若井 敦子(わかい あつこ、1971年9月12日 - )は、… 若井 敦子(わかい あつこ、1971年9月12日 - )は、日本の空手家、指導者、政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。岐阜県岐阜市出身。近畿大学短期大学部卒業。全日本空手道連盟公認7段。西濃運輸空手道部総監督、岐阜県議会議員(3期)を務めた。 岐阜県岐阜市生まれ。4歳の時に交通事故で負った怪我の後遺症を克服するためのリハビリとして、小学校1年生のときに剛柔流の空手を始める。中学高校時代から才能を発揮し、2004年世界空手道選手権で史上初の4連覇を達成(2008年ギネスに認定)。1997年よりワールドゲームズ3連覇、1998年、2002年アジア大会でも連覇を果たした。 2002年にJOCスポーツ賞(優秀賞)を受賞。
宮川 伸(みやかわ しん、1970年6月29日 - )は、日… 宮川 伸(みやかわ しん、1970年6月29日 - )は、日本の政治家、生物学者。 衆議院議員(2期)、日本学術振興会特別研究員、レンセラー工科大学博士研究員、東京大学医科学研究所学術研究支援員、リボミック代表取締役社長を歴任。 岐阜県岐阜市に生まれる。千葉市立柏台小学校、船橋市立習志野台中学校、千葉県立千葉東高等学校卒業。1994年3月、東京工業大学無機材料工学科卒業。1997年日本学術振興会特別研究員。1999年、同大学大学院博士課程修了、博士(理学)。大学院時代は澤岡昭の下で生命の起原の研究に従事。核酸塩基をプラズマ発生装置を用いて作製することに成功する。同年、カリフォルニア大学サンディエゴ校に留学。
小見山 幸治(こみやま よしはる、1962年11月8日 - … 小見山 幸治(こみやま よしはる、1962年11月8日 - )は、日本の政治家。公益財団法人『国際人材交流支援機構(IHNO)』理事長。参議院議員(1期)、参議院経済産業委員長、民主党・民進党岐阜県連代表などを務めた。「小宮山」と記載される場合が多いが、誤りである。 岐阜県岐阜市生まれ。1969年ゆりかご幼稚園卒園、岐阜県立岐阜商業高等学校、福島大学経済学部卒業。自民党参議院議員松田岩夫の秘書を経て、松田の政界引退にともない、2010年(平成22年)3月1日に、松田の選挙区であった岐阜県選挙区で当時政権与党であった民主党から立候補することを表明するが、自民党岐阜県連は、小見山が発表の時点でまだ自民党籍を持ったままだったことを非難し、翌2日、小見山が提出した離党届を受理せず、松田と小見山をともに除名処分にした。
舩後 靖彦(ふなご やすひこ、1957年〈昭和32年〉10月… 舩後 靖彦(ふなご やすひこ、1957年〈昭和32年〉10月4日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(1期)、れいわ新選組副代表兼両院総会長兼参議院会長を務めた。全身麻痺で人工呼吸器装着の筋萎縮性側索硬化症 (ALS) 患者。「全身麻痺ギタリスト」を名乗る。 岐阜県岐阜市生まれ。10歳の頃より千葉県千葉市に移り住み、千葉県立千葉南高等学校を経て、拓殖大学政経学部卒業。 大学卒業後はプロミュージシャンを目指すも断念し、1982年、酒田時計貿易株式会社に入社。28歳のときに結婚。 1999年夏(41歳)突然、箸・歯ブラシ・ペンがうまく握れなくなる。2000年5月、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) の告知を受ける。
細江 茂光(ほそえ しげみつ、1948年(昭和23年)4月1… 細江 茂光(ほそえ しげみつ、1948年(昭和23年)4月18日 - 2020年(令和2年)4月16日)は、日本の政治家。元岐阜市長(5期)。 岐阜県岐阜市伊奈波通出身。岐阜市立金華小学校(現岐阜市立岐阜小学校)、岐阜市立伊奈波中学校、岐阜県立岐阜高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、京都大学法学部卒業。同年4月、三井物産に就職。 2002年(平成14年)1月11日、市職員の公職選挙法違反事件により、岐阜市長の浅野勇が辞職。これに伴って2月24日に行われた市長選挙に民主党の推薦を受けて立候補。5人の候補者を破り初当選した。投票率は49.55%。 2006年(平成18年)、再選。投票率は30.28%。
古田 肇(ふるた はじめ、1947年〈昭和22年〉9月13日… 古田 肇(ふるた はじめ、1947年〈昭和22年〉9月13日 - )は、日本の政治家、通産・経産・外務官僚。元岐阜県知事(公選第16・17・18・19・20代)。無所属。2022年3月27日からは全国知事会副会長(東海北陸ブロック)を務める。 岐阜県岐阜市生まれ。岐阜市立加納中学校、岐阜県立岐阜高等学校卒業。1971年6月、東京大学法学部卒業。同年7月、通商産業省(現・経済産業省)に入省(貿易振興局貿易振興課)。同期入省に杉山秀二(事務次官)、今井康夫(特許庁長官)、鹿島幾三郎らがいる。1974年にフランス国立行政学院(ENA)に留学した。 1994年、羽田孜内閣総理大臣の首相秘書官に就任し、村山富市内閣総理大臣の下でも引き続き首相秘書官を務めた。
中条 きよし(なかじょう きよし、本名:下村 清〈しもむら … 中条 きよし(なかじょう きよし、本名:下村 清〈しもむら きよし〉、1946年〈昭和21年〉3月4日 - )は、日本の歌手、俳優、政治家。日本維新の会所属の参議院議員(1期)。岐阜県岐阜市出身。現在は静岡県熱海市在住。 岐阜県岐阜市生まれ。岐阜市立伊奈波中学校卒業、岐阜東(1年次は岐東)高等学校商業科中退。 大阪の劇団に所属し、役者を目指す。歌手の前座のピンチヒッターとして歌いレコード会社関係者の目に止まる。 1968年、高波 晃(たかなみ あきら)の芸名で「帰って来た波止場」で歌手デビュー。 1971年、今度は渥美 健(あつみ けん)に芸名を改め、「心の古傷」で再デビューした。 20代半ばで東京・赤坂にスナックを出店した。
森 真(森 眞、もり しん、1940年(昭和15年)2月24… 森 真(森 眞、もり しん、1940年(昭和15年)2月24日 - 2021年(令和3年)9月3日)は、日本の政治家。岐阜県各務原市長(4期)、岐阜県議会会議員、社会党岐阜県本部委員長、民主党岐阜代表代行などを歴任した。 岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜高等学校、早稲田大学第一法学部卒業。会社員から地元紙の新聞記者を経て、社会党の書記長だった山本幸一の秘書を務めた。2度の落選を経て、1979年に岐阜県議会議員選挙に当選し5期務めた。 1997年に各務原市長選に立候補し当選。2013年の任期満了に伴う同市長選で新人の浅野健司に敗れ、落選するまで4期務めた。 2015年、旭日中綬章を受章。 2021年9月3日14時15分、誤嚥性肺炎のため死去。
松田 岩夫(まつだ いわお、1937年(昭和12年)5月19… 松田 岩夫(まつだ いわお、1937年(昭和12年)5月19日 - 2022年(令和4年)2月3日)は、日本の政治家、通産官僚。位階は従三位。元衆議院議員(通算3期)、元参議院議員(2期)。 岐阜県岐阜市出身。第3次小泉改造内閣において、2005年(平成17年)10月31日から2006年(平成18年)9月26日まで、内閣府特命担当大臣(食品安全、科学技術政策)、情報通信技術 (IT)担当大臣を務めた。 岐阜県立加納高等学校を経て、1960年(昭和35年)に東京大学法学部(法律学)を卒業後、通商産業省に入省。同期に、堺屋太一、熊野英昭(元通産事務次官)、高橋達直、吉田文毅(特許庁長官)、若林茂(大臣官房審議官、旧ヤハギ社長)など。
大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )… 大脇 雅子(おおわき まさこ 1934年10月15日 - )は、日本の政治家、弁護士。参議院議員(2期)、社会民主党政策審議会長、国際委員長を歴任した。 岐阜県岐阜市出身。名古屋大学法学部を卒業後、司法試験に合格し、司法修習を経て弁護士登録。労働・公害問題や家庭問題等、市民に密着した事案を数多く手がけた。1992年、PKO法闘争のなかで、砂川事件判決の裁判官だった伊達秋雄から「今こそ憲法擁護の大事な時」と促され、日本社会党からの国政進出を決意。第16回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、当選。以後2期12年間参議院議員を務め、護憲と共に男女雇用機会均等法、パートタイム労働者の権利保護法、環境アセスメント法、廃棄物処理法等の立法、改正に尽力した。
梶原 拓(かじわら ひろむ、1933年11月14日 - 20… 梶原 拓(かじわら ひろむ、1933年11月14日 - 2017年8月29日)は、日本の政治家。建設省官僚。前岐阜県知事、元全国知事会会長。氏名の読みは一般には「かじわら たく」として知られる。 岐阜県岐阜市出身。岐阜県立岐阜高等学校、京都大学法学部卒業。 県立岐阜高校、京都大学法学部を卒業後、旧建設省に入省し、都市局局長等を歴任。鳥取県に出向し知事の西尾邑次の部下だったこともある。 1985年に当時の岐阜県知事だった上松陽助の部下として、岐阜県副知事に就き、上松の引退を受け1989年(平成元年)に夢おこし県政を掲げ岐阜県知事に初当選。以降4期16年在任し、全国知事会長も歴任した。 県内の産業振興にも積極的に取り組み、当時はほとんど知られていなかったCOSMOS (COsmic Scale Multimedia Of Six-faces) と称する当時世界に2台しか存在しなかった6面スクリーンの最先端の仮想現実環境の研究拠点を含む研究施設を県内に整備して振興に努めた。
浅野 勇(あさの いさむ、1926年〈大正15年〉3月1日 … 浅野 勇(あさの いさむ、1926年〈大正15年〉3月1日 - 2007年〈平成19年〉1月23日)は、日本の政治家。岐阜市長(3期)。
高橋 重信(たかはし しげのぶ / じゅうしん、1918年〈… 高橋 重信(たかはし しげのぶ / じゅうしん、1918年〈大正7年〉4月9日 - 1980年〈昭和55年〉7月30日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員。 岐阜県岐阜市出身。1938年(昭和13年)岐阜県師範学校を卒業し、1944年(昭和19年)同研究科を卒業した。 小学校訓導、陸軍伍長、岐阜県下国民学校訓導、中学校教諭、岐阜市教育委員会副委員長、日本社会党岐阜県本部書記長などを務めた。1955年(昭和30年)の岐阜県議会議員選挙に岐阜市選挙区から左派社会党公認で立候補して当選した。1959年(昭和34年)、1963年(昭和38年)は社会党公認で当選している。衆議院議員補欠選挙に立候補するため、1964年(昭和39年)12月6日付で県議を辞職した。
柳原 三郎(やなぎはら さぶろう、1914年(大正3年)7月… 柳原 三郎(やなぎはら さぶろう、1914年(大正3年)7月3日 - 1990年(平成2年)1月25日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 岐阜県岐阜市出身。1932年(昭和7年)岐阜県立岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)を卒業。その後、日本大学を卒業した。 岐阜県会議員に選出され、司法保護委員も務めた。柳原工業工場長、同取締役副社長、岐阜商工会議所議員、岐阜県体育協会長などを歴任。岐阜青年連盟主幹に就任し『暁鐘』を主宰した。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で岐阜県第1区に民主党公認で出馬して初当選。その後、1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した。
上松 陽助(うえまつ ようすけ、1914年(大正3年)7月2… 上松 陽助(うえまつ ようすけ、1914年(大正3年)7月2日 - 1996年(平成8年)1月18日)は、日本の政治家。岐阜県知事、岐阜市長を務めた。岐阜県名誉県民、岐阜市名誉市民。 岐阜県岐阜市出身。岐阜中学校(現:岐阜県立岐阜高等学校)、第八高等学校(現:名古屋大学)、東京帝国大学法学部政治学科(現:東京大学)卒業。 その後、日鉄鉱業に就職し、兵役を経て、雑貨を扱う常盤産業株式会社を設立し代表取締役社長に就任。 岐阜市役所に入庁し、経済部長、企業部長、民生部長、農林部長、民生局長等の要職を歴任した。収入役を経て、1970年に岐阜市長に初当選。 1977年2月に岐阜県知事選挙に出馬し、日本社会党参議院議員の中村波男らを破り初当選。
野田 卯一(のだ ういち、1903年(明治36年)9月10日… 野田 卯一(のだ ういち、1903年(明治36年)9月10日 - 1997年(平成9年)1月29日)は、日本の政治家、大蔵官僚。池田勇人・福田赳夫とともに、「大蔵省の3田」と呼ばれた。 岐阜県岐阜市出身。野田繁吉の五男として生まれる。岐阜中学校(現在の岐阜県立岐阜高等学校)、第一高等学校を経て、1927年(昭和2年)3月に東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した後、大蔵省に入省(大臣官房文書課属)。在学中の1926年(大正15年)11月に高等試験の行政科試験と司法科試験に合格した。 浜松税務署長、松戸税務署長、為替局総務課長、興亜院経済部第四課長、大蔵省総務局総務課長、門司海運局次長、大蔵省金融局次長、外資局長、主計局長、専売局長官などを歴任し、1948年(昭和23年)3月に大蔵次官に就任した。
田中 実司(たなか じつじ、1894年10月18日 - 19… 田中 実司(たなか じつじ、1894年10月18日 - 1980年11月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 本巣郡西郷村(現・岐阜市)生まれ。岐阜商工会議所議員、所得税調査員、岐阜県商工経済監事、岐阜県繊維製品配給(株)取締役、同県繊維製品統制(株)社長、田幸紡績(株)取締役会長、協和興業(株)取締役、(株)新岐阜百貨店常任監査役、岐阜繊維問屋街連合会長を歴任する。 1930年に洋服店を開業した。1942年に岐阜市会議員となった。 1946年の第22回衆議院議員総選挙において岐阜県全県選挙区から日本自由党公認で立候補して当選する。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙において岐阜1区で自由党公認で立候補したが落選。
石榑 敬一(いしぐれ けいいち、1890年12月5日 - 1… 石榑 敬一(いしぐれ けいいち、1890年12月5日 - 1968年11月1日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 岐阜県岐阜市生まれ。1908年岐阜県立農林学校卒。陸軍に入り、中尉まで進む。その後、岐阜市主事、三里村(現・岐阜市)村長、岐阜県会議員、岐阜在郷軍人連合分会長、岐阜市警防団長などを歴任する。 1928年12月4日から1931年10月15日まで第36代岐阜県会副議長を務めた。 1942年の総選挙(いわゆる翼賛選挙)では、岐阜1区(当時)から立候補する。翼協の非推薦ながら在郷軍人会をバックに当選を果たす。衆議院議員は1期務めた。 戦後の1955年の岐阜市長選挙に立候補したが、自由党推薦の松尾吾策に敗れて落選した。
川村 数郎(かわむら かずろう、1876年〈明治9年〉12月… 川村 数郎(かわむら かずろう、1876年〈明治9年〉12月14日 - 1939年〈昭和14年〉12月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 岐阜県、のちの岐阜市出身。貿易業を営む。朝鮮煙草、日本テレビン油、丸山乾燥各(株)取締役、(株)中井商店、新公論社各理事、中外化学工業(株)、岐阜毎夕新聞、濃飛日報各社長となる。 1920年の第14回衆議院議員総選挙において岐阜4区から立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1924年の第15回衆議院議員総選挙では政友本党から立候補したが落選した。1928年の第16回衆議院議員総選挙では岐阜2区から立憲民政党公認で立候補したが落選した。
坂口 拙三(さかぐち せつぞう、1874年(明治7年)3月3… 坂口 拙三(さかぐち せつぞう、1874年(明治7年)3月3日 - 1946年(昭和21年)11月24日)は、明治から昭和前期の農業経営者・地主・実業家・政治家。衆議院議員、岐阜県会議長。 岐阜県方県郡、のちの稲葉郡木田村(現岐阜市)で、豪農・坂口太八郎の長男として生まれる。1888年(明治21年)岐阜高等小学校を卒業し、1889年(明治22年)上京して、慶應義塾正課を卒業し、さらに東京法学院(のち英吉利法律学校、現中央大学)で学んだ。 帰郷して家業の畜産業を継承。北海道、朝鮮で開墾事業を行い、揖斐川電力(現イビデン)取締役、岐阜製氷取締役、京城工業社長、日本鉄煉瓦取締役などを務め、岐阜市でS電機商会を、中華民国山東省青島で雑貨店を経営した。
河崎 助太郎(かわさき すけたろう、1873年(明治6年)1… 河崎 助太郎(かわさき すけたろう、1873年(明治6年)1月13日 - 1943年(昭和18年)2月21日)は、明治から昭和前期の実業家・政治家。衆議院議員。 岐阜県厚見郡富茂登村(岐阜市富茂登釜屋町を経て現:岐阜市大仏町)で、御寿司元(鮎寿司)・河崎喜久夫の長男として生まれ、1904年(明治37年)11月に家督を相続した。1889年(明治22年)神戸私立英学校を卒業した。 大阪に出て、毛織物類、羊毛、毛糸類の貿易及羊毛紡績業に従事。また、大阪地方裁判所商事調停委員、大阪織物同業組合長、日本輸出綿織物連合会大阪支部長、岐阜商工会議所会頭、大阪商業会議所議員、京都土地建物社長、日宝石油社長、日本毛糸紡績取締役社長、朝日毛糸紡績取締役社長、東洋毛織工業取締役社長、東洋毛糸紡績取締役社長、共同毛織取締役社長、日本整毛工業取締役社長、新興人絹取締役社長、河崎商事取締役社長、東華紡績取締役、島津製作所監査役などを務めた。
石井 鼎(いしい かなえ、1863年(文久3年3月) - 1… 石井 鼎(いしい かなえ、1863年(文久3年3月) - 1916年(大正5年)5月22日)は、明治時代の政治家。衆議院議員。岐阜県会議長。岐阜県山県郡厳美村長。 美濃国山県郡、のちの岐阜県山県郡厳美村(芥見村・三輪村を経て現岐阜市)に生まれる。 1888年(明治21年)9月、臨時選挙で県会議員に当選。同常置委員、参事会員、県会議長を歴任した。ほか、小学校監事、厳美村長を務めた。 1898年(明治31年)8月の第6回衆議院議員総選挙では岐阜県第5区から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。
12代 渡辺 甚吉(渡邊、わたなべ じんきち、1856年12… 12代 渡辺 甚吉(渡邊、わたなべ じんきち、1856年12月12日(安政3年11月15日) - 1925年(大正14年)11月10日)は、明治から大正時代の政治家。実業家。銀行家。衆議院議員。貴族院多額納税者議員。 渡辺浄意の長男として、岐阜城下松屋町(現岐阜市松屋町)に生まれる。生家は絹織物製造業を営む。大蔵省の銀行学講習所で学ぶ。 1877年(明治10年)第十六国立銀行(後の十六銀行)を創立し頭取に就任。1878年(明治11年)清に渡り帰朝後に廻瀾社を創立し対清貿易に従事した。1879年(明治12年)岐阜町会議員に当選し、同議長、連合町村会議員、水利土工会議員などを歴任した。 1882年(明治15年)商法会議所を設立し議長を務め、1887年(明治20年)に岐阜商工会と改称し会頭となる。
山田 才吉(やまだ さいきち、嘉永5年8月19日(1852年… 山田 才吉(やまだ さいきち、嘉永5年8月19日(1852年10月2日) - 1937年(昭和12年)1月31日)は、美濃国出身の実業家・政治家(愛知県会議員)。 嘉永5年(1852年)8月19日、美濃国厚見郡富茂登村(現在の岐阜県岐阜市大仏町)で料理屋を営業していた山田辰次郎の長男として生まれる。板前などを経て名古屋の熱田神戸町・大須門前町に店を構え、1881年(明治14年)には末広町3丁目(現在の栄)の若宮八幡社西隣に漬物屋「きた福(喜多福)」を開店。この頃に守口漬(守口大根味醂粕漬)を考案したとされ、これが評判を呼んだ。なお、才吉が創業したきた福は同店から暖簾分けした「松喜屋」に屋号など含めて生前に売却され、「喜多福総本家」として現在も守口漬の製造販売を続けている。
天野 若円(あまの じゃくえん、嘉永4年5月10日(1851… 天野 若円(あまの じゃくえん、嘉永4年5月10日(1851年6月9日) - 明治42年(1909年)12月4日)は、明治前期の浄土真宗本願寺派の僧侶・政治家。諡号は即生院。 父の天野若空(文政2年3月13日(1819年4月7日)-明治31年(1898年)3月9日)は浄土真宗の学僧として名高く、美濃国厚見郡岩戸村(北長森村を経て現在の岐阜県岐阜市)にあった善龍寺の住職を務め、没後の明治34年(1901年)には勧学の地位を贈られている。 若円は若空の長男として生まれ、明治13年(1880年)浄土真宗本派大教校普通全科卒業後善龍寺を継ぎ、更に高田教務所管事や本山(西本願寺)の教学課長などを歴任した。
野々村 久次郎(ののむら きゅうじろう、1846年12月12… 野々村 久次郎(ののむら きゅうじろう、1846年12月12日(弘化3年5月30日) - 1925年(大正14年)11月4日)は、明治から大正時代の政治家。銀行家。貴族院多額納税者議員。 美濃国方県郡、のちの岐阜県本巣郡西郷村(現岐阜市)出身。野々村佐太郎の子として生まれ、のち叔父佐兵衛の養子となり1887年(明治20年)4月、家督を相続する。 1879年(明治12年)以降、下西郷村戸長、同衛生委員、本巣郡会議員のほか、第九十五国立銀行取締役、野々村銀行頭取を歴任した。 1918年(大正7年)9月には岐阜県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1921年(大正10年)7月6日まで務めた。
山田 省三郎(やまだ しょうざぶろう、1843年1月5日(天… 山田 省三郎(やまだ しょうざぶろう、1843年1月5日(天保13年12月5日)- 1916年(大正5年)3月8日)は日本の政治家。 衆議院議員。現在の東海地方を代表する木曽三川の水害対策(木曽三川分流工事)に翻弄し、生涯を治水に捧げた人物。 1929年(昭和4年)、岐阜公園に像高2m余の台座付きの銅像が建立された。後に、太平洋戦争時の金属類回収令より撤去。 1957年(昭和32年)、岐阜市内の長良川金華橋近くの四ッ屋公園に顕彰記念碑が立てられ、現在も存在する。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。