弘行(ひろゆき、1978年(昭和53年)3月14日 - )は… 弘行(ひろゆき、1978年(昭和53年)3月14日 - )は、大相撲の十両呼出である。本名は今 弘行(こん ひろゆき)。青森県青森市出身。峰崎部屋→西岩部屋所属。血液型はA型。
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弘行(ひろゆき、1978年(昭和53年)3月14日 - )は… 弘行(ひろゆき、1978年(昭和53年)3月14日 - )は、大相撲の十両呼出である。本名は今 弘行(こん ひろゆき)。青森県青森市出身。峰崎部屋→西岩部屋所属。血液型はA型。
床鳴(とこなる、1975年2月25日 - )は、大相撲の床山… 床鳴(とこなる、1975年2月25日 - )は、大相撲の床山。本名は相馬大岳。青森県青森市出身。現在田子ノ浦部屋所属(所属部屋履歴は鳴戸部屋→田子ノ浦部屋)。現在一等床山を務めている。 稀勢の里の初土俵から断髪式まで17年半にわたって稀勢の里を担当してきた床山である。
大殿 英武(だいでん えいぶ、1970年9月8日 - )は、… 大殿 英武(だいでん えいぶ、1970年9月8日 - )は、青森県青森市出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。本名は伊藤 英武(いとう えいぶ)。身長175cm、体重127kg。得意手は左四つ、下手投げ。趣味は音楽鑑賞。最高位は西十両13枚目(1994年3月場所)。 青森市立甲田中学校時代は柔道部に所属し、全国大会に出場するなど活躍した。中学卒業時に角界入りを希望していたが、身長が足らずに一旦は断念し、青森県立青森北高等学校に進学した。しかし、大鵬親方(元横綱・大鵬)から「身長が伸びたら来なさい」と言われたことで、身長が規定に達したため高校を中退して上京し、大鵬部屋に入門した。1986年9月場所に初土俵を踏んだ。
浪乃花 教天(なみのはな かずたか、1969年3月19日 -… 浪乃花 教天(なみのはな かずたか、1969年3月19日 - )は、青森県南津軽郡浪岡町(現:青森市)出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は工藤 和博(くどう かずひろ)。現役時代の体格は178cm、135kg。最高位は東小結(1995年3月場所)。得意手は突き、押し。血液型はO型。 農家の三男として生まれ、浪岡町立野沢小学校時代は相撲大会で常に優勝し、3年生の時には4年生の部で優勝するなど活躍した。浪岡中学校時代は相撲から離れて陸上部で活躍し、将来は体育教員を志していた。しかし、中学校3年の時に家へ訪ねて来た10代二子山(元横綱・初代若乃花)から勧誘され、中学校卒業後に二子山部屋へ入門。
大觥 吉男(たいこう よしお、1953年10月30日 - )… 大觥 吉男(たいこう よしお、1953年10月30日 - )は、青森県青森市出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は横山 吉男(よこやま よしお)。最高位は西前頭8枚目(1978年7月場所)。現役時代の体格は174cm、133kg。得意手は左四つ、寄り。 建築業の家庭に、8人兄弟の末っ子として生まれた。もともと本人は力士になる気がなかったが、長兄は青森県下のアマチュア相撲の強豪で東奥日報杯の一般の部でも優勝しており、この長兄が熱心に角界入りを勧めた。最終的には両親の反対も押し切って、中学校在学中に二子山部屋へ入門した。 初土俵は、1968年11月場所。初土俵の同期生には、後の小結・青葉山と前頭・影虎がいる。
魁罡 功(かいごう いさお、1941年11月16日 - 没年… 魁罡 功(かいごう いさお、1941年11月16日 - 没年不明 )は、青森県青森市金沢出身で二子山部屋(入門時は花籠部屋)に所属した大相撲力士。本名は大村 功(おおむら いさお)。現役当時の体格は182cm、111kg。得意手は右四つ、投げ。最高位は西前頭5枚目(1969年5月場所、同年11月場所)。 数ある四股名の中でも、最も読めない名の一つに挙げられる。1967年7月場所より名乗っていた魁罡とは、「星の王様」を意味するという。 中学生時代は自動車部に所属し、運転手を志していた。しかし、自動車以上に相撲が好きであったこともあり、巡業で横綱・初代若乃花が青森を訪れた際には、自ら若乃花に入門の意志を伝えそのまま上京してしまった。
長八(ちょうはち、1935年(昭和10年)12月15日 - … 長八(ちょうはち、1935年(昭和10年)12月15日 - )は、大相撲の元三役呼出。本名は川村 健治。青森県青森市出身。高島部屋→友綱部屋所属。
芳野嶺 元志(よしのみね もとし、1931年7月7日 - 2… 芳野嶺 元志(よしのみね もとし、1931年7月7日 - 2012年2月17日)は、青森県東津軽郡後潟村(現・同県青森市小橋)出身で友綱部屋(入門から1961年5月場所前までは、高嶋部屋)に所属した大相撲力士。本名は山口 政志(やまぐち まさし)。得意手は右四つ、寄り、押し。身長173cm、体重96kg。自己最高位は、東前頭8枚目(1958年9月場所)。 同郷であった当時の高嶋親方(元前頭4・八甲山)と、彼の弟子で同じく同郷の眺望山(後の神錦)を頼って、16歳の時に角界入り。 その切っ掛けとなったのは、1947年6月に岩手県和賀郡黒沢尻町(現在の同県北上市)で行われた巡業であった。 同年11月場所にて初土俵を踏み、1948年5月、「八潟錦」の四股名で序ノ口に付いた。
津軽冨士 節三(つがるふじ せつぞう、1926年4月28日 … 津軽冨士 節三(つがるふじ せつぞう、1926年4月28日 - 没年不明 )は、青森県青森市出身で高島部屋に所属した元大相撲力士。本名は島田 節三(しまだ せつぞう:旧姓工藤)。身長170cm、体重79kg。最高位は西十両13枚目。得意技は押し。 1942年1月場所に「野嵜川」の四股名で初土俵を踏む。1943年5月場所で「津軽冨士」に改名した。1948年5月場所に新十両。この場所は3勝8敗の成績に終わった。その後十両返り咲きを目指したがそれもかなわず、幕下で2年取った後1950年9月場所廃業した。 廃業後は料理の道に進み、三菱電機のコックを勤めながら勉学に励み、大阪経済大学に入り、1962年に卒業した。
神錦 國康(かみにしき くにやす、1925年8月28日 - … 神錦 國康(かみにしき くにやす、1925年8月28日 - 2005年10月22日)は、青森県東津軽郡奥内村(現役当時、現在の同県青森市清水)出身で高嶋部屋に所属した大相撲力士。本名は山口 健二郎(やまぐち けんじろう)。得意手は右四つ、外掛け、吊り。最高位は西前頭5枚目(1953年5月場所)。現役時代の体格は180cm、96kg。 15歳の時上京し、同郷の元前頭4枚目・八甲山が率いる高嶋部屋へ入門。1941年5月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は、「眺望山」。 その後、1948年5月場所で新十両に昇進し、翌年1月場所にて新入幕を果たした。この時の四股名は、本名と同一の「山口」であったが、1950年5月場所より「神錦」に改名。
一錦 周之助(いちにしき しゅうのすけ、1924年5月20日… 一錦 周之助(いちにしき しゅうのすけ、1924年5月20日 - 2012年7月20日)は、青森県東津軽郡横内村(現:青森市)出身で高嶋部屋所属の大相撲力士。本名は鳴海 周之助(なるみ しゅうのすけ)。現役時代の体格は身長177cm、体重79kg。最高位は西十両7枚目(1951年5月場所)。得意技は突っ張り・右四つ・上手投げ。2代安治川、9代友綱。魁将龍の祖父、巴潟の義弟、魁輝の義父。引退後は友綱部屋を継承し、停年まで後進の指導に当たった。 17歳の時に高嶋部屋に入門し、1942年1月場所に初土俵を踏んだ。1946年11月場所には初土俵から所要9場所(当時は年2場所制)で十両に昇進した。しかし同場所を全休し、1場所で幕下に陥落。
陸奥ノ洋 光司(むつのなだ こうじ、1913年6月1日 - … 陸奥ノ洋 光司(むつのなだ こうじ、1913年6月1日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋所属。本名は溝口弥二郎。最高位は十両14枚目。 青森県青森市出身。出羽海部屋に入門し、1931年3月に本名の「溝口」で初土俵を踏む。1938年5月に十両に昇進。この間四股名を「溝江」から「陸奥ノ洋」に変えた。新十両の場所は5勝8敗と負け越し、幕下に落ちてからは勝ち越すことなく1940年5月で廃業した。 溝口→溝江→陸奥ノ洋
桂川 力蔵(かつらがわ りきぞう、1895年9月30日 - … 桂川 力蔵(かつらがわ りきぞう、1895年9月30日 - 1955年1月7日 )は、青森県東津軽郡野内村(現在の青森市)出身で入間川部屋に所属した元大相撲力士。本名は根井 蔵次郎。最高位は東十両5枚目。 1916年入間川部屋に入門、同年5月場所「中ノ汐」の四股名で初土俵を踏む。翌1917年1月場所から「桂川」に改名した。1921年1月場所新十両。この場所は3勝2敗と勝ち越した。場所後の台湾巡業に向かう途中、左目が急に痛み出し、急遽治療のため日本に戻った。診察の結果原因は不明だった。その後は治療に専念したが5月場所は全休。病状が悪化しついに失明した。失明により相撲が取れなくなったため、この場所限りで廃業した。
浪泉 藤市(なみいずみ とういち、1893年12月10日 -… 浪泉 藤市(なみいずみ とういち、1893年12月10日 - 1965年3月25日 )は、青森県南津軽郡大杉村(現青森市)出身で振分部屋に所属した元大相撲力士。本名は成田 藤一。最高位は西十両3枚目。 浪ノ音の振分部屋に入門。翌1911年2月場所で「浪泉」の四股名で初土俵を踏む。1914年5月場所十両に昇進した。この場所では0勝4敗1預の成績に終わり、幕下に落ちた。1915年6月場所で再十両となったがここでも2勝3敗と負け越し、再び幕下に落ちた。投げに拘る相撲から一気に寄るという取り口に変えてから3度目の十両昇進となった1916年5月場所で3勝1敗1預と初めて勝ち越した。翌場所も3勝2敗と勝ち越し1917年5月場所自己最高位となる西十両3枚目まで躍進した。
八甲山 純司(はっこうざん じゅんじ、1884年8月3日 -… 八甲山 純司(はっこうざん じゅんじ、1884年8月3日 - 1951年1月10日)は、青森県東津軽郡横内村(※現役当時、現・同県青森市)出身で湊川部屋(入門時は若松部屋)に所属した大相撲力士。本名は、清藤 純司(せいどう じゅんじ)。引退後は8代高島を襲名して高島部屋を創設、大関をはじめとする多くの幕内力士を育てた。 1884年8月3日に、当時の青森県東津軽郡横内村で生まれる。子供の頃から怪力で、19歳で土地相撲での活躍を見た若松から勧誘されたが、自身は長男だったために両親から反対された。それでも3年後に角界入りを決意し、兵役終了後に家出して若松部屋へ入門した。1908年1月場所において幕下付出で初土俵を踏むと順調に出世していき、1910年6月場所で新十両昇進、その十両も1場所で通過して1911年2月場所では新入幕を果たすというスピード出世だった。
浪ノ音 健藏(なみのおと けんぞう、1882年3月14日 -… 浪ノ音 健藏(なみのおと けんぞう、1882年3月14日 - 1967年11月25日)は、現在の青森県青森市出身で高砂部屋に所属した力士。本名は鎌田 健藏。11代振分。166cm、79kg。最高位は西関脇。 子供の時から小兵ながら土地相撲で取っていたが、1897年の夏に高砂の一行が巡業に来た時に同県の綾浪を頼り入門した。1898年1月初土俵、1906年1月新入幕。入幕3場所目には小結に上がり、当時大関であった荒岩亀之助を引き落としで破る殊勲を挙げた。1907年5月関脇昇進。それ以降は中堅に甘んじた。1914年5月幕下に陥落して引退し11代振分を襲名。振分部屋を創設し、大ノ高などを育て、勝負検査役などを務めた。
綾浪 源鋭(あやなみ げんえい、1881年7月6日 - 19… 綾浪 源鋭(あやなみ げんえい、1881年7月6日 - 1927年10月27日)は、現在の青森県青森市出身で追手風部屋に所属した力士。本名は一戸 源逸。8代湊川。179cm、101kg。最高位は東関脇。 6代高砂の遺弟子。1900年5月序ノ口、1909年1月十両昇進、1910年1月新入幕。幕下時代に日露戦争に従軍し、金鵄勲章功六級と勲八等白色桐葉章を授与された。後に土俵入りで化粧廻しに勲章をつけて人気を博した。1911年2月に横綱梅ヶ谷と引き分け、1912年5月関脇昇進。1915年5月には新鋭栃木山を破っているが1916年1月引退し、8代湊川を襲名。湊川部屋を再興し、綾錦や楢錦を育てた。 二所ノ関部屋を率いた玉錦が若い頃に酒で暴れて立場を悪くした時、綾浪は親身になって玉錦を庇って救った。