鈴木 健太(すずき けんた、男性、1982年9月13日 - … 鈴木 健太(すずき けんた、男性、1982年9月13日 - )は、日本の元バレーボール選手。宮城県亘理郡亘理町出身。ポジションはミドルブロッカー。 東北高校を卒業後、東海大学へ進学。2003年東西インカレでブロック賞、2004年東日本インカレで最優秀選手賞を受賞した。ユース代表としてアジアユースに出場し、2005年のユニバーシアードで準優勝を経験した。 大学卒業後の2005年4月、NECブルーロケッツに入団。2005年の全日本代表登録メンバーにも選出された。 2009年5月、NECの無期限活動停止による廃部に伴い、現役を引退した。
佐藤 恵利子(さとう えりこ、1979年4月26日 - 20… 佐藤 恵利子(さとう えりこ、1979年4月26日 - 2011年3月11日)は、日本の女子サッカー選手。1998年から2007年までルネサンス熊本フットボールクラブに所属した。宮城県亘理郡亘理町出身。聖和学園高等学校卒業。 1998年、L・リーグ入りを目標に新規発足したルネサンス熊本フットボールクラブに入団。同年、発足した第1回九州女子サッカーリーグで10得点を挙げ初代得点女王となる。2000年にチームがL・リーグ加入を果たした後は連敗を続けていたが、2004年に佐藤の2得点で5年目にしてのリーグ初勝利を挙げている。2006年にはリーグ通算100試合出場を達成。キャプテンも務めるなど長く中心選手として活躍した。
大堀 孝(おおほり たかし、1969年11月13日 - )は… 大堀 孝(おおほり たかし、1969年11月13日 - )は、日本のボブスレー選手。宮城県亘理町出身。 1994年リレハンメルオリンピックと1998年長野オリンピックに出場した。 この項目は、ウィンタースポーツに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
村上 和巳(むらかみ かずみ、1969年 - )は、日本のフ… 村上 和巳(むらかみ かずみ、1969年 - )は、日本のフリージャーナリスト。宮城県亘理郡亘理町出身。宮城県仙台第一高等学校、中央大学理工学部卒業。1994年にじほう(旧・薬業時報社)入社、2001年に退社後フリージャーナリストとして活動。
山田 周伸(やまだ ひろのぶ、1963年9月21日 - )は… 山田 周伸(やまだ ひろのぶ、1963年9月21日 - )は、日本の政治家。宮城県亘理町長(3期)。 第2代亘理町長の山田周蔵(1957年1月13日 - 1965年1月12日)は祖父。 宮城県亘理町生まれ。宮城県仙台向山高等学校卒業。1986年(昭和61年)3月、東北学院大学法学部法律学科卒業。同年4月、同和火災海上保険株式会社(現・あいおいニッセイ同和損害保険)に就職。 1989年(平成元年)4月、家業のみそしょうゆ醸造会社、山田屋に入社。2006年(平成18年)5月、同社の代表取締役に就任。2001年(平成13年)、社団法人(現・公益社団法人)仙台青年会議所の副理事長に就任。2017年(平成29年)、山田屋のみそしょうゆ部門を縮小し、不動産管理を事業の中心に据えた。
鈴木 淳(すずき じゅん、1961年8月17日 - )は、宮… 鈴木 淳(すずき じゅん、1961年8月17日 - )は、宮城県亘理町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
森 俊博(もり としひろ、1950年10月27日 - )は、… 森 俊博(もり としひろ、1950年10月27日 - )は、日本の空手家。 組手競技においてJKA主宰世界選手権で優勝、JKA全日本選手権にて2度優勝を経験。日本空手協会宮城県本部顧問。 宮城県亘理町に生まれる。1969年3月、仙台商業高等学校卒業1973年3月、東北学院大学経済学部商学科卒業。モリプレゼンス株式会社代表取締役社長。 森は空手競技で大きな成功を収めてきた。
武田 信平(たけだ しんぺい、1949年12月11日 - )… 武田 信平(たけだ しんぺい、1949年12月11日 - )は、宮城県亘理町出身のサッカー選手、元サッカークラブ経営者。川崎フロンターレ前会長。日本アンプティサッカー協会理事長。元Jリーグ・クラブ経営アドバイザー。 中学時代、入学と同時に新設されたサッカー部にてサッカーを始める。仙台第一高校卒業後、1968年に慶応義塾大学経済学部に入学。ソッカー部では2年生時に全日本大学サッカー選手権大会に優勝した。 1972年に大学を卒業、サッカーを続けるために富士通に入社する。しかし富士通サッカー部総監督の八重樫茂生から、これ以上続けていても先が見えているからと現役引退を勧められ、2年目からはサッカー部のマネージャー(1973年-1976年)、日本サッカーリーグの運営委員(1977年-1981年)を務める。
齋藤 貞(さいとう ただし、1942年5月21日 - )は、… 齋藤 貞(さいとう ただし、1942年5月21日 - )は、日本の政治家。元宮城県亘理町長(1期)。 宮城県亘理町生まれ。1961年(昭和36年)3月、宮城県仙台第一高等学校卒業。同年4月、日興證券に就職。1965年(昭和40年)10月、仙台中央青果卸売株式会社に転職。1993年(平成5年)5月、同社の取締役に就任。 2002年(平成14年)7月、亘理町助役に就任。2007年(平成19年)4月、地方自治法一部改正により副町長となる。2014年(平成26年)3月、副町長を退任。 2014年(平成26年)5月、亘理町長選挙に立候補し初当選を果たした。5月28日、町長就任。 2016年(平成28年)10月19日、東日本大震災の復旧工事の入札で不正を行ったとして、官製談合防止法違反(入札妨害)などの疑いで町職員、建設会社社長ら3名が逮捕される。
村松 巖(むらまつ いわお、1926年(大正15年)1月1日… 村松 巖(むらまつ いわお、1926年(大正15年)1月1日 - 2010年(平成22年)3月11日)は、日本の銀行家。七十七銀行頭取。 宮城県亘理町出身。東京大学経済学部卒業後、七十七銀行入行。 総務、人事、融資部門を長く担当した実務派で、銀行業務全般に通じた手腕が買われ、1991年に頭取に就任した。 頭取在任時においては、ATMの日曜稼動、7ヶ店の支店出張所の新設など営業基盤の拡充に取り組んだ。 仙台商工会議所会頭時代は、大手の圧力に対して仙台市の伝統である1月2日初売りを堅持する方針を崩さず、元日営業の店舗でも基本的に通常営業にとどめさせ、いわゆる「初売り」は2日に行わせるという方針を徹底させた。
宮城 けんじ(みやぎ けんじ、1924年(大正13年)8月2… 宮城 けんじ(みやぎ けんじ、1924年(大正13年)8月20日 - 2005年(平成17年)10月19日)は、東けんじとコンビ漫才「Wけんじ」を結成した日本の漫才師、または司会者、俳優。本名は寺島 文雄(てらしま ふみお)。宮城県亘理郡逢隈村(現:亘理町)出身。血液型A型。趣味は読書。晩年はマセキ芸能社に所属していた。 座右の銘「努力ある所に自信あり」。競馬、競輪、オートレース、麻雀、パチンコと何でもござれの大の博打好き。 3歳の時に養子に入った巣鴨の家の隣が大都映画の撮影所であったことから、遊び場として出入りしているうちに7歳で子役としてデビュー。 大都映画の専属俳優から軽演劇界、新宿ムーランルージュを経て、歌手の春日八郎の専属司会を約10年勤め話芸を磨いた。
星 長治(ほし ちょうじ、1920年2月10日 - 1994… 星 長治(ほし ちょうじ、1920年2月10日 - 1994年1月14日)は、日本の政治家、参議院議員(1期、自由民主党)。 宮城県亘理郡亘理町出身。仙台高等実務学校卒。亘理町議を経て、宮城県議を5期務め、県会議長になる。1983年の第13回参議院議員通常選挙で宮城県選挙区から自民党公認で立候補して当選。第3次中曽根内閣で農林水産政務次官に就任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選。参議院議員を1期務めた。1994年1月14日死去、73歳。死没日をもって勲三等旭日中綬章追贈、従四位に叙される。 ほか、亘理町漁業協同組合長理事、宮城県信漁連会長、全国内水面漁協連副会長、自民党農水局、国民生活局次長、国土審議会委員などを歴任した。
磐城 徳枩(ばんじょう とくまつ、1912年3月25日 - … 磐城 徳枩(ばんじょう とくまつ、1912年3月25日 - 1942年6月2日)は、昭和時代の大相撲力士。二十山部屋所属。本名は小野 徳松。197cm、113kg。最高位は十両2枚目。 宮城県亘理郡亘理町出身。二十山部屋に入門し、1929年1月、「小ノヶ嶽」(後、小野ヶ嶽)の四股名で初土俵を踏む。2m近い体格で早くから有望視された。1932年5月十両昇進。6場所連続十両の地位にあったが、1935年1月幕下に落ちた。翌5月に十両に復帰、四股名も「磐城」に改めた。十両は4場所いたが、1938年1月再び幕下に落ち、「春風」と改名。その後は幕下の地位にあった。1942年1月に廃業し、同年6月に満30歳で死去した。
菅原 克己(すがわら かつみ、1911年1月22日 - 19… 菅原 克己(すがわら かつみ、1911年1月22日 - 1988年3月31日)は、昭和期の詩人。宮城県出身。1927年に室生犀星の『愛の詩集』を読んだことをきっかけにその口語自由詩に影響を受け、私淑する。日本共産党員の時期もあったが、1961年の第8回党大会前に、党の紀律にそむき、意見書や声明を発表し、除名された。新日本文学会の中心メンバーのひとりとしての活動を続けながら詩作を続け、日本文学学校の講師も担当した。 1911年、宮城県亘理郡亘理町に生まれる。父新兵衛、母金の第四子。1914年、父が県視学となり、仙台市に移住。1917年、宮城県立師範学校附属小学校卒業、父が勤務先の角田高等女学校の校長室で急死。
長谷部 栄二郎(はせべ えいじろう、1887年〈明治20年〉… 長谷部 栄二郎(はせべ えいじろう、1887年〈明治20年〉10月28日 - 1972年〈昭和47年〉12月26日)は、日本の神官。 虎杖子と号する俳人としても知られる。北海道俳壇の重鎮と呼ばれ、門弟の数は700人以上におよんだ。 1887年(明治20年)10月28日、宮城県亘理郡亘理村の尾形家に生まれる。 幼少時に自家が火災で焼失したため、両親とともに1890年(明治23年)、北海道有珠郡伊達村に移住する。これは、本家の尾形弥平が伊達邦成の家臣で、1873年(明治6年)に伊達へ入植していたのを頼ったものであった。 やがて成長した栄二郎は、札幌の帝国製麻琴似製線工場に就職。そして当別町の神官・長谷部多八の3女である亀菊と結婚し、長谷部家の婿養子となった。
佐藤 沢(さとう さわ / たく、明治元年12月13日(18… 佐藤 沢(さとう さわ / たく、明治元年12月13日(1869年1月25日) - 昭和23年(1948年)7月25日)は、日本の医師。福島市長。 宮城県亘理郡亘理町出身。1891年(明治24年)、第二高等中学校医学部卒業。1896年(明治29年)、福島市に病院を開設し、1927年(昭和2年)に東京に移転した。1901年(明治34年)、福島町会議員となり、福島市会議員、同副議長、同議長を歴任した。 1929年(昭和4年)に福島市長に選出され、1945年(昭和20年)まで16年間務めた。その後、公職追放となり、追放中の1948年(昭和23年)死去。
高橋 芝山(たかはし しざん、万延元年(1860年) - 大… 高橋 芝山(たかはし しざん、万延元年(1860年) - 大正6年(1917年))は、明治時代の洋画家。本名は高橋勝蔵(たかはし かつぞう)。芝山と号した。 陸奥国亘理郡(現・宮城県亘理郡亘理町)出身。明治4年(1871年)、亘理伊達氏の開拓団と共に北海道に移住。明治8年(1875年)から明治10年(1877年)にかけて、電信技術修業のため上京。日本画家を志したが、その後、明治18年(1885年)に渡米し、アメリカのサンフランシスコ美術学校で西洋画を学び、明治24年(1891年)に首席で卒業。明治26年(1893年)にシカゴ万国博覧会で一等賞を獲得し、帰国。芝に芝山研究所を設立して徒に教えた。 明治30年(1897年)頃、小林清親に入門した。
手代木 茂篤(てしろぎ しげあつ、1855年 - 1928年… 手代木 茂篤(てしろぎ しげあつ、1855年 - 1928年1月6日)は、日本の政治家。明治時代の北海道胆振地方で行政首長を務めた。 仙台藩領亘理支藩(現在の宮城県亘理郡亘理町)出身。亘理伊達家家臣の手代木順造の長男。幼名は虎一郎だった。亘理伊達家の北海道移住にともない、1871年(明治4年)に15歳で渡道する[出典無効]。開拓に従事しながら1885年(明治18年)7月に有珠郡各村戸長役場用係に雇用される。 茂篤は長く伊達地方に住み、一時苫小牧の戸長を務め厚真村分村などを手掛けた後、再び伊達に戻り虻田戸長、伊達村助役、同村長を経て苫小牧村長となり、王子製紙建設時代の膨れ上がる苫小牧の行財政を担当した。