。2002年生産局農産振興課土地利用型農業調整官。2003年生産局総務課農産調査官。2004年生産局総務課生産振興推進室長。2006年消費・安全局植物防疫課長。2008年生産局農業環境対策課長。2010年生産局農業生産支援課長。
赤坂 東児(あかさか とおる、1958年(昭和33年)3月1… 赤坂 東児(あかさか とおる、1958年(昭和33年)3月19日 - )は、日本で活動する男性作曲家・編曲家。北海道釧路市出身。新音楽協会所属。 主にNHK Eテレの子供向け番組の音楽を担当しており、『えいごであそぼ』ではほとんどの楽曲の作曲・編曲を担当している。また、『おかあさんといっしょ』でも数々の楽曲の作曲・編曲を手がけている他、福田和禾子の後を受け2008年度途中よりうたのおにいさん・おねえさんの歌唱指導を担当している。 テレビ朝日の子供番組『パオパオチャンネル』のワンコーナー「ピッカピカ音楽館」の楽曲「ヤーレンソーラン北海道」では作曲だけでなく自ら歌手を務め、同局の『ミュージックステーション』にも歌手として出演経験がある。
今 剛(こん つよし、1958年2月23日 - )は、北海道… 今 剛(こん つよし、1958年2月23日 - )は、北海道釧路市出身の日本のギタリスト。アニメ監督・漫画家の今敏は実弟。 1970年代末から80年代にかけての日本のフュージョン黎明期に、PANTAの結成したPANTA&HALや実力派ミュージシャンの集まったスーパーグループPARACHUTEで脚光を浴びたギタリストとして知られた。 その後、その卓越したテクニックと鋭い感性により、スタジオ・ミュージシャンとして日本歌謡音楽界のあらゆるジャンルのアーティストから信頼されるギタリストとなった。井上陽水、矢沢永吉、西城秀樹、宇多田ヒカル、角松敏生、福山雅治など、数多くのアーティストのツアー及びレコーデイングに参加しており、寺尾聰の「ルビーの指環」や宇多田ヒカルの「Automatic」といった国民的ヒット曲を演奏。
板垣 恵介(いたがき けいすけ、1957年4月4日 - )は… 板垣 恵介(いたがき けいすけ、1957年4月4日 - )は、日本の漫画家、元陸上自衛隊第一空挺団所属。北海道釧路市出身。本名は板垣 博之(いたがき ひろゆき)。刃牙や餓狼伝に代表される格闘技を題材とした作品を書いている。既婚者で三女の父親であり、三女は、同じく漫画家の板垣巴留。 少年時代から格闘家に対する憧れが強く、阿寒高校時代には少林寺拳法に励み、二段位を取得した。高校卒業後、一旦は地元企業に就職するも、間もなく退職した。 20歳のときに陸上自衛隊に入隊し、陸自屈指の精鋭部隊である第1空挺団に約5年間所属した。その間、アマチュアボクシングで国民体育大会に出場したこともある。 この時に小銃など総重量30kgの荷物を背負いながら、真夏の富士山麓を100キロ歩き続ける訓練を完遂し、「この訓練が人生で一番きつかった。
王湖 伊津男(おうこ いつお、1956年8月17日 - 20… 王湖 伊津男(おうこ いつお、1956年8月17日 - 2013年4月24日)は、北海道釧路市出身で友綱部屋に所属した大相撲力士。本名は鈴木 伊津男(すずき いつお)。最高位は東前頭14枚目(1982年7月場所)。現役時代の体格は179cm、154kg。得意手は左四つ、寄り。 引退後は長く、世話人として友綱部屋の後輩達の指導に当たった。 地元・釧路市の春採中学校では、柔道で鳴らした。2年生の時、近所の風呂屋の主人(工藤東一)から角界入りを勧められ、直ちに上京。同郷の元小結・巴潟が率いる友綱部屋に入門し、1970年9月、14歳で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の横綱・千代の富士がいる。 なお、当初の四股名は、本名に因んだ「鈴木山」であった。
中山 一也(なかやま かずや、1956年1月20日 - )は… 中山 一也(なかやま かずや、1956年1月20日 - )は、日本の俳優。北海道出身。身長172 cm、体重72 kg。特技:柔道(二段)、アイスホッケー、英会話(日常会話)。 北海道広尾郡大樹町生まれ、釧路市育ち。父親は腕のいいパン職人で、来釧した昭和天皇・皇后の接待役も務めたほどであった。だがその後、父親が友人の借金トラブルに巻き込まれて一家で夜逃げするなどの不運に見舞われ、複雑な家庭環境の中で育つ。 役者を目指して20歳で上京し、1978年に文学座養成所卒。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
福田 薫(ふくだ かおる、1955年10月4日 - )は日本… 福田 薫(ふくだ かおる、1955年10月4日 - )は日本の元スピードスケート選手である。北海道釧路市出身。釧路第一高等学校卒。 1980年レークプラシッドオリンピック代表に選出され、500m14位、1000m19位となった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
渡辺 和郎(わたなべ かずお、1955年5月1日 - )は、… 渡辺 和郎(わたなべ かずお、1955年5月1日 - )は、日本のアマチュア天文家。北海道釧路市生まれ。北海道釧路工業高等学校卒。日本天文学会・東亜天文学会会員。「北海道彗星・小惑星会議」代表。執筆活動や後進の指導のほか、800個以上の小惑星を発見した小惑星ハンターとして知られる。 中学1年生の時に本屋で偶然見た天文雑誌の望遠鏡の広告をきっかけに天文学に興味を持つようになり、自ら新聞配達等のアルバイトで1年後に購入した望遠鏡で天体観測を始める。27歳の時より北海道内に住む友人らと本格的に新惑星探索に乗り出し、観測を始めてから5年目の1988年に初めて小惑星"(3867) 知床"を発見する。以降観測歴15年あまりの間に発見した小惑星は800個以上におよんでいる。
恋月姫(こいつきひめ、1955年 - )は、日本の人形作家。… 恋月姫(こいつきひめ、1955年 - )は、日本の人形作家。 他、定期的に個展開催、国内・海外展覧会等に作品出品。 雑誌、小説、漫画単行本、CD等の表紙などに作品写真を多数提供。 ビスク特有の白い肌、端正な顔立ちが特徴の球体関節人形。その眼差しは少し冷ややかにも見える。ほとんどが少女人形で、目を閉じた眠っている様子のものも多い。 素材をビスクに転向してからの作品は原型によってタイプが分かれており、Ariel、Billiel、Babyel、Cliel、Damiel、Enoquiel、Faniel、Gabriel、Haniel、illuminael、Juliel、Kyliel、Lilliel、Michael、Nephilim、Opheliel、Penuel、Queriel, Raphael, Shateiel, Sahaquiel, Teniel, Uriel, Variel が発表されている。
星野 之宣(ほしの ゆきのぶ、1954年 1月29日 - )… 星野 之宣(ほしの ゆきのぶ、1954年 1月29日 - )は、日本のSF漫画家。 北海道出身。愛知県立芸術大学美術学部日本画科中退。1975年に『鋼鉄のクイーン』でデビュー。代表作に『ブルーシティー』『2001夜物語』『ヤマタイカ』『宗像教授伝奇考』など。『2001夜物語』はOVA化、『宗像教授伝奇考』はTVドラマ化されている。 1975年、大学中退後に上京し『鋼鉄のクイーン』で漫画家デビューを果たす。同年『はるかなる朝』で第九回手塚賞に入選。『週刊少年ジャンプ』で『ブルーシティー』を連載開始し、本格的な作家活動に入る。 翌1976年に『葬送船団』で月例ヤングジャンプ賞入賞。以後『巨人たちの伝説』『妖女伝説』(初の青年漫画誌連載)を発表。
藤江 昌嗣(ふじえ まさつぐ、1954年 - )は、日本の統… 藤江 昌嗣(ふじえ まさつぐ、1954年 - )は、日本の統計学・経済学者、明治大学教授。 北海道釧路市生まれ、帯広市を経て、埼玉県浦和市に転居。1973年埼玉県立浦和高等学校卒業、1978年京都大学経済学部卒業、日本鋼管勤務、1979年退社、1984年神戸大学大学院博士課程退学、1984年岩手大学人文社会科学部専任講師。1987年東京農工大学農学部助教授。1992年明治大学経営学部助教授、1993年教授、明治大学副学長 (2012 ‐ 2016)。1994年「移転価格税制と地方税還付」で京都大学博士(経済学)。MOS明治大学マネジメント・オブ・サスティナビリティ研究所所長 (2012 ‐ )。
菅家 一比古(かんけ いちひこ、1953年〈昭和28年〉6月… 菅家 一比古(かんけ いちひこ、1953年〈昭和28年〉6月23日 - 2021年〈令和3年〉[要出典])は、日本の社会教育家、古神道家。 一般社団法人「美し国」代表を務めて「日本蘇り運動」を展開した。 昭和53年(1979年) 財団法人民族科学研究所企画室長、安全問題研究所所長を務める。昭和58年に東京に予備校、日本学院を設立、学院長に就任した。昭和60年には教育創造研究所を設立し、本格的人間教育、社会教育に乗り出す。この頃から様々な団体で講演を重ねる。また青少年を対象とした「偉人を語る会」を立ち上げた。 平成2年(1990年)には中央大学名誉教授中西旭に出会い師事する。師の導きにより禊を実践し大自然回帰に目覚める。
正本 ノン(まさもと のん、1953年1月26日 - )は、… 正本 ノン(まさもと のん、1953年1月26日 - )は、日本の小説家、少女小説家。女性。北海道釧路市出身。 釧路市で16歳まですごし、北海道釧路湖陵高等学校2年生のとき、父親の転勤により東京に引越し、東京都立北高等学校に転入、上智大学文学部新聞学科を卒業。大学卒業後は広告代理店に勤務した。 22歳の1975年、本名の正木典子の名前で書いた映画脚本「ブルー・サマー・ブルース」が第2回城戸賞に準入賞(ただし映像化はされていない)。就職後の1977年、「吐きだされた煙はため息と同じ長さ」が集英社主催の第10回小説ジュニア青春小説新人賞で佳作となり、小説家としてデビュー。以後集英社コバルト文庫を中心に活躍。
長倉洋海(ながくら ひろみ、1952年10月26日 - )は… 長倉洋海(ながくら ひろみ、1952年10月26日 - )は、日本の写真家。 北海道釧路市生まれ。北海道釧路湖陵高等学校、同志社大学法学部卒業後、時事通信社入社。大学時代の1971年~1977年はベトナム戦争の末期から終戦後であり、あらゆる紙面にベトナム戦争の写真が飾られていた。また、岡村昭彦、石川文洋、沢田教一、ロバート・キャパ、ラリー・バローズなどの著名な写真家のベトナム戦争(第一次インドシナ戦争も含む)写真集などを見ることで、それらの写真に圧倒され、危険を覚悟で戦争を伝えようとする戦場カメラマンに興味を引かれるようになり、報道カメラマンを志す。最初は写真の基礎を学ぶため、新聞社か通信社で働くことを考えていた。
川本 治(かわもと おさむ、1952年5月1日 - )は、北… 川本 治(かわもと おさむ、1952年5月1日 - )は、北海道出身のサッカー選手、サッカー指導者。 北海道釧路市生まれ。父親の転勤で札幌市、伊達市で育ち、中学3年で室蘭市に移る。室蘭清水丘高ではGKだったが、中央大学進学後にFWに転向。サッカー部主将を務めた1974年には関東大学サッカーリーグで優勝を経験。1975年に入団した古河電工サッカー部(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)ではFWとして10年間にわたって活躍。JSL(1976年)、天皇杯(1976年度)、JSLカップ(1977年、1982年)の優勝に貢献した。 引退後の1984年からは古河電工サッカー部のコーチおよび監督、Jリーグ開幕後は後身のジェフユナイテッド市原のフロントスタッフを歴任した。
松田 紀子(まつだ のりこ、1952年3月5日 - )は、日… 松田 紀子(まつだ のりこ、1952年3月5日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。モントリオール五輪金メダリスト。 北海道釧路市出身。釧路商業高校を卒業後、日立武蔵に入社。入社当初は目立たない存在で、レギュラーの練習をコートの外で見つめボール拾いをする日々が1年半ほど続いた。『ボール拾いをするために日立に入社したのではありません』と監督の山田重雄に不満をぶつけるとセッター転向を命ぜられ、その後全日本に選出された。 1976年モントリオール五輪に出場し金メダルを獲得。1978年引退して出身地の釧路に戻るが、1983年にダイエーバレー部が創部すると選手に復帰し、3年間で1部リーグ昇格を果たした。
内田 一成(うちだ いっせい、1952年 − )は、日本の臨… 内田 一成(うちだ いっせい、1952年 − )は、日本の臨床心理学者・教育学者。学位は、博士(心身障害学)。上越教育大学名誉教授。 専門は、臨床心理学、学校心理学、福祉心理学、心理療法(応用行動分析、行動療法、認知行動療法)。臨床心理士、専門行動療法士。2003年より上越教育大学大学院学校教育研究科(臨床心理学コース)教授(2008年改組)、2005年より兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科博士後期課程研究指導担当(臨床心理学)教授(兼任)。2013年上越教育大学名誉教授。 児童青年期の心理障害ならびに発達障害や知的障害の行動問題の形成メカニズムの解明とそれに即した心理療法技法(応用行動分析,行動療法、認知行動療法等)の開発研究、強度行動障害に対する行動療法における新たな臨床モデルの開発研究、知的障害・発達障害をもつ人のソーシャルスキルに関する応用行動分析プログラムの開発研究を手がけ、適応行動の学習や発達の妨害要因となる常同行動や儀式的行動を適応行動に変換する技法の開発により3つの学術団体から表彰されている。
木之元 亮(きのもと りょう、1951年9月8日 - )は、… 木之元 亮(きのもと りょう、1951年9月8日 - )は、日本の俳優、タレント、グルメリポーター。元漁師。本名は木野本 良一。 北海道釧路市出身。北海道釧路北陽高等学校、大東文化大学卒業。東京俳優生活協同組合(俳協)に1977年のデビューから2019年まで所属していたが、現在は芸能事務所には所属しておらず、フリーとして活動している。身長184cm、体重89kg。 高校卒業後はイカ釣りなど漁師をしていたが腰を痛めたことにより、漁師は数か月で断念。高校時代の担任の先生が新たな就職先を世話してくれたことにより、太平洋興発に入社。しかし入社後も、毎日張りのないような生活をしていたように見ていた父親から「子どもの面倒をみるぐらいの甲斐性はまだあるぞ」というようなことを言われたことを受け、大学進学を目指すことになり、会社を1年1か月で退社し、上京。
神田 孝次(かんだ こうじ、1951年8月12日 - )は日… 神田 孝次(かんだ こうじ、1951年8月12日 - )は日本の政治家。元北見市長(旧北見市2期・新北見市1期の通算3期)。北海道釧路市出身。 衆議院北海道第12区(宗谷・網走管内)の武部勤衆院議員と関係が深く、事実上自民党の支援を受けている。 自民党会派を与党として市政を運営していたが、市役所移転等が絡む駅周辺地区の基本計画議案が否決されたことに伴い、「市民の信任を問う」として、2008年11月13日付で北見市長を辞職。市長選は民主党・新党大地推薦の小谷毎彦と一騎討ちとなり、衆院選の前哨戦の代理戦争と報道された。12月21日即日開票により落選。北見市長としての在任期間は旧北見市・新北見市の通算で3期約9年半であった。
藤田 美津夫(ふじた みつお、1951年 - )は、日本の弁… 藤田 美津夫(ふじた みつお、1951年 - )は、日本の弁護士。札幌弁護士会会長や、北海道弁護士会連合会理事長、日本弁護士連合会副会長等を務めた。 北海道釧路市出身。1976年北海道大学法学部卒業。司法修習30期を経て、1978年弁護士登録。1982年藤田法律事務所設立。労働事件や行政事件を扱い、1998年には北海タイムスの破産管財人を務めた。 国土交通省北海道開発局コンプライアンス第三者委員、札幌家庭裁判所調停委員、札幌学院大学非常勤講師等を歴任。2004年札幌弁護士会会長。2005年北海道弁護士会連合会理事長。2007年日本弁護士連合会副会長。2021年旭日中綬章受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
里村 龍一(さとむら りゅういち、本名・鈴木政市、1949年… 里村 龍一(さとむら りゅういち、本名・鈴木政市、1949年2月20日 - 2021年10月5日)は、日本の作詞家、実業家。北海道釧路市出身。 シングル表題曲は太字表記 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
平山 英雄(ひらやま ひでお、1949年1月1日 - 202… 平山 英雄(ひらやま ひでお、1949年1月1日 - 2021年5月14日)は、北海道釧路市出身のプロ野球選手(投手)である。 釧路江南高校では、エースとして活躍。1965年には釧根支部予選を制し、秋季北海道大会に進むが、1回戦で室蘭工に敗退。翌1966年には夏の甲子園に出場。1回戦で小倉工と対戦、投の二本柱である横山晴久、斎藤英雄と投げ合うが、延長12回の末に1-3で敗退。 同年の第1次ドラフト会議で阪神タイガースに2位で指名され入団。入団を担当したのは、佐川直行スカウト。慶応大学野球部からの声もあったが、プロ入りを決断した。 入団当初は、ドラフト1位指名の江夏豊よりも評価が高かった。1年目の1967年4月13日に大洋戦で一軍初登板、25日にはサンケイ戦で初先発を果たす。
大道寺 あや子 (だいどうじ あやこ、1948年10月20日… 大道寺 あや子 (だいどうじ あやこ、1948年10月20日 - )は、日本の政治活動家、新左翼系武装組織である東アジア反日武装戦線の元メンバー。 ダッカ日航機ハイジャック事件で超法規的措置により釈放され日本赤軍に合流、2024年現在国際手配中である。 旧姓・駒沢。北海道釧路市生まれ。北海道釧路湖陵高等学校を卒業。在校中は成績優秀、スピードスケート部での活躍が認められて卒業生総代を務める。星薬科大学に推薦入学し、ワンダーフォーゲル部に所属。自治会活動、学費値上げ反対闘争などに参加した。この頃に高校時代の同級生であった大道寺将司に高校の同窓会で「研究会」にオルグ (勧誘) される。高校在校中にはほとんど接点がなかった二人が、この会をきっかけに交際を始めて同棲するに至る。
チカップ 美恵子(チカップ みえこ、本名・伊賀 美恵子(いが… チカップ 美恵子(チカップ みえこ、本名・伊賀 美恵子(いが みえこ)、1948年9月2日 - 2010年2月5日)は、アイヌ文様刺繡家、文筆家。北海道釧路市出身。「チカップ」とは、アイヌ語の名詞「cikap」で「鳥」という意味。 釧路でアイヌの家族に生まれる。伯父に、エカシとして有名な山本多助がいる。幼少期より、母の伊賀ふでより、アイヌ文様刺繡とアイヌ歌舞ウポポを習う。兄に、アイヌ民族活動家の山本一昭がいる。少女時代に映画にも出演したことがある。このときの写真が無断使用された学術書が出版され、「アイヌ民族肖像権裁判」となる。 首都圏で、アニメーション彩色の仕事につく。その後、1983年に首都圏在住のアイヌの民族団体「アイヌ民族の現在を考えるレラの会」の立ち上げに関わり、アイヌの復権運動に大きく関わるようになる。
大道寺 将司(だいどうじ まさし、1948年〈昭和23年〉6… 大道寺 将司(だいどうじ まさし、1948年〈昭和23年〉6月5日 - 2017年〈平成29年〉5月24日)は、日本の政治活動家、東アジア反日武装戦線“狼”部隊のメンバー。同部隊のリーダー格だった。 北海道釧路市出身。小学生時代より、新聞を丹念に読んではスクラップ帳を作る公務員の父親や、北海道議会議員だった継母の義理の兄、そしてその息子で高校生ながらに60年安保反対運動の先頭に立っていた太田昌国らの影響から、政治への関心を持つようになる。中学校入学後は学区の中にアイヌ居住区が含まれていたため、多くのアイヌの同級生たちと交流する中で、その厳しい暮らしぶりや中学3年時でのアイヌに対する就職差別を目の当たりにし、問題意識を抱くようになった。
佐藤 博史(さとう ひろし、1948年 - )は、日本の弁護… 佐藤 博史(さとう ひろし、1948年 - )は、日本の弁護士。千葉工業大学理事。島根県出雲市出身。広島修道高等学校~東京大学法学部卒(1971年)。刑事弁護の第一人者といわれる弁護士。
瀧野 欣彌(たきの きんや、1947年9月6日 - )は、日… 瀧野 欣彌(たきの きんや、1947年9月6日 - )は、日本の自治・総務官僚、弁護士。 内閣官房副長官(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣・菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、総務事務次官、一般財団法人地方財務協会理事長、地方公共団体金融機構理事長を歴任した。 報道等では滝野 欣弥の表記も用いられる。 北海道出身(函館市で生まれ、釧路市で育つ)。北海道釧路湖陵高等学校、東京大学法学部卒業。在学中に司法試験合格。大学卒業後、自治省(現総務省)に入省。財政局財政課配属。入省同期には伊藤祐一郎(鹿児島県知事)、梶田信一郎(元内閣法制局長官)、山下茂(明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科教授)らがいる。
坂井建(さかい たつ、1947年3月31日 - 2002年1… 坂井建(さかい たつ、1947年3月31日 - 2002年11月24日)は日本の大蔵官僚。名古屋国税局長、税務大学校長などを務めた。血液型はA型。神奈川県藤沢市鵠沼松が岡4丁目在住。趣味は俳句、ゴルフ。 北海道釧路市出身(父は北海道、母は山形県)。東京都立千歳丘高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程を中退し、1971年4月 大蔵省入省(主計局調査課)。1976年7月 飯田税務署長。1990年7月5日 関東財務局総務部長。1992年7月7日 造幣局東京支局長。1994年7月1日 国税庁長官官房会計課長。1996年7月12日 広島国税局長。1998年7月1日 名古屋国税局長。
椎谷 建治(しいや けんじ、1947年3月16日 - 199… 椎谷 建治(しいや けんじ、1947年3月16日 - 1997年3月27日)は、日本の俳優。本名同じ。 北海道釧路市出身。北海道釧路工業高等学校卒業。 1970年代から90年代にかけての刑事ドラマや時代劇において、悪役としての出演作が多数ある。 70年代は日活ロマンポルノ映画でも活躍していた。椎谷 健二とクレジットされている作品もある。 1997年3月27日、耳下腺リンパ腺癌にて死去。50歳没。 現代制作舎を経て、ライトハウスに所属していた。
綿貫 健輔 (、1946年6月13日 - )は、日本の政治家… 綿貫 健輔 (、1946年6月13日 - )は、日本の政治家。元・釧路市長(2期)。 北海道釧路市出身。1969年早稲田大学法学部卒。同年帰郷し、(株)綿貫商店に入り、後に代表取締役となる。1977年釧路市議に初当選し、2期務める。1983年自民党北海道議になり、4期務める。1996年釧路市長鰐淵俊之の衆院選立候補による、釧路市長選挙に立候補し、当選する。2000年に再選する。2002年、釧路市に隣接する釧路町の町長選において、釧路市の助役などが釧路市との合併を公約にした候補を支援したとして公職選挙法違反で逮捕された。綿貫も「トップとしての責任」という理由で11月に市議会議長に辞表を提出したが、その直後に逮捕された。
坤龍 文一郎(こんりゅう ぶんいちろう、1946年2月23日… 坤龍 文一郎(こんりゅう ぶんいちろう、1946年2月23日 - )は、北海道釧路市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は福本 文一(ふくもと ぶんいち)。175cm、112kg。最高位は西十両12枚目。得意技は突き、押し、諸差し、寄り。 若い頃から柔道、相撲と盛んに行った。また四股名は相部屋で同郷の大吉田(のちの乾龍初太郎)とともに知人作家に付けてもらったもの。1961年5月場所初土俵、1972年11月場所に十両昇進するも、在位はこの1場所に終わる。1973年11月場所限りで引退。引退後は料理屋を経営。
前田 勝敏(まえだ かつとし、1945年5月7日 - )は、… 前田 勝敏(まえだ かつとし、1945年5月7日 - )は、日本の実業家。ホーマック(後のDCMホーマック)元会長兼社長・DCM Japanホールディングス(後のDCMホールディングス)初代社長・DCM Japan初代社長。北海道釧路市出身。 ホーマック初のプロパー社長で、カーマ(後のDCMカーマ)・ダイキ(後のDCMダイキ)との経営統合による持株会社・DCM Japanホールディングス(後のDCMホールディングス)の初代社長となった。 しかし、DJHDの社長就任後、ホーマックの取引先やホーマック関連会社役員によるインサイダー事件が発生し、久田宗弘副社長(当時、カーマとDCM Japanの2社の社長を兼任)を後継に指名し、DJHDの社長を引責辞任した。
引木 孝夫(ひきぎ たかお、1944年10月30日 - )は… 引木 孝夫(ひきぎ たかお、1944年10月30日 - )は、北海道釧路市出身の元アイスホッケー選手(フォワード)。 釧路市立鳥取小学校→鳥取中学校を経て、釧路工業高校卒業後の1963年に王子製紙へ入社。1年目の同年からセンターFWのレギュラーとなり、日本リーグでは1966年の第1回から1982年の引退まで17回連続出場し、その間に第1回最優秀選手になるなど最優秀選手3回・得点王2回・アシスト王3回、ベスト6に9度も選ばれるなど活躍。 日本代表FWとして世界選手権に7回、オリンピックに2回(1968年グルノーブル・1972年札幌)出場。世界選手権ではCグループで優勝2回、Bグループで準優勝3回に貢献し、1967年の世界選手権ではCグループながら全勝優勝して世界にその名を轟かせた。
ビン・カシワ/ビンカシワ(英語表記:Bin Kashiwa、… ビン・カシワ/ビンカシワ(英語表記:Bin Kashiwa、本名:柏崎 敏一、1944年5月15日 - 2023年9月6日)は、日本の画家。ホテルマンから、アンリ・ルソーの世界に心魅かれ、突如画家への道を歩み始め、パリ、モンマルトルの丘で観光客相手に描きつづけた。古き佳き時代の“パリの通り”、イマジネーションの世界“パラダイス”人間の愛を基本に“ファミリー”のシリーズと、その描くメルヘンの世界は、多くの人たちの心をとらえて離さない。 1944年、樺太で父留吉、母ヨシの間に生まれ、両親の故郷秋田に引き揚げた後、釧路へ移った。旧旭小、共栄中、釧路商業高で学んだが、子供の頃は特別絵に力を入れてはいなかったという。
西川 博史(にしかわ ひろし、1943年(昭和18年)9月2… 西川 博史(にしかわ ひろし、1943年(昭和18年)9月22日 - )は、日本の経済学者。専門は、経済史。経済学博士(北海道大学・1988年)。北海学園大学経済学部教授・北海商科大学商学部教授等を経て、学校法人北海学園特任教授。北海道釧路市生まれ。 1966年弘前大学文理学部経済科卒業、1970年北海道大学大学院経済学研究科博士課程満期退学(指導教授:長岡新吉)。1988年「日本帝国主義と綿業」で北海道大学より経済学博士の学位を取得。 1970年北海道大学経済学部助手、1972年北星学園大学経済学部助教授、1977年北海学園大学経済学部助教授、1979年中国・対外貿易大学客員教授。中国・煙台大学兼任教授。
秋辺 得平(あきべ とくへい、1943年9月12日 - )は… 秋辺 得平(あきべ とくへい、1943年9月12日 - )は、日本の社会運動家、アイヌ民族運動家。 旧姓は成田。 函館の船大工、成田萬九郎と、タラバ蟹缶詰工場の女工、秋辺ミサの子として、得撫島上陸直前の船で生まれる。なお、母方の祖父母である秋辺福治と秋辺サヨはアイヌで、夫婦の会話はアイヌ語であった。 幼少期から高校卒業まで釧路で育つ。戸籍名は、1990年まで『成田得平』であった。1972年より、札幌で木彫品の製作と販売を手がけるのと同時に、アイヌ復権運動に携わる。1973年10月『ヤイユーカラ・アイヌ民族学会』設立にかかわり、会長として現在に至る。『ヤイユーカラ』とは、「自ら行動する」の意味である。
木村 昌平(きむら しょうへい、1943年5月2日 - 20… 木村 昌平(きむら しょうへい、1943年5月2日 - 2018年7月21日)は、日本の経営者。セコム社長を務めた。北海道釧路市出身。 北海道釧路湖陵高等学校を経て、同志社大学文学部に入学。演劇活動に熱中し、映画監督に憧れていた。1966年に大学を卒業し、セコムに入社。 1975年2月に取締役に就任し、1988年2月に常務、1995年6月に専務を経て、2002年4月に社長に就任。2005年4月に会長に就任。2016年6月に相談役に就任。40歳代の初め頃には、セコム創業者の飯田亮から「俺が興味があるのは、お前がどこまで成長するかだ」と言わしめた人物であった。 社外では全国警備業協会4代目会長、空港保安事業センター評議員、日本救急医療財団理事、日本情報システムユーザー協会常任理事、中央大学大学院客員教授などを歴任した。