田中 勘太(たなか かんた、1998年1月3日 - )は、岩… 田中 勘太(たなか かんた、1998年1月3日 - )は、岩手県大船渡市出身のプロサッカー選手。中国サッカーリーグ・福山シティFC所属。ポジションは、ゴールキーパー(GK)。 ベガルタ仙台のアカデミー出身。2015年7月、トップチームに2種登録された。2016年シーズン開幕当初のベガルタ仙台は、GK2人が負傷離脱した事情があり3月に2種登録され、びわこ成蹊スポーツ大学入学後の4月からは特別指定選手として仙台に再登録された。2017年も、8月に特別指定選手として仙台に登録された。 2020年より、カターレ富山へ加入した。2021年12月6日、契約満了による退団が発表された。2021年12月9日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場。
千葉 開(ちば かい、1993年3月3日 - )は、日本の元… 千葉 開(ちば かい、1993年3月3日 - )は、日本の元プロボクサー。現在横浜光ボクシングジムのマネージャー兼トレーナー。第52代OPBF東洋太平洋バンタム級王者。 岩手県大船渡市出身。その後に沖縄へ移住。那覇市立小禄中学校を経て沖縄県立那覇高等学校中退。 ボクシングは平仲明信が主宰する平仲ボクシングスクールにて始める。祖父はアマチュアの日本チャンピオンだった人物。実妹はプロゴルファーの千葉華(2022年プロテスト合格)。 2019年5月10日、後楽園ホールで中川抹茶とバンタム級8回戦を行い、8回3-0(77-75、78-75、77-76)判定勝ちした。 2020年12月26日、墨田区総合体育館で石川春樹と対戦し、8回3-0(80-72×2、79-73)で判定勝ちした。
藤野 有理(ふじの ゆり、1990年11月23日 - )は、… 藤野 有理(ふじの ゆり、1990年11月23日 - )は、日本の女性モデルである。エイジアプロモーション所属。岩手県大船渡市出身、特技としてギターと書道を挙げている。講談社 ミスiD2016。MAQUIA やar、BAILA、VoCE 等の女性ファッション誌でモデルを務めていた。2020年1月17日、所属事務所であるエイジアプロモーションを2019年12月31日付で退所したことを自身のインスタグラムで発表した。 この項目は、ファッション関係の人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル ファッション)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
菅生 翔平(すごう しょうへい、1989年10月11日 - … 菅生 翔平(すごう しょうへい、1989年10月11日 - )は、宮城県を中心に活動するフリーアナウンサー・学習塾講師で、東北放送(TBC)の元アナウンサー。 岩手県大船渡市の出身で、岩手県立一関第一高等学校への在学中には硬式野球部で活動していた。高校時代の同級生に同じ野球部だった阿部寿樹(中日ドラゴンズ内野手)や佐藤千尋(女子プロ野球の愛知ディオーネで内野手や外野手としてプレー)がおり、1学年先輩に藤原梨香(元テレビユー福島アナウンサー)がいる。 慶應義塾大学卒業後の2012年4月1日付で、アナウンサーとして東北放送(TBC)に入社。入社後は、スポーツ関連の番組・中継を担当するかたわら、2016年4月から『Nスタみやぎ』(平日夕方の宮城ローカル向け報道・情報番組)で月 - 水曜日のメインキャスターを務めていた。
汐谷 恭一(しおや きょういち、1988年12月12日 - … 汐谷 恭一(しおや きょういち、1988年12月12日 - )は、岩手県大船渡市出身の俳優。 VIVIT(現:アンカット)に所属していた。 身長173.5 cm。体重64 kg。 特技は野球、ラグビー、料理。趣味は映画鑑賞、読書、体を動かす事。 弟は声優、俳優の汐谷文康。
佐藤 有希(さとう ゆき、1984年9月6日 - )は、フリ… 佐藤 有希(さとう ゆき、1984年9月6日 - )は、フリーアナウンサー、気象予報士。元秋田放送勤務。
松田 賢太(まつだ けんた、1984年8月22日 - )は、… 松田 賢太(まつだ けんた、1984年8月22日 - )は、岩手県大船渡市出身の元サッカー選手。ポジションは、MF。 盛岡商業高校3年時に、レギュラーとして第81回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。八戸大学(現・八戸学院大学)を経て、2007年にグルージャ盛岡へ入団した。 2013年は主将として第37回全国地域サッカーリーグ決勝大会優勝及び2014年のJ3リーグ入会の原動力となった。 2016年はオーバートレーニング症候群を発症して戦線を離脱。同年をもって現役を引退。翌年からはグルージャのフロントスタッフとして強化・プロモーション担当やスクールコーチ、U-18コーチを歴任。2020年3月をもってグルージャを退団、同年4月からは盛岡市に発足したジュニアサッカースクール「FC AOBA」の監督を務めている。
中田 洋介(なかた ようすけ、1981年9月15日 - )は… 中田 洋介(なかた ようすけ、1981年9月15日 - )は、岩手県大船渡市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、高校教諭。ポジションはディフェンダー、もしくはミッドフィールダー。 岩手県大船渡市に生まれ、小学3年生の時に地元の大船渡三陸FCに入団しサッカーを始める。 1997年に岩手県立大船渡高等学校入学。小笠原満男は高校時代の2学年先輩にあたる。3年次に地元岩手で開かれた高校総体にチームのキャプテンとして出場した。第78回全国高等学校サッカー選手権大会にも出場したが1回戦で中山元気、高松大樹擁する多々良学園に敗れた。 高校卒業後は、駒澤大学へ進学。1年先輩の巻誠一郎や深井正樹、同学年の橋本早十らと供に数多くの大学タイトルを獲得。
志田 宗大(しだ むねひろ、1979年6月16日 - )は、… 志田 宗大(しだ むねひろ、1979年6月16日 - )は、岩手県大船渡市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は、中日ドラゴンズのアナリスト。 仙台育英高校では1年から3年連続で夏の甲子園に内野手で出場。青山学院大学時代は後に一緒にヤクルト入りする石川雅規と同期で、2年からは外野で4年時の2001年はセンターを守っていた。2年の大学選手権ではレギュラーで優勝。4年生の時には、翌2002年オフに読売ジャイアンツ(巨人)に自由枠で入団することになる木佐貫洋から本塁打を放つ活躍を見せている。東都大学リーグ通算95試合出場、326打数91安打、打率.279、4本塁打、34打点。ベストナイン2回受賞。
佐藤 正則(さとう まさのり、1979年1月15日 - )は… 佐藤 正則(さとう まさのり、1979年1月15日 - )は、元東北放送(tbc)所属の気象予報士兼キャスター。 2002年入社。報道記者を2年間勤めた後、気象キャスターに。岩手県大船渡市出身。岩手県立大船渡高等学校、東北大学教育学部卒業。ニックネームは「まさくん」。大学2年時に気象予報士取得。第1回気象キャスターコンテスト(2005年)ではサイエンス賞を受賞。 写真が趣味で、「SENDAI光のページェント」や「みちのくYOSAKOIまつり」などの写真コンテストで入選もある。
鈴木 英里(すずき えり、1979年 - )は、日本の実業家… 鈴木 英里(すずき えり、1979年 - )は、日本の実業家、東海新報社代表取締役社長・3代目、新聞記者、ジャーナリスト。 1979年、岩手県大船渡市生まれ。家業は祖父・鈴木正雄が創業した東海新報社で、父・鈴木英彦が2代目社長。兄が2人おり、末っ子の長女として育つ。 高校時代も地元岩手に愛着を持ち、岩手県内の大学進学を考えていたところ、母親から地元を離れ視野を拡げることを勧められ、東京の立教大学文学部日本文学科へ進学。 大学卒業後は東海新報社を継ぐと決めていたが、憧れでもあった雑誌編集者の仕事を経験するため、東京の出版社に就職し、住宅誌やアニメ雑誌の編集を行った。 母親が病で倒れたことから地元へ戻ることを決め、28歳の時に岩手へ戻り、東海新報社に入社。
濱守 栄子(はまもり えいこ、1978年3月17日 - )は… 濱守 栄子(はまもり えいこ、1978年3月17日 - )は、日本のシンガーソングライターである。岩手県大船渡市出身で、岩手県立高田高等学校を卒業。「さんりく・大船渡ふるさと大使」に就任している。 「濱守栄子」の他に「HAMA」「はまもり えいこ」という別名義もある。 2014年(平成26年) 活動拠点を盛岡市に移す。 2015年(平成27年) スタジオジブリ公認「ハイテンションジブリ Volume.2」にとなりのトトロオープニング曲「さんぽ」で参加。 2016年(平成28年) ミニアルバム「遠い空の上で・・・」を発売。 大船渡応援アルバム「LOVE!OFUNATO」にM1「さんりく大船渡音頭」で参加。
今野 章(こんの あきら、1974年9月12日 - )は、日… 今野 章(こんの あきら、1974年9月12日 - )は、日本の元プロサッカー選手、現指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー。 高校は地元の大船渡高校に進学。大学は国士舘大学へ進学。2年次からレギュラーを獲得しチームの攻撃の中心として活躍した。1997年にジュビロ磐田へ入団。同じポジションには当時日本代表だった名波浩、藤田俊哉、奥大介などがいたために、控えに甘んじる日々が続き、右サイドバックなどにも挑戦したが、レギュラー獲得とまではいかなかった。 2000年に川崎フロンターレへ移籍。主にトップ下として出場機会も増え、2003年にはチームのゲームキャプテンを務めるなど長年にわたり中心選手としてチームを支えた。
横道 毅(よこみち たけし、1969年5月21日 - )は、… 横道 毅(よこみち たけし、1969年5月21日 - )は、日本の男性俳優。花組芝居所属。屋号は晴屋(はれるや)岩手県大船渡市出身。 岩手県立大船渡高等学校、横浜国立大学卒業。国家公務員(国税専門官)時代を経て、1993年、花組芝居に入座。 入座以来現在まで、2009年「ナイルの死神」、2018年「天守物語」以外の花組芝居本公演全てに出演。 商業演劇、ミュージカル、他劇団への客演などもしている。 劇団公演では女形・立役を兼ねる。 2010年より声優事務所RME株式会社にも籍を置く。 俳優活動と併行して、2011年の東日本大震災で甚大な被害を被った故郷・大船渡市のために、 大船渡津波伝承館のPR活動、防災・減災意識の啓蒙、物産品の販売など、ボランティアも精力的に行っている。
栗生澤 淳一(くりうざわ じゅんいち、1965年2月25日 … 栗生澤 淳一(くりうざわ じゅんいち、1965年2月25日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。元バレーボール日本男子代表。 現福井工業大学バレーボール部監督。 岩手県大船渡市出身。大船渡高、中央大学を経て、1987年日本たばこ産業(JT)広島支店に入社、日本たばこバレー部に入部。主力センターとして活躍した。 その活躍から全日本代表に選抜される。1992年バルセロナオリンピック出場、アジア選手権には3度出場し、1989年準優勝、1991年優勝、1993年3位に貢献した。 1994年から始まったVリーグにもJTサンダーズの一員として引き続き参加。1998年現役を引退。 直後から母校中央大学バレー部監督に就任し6年間務めた。
益子 浩二(ましこ こうじ、1960年〈昭和35年〉7月 -… 益子 浩二(ましこ こうじ、1960年〈昭和35年〉7月 - )は、日本の内閣府認証NPO法人全国結婚支援機構認定結婚相談士、結婚カウンセラー、一般社団法人日本販売士協会の販売士養成講習会等登録講師。宇都宮結婚相談所代表。 岩手県大船渡市生まれ。3人兄弟の次男。 自動車会社の営業からスタートし、中学校の社会科の教師、中堅コンビニチェーンam/pmを経て、45歳でサラリーマンをリタイアする。四国お遍路、秩父巡礼、ピースボートで地球一周後、宇都宮結婚相談所を開業。
新沼 謙治(にいぬま けんじ、1956年(昭和31年)2月2… 新沼 謙治(にいぬま けんじ、1956年(昭和31年)2月27日 - )は、日本の演歌歌手。 宇都宮の左官屋で働いていた19歳の頃、歌好きな親方に勧められて町内ののど自慢に出ると優勝した。すると周りから「これならおめえ、『スター誕生!』でも合格するんでねえか?」と乗せられ、同番組に応募する。しかしその後は「予選会では挑戦者700人の中から1次通過の20人には残るが、テレビに出る7人には選ばれない」という状況が4度続く。5度目の挑戦で歌唱曲を五木ひろしの『哀恋記』に変えたことで本戦出場を果たす。 後日行われた後楽園ホールのテレビ予選では、音質の良いマイクと生バンドの音で歌えたことが気持ち良くて自分の歌声に酔いしれてしまい、歌唱直後に司会の萩本から質問されてもしばらくボーッとしていたという。
佐々木 七恵(ささき ななえ、結婚後の氏名:永田 七恵、19… 佐々木 七恵(ささき ななえ、結婚後の氏名:永田 七恵、1956年2月8日 - 2009年6月27日)は、1980年代に活躍した女子陸上競技(主に長距離走・マラソン)選手、指導者。1984年ロサンゼルスオリンピック女子マラソン日本代表。 岩手県大船渡市出身。岩手県立住田高等学校、日本体育大学卒業。大卒後は教育職を経て、瀬古利彦らがいたヱスビー食品に所属。増田明美らとともに、初期の日本女子マラソン界を代表する選手の1人だった。 5男2女の7人兄弟の末娘として生まれたことから七恵と命名される。日頃市中時代はバレーボール部に所属し、[要出典]住田高時代から兄の影響で陸上競技を始める。日体大時代までは中距離の選手としてインカレ等で活躍し、大学卒業後マラソンに進む。
桜田 和之(さくらだ かずゆき、1954年2月21日 - )… 桜田 和之(さくらだ かずゆき、1954年2月21日 - )は、日本の実業家、テレビプロデューサー。静岡第一テレビ代表取締役会長・元社長。岩手県大船渡市出身。 日本テレビ放送網の元チーフプロデューサーで、編成局次長、編成部長、子会社である日本テレビビデオ・日テレアックスオン代表取締役社長、日本テレビ執行役員バラエティ局長、制作局長、取締役執行役員人事局長、日本テレビホールディングス取締役を歴任した。 実兄にモスバーガー創業者の櫻田慧がいる。 岩手県立大船渡高等学校、早稲田大学第一文学部文芸学科卒業後、1978年に日本テレビ入社。同期に中京テレビ放送代表取締役会長の小松伸生がいる。入社後は多くのバラエティ番組を手掛けた。
藤原 良信(ふじわら よしのぶ、1951年8月13日 - )… 藤原 良信(ふじわら よしのぶ、1951年8月13日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(1期)、岩手県議会議員(5期)を歴任。 岩手県大船渡市生まれ。実家は農業を営んでいた。大船渡市立日頃市小学校、大船渡市立日頃市中学校、岩手県立大船渡高等学校を経て1974年に日本大学法学部法律学科を卒業した後、在学中に書生だった縁で小沢一郎の秘書となる。 1987年に岩手県議会議員に当選。5期を務め県議会議長、全国議長会副会長などを歴任した。所属政党は自民党→新生党→新進党→自由党→民主党と小沢と共に行動する。 県議会議長時代は議長の諮問機関として議会改革検討委員会を設置し県議会の改革を促進、達増拓也知事誕生にも大きく貢献した。
戸田 公明(とだ きみあき、1949年(昭和24年)5月7日… 戸田 公明(とだ きみあき、1949年(昭和24年)5月7日 - )は、日本の政治家。岩手県大船渡市長(3期)を務めた。 岩手県三陸町(現:大船渡市)吉浜生まれ。大船渡市立盛小学校、大船渡市立第一中学校、岩手県立盛岡第一高等学校、東北大学工学部建築学科卒業。1972年、清水建設に入社。1986年、社命によりアメリカ合衆国のハーバード大学に留学。また、社命により上海営業所長や北京駐在員事務所長、香港営業所長等を務め、2006年9月に同社を退社した。同年の大船渡市長選に立候補したが、落選。2007年1月、医療法人勝久会の専務理事に就任し、2010年9月まで務めた。 2010年11月21日投開票の大船渡市長選挙に公明党の推薦を受けて出馬。
佐々木 茂(ささき しげる、1949年3月20日 - )は、… 佐々木 茂(ささき しげる、1949年3月20日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手(投手)。 大船渡高では、野球部に所属しておらず、バレー部に所属し国体にも出場している。 高校卒業後は、大船渡市場に入り、魚市場に勤め始めてから大船渡パイレーツという地元の軟式チームに入団。地方大会で活躍していた。その後は硬式の大船渡クラブで投げていたところヤクルトのスカウトの目にとまり、1972年にドラフト外でヤクルトアトムズに入団する。 1軍の試合には出場することなく、1978年に現役を引退した。その後は打撃投手も務めた。
浅野 史郎(あさの しろう、1948年〈昭和23年〉2月8日… 浅野 史郎(あさの しろう、1948年〈昭和23年〉2月8日 - )は、日本の政治評論家、コメンテーター。元神奈川大学特別招聘教授。元慶應義塾大学総合政策学部教授。元宮城県知事(公選第15・16・17代)、元厚生官僚。 岩手県大船渡市生まれ、宮城県仙台市育ち。神奈川県横浜市在住。仙台第二高等学校3学年に在学中には、「受験生への密着リポート」として、数ヵ月にわたって地元テレビ局の取材を受けた。 東京大学法学部卒業後にはキャリア官僚として厚生省(当時)に入省、同省において障害福祉課長を務めた。1993年、ゼネコン汚職事件に係わって当時の宮城県知事・本間俊太郎が辞職、その後の知事選挙に新生党・日本新党・さきがけ・社民連の推薦を受け立候補し初当選、戦後生まれ3人目の知事に就任した。
甘竹 勝郎(あまたけ かつろう、1943年11月9日 - )… 甘竹 勝郎(あまたけ かつろう、1943年11月9日 - )は、日本の政治家。元岩手県大船渡市長(4期)、気仙歴史文化研究会会長。旭日小綬章受章。 岩手県大船渡市出身。法政大学経済学部卒。卒業後は岩手県立大船渡高校教諭などを務め、1988年大船渡市議会議員に当選する。1994年大船渡市長選挙に立候補し、初当選し、4期務める。在任中の2000年に隣接する気仙郡三陸町が編入された。また、男女地域づくりを推進し、1996年に同市で「女性サミット」が開催された。2010年に市長を引退した。 2014年 春の叙勲で地方自治功労により旭日小綬章を受章
柏梁 勝雄(はくりょう かつお、1942年12月10日 - … 柏梁 勝雄(はくりょう かつお、1942年12月10日 - 2019年1月16日)は、岩手県気仙郡三陸町(現大船渡市)出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は中村 勝男(なかむら かつお)。188cm、110kg。得意技は左四つ、寄り。最高位は西十両3枚目。 子供の時は相撲と野球が好きだったが、1対1で力をぶつけ合う相撲の方に魅力を感じ、高校の担任に相談すると入門を勧められたので、柏戸を慕って伊勢ノ海部屋に手紙を書いてもらって入門を願った。部屋からは「学校を中途退学して上京しろ、1日も早い方が良い」と返事が来たので両親と相談したが、母には「中退するなんていけない事だ」と反対されたが説得し、高校を中途退学して上京した。
山浦 玄嗣(やまうら はるつぐ、1940年 - )は、岩手県… 山浦 玄嗣(やまうら はるつぐ、1940年 - )は、岩手県大船渡市出身の医師、詩人、言語学者。 1940年、東京市大森区山王生まれ。出生後すぐに医師であった母親の故郷である岩手県釜石市に移り、同県気仙郡越喜来村や盛町に育つ。1966年に東北大学医学部を卒業、1971年には東北大学大学院修了(学位は医学博士)。その後、東北大学抗酸菌病研究所放射線医学部門助教授を務め、1986年に岩手県大船渡市で山浦医院を開業、2010年には山浦医院を運営する医療法人隆玄の理事長に就任した。 ケセン語の提唱者として有名で、1975年頃からケセン語の研究に取り組み、1990年に地方文化振興に尽力したことを認められ、岩手県教育表彰を受賞した。
櫻田 慧(さくらだ さとし、1937年1月19日 - 199… 櫻田 慧(さくらだ さとし、1937年1月19日 - 1997年5月24日)は、日本の実業家。ハンバーガーチェーン「モスバーガー」を運営するモスフードサービスの創業者で、初代代表取締役社長を務めた。 元日本テレビプロデューサーで、静岡第一テレビ代表取締役会長・元社長の桜田和之は実弟。モスフードサービス代表取締役会長の櫻田厚は甥。 岩手県出身。1960年日本大学経済学部卒業、同年日興証券に入社、1965年退社。 ロサンゼルスで知ったトミーズ(w:Original Tommy's)のハンバーガーを日本人向けにアレンジした「モスバーガー」を、1972年日興証券の同僚3人で事業化させ「モスフードサービス」を設立し、代表取締役社長に就任。
金野 靜一(きんの せいいち、1924年9月15日 - 20… 金野 靜一(きんの せいいち、1924年9月15日 - 2021年5月18日)は、日本の歴史学者、教育者。元岩手県立博物館長。 岩手県大船渡市出身。立正大学地理歴史科卒業。岩手県立高校教諭、岩手県立盛岡第二高等学校校長、岩手県立博物館長。盛岡大学短大部教授、岩手県文化財保護審議会長、岩手県教育弘済会理事長を歴任。 2021年5月18日、急性心筋梗塞のため死去。
山下 文男(やました ふみお、1924年〈大正13年〉1月1… 山下 文男(やました ふみお、1924年〈大正13年〉1月16日 - 2011年〈平成23年〉12月13日)は、いわゆる「津波てんでんこ」を広めた日本の津波災害史研究家。元日本共産党中央委員会文化部長。『津波ものがたり』で「日本自然災害学会賞」功績賞、「平成15年度防災功労者表彰」などを受賞。 1924年1月16日生まれ。岩手県気仙郡綾里村(現大船渡市三陸町綾里)出身。1896年の明治三陸津波では、山下の祖母ら親族3人を含む一族9人が溺死した。1933年の9歳の時にも昭和三陸津波に遭い、高台に登って難を逃れた。この時期の昭和東北大凶作も体験している。 1967年の善隣学生会館事件について、「井上清の中傷に答える 厳然たる事実にもとづいて」を著し、歴史学者井上清による日本共産党と日中友好協会への批判に反論した。
臼井 勝三(うすい かつぞう、1913年(大正2年)5月24… 臼井 勝三(うすい かつぞう、1913年(大正2年)5月24日 - 2004年(平成16年)5月20日)は、日本の政治家。岩手県大船渡市長(3期)。 岩手県大船渡市出身。高小卒。卒業後は、郵便局に勤務し、その後、気仙郡広田村役場に入り、書記となる。戦時中の1939年に召集され、4年後に帰還、復職し、収入役、助役となる。。戦後は盛岡市役所に転じ、文書、審査の各係長を務めた。1953年に市制施行後の大船渡市に戻り、市役所に勤務。福祉事務所長、産業、総務、財務の各課長を経て、収入役、助役となり、1976年、大船渡市長に当選した。市長は3期務め、3期途中の1986年に病気のため退任した。1987年秋の叙勲で勲四等瑞宝章受章。
及川 マツノ(おいかわ マツノ、1889年〈明治22年〉2月… 及川 マツノ(おいかわ マツノ、1889年〈明治22年〉2月20日 - 2002年〈平成14年〉1月3日)は、長寿日本一であった岩手県の女性。 1889年、岩手県大船渡市に生まれる。 1918年から大船渡市内の自宅で旅館業を始める。夫利三郎との間には1男2女をもうけた。利三郎の死後は女手一つで子供たちを育てた。 1999年に110歳を迎えた。東北地方では最高齢となり、全国でも4番目の長寿者になった。同年9月には自宅に親族や増田知事などが集い、鶴があしらわれた銀杯などが贈られた。 109歳頃に風邪を引いたがその後も元気で、朝7時に起床し、夜9時に就寝の生活であった。2000年12月には入れ歯が喉に詰まり、一時呼吸停止するなど入院もしたが回復。
水上 斉之助(みずかみ さいのすけ / せいのすけ、1869… 水上 斉之助(みずかみ さいのすけ / せいのすけ、1869年11月4日〈明治2年10月1日〉 - 1944年〈昭和19年〉10月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 陸前国気仙郡吉浜村(のち岩手県気仙郡吉浜村→三陸村→三陸町、現・大船渡市)出身。気仙郡唐丹村(現・釜石市)で長年にわたり、水産業に従事する。兄の水上助三郎とともに千島列島近海のサケ・マス漁業やラッコ・オットセイ猟、メキシコ沿岸でのマグロ・カツオ漁に出漁し、帰国後は吉浜湾でのアワビの養殖に手を染め、中国への輸出を手掛けた。 政治面では、1910年に唐丹村会議員となり、3期務める。ほか、気仙郡会議員となり、1930年の第17回衆議院議員総選挙において岩手2区から立憲民政党公認で立候補して当選し、衆議院議員を1期務めた。
水上 助三郎(みずかみ すけさぶろう、1864年4月4日(元… 水上 助三郎(みずかみ すけさぶろう、1864年4月4日(元治元年2月28日) - 1922年(大正11年)7月30日)は、日本の漁業家。 陸前国気仙郡吉浜村(のち岩手県気仙郡吉浜村→三陸村→三陸町、現・大船渡市)千歳(せんざい)で半農半漁の家の水上助十郎の長男に生まれる。1881年(明治14年)父の金を持ち逃げして、上京、東京では煎餅屋に奉公した後、養鶏業を始めた。翌年、父に呼び戻され、帰郷。佐々木ソデと結婚する。吉浜で漁業を手伝いながら、機を見て5年後に再び上京、小笠原諸島の父島に渡り、製塩法を学んだが、島内で牛を見て、牛の飼育を思いつき、牛2頭を父島から吉浜に連れて牛の飼育を始めたが長続きしなかった。
大沢 桃子(おおさわ ももこ、12月22日 - )は、日本の… 大沢 桃子(おおさわ ももこ、12月22日 - )は、日本の演歌歌手、シンガーソングライター。本名および生年は非公表。所属事務所はビーエスプロダクション。所属レコード会社は徳間ジャパンコミュニケーションズ。 岩手県大船渡市出身。5歳のときに父を交通事故で亡くし(事故当日は両親の結婚記念日であった)、「母を楽にさせたい」との思いから歌手を目指すため、高校卒業後に上京。上京後、アルバイトや派遣社員として働きながら、歌の教室にいくつも通っていたが、なかなかデビューすることが出来ず、親戚を頼って、「エレキの神様」として有名な寺内タケシに弟子入りし、ライブツアーにスタッフとして同行した。また、歌だけではなく踊りの分野でも浅香光代に師事。
いせゆみこ は、日本の女優。本名、伊勢 由美子(読み仮名同じ… いせゆみこ は、日本の女優。本名、伊勢 由美子(読み仮名同じ)。
今野 安子(こんの やすこ)(現姓杉本)は、日本の卓球選手。… 今野 安子(こんの やすこ)(現姓杉本)は、日本の卓球選手。 岩手県大船渡市出身。1967年、久保学園高等学校(現・盛岡誠桜高等学校)3年生の時に第8回アジア卓球選手権女子ジュニアシングルスで優勝した。その後愛知工業大学でプレーした。1969年の世界卓球選手権ミュンヘン大会で長谷川信彦との混合ダブルスで優勝した。1971年の世界卓球選手権名古屋大会では小和田敏子、大関行江、大場恵美子と共に女子団体で優勝を果たした。