大竹 優(おおたけ ゆう、2001年11月14日 - )は、… 大竹 優(おおたけ ゆう、2001年11月14日 - )は、日本棋院中部総本部所属の囲碁棋士。吉岡薫九段門下。長野県飯山市出身。 小学校入学前に公民館で囲碁体験教室に参加して興味を持ち、近所の人に教わったりして腕を上げた。小学4年で少年少女囲碁大会 県代表選抜大会の小学生の部Aクラスで優勝。小学5年の春、日本棋院中部総本部の院生になって、吉岡薫の門下に入る。 2015年、中部総本部棋士採用試験 本戦で8勝2敗で1位となり、2016年1月1日入段。 2017年、二段に昇段。 2018年、天元戦の本戦に出場するも、一回戦で呉柏毅に敗れる。 2019年、三段に昇段。碁聖戦の本戦に出場するも、一回戦で志田達哉に敗れる。
伊東 平(いとう たいら、1994年2月24日 - )は、中… 伊東 平(いとう たいら、1994年2月24日 - )は、中国放送(RCC)のアナウンサー。長野県飯山市出身。 地元のSBC信越放送に在籍していた母方の祖父(後述)・母がアナウンサー、父がディレクター、姉が記者という放送関係一家に育つ。更に義兄(姉の夫)、義兄両親も放送局で働いていた。小学校の卒業アルバムに書いた将来の夢は「野球中継の実況・解説者」。小さい頃から野球をしていたがプロ野球選手にはなれないと自覚しており、それでも野球にかかわれる仕事ということで意識していたものだったという。 高校までの10年間野球に打ち込み、長野県飯山北高等学校時代は主将を務め長野県ベスト4。第83回選抜高等学校野球大会の県21世紀枠推薦校に選ばれたこともある。
作山 憲斗(さくやま けんと、1990年7月3日 - )は日… 作山 憲斗(さくやま けんと、1990年7月3日 - )は日本、長野県飯山市出身の元スキージャンプ選手で、スキージャンプ指導者である。 7歳からスキーを始める。 飯山第一中学校3年時の全国中学校スキー大会で優勝して注目される。 中野実業高校を経て2009年北野建設に入社した。 ノルディックスキージュニア世界選手権では2008年団体戦5位、2009年個人戦25位、団体戦6位、2010年個人戦18位、団体戦6位の成績を残した。全日本スキー選手権で第89回ノーマルヒル、第91回ノーマルヒル、第92回ラージヒル、第94回ラージヒルと通算4勝した。 ワールドカップでは2014/15シーズンフィンランド・クオピオ大会で18位になったのが自己最高位である。
竹内 択 (たけうち たく、1987年5月20日 - ) は… 竹内 択 (たけうち たく、1987年5月20日 - ) は、日本のスキージャンプ選手。オリンピック3大会 (2010年バンクーバー、2014年ソチ、2018年平昌) 日本代表。2013年ノルディックスキー世界選手権混合団体戦金メダリスト、2014年ソチオリンピック男子団体銅メダリスト。 長野県飯山市出身。長野県飯山市立飯山第一中学校を卒業後、2003年からフィンランドに単身留学しフィンランド語を学びながら職業学校に通いつつフィンランド人コーチの指導を受け、日本へ帰国後の2006年から北野建設に所属している。2007-08シーズンよりスキージャンプ・ワールドカップに本格参戦し、2月2日の札幌大会で8位、翌日は9位と2戦連続一桁順位を記録するなどシーズン総合成績で日本人トップとなる28位になった。
水野 尚哉(みずの なおや、1983年6月8日 - )は、日… 水野 尚哉(みずの なおや、1983年6月8日 - )は、日本の稲作篤農家。FAITH FARM代表。世界一旨い米をつくる男と言われて、地域ブランド化に尽力。 2016年6月29日、阿部守一県知事に南魚沼・みなかみ・飯山・木島地域は『稲作のゴールデントライアングル』で世界一の良食味米産地であることを伝えている。 「家族の健康と笑顔」をテーマに美味しさと高栄養価を追求し続ける。 戸狩温泉スキー場の中腹に当たる中山間地域で清らかな雪解け水と日当たりの良い農地が並ぶ環境を選び、田植後は「稲に毎日声をかける」ことを徹底して実践している。 里山コミュニティビルダーとして多くの人に米の栽培方法や農に対する考え方を伝えながら、良食味栽培と環境保全保護を目指すことを決意。
山田 大禧(やまだ ひろき、1982年5月19日 - )は、… 山田 大禧(やまだ ひろき、1982年5月19日 - )は、長野県飯山市出身のスキージャンプ選手。旧名山田大起。 飯山市立飯山第二中学校(旧・現在は他2校と統合)から長野県飯山南高校(現長野県飯山高等学校)、北野建設を経て現在長野市スキークラブに所属している。2002年、19歳の時にソルトレイクシティオリンピック代表に選出され団体、個人ノーマルヒルに出場した。長野県出身のスキージャンプ選手としては江遠要甫、西方仁也に次いで3人目となった。 2010年4月24日、信越放送アナウンサーの生田明子と結婚。同年12月から、同じ読みで山田大禧に改名した。
斉藤 亮(さいとう りょう、1980年9月30日 - )は、… 斉藤 亮(さいとう りょう、1980年9月30日 - )は、長野県飯山市出身のクロスカントリースキー、マウンテンバイク選手である。 小学校の時にクロスカントリースキーと出会い競技を開始した。中学時代は全国中学大会に3年連続で出場し、高校時代は2年でインターハイリレー優勝、3年で個人戦2位、リレーでも2位になった。陸上自衛隊冬季戦技教育隊に進み、クロスカントリースキー選手としてワールドカップを転戦する生活を送る。トリノオリンピックの代表選考で、全日本優勝、FISランキング国内4位の実績がありながら、代表枠6人に入れず、引退を決意する。プライベーターとなった2008年長野かがやき国体(第63回国民体育大会冬季大会)スキー競技会を優勝で飾り、雪辱を果たした。
小松 シゲル(こまつ シゲル、1972年10月23日 - )… 小松 シゲル(こまつ シゲル、1972年10月23日 - )は、日本のドラマー。ノーナ・リーヴスのドラム担当。 長野県飯山市出身。血液型O型。早稲田大学社会科学部を卒業。既婚者。通称は「コマボー」であり、また本名「小松茂」の名義もしばしば使われる。 姉の影響で12歳の時にドラムを始める。その後長野から上京し、ドラマーの道を進むことを決める。 早稲田大学社会科学部在学中に、ノーナ・リーヴスに加入。1997年にメジャーデビューする。 2019年より、地元飯山市で「信州いいやまノーナ・フェス」(飯山市文化交流館)を開催する。(2020年はコロナ禍の影響でオンライン開催、2021年は飯山で開催予定だったが同じくコロナ禍の影響で中止となっている。
江村 裕子(えむら ゆうこ、1967年7月13日 - )は、… 江村 裕子(えむら ゆうこ、1967年7月13日 - )は、日本のフリーアナウンサーで長野朝日放送の元アナウンサー。 長野県飯山市出身。長野県飯山北高等学校を経て、信州豊南女子短期大学卒業。LCVアナウンサーを経て、1991年、開局と同時に長野朝日放送に入社。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
藤井 麻輝(ふじい まき、1965年8月17日 - )は、日… 藤井 麻輝(ふじい まき、1965年8月17日 - )は、日本のミュージシャン、キーボーディスト、ギタリスト、音楽プロデューサー。本名は藤巻靖人(ふじまきやすと)。 長野県飯山市出身。身長178cm。血液型はB型。 SOFT BALLETの元メンバー。SUILEN、SCHAFT、minus(-)のメンバー。 長野県飯山市の医師の家庭に生まれ育つ。父は開業医で「藤巻医院」を経営していた。 幼少期にピアノを習っていたが、恥ずかしくて途中で辞めたと述べている。他には剣道も習っていたという。 高校時代、冨田勲の『展覧会の絵』に感銘を受け、音楽、シンセサイザーに目覚める。スロッビング・グリッスルなどのようなインダストリアルやノイズミュージックに傾倒した。
河田久雄(かわだひさお、1947年 -)は、日本のイラストレ… 河田久雄(かわだひさお、1947年 -)は、日本のイラストレーター。 長野県飯山市生まれ、現在東京都杉並区在住。武蔵野美術短期大学芸能デザイン科卒業。「イラストレーターズ37」(S.I.年鑑) 国際部門入選。1996年N.Y.ミュージアム オブ イラストレーターズにて13人展。N.Y.ソサエティ オブ イラストレーターズ会員。
丸山 健二(まるやま けんじ、1943年12月23日 - )… 丸山 健二(まるやま けんじ、1943年12月23日 - )は、日本の小説家。 高校を卒業後、通信士として商社に勤務。傍ら創作をはじめ、生と死の主題を冷静な筆致で描いた『夏の流れ』(1966年)で芥川賞受賞。『正午なり』(1968年)、『朝日のあたる家』(1970年)などで帰郷と定着の問題を扱い、一層の社会性を加える。 国語教師の息子として長野県飯山市で生まれ、父の転勤に伴い各地を転々とし、大町市に育ち、長野市篠ノ井で中学校を卒業。1964年、国立仙台電波高等学校(現在の仙台高等専門学校広瀬キャンパス)を卒業後、1967年まで株式会社江商東京支社総務部通信課にテレックス・オペレーターとして勤務。
北澤 宏一(きたざわ こういち、1943年4月17日 - 2… 北澤 宏一(きたざわ こういち、1943年4月17日 - 2014年9月26日)は、日本の化学者。1986年末から1987年に起きた高温超伝導研究フィーバーの火付け役として知られる。東京大学名誉教授。元東京都市大学学長・独立行政法人科学技術振興機構顧問。第20期日本学術会議会員、朝日賞の選考委員も務めた。2002年 紫綬褒章、2014年従四位瑞宝中綬章。長野県飯山市出身。
江遠 要甫(えとお ようすけ、1934年5月10日 - )は… 江遠 要甫(えとお ようすけ、1934年5月10日 - )は、長野県飯山市出身の元ノルディック複合、スキージャンプ選手。 明治大学卒業後、長野営林署に勤務。 ジャンプでは長野県出身者として初のオリンピック代表となった。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
石田 正人(いしだ まさと、1933年3月21日 - )は… 石田 正人(いしだ まさと、1933年3月21日 - )は、日本の政治家。元長野県飯山市長(1期)。旭日双光章。 現在の飯山市出身。下高井農林学校(現長野県下高井農林高等学校)卒業。昭和39年(1969年)から飯山市常盤農協に勤務しコシヒカリの品種「幻の米」のブランド育成と販路開拓に貢献し、北信州みゆき農協組合長を務めた。平成18年(2006年)飯山市長選挙に当選し、1期務めた。同年黄綬褒章受章。2013年秋の叙勲で旭日双光章を受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014… 田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014年11月2日)は、日本の歌人。本名、我妻 泰(わがつま とおる)。ペンネームの安曇は安曇野よりとっているが出身は飯山市である。クリスチャン。 長野県飯山市出身。旧制飯山中学校(現・長野県飯山北高等学校)、岡崎高等師範学校(現・名古屋大学)社会科卒業。中学校の社会科教師となる。立原道造の影響で詩作を始め、のちに短歌に専念。「花実」を経て、1950年に「アララギ」中部青年の会「環」に参加。1951年には近藤芳美を中心にして創刊された短歌雑誌「未来」の創刊に関わる。岡井隆は同じく創刊メンバーである。秋村功と歌誌「河」を編集。1988年、柳川創造らとともに「綱手」創刊。
大沼 淳(おおぬま すなお、1928年〈昭和3年〉4月11日… 大沼 淳(おおぬま すなお、1928年〈昭和3年〉4月11日 - 2020年〈令和2年〉11月21日)は、学校法人文化学園の元理事長。日本私立大学協会会長。海軍兵学校76期修了生、元人事院官僚。 宗徳恵と正恵の着用していた韓服や化粧台・裁縫箱などの愛用品が文化学園服飾博物館に李親王からの寄贈を初代学長が受けて収蔵・展示していたが、2015年6月に日韓の文化的友好協力の増進を希望する大沼により徳恵の韓服のうち7点が長年の親交を持つ韓国人と協力して韓国文化財庁に寄贈された。
小野沢 静夫(おのざわ しずお、1921年(大正10年)10… 小野沢 静夫(おのざわ しずお、1921年(大正10年)10月10日 - 1999年(平成11年)5月6日)は、昭和から平成初期の政治家。長野県飯山市長。位階は従五位。 長野県下高井郡下木島村(現飯山市)で、小野沢広輔、ちよ の長男として生まれた。1939年(昭和14年)旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業。戦後、木島連合青年団長から自民党長野県連青年部副部長として青年団運動に活躍し、飯山南高や飯山北高のPTA副会長、木島消防団長、飯山市農業委員会委員等を経て、1962年(昭和37年)12月、飯山市議会議員となり、同議長を務めた。 1978年(昭和53年)9月、飯山市長選挙に当選し、1890年(平成2年)9月まで3期務めた。
長谷川 靑澄(はせがわ せいちょう、1916年9月25日 -… 長谷川 靑澄(はせがわ せいちょう、1916年9月25日 - 2004年7月23日)は、日本の美術家、日本画家。本名は義治(よしはる)。 精密な描写をもとにしたデフォルム、また琳派や西洋の油彩絵画とも一線を画したマチエールに強いこだわりをもった独特な画風を確立した。作品は専ら日本美術院展覧会への出品作であり、日本美術院同人、同評議員となった。 1916年(大正5年) 9月25日、長野県下水内郡飯山町(現飯山市)に生まれる。旧制飯山中学(長野県飯山北高等学校)卒業。 15歳で地元の細野順耳(菊池契月の兄)に学び、1933年(昭和8年)上京し、18歳で松岡映丘門の吉村忠夫に入門し大和絵を専攻。1952年(昭和27年)36歳の時に吉村忠夫の急逝をうけ、日本美術院・同人の中村貞以(なかむらていい、1900年 - 1982年)に入門し、日本美術院展覧会を目指し研鑽を重ねる。
荻原 克巳(おぎわら かつみ、1911年(明治44年)5月2… 荻原 克巳(おぎわら かつみ、1911年(明治44年)5月20日 - 2008年(平成20年)1月31日)は、日本の政治家。長野県飯山市長。 長野県下水内郡飯山町(現飯山市)で、荻原善蔵、こま の長男して生まれた。1928年(昭和3年)旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業1947年(昭和22年)4月、同郡柳原村長となり1期在任。1951年(昭和26年)4月、長野県議会議員となり、1955年(昭和30年)には副議長を務めた。 1958年(昭和33年)飯山市長選挙に当選し1期務めた。在任中は豪雪対策、小中学校の統廃合、スキー場観光の振興などに尽力した。その他、旭町農業協同組合長、長野県信連や共済連の各理事長、長野県植物防疫協会会長を務めた。
月岡 朝太郎(つきおか あさたろう、1911年3月7日 - … 月岡 朝太郎(つきおか あさたろう、1911年3月7日 - 1984年)は、日本の自転車競技選手、指導者。 長野県下水内郡岡山村(現飯山市)に生まれ、1928年に上京し、法政大学専門部第二部政治経済学科卒業後、様々な職業を転々とする。1937年月刊雑誌『鉱業冶金』の編集長となり、1941年三井鉱業北越鉱山事業部長となる。また1937年には、日本自転車競技連盟関東支部が主催した第1回関東自転車断郊競走の実用車部門に出場したのをきっかけに、自転車競技に取り組み、1940年に予定されていた東京オリンピックの候補選手になった。 戦後、1947年に雑誌『自転車』を創刊、1949年には大宮競輪場の開設と同時に競輪予想紙「競輪新聞」(現在の赤競)を創刊。
春日 佳一(かすが かいち、1903年(明治36年)6月24… 春日 佳一(かすが かいち、1903年(明治36年)6月24日 - 1981年(昭和56年)11月13日)は、昭和期戦後の政治家。長野県飯山市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 長野県下水内郡外様村(現飯山市)で、春日寿平、とも の四男として生まれた。1921年(大正10年)3月、旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業。同年、外様村小学校教諭を勤め、1931年(昭和6年)に退職。 1947年(昭和22年)4月、外様村長に就任し1期在任。1954年(昭和29年)12月には合併後の飯山市議会議員となり、1956年(昭和31年)に議長となる。1961年(昭和36)飯山市教育委員に就任し翌年まで在任した。
三ッ井 卯三男(みつい うさお、1903年(明治36年)3月… 三ッ井 卯三男(みつい うさお、1903年(明治36年)3月8日 - 1977年(昭和52年)8月14日)は、日本の政治家。第16代鹿児島市長。位階は正四位。 長野県飯山市出身。東京高等商業学校(現・一橋大学)選科修了、九州帝国大学法文学部卒業。卒業後は長野、山形、福岡の各県の中学教師となる。1938年福岡県庁に入り、社会教育、振興、厚生の各課長を経て、1943年海軍司政官になる。帰国後の1947年福岡県秘書課長から鹿児島県庁に転じ、教育、総務の各部長、副知事を歴任する。 1959年の鹿児島市長選に保守系から立候補したが、元串木野市長で革新系の平瀬實武に敗れて落選した。4年後の1963年の市長選に現職の平瀬に挑戦する形で再び立候補し、前回と同じ保革対決となり、選挙の結果、現職の平瀬を破り当選した。
篠井 恵四郎(しのい えしろう、1902年(明治35年)2月… 篠井 恵四郎(しのい えしろう、1902年(明治35年)2月21日 - 1965年(昭和40年))は、日本の政治家。長野県飯山市長。 長野県下水内郡飯山町(現飯山市)生まれ。1919年(大正8年)3月、旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業。飯山町議会議員、同町消防団長、同町助役を経て、1953年(昭和28年)9月、飯山町長に当選し、昭和の大合併では1町6村の新設合併を実現した。 1954年(昭和29年)飯山市制施行に伴い初代市長となり、1958年(昭和33年)9月まで1期務めた。在任中は市庁舎の竣工や照岡ダムの建設、市内有線放送の整備などに力を入れた。
本多 侃士(ほんだ かんじ、1899年1月21日 - 197… 本多 侃士(ほんだ かんじ、1899年1月21日 - 1974年8月19日)は日本の物理学者。東京大学名誉教授。工学博士。専門は雷の発生原因となる高圧放電現象の研究。 長野県下水内郡飯山町(現飯山市)生まれ。一家で仙台市に移り、旧制宮城県立仙台第二中学、旧制第二高等学校を経て、大正12年(1923年)東京帝国大学工学部電気工学科卒業。同年理化学研究所西研究室に入り、昭和6年(1931年)東大理学部非常勤講師、昭和12年(1937年)助教授、昭和14年(1939年)教授となり工業物理学講座担当。昭和19年(1944年)理研主任研究員となり本多研究室を開設。この間日本学術振興会特別委員会委員、学術研究会議研究班長を務めた。
横田 卓二(よこた たくじ、1886年(明治19年)3月10… 横田 卓二(よこた たくじ、1886年(明治19年)3月10日 - 1971年(昭和46年)1月14日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等は従四位勲三等。 長野県飯山市出身。陸軍士官学校第19期卒業。1925年(大正13年)3月、陸軍騎兵少佐に進級し、同年9月時点で陸軍騎兵学校附の任にあった。1924年(大正14年)9月時点で騎兵第13連隊附を発令され、成蹊高等学校兼成蹊実務学校配属となり、1928年(昭和3年)3月に近衛騎兵連隊附に転じ、1929年(昭和4年)8月に陸軍騎兵中佐進級と同時に騎兵第16連隊附に着任した。1931年(昭和6年)3月に軍馬補充部十勝支部長に就任し、1933年(昭和8年)8月に騎兵第9連隊長(第9師団)に転補され、1934年(昭和9年)8月に陸軍騎兵大佐に進級した。
栗岩 英治(くりいわ えいじ、1878年10月1日 - 19… 栗岩 英治(くりいわ えいじ、1878年10月1日 - 1946年9月11日)は日本の郷土史家、新聞記者。号は酔古など。 長野県水内郡寿村(現・飯山市)の医者の家に生まれる。医業を志して明治27年(1894年)に上京し、旧制独逸協会中学に入学するが中退、同34年(1901年)に再び上京し、長谷川泰の済生学舎に学んだ。同35年(1902年)政教社の同人となり、「日本及び日本人」に寄稿し、美術雑誌「芸苑」などを発刊。満州や朝鮮に渡り、樺太で事業を起こしたが帰国し、「木更津新聞」主幹などを経て郷里に戻り、同43年(1910年)には「長野新聞」編集長となった。 その後は長野県の歴史研究に没頭、昭和4年(1929年)に「長野県史」編纂委員となって「信濃史料刊行会」の発足の中心人物となり、県内外を歩き回って史料を渉猟した。
吉田 静致(よしだ せいち、明治5年7月25日(1872年8… 吉田 静致(よしだ せいち、明治5年7月25日(1872年8月28日) - 昭和20年(1945年)10月4日)は日本の倫理学者。
3代 小林 万次郎(こばやし まんじろう、1863年12月1… 3代 小林 万次郎(こばやし まんじろう、1863年12月15日(文久3年11月5日)- 1919年(大正8年)9月27日)は、日本の地主、実業家、政治家。衆議院議員、長野県下高井郡中野町長。旧名・清水直。 信濃国水内郡温井村(長野県下水内郡岡山村を経て現飯山市)の清水家で生まれ、高井郡松川村(下高井郡中野町松川を経て現中野市)の素封家・2代小林万次郎の養子となる。3代小林万次郎を襲名した。生糸商を営んだ。 1901年(明治34年)中野町長に就任。1903年(明治36年)長野県会議員に選出され1期在任した。1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙で長野県郡部から選出された石塚重平の死去に伴い、1907年(明治40年)9月に行われた補欠選挙で当選し、立憲政友会所属で衆議院議員を1期務めた。
寺田 祐之(てらだ すけゆき、1851年1月27日(嘉永3年… 寺田 祐之(てらだ すけゆき、1851年1月27日(嘉永3年12月26日) - 1917年(大正6年)3月14日)は、日本の内務官僚。鳥取・岡山・宮城・広島の各県知事を歴任した。特に広島県知事在任中、県物産陳列館(現在の原爆ドーム)の設立に関わったことで知られる。 信濃国水内郡飯山に後の旧飯山藩士(長野県士族)寺田覚の長男として生まれ、慶応3年、寺田勘兵衛の養子となり家督を相続。1871年、飯山県文学助教兼学監となり、司法省十二等出仕警視属四等警視に転じた。その後、警察は内務省に移り、兵庫・山梨・香川・広島の各県警部長、新潟県内務部長などを経て1901年(明治34年)4月2日、鳥取県知事に就任。
島津 忠貞(しまづ たださだ、1845年2月17日〈弘化2年… 島津 忠貞(しまづ たださだ、1845年2月17日〈弘化2年1月11日〉 - 1907年〈明治40年〉6月27日)は、日本の政治家。衆議院議員。 信濃国水内郡飯山城下に飯山藩士の子として生まれる。信濃島津氏の流れを汲む。幼名は謹二。明治維新後、戸長となる。第6大学区第15中学区第4小区の取締役、長野師範学校監事を歴任し、第二十四国立銀行の取締役となる。 自由民権運動に参加し、1879年(明治12年)下水内郡選出の長野県会議員に当選した。県会常置委員に推挙された。1882年(明治15年)北信自由党を結成。自由党系地方政党としては全国有数規模であった。 1885年(明治18年)長野県産牛馬組合創立に際して本部会議長となり、翌1886年(明治19年)長野県蚕糸業組合委員会の議長となり、蚕糸業中央部会議を東京に開くにあたり、総代として上京し、副議長に推挙される。
石坂 周造(いしざか しゅうぞう、天保3年1月1日〈1832… 石坂 周造(いしざか しゅうぞう、天保3年1月1日〈1832年2月2日〉 - 明治36年〈1903年〉5月22日)は、幕末の志士。尊皇攘夷論者。明治期には石油産業の祖として知られる。幼名は源造、号は宗順(そうじゅん)。江戸では彦根藩脱藩浪士を自称していた。 信濃国水内郡桑名川村(現・長野県飯山市)に渡辺彦右衛門の次男として生まれとしている資料が多い。ただし、碑文には「両国生まれ」と記載されており。また、生前に出版された自伝「石坂翁小伝」には他のほとんどの資料と矛盾する以下の記述がある。 上記、石坂翁小伝の記述が正しければ複雑な出生と養子縁組を繰り返している事となる。一般的な資料には6歳で飯山の英岩寺に入門し、11歳で高源院に移り、その後江戸に出て石坂宗哲の養子となったとある。
新保 広恵(しんぼ ひろえ、11月28日 - ) は日本の女… 新保 広恵(しんぼ ひろえ、11月28日 - ) は日本の女優・パフォーマー。長野県飯山市出身。血液型はO型。なせばなるみ事務局所属。 ・決断〜火の見櫓に登った男たち〜(小林恵子) 監督:平岡亜紀
嶺 鶯(みね うぐいす、本名:嶺 輝子)は、日本の歌手、経営… 嶺 鶯(みね うぐいす、本名:嶺 輝子)は、日本の歌手、経営学者、会計学者。学位は博士(経営学)。嶺音楽事務所主宰。キングレコードに所属する演歌歌手。長野県飯山市出身。 駒澤大学卒業、神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。 四国の私立大学、長崎大学経済学部助教授、私立大学などを経て、東京都立大学経済学部教授に就任。2006年度まで首都大学東京、2011年度まで宮崎産業経営大学教授を歴任。 自称「八王子の美空ひばり」。「八王子ルンバ」「ああ大学生」「アメリカンタンゴ」「チャールストン」(すべてc/w)、「新宿チャチャチャ」などの曲をリリースしている。 1996年、「恋の万華鏡」でデビュー。これまでアルバム4作、シングル21作品を発表している。