海老根 優大(えびね ゆうだい、2004年9月11日 - )… 海老根 優大(えびね ゆうだい、2004年9月11日 - )は、千葉県千葉市花見川区出身の社会人野球選手(外野手)。右投右打。父は競輪選手の海老根恵太。 競輪選手の父が2011年にQVCマリンフィールドで始球式を行った際にスタンドで試合を観戦し、これをきっかけに野球を始める。千葉市立こてはし台小学校在学時はマリーンズアカデミーに通い、6年時には千葉ロッテマリーンズジュニアに選出された。千葉市立こてはし台中学校在学時は硬式野球のクラブチームである京葉ボーイズでプレーし、3年時にはU-15アジアチャレンジマッチの日本代表、NOMOベースボールクラブのジュニアオールジャパンに選出された。 大阪桐蔭高等学校に進学し、1年夏の2020年甲子園高校野球交流試合ではベンチ外。
黒川 凱星(くろかわ かいせい、2004年4月5日 - )は… 黒川 凱星(くろかわ かいせい、2004年4月5日 - )は、千葉県千葉市稲毛区出身のプロ野球選手(内野手)。ベースボール・チャレンジ・リーグの千葉スカイセイラーズ所属。 千葉市立西小中台小学校6年時に千葉ロッテマリーンズジュニアに所属。千葉市立朝日ヶ丘中学校時代はボーイズリーグの京葉ボーイズに所属した。SUBARU硬式野球部所属の海老根優大はマリーンズジュニアおよび京葉ボーイズの同期にあたる。 学校法人石川高校進学後は一年次の秋から遊撃手のレギュラーを掴み、以降三年次の夏まで専ら8番遊撃手として出場を続けたほか、二年次秋からは主将も務めた。チームは2020年から2年連続で秋季県大会3位となり東北大会に出場したが、そちらではいずれも1回戦で敗れている。
大坪 梓恩(おおつぼ しおん、2004年2月2日 - )は… 大坪 梓恩(おおつぼ しおん、2004年2月2日 - )は、千葉県千葉市出身のプロ野球選手(外野手)。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 母方の曾祖父の1人がアメリカ合衆国出身で、「One Eighth(1/8)」と自称する。父親が高校まで野球をしていた影響で、小学3年生から本格的に野球に取り組む。硬式野球クラブの「江戸川南リトルシニア」にも加入した。 中学卒業後は千葉学芸高等学校に進学したが、1年生の秋から通信制・屋久島おおぞら高等学校に移る。在学中の3年生からヌーベルBBCに所属した。卒業を控えてベースボール・チャレンジ・リーグのトライアウトを受験したが不合格となる。 高校卒業後は日本プロスポーツ専門学校に進学した。
大河原 翔(おおかわら しょう、2003年8月17日 - )… 大河原 翔(おおかわら しょう、2003年8月17日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 小学校時代は千葉市中央区に拠点を置く院内イーグルスに所属し、中学時代は千葉西リトルシニアでプレーした。 高校は地元千葉を離れ、山形県の東海大山形高校に進学。1年夏から外野のレギュラーを掴み、3年夏の県大会では決勝戦で日大山形に敗れ甲子園出場は果たせなかったものの、打率.578を記録し準優勝に貢献した。高校通算31本塁打。 2021年10月11日、ドラフト会議にて東北楽天ゴールデンイーグルスから育成3位で指名を受ける。11月12日、支度金300万円、年俸250万円で契約合意した。
岡本 直也(おかもと なおや、1996年10月30日 - )… 岡本 直也(おかもと なおや、1996年10月30日 - )は、千葉県千葉市稲毛区出身のプロ野球選手(投手)、野球指導者。左投左打。NPBでは育成選手であった。 千葉市立千草台小学校3年生の時に野球を始め、千葉市立千草台中学校では平日は部活動でバドミントン部に所属し、土日は千葉東シニアで硬式野球をプレー。 千葉経済大学附属高等学校では2年秋の千葉県大会で準優勝し、関東大会に出場。3年夏の千葉県大会はベスト16だった。 高校卒業後は、東京農業大学生物産業学部(キャンパスは北海道網走市)へ進学。1年生の春から北海道学生野球リーグの公式戦に出場し通算12勝。3年春には最優秀防御率などの活躍。全国大会には全日本大学野球選手権大会に3度出場を果たす。
髙橋 慎之介(たかはし しんのすけ、1994年7月25日 -… 髙橋 慎之介(たかはし しんのすけ、1994年7月25日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。プロでは育成選手であった。 高校時代は二塁手。木更津総合高等学校3年時には第94回全国高等学校野球選手権大会に出場し、初戦で敗退したものの相手の大阪桐蔭高校・藤浪晋太郎からヒットを打っている。 高校卒業後はアメリカのハーキマー・カウンティー・コミュニティー大学に入学し、二塁手兼投手として活躍した。 2014年9月、巨人の入団テストに合格し、同年の育成ドラフトで指名されて入団。 2016年10月2日、球団より戦力外通告を受けた。10月31日、自由契約公示された。 最速149km/hのストレートが武器。
近藤 健介(こんどう けんすけ、1993年8月9日 - )は… 近藤 健介(こんどう けんすけ、1993年8月9日 - )は、千葉県千葉市緑区出身のプロ野球選手(外野手、捕手、内野手)。右投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 2021年開催の東京五輪・野球競技 金メダリスト。 千葉県の軟式野球クラブの泉谷メッツで野球を始めた。千葉市立泉谷小学校6年時に千葉ロッテマリーンズジュニアに選出されると、第1回NPB12球団ジュニアトーナメントで髙山俊、船越涼太らと共に準優勝を経験した。 中学野球界の強豪である修徳中学校に進学し、軟式野球部に入部。2年時には「1番・遊撃手」として第29回全国中学校軟式野球大会へ出場(初戦敗退)するとともに、捕手としてマスクを被った。
小川 龍也(おがわ りゅうや、1991年9月3日 - )は、… 小川 龍也(おがわ りゅうや、1991年9月3日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。
横川 史学(よこがわ ふみのり、1984年12月3日 - )… 横川 史学(よこがわ ふみのり、1984年12月3日 - )は、千葉県千葉市(現:花見川区)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、指導者。右投左打。 愛称は「ヨコ」「ヨコやん」。 小学1年生で野球を始める。千葉市立朝日ヶ丘小学校時代は「千葉市リトル」で、千葉市立朝日ヶ丘中学校時代は「千葉北シニア」でプレーする。高橋悠太は中学時代の先輩である。また、横川の姉が「nano.RIPE」のきみコと小中学校のクラスメイトであり、横川が小学生の時まで同じマンションに住んでいた幼馴染の関係である。 常総学院高等学校へ進学後は、同級生の大﨑雄太朗と共に2001年の第73回選抜高等学校野球大会で優勝した。同大会では全試合「7番・一塁手」で出場。
浅間 敬太(あさま けいた、1984年8月19日 - )は、… 浅間 敬太(あさま けいた、1984年8月19日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校時代は愛知県名古屋市で過ごす。千葉市立みつわ台中学校を卒業後、敬愛学園高等学校に入学。2年秋に関東大会出場も1回戦でサヨナラ負け、3年夏はベスト8。 2002年のドラフト会議で、地元でありファンでもあった千葉ロッテマリーンズに3巡目で指名を受け、相思相愛の形で入団。 2003年7月19日にプロ初登板。一軍公式戦初先発となった7月23日の対近鉄戦では1、2番連続四球の後、3番・タフィ・ローズに被弾するなど、結局23球・1/3投球回を投げ2被安打3与四死球3失点とほろ苦デビューとなった(チームは打線の粘りによって引き分けた)。
片岡 保幸(かたおか やすゆき、1983年2月17日 - )… 片岡 保幸(かたおか やすゆき、1983年2月17日 - )は、千葉県千葉市花見川区出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球指導者、野球解説者。右投右打。 プロ入り初年度の2005年から2012年までの登録名は片岡 易之、2013年から2021年までの登録名は片岡 治大(以上、いずれも読み同じ)で、2022年より活動名義を本名に戻している。愛称は「ヤス」。マネジメント事務所は吉本興業。 兄は元社会人野球選手で日本大学硬式野球部監督の片岡昭吾。妻はタレントのベッキー。 3人兄弟の末っ子。小学校時代は作新ヤンキースの4番打者兼投手として活躍。中学時代は千葉北シニアリーグに所属し、2年からレギュラーで活躍。
片岡 治大(かたおか やすゆき、1983年2月17日 - )… 片岡 治大(かたおか やすゆき、1983年2月17日 - )は、千葉県千葉市花見川区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。
川島 亮(かわしま りょう、1981年9月9日 - )は、千… 川島 亮(かわしま りょう、1981年9月9日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 稲毛中学校から「北千葉ポニー」に所属し、野球を始める。千葉経済大学附属高校を卒業後、八戸大学に進学、硬式野球部に所属。大学の同期には石川賢がいる。1年から登板して2年で同校初の大学選手権に出場。3年時は2回戦で先発勝利しベスト8。日米大学野球に出場したが、4年時は右肩痛を発症した。 2003年度ドラフト会議でヤクルトスワローズに自由獲得枠で入団。背番号はかつてスワローズのエースであった松岡弘や川崎憲次郎が背負った「17」となった。 2004年は中盤以降から防御率を向上させて先発の柱となり、終盤には5連勝で10勝を挙げ、防御率もリーグ3位の3.17を記録し新人王に選出された。
栗田 雄介(くりた ゆうすけ、1980年8月23日 - )は… 栗田 雄介(くりた ゆうすけ、1980年8月23日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 千葉工業高から千葉工業大学(土木工学科)を経て、社会人野球の宮城建設に入社。1年目にチームの廃部により、2003年に大阪近鉄バファローズの入団テストを受験し合格。同年のプロ野球ドラフト会議で近鉄から7位指名を受け入団。近鉄が最後にドラフト指名した選手となった。 2004年は、オーバースローからサイドスローに転向してシーズン最終戦で一軍登板を果たした。2005年は、球団合併・分配ドラフトを経てオリックス・バファローズ入りするも、故障もあって登板機会がなく自由契約となった。 2006年は、関西メディカルスポーツ学院に入学。
伊与田 一範(いよだ かずのり、1978年2月25日 - )… 伊与田 一範(いよだ かずのり、1978年2月25日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在は改姓して、長尾 一範(ながお かずのり)。 千葉経大附属高では野球部の同学年に山里亮太がいた。遠投100mの強肩に加えて高校通算45本塁打を記録した強打の外野手で、投手も兼任し、1年生の時からレギュラーだった。1995年のドラフトで広島東洋カープから4位で指名を受け、契約金と年俸それぞれ4,000万円、450万円(いずれも推定)で入団契約を結んでいる。入団後に肩の強さを生かし捕手転向する。 2000年には1軍初出場を果たし、プロ初安打を本塁打で飾るなど長打力を発揮した。 2001年より内野手に転向したが、結果を残せず広島を退団。
片岡 昭吾(かたおか しょうご、1978年1月23日 - )… 片岡 昭吾(かたおか しょうご、1978年1月23日 - )は、元アマチュア野球選手、監督。千葉県千葉市出身。 埼玉西武ライオンズや読売ジャイアンツに所属した元プロ野球選手の片岡保幸(易之、治大)は実弟。 宇都宮学園高校時代、3年時の夏に中堅手として甲子園出場。 高校卒業後は、日本大学に進学。東都大学1部リーグ通算47試合出場、156打数41安打、打率.263、3本塁打、22打点。1部リーグに復帰した1998年春季のリーグ戦でベストナイン受賞。 2000年に社会人野球・JR東日本入社。入社後に内野手に転向し、持ち前のパンチ力で打線の中軸を担う。 2007年の第78回都市対抗野球大会では、全試合で4番に座り、19打数9安打6打点の活躍を見せてチーム準優勝に貢献。
立川 隆史(たちかわ たかし、1975年10月7日 - )は… 立川 隆史(たちかわ たかし、1975年10月7日 - )は、日本の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者、千葉ロッテマリーンズ「マリーンズ・スポーツカレッジ」名誉学長、元キックボクサー。 千葉県千葉市(現在の美浜区)に生まれる。大手レコード会社の社員で野球経験のある父親のもとで幼少時より野球に親しみ、小学校時代より父親の転勤により宮城県塩竈市に転居する。 宮城県塩竈市に転居後に硬式野球チームに入る。その後中学校の野球部に入ろうとするが、坊主になるのがイヤでバスケット部に入る。バスケット部では立川の活躍により、塩竈市第三中学校3年生に塩竈市の中体連を優勝に導く。さらに同年にはリトルシニアAA世界野球選手権大会に投手として出場し優勝を飾る。
安藤 正則(あんどう まさのり、1975年5月21日 - )… 安藤 正則(あんどう まさのり、1975年5月21日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(投手)。 専大松戸高では速球投手として注目されたが、当初は野球を続けるつもりはなかった。そのため一般入学で専修大学に進むが、2年上に小林幹英、1年先輩に黒田博樹がいたため、4年から主戦投手となった。4年秋には最優秀投手、ベストナインに選ばれた。1部リーグ通算22試合8勝7敗防御率3.36、2部通算3試合1勝0敗、防御率6.75。1997年度ドラフト会議にて西武ライオンズから1位指名を受け、入団。当時高橋由伸をマークしていたが獲得が難しくなっての指名だったという。 スライダーを軸とした変化球に加え150kmを超える速球を持ち、即戦力右腕として期待されていたが、一年目のキャンプでフォーム改造を勧められ取り組んだが失敗し、制球難に苦しみ、結局一軍での登板機会がないまま2002年シーズンオフに退団。
高橋 由伸(たかはし よしのぶ、1975年4月3日 - )は… 高橋 由伸(たかはし よしのぶ、1975年4月3日 - )は、千葉県千葉市中央区出身の日本の元プロ野球選手(外野手、内野手)。読売ジャイアンツ監督(第18代)。
澤﨑 俊和(さわざき としかず、1974年9月21日 - )… 澤﨑 俊和(さわざき としかず、1974年9月21日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。 東京都足立区で生まれ、後に千葉へ転居する。小学2年で野球を始め、千葉市立みつわ台中学校3年の時に北千葉大会で優勝する。志学館高等学校(現:志学館高等部)では2年秋からエースになるが3年夏は県大会4回戦で敗退し甲子園出場ならず。プロ入りを拒否して青山学院大学へ進み、同期の清水将海とバッテリーを組んで3年秋にリーグ戦5勝を挙げて優勝に貢献、明治神宮大会では準決勝で近畿大学を相手に完封。4年春のリーグ戦で7勝を挙げてMVPと最優秀投手に選ばれ、大学選手権では準決勝で東北福祉大学を相手に12奪三振の完投、決勝では先発した同期の倉野信次を序盤で救援すると、やはり同期の主将・井口忠仁が2本塁打を放って優勝。
寺村 友和(てらむら ともかず、1974年4月22日 - )… 寺村 友和(てらむら ともかず、1974年4月22日 - )は、千葉県千葉市稲毛区出身の元プロ野球選手(投手)。台湾での登録名は山崎 友和(やまざき ともかず)であり、山崎は現姓。 小学校時代は軟式野球のヤングジャイアンツに所属。中学時代は硬式野球の千葉ジャガーズに所属し、高橋由伸は1年後輩に当たる。 千葉商業高等学校卒業後は本田技研に進み、1996年にチームが第67回都市対抗野球大会で優勝したが、入来祐作や補強の大塚晶文らがいたため、登板機会はなかった。 1997年のプロ野球ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから2位指名を受けて入団。 プロ入り後は球威はあるものの制球難に苦しみ、サイドスローに転向したもの、大きな結果には繋がらなかった。
小笠原 道大(おがさわら みちひろ、1973年10月25日 … 小笠原 道大(おがさわら みちひろ、1973年10月25日 - )は、千葉県千葉市美浜区出身の元プロ野球選手(内野手、捕手)。右投左打。愛称は「ガッツ」(後述)、「北の侍(サムライ)」、「ミスターフルスイング」。 NPBの現役選手時代は1997年から2006年まで北海道日本ハムファイターズ(2003年までは「日本ハムファイターズ」)で、2007年から2013年までは読売ジャイアンツ(巨人)で、2014年から2015年までは中日ドラゴンズでプレーした。日本ハム時代にはパシフィック・リーグの首位打者2回、本塁打王1回、打点王1回などのタイトルを獲得、また日本ハム時代の2006年にはパ・リーグのMVPを、巨人時代の2007年にはセントラル・リーグのMVPをそれぞれ受賞している。
石井 一久(いしい かずひさ、1973年9月9日 - )は、… 石井 一久(いしい かずひさ、1973年9月9日 - )は、千葉県千葉市若葉区出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)。吉本興業に所属している。 現役時代は投手としてNPBのヤクルトスワローズ(セントラル・リーグ)、埼玉西武ライオンズ(パシフィック・リーグ)で6度のリーグ優勝、4度の日本シリーズ優勝に貢献。MLBではロサンゼルス・ドジャース時代に1度の地区優勝に貢献した。またNPBで合計4個のタイトル(最優秀防御率1個、最多奪三振2個、最高勝率1個)を獲得している。 2018年9月から2022年まで東北楽天ゴールデンイーグルス(株式会社楽天野球団)取締役GM、2021年から2023年まで同球団第9代監督を務めた。
秋葉 直樹(あきば なおき、1973年3月22日 - )は、… 秋葉 直樹(あきば なおき、1973年3月22日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。 野球好きだった父の影響で自分も興味を持ち、小学校3年生の頃に野球を始めた。リトルリーグおよびリトルシニアで一塁手として野球を続けたが、ほぼ補欠で出場機会は少なかったという。 千葉大宮高に進むと高校野球のレベルに圧倒されたが、練習後も自宅で1時間の素振りをするなどの努力もあり、1年生ながら夏の県大会ではレギュラーに選ばれている。2年次の秋には新チームの主将になり、同時にチーム事情から投手に転向した。あこがれのポジションだったため非常に嬉しく、走りこみや投げ込みを重ねたという。3年次にはエースで四番となり、プロのスカウトも視察に来ていた。
大塚 晶文(おおつか あきのり、1972年1月13日 - )… 大塚 晶文(おおつか あきのり、1972年1月13日 - )は、千葉県千葉市花見川区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。 投手としてサンディエゴ・パドレスで1度の地区優勝に貢献。個人ではNPBで合計1個のタイトルを獲得している。 2003年から2007年までの登録名は大塚 晶則(読み同じ)。 小学3年時、地元こてはし台の少年野球チームに入り野球を始める。 その後、横芝敬愛高等学校へ進学。1年時に母が病気で他界したが、兄や姉、後見人の支えもあり、野球を続ける。高校3年夏の千葉県大会では、4回戦で八千代東高校を3-2で破った。同試合後、八千代東のエースだった恩田寿之(のちに東洋大→かずさマジック)から千羽鶴を手渡された。
大塚 晶文(おおつか あきのり、1972年1月13日 - )… 大塚 晶文(おおつか あきのり、1972年1月13日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。
小林 茂生(こばやし しげお、1969年9月26日 - )は… 小林 茂生(こばやし しげお、1969年9月26日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 中学までは捕手を務めており、横芝敬愛高進学後に投手に転向した。2年夏は2回戦、3年夏は1回戦で敗退しており、甲子園出場経験はない。 日体大進学を希望していたが、1987年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから4位指名を受けて入団。武器はカーブ、フォーク。 一軍出場がないまま、1993年限りで現役を引退した。 引退後はロッテに残りで2007年まで打撃投手を、2008年よりスコアラーを務める。 その後は、2018年から2019年にロッテのアカデミーコーチを経て、2020年からは栃木県に拠点を置くエイジェックの女子ユースチームの監督を務めている。
徳永 耕治(とくなが こうじ、1968年9月3日 - )は、… 徳永 耕治(とくなが こうじ、1968年9月3日 - )は、千葉県千葉市出身の元野球選手(内野手)。バルセロナ五輪代表では四番打者を務めた。 千葉工業高では長打力を評価されて一年からレギュラーを務め、三年になると捕手に転向し四番を任された。全国大会出場はならなかったが、同じ県内の銚子商業の監督だった斉藤一之の紹介があり、卒業後は社会人野球の日本石油に進む。1年目はブルペン捕手だったが、入社2年目の1988年に指名打者制度が導入されたのをきっかけにチームの若返りの方針もあって四番を任されるようになり、同年の日本選手権には四番・DHとして出場。2回戦の対神戸製鋼戦で2本塁打、準決勝の対東芝戦でも2ラン本塁打を放つ活躍で、大会優秀選手に選ばれている。
佐藤 幸彦(さとう ゆきひこ、1968年4月16日 - )は… 佐藤 幸彦(さとう ゆきひこ、1968年4月16日 - )は、千葉県千葉市花見川区出身の元プロ野球選手(外野手)。 小学生時代はテニスの選手であり、海外へテニス留学をした経験を持つ。拓大紅陵高では飯田哲也と同級生。2学年先輩には小川博文が、2学年後輩には和田孝志と高橋憲幸がいた(和田とは後にプロでもチームメイトとなる)。1986年は春夏連続で甲子園に出場。 1986年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから4位指名を受け入団。 高卒1年目の1987年に一軍デビューを果たし、イースタン・リーグでも打率.303、11本塁打と結果を残した。1989年には一軍初安打を放った。当初は三塁手で初芝清とポジション争いをしていたが、1992年に初芝がレギュラー三塁手になると左翼手、指名打者として起用されるようになった。
佐久間 浩一(さくま ひろかず、1967年10月11日 - … 佐久間 浩一(さくま ひろかず、1967年10月11日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 1996年から1997年までの登録名は佐久間 博千(読み同じ)。 東海大浦安高では4番を打った2年夏の県大会準優勝。3年春の1985年に選抜甲子園に出場。この大会では、3年KKコンビ擁するPL学園を筆頭に東海大浦安も優勝候補の一角に挙げられていたが、1回戦で優勝した3年渡辺智男投手擁する伊野商に1-5で敗退。佐久間は4打数1安打1三振に終わり、チームは散発6安打、佐久間のレフトへのタイムリーによる1点に抑えられた。高校卒業後の1986年、東海大学に進学し野球部に所属。首都大学リーグ戦では3年秋にベストナイン。
染宮 修支(そめみや しゅういち、1964年7月11日 - … 染宮 修支(そめみや しゅういち、1964年7月11日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(投手)。1984年の登録名は染宮 修一(読み同じ)。 千城台西中学校から千葉商業高へ進み、1年春の県大会では決勝で登板し準優勝。3年夏はチームが決勝進出するも故障で登板できずに敗退。転校した浦和商業高(定時制)から、1983年オフにドラフト外でヤクルトスワローズに入団。武器は146㌔の速球とスライダー。 プロ2年目の1985年にイースタンリーグで防御率2.03を記録し、最優秀防御率を獲得。同年一軍初登板。1989年限りで現役を引退。家業を継いでいる。
森 忠仁(もり ただひと、1962年6月2日 - )は、千葉… 森 忠仁(もり ただひと、1962年6月2日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は日本プロ野球選手会事務局長を務める。 千葉商業高校から、1980年オフにドラフト外で阪神タイガースに入団した。 はまれば飛ばす力があったが確実性に乏しく、現役6年間で一軍で記録を残すことなく引退した。 引退後は証券会社、保険代理店と一般企業に就職し、保険代理店時代にプロ野球選手会の松原徹(後の事務局長)から「プロ野球界出身で一般の企業社会での経験もある人物」を探していたことで声をかけられ、事情により一度は話が流れたが、松原が事務局長に就任した2000年に再び声をかけられ、プロ野球選手会に転職した。
関根 浩史(せきね ひろふみ、1961年9月14日 - )は… 関根 浩史(せきね ひろふみ、1961年9月14日 - )は、千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(投手)。 千葉工業高では、エースとして1978年秋季県大会1回戦で完全試合を達成し、準決勝では佐倉高の山岡勝、決勝では千葉商の高田博久に投げ勝って優勝すると関東大会に進むが、1回戦で巨摩高にコールド負け、春の選抜出場を逸する。 高校卒業後、社会人野球の日産自動車に進む。1982年の都市対抗野球では池田親興、森岡真一との投の三本柱で準決勝に進み、優勝した住友金属の石井毅投手に抑えられ敗退、自身は先発したが3回途中で降板した。同年の第27回アマチュア野球世界選手権大会の日本代表に選出される。秋の日本選手権では2回戦で優勝したヤマハ発動機と対戦し、先発の池田が崩れると3番手として5回から登板してチームは9回表、同点に追いつくがその裏にサヨナラ負け。
掛布 雅之(かけふ まさゆき、1955年5月9日 - )は、… 掛布 雅之(かけふ まさゆき、1955年5月9日 - )は、新潟県三条市生まれ、千葉県千葉市中央区出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、野球解説者・評論家、タレント、YouTuber。大阪府豊中市在住。阪神タイガース現役時代から(4代目)「ミスタータイガース」と称された。 1988年の現役引退後は、野球解説・評論活動を経て、2013年シーズン終了後にゼネラルマネジャー(GM)付育成&打撃コーディネーター→球団本部付 - (Development Coordinator〈略称:DC〉)として阪神に復帰。2016年から2シーズンにわたって二軍監督を務めたのち、2017年11月1日から2年間、オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(Senior Executive Advisor〈略称:SEA〉)として活動した。
市原 稔(いちはら みのる、1947年3月11日 - )は、… 市原 稔(いちはら みのる、1947年3月11日 - )は、千葉県千葉市花見川区出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、プロ野球交渉代理人。 同じく元プロ野球選手の市原圭は実子。 千葉東高校から早稲田大学を経て、1968年のドラフト外で南海ホークスに入団。早大では教員を目指していたことから、野球部を入部後間もなく、学業と野球部の両立が難しいことを先輩部員から告げられて退部し、母校を指導していた。その後、教員試験に失敗したことから南海の入団テストを受験したが、この時は獲得してもらうために年齢をごまかして受験していたという。 1年目の1969年は7月26日の近鉄戦(大阪)で9回表に小池兼司に代わる遊撃手(守備機会2、失策1)として初出場を果たすが、自身最初で最後の出場となる。
式田 信一(しきた しんいち、1938年12月3日 - )は… 式田 信一(しきた しんいち、1938年12月3日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。 県立船橋高校から1957年に中日ドラゴンズへ入団。1963年に引退。
佐々木 重徳(ささき しげのり、1934年4月21日 - )… 佐々木 重徳(ささき しげのり、1934年4月21日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは二塁手。
板倉 正男(いたくら まさお、1927年1月6日 - 201… 板倉 正男(いたくら まさお、1927年1月6日 - 2011年7月28日)は、千葉県千葉市出身のプロ野球選手(投手、捕手、外野手)。 千葉商業学校から郵便局勤務を経て1947年に国民野球連盟の大塚アスレチックスに入団。リーグ崩壊後、1948年に金星スターズへ入団。翌1949年は合併により大映スターズに移籍、捕手に転向。1952年頃から正捕手。1954年にヴィクトル・スタルヒンと共に高橋ユニオンズに移籍、同年引退。引退後は社会人野球、ゴルフ場勤務を経て船橋カントリークラブ支配人に就任。
小川 善治(おがわ よしはる、1924年6月2日 - 198… 小川 善治(おがわ よしはる、1924年6月2日 - 1987年7月29日)は、千葉県千葉市出身のプロ野球選手(投手)。 千葉商業から明治大学へ進学。1945年11月に新設球団セネタースから勧誘を受けるが、固辞して大学に残る。1946年には母校の千葉商業で監督を務めている。1948年の大学卒業に当たって、明治大学の同期で東急フライヤーズ(セネタースの後身)に所属していた清水喜一郎から東急入団の勧誘を受けるが、小川は再び固辞して小口工作所に入社した。 1949年に大映スターズのスカウト・小林次男の勧誘を受けて入団。カーブ、ドロップ、スライダー、シュートを武器に2年目に二桁となる12勝を挙げた。1954年と1955年にも2桁勝利を記録し、大映の先発陣の柱として活躍した。
山下 斐紹 は、北海道札幌市西区出身の元プロ野球選手(捕手、… 山下 斐紹 は、北海道札幌市西区出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手、外野手)。右投左打。