志田 晃一(しだ こういち、1977年4月20日 - )は、… 志田 晃一(しだ こういち、1977年4月20日 - )は、宮城県仙台市生誕、山形県米沢市出身の医学物理学者、放射線技術科学者。 高精度放射線治療(強度変調放射線治療、定位放射線治療、画像誘導放射線治療等)、放射線治療品質管理、放射線安全管理(医療放射線被ばく、原子力安全利用)を専門とする科学者である(科研費研究者番号: 50734050)。 診療放射線技師(厚生労働省国家資格)、治療専門医学物理士(山形県出身者としては初)、医学物理士、第1種放射線取扱主任者(旧東京厚生年金病院、筑波大学附属病院にて選任主任者を歴任(旧科学技術庁国家資格。文部科学省・原子力規制委員会届出))、放射線治療品質管理士等の国家資格・認定資格を多々有する。
桐生 正幸(きりう まさゆき、1960年4月23日 - 現… 桐生 正幸(きりう まさゆき、1960年4月23日 - 現在、65歳。)は日本の心理学者(博士(学術))。専門は、犯罪心理学、生理心理学、社会心理学。東洋大学社会学部長、教授。山形県米沢市出身。山形県立米沢興譲館高等学校。文教大学人間科学部、大学評価・学位授与機構より学士 (文学)。東亜大学大学院総合学術研究科生命科学専攻より博士(学術)、学位論文は、犯罪捜査場面における虚偽検出検査の研究:「GKT検出理論への記憶と不安からのアプローチ」(北大路書房)。山形県科学捜査研究室主任研究官、関西国際大学人間科学部教授を経て現在に至る。社会心理学科および社会学研究科社会心理学専攻の教授として研究、教育活動を行っている。
山浦 瑛子(やまうら えいこ、1940年4月28日 - 20… 山浦 瑛子(やまうら えいこ、1940年4月28日 - 2010年10月22日)は、日本の会計学者。専門は会計学。学位は、商学博士(拓殖大学・1994年)。元国士舘大学21世紀アジア学部教授。 山形県米沢市生まれ。1963年高崎経済大学経済学部経済学科卒業後、同年4月旺文社入社(1966年6月まで勤務)。 1971年3月拓殖大学大学院経済学研究科修士課程修了後、同年4月高崎経済大学経済学部助手、1972年4月同大学経済学部専任講師、1975年4月同大学経済学部助教授、1981年同大学経済学部教授。2000年同大学経済学部長。2002年4月同大学大学院経済・経営研究科修士課程教授。2004年4月同大学大学院経済・経営研究科博士後期課程教授。
遠藤 浩(えんどう ひろし 1921年9月13日 - 200… 遠藤 浩(えんどう ひろし 1921年9月13日 - 2005年5月5日)は、日本の法学者。専門は民法。学習院大学名誉教授。山形県米沢市出身。 米沢市の実家(鍛冶町)の斜向かいに我妻栄の生家(鉄砲町)があった。米沢興譲館中学校3年時に肋膜炎・肺結核を患い、以後三十数年間は持病を抱えながらの生活となる。第一高等学校、東京帝国大学法学部卒。法学部大学院で我妻に師事した。 学習院大学名誉教授。元司法試験考査委員(任:1968年 - 1984年)および元国家公務員上級試験(現在の国家公務員第I種試験)考査委員(任:1970年 - 1972年)。元弁護士。勲三等瑞宝章受章。 米沢高等学校で教師と野球部監督を務め、プロ野球で活躍する皆川睦雄(南海ホークス)を指導した経歴を持っている。
我妻 榮(わがつま さかえ、1897年〈明治30年〉4月1日… 我妻 榮(わがつま さかえ、1897年〈明治30年〉4月1日 - 1973年〈昭和48年〉10月21日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は法学博士(東京大学)、東京大学名誉教授、米沢市名誉市民。文化勲章、贈従二位(没時叙位)・贈勲一等旭日大綬章(没時叙勲)。憲法改正に伴う家族法大改正の立案担当者の一人。鳩山秀夫に師事。弟子に有泉亨、川島武宜、四宮和夫、幾代通、加藤一郎、鈴木録彌、星野英一、西原道雄など。 山形県米沢市出身。英語教師の父・又次郎と家計のたしにするため、自宅で中学生相手に国・漢・数学を教えた母・つるの長男として生まれる。5人の子における唯一の息子であったため、父母を安心させなければという気持ちから一心に勉強に励んだ。
我妻 榮(わがつま さかえ、1897年〈明治30年〉4月1日… 我妻 榮(わがつま さかえ、1897年〈明治30年〉4月1日 - 1973年〈昭和48年〉10月21日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は法学博士(東京大学)、東京大学名誉教授、米沢市名誉市民。文化勲章、贈従二位(没時叙位)・贈勲一等旭日大綬章(没時叙勲)。憲法改正に伴う家族法大改正の立案担当者の一人。鳩山秀夫に師事。弟子に有泉亨、川島武宜、四宮和夫、幾代通、加藤一郎、鈴木録彌、星野英一、西原道雄など。 山形県米沢市出身。英語教師の父・又次郎と家計のたしにするため、自宅で中学生相手に国・漢・数学を教えた母・つるの長男として生まれる。5人の子における唯一の息子であったため、父母を安心させなければという気持ちから一心に勉強に励んだ。
岡 邦雄(おか くにお、1890年1月15日 - 1971年… 岡 邦雄(おか くにお、1890年1月15日 - 1971年5月22日)は、日本の科学史家。 山形県米沢市生まれ。東京物理学校(現在の東京理科大学)卒。1924年旧制第一高等学校(現在の東京大学教養学部)助教授。文化学院大学部設立に助力し、教師も務める。1932年に共産主義活動を理由に一高を解雇され、同年、戸坂潤らとともに唯物論研究会の創立に参加した。 1936年には糟糠の妻と6人の子を捨て、26歳のロシア語翻訳者桝本セツとの恋愛に走ったことで世間を騒がせ、新聞には、自らが唱えた新しきモラルの実践か、と揶揄された。 1938年に治安維持法違反の疑いにより逮捕。1945年10月9日、全政治犯の釈放に際し、宮城刑務所を出所した。
高橋 里美(たかはし さとみ、1886年(明治19年)11月… 高橋 里美(たかはし さとみ、1886年(明治19年)11月28日 - 1964年(昭和39年)5月6日)は、日本の哲学者。男性。元東北大学総長。文化功労者。 1886年、山形県東置賜郡上郷村(現米沢市)で生まれた。13歳の時に父を失い、米沢にあった母の実家本間家で育った。米沢中学校(現山形県立米沢興譲館高等学校)、第一高等学校を経て、1907年(明治40年)に東京帝国大学文科大学に入学。哲学科で学び、1910年(明治43年)に卒業。同大学大学院へ進み、修了した。大学院在学時の26歳の時に処女論文「意識現象の事実と其意味」(1912年5・6月号『哲学雑誌』)を発表して西田幾多郎『善の研究』を批判し、西田と論争を展開して注目された。
小泉 秀雄(こいずみ ひでお、1885年11月1日 - 19… 小泉 秀雄(こいずみ ひでお、1885年11月1日 - 1945年1月18日)は、日本の植物学者・登山家。高山の植物、地衣類、蘚苔類の研究で知られる。 植物学者の小泉源一は実兄。 山形県米沢市にて、旧米沢藩士の家に生まれる。盛岡高等農林学校に学ぶが中退して中学教員となった。山形県内の中学校に勤務後、1911年、北海道庁立上川中学校の教員となった。この間大雪山に登り、地形・地質の調査と植物採集を行い、日本山岳会の機関紙『山岳』に記事を寄稿し、研究調査結果を、『大雪山 登山法及び登山案内』として1926年に刊行したことから、「大雪山の父」と呼ばれるようになった。その後高知県立第三中学校を経て、長野県立女子師範学校、松本高等学校の講師となり、長野県内、関東、近畿の山岳や名勝を調査した。
寺沢 寛一(てらざわ かんいち、1882年7月15日 - 1… 寺沢 寛一(てらざわ かんいち、1882年7月15日 - 1969年2月5日)は、日本の理論物理学者・数学者。日本学士院会員、東京帝国大学名誉教授。学位は理学博士(1917年・東京帝国大学)。東北帝国大学教授、東京帝国大学教授、同総長事務取扱、同理学部長、同地震研究所所長、同航空研究所所長、逓信省高等逓信講習所所長、千葉工業大学学長、電気通信大学学長などを歴任。著書『自然科学者のための数学概論』は応用数学の名著として名高い。 1882(明治15)年7月15日、米沢藩士寺澤兵吉の次男として、現在の山形県米沢市上矢来町に生まれる。 興譲尋常高等小学校から米沢中学興譲館入学。後に上京し、1902年、大成中学校卒業。
佐藤 寛次(さとう かんじ、1879年1月26日 - 196… 佐藤 寛次(さとう かんじ、1879年1月26日 - 1967年5月31日)は、明治・大正期の農学者、農業教育者。農学博士。専攻は農業経済学。東京農業大学第3代学長。位階および勲等は正三位・勲二等。 古海三次の三男として山形県米沢市に生まれる。兄は同市議会議長を務めた古海勘三郎。親戚に海軍主計少監となった古海長義がいる。 米沢中学(現山形県立米沢興譲館高等学校)入学の年、富農の佐藤文太郎に見込まれて養子となり、近代農業の可能性を感得して農学を志し、1904年、東京帝国大学農科大学を首席で卒業した。 帝国大学大学院で農業経済学研究のかたわら、全国農事会(帝国農会の前身)で加納久宜幹事長のもとに会誌『中央農事報』の編集に当たり、プラット『英国農業組織論』やピョートル『田園・工場・仕事場』などを紹介した。
西野 忠次郎(にしの ちゅうじろう、1878年〈明治11年〉… 西野 忠次郎(にしの ちゅうじろう、1878年〈明治11年〉5月26日 - 1961年〈昭和36年〉7月6日)は、日本の医学者、内科医。学位は医学博士(1914年・文部大臣)。日本学士院会員、慶應義塾大学名誉教授。内閣恩給局顧問医。 1878年山形県南置賜郡南原村(現・米沢市)に生まれる。山形県立米沢中学校興譲館を経て、第四高等学校から東京帝国大学医科大学に入学。1903年に卒業し、翌年同大学理学科教室助手になる。1909年から山形市立病院済生館に勤務し内科部長から館長になる。1913年山口県立病院長に就任、次いで日本赤十字山口支部病院長になる。1920年慶應義塾大学教授になる。1944年同大学医学部長兼病院長に就任、1946年同大学名誉教授になる。
田村 哲 (通称: たむら てつ; 英語表記: S(ator… 田村 哲 (通称: たむら てつ; 英語表記: S(atoru) Tetsu Tamura; 出生名: たむら さとる、「哲」の元の読み; 1876年〔明治9年〕10月18日 – 1909年〔明治42年〕8月19日) は、日米で活躍した明治時代日本の気象学者・海洋学者。2021年ノーベル物理学賞受賞者の眞鍋淑郎が在籍した米国気象庁に日本人として初めて専門官として勤務したのは後述のとおり田村であり、高等数学応用の気象学者であることも共通する。また斯学の教育者にして米国の高等教育事情を調査・紹介した教育学者。 1876年(明治9年)10月18日、山形県置賜郡米澤北寺町(現、米沢市中央3丁目)に没落した米沢藩士田村芳政の三男として出生。
小西 重直(こにし しげなお、1875年(明治8年)1月15… 小西 重直(こにし しげなお、1875年(明治8年)1月15日- 1948年(昭和23年)7月21日)は、日本の教育学者。第9代京都帝国大学総長。 山形県米沢市出身。旧名は代吉。尊敬していた杉浦重剛、中村正直より一字をとり「重直」へ改名した。父は旧米沢藩士・富所幸吉。富所家は一刀流師範を務める家であったが、明治維新後の生活は苦しく、父の死後に母は小西と母子心中を企てた。その後母のいとこである旧会津藩士・小西馬之允の養子に迎えられる。私立日新館、福島尋常中学、二高に学ぶ。二高時代は学費に苦しみ、廃屋や廃寺で生活し、襖を布団代わりにしていた時期もあったが、米沢教育会の援助を受け東京帝大を卒業した。卒業論文は「倫理上の自我」。
伊佐早 謙(いさはやけん、安政4年12月28日(1858年2… 伊佐早 謙(いさはやけん、安政4年12月28日(1858年2月11日) - 昭和5年(1930年)5月14日)は、旧米沢藩士で山形県の漢学者・歴史家・史料収集家。 米沢藩(山形県置賜地方)の藩士の子として誕生。米沢藩藩校の興譲館で漢学を修める。 旧米沢中学校(山形県立米沢興譲館高等学校)で教鞭を執り、明治14年(1881年)からは山形県師範学校(後の山形大学教育学部、現在は山形大学地域教育文化学部に改組)、明治23年(1890年)からは上杉家記録編纂所の総裁となる。 明治41年(1908年)に財団法人米沢図書館を設立、翌年に開館した(後の市立米沢図書館)。旧藩時代の文書や興譲館の蔵書などの貴重書保全に務めた。