佐藤 善仁(さとう よしひと、1957年10月18日 - )… 佐藤 善仁(さとう よしひと、1957年10月18日 - )は、日本の政治家。岩手県一関市長(2期)。 岩手県一関市出身。岩手県立一関第一高等学校・明治大学経営学部を卒業。1984年一関市役所に入る。市役所では収納課長、企画振興部次長兼企画調整課長、企画振興部長、市長公室長、総務部長などを経て、2017年から2期4年2カ月余り副市長を務める。2021年9月に行われた市長選挙に立候補し、無投票で当選した。2025年9月、無投票で再選。
勝部 修(かつべ おさむ、1950年(昭和25年)7月4日 … 勝部 修(かつべ おさむ、1950年(昭和25年)7月4日 - )は、日本の政治家。元岩手県一関市長(3期)。 2009年10月2日、任期満了に伴う一関市長選挙に無所属で立候補。当時全国最高齢市長だった浅井東兵衛が引退したこの選挙には、他に新人2人が立候補した。勝部はこの選挙で、「経験を基に雇用対策に最善を尽くし、市のサービス力を向上させる」と強調した。10月9日、投開票が実施され、勝部は他の2人を大差で下し、初めての当選を果たした。2013年の市長選挙は無投票当選で再選、2017年の市長選挙でも無投票で三選された。2021年の市長選挙には出馬せず任期満了を持って退任した。 一関市長選挙開票結果 2009年(平成21年)10月9日(投票率 : 70.42%) 自身のホームページに、「政策の3本柱…3つの「きょうせい」」として、「競生」「共生」「協生」を掲げている。
佐々木 洋平(ささき ようへい、1942年3月2日 ‐ )は… 佐々木 洋平(ささき ようへい、1942年3月2日 ‐ )は、日本の政治家。大日本猟友会会長。 衆議院議員(1期)、岩手県議会議員(4期)を歴任。 岩手県西磐井郡花泉町(現一関市)出身。岩手県立一関第一高等学校、東京農業大学を卒業後、鹿島建設が出資する牧場に就職。間もなく事業撤退により解散。解散後は一時盛岡市役所に勤務した。その後栃木県の酪農協同組合勤務を経て、地元で農業に従事していたが、1979年に岩手県議会議員に当選。当選後は自由民主党に入り、県議を4期務める。1993年自民党衆議院議員小沢一郎の離党に伴い自民党を離党し新生党系会派「研政会」を結成。翌1994年に新生党に入った。同年暮れ、新進党が結党され、同党に入党した。
志賀 節(しが せつ、1933年〈昭和8年〉2月3日 - 2… 志賀 節(しが せつ、1933年〈昭和8年〉2月3日 - 2021年〈令和3年〉7月5日)は、日本の政治家。位階は従三位。環境庁長官(第23代)、内閣官房副長官(第1次海部内閣)、衆議院議員(8期)等を務めた。 岩手県一関市出身。早稲田大学文学部卒業後、南カリフォルニア大学大学院に留学し、国際政治学を専攻した。1963年から、三木武夫が主宰する中央政策研究所に勤務する。父・健次郎の政界引退に伴い、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧岩手2区から自由民主党公認で立候補し、初当選した(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・三塚博・石原慎太郎・村岡兼造・保岡興治・瓦力・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。
佐々木 一朗(ささき いちろう、1932年6月10日 - 2… 佐々木 一朗(ささき いちろう、1932年6月10日 - 2002年12月17日)は、日本の地方政治家。岩手県一関市長(1期)。 岩手県西磐井郡一関町(現・一関市)生まれ。岩手県立一関第一高等学校卒。卒業後は一関市役所に入り、民生、総務の各部長、収入役、助役を経て、1995年一関市長選挙に立候補して、当選する。1999年に再び立候補し、再選を目指したが、県立病院の移転問題や中心商店街の活性化などが争点となり、元岩手県議の浅井東兵衛(無所属)に1,500票余の差で敗れた。 2002年12月17日一関市内の自宅近くのため池で浮いている姿で発見され、死亡が確認された。
浅井 東兵衛(あさい とうべえ、1927年(昭和2年)2月2… 浅井 東兵衛(あさい とうべえ、1927年(昭和2年)2月25日 - 2019年(平成31年)3月16日)は、昭和から平成期の実業家、政治家。一関市長。 岩手県一関市出身。1950年(昭和25年)中央大学専門部中退。郷里に帰り、石油製品販売業を営む。1995年(平成7年)岩手県議会議員に当選、1期務めた。1999年(平成11年)の一関市長選に立候補して初当選した。2003年(平成15年)でも再選。2005年(平成17年)に一関市は近隣の6町村と合併し、新一関市が発足。合併直後の一関市長選挙では無投票で当選した。2009年(平成21年)に引退した。2010年(平成22年)に建設事業関係功労者として国土交通大臣表彰を受賞。
菅原 喜重郎(すがはら きじゅうろう、1926年11月9日 … 菅原 喜重郎(すがはら きじゅうろう、1926年11月9日 - 2019年6月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。位階は従四位。 同志社大学神学部卒業。岩手県東磐井郡東山町(現在の一関市)長を経て、1979年の総選挙に当時の岩手2区から出馬するも落選。翌1980年の総選挙でも落選し、民社党に入党して1983年の総選挙で初当選した。しかし民社党が社会党や公明党・社民連との野党連合路線に向かうことに反発し、1992年3月に民社党を離党。自民党入党を目指して加藤六月グループに入るものの、翌1993年の総選挙では自民党の公認を得られぬまま無所属で戦うことを強いられる。定数4の岩手2区は定数を3に削減された上に民社党も独自候補を擁立、自民党を離党して新生党を結成した小沢一郎の大量得票も影響し落選に終わった。
岩持 静麻(いわもち しずま、1919年(大正8年)2月25… 岩持 静麻(いわもち しずま、1919年(大正8年)2月25日 - 2005年(平成17年)11月9日)は、日本の政治家。全国農業協同組合中央会(JA全中第六代)会長。岩手県議会議員(5期)。1989年(平成元年)勲二等旭日重光章受賞。旧姓沼倉。 岩手県西磐井郡萩荘村(現・一関市)に生まれる。3歳の時に父を事故で失い、以後、母は女手一つで7人の子供を育てる。1933年(昭和8年)市野々尋常高等小学校卒。1937年(昭和12年)宮城県農学校(現・宮城県農業高等学校)入学。1941年(昭和16年)同校卒業。同年官立盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)入学。1943年(昭和18年)同校卒業。同年農林省(現・農林水産省)に入り、農政局農業保険課に勤務する。
及川 舜一 (おいかわ しゅんいち、1914年 <大正3年>… 及川 舜一 (おいかわ しゅんいち、1914年 <大正3年> 2月14日 - 1999年 <平成11年> 3月11日) は、日本の地方政治家。岩手県一関市長(3期)。位階は正六位。 岩手県東磐井郡大東町(現・一関市)生まれ。1931年岩手県立工業学校(現・岩手県立盛岡工業高等学校)卒。卒業後は岩手県庁に入る。一関、大船渡、水沢各土木事務所長、一関市建設部長、同助役を経て、1983年一関市長に当選する。 当選後は岩手県市長会監事、一関地方衛生組合管理者、三陸地方地域産業開発促進協議会会長、一関地区土地開発公社理事長、北上川上流改修期成同盟会会長などを歴任した。北上川の改修や一関遊水地事業を進めた。
千葉 七郎(ちば しちろう、1905年(明治38年)9月27… 千葉 七郎(ちば しちろう、1905年(明治38年)9月27日 - 1987年(昭和62年)12月9日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。 岩手県東磐井郡千厩町(現一関市)出身。1920年(大正9年)千厩町立千厩尋常高等小学校高等科を卒業した。卒業後は地元で職業を転々とした後、上京し、大日本麦酒株式会社に就職。政治運動に関わるようになる。 その後、帰郷し、千厩町役場書記を務めた。1927年(昭和2年)労働農民党に入党し、農民運動に加わる。1932年(昭和7年)衆議院総選挙に関わったことを理由に町職員を免職される。免職後は東京日日新聞と河北新報の嘱託記者となる。1933年(昭和8年)千厩町会議員に選出され3期在任した。
志賀 健次郎(しが けんじろう、1903年(明治36年)12… 志賀 健次郎(しが けんじろう、1903年(明治36年)12月10日 - 1994年(平成6年)9月28日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。 防衛庁長官(第15代)、衆議院議員(9期)を務めた。 岩手県東磐井郡大原町(のちの大東町、一関市)出身。岩手県立一関中学校を経て、1931年(昭和6年)早稲田大学政治経済学部政治学科卒。朝日新聞記者を経て、1941年大日本産業報国会参事、1942年に翼賛選挙に非推薦で立候補し敗れる[要出典]。1947年の総選挙で初当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘など)。保守合同後も有田喜一・荒木万寿夫・小島徹三らと芦田均派を維持するが、芦田の死後は三木武夫派に加入。
菅原 エン(すがわら エン、1900年2月27日 - 199… 菅原 エン(すがわら エン、1900年2月27日 - 1994年2月15日)は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。歌人、俳人、号は艶女。 岩手県東磐井郡渋民村曽慶(現一関市大東町曽慶)出身。盛岡高等女学校(現・岩手県立盛岡第二高等学校)を経て、結婚し子供を儲けるが、離婚し、実家に戻り、地元の小学校に勤務する。その後、上京し戸板裁縫学校高等師範科(現・戸板女子短期大学)に入り、1929年に卒業する。卒業後は帰郷し、岩手県歌人協会会員。岩手県翼賛報国会文芸部員となり、歌人、俳人として短歌や俳句を詠んだ。 1946年の第22回衆議院議員総選挙で、岩手県全県区にて日本進歩党から立候補してトップで初当選した。
熊谷 綾雄(くまがい あやお、1892年(明治25年)1月5… 熊谷 綾雄(くまがい あやお、1892年(明治25年)1月5日 - 1968年(昭和43年)6月19日)は、日本の政治家。室蘭市長(5期)。位階は正五位。 岩手県西磐井郡一関町(現・一関市)出身。鉄道教習所を卒業後、旭川駅電信掛を皮切りに鉄道員の道を歩む。その後、名寄、滝川、岩見沢、室蘭の各駅長、稚内、旭川、室蘭の各運輸事務所長、稚内、室蘭の各管理部長を務めた。 戦後の1946年、室蘭市長松尾孝之が死去。市長選挙(準公選)が行われることになり、市長選挙に立候補して当選した。翌年4月の選挙でも当選した。市長在職中は小中学校の校舎の充実や室蘭工業専門学校の大学昇格、室蘭工業大学短期大学部の設置、図書館の開設、消防力の強化、社会福祉の充実など市の再建に大きく貢献した。
菅原 佐平(すがわら さへい、1885年〈明治18年〉3月1… 菅原 佐平(すがわら さへい、1885年〈明治18年〉3月17日 - 1969年〈昭和44年〉7月17日)は、日本の海軍軍人(海軍軍医)、政治家。最終階級は海軍軍医中将。一関市長。正七位。 岩手県西磐井郡真滝村(現・一関市)出身。滝沢小学校、一関中学校を経て、第二高等学校、1911年(明治44年)東京帝国大学医科卒。同年海軍軍医となる。1928年(昭和3年)海軍軍医大佐となり、1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮会議の随員として加わる。帰国後は第二艦隊軍医長などを務めた。1933年(昭和8年)に湊海軍病院長に就任し、翌1934年(昭和9年)に海軍軍医少将に昇進するとともに呉海軍病院長に就任、1935年(昭和10年)に佐世保海軍病院長に就任した。
小野寺 有一(おのでら ゆういち、1883年(明治16年)7… 小野寺 有一(おのでら ゆういち、1883年(明治16年)7月1日 – 1965年(昭和40年)1月4日)は、衆議院議員。岩手県釜石市長。 岩手県東磐井郡黄海村(藤沢町を経て現在の一関市)出身。岩手県巡査となり、普通文官試験に合格して、1909年(明治42年)より岩手県警部を務めた。その後、宮城県警部に転じ、角田警察署長、石巻警察署長、塩釜警察署長、高等保安警務課長を歴任。1921年(大正10年)に警視に昇進し、仙台警察署長に就任した。その後、伊具郡長となった。 1928年(昭和3年)より釜石町長を務め、1937年(昭和12年)に市制施行されると初代市長に就任した。 1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受けて出馬し、当選を果たした。
平田 箴(ひらた ただし、1855年12月17日(安政2年1… 平田 箴(ひらた ただし、1855年12月17日(安政2年11月9日)- 1925年(大正14年)8月15日)は、明治から大正期の弁護士、政治家。衆議院議員、岩手県会議長。 陸奥国磐井郡、のちの岩手県西磐井郡一関町(現一関市)で、一関藩士の家に生まれた。藩校教成館で文武の課程を修めた。 警察官を志願し、盛岡警察署(現盛岡東警察署)詰巡査となる。その後退職して自由党に加わり、代言人(弁護士)の業務に従事。その清潔公平な働きで信頼を得て、村会議員、一関町会議員に選出された。その後、岩手県会議員となり、同副議長、同議長を務めた。その他、所得税調査委員、郡徴兵参事員、破産管財人なども務めた。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(岩手県第5区、自由党)で初当選し、第4回総選挙でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
佐藤 秀蔵(さとう ひでぞう/しゅうぞう、1851年4月29… 佐藤 秀蔵(さとう ひでぞう/しゅうぞう、1851年4月29日(嘉永4年3月28日)- 1934年(昭和9年)3月27日)は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。幼名は亀次郎。 陸奥国磐井郡摺沢村(岩手県東磐井郡摺沢村、摺沢町、大東町を経て現一関市)で、先代・佐藤秀蔵の長男として生まれる。1889年(明治22年)秀蔵を襲名した。1898年(明治31年)摺沢村会議員に当選。ついで東磐井郡会議員、所得税調査委員、八十八銀行取締役、横屋社長、陸中国東山製糸組合長などを歴任した。1909年(明治42年)岩手県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年6月3日から1911年(明治44年)9月28日まで在任した。
佐藤 衡(さとう こう)は、明治時代から昭和時代前期の政治家… 佐藤 衡(さとう こう)は、明治時代から昭和時代前期の政治家・教育者・漢学者。岩手県東磐井郡長坂村長。号は猊巌(猊嵒とも表記)。猊鼻渓の観光開発と景観保存に尽力した。 幼い頃より父から漢学の手ほどきを受けており、漢詩を得意としていた。漢詩人としては森槐南が主宰する随鴎吟社に所属し、機関誌『随鴎集』に多くの作品を投稿した。猊鼻渓の宣伝活動に際しては自身で景色を詠み込んだ詩を賦してアピールに努めたほか、私費を投じて各地の詩友を招いた。 父:佐藤謙治(洞潭)弟:佐藤敬吉(東華) この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。